その36
「信作君、お願いがあるの」
月がぼんやりとかすんで見える帰り道で、みかんがぽつりとつぶやきました。
「お願い? なんだ?」
信作が首をかしげました。朱音の手が、信作の左手を強くにぎります。みかんはちらりと朱音を見ました。
「今日、信作君の家に泊めてほしいの。ほら、うちはパパもママも海外に行ってて、お手伝いさんも夜はいないから。だから、夜わたし一人じゃ怖くて。だめ?」
「いや、いいよ。あんな思いしたんだもんな。それに、いつまたあいつが襲ってくるかわからないしな」
龍次がちらりと信作を見て、きつい視線を投げかけました。信作はなにもいいませんでした。
「じゃあ、わたしも、いい?」
おどおどした口調で、朱音が信作を上目づかいに見ました。
「いいけど、大丈夫か? ほら、伊集院も一緒だけど」
「うん、わたしも怖かったから、一人じゃ怖いから」
「ああ、そうだな。和歌月もずっと怖い思いしてたもんな。ごめんな」
信作はうなずきながらも、みかんの横顔をちらりと見ました。みかんは口を真一文字に結んで、無表情でうつむいていました。
「じゃあオレも泊めてもらうぜ」
「えっ?」
「お前とバカネだけじゃ、み、じゃない、伊集院が心配だからな。二人でいけにえにするかもだろ」
「お前まだそんなことを! 何度もいっただろ、ぼくは伊集院のことも、和歌月のことも守るって! もちろんお前のこともだ。さっきだって守っただろ、信じてくれよ!」
「どうだか? それに伊集院はけがだってしてるじゃないか。だからオレが」
「よけいなことしないで!」
みかんの声が、二人の間に割って入りました。信作はもちろん、龍次もあっけにとられています。
「そんな、よけいなことだなんて、オレはただ」
「あんたのことなんか、頼りにならないのよ! わたしのこと守ることすらできないくせに、信作君の足ばかり引っぱって! それに、このけがはあいつらじゃないわ!」
龍次はその場に立ちつくしたまま、がっくりと肩を落としました。朱音はおろおろと、二人を交互に見るだけです。
「伊集院、いいすぎだぞ! そんなこといってたら、虹蛇の思うつぼだ。仲間割れなんてしてないで、みんなで協力しなくちゃ」
「なによ、信作君だって、バカネとケンカしたんじゃないの? バカネとうまくいかなかったから、わたしたちのとこにやってきたんでしょ? それなのにわたしに説教しないでよ!」
信作は目をむきました。むきになって否定します。
「まさか、そんなわけないだろ、ぼくは二人が心配だから」
「それに信作君だって、ネコちゃんのこと守れなかったじゃない!」
「ネコ?」
目をぱちくりさせる信作に、みかんはハッと口をふさぎました。
「ネコって、なんのことだ? ネコとか、さっきの神社にはいなかったけど」
みかんがふっと目をふせました。しばらく沈黙が流れます。遠くでバサバサと羽の音がしました。カラスの羽ばたきでしょうか、それとも別のなにかでしょうか。朱音が不安そうに空を見あげました。
「……神社で捨てられてたの。小さな子ネコだった。まだあったかくって、生きてたのに。それなのにあいつらがきて、あいつら、あいつらが……」
ようやくふりしぼるような声でそれだけいうと、もうみかんはなにもいいませんでした。ただただ肩をふるわせるだけです。
「もう落ち着け、大丈夫だから」
みかんの手をとり、なだめようとしますが、みかんはその手をパッとはらいました。
「信作君がバカネなんかにかまってたから、ネコちゃんが犠牲になったのよ! バカネなんか、バカネなんか!」
みかんは朱音に飛びかかりました。なすすべなく突き倒されて、朱音はみかんに馬乗りにされてしまいました。
「きゃあっ!」
「あんたなんか、殺してやる、殺してやるんだから!」
みかんにめちゃくちゃに殴られて、朱音はひぃひぃと声にならない悲鳴をあげます。
「やめろ、伊集院!」
信作はすぐにみかんを取り押さえました。信作の腕を振りほどこうと、みかんはじたばたもがきます。
「放して、放してよ!」
「いいかげんにしろ!」
信作にどなられ、みかんはピタリと動きを止めました。黒いひとみが動揺したように激しく動いています。殴られた朱音は、くちびるから血が出ています。
「もうやめるんだ。大丈夫だから、これからは、ちゃんとそばにいてやるから。だから」
信作がうしろからそっと、頭を抱きしめました。みかんのからだはかすかにふるえていました。信作の腕を弱々しくつかみ、言葉があふれて止まりませんでした。
「わたしが、わたしがネコちゃんを見つけなかったら、わたしが呪われてなかったら、わたしがあおいちゃんをいじめなかったら……。わたしが悪い子だったから、わたしが弱い子だったから、だから、だから」
「もういい、もういいんだよ。苦しかっただろ。伊集院は、みかんは、ずっと一人で苦しんでいたんだな。心配しなくていいよ、ぼくがずっと、一緒にいるから」
信作の胸に顔をうずめ、みかんがしゃくりあげました。
「ちっ!」
龍次が憎々しげに、舌打ちしました。朱音は口の中を切ったのでしょうか、顔をゆがめています。
ゆっくりと、月の光が闇にさえぎられました。暗闇に目をくらまされて、四人とも二つの視線に気がついていませんでした。緑色の光が、空から見下ろしていることに。そして、遠くから、真っ赤に燃えた目が見つめていることに。




