その3
授業中はもちろん、休み時間も信作はずっと、浮かない顔をして窓の外ばかり見つめています。他のクラスメイトたちも、あおいのことを知っていたので、誰も信作に話しかけようとする人はいませんでした。
「信作君、あの、給食だし、ほら、机」
給食の時間になっても、席を動かそうとしない信作に、朱音がえんりょがちに話しかけました。朱音のおどおどした声に、信作は怒りのこもったまなざしを向けます。机の向きはかえても、決して朱音の机にはくっつけず、朱音と目を合わせることもしませんでした。
「信作君……」
朱音はそれ以上なにもいえませんでした。信作たちの班だけ、どんよりと暗い空気がただよっていましたが、だれもどうすることもできませんでした。
信作は、朱音はもちろん、他のクラスメイトとも一言も話さず、眉間にしわを寄せたまま帰りのあいさつを迎えました。そして、ランドセルをせおったときです。信作の手に誰かの手がふれました。
「なんだよ、放せよ!」
信作がふりむくと、そこには朱音が立っていました。手をつかんだのは、どうやら朱音だったようです。信作は目をむきました。
「信作君、あのね、その、怒らないで、聞いてほしいの」
「お前の、お前らのやったことは全部知ってるんだ。別のクラスだから、ぼくにはばれないって、そう思っていたのか?」
朱音はハッと息を飲みこみました。顔が泣きそうにゆがみます。信作はついに、どなるようにまくしたてたのです。
「お前のせいであおいは死んだんだ! お前たちがあおいに、あんなひどいことを、あんなひどいいじめをしたから、あおいは自殺したんだよ! 今さらなにを聞けっていうんだ? これ以上なにをいうってんだ? まだ十分じゃないのか、あおいをあれだけ苦しめたのに、まだ十分じゃないってのか!」
朱音はただただふるえているだけでした。ぽたぽたと涙をこぼしていますが、信作はかまうことなく朱音をののしり続けました。
「あおいはお前のことをずっと守ってきた! お前がいじめられているときも、お前のことをかばっていたのに、それなのにお前は、あおいを苦しめて、あんなひどいことを! 返せよ、あおいを、あおいを返せよ!」
信作が朱音につかみかかりました。
「おい、落ち着けよ信作! とにかく落ち着けってば……」
教室に残っていたクラスメイトが、あわてて信作を押さえつけます。信作はバタバタと手足をふりまわして、クラスメイトの手をふりほどこうとします。
「はなせよ! あいつを、あいつをぶんなぐらせろ! よくもあおいを、よくも!」
男子三人がかりでなんとか信作を押さえこみ、朱音には女子たちがつきそいます。
「朱音さん、大丈夫?」
「う、うぅ、ひっく」
朱音は今にも大泣きしてしまいそうな、そんな危うい状態でした。信作は、まだ肩で息をしていましたが、にぎりしめていたこぶしをゆっくりとといていきました。クラスメイトたちは、誰ともなしに視線をあわせ、それからはれものにさわるように信作から手を離しました。
「信作、なぁ、大丈夫か?」
うつろな目のままで、信作はしばらくじっとしていましたが、やがてぽつりとつぶやきました。
「すまない、もう大丈夫、落ち着いたよ」
「そうか。ならいいけど。とにかく今日はもう帰ろうぜ。また明日な、信作」
男子たちに声をかけられても、信作はしばらくぼうぜんとしたままでした。みんな心配そうではありましたが、内心は関わりあいになりたくないと思ったのでしょうか。足早に教室から出ていってしまいました。
「朱音さんは大丈夫? わたしたち、送っていこうか?」
残っていた女子たちは、朱音にやさしく声をかけます。目には涙がいっぱいたまっていましたが、朱音はなんとか首をふりました。
「うん、ありがとう、でも、大丈夫、大丈夫だから。ごめんね心配かけて」
女子たちもほっとしたのか、朱音に口々に声をかけたあと、一人、また一人と教室をあとにしました。信作はなぐりかかりこそしませんでしたが、最後に朱音に強烈な視線をお見舞いして、足早に教室から出ていきました。しかし朱音がそのあとを追って、声をかけてきたのです。
「待って! お願い、話を聞いて!」
信作がバッとふりかえりました。こぶしをふりあげ、いかくするようにどなります。
「まだ、なにかあるのか? 早く離れろよ、ホントに殴るぞ!」
ヒッと息をのむ朱音でしたが、それでも食い下がらずに信作に頼みこんだのです。
「お願い、話を聞いて! そのあとだったら、わたし、どうなったっていいから、だから」
朱音は目をうるませて、信作を上目づかいに見つめています。朱音の顔に、一瞬あおいの顔が重なりました。信作はあおいが、朱音によく似ていることを思い出し、ぎゅっとくちびるをかみしめました。
――あおいが朱音をかばっていたのは、自分によく似た子だったからだ。それなのに、こいつは――
あおいのやさしい目を思い出し、信作ははじかれたように外にかけだしました。
「あっ、待って、信作君!」
朱音の声を振り切るかのように、信作は一気に雨の中へと飛びこんでいきます。頭の中のもやもやを吹き飛ばすように、信作は速度を上げていきました。マラソンなんかとは全然違う、ペース配分もなにも考えない、がむしゃらな走りでした。まるでけもののように、よろめきながらも走り続けます。心臓は爆発しそうなほどに波打ち、息が続かなくなります。
「……っぷあっ!」
大きく息を吐き、信作はよろけてその場に転んでしまいました。水たまりにつっぷし、服がびしょびしょになります。受け身もうまく取れず、からだじゅうが痛みと熱で悲鳴を上げます。
「くっ、くそ……」
春になりかけとはいえ、この時期の雨はじわじわとからだの熱を奪っていきます。さっきまでの燃えるような熱さは引いて、骨のずいまで凍えさせるような冷たさがおそってきます。信作のからだが、ガタガタとふるえはじめました。
「……ちくしょう、どうしてだよ」
胸が張り裂けそうなほどの激しい呼吸を、なんとか抑えようと、信作は何度も深呼吸をしました。あとからあとから、出口のない怒りがわいてきて、胸がつまって苦しくなります。信作の顔は、ぐしゃぐしゃにぬれていました。
――ぼく、このまま死ぬのかな。からだが冷たくなって、もう動かないや。もう、どうでもいいや。なにもかも、どうでも――
信作の手を、温かい手が包みこみました。信作はそれを振りほどくほどの気力も、残っていませんでした。