その5
朱音の目が大きく見開かれました。泣きそうな顔で信作を見つめます。
「信作君も、思い当たることがあるの?」
朱音のからだがふるえています。おびえたような朱音を見て、信作はあおいの顔を思い出しました。信作は苦痛で顔をゆがめましたが、静かにうなずきました。
「ああ、あおいの日記に書いていたんだ。あいつの声が聞こえるって、『ミヅゲダァ』って」
「きゃっ!」
朱音は思わず信作に抱きすがりました。そのからだの冷たさに、そしてなによりくずれてしまいそうなぐらいにふるえる朱音に驚き、信作はしばらく固まっていました。ですが、ためらいながらも、信作はそっとその肩を抱きしめました。
「ごめんな、怖がらせるようなこといって。でも、ぼくも真実が知りたいんだ、和歌月。いったい、なにがあったんだ? どうしてあおいが、そんな化け物におそわれていたんだ?」
朱音は信作にしがみついたまま、なにもしゃべりませんでした。ときどきしゃくりあげるように、からだをふるわせるだけです。信作は朱音の手からバスタオルを取り、朱音の髪をふきました。朱音は無言でしたが、されるがままに頭を信作にあずけました。
「……今日はもう帰るよ。また明日話そう」
朱音はなにもいいませんでした。信作も口を閉ざしたまま、ドアの取っ手をつかみます。しかし、その手に朱音の手がふれたのです。信作が朱音の手を見つめます。
「行かないで、ひとりにしないで」
うつむいたまま、朱音がぼそりとつぶやきました。信作は困ったようにふりかえりました。
「このままじゃわたしも、あいつにとらわれちゃう! わたし、いやなの、ねえ、信作君!」
「……ごめん、また明日な」
「信作君!」
信作が朱音から離れようとしたそのときでした。
「きゃあぁっ!」
突然女の子の悲鳴が聞こえてきたので、二人ともビクッと飛びあがってしまいました。信作が急いで玄関のドアを開けます。本降りになった雨が、悲鳴の痕跡を隠そうとしています。信作は雨の中でじっと目をこらしました。
「なんだ、今の悲鳴は?」
信作の言葉に、朱音がふるえる声で答えました。
「信作君、今の、桃子ちゃんの声だったわ」
クラスメイトの名前が出て、信作の顔がこわばりました。ぎゅっとくちびるをかみしめて、一瞬だけ朱音を見ました。
「池田の? 行こう!」
朱音からすぐに視線を外すと、信作はドアから飛び出しました。朱音もかさをつかんで、置いていかれないようにあわててあとを追います。
「信作君、待ってよ!」
「確かこっちのほうから、池田、無事でいてくれよ」
朱音の家をあとにして、信作は雨の中かけていきました。大通りを走りぬけ、交差点に出ます。タオルでふいたからだが、再び雨にぬれて冷たく凍えていきます。焦りから信作はギリッと歯がみしました。
「くそっ、どこにいるんだ?」
そのとき不意に、どこからか歌が聞こえてくるのに気がつきました。雨の音にまぎれていますが、確かに女の人の歌声が聞こえます。どこかで聞いたことのある歌声でした。
「誰だ、こんなときに。いや、そんなのはどうでもいい、早く池田を探さないと。いったいどっちだ?」
左右の道を見比べる信作に、朱音の声がうしろから聞こえてきました。信作がふりかえります。
「信作君、こっち!」
朱音がうしろで手を振っています。となりのわき道を指さしているのを見て、急いで信作も引き返します。
「桃子ちゃん!」
朱音がさけび声を上げました。信作も朱音のとなりにかけよります。わき道の先に、ツインテールの女の子がぐったりとたおれていました。
「桃子ちゃん、いやぁぁぁっ!」
悲鳴を上げる朱音をよそに、信作は桃子にかけよりました。あわててそのからだを抱きかかえます。
「おい、池田、大丈夫か?」
桃子のからだをゆすぶりましたが、反応はありません。信作はおそるおそる桃子の口に手を当てます。
「よかった、息はあるみたいだ。和歌月? おい、どうしたんだ?」
朱音はぺたんとすわりこみ、桃子の右手をじっと見つめています。真っ青な顔でした。
「おいってば、どうした、和歌月!」
信作に名前を呼ばれ、朱音はビクッと身をふるわせました。くちびるは紫色になって、ガタガタと歯を鳴らしています。
「どうしたんだよ、おい、なにしてるんだ?」
信作の言葉はどうやら届いていないようです。朱音は手をふるわせて、倒れている桃子の右手を、持ち上げたりそでをまくっています。
「おい、和歌月!」
信作が朱音の肩をつかみました。焦点の合わない目で、朱音が信作の顔を見あげました。ぽろぽろと涙がこぼれて、雨と混じっていきます。
「和歌月、しっかりしろ、和歌月!」
信作にゆさぶられても、朱音はぶつぶつとわけのわからないことをつぶやくだけです。桃子の右手を調べながら、うわごとのように同じことをくりかえします。
「ない、うろこがない。やっぱり、あいつだ、あいつが取り返しにきたんだ。あはは、あははは……」
ぎゅうっと自分で自分を抱きしめ、朱音はふるえはじめました。あは、あははと、不気味な声で笑っています。
「しっかりしろってば、おい!くそっ、とにかく救急車を」
ポケットから携帯電話を取り出し、救急車を呼ぶあいだも、朱音は桃子の右手をいじくっています。
「よかった、すぐに救急車着てくれるそうだぞ。おい、和歌月、いいかげんしっかりしろ!」
朱音の肩をがくがくとゆらすと、朱音はガバッと信作に抱きすがりました。
「やっぱり、夢じゃなかったんだ。お願い、助けて……」