その17
「かくれんぼだって?」
突然聞き返されたので、朱音はヒッと息を飲みました。ぼさぼさの髪を逆立たせて、ヨーコが朱音の肩をつかみます。
「もしかしてそれ、神社でしてたんじゃないだろうね?」
すごみをきかせたヨーコの声に、朱音はちぢこまっています。藍にしがみついたまま、なかなか答えようとしません。ヨーコの目がつり上がってきました。
「ヨーコさん、そんな怖い顔しないでよ、朱音、固まっちゃったじゃない」
藍がヨーコをにらみつけます。ヨーコはかまわず続けました。
「どうなんだ、朱音? 神社でしたんだろう」
「だって、いつも遊びに使う公園で、男の子たちが野球してたんだもん。だから……」
うわずった声でそれだけいうと、朱音はうらめしげにヨーコを見あげました。ヨーコは髪の毛をガシガシとかきながら、ふうっとため息をつきました。
「なるほどね、あんたたちは迷いこんじまったんだ。その神社、虹蛇のテリトリーだったのさ」
「えっ? どういうことですか?」
わけがわからないといった顔で、三人はヨーコを見つめました。
「虹蛇は神様だからね。普通はこの世界とは別の場所に住んでいる。でも、神がすむ世界とこの世ってのは、遠いようで近いものなのさ。なにかの拍子でつながっちまうことがあるんだよ」
「……まさか、じゃあそのつながった先ってのが」
「そう、その神社だったんだろう。あんたたち、かくれんぼしたときの神社って、初めて見た神社だったんじゃないのか?」
目を見開く朱音を見て、ヨーコはひとりうなずきました。
「やっぱりね。たまたまそのとき、神のすむ世界とこの世がつながってしまった。それで虹蛇の神社に迷いこんだ。かくれんぼっていう遊びは、神隠しなんかにもつながりやすく、もともと異界との道を開きやすい遊びなんだよ。そんなものを荒ぶる神のテリトリーでやってしまったら……」
肩をすくめるヨーコに、朱音がうらめしげにいいました。
「そんな、どうしてわたしたちが」
「さあ、それはわからないよ。ま、理由はどうあれ、あんたたちは虹蛇の神社に迷いこんでしまった。そこで信作の妹、あおいちゃんに虹蛇のうろこが引っかかったってわけさ。虹蛇はうろこを取り返そうとした。だからあんたたちに呪いをかけたのさ。けれど、信作にだけは、呪いをかけることができなかった。かくれんぼで鬼の役をしてたの、信作、あんただろ?」
信作は記憶をたどるように目をつぶっていましたが、やがて首をたてにふりました。
「うん、確かそうだったけど、それがいったいなんの関係があるんですか?」
「誰かを操るような呪いをかけるってのは、神でもかなり難しいのさ。とくに自分たちと違う次元に住む者たちにはね。動かずにいた人間にはかけることができただろうが、動き回っていた人間にはかけられなかった。つまり、かくれんぼでかくれていた朱音たちには呪いをかけられても、鬼で探し回っていた信作には、呪いをかけることができなかったってわけさ。できたことはせいぜい、幻術をかけるくらいだった」
ヨーコはそこで言葉を切り、ふらりと立ち上がって台所へ向かいました。
「じゃあ、ぼく以外のみんなは、呪いをかけられていたのか」
ぽつりと信作がつぶやきました。朱音が藍のうでを強くにぎります。
「悪いね、話の途中で」
ヨーコが水筒をちゃぷちゃぷいわせながら、もどってきました。
「ちょっと、またそれ飲むんですか? いいかげんにしてよ!」
「別にいいじゃないか、酒を飲むわけじゃないんだし」
ヨーコはぐびっと、花の蜜をあおりました。お酒のようなにおいが、むわっとただよってきます。
「においは絶対お酒なのに」
「だから違うっていってるだろ。そんな怒るんじゃないよ。で、話の続きだけど、虹蛇は自分でつけたうろこなら、取り返すことができるのさ。手下の蛇どもに命じれば、すぐにでもね。でもねえ、やっかいなことに、なにかのはずみで失ったうろこは、自分で取り返すことができないのさ」
なんの話かわからないといった顔で、三人がヨーコを見ます。ヨーコは花の蜜をあおってから、説明を続けました。
「わかんないみたいだね。まあいい、さっきいったけど、たとえ神でも、自分たちと違う次元に住む者たちに手出しするのは難しい。でも、魂となれば別さ。同じ次元に行くわけだから、どうとでもできる。さて、それじゃあ人間が魂となる瞬間は、どんなときかわかるかい?」
誰もなにもいいませんでしたが、やがて信作が胸を押さえて顔をしかめました。苦しげにヨーコを見ていましたが、しぼりだすようにつぶやきました。
「死んだとき、なのか」
「そうだよ。しかも誰かに殺させたり、もしくは虹蛇自身が死の呪いをかけてもうろこは回収できないだろう。あいつのうろこは繊細なんだ。誰かに殺されたとなれば、恨みの感情が生まれる。そうすれば色が変質してしまうかもしれない。虹蛇はその危険を冒したくないがために、とんでもなく回りくどい手を取らざるを得なかったってことさ」
「……それであおいを、自殺させようとしたのか」
信作の言葉に、ヨーコはゆっくりとうなずきました。
「そうさ。自殺っていうのは、魂自体が生存するのをあきらめたときに行われる。そのときに生じる恨みや悲しみっていう感情は、魂の内にしか作用しない。つまり、魂の外側に引っかかっているうろこは、変質することがないってことさ」
「そんなことのために、あおいを自殺に追いこんだっていうのか」
「そうだね。虹蛇は、恐ろしいくらいに色に執着している。色のためなら、どんな恐ろしいことでもする、『荒ぶる神』だからね。だから虹蛇は、一緒にかくれんぼしていた朱音たちに目をつけたのさ。あんたたちを操って、あおいを自殺させる。そのあとであんたたちのうろこを回収すれば、全部丸く収まるって思ったんだろうね」
「そんなバカげた理由で、あおいを……」
『神殺しの剣』をにぎっていたこぶしが、青白い光につつまれます。ヨーコは興味深そうにそれを見ていましたが、朱音に視線を移しました。
「朱音、あんたホントは、あおいちゃんと仲良しだったんだろ?」
「もちろんそうだよ! だって、あおいちゃんはわたしの大切な友達だもん!」
何度もうなずく朱音を見ながら、ヨーコは花の蜜を一口飲みました。今度は信作に顔を向けます。
「信作、あんた、疑問に思わなかったかい? それまで妹と仲良しだった人間が、突然いじめだすなんてって」
「そりゃあ思ったけど」
なにかいいたげでしたが、信作は言葉を飲みこみました。その様子を見て、ヨーコはなるほどと小さくつぶやきました。
「そうだったね、そういえばあんた、まだ幻術にかけられていたんだった。まずはそれを解かないとだね。信作、あんた、妹の日記を持っているだろ?」
「……なんでそれを」
目を見開く信作に、ヨーコはにやりと笑いました。
「いったろ。あたいは見える人間だって。さっきからずっと、あんたのポケットから、妹のにおいがしているからね。そいつをちょっと貸してごらん」
とまどいながらも、信作はあおいの日記帳を取り出しました。初めて見る日記帳に、朱音は視線を向けることができず、悲痛な表情をしています。
「それじゃああんたたち、あたいのそばに集まりな。信作ほどじゃないけど、あんたたちにも幻術がかかっているみたいだからね」
「えっ、わたしたちにもですか?」
藍が目を丸くしました。ヨーコはふぅっと小さく息をはいてうなずきました。
「朱音はほとんど解けてるみたいだけど、藍、あんたは自分がなにをしたのか、覚えてないだろう」
「なにをしたのかって、わたしはなにも」
「ほら、それが幻術にかかっている証拠さ。まあいいよ、すぐにわかるからね」
ヨーコはあおいの日記帳を、テーブルの上に置きました。信作たちの視線が、日記帳に集まります。ヨーコは日記帳に手をかざしました。