その11
西に見える雲が、オレンジ色にそまっていました。ぐずついていた天気も、ずいぶんとよくなっています。散り始めた桜にかこまれた神社も、雨のあとのすがすがしい香りがします。
信作たちが来ていたのは、桜神社と呼ばれている神社でした。境内にたくさんの桜が植えられているため、そのようによばれていたのです。
「夕方の神社って、怖いような気がしてたけど、そこまでじゃなかったね」
藍がホッと胸をなでおろしています。朱音もうなずきましたが、藍のうでにしがみついたままです。パジャマから、動きやすそうなガウチョパンツとセーターに着替えていますが、寝ぐせはそのままでした。はねた赤茶色の髪を気にも留めずに、朱音はあたりをきょろきょろ見わたします。
「これがもし松の木神社だったら、それこそおばけが出てきてるかもしれなかったけどね」
「ひっ!」
「あっ、ごめん、じょうだんよ、大丈夫、おばけなんて出てこないから」
朱音がぎゅうっとうでにしがみついて、かたまってしまったので、藍が急いで首を振りました。
「とにかく入ろうぜ。日が沈まないうちに済ませよう」
信作にうながされ、三人は神社の鳥居をくぐろうとしました。しかし足を踏み入れる前に、とどろくような声に押し戻されたのです。
「入るんじゃない!」
「わっ!」
三人ともびくっとかたまってしまいました。金縛りにあったかのように指一本動かすことができません。そんな三人の前に、境内を掃除していた白髪頭のおじいさんが、ものすごい勢いで走ってきました。ぼうぜんとしている三人の前まで来ると、大声でどなりつけたのです。
「さっさと帰ってくれ! これ以上入ってはならんのじゃ!」
息をのむ三人でしたが、最初に我に返った信作が、おじいさんにたずねました。
「どうしてですか? 別にぼくたち、なにか悪さしようと思ってきたわけじゃないです。ぼくたちはただ、お払いにきただけで」
「だめじゃ、これ以上近寄るな」
ほうきを突き出して、おじいさんは三人をいかくするようににらみつけました。ただならぬ様子に、信作は言葉を失いました。しかし藍は、好戦的な態度でおじいさんにつっかかりました。
「ちょっと、いったいどういうことよ? 別にわたしたち、悪いことしてないじゃない!」
藍がふくれっつらになっています。朱音はおびえて、藍にますますしがみついています。
「藍、そんないいかたするな」
信作が藍に注意します。しかし、信作自身もまゆをつりあげて、おじいさんを無言でにらみつけます。そんな三人の態度は全く気にせず、おじいさんは三人をひとりずつ、じろじろと見ていました。ひととおりながめおわったあと、おじいさんあはふうっと疲れたようにため息をつきました。
「やはりそうか……。いや、すまんかったな、大声を出してしまって。わしの態度に怒ったのならあやまろう。しかしな、気の毒じゃが、そのモノはわしの力じゃどうにもならん。払うどころか、とりこまれるのがおちじゃろう。お前さんたちが魅入られているのは、そんじょそこらの悪霊なんかじゃないんだ。それは……」
おじいさんは、それ以上なにもいいませんでした。ほうきをにぎっている手がふるえています。信作は、藍と朱音をちらっと見ました。藍はなんとか気丈にふるまっていましたが、朱音は顔を真っ青にして、藍にしがみついています。
「気の毒じゃが、今日はもう帰りなさい。間違っても、他の神社などにはいってはならんぞ。入ってしまえば、恐ろしいことになるからな。それほどまでに強いモノじゃ。神社ごと、自らの力にとりこんでしまう。神の加護を受けたものでも、このようなモノに立ち向かうことなど」
「あたいならできるよ!」
神社のかげから、耳が痛くなるようなキンキン声が聞こえてきました。おじいさんの顔が、苦虫をかみつぶしたようにくしゃくしゃになります。
「いかん、お前が関わるとろくなことは起きん。さっさと帰ってくれ、この女狐め! わしは知っておるのだぞ、お前の素性も、目的も!」
桜の木のかげから、ふらりふらりと、女の人が現れました。やせていて、背の高い人でした。ゆらゆらとふらつきながら、こちらに歩いてきます。巫女装束を着ていましたが、なんだかうす汚れてきたならしく見えます。ぼさぼさの長い髪に、病人のように白い肌は、まるでゆうれいのようです。細いつり目をさらにつりあげてから、女の人は挑戦的な口調でおじいさんにいいました。
「あたいの目的をどうこういわれたくないね。あんた、どうせこの子たちも助ける気ないんだろ? 自分の神社だけ助かればいいって顔してるもんねえ」
おじいさんは、ぐっとくちびるをかみしめました。ほうきが折れてしまいそうなくらいに、手をわなわなとふるわせています。
「図星だろ? 顔に書いてるぜ」
「この、いわせておけば!」
おじいさんは一瞬ほうきをふり上げそうになりましたが、女の人が二ッと口角を上げるのを見て、静かにほうきをおろしました。苦々しげに女の人にいいました。
「わかった、好きにせい。じゃが、その子たちを、お前の勝手な目的にまきこむんじゃないぞ! わかったな?」
女の人は、手をひらひらさせてうなずきました。おじいさんはまだ女の人をにらんでいましたが、もうなにもいいませんでした。
「安心しな、大丈夫だよ、あんたの神社にあいつは入れさせないからね」
ふらつきながら鳥居をくぐり、女の人が信作のそばに立ちました。むわっとお酒のような、きついにおいが鼻につきます。思わず信作はあとずさりしました。藍たちも不審そうな目で、女の人を見ています。
「もしかしてこの人、酔っ払ってるの?」
藍が小声で朱音にささやきます。朱音もこっそりうなずき、女の人を見あげました。
「ひゃっ!」
朱音が突然悲鳴をあげたので、信作はビクッとからだを硬直させました。
「おい、どうした?」
「目、目が」
朱音の言葉に、信作も女の人の目を見あげました。信作もうっと息を飲みます。
「お姉さん、その目は」
「ああ、あたいの目のことかい?」
女の人はあのキンキン声で笑いました。信作たちはこくこくとうなずきます。驚くのも無理はありませんでした。女の人のひとみは、血のように赤い色をしていたのですから。女の人はその細いつり目を糸のように細めてから、じっと信作を見つめました。
「怖いかい?」
「あっ、いえ、あの、すみません」
あわててあやまる信作に、女の人はアハハと豪快に笑って首をふりました。
「なあに、あやまることはないさ。安心しな。あたいはヨーコ。一応巫女さんやってるのさ。じゃあ行くよ、あんたたちもついてきな」
ヨーコはぼさぼさの長い髪を、ガジガジとかきながら、新作たちを手招きしました。三人は不安そうに顔を見合わせます。
「ほら、なにやってんだい、ぐずぐずしてると日が暮れちまうよ。あんたたちも、真っ暗になってから帰りたくないだろ?」
「あっ、待ってください」
三人はあわてて、ヨーコのあとを追いました。おじいさんがほうきをにぎりしめたまま、その背中をじっと見つめているのに、三人は気がつきませんでした。