その6
「朱音ちゃん、お休みだって。それに、桃子ちゃんも。二人とも大丈夫かしら」
クラスの女子たちの声が耳に入ってきます。窓際の席にすわっている信作は、ぶすっとした顔で窓の外に視線を移しました。昨日と比べれば雨はおさまっているようですが、それでもまだ空はぐずついています。
――和歌月も、それに池田も休みか。でも、自業自得だ。二人ともあおいを、あおいにひどいことをしたやつらなんだ。このままずっと休みになって、あいつらも死んじまえばいいんだ――
昨日の朱音の顔を思い出し、信作はぎゅっとこぶしをにぎりしめました。二つ空席が開いた教室は、ずいぶんとさびしく感じます。ですが、信作は怖い顔のまま首をふるだけでした。
――ぼくには関係ない。あいつらがどうなろうと、絶対に同情なんてしないからな。そうだ、ぼくは復讐しようと思っているんだから――
そう思いながらも、信作は昨日のことを思い出さずにはいられませんでした。
――和歌月、なんかおかしかったな。ずっとうわごとをいってたし。『あいつが取り返しにきた』か。いったいなんのことだろう――
救急隊員に事情を話して、家まで送っていく間中ずっと、朱音は信作にしがみついて、激しくふるえたままでした。なにを話しかけても、うわごとのように、夢じゃなかった、取り返しにやってくる、と、そればかりをつぶやいていたのです。
――和歌月、化け物に襲われたんだっていってた。あおいの日記にも、化け物のことが書いてあったし。あおいが死んだのも、なにかかかわりがあるんだろうか――
窓越しに、まだぐずぐずした空を見あげたまま、信作は考えこんでいました。
――もう一度和歌月の家に行ってみよう。なにか手がかりがあるかもしれない――
別れぎわに見た朱音のうつろな目が、ふいに思い出されます。胸の奥がチクチクと痛み、信作は顔をしかめました。
放課後が近づくにつれて、だんだんと雨は弱まり、帰りの会が終わるころには、すでに雨はやんでいました。この日もやはり、信作は誰とも話をしませんでした。クラスメイト達も、昨日の騒ぎを知っているからか、あえて信作に話しかける人はいませんでした。みんな遠巻きに信作を見ているだけです。ただ一人をのぞいてですが……。
「このままだといいけどな」
うわばきから靴にはきかえ、どんよりとした空に目をやって、信作はぽつりとつぶやきました。そのまま帰ろうとすると、誰かが声をかけてきました。
「おーい、信作、今から帰るの?」
ほわんとした声がうしろから聞こえてきます。信作の顔がこわばりました。
「ぼくに話しかけるな、あっちいってろ」
邪険にあしらう信作でしたが、声の主がひょいっと顔を出しました。ポニーテールに、切れ長の細い目をした女の子です。ジーンズに動きやすそうなトレーナーを着ています。
「うるさい、藍、話しかけるな!」
藍と呼ばれたポニーテールの女の子は、細い目をムッとつりあげました。
「いったいどうしたの、昨日もそうだけど、今日も相当機嫌悪いじゃんか。あんた気づいてるかどうか知らないけど、クラスから完全に浮いちゃってるよ」
「……関係ないだろ」
うっとおしそうに藍をちらりと見て、それから信作は顔をそむけました。このようにして、なぜか藍だけが信作に話しかけてくるのでした。いきどおりとむかつき、そしてわずかな温かさを感じながらも、信作は口をとざしたまま歩き出します。ですが……。
「どうしたのさ、そんな怖い顔して。もしかして大事な朱音が休んじゃって、落ちこんでるのかな?」
「うるさい、藍、どっかいけよ」
さすがに朱音のことをいわれると、信作は怒りで胸が熱くむかむかします。藍をにらみつけて、信作は歩きはじめました。そのあとを藍が追いかけてきます。
「なにさなにさ、幼なじみに、そんな冷たいこといわなくたっていいじゃないのさ。あんまりクールにしてても、きらわれちゃうわよ」
いつもと変わらない軽い口調に、信作は顔をこわばらせます。藍は逆に、けげんそうな顔をしました。
「ホントにどうしたのさ? 信作、昨日からずっと様子がおかしいよ。わたし、なにか悪いことした?」
信作は言葉を失いました。信じられないという顔で藍を見ています。藍は小首をかしげました。
「悪いことって、藍、お前自分がしたこと、わかってるだろ?」
信作は藍を、きつい目つきでにらみつけました。怒りをたたえた目に、藍はうろたえたようにあとずさりします。
「いったいなんのこと? 信作、ホントにおかしいよ」
「おかしい? お前、本気でいってるのか? 藍、とぼけるなよ! お前らがしたことは、ちゃんとあおいの日記に書いてあったんだ。そんなふうにとぼけるなら、いくらお前が幼なじみだからって」
「ちょっとまってよ、ホントになんのことなの? とぼけるなっていわれても、わからないものはわからないわよ」
あわてて手を振る藍を見て、信作は声を荒げました。
「もういい、とにかくあっちいけよ、ついてくるな!」
信作はくるりと藍に背を向け、全速力で走り出しました。ぬかるみに足がとられそうになりますが、おかまいなしに走り抜けていきます。
「あっ、ちょっと、待ってよ」
藍も置いていかれないように、すぐにかけだしました。スポーツ少女の藍です。信作が全力で走っても、なかなか距離は開きません。ポニーテールを生き物のようにふり乱して、藍は信作にさけび続けます。
「待ってってば! ちょっと、信作!」
「うるさい、ついてくるなって!」
水たまりをばしゃばしゃと突っ切りながら、二人とも走り続けました。がむしゃらに、ただ藍を引き離そうとだけ思って走り続けました。昨日よりは長く走ることができましたが、それでも全力で走り続ければ息は切れるものです。速度がだんだんと遅くなり、肩で息をするようになり、信作の足はだんだんとゆっくりになり、最後は止まってしまいました。大きく深呼吸する信作に、うしろから藍の声が聞こえました。信作は気づけば朱音の家の前にたどりついていました。
「はぁっ、はぁっ、信作ったら、あんなマジで走らなくってもいいじゃん。一応、わたし女の子なんだからね」
藍も肩で息をしています。長袖のシャツの腕をまくり、藍は額の汗をぬぐいました。
「でも、やっぱり朱音のこと心配してたのね。ほら、ここ」
藍にいわれて、信作は初めて、自分たちが朱音の家の前にいることに気づきました。信作はチッと短く舌打ちしました。
「うるさい、たまたまだ。それにいっただろう、ついてくるなって」
「だって、どうして怒ってるか、教えてくれなかったんだもん。ねえ、なにがあったのよ。教えてくれてもいいじゃない。わたしたち、友達でしょ?」
信作は目をみはりました。きょとんとしている藍を、信作は知らない生き物を見るような、そんなおももちで見つめます。
「お前は、本当にわからないのか?」
信作はだまりこんでしまいました。あおいの日記には、確かに藍の名前も載っていたはずです。あおいにひどいことをしていた罪の意識がないのでしょうか。
――いや、藍がもし変わってないなら、罪の意識を感じないはずがない。うそもつけないようなやつだからな。でも、それじゃあなんで――
信作の脳裏に、あおいの日記が浮かびました。信作は苦い顔でうつむきました。
――あおいの日記には、『朱音ちゃんたちも、みんなあいつが変えてしまったんだ』って書いてあった。それってまさか、その『あいつ』に――
「……さく、信作!」
藍に肩をゆすられて、信作はハッと顔を上げました。思わず藍の手をはたいてあとずさります。
「そこまでしなくてもいいんじゃない?」
傷ついたように藍が信作を見ています。さすがの信作も、バツの悪そうな顔でうつむきます。
「ごめん。悪かった」
「別に、話したくないならいいけどさ。でも、信作のこと心配だったから」
気を取り直したように、藍は朱音の家をふりかえりました。
「さ、入ろう。朱音のこと心配でしょ」