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ひとのし こいし

作者: mk

朝、布団からでて、朝食をとり、制服に着替え、学校に向かう。


まるで誰かに操られているかのように毎日同じことを繰り返している。


やたらイラつく両親、受験のことしか教えてこない先生、ろくでもないことでグチグチ揉めている大人たち。

「いっそ全員殺して僕も死んでしまおうか?」

朝っぱらからどす黒く胃もたれしそうなことを考えていると後ろから、


「おはよう!」

声だけで誰かわかる。ケンジだ。

ケンジはイツメンの1人。小中高と同じで自分では仲がいいと思っている。


目の前に未来の犯罪者候補とも言える人間がいるとも知らず、抱きついてくる。


重い…と言わんばかりによろめくとパッと離れて

「ニュース見たか?」と言ってきた。


めずらしい、なんてものじゃない。地震でも来るんだろうか、なんて思いながら


「何かあったの?」と聞き返す。


ケンジはやや被せ気味に


「やべえよ、俺が前好きって言ってた女優いたじゃんか。その子が今朝のニュースで交通事故で亡くなったって…」


会ったこともないのによくそんなにショックを受けれるな、などと思いながらも深刻そうな顔をしておく。

ケンジは続ける


「来月やる映画も見に行こうとしてたのに、

遺作になっちまうなんて…」


ふと、急な探究心のようなものに駆られた

「死ってなんだ?」


この世の誰も、それがなんなのか知らない。


今この瞬間、生者である僕らには決して理解できないものであることは理解できているがそれだけ。


昔、聞いたことがある。人は終わりがあるからこそ今を懸命に生きるのだと。


本当にそうなのだろうか?僕も、横にいるケンジも、ケンジの好きな女優も、常に死を意識して生きているのだろうか?


そんなこと絶対にない。誰もが50〜70代までは当たり前に生きていると信じきっている。


だからこそ老いることに嫌悪感を抱くのだ。

ノロノロ歩く老人を心の中で指さし

「ああはなりたくない」と


友人が推しの喪失で悩んでる横で、なぜ哲学チックなことを考えているのだと自分にひいたところで校門にたどり着いていた。


ノロノロ階段をのぼり、教室にはいり、席に着く


ホームルームが終わり退屈な授業が始まる。僕はぼうっと校庭でやってる体育を眺める。




ピクっ


いつの間にか寝ていたようだ。同じ姿勢が長時間続くとなる痙攣のようなもので目が覚めた


気がつくと3限目だ。2時間弱、ぶっ通しで寝ていたらしい。


またやった…なんて思ってたら3限も終わった。


ため息が気管から押し寄せることを認知した瞬間、


担任が僕の席の前に来て、


「お前の祖母が危篤だそうだ、ご両親が迎え来てくれるらしいから支度をしろ」


という。


きとく、キトク、


危篤か。


非日常を心のどこかで望んではいたがこんな形で訪れるとは…


高揚感とは180度違うが、なんとも言えない胸の鼓動を感じつつ教室を出た。








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