その40
「くそっ、雨まで降ってきやがった」
信作が舌打ちします。ポツリポツリと、冷たい雨がほおをぬらします。うすぼんやりと、霧も出てきています。朱音は不安そうにあたりを見まわしました。
「マジでやばい感じがしてきたな。おい、信作急ごうぜ」
「待って、信作君! 緑川君!」
走りだそうとする信作の手を、朱音がパッとつかまえました。
「なんだよ、早く行かないと」
「なにか、聞こえない?」
朱音の言葉に、信作は耳をすましました。遠くから、かすかにドラムの音が聞こえてきます。
「歌だ、これ、マギエラの歌だ!」
「うん、『ヴェール』だよ、緑って意味だわ。マギエラの曲って、全部題名が、色の名前なのよ」
「緑って……。まさか、龍次を狙ってるのか?」
朱音と信作が、いっせいに龍次を見ました。龍次はぎゅっとこぶしをにぎりしめ、歌がするほうをにらみつけています。
「上等じゃねえか、次はオレが標的ってことか。オレは簡単にやられないぞ、返り討ちにしてやるぜ!」
いきなり龍次が、信作のベルトにつかみかかりました。
「うわっ、おい、なにするんだ?」
信作は不意を突かれて、抵抗することができませんでした。龍次がベルトから、『神殺しの剣』をつかみ取ります。信作が止めるのも聞かず、龍次は走りだしました。
「やめろ、そいつでなにをする気だ!」
「なにってオレがこいつで、その蛇の化け物を倒してやるんだ! こいつで切れば、倒せるんだろ?」
龍次が霧の中へ突っこんでいきます。その先には、イチョウの木が見えました。見覚えのある風景に、朱音がさけびます。
「あの神社、そうだわ、みんなでかくれんぼしたあの神社だ!」
朱音の言葉に、信作もうなずきました。龍次の背中を追いかけながら、必死に声をかけます。
「待て! うろこが出たらどうするんだ、龍次!」
「おら、出て来い! どこだ、どこにいやがる! オレのこと狙ってるんだろ? オレはここだ! みかんを返せ、返すんだ!」
龍次が神社の真ん中で、みかんを探してどなりちらしています。
「おい、龍次!」
かけよろうとした信作と朱音を、ものすごい突風がおそいました。
「うわっ、なんだ」
雨粒も混じり、凍えるような冷たさでした。『ヴェール』のおどろおどろしい伴奏が、いっそう大きくなります。
「くそっ、龍次、大丈夫か!」
声は風と『ヴェール』の歌声にかき消されます。強い風と雨にはぐれそうになりますが、信作が朱音の手をがっちりつかんで離しませんでした。突風はだんだんと弱くなっていき、やっとのことで、二人は目を開けました。
「あ……ああ……」
朱音が声にならない悲鳴をあげます。本殿の上にとぐろを巻いていたのは、けばけばしい色をした巨大な蛇、虹蛇でした。虹蛇は七色の舌をちろちろさせて、龍次をじっと見下ろしていたのです。
「我ノ色、返シテモラオウカ」
「こいつが、虹蛇……」
蛇ににらまれたかえるとは、まさにこのことでした。虹蛇を前にして、龍次は指一本動かすことができません。
「我ニソノ呪ワレシ剣ヲ渡スガヨイ。『わたし』ハ命マデハ奪ワヌ」
虹蛇が、長い尾をゆらりと動かしました。その先に、ぐったりしたみかんがとらわれていました。
「みかんっ!」
信作がしぼり出すように呼びました。ゆっくりとみかんが顔を上げます。くちびるが動いたように見えます。よわよわしい声で、なにかつぶやいています。
「……さ……くん」
「みかんっ! くっそぉ!」
龍次がほえるようにどなりました。そして、『神殺しの剣』を抜き放とうとしたのです。しかし、剣は抜けませんでした。龍次はありったけの力を入れて、ふんばりますが、それでも剣はさやにおさまったままでした。
「くそっ、なんでだよ、うわぁっ!」
突然龍次の手が、ぶわっと青い炎につつまれました。龍次は思わず『神殺しの剣』を取り落とします。青い炎は一瞬で消えましたが、手はぶすぶすとけむりをあげています。
「龍次!」
信作がかけよりますが、虹蛇の手下がバッととびかかってきました。ベルトに手を当て、『神殺しの剣』がないことを思い出し、信作はうしろに飛びのきました。
「ジャアァァッ」
あやうくかみつかれるところを、かんいっぱつでかわします。
「龍次、もう剣にさわるな、龍次!」
「なんだ、なんでだよ、ちくしょう!」
龍次の手が真っ赤にただれて、けむりを上げています。信作が必死で制止しましたが、それでも『神殺しの剣』を拾いなおします。焼けただれた手に力を入れて、もう一度抜こうとしますが、やはり抜けません。『神殺しの剣』が、青白く光り、再び龍次の手を青い炎が包みました。龍次の悲鳴がこだまします。
「貴様ナゾニハ抜クコトナドデキヌ。オトナシク渡スガヨイ」
「くそう、くそ、くそ、ちくしょう!」
火傷だらけの手で、『神殺しの剣』を拾いますが、龍次はもう抜こうとはしませんでした。
「サア、ソレヲ『わたし』ニ渡スノダ!」
虹蛇がチロリと舌を出します。完全に頭に血がのぼっていた龍次は、もはや正常な判断ができなくなっていたようです。わなわなと手をふるわせながら、龍次は虹蛇をにらみつけました。
「こんなもの、こんなものっ!」
龍次はさけび、『神殺しの剣』を虹蛇に投げつけたのです。
「ヌゥッ!」
とっさに虹蛇は、鼻面でバンッと『神殺しの剣』をはじいたのです。『神殺しの剣』が青白い光を放ち、虹蛇の鼻が一気に青い炎に包まれました。
「グワッ!」
ボッと虹蛇の鼻が燃え上がりました。ピシピシと、ひびが割れるような甲高い音が聞こえてきます。
「今だっ!」
はじかれた『神殺しの剣』に信作が飛びつきました。信作の手におさまったとたん、『神殺しの剣』は、目がくらむほどの青白い光につつまれます。
「これで終わりだ、消え、えっ?」
信作は言葉を失いました。うしろのほうで、朱音の悲鳴が聞こえます。龍次も、ぼうぜんと立ち尽くしたまま、虹蛇を見あげていたのです。
「あお、い?」
虹蛇の鼻は、こげてぼろぼろとくずれていました。そこから青色のカチューシャが見えていたのです。あおいのお気に入りのカチューシャでした。
「『わたし』ノ顔ヲ見ルナンテ、モウ許サナイ。アナタタチハ、『わたし』ノ色ニナッテモラウワ」
バリバリといやな音を立てて、虹蛇の鼻が突き破られました。べとべとにぬれた手が、にゅうっと現れました。朱音がうっと口をふさぎました。信作も目を見開いたまま、その場に立ち尽くしています。
「まさか、そんな」
突き破られた虹蛇の鼻から、ゆっくりと長い髪が見えてきました。まぎれもなくそれはあおいでした。ひとみがあわい緑色になっています。べとべとのからだをじっと見ていたあおいでしたが、手で髪をかきあげただけで、一瞬でからだが乾いたのです。そのままずるずるとからだを引きずり出し、上半身が現れました。いつも着ていた、お気に入りの青いワンピースを着ています。それは人間だったときのあおいそのものでした。
「本当に、あおいなのか?」
答える代わりに、あおいは手のひらをゆっくりと、龍次に向けて開きました。
「うわっ、からだが、動か、ない」
「龍次!」
つっ立ったまま、身動きの取れない龍次に、虹蛇の尾がまきつきました。ぐいぐいとしめつけ、龍次の口からうめき声が聞こえてきます。
「ぐ、くそ、こんな、ところで」
がっくりと、龍次はうなだれました。左足首の付け根が光っています。緑色に光っているのは、確かに呪いのうろこでした。
「我ノ色、アト二色」
「あなたは黙っていなさい」




