その9
「どういうことだよ、お前、え?」
信じられないといった表情で、信作は藍を見つめました。藍も怒りで顔を真っ赤にしたまま、手をわなわなとふるわせています。
「だってお前が、お前が原因であおいは……」
「信作君、ちょっとこっちに来て。お願い。藍ちゃんは待って。二人だけで話したいの」
朱音が信作の手をつかんで、藍から引き離します。藍は信作をきつい視線でねめつけたまま、うでを組んでうなずきました。
「なんだよ、離せよ! あいつ、ぶんなぐってやる!」
「落ち着いてってば! 信作君はおかしいと思わないの? 藍ちゃん、あおいちゃんが……その、あおいちゃんのこと、全然覚えてないような感じでしょう」
朱音は声をひそめて、藍に聞こえないように続けました。
「昨日信作君に、あおいちゃんが蛇に、蛇の化け物にとらわれているっていったでしょ。そいつがいっていたの。『術ハ解イテヤル。ダガ、貸シ出シタウロコハ返シテモラウ』って」
信作はけげんな顔をしていましたが、やがてなにかを悟ったのか、ハッと息を飲みました。
「まさか、藍は、その化け物になにか術を」
「わからないわ。でも、そういっていたことだけは確かなの。……わたしも、あおいちゃんがその……」
「死ぬまでは術をかけられていた、そういいたいのか?」
朱音は目を輝かせてうなずきました。しかし信作は歯を食いしばったまま、朱音を見おろしていました。朱音の目の輝きは一気に消え、おどおどしながら信作にたずねました。
「……そうだよね、そんなの、言い訳にもならないよね。あおいちゃんはわたしのことを助けてくれた。守ってくれていたのに。それなのにわたしは……」
「それに、どっちにしてもそれはお前の推測に過ぎない。いや、もしかしたらお前のうそかもしれないじゃないか」
「そんな、そんなことないわ! 本当なの、お願い、信じて」
朱音が声をはりあげました。藍が我慢できないといった顔で、二人の間に割って入ります。
「ちょっと、今度は朱音をいじめるつもり? 信作はそんなことするやつじゃないと思ってたのに、いつからあんたそんなひどいやつになったのよ」
「なんだと、お前!」
「二人とも、もうやめてよ!」
再度朱音が声を荒げました。そのまま泣き出す朱音の肩を、藍が急いで抱いて落ち着かせます。
「ごめんね、朱音。わかったわ、もうケンカしないから、だから落ち着いて、ね」
藍は信作を見あげました。つらぬくような視線でしたが、信作も負けずににらみかえします。二人はしばらく火花を散らしていましたが、やがて信作が顔をそむけて小さくため息をつきました。
「……もういい。わかったよ、ぼくも和歌月がいったことに、心当たりがあるからな」
信作はあおいの日記に書かれていたことを思い出しました。
――日記にもあった。『朱音ちゃんたちも、みんなあいつが変えてしまったんだ』って書いていた。それってつまり、和歌月がいうように――
「とにかく、わたしたちが争っていてもどうにもならないわ。こういうときこそ協力し合わないと」
「なにいってんだよ、お前がケンカふっかけてきたくせに」
藍の言葉に、信作は冷めた口調でつぶやきました。藍がキッとにらみつけるので、朱音があわてて間に入ります。
「藍ちゃん、だめだよ。協力し合わないとって、藍ちゃんがいったんじゃん」
藍は口を閉ざしましたが、まだ信作をにらんでいます。朱音がぎゅっと腕をつかんだので、ようやく藍は信作から視線を外しました。
「まあいいわ。で、なんの話だったっけ。あ、そうだ、『お姉ちゃんはユーレイ』の話だったわね」
「なんか違う気がするけど……」
首をかしげる朱音を気にもせず、藍は話を続けました。
「ホントにマギエラの曲は素敵よね。心にしみいるっていうか、落ち着くっていうか」
「そういえば、藍ちゃんいつもいってたもんね。マギエラみたいな歌手になりたいって」
信作のまゆがピクリと上がりました。藍が軽い調子で首をふります。
「ちょっとちょっと、違うわよ。わたしがなりたいのは声優さんよ。『お姉ちゃんはユーレイ』も、声優さんがとっても素敵だから、あれだけ人気になったんだよ。でも、あこがれるよね、自分の声でみんなを感動させることができるんだよ。もちろん歌手もそうだけどさ」
藍がポンっと手をたたきました。信作の視線に気づいた朱音が、ハッとして藍を止めようとしますが、遅すぎました。
「そうだった、歌手になりたいってのはあおいでしょ。朱音ったら、あおいとわたしがごっちゃになっちゃってるじゃん。でもよく二人でいってたんだ。わたしが声優で、あおいがオープニングとエンディングテーマを歌うアニメができるといいなって。二人だったらなんでもできそうだよねって、よく話してたんだよ」
信作のこぶしが、わなわなとふるえています。今にも殴りかかってきそうでしたが、信作はぐっとこらえました。信作と藍を、交互に見ていた朱音でしたが、いきなり悲鳴を上げました。
「ひゃっ!」
「えっ、なに、朱音、どうしたの?」
突然のことに、藍が目をまるくしています。朱音は泣きそうな顔で、藍のうしろにまわりこみました。藍の首のところに目がくぎづけになっています。
「藍ちゃん、それ、そのうろこは」
「うろこ? えっ、なに?」
藍が目をぱちくりさせます。朱音がうしろにまわりこむので、ぐいっと首をひねりました。ポニーテールが肩に流れて、うなじがちらりと見えます。
「わたしの背中、どうかなってるの?」
「背中? もしかして、気づいてないの? ……じゃあ、あの夢も見ていないの? あいつの、蛇の化け物の」
かすかにおびえたような表情を浮かべて、藍が逆にたずねました。
「蛇の、化け物? ううん、見てないけど、もしかしてそれが、朱音にとりついているモノなの?」
朱音はなにもこたえず、しばらくじっと考えこんでいました。藍も信作も、不安そうに朱音を見ています。朱音はゆっくりと立ち上がり、テーブルの上に置いてあった鏡を二枚、藍に手渡しました。
「藍ちゃん、鏡で、首のところを見て」
藍は目をぱちくりさせていましたが、素直にうなずき、ポニーテールをかきあげました。鏡を合わせて首のところを見たのです。細い藍の目が、大きく見開かれました。
「なに、これ? 青い、うろこ? どうしてうろこが、わたしの首に?」
信作も驚きに息を飲みました。藍の首には、かすかに光る青いうろこがあったのです。藍がうろこを外そうと手でふれますが、皮ふと同化しているようでびくともしません。ひし形のうろこは、ざらざらとしていて、まるで呼吸するかのようにときおりうごめきます。半分パニックになりながら、藍が朱音を、そして信作を見つめました。
「なんなのこれ、え、とれない! どうなってるの? わたし、なんか変な病気なの? ねえ、信作、これって」
すがるように藍が信作の手をつかみます。しかし信作もどうしたらいいのかわからず、ただ立ちすくむだけです。そんな二人に、朱音が消え入りそうな声でいいました。
「藍ちゃん、これ、見て。わたしのうで」