その12
ヨーコはまるで酔っ払いのような、のらりくらりとした歩きかたで、それでもすいすい進んでいきます。その背中を、信作はうさんくさそうに見つめていました。
――っていうか、この人ホントに酔っぱらってるんじゃないか。さっきもなんだかお酒臭かったし――
ヨーコが振り返らずにいいました。
「そうさ、さっきまでこいつを引っかけてたからねえ」
「わっ、どうして、ぼくの考えが」
驚く信作に、ヨーコはおかしそうに笑って答えました。
「なーに、勘さ。ああ、いっとくけど、こいつは酒じゃないよ」
ヨーコは腰にぶら下げていた、筒のようなものを振りました。ちゃぽちゃぽと水音がするところを見ると、まだ少し中身が入っているようです。
「不思議なもよう。青白く、光ってる」
朱音がぽつりとつぶやきました。ヨーコはつり目をわずかに細めて、その筒を指でなであげました。
「満月の夜に、御神木を削って作った水筒さ。中に入ってるのは、花の蜜を水で割ったものだよ」
「ホント? だってさっき、お酒のにおいしたけど。それにふらふらして、本当に大丈夫?」
藍がいぶかしげにヨーコを見ます。まるで信用していないという顔を見て、ヨーコはにたっと笑いました。
「へえ、なかなか生意気なおじょうちゃんだね。別にあたいは、あんたらを助ける義理はないから、このままお別れしてもいいんだよ。そうなったら、あんたらは確実に、あいつに呪い殺されちまうだろうけどね」
「それは」
藍はなにもいいかえせませんでした。くやしそうにうつむく藍を、にやにや笑いながら、ヨーコはながめています。
「あいつってことは、お姉さんはやっぱりなにか知っているんですね」
ヨーコはキンキン声で、アハハと笑って首を横にふりました。
「さてね。まあとりあえず、あたいについてきなよ。悪いようにはしないからさ」
「あのう、ついていくのはいいんですけど、わたしたち、いったいどこに向かっているんですか?」
藍の手をにぎっていた朱音が、えんりょがちに聞きました。
「ああ、そういやまだいってなかったねえ。あたいの家さ。ほら、あれだよ」
ヨーコが指さしたのは、色あせた小さな小屋でした。壁にはつたが、はうようにからみついています。窓ガラスもところどころ割れて、テープで補強されています。家の屋根には、カラスが数羽止まっていて、警戒するようにカーカー鳴いています。どう見ても住み心地のいい家ではなさそうです。三人は不安げに顔を見合わせました。
「まあ、家っていっても、ほとんどボロボロのほったて小屋だけどな」
三人の様子に気がついたのか、ヨーコは乱暴な口調で認めました。頭をガジガジかいて、御神木でできたという水筒を、ぐいっとあおります。
「花の蜜っていってたけど、絶対うそだよ、あれ」
お酒のようなにおいに顔をしかめながら、藍が二人にささやきました。
「ほら、入った入った。大丈夫、中はそんなに寒くないよ」
つっかえ気味のとびらを乱暴に開けて、ヨーコが三人を案内しました。中は真っ暗でしたが、なにやらものが散乱しているように見えます。ヨーコがじろりと三人をにらみました。
「どうしたんだい? そんなとこでつっ立ってても、どうにもならないだろ。それともこのまま帰るかい?」
「あ、いえ。はい、あの、おじゃまします」
あっけにとられていた三人は、顔を見合わせ、それからおそるおそる靴をぬぎました。真っ暗な小屋の中へ足を踏み入れます。
「うわっ」
思わず藍が声をもらしました。確かにヨーコがいうとおり、寒くはありませんでした。けれども代わりに、お酒のようなにおいが、むわっと鼻を刺激します。朱音がうっと口を押さえました。
「ほらほら、とりあえずすわりな。お茶菓子とかは用意できないけどね。えーっと、あれはどこにしまったかな」
ヨーコはなれた足取りで暗闇の中を進んでいき、かちゃりと明かりをつけます。裸電球が頼りなさげに部屋を照らしました。部屋の中の惨状を見て、信作たちは顔をしかめます。
「すわりなっていわれても……ねぇ」
藍がこっそりと、二人にだけ聞こえるようにつぶやきました。二人もだまってうなずきます。
「どこにすわればいいんだろう」
たたみがしかれた小屋の中は、あたり一面ゴミの山でした。お菓子やおつまみの袋が、あちらこちらに散らばっています。ずっとしきっぱなしなのでしょうか、布団は変色し、なんだかにおってきそうです。部屋の隅には、空になったカップ麺の容器が、今にもくずれてしまいそうに積み重なっています。どれもすべてきつねうどんでした。
「うう、虫がいるよう……」
朱音がいやそうに顔をそむけました。真ん中に置かれているテーブルには、食べかけのカップ麺が置いてありました。やはりきつねうどんです。そのまわりをハエが何匹か飛びまわっています。
「うーん、あたいってば、物を探すのが苦手でねぇ。まあいいや、とりあえず説明してからでもいいだろうしね。あれ、あんたら、どうしたんだい? すわりなよ」
部屋の奥にある、台所でごそごそやっていたヨーコが、不思議そうに信作たちを見まわしました。信作は言葉をつまらせながらもたずねました。
「いや、あの、どこにすわれば」
きょとんとしていましたが、ヨーコはため息まじりに肩をすくめました。
「ああ、そんなのほら、こうやればいいのさ」
ヨーコは足で、散らばっていたお菓子の袋を、乱暴にけってどかしたのです。目を丸くする三人に、ぶっきらぼうな口調でうながしました。
「ほら、早くしな。日が暮れちまうよ」
「あ、はい」
三人はそろそろと、できたスペースに腰を下ろしました。足がチクチクするなと思って見てみると、お菓子の食べかすがまだ残っていました。藍がしかめっつらでヨーコを見ます。朱音はガウチョパンツの下にハンカチを引いてすわりました。そんなことにはおかまいなしに、ヨーコは水筒の中身を、片目でじっと見ています。チッと舌打ちをすると、テーブルの上へドンッと置きました。
「で、えーっと、なんだっけなあ。ああ、そうそう、あんたら大変なやつに魅入られたみたいだねえ」
軽い口調のヨーコを、藍がじろっとにらみつけます。神社でのやり取りを思い出してしまったのでしょうか、朱音の顔が真っ青になります。
「あの、わたしたち、どうなっちゃうんですか?」
「このままじゃ、確実にあいつに連れていかれるだろうね。つまり、あいつのからだの一部になるってことだけど」
「そんな」
朱音が絶句しました。藍が机に乗り出し、まくしたてます。
「からだの一部になるって、いったいどういうことなの。それに、その化け物っていったいなんなのよ? ヨーコお姉さんは、いったいなにを知っているの?」
ポニーテールをふり乱して質問する藍に、ヨーコはにやっと笑って答えました。
「いろいろさ。いろいろ知ってるよ。だってあいつは、あたいにとっても、因縁のある相手だからね。それと、あたいのことはヨーコってよんでおくれよ。ヨーコお姉さんなんて呼ばれると、なんだかくすぐったいからさ」
「じゃあ、ヨーコ……さんは、そいつがなんなのか、わかるんですか。ヨーコさんのいった蛇の化け物ってのが、池田や、あおいのことも襲ったってことですか?」
信作の言葉に、藍が驚いたようにふりむきました。
「信作、どういうこと? 桃子はわかるけど、あおいも?」
藍に聞かれても、信作はなにも答えず、じっとヨーコだけを見つめました。ヨーコも信作の顔を、なめまわすようにじろじろと見ています。
「ふうん、なるほどね」
長い沈黙のあと、ヨーコはふうっと息をはいてからうなずきました。水筒をつかもうとして、軽くまゆをつりあげました。
「えっと、なにかわかったんですか?」
信作に問いかけられて、ヨーコは肩をすくめました。
「ああ、悪いね、ちょっと気になって。いや、こっちの話さ」
ヨーコははぐらかすように、信作に手をひらひらさせました。信作は不審そうにヨーコを見ましたが、なにもいいませんでした。
「いい子だ。さて、あんたの質問だけど、一つずつ答えていこうか。まず、あいつの正体だけど、あんたらのいうように、蛇の化け物さ」
朱音と藍が、一緒に息を飲みました。ヨーコはおかしそうに鼻をすすります。
「まあそんな顔しなさんな。打つ手はあるんだから。ただ、状況はちゃんと知っておいてほしかった。それだけさ」
「蛇の化け物って、やっぱり悪霊なの?」
藍の言葉に、ヨーコは静かに首を横にふりました。
「あんたたちにとっては、悪いモノに変わりないだろうけどね。だが、あいつは普通の悪霊なんかとは違うのさ」
朱音の顔が引きつります。藍もこわばった顔をして、そっと朱音と手をにぎります。
「悪霊じゃないなら、いったいなんなんですか?」
藍が重ねてたずねました。ヨーコは口をつぐんだまま、三人の様子を観察するように見ていました。やがて言葉を続けました。
「……あいつは神様なんだよ」