その44 ~エピローグ~
ぬるま湯につかっているような、ふわふわした感覚が、全身をつつんでいます。心地よい夢の中で、だれかに名前を呼ばれました。
「……ん?」
信作はゆっくりと目を開けました。さびれた神社に、青白い目をした女性が、のけぞっています。そのすぐうしろに、やはり青白い目の女の子が、うつむいていました。泣いているようです。
「これは、いったい?」
「少しだけ、時間をとめたの」
聞きなれた声がしました。信作がふりむくと、そこにはあおいがたっていました。真っ白な着物を着て、髪はいつもの青いカチューシャでとめています。
「あおい、お前、目が」
虹蛇のうろこの色ではなく、あおい本来の、黒い色です。あおいはうなずきました。
「そうだよ、わたし、解放されたの。お兄ちゃんのおかげよ」
「ぼくの? そうだ、ぼくは虹蛇をたおして、そのあとヨーコさんと」
記憶がまるで波のように、信作の頭の中に流れこんできました。
「そうだった、早く、ヨーコさんを止めないと」
「止めても、今度はお兄ちゃんが『荒ぶる神』になっちゃうよ。それでもいいの?」
あおいが心配するように聞きました。上目づかいに見てくるあおいに、信作は迷いなくうなずきました。
「それでも、ぼくは朱音のことを守らないと!」
信作の顔を、あおいはじっと見つめています。信作も目をそらしませんでした。
「ようやく、お兄ちゃんらしくなったね」
「えっ?」
不意を突かれたように、信作は声をあげました。あおいはうふふと笑いました。
「お兄ちゃん、朱音ちゃんのこと、いつも守ってあげてたじゃん。ほんとはわたし、うらやましかったんだよ、朱音ちゃんのこと。ずっとやきもちやいてたの。でも、わたしももう、お兄ちゃん離れしなきゃってことだよね」
あおいがゆっくりと、あとずさりしました。信作は近づこうとしますが、足が動きませんでした。
「お兄ちゃんは、『荒ぶる神』にはならないよ。『神殺しの剣』はわたしが止めるから。わたしがこの地の神様になる。そして、お兄ちゃんも朱音ちゃんも、ううん、それだけじゃない、この土地に暮らす、全ての生き物を、わたしが守る。だけど朱音ちゃんは、ほら、弱虫じゃない? だから、お兄ちゃんも朱音ちゃんを守ってあげて。わたしとお兄ちゃん、二人で守れば、いくら弱虫の朱音ちゃんでも、きっと大丈夫だから」
信作の両手が、やわらかな光につつまれました。とげがぬけていくような、安らぎに満ちた光でした。
「それじゃあね、お兄ちゃん」
「あおい」
かけよろうとする信作に、あおいは首を横にふりました。
「そんな悲しそうな顔しないで。そんな顔見たら、朱音ちゃんもきっと悲しんじゃうよ。それに、わたしは消えちゃうんじゃないよ。これからはずっと、この土地の神様として、お兄ちゃんのそばにいるの。……だから、これはお別れなんかじゃないよ」
ゆっくりと、あたりの景色がゆらめき始めました。時間が動き始めたのです。
「あおいっ!」
「じゃあね、お兄ちゃん。またね」
ゆらゆらとかげろうのように、あたりが白い幕におおわれました。その幕におおわれ、あおいの姿はもうそこから消えてなくなっていました。
ヨーコのキンキン声が、頭にひびきます。勝利を確信して、高笑いしているのでしょう。信作は気づかれないようにそっと顔を上げ、朱音の位置を確認しました。
――あと一度だけ、『神殺しの剣』をふって、お兄ちゃん。神になるのは、わたしが引き受けるから――
左手に『神殺しの剣』の感触があります。手の感覚はもどっていました。
「それじゃあ、朱音。あとはあんたが『神殺しの剣』に触れれば、それで全てが終わるよ。あたいがこの土地の神にっ?」
ヨーコの言葉は、そこでとぎれました。『神殺しの剣』から放たれた真空波が、ヨーコの背中を切りさいていたのです。がくがくとからだをふるわせながら、ヨーコがふりむきました。切られたところから、さらさらと灰へ変わっていきます。青白く光っていたひとみは、よわよわしい光へと変わり、やがてそれも失われました。
信作はがっくりと肩を落としました。全身が気だるく、力が入りません。左手からからんっと、『神殺しの剣』が落ちました。『神殺しの剣』はあっけなく折れて、やはり灰となって消えていきました。それと同時に、右手の感覚も戻ってきました。ゆっくりと指を動かして、信作はぽつりとつぶやきました。
「これで、終わったんだな」
虹蛇がいなくなり、神社は朝日に溶けて消えていきました。気づけば信作たちは、松の木神社にいました。イチョウの木が松の木になっただけで、虹蛇の神社と鏡写しになっていることに、信作はようやく気がつきました。
「悪夢の終わりだな……」
ゆっくりとからだを起こすうちに、信作は朱音と目が合いました。青白いひとみから、いつもの黒く大きな目にもどっていました。信作がほほえみかけると、朱音は急いでかけよってきました。
「信作君!」
「ごめんな、つらい思いさせて。もう大丈夫だよ。ぼくが、そばにいてあげるから。……朱音」
「やっと、名前呼んでくれたね。信作君、昔とおんなじだ。わたしの大好きな、信作君だ」
それだけつぶやくと、あとはもう言葉になりませんでした。泣き続ける朱音を、信作は愛おしそうに抱きしめるのでした。
「……よかったね、桃子ちゃんも藍ちゃんも、みんな意識を取り戻したんだって。龍次君も、伊集院さんも無事だっていうし。……本当に終わったんだね」
松の木神社の松の木の下で、朱音と信作が肩を並べてすわっていました。五月晴れという言葉がぴったりの、すがすがしい青空が広がっています。風もずいぶんと温かくなって、ときおりウグイスの鳴き声が聞こえてきます。
「松の木神社って、なんだか怖いイメージがあったけど、こうして見ると、いろんな音と光にあふれてて、全然そんなことなかったんだね」
まぶしそうに空を見ながら、朱音が続けました。信作は静かにうなずいて、それからゆっくりと目を閉じました。
「信作君? もしかして眠い?」
不安そうに聞く朱音の左手を、信作の右手が包みこみました。朱音のほおにほんのりと色がさしました。そのまま朱音も目を閉じ、信作の肩に頭をあずけました。
「なあ、朱音?」
声をかけられて、朱音は信作の顔を見ました。幸せそうにほほえみ、首を軽くかたむけました。
「どうしたの?」
「……いや、呼んだだけだよ。名前、呼びたくなって」
「ありがとう」
二人はそのまま目を閉じ、お互いに肩をよせあいました。風が松の枝を鳴らして、ざわめきが耳をくすぐります。
「朱音?」
信作がもう一度朱音の名前を呼びました。朱音は目を閉じたまま、信作の肩にほおでふれました。
「なあに?」
「……もうあおいは、神様になってしまったんだろうか?」
長い長い静寂のあと、信作が祈るようにつぶやきました。ゆっくりと朱音が目を開けると、信作はじっと、松の枝葉からもれる日差しに顔をひたしていました。日差しはやわらかく、そしてたえず変化していきます。まるで日の光で目が洗われていくかのように、信作の顔はやさしく、つきものが落ちたかのように変わっていきます。
「……うん。だって、こんなにお日様の光が暖かいんだもん。それに、あおいちゃんのにおいがするから」
信作の肩にかかった、赤茶色の髪の毛から、ほんのりとシャンプーのにおいがただよってきました。信作はうなずき、再び静かに目を閉じました。
「信作君、あれ」
再び朱音に声をかけられて、信作はゆっくりとからだを起こしました。朱音が指さす先を見て、信作は小さく声をあげました。
「ネコだ、でも、あの目……」
真っ白なネコが、すたすたと歩いて、じっと信作たちを見ていました。すらりとした足に、長いしっぽ、そして汚れ一つない白い毛は、はたから見てもとんでもなく美人、いや美ネコです。ですが、信作たちはそれ以上に、その目にくぎづけになっていました。
「きれいな青ね。あれって、よくあおいちゃんがつけてたカチューシャの色、そっくりだわ」
青い目をしたネコは、しばらく信作たちを見ていましたが、やがてニャアとひとこと鳴くと、そのまま神社のかげへすがたを消してしまいました。
「あおい、また会えたな……ありがとう」
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