その14
「でも、それと神社とどう関係があるのよ? いろんな神様がいるっていうのはわかったけど、別に神社で、助けてくださいって祈るくらいいいじゃない」
藍がなじるようにいいました。ヨーコはじろりと藍をにらみつけます。
「そんなことをいうってことは、あんた、神社というものを根本的に誤解しているようだね」
「どういうこと?」
ヨーコは厳しい顔で説明を続けました。
「神社ってのは、本来神様が住むやしろなんだ。で、やっかいなことに、神社ってのはこの世ならざるモノたちの力を増幅させる効果がある」
「でも、そんな悪いモノは神社に近づけないんじゃないの?」
藍の疑問に、ヨーコはふふんと鼻で笑いました。
「昼間はそうだよ。基本的にこの国の神は、日の光がある日中のほうが力が強いからね。ほら、あんたたちも聞いたことがあるだろ、夜の神社には近づかないほうがいいって。あれには理由があって、夜は神が留守にしているからだ。だから良くないモノが神社をうろつく。肝試しなんかをやる連中は、そんな良くないモノに遭遇するってわけさ」
「でも、神社って結界とか張ってるんじゃ」
「そりゃ日中の話だよ。でも、夜になるとその力は弱まる。だから良くないモノがうろつくのさ。だけどね、たとえ昼間だったとしても、とんでもない力を持った神が、力を増幅させる領域に踏み入れてしまえばどうなると思う?」
みんな首をかしげるだけでした。誰も答えないのを見て、ヨーコはがっかりしたように首をふりました。
「ま、少し難しかったかもしれないが、やっぱり神とかそういうものを考える人間が少ない時代になっちまったのかね。ま、それはいいか。結論だけいうと、虹蛇が仮に神社に入れば、その領域に本来住まうはずの神をとりこみ、さらに強い力を持つことになるだろうね。最悪の場合、現世に顕現してしまう」
「けんげん……?」
「すがたを現すってことさ。簡単にいえば、化け物が神社に現れるんだよ。だからあのじいさんは、あんたたちを神社に入れないようにした。結果的には正しかったと思うよ。まああんたたちにとっては、たまったもんじゃないだろうけどね」
誰もなにもいえませんでした。重苦しい空気がからだにまとわりついて、いやな寒気を感じます。ガタガタと、風が窓を鳴らす音が強くなってきました。日はもう沈んでしまったのでしょうか、カーテンの破れ目から、暗い闇がのぞきこんでいます。
「それじゃあ、わたしたちはこのまま、その神様に連れていかれるのを待っているだけなの」
しゃくりあげながら、朱音がヨーコを見ました。藍も、青白い顔でヨーコを見つめます。ヨーコはだまったままスッと立ち上がり、そのまま台所へと向かいました。
「あの、ヨーコさん?」
藍が、すがるような声を出します。ヨーコはなにもこたえずに、台所の引き出しを、ごそごそとあさっているだけです。藍と朱音は、顔を見合わせました。
「ああ、あったあった。そうだった、こいつと一緒に入れてたんだっけ」
ヨーコは立ち上がると、大きなつぼと細長い包みを持ってきました。よっこらしょとつぶやいて、それをテーブルの上におきます。きつねうどんの容器をはしに押しやり、ヨーコは再び台所へ向かいました。
「……いったいなにするつもりかな?」
朱音がこっそりと信作にたずねました。信作は首をかしげるだけで、なにも答えませんでした。ですが、藍は大きなつぼを指さしながら、小声で二人にいいました。
「わかんないけどさ、あのつぼ、きっとお酒入ってると思うよ。におうでしょ」
藍のいう通り、なんだかお酒の甘くむせ返るようなにおいがただよってきました。三人は不安げな表情でヨーコを待ちます。
「ああ、待たせたね。ふちが割れてないのが見当たらなくってね。これが一番きれいなやつだったんだ。我慢しておくれ」
ヨーコはテーブルの上に、茶わんを二つ置きました。確かにどちらも、ふちがかけていびつな形になっています。ヨーコは気にせず、ほこりをかぶったつぼの中身を、茶わんになみなみとついでいきます。ぷわんっとただよってきたのは、やはりお酒の香りでした。
「ヨーコさん、まだ飲むんですか?」
藍が非難するようにヨーコをにらみました。藍のほうは見もせずに、ヨーコは鼻歌を歌いながらつぼにふたをしました。
「さてと、それじゃあんたたち、こいつを飲みな」
ヨーコが藍と朱音にいいます。もちろん二人は口をぽかんと開けて、それからすぐに首をふりました。
「ええっ? なにいってるのよ、それお酒じゃないの! そんなの飲めるはずないでしょ、わたしたちまだ小学生なんだけど」
「そうです、藍ちゃんのいうとおりです。わたしたち、お酒なんて飲めません!」
ヨーコはにやにや笑いを浮かべています。意地悪なその顔を見て、藍がいらだたしげに続けました。
「なによ、そんな笑って」
「いやいや、悪気はないんだけどさ。命がかかっているっていうのに、ずいぶんと悠長なことをいうなと思ってね」
言葉とはうらはらに、ヨーコの顔はどう見ても悪気しか感じられませんでした。小鼻をふくらませて、にらみつける藍に、ヨーコはあっけらかんといいはなちました。
「別にいいよ、飲まなくても。でも、あんたら、これ飲まなきゃ確実につれてかれちゃうけど」
「やだっ!」
朱音が悲鳴をあげました。ニタッといやらしく笑って、ヨーコは手をひらひらとふります。
「じゃあ飲まないとね。別に飲まなくてもいいけど、好きにすれば。あたいは別に困んないし」
「そんなぁ」
藍は言葉につまってしまいました。朱音はうらめしそうにヨーコを見つめています。そんな二人のことは気にせず、ヨーコはすずしい顔をしています。
「飲めば、連れていかれないんですか」
しばらくの沈黙のあと、静かに藍がたずねました。くっくと笑い声をあげたあと、ヨーコはうなずきました。
「まあね、約束はできないけど。どのみちこのままじゃ、遅かれ早かれ連れていかれるだろうけどね」
「わかったわ」
「藍ちゃん、大丈夫なの?」
なみなみとつがれた茶わんを、こぼさないようにおそるおそる持ち上げると、藍はフーッと、大きく深呼吸をしました。ぐっと茶わんをにぎりしめます。そして茶わんの中身を、あおるように一気に飲んだのです。ポニーテールがびくびくっとふるえるようにゆれます。
「んっ、んぐっ、ゲホッゲホッ!」
「あっはっは! いや、あんたやるねえ、生意気なだけのおじょうちゃんと思ってたけど、見直したよ。これであたいが、うそをついていないってことがわかっただろ」
キンキン声で、ヨーコがけらけらと笑い出します。藍は何度かせきこみましたが、茶わんに残った透明の液体を、じっと見つめました。
「お酒じゃ、ない。なにこれ、ちょっとだけ、甘くて、ホントだ、花の香りがする」
「だからいっただろ、それは花の蜜を凝縮させた、あたいの飲んでるやつの原液だよ。それにしても、あんな一気飲みしたら、そりゃあむせちゃうよ。ああ、そうだった、いってなかったね。飲めっていっても、全部じゃないよ。こういうのは、ほんのわずかでも効果あるんだからさ」
「もうっ、ひどいじゃない、わたし、とっても怖かったんだから!」
藍がキッと、ヨーコをにらみつけました。
「まあまあ、いいじゃないか、酒じゃなかったわけだし。それにこれ、けっこう値打ち物なんだよ。一杯飲むだけで、寿命が一年は延びるっていう代物さ」
「えっ、そうなの、ねえ、もう一杯ちょうだいよ」
調子に乗る藍を、今度はヨーコさんがねめつけました。
「バカ、今いっただろ、値打ち物だって。本当なら、あんたが一生かかっても払えないくらいのね」
「そんなすごいものなの!」
藍が目を丸くしています。ヨーコはあははとごうかいに笑いました。
「じょうだんさ、まあ値打ち物ってことには違いないけどね。ともかくこいつを飲んで、こいつでうろこを洗えば、なんとか虹蛇の目はごまかせると思うよ。まあ、時間稼ぎぐらいにしかならないけどね。それに、あっちも手下どもをうろつかせているはずだから、そいつらには効果ないけど」