その7
信作は首をふろうとしましたが、藍が強引に信作の手をつかみました。
「心配じゃないの? 心配じゃなかったら、わざわざ自分の家とは別方向の、朱音の家に来るはずないでしょ」
藍はぐいぐい信作の手を引っぱり、信作を朱音の家の玄関へとつれていきました。信作は顔をしかめていましたが、無言で藍が見つめているので、しかたなくインターホンを鳴らしました。しかし、なんの反応もありません。留守なのでしょうか。
「誰も出てこないな」
ぽつりとつぶやく信作に、藍がうなずきます。
「そりゃそうでしょ、朱音のとこって、お父さんもお母さんも、お仕事で遅くまでいないんだからさ。まあ、わたしはあんまり関係ないけどね」
「関係ないって?」
目を丸くする信作に、藍は二ッと笑いました。ドアのとなりにあった植木鉢へと近づきます。
「おい、なにやってんだよ」
「まぁまぁ、いいからいいから」
藍が植木鉢を、ぐいっと持ち上げたのです。止めようとする信作に、藍が得意げに笑いました。
「ほら、あったあった。スペアキーよ」
藍は植木鉢の下から、土でよごれたかぎを引っぱり出したのです。信作はあきれたように藍を見ます。
「お前なあ」
「まあまあ、細かいこと気にしないでよ。信作も、朱音のこと心配なんでしょ?」
信作はムッとまゆをつりあげ、藍をねめつけました。藍は軽く肩をすくめて、カギを鍵穴に差しこみます。
「これってドロボウじゃないのか?」
「それじゃあ信作は先に帰る?」
藍にいわれて、信作はくるりと背を向けました。しかし藍はがっちり信作の手をつかんで逃がしません。信作ははぁっとため息をつくだけで、別に抵抗はしませんでした。藍は切れ長の目を細めて、がちゃりとドアを開けました。
「おじゃましまーす、朱音、大丈夫? お見舞いに来たよー」
藍のふわふわした声が、家中にひびきました。信作は半分あきれ顔です。
「完全にドロボウじゃないか」
「大丈夫よ、朱音のお父さんもお母さんもまだ帰ってくる時間じゃないし、気にする必要ないよ」
「いや、気にするだろ……」
つぶやく信作を無視して、藍はどんどん進んでいきます。
「朱音―、遊びに、じゃなかった、お見舞いに来たよ」
「おい、いないんじゃないのか? やっぱり勝手に入ったらまずかったんじゃ」
信作が藍に声をかけました。ですが、藍は全く気にしていない様子です。お気楽な声で信作にいいます。
「なんだかおかしいわね、いつもは返事があるのに。あ、もしかしたら眠ってるのかも。部屋まで行きましょ」
「おい、いいのか?」
さすがに信作は、藍の手をつかんで止めました。藍がふうっとため息をついて答えます。
「いいに決まってるじゃん。わたしたち、親友だもん。問題ないよ。それに朱音のことだから、きっと心細くって泣いてるかもしれないじゃん。早く行って安心させてあげないとね」
まるで自分の家のように、藍はずんずん進んでいきました。ちょっとだけ迷っていましたが、信作もあとに続きます。藍はそのまま、朱音の部屋のドアをガチャリと開けました。
「朱音ー、入るわよ、お見舞いに、きゃあぁっ!」
さけび声をあげて、藍がバタンッとドアを閉めたのです。ポニーテールがふわりとゆれ、同時にドアからバゴンッと鈍い音がします。藍がドア越しに話しかけます。
「朱音? ちょっと、落ち着きなさい! わたしよ、藍よ! って、きゃっ!」
「来ないで、来ないでよう!」
ドン、ドゴンと、立て続けにドアに振動が走ります。朱音がドアに、なにか投げつけているようです。
「おい、和歌月、いったいどうしたんだよ。ぼくだよ、信作だよ! 落ち着いてくれ」
ドカッとドアが大きな音を立てたあと、ピタッと振動がやみました。しばらく間が開いたあとに、朱音のかすれたような声が聞こえてきました。
「信作君、なの?」
ドアに近づき、信作が安心させるように声をかけます。
「そうだよ、ぼくだよ。藍も一緒だ。……大丈夫だから、開けてくれるかい?」
長い沈黙が流れました。信作が藍と顔を見合わせて、それからドアノブに手をかけます。しかし、信作が開けるよりも先に、ギイッとドアが開いたのです。
「……朱音、その顔どうしたの?」
ドアのすきまからは、目を真っ赤にした朱音のすがたが見えました。パジャマすがたで、赤茶色の髪も寝ぐせでぼさぼさになっています。思わず藍が問いかけました。
「朱音、なにがあったの?」
「藍ちゃん、それに、信作君も」
しゃくりあげながらも、朱音のほおがゆるみました。緊張しっぱなしだったのでしょうか、目の下にくまができて、今にも倒れてしまいそうです。藍が気づかわしげにたずねます。
「朱音、あがってもいい?」
藍の問いかけに、朱音は無言でうなずきました。ドアがゆっくりと開いていきます。
「ちょっと、これ、なにがあったのよ」
部屋の中を見て、藍が絶句しました。信作も、部屋の外で立ち尽くしています。
「ごめんね、本当にごめんね」
誰に言うともなく、朱音が何度もつぶやきました。朱音の足もとには、さっき投げつけたらしい辞典や本が、何冊も散らばっています。カーテンは閉じられ、ガムテープがびっちりはられています。電気はついていましたが、全体的に、部屋のなかは負のオーラに満ち満ちていたのです。信作も藍も、ぶるっと身震いしてしまいました。
「朱音、あんたいったいなにがあったのよ」
「あいつが、あいつがわたしを、わたしを」
うわごとのようにつぶやくと、朱音はバッと藍にしがみつきました。
「いやっ、いやいやいや! わたし、わたしまだ死にたくない、連れていかれたくないよ!」
「どうしたの、ちょっと、朱音?」
いきなり抱きつかれて、藍は目を白黒させています。せきを切ったように、朱音はわんわんと泣き始めました。
「助けて、助けてよ、藍ちゃん、信作君!」