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6,

 春樹さん達とラインを交換してから三日後、僕は焼き肉パーティに誘われ、雅さんと秋斗さん、灰さんとスーパーで肉や野菜を買い込み、春樹さんと秋斗さんが二人暮らしをしているマンションへ向かっていた。

 春樹さんと泪さんはホットプレートなどの準備をするため一足先に部屋で待っているのだそうだった。


「此処だ、着いたぜ」


 春樹さんと秋斗さんが二人暮らしをしているマンションは思っていたより少し質素だったが、セキュリティはそれなりに整った所みたいだ。

 先に一階にあるポストに郵便物がないことを確認して、エレベーターに乗り四〇五と書かれた部屋の鍵を部屋の主の一人である秋斗さんがダメージジーンズのポケットに入れてあった鍵で開ける。

 部屋の中は綺麗で広くて、綺麗だけど質素な玄関には女物のピンヒールの靴が一足脱いであった。春樹さんの物だろうか? でも春樹さんはあからさまに女性モノという感じの服装はしないみたいだしこれは泪さんのだろうか。促されるまま僕は一番最後に玄関に靴を脱いで室内に入った。


「うぃー。泪、春樹は?」

「秋斗さんからライン入ってすぐにちょっと出掛けるって出てったよ」


 玄関に脱いであったのはやはり泪さんの靴だったようで、彼女は我が物顔でソファーに背中を預けてファッション雑誌を読んでいた。泪さんは路上ライブの時と違い、この前会った時よりも髪型もメイクも服装も女性らしいフェミニンな格好をしていた。

 雅さん達はそれぞれ買ってきた物の整理や調理をしにキッチンへ向かう。僕は手持ち無沙汰で邪魔にならない様なところで突っ立ているしか出来なかった。

 それにしても、春樹さんは一体どこに?


「すぐに帰ってくると思うよ」

「え?」


 泪さんは気怠げそうに雑誌を閉じ、ゆっくりと立ち上がる。


「あ、春樹さんと野菜の準備はしといたんだけど、足りない分は・・・・・・」

「おー、テキトーに買ってきた」


 泪さんがキッチンにいたバカップルにそう伝えるより早く玄関の扉を開ける音がしてそして落ち着きながらも慌てたような足音が僕達のいるリビングに向かってきた。

 そして、


「よう」

「あ、こんにちは」


 三日会った春樹さんは、少し余裕がなさそうな感じがした。

 この暑い夏の昼間に何処に行っていたのだろうか。整った顔に汗が滲んでいた。

 指輪やブレスレットでごちゃごちゃした右手には何処かのブランドか何かの紙袋。


「あれ? 春樹さん、それうちのショップの袋じゃない?」

「あらあら、ホントねぇ」

「バカ兄貴は黙って」

「ルイちゃん、酷い・・・・・・」


 折りたたみ式のテーブルを出して、ソファーの前に元々置いてあったテーブルとくっつけながら荒木兄妹が漫才(一方的に灰さんが言い負かされているだけだが)を始め、キッチンではバカップルが夫婦漫才をしているのを苦笑しながら春樹さんは頭を軽く掻く。

 春樹さんは相変わらずの奇抜な髪をがしがしと乱暴に掻いて、少しイライラしたように、持っていた小さめの紙袋を押し付けてくる。


「え? あの・・・・・・?」

「・・・・・・この近くに泪と俺が働いてるショップがあるんだ。これは遅いけど誕プレ」


 春樹さんが紙袋を受け取れと急かす。僕は戸惑った。


「え、あの・・・・・・」

「早く受け取れって。じゃねぇとお前を食うぞ! 秋斗がな!」

「はぁ?! なんでオレなんだよ」


 春樹さんの爆弾発言をどう突っ込めば良いのか分からなくて、僕は困惑するしかないけれど、キッチンから焼き肉の材料を片手にやってきた秋斗さんが爆弾を投下した双子の姉の頭を軽く叩く。


「いって! なんだよ! よく見たらやっぱ従兄弟だし似てんじゃん! 食えるだろ?」

「あー? ・・・・・・・あー、雅をこう・・・・・・ちょっと幼くした感じだな」

「だろ?」


 いや、春樹さん秋斗さん。勝手に話を進めないで下さい。差し出された紙袋をどうすればいいのか分からないし、よく見ればなんだか雅さんが変だし。雅さん、怒ってる?


「はいはい、二人とも変な方向に話がずれてるわよん。ジュンちゃんが困惑してるから話戻しましょ」

「あー、そうだな。・・・・・・頼むから、洵、受け取って」


 ドクン・・・・・・。春樹さんのその切ない表情に僕の心臓が跳ねる。あの路上ライブで歌っていた時のような切なく儚い、守りたくなるような、そんな表情。


「・・・・・・ありがとう、ございます」


 僕がその紙袋を受け取ると春樹さんは安心したようにふっと笑顔になる。

 嗚呼、彼女のことだ、あの儚い表情もこの愛らしい笑顔も色んな人に見せてきたのだろうな・・・・・・。って、僕は一体何を考えているんだ。


「・・・・・・気に入ってくれるといいんだけど。よし、飯にしよーぜ」


 焼き肉の準備が整い、僕は勧められるまま雅さんと春樹さんの間に遠慮しながらもお邪魔した。だけど、やっぱり雅さんの様子がおかしい。心此処にあらずという感じだ。だけど、宴は始まる。


「「「かんぱーい」」」


《sins》のメンバーは泪さん以外が成人済みらしい。雅さんと灰さんが同い年で二十二歳、春樹さんと秋斗さんが二十一歳、最年少の泪さんは十九歳。未成年の僕や泪さんには飲酒を強要しないから人は見た目によらないと改めて思う。


「少年、キミって小食なの?」

「え? あ、いや、そういうわけでは・・・・・・」

「洵、遠慮すんな、ほら皿貸せ」

「あ、ありがとうございます・・・・・・」


 何となく申し訳なくなってあまり食が進まなくて食べていないでいると女性陣から心配されてしまい、春樹さんに至っては僕の紙皿を強引に奪いちょうど頃合いの野菜やお肉を沢山入れてくれた。

 僕はついその整った横顔を見つめていた。長い睫毛、切れ長の凜々しい瞳、程々に高い鼻、薄い唇と耳にピアス。瞳の色素が薄いのはカラコンだろうか?


「ほら。・・・・・・ん? 俺の顔になんかついてるか?」

「え? あ! な、何でも無いです。ありがとうございます」

「おう」


 自分にこんな風に優しく好意的に接してくれる人間があまりいないからか、人にどう接したら良いのか分からない。見つめてしまっていたことを気付かれてしまい動揺してしまった。

 コミュニケーション能力に欠陥があるからこんなにおかしな行動をとってしまうのだろうか? それとも・・・・・・。


「つーかよぉ、雅もあんま食ってねぇなぁー」

「え、あ、いや、食べてるよ?」


 僕と春樹さんのやり取りを見て、若干目が虚ろな秋斗さんが雅さんに絡みつきに行くが、やはり雅さんの様子がおかしい。この二人の関係が恋人だということを知ってそんなに経っていないが秋斗さんがこういう風に雅さんに絡む時は雅さんは真っ赤になって狼狽えるのに今は浮かない顔をした。浮かない顔、というか前に秋斗さんが「泣きそうな顔」と言ったその表情に似ているようなそんな表情。

 というかその前に秋斗さんの目が据わってるのはどうしてだ。


「オレはお前を食いたい。今すぐ。つーか、部屋まで待てねぇ此処でヤる」

「え?! なっ、なななな何言ってるんだよ秋斗!」


 虚ろというか目が据わっている秋斗さんは決め顔で雅さんの顎を掬う。雅さんは真っ赤になって狼狽える。やっぱり雅さんの様子がおかしいのは気のせいか。うーん、気の、せい?

 ・・・・・・秋斗さんがとんでも発言をしたことは聞かなかったことにしよう。


「あらあら~。アキちゃん酔ってるわねぇ」

「んいやー、酔ってねぁじょー? んふふふふー。み~やびぃ~」

「わっ! こら秋斗!」


 まだアルコール度数三パーセントの缶酎ハイをひとつ開けても無いくらいなのに既に泥酔状態なのか、秋斗さんは上機嫌に自身の恋人に絡みつく。

 そんな恋人を嗜めながらも恋人を愛おしそうに彼を受け入れる僕の従兄弟。ああ、そうか。雅さんが少し不機嫌に見えたのは、やきもち、というモノなのかもしれない。


「秋斗さん、お酒弱いんですか?」

「そうなんだよ。激弱。だからあんまり飲まねぇんだけどな」


 恋人にくっついて離れない双子の弟を優しく見つめながら煙草に火を付けようとして春樹さんはハッと思い出したようにそれを止め、小さく「あぶね」と呟いた。


「今日はアキちゃんご機嫌だから」

「暑苦しい」


 雅さんと秋斗さんがくっついたまま焼き肉をつつき始め挙げ句の果てに雅さんに食べさせろという風に催促する秋斗さんの隣で、ニヤニヤと含みのある笑みを浮かべている灰さんと、春樹さんの隣で溜息を吐きながら眉間に皺を寄せ呟くも本気で嫌がっているわけではなさそうな泪さん。このメンバーは本当に信頼し合っているのだと羨ましくなり、少し苦しい。

 すると、秋斗さんの世話をしながらやけにご機嫌になった雅さんがいやらしく微笑む。


「春樹がご機嫌だと秋斗もご機嫌になるんだよ、洵」

「え?」

「み、雅!」


 雅さんの発言に慌てふためく春樹さん。一体どういうことだろう?


「ハルちゃんも女の子なのよ、ジュンちゃん! うふふ!」

「な、なんだよお前等! そ、そんなことより飯食え! 飯! 焦げるだろ!」

「はいはい」


 春樹さん以外(秋斗さんは酔っていて別の意味でご機嫌)がニヤニヤと微笑みだし、拗ねる春樹さんはばつが悪いのか頃合いのお肉を口いっぱいに頬張る。リスみたいで、可愛いと思った。


(年上のお姉さんに何を思ってるんだ、僕は)


 でも、普段は男前だろう彼女の可愛らしい一面を見られて嬉しかったのは僕もニヤニヤしていたみたいだ。


「・・・・・・洵、お前もなんでニヤニヤしてんだ」

「いたたたたっ」


 緩んでいた僕の頬を恨めしそうな春樹さんが思いきり引っ張る。が、何故かその少し不機嫌な彼女は僕を見つめたまま何かを考える。


「・・・・・・あの?」

「ああ、悪い。やっぱ雅と血が繋がってんだな」

「え? は、春樹さん?」


 彼女は僕と雅さんの血縁関係を確認すると僕の長くて邪魔な前髪を上げたり分厚い眼鏡を外してみたりと僕の顔面を弄くり回す。


「確かに似てるね」

「困り顔がまたよく似てるわね~。アキちゃんも公認だし!」

「だよな? 洵、お前、髪切ったりしねぇの?」


 確かに僕と雅さんは従兄弟同士だ。でも、僕なんかと雅さんが似ているなんてあり得るはずがない。醜い僕と、名前の通り美しい雅さんは最早別の生き物だと僕は思っている。


「いや、、僕は・・・・・・」


 ふと、隣の美しい従兄弟を見ると、優しい微笑みで僕を見つめていた。この微笑みが凄く心地良い。僕が大嫌いだったあの偽善的な笑顔に似てるけど、今は腹が立たないどころか、こんなにも安心するなんて。


「おあえらなぁ~! 俺の雅が一番に決まってんらろぉ~!」

「はいはい、もうお酒はやめような、秋斗」

「あ~? ケチくせぇなぁ~。じゃあ、お前のせ・・・・・・」

「何言ってんだっていうか、ちょっ秋斗!」


 急に覚醒した泥酔秋斗さんは爆弾を投下し自慢の恋人にセクハラをかましながら幸せそうに夢の中へと旅だった。


「だめだこいつ完全に悪酔いしてんな。つーか落ちたか」

「ハルちゃんがご機嫌だからしかたないわよ~」

「灰! うるせぇぞ! 泪もニヤニヤすんな!」


 笑顔が絶えない。

 雅さんがいきいきしている、と思った。

 昔、といってもほんの数年前だけれど一緒に実家で暮らしていた時の雅さんは友人にもなにもかにもに恵まれていたのに何処かつまらなそうに生きている感じがした。ある時期より以前は。その時期に雅さん達は知り合っていたのだろうか。

 今、幸せなんだろうな・・・・・・。

 本当に信頼しあっているこの人達が、苦しい。

 この宴の間、僕は、僕とこの人達の間に透明だけれど分厚い壁があるような感覚を感じていた。でも、とても心地良い。


「皆さんは普段何をしている人なんですか?」


 そんな心地よい幸福感が手伝って僕は思わず気になっていた質問をしてしまい、口に出してからしまったと思った。


「俺と泪は専門学生だよ。俺がボーカル専攻で泪が被服専攻」

「アタシは雅と同い年だけど大学生よん! 映像編集のお勉強中!」

「馬鹿兄は浪人してんの。そこの泥酔してる人はCDショップの正社員だよ」

「あいつはあれでも正社員なんだよ。びっくりだよな」


 だけど、春樹さん達はその失礼な質問にもなにも不審がらずに冗談を交えながら答えてくれる。

 音楽活動をしていくには結構な資金が必要らしく正社員の秋斗さん以外はバイトを掛け持ちしているのだという。

 春樹さんはジェンダーレスなアイテムを扱っているアパレルショップ、引っ越し屋、他にも短期で色々。

 灰さんは春樹さんと同じ引っ越し屋と音楽パフォーマンスのあるバー。

 泪さんは春樹さんと同じアパレルショップと居酒屋。

 ちなみに雅さんはファミレス、そして灰さんと同じバーでピアノ演奏をしたりもしている。



「秋斗、寝るなら寝室行こう、ほら」

「んんー、んふふふふ~、みやびがさそってるふふふふふ~」


 宴はお昼から始まりかなりの時間を僕は雅さんと《sins》の四人と一緒に過ごした。人生で初めてこんな長時間を人と過ごしたかもしれない。嘘を吐いていた『あの人』ともこんなに長くは過ごさなかったなと心地よい疲労感を感じていた。

 初っ端から泥酔していた秋斗さんは上機嫌だけどもう殆ど夢の中で、でも、恋人に甘えたまま幸せそうにしている。そんな年下の恋人を優しく寝室へ連れて行く僕の従兄弟。

 その直後、寝室から微かに聞こえてきた声は聞かなかったことにしよう・・・・・・。


「やっぱり、雅達の関係には困惑かしら」

「え? あ、いや、困惑というかなんというか・・・・・・」


 そんな一連の動作を宴の片付けをしながら優しく見守っていた灰さんの言うとおり、確かに僕は今困惑はしている。だけど、今は不思議と嫌悪感を伴うモノではなく、本当に少し混乱しているだけだ。僕にはもう訪れないだろう『幸せ』に対する羨ましさも大きい。


「あいつらは最初、犬猿の仲だったんだ。秋斗は仲間想いだけどどっちかというと不良だし、雅はクソ真面目な優等生だし。でも、お互いがお互いの良さを知って急激に仲良くなって気付いたらこうなってた」

「あの変化にはびっくりしたわよね~」

「生徒会長兼風紀委員の優等生と校則違反常習犯がいつの間にかよろしくしてんだから」


 春樹さんと灰さんは優しく微笑む。

 雅さんに変化が起きた時期をすぐに理解出来る。雅さんが音楽の道を極めたいと宣言したあの時期だろう。叔父さん達は厳しく、学歴を重視する人達で、自慢の操り人形をどうか偏差値の高い良い大学に・・・・・・日本でトップクラスの某有名大学にと推していた。操り人形は反抗もしないただの言いなりなつまらない人だったけどその時期を境に操り人形は自我を持った。


「その時期って、五年前・・・・・・雅さんが高二の夏くらいじゃないですか?」


 もうその頃には僕もひねくれて他人の幸せを恨んでいたからああ何か良いことでもあったのか幸せそうで吐き気するという感情しかなかったけれど。


「確かそのくらいだよね。話聞いてて何この純愛ドラマって思った。私が《sins》に入った時はもうバカップルだったから変化の具合は知らないけど」

「ああ、泪はまだ中学だったしまだ知り合ってない時だからな。まあ、あいつらもやっぱ偏見やらバンド内の恋愛事情やらで苦しんでるみたいだけどな。やっぱ同性だし、バンドは人気商売だから」

「まあ、バカップルだけどね」


 偏見・・・・・・。今もまだ偏見に苦しめられてるのに雅さんは何故、僕と《sins》を会わせたのだろうか。そして、何故この話をこの人達は僕なんかに話してくれているのだろうか。


「さーて、もう遅いわ。ジュンちゃんおうちまで送ってあげる」

「え! い、いや、一人で大丈夫ですよ!」


 外はまだほのかに明るいし、いじめられっ子の根暗男に襲ってくる物好きな輩はさすがに無いと思うし、逆にグレーゾーンの灰さんとの方が貞操の危機を疑ってしまう。


「やっだー、アタシはそんな節操なしじゃないわよぉ」

「いった! 灰さん思い切り叩かないで下さい!」


 見た目はスレンダー系美女なのに力は普通に成人男性以上はあるその腕力で攻撃されると心底痛い。咽せるほどの衝撃。


「ホントに灰はそこんとこ大丈夫だから送ってもらえよ、洵」


 春樹さんの優しい笑顔は安心する。何故だかは分からないけれど。


「うー・・・・・・。じゃあ、お言葉に甘えます」

「まかせて!」


 ウインクを一つ飛ばす灰さん。いちいち牝感(めすかん)のある言動と見た目で筋肉がそんなに付いている様に見えないから油断すると灰さんがグレーゾーンであることを忘れてしまう。


「泪はどうする?」

「私はこれから居酒屋バイトだから一通り片付いたら出勤するよ。というかこの着信音春樹さんのじゃない?」


 突然流れ出した曲は僕も大好きな《カナリアナイト》の一曲だった。タイトルは確か『堕ちて』だ。切ないながらも狂気じみた曲でファンの間では狂愛曲と言われているらしい。


「・・・・・・あー、ちょっとすまん」


 春樹さんはその着信音を聞いた瞬間少し眉間に皺を寄せた様に見えた。あまり気乗りしない相手なのだろうか。愛用のiPhoneを手に取りそそくさとまだ蒸し暑いだろうベランダに出て行ってしまった。

 結局、春樹さんはその電話の相手に呼び出されたらしく後片付けが終わって僕と灰さん、泪さんと共に部屋を後にした。

 僕はあの着信音を聞いた後の彼女の反応が気になったが、春樹さんは「あのバカップルの情事中の声なんか聞きたくないしちょうどよかったよ」と微笑むだけだった。

 僕が雅さんの部屋に住み着くようになる前、彼らは雅さんの前の部屋でよく愛を囁き合っていたと聞き僕は本当に何処に行ってもお邪魔虫だなとネガティブを発動したけれど、僕が雅さんと暮らすようになる前も雅さんはよく実家に帰り僕の様子を見に来ていたしそういう日は秋斗さんは仕事などで会えなかった日らしい。


「お前は色々気にしすぎ。世界はお前が思ってるほどお前に攻撃的じゃないよ」


 優しく春樹さんが僕の頭を撫でる。ああ、本当にこの人は優しい。なんて心地良い微笑みなんだろう。

 でも今その微笑みが何処かぎこちない事を気付いたのは僕が人の顔色を伺って生きているからだろう。

 僕はどうしても春樹さんの事が気になったけれど付き合いの長いだろう灰さんも泪さんもそんなに気にしていなかったようでそれが僕の疑問を余計に増幅させた。


「じゃあ、俺は・・・・・・」


 春樹さんが僕達の前から早々と離れていこうとする。そんなに僕達に会わせたくないのだろうか。人混みに春樹さんが飛び込もうとした瞬間・・・・・・。


「春樹」


 ぞわり・・・・・・。

 人混みの中から聞こえた妖艶な女の声に僕は何故か悪寒し背筋に嫌な汗が流れる。何と表現すべきか分からない。ただ、その闇を含んだ妖艶な声に、そしてその声の主の美しい容姿に貼り付けた狂気じみた微笑みに僕は『恐怖』した。本能が「この女から逃げろ離れろ関わるな」と警鐘を乱打する。


「あ、ごめん、茉妃奈(まきな)さんお待たせ」


 カツカツカツと凶器じみた無駄に高いピンヒールを鳴らし『茉妃奈』と呼ばれた女が春樹さんに近づいてくる。年齢不詳で派手な化粧に派手なファッション・・・・・・。厚化粧の顔に微笑みを見せているがその瞳は、笑っていない。

 春樹さん! その人はダメだ! 逃げて! 逃げて! 逃げて!


「あら? 春樹、その子は?」


 春樹さんに絡みつくその女は僕の存在を確認すると、悪寒がするような妖艶な微笑みを僕にぶつける。獲物をロックオンしたハンターの様な瞳に寒気しかしない。


「雅の従兄弟だよ」

「ふーん? あまり似ていないわね。さあ、春樹行きましょう?」

「そうだね。じゃあ、またな」


 春樹さんが人混みに消えていく。

 何故あの女に寒気がするのか。理由の一つは簡単に理解出来た。僕を罰ゲームの標的として利用したあの先輩と同じ瞳をしているのだ。


「・・・・・・ホント、嫌な人」

「泪さん?」

「・・・・・・じゃあ、私はこっちだから。そこの変態に気をつけてね少年」


 泪さんは僕に一抹の不安を投下して、春樹さん達が消えていった方向とは逆の繁華街へと飲み込まれていった。

 ポツリと彼女が吐いた毒。あの茉妃奈という女に嫌悪の色を込めて放った言の葉。あの女にネガティブな気持ちを抱いていたのは僕だけではなく泪さんもだった。そして泪さんと別れ、少しの不安もありながら人の多い道から小道へと歩いていると灰さんが口を開いた。


「あの人の事、気になる?」

「・・・・・・少し」

「・・・・・・きっとジュンちゃんが抱いた感情は、外れてはいないわ。ルイちゃんも、アキちゃんも、雅も・・・・・・ハルちゃんですら同じような感情を抱いているの」


 空を見上げ、一呼吸置いて、灰さんは「勿論、俺もな」と本音を表す。


「あの、茉妃奈さんって一体・・・・・・」

「《sins》のファンクラブの会長よ。そして、時限爆弾でもあるわ」

「・・・・・・時限、爆弾?」


 ファンクラブの会長ならバンドとして喜ばしい存在のはずが、何故爆弾呼ばわりなのか。僕が抱いた感情が正しいのならなにか裏がある人なんだろうけれど、灰さんはあの人には気をつけろと僕に警告したきりあの人について詳しくは教えてくれなかった。

 疑問に思いつつ、でもこの事は僕には関係の無いことなのだろうと思うことにした。

 雅さんと二人暮らしをしているマンションに着き灰さんにお礼を言い一人部屋に入る。 泪さんが僕に投下した不安は只の冗談で終わった。というか、灰さんは何かを隠そうとしてああいうキャラクターを演じているような気がする。

 僕は様々な感情を整理しながら自室で春樹さんがくれたプレゼントの包装を剥いでいく。中から現れたのは派手でもなく安っぽくもなくセンスの良い、少し長めの黒のリストバンドだった。春樹さんと泪さんが働いているというブランドのモノだろうか、小さくロゴが入っているがそんなに厳つくもなく地味な僕でも違和感が作動することもないシンプルなデザインだった。

 嗚呼、最近の僕は何でこんなにも情緒不安定なのだろう。

 僕は、春樹さんがくれたリストバンドを握り締め一人泣いた・・・・・・。

 僕は、僕の居場所を見つけた気がした。

 そして、浮かれていたんだ。


 僕は春樹さんにもらったリストバンドというお守りを身につけて始業式に来た。

 相変わらず嫌がらせを新学期早々受けていたが気にならない。僕の居場所は別の場所にある。優しい人達が僕を認めてくれている。だから大丈夫。そう自分に言い聞かせていれば不思議と苦痛は和らいだ。だけど。


「玖木、うちは装飾品は禁止だ。それを外しなさい」

「え・・・・・・?」


 講堂の入り口に立っていた生徒指導の教師に止められてしまったが、装飾品がダメというならピアスやネックレスなどを身につけている生徒は堂々とその教師を通り過ぎているのは何故。それに、僕は今日も長袖だ。リストバンドなんて見えるか見えないかだし包帯を巻いていた時は何も言われなかったのに。


「あの、これは・・・・・・」

「いいから外しなさい!」


 教師が僕の腕を掴み、そのままリストバンドを奪う。その下には沢山の自傷痕。それを見た教師は眉間に深い皺を寄せ嫌悪の顔をする。


「前々から思ってはいたがなんだこれは! 親から貰った身体をこんなにしてまでお前は生きている価値はあるのか? こんなことをするならいっそ死んでしまえ!」


 教師が生徒に対して「死んでしまえ」とは。

 沢山の生徒がいる前で、大切なモノを無理に奪われ、傷を晒され、罵倒され・・・・・・。此処は拷問を受ける場所だ。そうに違いない。周りは嫌悪の顔や嘲笑の顔をしている。いっそ本当に死んでしまっていた方がよかったのか。優しい人達に出逢って肯定され僕は浮かれていたんだ。バカだ・・・・・・。僕の中で何かがプツリと切れた。


「な! お前、な、なにを・・・・・・!」


 周りの教師達も生徒達も僕の行動に凍り付く。

 僕はポケットに入れてあったカッターナイフを教師に向ける。

 もう、本当になにもかもこの学校には未練など無い。


 ――かしゃん・・・・・・


 僕はカッターナイフを教師の足下に投げるがその行為にワケが分からぬというバカ面に冷ややかに嘲笑ってやる。


「そんなに死ねというなら貴方がそれで僕を刺せばいいですよ。こんな世界に僕はもう未練なんてないですから」


 嘘だ。未練ならある。

 あの優しい人達ともっと笑い合いたかった。

 もっとあの優しい声に包まれていたかった。


「と、とにかくコレは没収する。いいな」

「それは・・・・・・!」


 それは大切な宝物なんだ! 返してくれ!


「駄目だ。早く席に着きなさい!」

「・・・・・・っ」


 没収されてしまったリストバンドが気になって始業式の内容なんて何も頭の中に入ってこない。嗚呼、僕は愚かだ。大切なモノをこんな所に持ってくるんじゃなかった。

 始業式後、高校の誰も居ない屋上の片隅にうずくまる。教室なんかに僕の居場所は無い。

 僕の苦痛を書き殴ったノートを風が捲る。


「あれ? クキくんじゃん。うずくまってオナカでも痛いの?」

「!?」


 僕以外誰も居なかった屋上は簡単に他の生徒達を招き入れる。この生徒達は同じクラスの、しかも率先して僕を攻撃してくる奴等だった。僕は咄嗟にノートを隠す。

 この高校は県でもトップクラスの進学校だ。生徒も教師も外面は良い。近所でも評判は良い方なのだが、一歩校内に足を踏み入れると滲み出る悪意から逃げることなど出来ない。

 地獄とはこの場所のことを言うのだと思う。


「お? こいつなんか隠したぜ!」

「おい、隠すなって。俺達とクキくんの仲じゃん」

「っ・・・・・・!」


 奴等は笑顔で何も躊躇わずに僕に蹴りを入れ、僕からノートを奪い取ろうとする。僕は必死に抵抗したが、奴等は僕への攻撃をやめない。何が「クキくんと俺達の仲」だよ。お前等は僕を暇つぶしの道具かストレス発散のサンドバッグとしか思ってないじゃないか!


「・・・・・・なせっ! はなせ!」

「ちっ、しつけー、な!」

「っ・・・・・・! げほっ・・・・・・」


 奴等の一人の蹴りが僕の鳩尾に入り僕の抵抗の力が緩んだ隙に僕からノートが逃げる。


「うっわ、きも。おい、見ろよ!」

「やめ、ろ・・・・・・」

「なんだこれ? うっわお前痛いわ~」


 汚物を扱うように僕のノートは次々と屑共の手に渡っていく。溢れだす嘲笑。溢れ出す憎悪。蹴りをいれられた鳩尾を押さえながら上半身を起こす。いっそこいつ等をカッターナイフで刺してしまおうかとポケットに空いている方の手を入れようとした時、僕の書いた言の葉が目の前に落ち、それを取り戻そうと左手を伸ばすと力一杯踏みつけられ鈍い音がした。そして、走る激痛。


「・・・・・・っっっ!」


 僕の左手を殺した屑がニヤリと口角を上げる。


「お前さ、そんなに消えたいなら仕方ねぇから俺達が手伝ってやるよ!」

「お前には手首切ってまで生きてる価値はありませーん!」

「ぐぁっ・・・・・・げほっ・・・・・・」


 激しい打撃を何発も食らい僕の意識が遠のく。

 僕は、なんだっけ・・・・・・?

 サンドバッグ?

 ボロぞうきん?

 それともこいつらの親の(かたき)

 僕はこいつらの何?

 僕はこいつらに何をした?

 僕はただ息をしているだけじゃないか!

 僕を蔑んだ目で「きもポエマー」を嘲笑する声とノートが破られる音を聞いて僕は意識を飛ばした。

 次に僕が意識を取り戻した時にはもう空が真っ赤に夕焼けしていた。

 周りには無残な姿になった言の葉が散乱していて、僕を嘲笑うように風が言の葉を持って行ってしまう。


(・・・・・・ウォークマン、持って来てなくてよかった・・・・・・)


 あれだけは絶対に失いたくない、僕のたからもの。

 もう一つもたからものは返ってくるんだろうか・・・・・・。

 もう、生きていたくない・・・・・・。こんな世界で生きていたって意味が無い。中途半端に傷つけていくくらいならいっそ、本当に殺して欲しかった・・・・・・。

 傷だらけでぼろぼろになった僕は何故か雅さんと暮らしていたマンションではなく叔父さん達の家に帰っていた。

 その日は、幸い僕のバイトは休みの日だったし叔父さん達は出掛けていたけれど、運悪くあの優しい従兄弟も実家に帰ってきていた。足下には大きな荷物。


「洵!? その怪我、どうして・・・・・・」

「・・・・・・なんでもない」

「なんでもなくない! なんで洵がこんな仕打ち受けなきゃダメなんだ! なんで・・・・・・」


 嗚呼、綺麗な従兄弟は涙まで綺麗だな。僕とは大違いだ・・・・・・。

 綺麗な優しい従兄弟はiPhoneを取り出し何かタップし始める。


「・・・・・・何してるの」

「警察に電話する」


 そんな事をしても無駄だよ。だって・・・・・・


「・・・・・・もう・・・・・・」


 死にたい。

 初めて雅さんに僕の本音が零れた。

 嗚呼、むかつくなぁ・・・・・・。なんで泣きながら僕を抱き締めるの?

 もう、いっそ突き放してよ。僕の決意が揺らぐから・・・・・・。

 僕の腫れ上がった左腕からは奴等に付けられた怪我とは違う、深い切り傷から大量に出血していた。

 僕はその後、五日間くらい記憶が無い。気が付くと白い天井の部屋で寝ていた。


「あ、起きた・・・・・・?」

「みやび、さん? ぼくは・・・・・・ぃっっ!」


 僕は起き上がろうとしたけれど胸に激しい痛みが走り起き上がれない。


「起き上がっちゃダメだ。今、看護師さん呼ぶから寝てて」


 従兄弟はベッド脇の丸椅子から立ち上がり、僕の枕元にあったナースコールを押す。

 するとすぐに今日の担当だろう看護師が僕の病室にやって来た。

 話を聞くと、僕は心労、全身の打撲と肋骨と左手の骨にはひびが入り、そして左手首の出血による出血多量で意識を失っていたらしい。そんな傷で歩いて帰ったことに驚きだと言われた。

 僕が眠り続けていたその間もずっと雅さんは傍で見守ってくれていたのだという。本当にこの従兄弟は優しすぎるよ。

 一通り数値を測ったりして看護師が病室を去って行くと、雅さんが口を開く。


「洵、ごめんな。俺は洵のこと一番近くで見てたのにこんなことになって・・・・・・」

「・・・・・・雅さんのせいじゃないよ。僕が弱いからこうなったんだ・・・・・・」

「そんなこと・・・・・・」


 秋斗さんが言ってたあの泣きそうな顔、今は不快ではなく、申し訳ない気持ちで張り裂けそうになる・・・・・・。


「・・・・・・ねぇ、雅さん」

「ん?」

「雅さん・・・・・・僕は、もう独りは嫌だよ・・・・・・」


 本音は、優しい従兄弟の目を見て言えなかった。でも、もう僕は、独りにはなりたくなかった。不安で心臓が痛い・・・・・・。


「バカだな、洵は。洵を見捨てる気なら実家に残ってた全部の荷物を引き払いに行くわけないし、それに秋斗達も心配してる」


 あの日、雅さんは実家に残っていた自分の荷物を全て引き払いに行っていたらしい。僕は、涙が止まらなかった。


「退院したら一緒にあの部屋に帰ろう」


 ――俺達が洵を独りにはしないよ。

 優しい笑顔を浮かべた瞳にはうっすら涙が見えた。


「・・・・・・っ・・・・・・!」


 僕はその綺麗な涙を見て気が緩んだのか壊れたように泣いた。

 止まらない。止まらない。止まらない・・・・・・。


「つらかった・・・・・・いた、かった・・・・・・くるし、かっ・・・・・・」

「・・・・・・うん。よく、頑張ったね」

「ぅぁぁぁぁぁっ・・・・・・」


 どうしてこの優しい従兄弟が嫌いだったんだろう。

 もしかしたら頼ってしまうことで『自分』を保てなくなるのを本能的に気付いていたからかもしれない。僕のために泣いてくれるこの人に認められることで『耐える』ということが出来なくなると分かっていたんだ。弱い僕が姿を現すから、現実から逃げたくて仕方ない僕が現れて必死に苦痛に耐える僕が消えてしまうのが分かっていたんだ・・・・・・。

 でも、雅さんは言ってくれた。「洵は逃げたんじゃない。自分の心を守ったんだ」と・・・・・・。

 退院するまで結構時間がかかったけれど毎日雅さんや春樹さんや秋斗さん、灰さん、泪さんが代わる代わるお見舞いに来てくれた。その度に僕の存在を肯定してくれるこの人達を僕は守りたいと思う。勿論オトモダチなんていないし、学校関係者や叔父さん達も来るわけなかったが、別にそんなことはもうどうでもいい。

 入院中に僕は高校を辞める決意をした。

 あの屋上の一件で学歴至上主義の人達からも解放されたし、もうあの学校で勉強していく意味を無くした。

 そして、自分の心を守ることにした。

 僕が通っていた高校はそこそこの進学校だったから周りも勿論頭が良い。

 だけど、そんな頭の良い人間全てが善い人間だとは限らない。あの高校や今の日本を見ていると本当にそう思う。

 春樹さんに貰った大切なリストバンドは無許可で処分されてしまっていたのはもう何があっても許せない。そんな大切なモノをあんな場所に持って行ってしまった僕も悪いがそんな非常識な学校でいて何が学べるというのだ。


僕は進学校を中退した。



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