その35
「ああ、無事だったみたいだね、四人とも。突然いなくなったから、いったいどうしたかと思ったよ」
小屋の中では、ヨーコがいつものようにきつねうどんを食べていました。へらへらと笑うヨーコに、信作は深刻な顔でたずねました。
「ヨーコさん、包帯ありますか? それに、消毒液も。伊集院がけがしてて」
ヨーコはきつねうどんの油揚げに、がぶりとかみつきました。かたわらには、いつもの水筒が置いてあります。
「そんなのんびりしてないで、早くしてください! 消毒液、ないんですか?」
「さあねえ、たぶんなかったと思うけどねえ。どれ、傷を見せてみな」
のらりくらりと、信作の怒りをかわしながら、ヨーコはみかんに近づきました。みかんがあとずさりますが、かまわず腕を取りました。ぼろぼろになったニットのそでをまくっていきます。
「ああ、よかったねぇ、虹蛇の傷じゃないみたいだ。もし虹蛇の傷だったら、けっこうやっかいなことになっていたよ。これなら、花の蜜でうろこと一緒に洗っときゃ大丈夫さ」
「本当ですか? そんな適当な感じで、大丈夫なんですか?」
信作がにらみつけます。ヨーコは肩をすくめました。
「おいおい、そんな怒んないでくれよ。本当さ。そんじょそこらの薬なんかより、いい働きをしてくれるさ」
クックと声をあげて笑うと、ヨーコは台所へ移動しました。
「本当かな?」
まゆをつりあげたまま、信作がつぶやきました。その腕に、みかんがぎゅっとしがみつきました。
「どうした? もしかして、傷が痛むのか?」
「あの目、あの人のあの目」
ヨーコに聞こえないように、みかんが小声で信作にいいます。けげんな顔で信作は聞き返しました。
「目? ヨーコさんの?」
「あの人の、あの目、あの子の目だった」
「伊集院? どうした、いったいなんのことだ?」
信作はみかんの顔をいぶかしそうに見ました。信作の腕を抱き寄せるだけで、みかんはそれ以上なにもいいませんでした。
「ああ、お待たせ。ほら、こっちにおいで。まずは傷口を洗ってやるよ。しみるだろうけど、がまんしな」
細長いつぼを手に持ち、ヨーコがみかんに手招きしました。みかんは信作にくっついたまま、離れようとしません。
「おやおや、信作はずいぶんおモテになるようで」
ヨーコのからかうようなキンキン声が、部屋にひびきました。
「ヨーコさん! そんなこといってる場合じゃないだろ。伊集院も早く手当てしてもらわないと」
信作がみかんをうながしました。みかんはじっとしたまま、信作の顔を見あげました。信作は小さくうなずきました。
「ほら、ぼくも一緒にいてあげるから」
「信作君、うん、ありがとう」
信作に連れられて、みかんはヨーコのそばへ移動しました。ヨーコが花の蜜の原液を、茶わんにトクトクとそそいでいきます。みかんはじっとうつむいたままです。
「さあ、手をこっちに出してごらん」
いわれるがままに、みかんは手を出しました。ヨーコは鼻歌を歌いながら、みかんの傷を洗っていきます。みかんが顔をしかめました。ヨーコから顔をそむけ、しっかり目をつぶっています。
「これでよし、と。今度はうろこのほうだね。ああ、その前に朱音、台所のどこかに包帯があっただろ? それを準備しといてくれ」
「えっ、はい」
ヨーコによばれて、朱音は顔をあげました。ちらりと信作のほうを見ましたが、信作は全く気づいていません。朱音は暗い顔で台所へと向かいました。
「それじゃあうろこも見せてごらん。ああ、それとあんたも花の蜜をちゃんと飲んどきな。さっきの化け物よけのためにね」
ヨーコは茶わんになみなみと、花の蜜をついでいきました。
「えっ、でもこれ、お酒じゃ」
みかんがとまどいながら、信作を見ました。信作がじろりとヨーコをにらみつけます。
「ヨーコさん、口に含むぐらいでいいんじゃなかったですか? 伊集院、大丈夫だよ。においはお酒だけど、お酒じゃないから」
「ホント?」
信作はほほえみ、花の蜜を一口飲みました。みかんが目を見開きました。
「ほら、大丈夫だろ」
信作に茶わんを手渡され、みかんはおそるおそる口をつけました。ほおが少し赤くなっていますが、信作は気にせずうなずきました。
「な、大丈夫だろ」
「ホントだ、お酒じゃない。花の香りがするわ」
みかんの目がまんまるになります。ヨーコが大げさに笑いました。
「アハハハ、気に入ったようだね。ああ、あとはこいつも持っておきな」
ヨーコがお札を手渡しました。
「あの……ありがとうございます」
もごもごと口ごもりながらも、みかんがお礼をいいました。
「いいってことさ。あとは包帯か。朱音、見つかったかい?」
「あっ、はい」
台所をごそごそあさっていた朱音は、真っ白な包帯を持ってもどってきました。ヨーコはにやっとわらって朱音にいいました。
「じゃああんたが巻いてあげな。あたいはこういうの得意じゃないからね」
「えっ、わたしが?」
「そうさ、ほら、早く巻いた巻いた。あたいはうろこを洗っておくからね」
ヨーコはみかんの二―ハイソックスを、するすると脱がしていきました。朱音はかたまったまま、みかんの顔を盗み見ました。みかんは無表情のままでした。
「あの、それじゃあ、巻くね」
おそるおそる、朱音はみかんの腕に、包帯を巻いていきます。手がふるえてしまうので、うまく巻けずに何度かやり直します。みかんは朱音から顔をそむけ、一言も発しませんでした。
「その、痛かったりしたら、いってね……」
「痛いわよ!」
「ヒッ!」
固まる朱音を、みかんは憎らしげににらみつけます。ますます手がふるえましたが、なんとか朱音は包帯を巻き終わりました。
「どうやら巻き終わったみたいだね。うろこも洗い終わったから、なんとかなるだろ。ちゃんと寝るときも、お札を持っておくんだよ。部屋の四隅に盛り塩も忘れずにね。それと、明日から忘れずにあたいの小屋に来ること。まだまだうろこの呪いは封印できてないからね。さ、それじゃ帰った帰った! あたいはこれから忙しいんだからね」
そういいながら、ヨーコは茶わんに残った花の蜜を、ぐいっと一気飲みしました。
「わかりました。ヨーコさん、ありがとうございます」
信作がヨーコにおじぎしました。ヨーコはくっくと笑いました。
「なあに、別にいいってことさ。あんたたちも、せいぜい気をつけるんだね」
ヨーコは立ち上がり、ふらりと台所へいってしまいました。水筒を手にして、しきりにふっています。信作もゆっくりと立ち上がりました。
「それじゃ、ぼくらも帰ろうか」
みかんがべったりと、信作の腕に寄りつきました。朱音もえんりょがちに、信作の左手をにぎります。ヨーコがにやにやしているのを見て、信作は急いで小屋を出るのでした。そのうしろで、思いつめたような表情の龍次が、信作の背中をにらみつけていました。
信作たちが小屋を出て行ったあと、ヨーコは一人で花の蜜をあおっていました。赤いひとみが、ちらちらとあやしげな光を放っています。ひびの入った窓の外に、考えこむように視線を向けていました。
「……あと少しか。信作が少しでも虹蛇に傷をつけてくれれば、あとはどうにでもなるからな」




