その34
――痛く、ない――
ビュウッと空気を切りさく音がしました。蛇たちのあの、ごぼごぼとあわ立つような鳴き声は、もう聞こえてきません。みかんはかたく閉じたひとみを、おそるおそる開けていきました。
「よかった、間に合った」
「あぁ、信作君!」
青く幻想的な輝きを放つ、美しい小刀を持った信作が、みかんに背を向けて立っていました。
「助けて、くれたんだ」
へなへなとからだじゅうの力が抜けて、みかんははぁっと、大きく息をはきました。視界がだんだんとにじんでいきます。
「ジャアッ!」
キラッと光る牙が、信作におそいかかりました。
「危ないっ、信作君!」
みかんは思わず目をおおいました。
「ミヅゲ、ダァァッ!」
吐き気をもよおすような、おぞましい断末魔が耳をつんざきます。すぐに信作の声がしました。
「伊集院、ぼくのそばから離れるなよ。大丈夫、すぐに終わらせる」
信作の静かな言葉が、胸の中に満ちていきました。みかんはゆっくりとうなずきました。
「おらぁぁっ!」
空気をさく音と、蛇たちのさけびが、『神殺しの剣』をふるう信作の動きを加速させます。切りさかれたつかの間の青空が、そこかしこに現れました。『神殺しの剣』が熱を帯び、手に焼けるような感触が残りますが、信作はかまわず剣をふるい続けました。
「これで、とどめだっ!」
空を泳ぐ最後の一匹を切りさくと、信作はようやく剣を下ろしました。紫色のちりが、粉雪のように空を舞っています。肩で荒い息をしながらも、信作は気づかうようにみかんを見ました。
「けがはないか?」
「信作君……信作君!」
みかんにガバッと抱きしめられて、信作はビクッと身をかたくしました。
「怖かった、怖かったよぉ」
信作の胸に顔をうずめて、みかんは泣きじゃくります。信作はあやすように、みかんの頭をなでました。
「信作君、ひっく、うぇ、信作君」
「ごめんな、怖い思いさせて。もう大丈夫だよ」
いつものみかんからは考えられないほどに、弱々しく打ちひしがれた姿でした。信作はだまって、頭をなで続けます。
「信作君、大丈夫だったの?」
「みかん、けがないか、大丈夫なのか!」
朱音と龍次が、神社の中にかけてきました。信作は大きく手を振りました。
「ああ、大丈夫だ。こっちだよ、二人とも」
「信作君、よかった、無事だったのね。心配したのよ、一人で助けに行くっていったときは、本当に怖かったんだから。でも、よかった」
「みかんは、みかんは大丈夫なんだろうな?」
信作は疲れたように二人にうなずきました。
「ああ、大丈夫みたいだ。……伊集院?」
みかんが信作から離れました。無表情のみかんに、信作が声をかけようとします。しかしみかんはすばやく涙を手でぬぐうと、そのまま一気に朱音にかけより、乱暴につかみかかったのです。
「あんたのおかげで、こんな怖い思いしたじゃないの! あんたのせいで、あんたさえいなければ!」
「ヒッ、そんな、そんなこといわれても」
朱音が身をかがめました。信作は二人を止めようとかけよります。
「伊集院、落ち着け! 和歌月は、お前のこと心配して」
いい終わらないうちに、信作は地面にたたきつけられました。ほおがじんじんとしびれています。
「くそっ、あいつら、まだ残ってたのか?」
すばやく立ち上がった信作の前に、龍次が仁王立ちしていました。どうやら龍次が殴りつけたようです。状況が飲みこめない信作に、龍次がとびかかってきました。
「信作、てめえ!」
「龍次、なにするんだ」
龍次のタックルをかわして、信作もどなりかえします。龍次がみかんを指さしました。
「あれ見てみろ! みかんの腕! なんだよこれ、傷だらけじゃないか。なにがみかんは大丈夫だよ、こんなけがしてるのに! 全部お前のせいだぞ、すぐにみかんを探さなかったから! バカネをいけにえにしてたら、こんなことにはならなかったのに」
「龍次、ぼくは和歌月をいけにえになんてしない! お前たちのことだって絶対守る! 約束する、だから」
「そんな都合のいい話、誰が信用するかっ!」
龍次が信作に殴りかかります。身を引いてこぶしをかわし、龍次を押さえこもうとします。
「このっ、こいつめ!」
信作の手を払いのけ、龍次が肩を殴りつけます。鈍い痛みにうめき声があがります。龍次が再びこぶしをふり上げました。殴りかかる腕を信作はなんとかつかんで、グググッと押さえこみます。取っ組み合いのまま、じりじりと時間が過ぎていきました。朱音はおろおろするばかりです。
「もういやっ! いやぁっ!」
みかんが大声を上げました。龍次も信作も、動きが止まります。信作の手を振り払い、龍次はすぐにみかんにかけよりました。
「大丈夫か、みかん! 腕が痛むのか? 待ってろ、ハンカチで」
「触らないで! こっちに来ないでよ! これは、この傷は、ネコちゃんが、ネコちゃんが……」
みかんはそれ以上なにもいえずに、泣きじゃくるだけでした。龍次は苦い顔をして、みかんを見おろしています。
「いったんヨーコさんの小屋へ帰ろう。伊集院の腕も、消毒しないと」
ためらいがちに、信作はみかんに話しかけます。しゃくりあげながら、みかんは信作を見あげました。
「大丈夫か、立てるか?」
となりにすわる信作に、もたれるように、しがみつくように、みかんは身を寄せました。
「本当に大丈夫か?」
肩にしがみつかれた信作は、いたわるようにたずねました。みかんはかすかにうなずきました。
「それじゃあ、行こう。ほら、立てるか?」
よろよろとよろめきながらも、みかんは立ち上がりました。しっかりと信作の腕を抱きしめています。
「伊集院のペースにあわせよう。けがは痛んだりしないか?」
「うん」
鼻声で答えるみかんに、信作の表情はゆるみました。しがみつくみかんを支えるように、そろりそろりと歩いていきました。朱音は一歩うしろから、とぼとぼとついてきます。龍次は信作の背中を、きつい目でにらみつけるように見すえていました。




