その2
「あおいのやつ、どうしてぼくに相談してくれなかったんだ」
二段ベッドの下に、信作はばたりと倒れこみました。会場におかれていた、あおいの遺影を前にしても、信作はまだ信じられませんでした。
あのかくれんぼから、半年以上たっていました。始業式の日に、あおいは自ら命を絶っていたのです。ちょうどお通夜から帰ってきたところでした。
上をじっと見つめる信作。二段ベッドの上には、いつもあおいが眠っていました。これからはもう、その姿を二度と見られないのです。信作はギュッと目をつぶりました。
「あおいのバカ」
手の甲で乱暴に涙をぬぐうと、信作はベッドから飛び起きました。二段ベッドのはしごをぐいぐいとのぼっていきます。
「あおい、小さいころはよく一緒に眠ってっていってたのに、最近はぼくが上に上がるだけで怒ってた。けど、もうあおいはいない」
信作ははしごをのぼり終えました。桜色のあたたかそうな毛布が、しわ一つなくたたまれていました。あおいの几帳面な性格を思い出して、また涙を流しそうになります。信作はあわてて首を振りました。
「あいつ、どういう気持ちでベッドから出たんだろう? 死ぬって、覚悟して?」
信作はふと、まくらもとになにか置かれているのに気がつきました。
「なんだこれ? 手帳?」
それは小さなピンク色の手帳でした。リングのところにボールペンがはさまっています。
「もしかして、日記?」
部屋の中には誰もいないはずなのに、信作は思わずきょろきょろと、まわりを見わたしてしまいました。じっと手帳とにらめっこしていましたが、やがて意を決して、そっと手帳を開いたのです。
『1月12日 今日もわたしのうわばきに画びょうがいっぱい入っていた。でも、もう慣れっこ。毛虫とかじゃなくてよかったな』
『2月4日 給食に虫の死がいが入っていた。今日の給食当番は伊集院さんだったけど、彼女がしたのかなあ?』
『2月18日 トイレに入っていたら、水をいっぱいかけられた。雨が降っていたから、お兄ちゃんにばれなくてよかった。でも、わたし、悲しかった。トイレの外で、朱音ちゃんの笑い声が聞こえてきたから。朱音ちゃん、どうしちゃったんだろう』
それ以上信作は、日記を読むことができませんでした。手をふるわせながら、手帳がゆがむのもかまわずにぎりしめ、ギリッとくちびるをかみしめました。
「どうして、どうしてなんだ。和歌月は、あおいの一番の友達だったはずなのに。あおい、お前は……」
ぽたぽたと、手帳に涙が落ちていきます。信作は手帳をぎゅうっと抱きしめました。
「つらかっただろ? 苦しかっただろ? 友達だと思っていたやつらに、裏切られて。ごめんな、だめなお兄ちゃんでごめんな」
ぐいぐいと涙をそででふき、信作は再び手帳を開きました。
――ぼくは、ちゃんと知らなきゃならない。そして、絶対こいつらに、復讐を――
信作は手帳をすみずみまで読んでいきました。吐き気のするようないじめの数々に、信作は涙をとめることができませんでした。
「どうして? みんな、昔はお前と大の仲良しだったやつばかりじゃないか。それなのに、いったいどうして?」
学校が終わり、春休みになってからも、あおいの日記は終わりませんでした。自殺した始業式に近づくごとに、あおいは少しずつ死ぬ覚悟を決めていました。いったいどんな気持ちでそんな覚悟をしたのでしょうか?
しかし、信作は春休みに入ってから、少しずつあおいの日記におかしなことが書かれているのに気がつきました。
「これは、いったいなんなんだ? 『3月29日 春休みに入っても、わたしはずっと苦しんでいる。あの声が、ずっとずっと、大きくなっている。もうすぐわたしに届いてしまう。怖い、怖いよ、お兄ちゃん……』あの声って、いったいなんのことだ?」
日記の最後の日付、4月8日に、その声について記述がありました。
『もうわたしはだめなの。このままだと連れて行かれてしまう。ううん、もうきっと連れて行かれているのだろう。お兄ちゃん、ごめんなさい。でも、もう無理なの。あいつから、伝わってくる、朱音ちゃんたちも、みんなあいつが変えてしまったんだ。もう耳元で聞こえるの、あいつの声、『ミヅゲダァ……』って』
日記の最後の文字にくぎづけになったまま、信作はピクリとも動けませんでした。ただただ、からだじゅうがおぞましい悪寒に包まれるだけでした。ふるえるからだを無理やりに押さえながら、信作は手帳をポケットに入れました。
次の日になっても、まとわりつくような恐怖は消えませんでした。信作は、なるべく日記のことは考えずに、学校に集中するようにつとめました。
――いつもは、あおいと一緒に学校に行ってたんだけどな。あいつ、誰も見てないときはよく、手をつないでってせがんでたな。でも、あおいはもういない――
泣きそうになるのをぐっとこらえて、信作はかけあしで学校へ向かいました。
信作のクラスは昨日電話で、先生から教えてもらっていました。
「確か、6の1だったな」
うつむいたまま、信作は教室のドアを開けました。
――そういえば、ぼくの席ってどこなんだろう? 休んでたから、わからないな――
信作がちょっぴりうろたえていると、うしろの席でひかえめに手を振っている女の子がいます。
「信作君、ほら、席、ここだから」
「えっ、あ、ああ、ありがと、って!」
信作は目を見開いて、その女の子をにらみつけました。
「あの、信作、君?」
信作は女の子にはなにもいわずに、ずんずんと席へ向かいました。赤茶色の長い髪をした女の子は、少し目をうるませて、信作を見あげています。信作は女の子のとなりにすわると、ガタガタッと席を女の子から遠ざけました。
「話しかけるな!」
となりの女の子、朱音は、ふるえながら信作の顔を見つめていました。朱音の顔を、もう一度射抜くようににらみつけると、信作は顔をそむけました。