2-26 意志というのは分からないもので
「‥‥‥今日はドマドン所長がいないのかぁ。見た目的にあの人が既婚者ってのは信じがたいのにね」
【キュルルゥ】
研究所内の廊下を歩きながら、僕のつぶやいた言葉に対してハクロは同意して深く頷く。
今日は所長は家族の元へ一時帰宅するらしく、研究所内にその姿はない。
まぁ、所長がいてもいなくても、職員の人が何かあったら対応してくれるのだが‥‥‥
「ああ、所長が夫の元へ行ってくれるのは安心なんだよな」
「あの人、夫の前だと本当にすごく変わるからな」
「一度食事に誘われていったことがあったけど、あの人の前に所長が行っているこの時こそが、真の平和ではないかと思うんだよなぁ‥‥‥」
「‥‥‥そこまで、号泣するレベルですか?」
【キュ、キュルルゥ‥‥‥】
職員の人達にドマドン所長の夫について、好奇心で尋ねてみれば、全員この帰宅による平和に心の底から喜んでいる様子。
どうやらドマドン所長の夫はかなりの愛妻家らしく、所長もその人の前では大人しくなるそうで、この一時帰宅の時間こそが、真に平和が訪れる時間なのだとか。
だったら所長の座をさっさと別の人に移してもらい、隠居してもらえば良いような気もするのだが‥‥‥その所長の夫も忙しい時があるそうで、ずっと一緒という訳でもない。
なので、所長がそのいない間に放置されている状況となると、それこそ混沌とした時間になりかねず、今のところどうしようもないそうだ。
まぁ、この一時帰宅の時間こそが真の平和という事で結論づいているようで、職員の人達が怖ろしく生き生きしているので、元から部外者の僕らがこれ以上何も言い必要もあるまい。
普段から大変そうな人たちが、心の底から安堵できるのであれば、むしろ祝ってあげるべきか‥‥‥
とにもかくにも、所長が居らずともきちんと仕事は職員たちに振り分けられているようなので、全員が一斉に休業することもない。
なので今日は、朝食を食べた後に研究所内の他のモンスターのお世話でも手伝おうかな、と思っていた‥‥‥その時だった。
【世話、他ノモ…‥‥キュ?】
「ん?どうしたのハクロ?」
朝食を食べながら研究所の食堂にて、どこに手伝いに向かおうかと話していたところで、ふとハクロの様子が変わった。
耳を動かしたかと思えば、何処かを見るような顔になり‥‥‥元から透き通るような赤い目が、不気味な赤色へと変わる。
【‥‥何の音?キュルル‥‥‥キュ、シュ、シュルルルルルル!!】
「ハクロ!?」
突然、以前大きな蜘蛛の時に出したことのある威嚇をし始め、毛を逆立てる。
その変化に朝食をとっていた職員の人達も驚く中、研究所内に別の音が響き渡り始めた。
【ブモワァァァァ!!】
【ギュルルルガァァァ!!】
【ベルバヒィィィン!!】
「な、なんだ!?モンスターたちの声が上がり始めたぞ!!」
「しかも全員、何かに対して威嚇をし始めている!!」
研究所のあちこちで起き始めた異変に職員たちがざわめき始めたが、どうやら所内にいるモンスター全員が同時に威嚇をし始めたようだ。
【シュルルルルルル!!シュルルル!!】
「ハクロ、どうしたの!?何に威嚇しているの!?」
食堂内がざわめく中、ばっとハクロは身をひるがえし、食堂の隅っこの方へ移動する。
威嚇しながらも、その目は天井の方へ‥‥‥いや、地上の方に何かあるのかそちらへ向けて敵意を飛ばし始めている。
【シュルルル!!シュッ!!キュリィィィィィィィィィ!!】
そのまま威嚇音が切り替わったかと思えば、ハクロの目の色も変わった。
不気味な赤い色合いに変化していた目の色が、生気の無い瞳が見えない白い目へ切り替わる。
そして先ほどまで威嚇していた体から力が抜けたかのようにがくんっと肩を落とし‥‥‥次の瞬間、突然僕の体に強い衝撃が走った。
いや、違う。瞬時に消え失せるほどの素早さでハクロが動き、そのまま僕をつかんで廊下を駆け抜け、突き当りに叩きつけたのだ。
ダァァァァンッ!!
「がっ!?」
あまりの駆け抜ける力の強さゆえか、それとも普段以上に出しているのかは不明だが、床が砕けている。
そして叩きつけられはしたが‥‥‥それでも、ギリギリ生かさず殺さずの部分で寸止めされたようで、全身がいたいけれども死んではいない。
「は、ハクロ‥‥?」
【シュルルル、シュ、ジュ、シュギュリィィィ!!】
何とか全身を襲う痛みをこらえつつ、僕をつかんでいるハクロへ問いかけたが、彼女は叫ぶのみである。
その顔はいつもの明るい顔ではなく、生気のない目の色なのに何かに対して強い殺意を抱くかのような者になっている。
ぎりぃっと彼女の手が動き、僕の首元を片手で持ち上げ、廊下の壁に押し付ける。
「ぐ、ぐがっ…‥‥!」
力はあるようだが…‥‥それでも、全力で殺しにかかってきていない。
真綿で締め付けるようなほどだが、その分苦しみは長い。
「ぎっ、は、ハクロ!!やめて!!」
【ジュギリィィ!!】
助けを求めたくて、他の職員がいないかと何とか目を凝らしたが‥‥‥どうやらそううまいこと救えそうな人はいないようだ。
なぜならば、廊下の別の方から研究所内のモンスターたちが駆け抜け、職員たちを襲い始めているのだ。
【ブギュルガァァ!!】
【ブモォォォォ!!】
「うわぁぁ!?アイバイソンなどがなんか暴れ出したぉぉぉ!!」
「研究所内から出すな!!最悪の場合殺処分を検討しろ!!」
暴れているモンスターたちをなんとか見れば、全員今のハクロと同じように生気のない白い目をしているのに、人に対しての殺意がすごい。
そして僕の方へは誰も来ていないようだが、ハクロがいることが原因なのか‥‥‥それは分からない。
でも、こうやって押さえつけられている状態で何もできないって訳でもない。
「っ‥‥‥精製‥‥‥!!」
何が原因なのかは知らないが、こんなことをする彼女ではない。
というかもそもそも、殺意むき出しになるような姿は見たこともないし、何かに操られていると見たほうが良いのかもしれない。
そして、こんな状態になる前に彼女がつぶやいたことを僕は思い出していた。
(‥‥‥何の音?ってつぶやいていたけど‥‥‥)
‥‥‥あの時、そんな事をつぶやいていたが、何の音なのかは知らない。
でも、変な音などは僕らには聞こえなかったが‥‥‥研究所内で暴れているものを見れば、おそらくはモンスターにしか聞こえないような音が伝わっていたのだろう。
地下にあるこの研究所に、どうやって音を伝えるのかは不明だが、それを利用して操っているのであれば方法はある。
そう考え、僕の持てる薬の精製能力で作り出したのは‥‥‥
「とりあえず、これで正気に戻れ!!」
ブシュウウウウ!!
【シュギィィィ!?】
精製能力で出せる薬効は想像通りだが、薬の瓶に関してもある程度は融通が可能。
なので急ごしらえとはいえ彼女に届かせるものとして選択したのは、缶スプレータイプの瓶。いや、瓶とはいいがたいかもしれないが、ある程度の融通は出来たようで、内部に含まれた薬が一気に彼女へ降りかかる。
流石に急に顔面へめがけて薬を振りまかれたのに驚いたのか、僕を手放して彼女はもがく。
落ちた衝撃も結構いたかったが、万が一に備えてもう一つ用意している中で‥‥‥ある程度もがくうちに、彼女の動きが止まった。
【ジュギギギィ‥‥‥キュ、キュルル‥‥‥キュ?ア、アレ‥‥‥?】
「良し、戻った!!」
【エ?何ガ…‥アルス!?ナンデボロボロ!?アレ!?音聞コエナイ!?】
僕の様子を見て慌てふためき、かなり混乱している様子の彼女。
でも、どうやら音が聞こえていないことが確認できる。
それもそうだろう。先ほど一気に彼女にめがけて噴射した薬は『遮音薬』であり、分かりやすく言えば強制的な耳栓状態を施す薬であり、文字通り音を聞こえなくするのだが‥‥‥どうやら、効力を見事に発揮して無事に元に戻ったらしい。
操っているらしい元凶が音と推測して、地下にある研究所までに来た事を考えるとただの音ではないとは思い、「すべての音」を聞こえないようにする薬効を考えたが…‥‥どうやら成功したようだ。正直、薬で音が聞こえなく出来るのかと思ったが、何となく想像して何とか製造できたようである。できなかったらそれこそ危なかっただろう。
とにもかくにも、今はこの対策が有効なのは間違いない。
「ハクロ!!僕よりもまずは、このスプレーを職員たちに渡しつつ、モンスターたちへかけてくれ!」
【アルス、何、言ッテイルノカ、ワカラナイ、聞コエナイ!!】
あ、しまった。音を全部聞こえない状態にする薬だから、声が伝わってないじゃん。
細かな設定をしたいけど、この状況だとしきれなかったし、どうするべきか‥‥‥
少々考えた末に、彼女が文字を読めるのを思い出し、都合よく砕かれた廊下の破片を利用して床に簡単に状況に関して説明した文を書いた。
そして内容を読んだ後、ハクロは理解したようで、次々に僕が作りだす薬缶スプレーを抱え、職員たちの元へ運びつつも速度を活かしてモンスターたちへ盛大に噴射させまくるのであった‥‥‥
突然研究所を襲った、モンスターたちの異変。
この薬でどうにか抑え込めそうだが、原因を突き止めねば意味がない。
何者の仕業なのか、すぐにでも調べたいが今は暴れるモンスターたちを抑え込むのであった‥‥‥
次回に続く!!
…‥‥ハクロ、落ち着いた後に自分が何をしでかしたのか理解したら、かなり落ち込みそう。




