その38
遠くから誰かの悲鳴が聞こえてきます。意識が泥の中にしずんでいて、身動きが取れません。もがけばもがくほど、なにもできなくなってしまいます。信作が意識を手放そうとしたそのときでした。
「信作君ってば! 大変なの、起きて、起きてようっ!」
信作のからだを、朱音がむちゃくちゃにゆすっています。ほとんど半泣きになっている朱音に、信作はめんくらってしまいました。
「どうした、まさか虹蛇が」
「伊集院さんが、伊集院さんがおかしいの! どうしよう、どうしたらいいの?」
「落ち着け、いったいなにがあったんだ?」
信作はすばやくからだを起こしました。朱音を見ると、口をパクパクさせながらも、なんとか状況を説明します。
「助けてとか、許してとか、とにかくうなされてて、どうしよう、虹蛇のせいなのかな」
信作はベッドの中をのぞきこみました。汗でぐったりしているみかんが、うわごとをいいながら首をふっています。目をつぶったまま涙を流しています。
「しっかりしろ、みかん! しっかりするんだ!」
「許して、やめて、一人にしないで!」
「おい、しっかりするんだ、みかんは一人なんかじゃないから、だから、しっかりしろ!」
肩を強くゆさぶりますが、みかんはうなされるだけです。朱音がおろおろしながら見守っています。
「いや、いやよ! わたしは、なりたくない、助けて、信作君……」
「みかん、ごめん!」
信作はみかんのほっぺたを、思いっきりひっぱたきました。
「ひゃっ!」
朱音が短い悲鳴を上げました。信作は身構え、じっとみかんを見つめています。
「え……? ここは」
みかんのふるえが止まりました。さっきまで閉じられていた目が開き、ゆっくりと信作をとらえました。
「信作、君? あいつは?」
「よかった、無事だったんだな」
信作はふうっと大きく息をはきました。朱音もおそるおそる、みかんにたずねました。
「伊集院さん、もう大丈夫なの?」
「ヒッ! いやあっ!」
朱音の顔を見たとたん、みかんが大きな悲鳴を上げたのです。信作がビクッとからだをふるわせました。
「どうした、まさか虹蛇が?」
信作は急いで、まくらもとにおいていた『神殺しの剣』をつかみました。みかんはふるえながら、首をふりました。
「あの人と、あの女の人と、同じ目だわ」
「えっ? あっ! 和歌月、お前その目」
朱音と目があうと、信作も言葉を失ってしまいました。
「なに、いったいどうしたの? わたし、なにかしちゃった?」
朱音はただおびえるばかりです。信作はテーブルにおいてあった鏡を手にとり、朱音に手渡しました。
「和歌月、落ち着けよ、落ち着いて鏡を見てみろ。落ち着いてだぞ」
「なに、なんなの? 信作君、変だよ、信作君のほうが落ち着いてよ!」
半ばパニックになって、朱音は信作にしがみつこうとしました。そんな朱音を、みかんがドンッと突き飛ばしたのです。
「こっちに来ないでよ! わたしたちにも呪いがうつるじゃない!」
「みかん、そんなこというな! とにかくみんな落ち着け、冷静になるんだ!」
「ねえ、いったいなんなのよ、なにが起きてるの? 教えてよ、ねえ!」
みかんに突き飛ばされて、朱音は泣き出しています。みかんも鬼のような形相で、朱音に殴りかかろうとします。信作が必死にみかんを押さえこみました。
「と、に、か、く、二人とも、やめろ、落ち着け! 和歌月、鏡を見ろ! みかん、やめろって!」
信作にいわれて、朱音はあわてて鏡を手にとりました。みかんから逃げるように背を向け、鏡をのぞきこみます。そのとたん、朱音は鏡を投げ捨てて、大声で叫んだのです。
「きゃあぁっ!」
のぞきこんだひとみは、ヨーコと同じ、真っ赤な色になっていました。目を何度もこすってから、朱音は信作にすがりつきます。
「どういうことなの、なんで、どうして! これも呪いなの? わたし、どうなるの? ねえ、信作君!」
「こっちに来るなって、いってんでしょ!」
みかんが朱音を、思いっきりけとばします。バンッと派手な音を立てて、朱音はドアへぶつかりました。
「やめろっ! もうやめろって、落ち着けよ、みかん!」
「こいつが、こいつがわたしを、こんなに苦しめるのよ! こいつがいなければ!」
朱音を蹴り飛ばそうとするみかんを、信作はぐっと押さえました。
「信作君、どうして止めるのよ! どうしてバカネを助けようとするの!」
「だから、仲間割れしてもなにも」
「きゃあっ」
またもや朱音が悲鳴を上げたので、信作はバッとうしろをふりむきました。
「そんな、うそだろ」
信作の顔から血の気が引きます。みかんも暴れるのをやめて、二人が見ている窓の外に目をやりました。
「うそだろ、こんないっぱい」
窓の外は、夜明け前の空と同じで、深い闇につつまれていました。そしてその闇をまるで泳ぐように、虹蛇の手下たちがうろついていたのです。
「やっぱり、バカネののろいのせいで、あいつが怒っているんだわ」
みかんが朱音をにらみつけながら、はき捨てるようにいいました。
「そんなこといってる場合じゃないだろ、早くヨーコさんのところへ行かないと」
「でも、こんなかこまれているのに、どうやっていくの?」
赤い色になった朱音のひとみが、涙でうるんでいます。信作はぎゅっとくちびるをかみしめました。
「二人とも、急いで着替えろ。そして、全速力でぼくについてくるんだ。ぼくが、『神殺しの剣』で道を作るから、そこに続くんだ。大丈夫、ヨーコさんならきっと、なにか知っているはずだよ」
「でも、あんなに蛇が」
「大丈夫、絶対に守るから! 二人とも、信じてくれるか?」
二人ともしばらく顔を見合わせていました。先に口を開いたのは朱音でした。
「わたしは、行くわ。このままじゃどうなるかわからないもん。それに、信作君のこと、わたし信じてるもん」
涙をぐいっとうででぬぐって、朱音が信作にうなずきました。信作はみかんを見ました。
「信作君は、バカネののろいのせいでも、それでもバカネを助けるの?」
「そうだ。それに、和歌月のせいじゃない。仮にこれが虹蛇の呪いでも、ぼくは絶対に守ってみせる!」
みかんはうつむいてしまいました。昨日の夜と同じように、信作はじっとみかんの言葉を待ちました。
「信作君は、バカネのことが、好きなの?」
突然聞かれて、信作はあっけにとられてしまいました。みかんがうるんだ目で、信作を見あげます。
「それは……」
信作はなにも答えませんでした。朱音も信作の顔を見つめています。
「ぼくたちが、無事に生き残ったら話すよ」
信作はそれだけいうと、『神殺しの剣』をにぎりしめ、両親を起こさないように音を立てずに部屋から出て行きました。みかんと朱音は、なにもいわずに、パジャマを着替え始めました。遠くから、かすかにマギエラの曲が聞こえてくるのに、三人とも気がつくことはありませんでした。




