その24
小屋を出ても、ヨーコの笑い声が聞こえています。藍はわざとらしく、ため息をつきました。
「ホント、やんなっちゃう。部屋の中も散らかし放題だし、今度そうじしてやるんだから」
藍の声がはずんでいるのに、朱音はすぐに気がつきました。少しほおが上気しています。
――藍ちゃん、やっぱり――
朱音はドンッと、信作のうでにぶつかりました。前を歩いていた信作が、二人を手でさえぎっていたのです。
「二人とも、絶対に振り返るんじゃないぞ」
低く押し殺した声でした。そのまま信作はゆっくり歩いていきます。二人もそれに続きました。
夕日がかすかに、西の空でまたたきました。いつも聞こえるカラスの鳴き声が、ピタリとやんでいます。それにいつの間にか、人通りがまったく途絶えていたのです。道には三人のすがたしか見えませんでした。
「ねえ、どうしたの? もしかして……」
重苦しい空気に耐え切れなくなったのか、朱音がしぼり出すようにたずねました。答えるかわりに、信作はベルトに引っかけていた『神殺しの剣』を見せました。びっしり彫られていた漢字から、淡い水色の光が放たれています。朱音はバッと口をふさいで、悲鳴を出さないようにこらえました。
「ヨーコさんの小屋で話していたときも、少しだけど光を放っていたから、ずっと気にかかっていたんだ。二人とも、この光が強くなったら、いっせいに走るぞ」
「わかった。でも、置いてかないでよ、信作」
藍にいわれて、信作は二人に手まねきしました。近寄ってくる二人に小声でささやきました。
「ごめん、気づかなかったよ。二人は先に行って。ぼくはうしろから見張っておくから。ぼくが声をあげたら、いっせいに走るんだ。ぼくのことは気にしなくていいから、絶対うしろをふりむくなよ」
うなずくかわりに、藍が信作の肩を軽くたたきました。うなじの辺りがぴりぴりとしびれます。やはりなにかがいるようです。『神殺しの剣』の淡い光が、わずかに強くなった気がします。
「ひっ」
前のほうで、朱音が小さく声をもらしました。信作が急いでかけよると、朱音の視線は地面にくぎ付けになっていました。
――なんだ、これ。かげかーー
赤い西日が、三人の影を引き伸ばしています。そしてその先に、うねうねと不気味な影が踊っていたのです。信作の目が見開かれました。
――ダメだ、上を見たら、上を見るな――
つりあげられているような感覚とともに、信作はじわじわと顔を上げていきました。
「あ、ああ」
真っ赤にそまった空が、絵の具をまきちらしたように、たくさんの色であふれかえっていました。目が痛くなるような原色の正体は、羽の生えた蛇たちでした。虹蛇の手下たちです。空をうめつくすほどの大群でした。信作につられて空を見あげた朱音が、たまらずさけび声をあげます。
「いや、いや、いやあっ!」
「和歌月、落ち着け! くそっ、くるぞ!」
蛇たちがいっせいに、鎌首をもたげました。朱音がその場にへたりこみます。信作ははじかれたように、『神殺しの剣』を抜きはなちます。右手が針に刺されるような、するどい痛みを感じました。
「くそっ、このぉ、消えろっ!」
『神殺しの剣』が放つ青い閃光が、空を切りさきました。身の毛がよだつような、おぞましい断末魔がひびきわたります。赤い空が引きさかれ、抜けるような青い空が見えました。いっせいに絵の具の色が、飛び散るように空を泳ぎます。
「ひいぃっ! いや、来ないでよ!」
朱音に蛇が襲いかかります。信作が『神殺しの剣』をふりおろしました。蛇は真っ二つになり、紫色のちりへ変わりました。
「藍、和歌月と一緒にふせてくれ!」
『神殺しの剣』を左右に振り回しながら、信作がさけびました。パニックになっている朱音の頭を、しっかり抱きしめ、藍は地面にバッとふせました。
「これでっ、どうだぁっ!」
信作は両手で『神殺しの剣』をにぎりしめ、ホームランバッターよろしく振りぬいたのです。ブゥンッと重々しい音とともに、蛇たちのからだが、パンパンパンッとはじけて消えていきます。青い閃光が、まがまがしい色を切りさいていきました。あとに残ったのは、すがすがしい青い空だけでした。
「……夕方なのに、空が青いなんて」
藍のつぶやきとともに、青空は赤い夕日に染まっていきました。紫色の灰のような光が、キラキラと舞い落ちていきます。
「終わった、のかな?」
「たぶんな。でも、油断はできないよ。今のうちに早く帰ろう。二人とも、起きられるか?」
信作が手をのばしました。藍がすがりつくようにつかまり、起き上がりました。朱音にも手をのばしましたが、朱音は歯をがちがち鳴らしています。
「ごめん、腰が、腰がぬけちゃって」
「朱音、大丈夫? 怖かったもんね。ほら、肩貸すから、ゆっくり起き上がってみて」
藍が朱音の肩を抱えるようにして、ゆっくりと起き上がりました。足がまだがくがくと震えています。
「ごめんな、また怖い思いさせて」
「ううん、ありがとう。もう大丈夫だから」
まだ藍のうでにしがみついていましたが、朱音は信作に笑いかけました。
「きつかったらすぐにいえよ。さ、それじゃあ行こう。またあいつらが来るかもしれない」
「そうね。朱音、歩ける?」
「うん、なんとか」
三人はおそるおそる歩き始めました。信作は用心深く、空をにらみつけます。
――ずっとこのままじゃ、いつかやられてしまうかもしれない。なんとかしないと――
まゆをよせて、『神殺しの剣』をにぎりしめる信作には、まだ届きそうもありませんでした。遠くの空で、嘆きの祈りのように、よく知っている歌が聞こえてくるのを。




