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胸焼け

2019/08/29 17時 更新しました。

          ※




 ――カランカラン。

 木製の赤い扉を開くとベルの音が聞こえた。

 その音に反応して店員のお姉さんが顔を出す。


「いらっしゃいませ」


 そして営業スマイルで俺たちを迎えてくれた。


「二人なんですけど」

「二名様ですね。

 こちらのお席へどうぞ」


 店員さんが慣れた対応で、窓際の席に案内してくれた。


「お決まりになりましたら、そちらのベルでお呼びください」

「は~い」


 マニュアル通りの接客をこなすと、店員さんは去っていった。

 店内はアンティークな雰囲気でとても落ち着きがある。

 学生が来るには少し大人びた感じの店……という印象だ。


「どう? 雰囲気良くない?

 カフェ&バーなんだけど、昼はランチもなんかもやってて、カップルにも人気なんだって」


 カップルに人気……か。

 言われてみれば周囲には若いカップルが多い。


「見てよ、皆友くん。

 食事も美味しそうでしょ?」

「……ガレットがメイン、なんだな」

「うん。

 後はパスタとか、ロースのステーキとか、これなんてすごくない?

 モッツァレラチーズでキーマカレーを包み込んでるんだって」


 メニューに載っている写真はどれも美味しそうで、食欲をそそる。

 朝食を食べてなかったから余計にだ。


「……竜胆はどれにするんだ?」

「めっちゃ悩む~……デザートにパンケーキも食べたいし」


 うっとりとした眼差しでデザートを見つめる竜胆。

 よっぽど甘い物が好きなのだろう。

 だが、食事も合わせてとなると……。


「カロリーが相当高そうだが……」

「あうっ……そ、そうだよね」


 瞳の煌めきが薄れて上がっていたテンションがズーンと下がっていく。

 余計なことを言ってしまっただろうか。


「まぁ、竜胆なら少しくらい食べても大丈夫かもな」

「え……? どうして?」

「どうしてって……」


 問われたことで、思わず竜胆の身体に目がいってしまった。

 だが、スタイルがいいから……などと口にするのは恥ずかしい。


「そ、そうだ。

 パンケーキ、二人で食べないか? それなら量も丁度いいくらいだろ?」

「あ、それめっちゃいい!

 なら、注文したもの全部シェアしようよ」


 上手く話を逸らすことができた。

 だが、初めて来た店なら色々な物が食べたくなって当然だろう。


「んじゃ、そうするか。

 俺は……さっき竜胆がオススメしてくれたチーズキーマカレーにしようかな」

「あたしは……じゃあガレットにする。

 で……パンケーキなんだけど……このストロベリー生クリームでもいい?」


 尋ねられて写真を見る。

 名前のままにクリームとイチゴが盛り盛りだった。

 かなり甘いのは間違いないが、二人なら食べきれるだろう。


「ああ、竜胆が食べたいのにすればいい」

「……皆友くん、優しいんだ。

 ありがとう」

「じゃあ注文だな」


 机に置かれたハンドベルを鳴らして店員さんを呼ぶと、俺たちは注文を済ませた。




         ※




「お待たせいたしました~」


 料理は思っていたよりも早く運ばれてきた。

 机にはチーズキーマカレーと、半熟玉子とロースハムのガレットが並ぶ。

 ちなみにデザートは食後にお願いしていた。


「それじゃ半分こ、だよね?」

「ああ」


 スプーンでチーズに切れ込みを入れる。

 と、モッツァレラチーズとキーマカレーの香りが鼻孔に広がった。


「香りすごいね……。

 あっ、ガレットの方も切り分けちゃうね」


 ガレットの半熟玉子も竜胆は綺麗に切り分ける。

 半分にするのかと思っていたら、竜胆はさらに小さく一口サイズにした。


「これでOKだね。

 はい……皆友くん……」


 そしてフォークに小さくなったガレットをのせて、俺の口元まで運んだ。

 まさかこれは……。


「あ~ん、して?」

「じ、自分で食べるんじゃないのか!?」

「デートなんだから、当然、食べさせっこでしょ?」


 当然にしてはハードルが高い。


「皆友くんが食べてくれないと、残っちゃうよ。

 そしたらお店の人、がっかりするんじゃない?」

「ぐっ……」


 竜胆の中の小悪魔が顔を出した。

 どうしたら俺が断れなくなるのかよくわかっているようだ。

 だが、これはあまりにも……照れる。


「はい、あ~ん」

「……っ……パクッ」


 恥ずかしさに堪えて俺はガレットを食べた。

 半熟玉子がガレットの生地に染み込んでいて、濃厚な味わいが口の中に広がっていく。

「おいし?」


 美味しい……のだと思うが、竜胆の幸せそうな笑みを見ていたら、料理の味がわからなくなってしまった。

 ただ、ただただ……暴力のような甘い感覚が胸を襲ってくる。


「皆友くん、今度はあたしにあ~ん、して」

「む、無理だ」

「あたしだけあ~んさせるんじゃ、不公平じゃん。

 だから……あたしにも、してよ」


 竜胆の瞳が潤む。

 その熱っぽい眼差しを向けられて、俺の思考が鈍ってしまう。


「皆友くんのも、食べさせてよ……」


 ぷっくりとした綺麗な唇に竜胆は自分の人差し指を当てて、おねだりするみたいに言った。

 そして俺の返事を待たずに、彼女は口を開いた。


「ぅ……わ、わかった」


 もう自棄になり竜胆の口に食事を運ぶ。


「……んっ……あっ、ちょ、ちょっと……熱っ……」


 口に入れた途端、苦しそうに竜胆の顔が歪んだ。

 目尻に涙が浮かんでいる。


「わ、悪い。大丈夫か?」

「ん……へい、き……もぐ、モグモグ……」


 口を一生懸命に動かしている様子は、小動物のように可愛らしい。


「ごくっ……うん、美味しい。

 もう一回、欲しい。

 あたしのもあげるから……食べさせっこ、もっと、しよ?」

「も、もういいだろ。

 後は自分で食べてくれ」


 竜胆の上目遣いから逃れるように、俺はスプーンでキーマカレーをすくって自分の口に運んだ。

 ……モグモグ。

 うん、美味し――。


「ふふっ、皆友くん、気付いてる?」


 ニッと意地悪な笑みを浮かべる小悪魔。

 一体、何のことを言っているのか?


「それ、間接キスだからね?」

「……――んんんっ、ごほっごほっ……!?」


 竜胆の目がスプーンに向いているのに気付いた瞬間、俺は驚きから咳き込んでしまった。


「だ、大丈夫!?」

「へ、平気だ」

「ごめん。

 そんなびっくりすると思わなかったから」


 意識していなかったから余計にだ。

 言わないでくれたらよかったのに。


「皆友くんってさ……すっごく強いのに、可愛いとこあるよね」


 男に可愛いは誉め言葉じゃない。

 それに、


「……強い? 俺がか?」


 何をどうしてそう思ったのか。


「あたしのこと助けてくれた時……三人もいた相手を簡単に倒しちゃったじゃん」

「あれは相手が弱かっただけだ」


 それに俺は誰よりも、自分が弱いことを知っている。

 こんなに傷付くことに臆病な人間は、この世界にいないだろう。


「もしそうだとしてもさ、みんなが見て見ぬふりをしてる中で……皆友くんだけがあたしを助けてくれた。

 放っておくことも、見て見ぬふりをすることもできたはずなのに」


 さっきまでのふざけた雰囲気は消えて、竜胆は真面目の顔で口を開く。


「皆友くんが勇気を出してくれたから、何もなかったけどさ……あの時のこと思い出すと、まだちょっと怖いんだ」


 小さく震える自分の身体を、竜胆は両腕で抱きしめる。

 あの時の出来事はそれほどまでに、竜胆の心に傷を作っていたことに、俺は全く気付いていなかった。

 こういう時、どんな言葉を掛けるのが正解なのだろうか?

 もしも俺がコミュニケーション能力に長けた人間なら、何か言ってやれるのだろうか? でも、必死に考えても気の利いた言葉一つ……思い浮かばない。

 だけどせめて……俺は竜胆のことを安心させてやりたかった。

 こんな不安そうにする彼女の顔を見ていたくなかったから。


「竜胆……」


 俺は口を開いた。

 何かを伝えなければならない。

 でも、一体俺は何を言おうとしているのだろうか。


「あれだ……何か、あったら――」


 待てよ。

 お前は何を伝えようとしている。

 これは自身に対しての自問自答だった。

 まさか、俺を頼ればいい――などと言うつもりなのか?

 軽率なことを口にするな。

 そんな無責任なことを言う勇気があるのか?

 たった一部だけだとしても、誰かの人生に対して責任を持つなんて、俺にできるはずがない。


「皆友くん……?」


 突然口を閉ざした俺を、心配にそうに竜胆が窺っている。


「あ……いや、あいつらは、もう何もしてこない。

 だから、大丈夫だ」

「……うん。ありがとう」


 こんな曖昧な言葉に、竜胆を微笑を返してくれた。


「……――あのね、皆友くん……」


 続けて口を開き、竜胆は俺を見つめる。

 彼女の瞳は揺れていた。

 俺に伝えたいことがあるようだが、もう一歩を踏み出す勇気が出ないのか……。


「ごめん……やっぱりなんでもない」


 寂しそうに竜胆は笑うだけで、その先の言葉を聞くことはできなかった。

 少し自惚れるようなことを考え方をしてしまっているが、今のは竜胆が俺に告白をしようなんて雰囲気ではなかった。

 もっと大切な何かを、俺に伝えたかったんじゃないのか?

 でも……一歩踏み出せなかった俺が、竜胆に踏み込む勇気があるわけがなくて。


「とにかく、あたしは本当にキミに感謝してるってことだから!

 さ、冷める前に食べちゃおう。

 また、あ~ん、させてくれる?」

「それは勘弁してくれ」


 本気と冗談を交えた竜胆に、俺は苦笑を浮かべる。

 踏み入れず、踏み込まず。

 俺がこいつと最低限の関係を持てるとしたら、それが限界だ。


「あ、でもパンケーキは絶対に食べさせっこだからね」

「……強制なのかよ」


 その後、有言実行とばかりにお互いの口にパンケーキを運んだのだが……。

 甘美なデザートの味よりも、俺にあ~んして嬉しそうに笑う竜胆の方が、何十倍も何百倍も甘く、俺の心に胸焼けに似た感情を残していた。

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