デートの始まり
※
ピピピ、ピピピピピ――。
「ん……」
携帯のアラームを止めて身体を起こす。
ディスプレイを確認すると――時間は朝十時。
休日ということでのんびりしすぎた。
「……ん?」
ロック画面にメールが表示されている。
『今日のデート楽しみにしてるから、絶対来てよね。
遅れたらランチ奢ってもらうから』
続けて謎のマスコットキャラのスタンプが表示されていた。
着信時間は七時。
待ち合わせは十二時からなので、随分と早く起きていたようだ。
既読を付けてしまったので、一言……『遅刻はしなそうだ』と送っておいた。
我ながら、もう少し気の利いた言葉が出ないものかと思うが……寝惚けた頭ではこれが限界だ。
こんなでも、何も返信しないよりはいいだろう。
「……準備するか」
部屋を出てシャワーを浴びる。
ぼんやりとした頭が少しずつ覚醒して、同時に複雑な気持ちが沸き上がっていく。
『あたしのこと、もっとちゃんと意識してもらいたいから』
竜胆からのメールを思い出した。
俺は十分に竜胆を女の子として意識している。
それが伝わっていないのは、俺の及び腰な態度が原因だろう。
(……これ以上、関わるなと伝えるべきか?)
だが、もしそうなったら、理由を求められるだろう。
正直に話すなら、俺の過去のトラウマについて話すべきなのだと思うが……。
自分の黒歴史を進んで話したいと思う人間などいないだろう。
「……はぁ――よし!」
溜息と共に不安を吐き出し浴室を出た。
約束した以上はなんとしても今日を乗り切るしかない。
どれだけ柔軟に竜胆の発言や行動に対応していけるかが鍵だろう。
※
「あれ? お兄ちゃん……今日はちょっとおしゃれさんですね?」
着替えてリビングに行くと、ソファに座ってテレビを見ている天音が首を傾げた。
「ああ、これから出掛ける予定があってな」
「ふえ!? お兄ちゃんが休日にお出かけですか!?」
続けて我が妹は声を上擦らせ、物珍しそうに目を丸める。
その様子は完全に驚愕の域だ。
「……たまたま用事が出来たんだ」
「も、もしかして、彼女さんができたんですか?」
「いや、そこは普通、友達って言わないか?」
俺が疑問を口にすると、天音は首を左右に振った。
「お兄ちゃんに限って言えば、友達よりはまだ彼女の方が可能性は高いです」
流石は俺の妹。
俺のことを本当によく理解している。
「どんな事情かはわかりませんが……お兄ちゃんがまた、誰かと繋がりを持とうとしてくれるのは嬉しいです。
一人ぼっちは寂しくて、悲しいですから」
天音は笑みを浮かべる。
優しいけれど少し複雑そうな顔を見て、俺の胸は締め付けられた。
今、心の中にあるこの感情は、妹を心配させてしまっていることへの情けなさと、そんな弱くて無力な自分への苛立ち……だろうか。
「ったく」
「わっ……お、お兄ちゃん、何するんですか?
頭をわしゃわしゃしないでください」
妹の髪の毛を両手で撫でた。
優しい妹への感謝と照れ隠しも合わせて。
「んじゃ、行ってくる。
夜には帰って来るから、夕飯は一緒に食べような」
「はい! 今度、良かったら彼女さんを紹介してくださいね」
「言っておくが彼女じゃない」
それだけ伝えて俺は家を出た。
時間は十一時を回ったところ。
待ち合わせの時間前には余裕で到着できそうだった。
※
待ち合わせの場所は最寄りの駅。
家から徒歩で十五分。
かなり余裕を持ってその場所に到着したはずなのだけど……。
「え? ……あれって……?」
俺の目を奪ったのは人目を引く金髪。
遠目からでも美少女とわかる端正な容姿。
普段と違うのは竜胆が今日は私服であるという点と……話す相手がいないからなのか、スマホを見つめる表情がどこか退屈……いや、不安そうなことだろうか。
だが、そのアンニュイな表情は耽美な芸術品のように、周囲の関心を集めている。
「あ……!」
俺を見つけると、竜胆は表情を明るくして嬉しそうに手を振ってくる。
その瞬間――バッ! と、駅前にいた男共の視線が動いた。
恐らくだが、この男たちは竜胆をナンパしようとしていたのだろう。
同時に、竜胆と出会った時のことを思い出す。
(……美少女も大変なんだな)
容姿が優れているというのも、いいことばかりじゃない。
抱えていた不安を察して、俺は足早に竜胆の元へと向かった。
「お前、いくらなんでも早すぎないか?」
「だって、皆友くんとのデート……楽しみだったから」
「っ……」
満面の笑みを向けてくる。
「……何時に来てたんだ?」
「あ~えっと、あたしも、さっき来たとこだよ」
惚けるように視線を逸らした。
俺に気を遣っているようだが、これは絶対もっと前から待っていたに違いない。
「本当のこと言わないと帰るぞ?」
「ぇ!? そ、それずるい!」
「ってことは、やっぱりもっと早くから待ってたんだな」
「あっ……え、えと……十時、くらい、から……」
少しだけ顔を伏せて窺うように俺を見る。
その竜胆の姿は、親に叱られている子供を連想してしまった。
クラスの人気者の竜胆凛華が普段は見せることのないギャップが、正直とても可愛らしく見えた。
「一時間以上も待ってたのかよ……」
「で、でも……皆友くんのこと考えてたら、あっという間だったけどね」
「ぅ……」
竜胆はただ純粋に、感じたことを口にしてくれているのだと思う。
でも、それだけで俺の顔が熱くなっていく。
「あ……そだ。どうかな?」
その場でくるりと回る竜胆。
スカートがふわっと揺れて、思わず目を奪われてしまう。
「可愛い?」
今のはちょっとあざとい。
可愛かったけど。
「……似合ってる」
「ふふっ、嬉し。
皆友くんに可愛いって思ってもらいたくて、がんばったから」
なんなんだよ……一体。
俺に可愛いと思ってもらって、竜胆に何の得があるんだ。
「ひ、昼……食べてないよな?」
「うん。
行ってみたいお店があるんだよね」
ぎゅ――と、竜胆に手を握られた。
「なっ……お前……」
「デートなんだから、このくらいはいいでしょ?」
柔らかな感触と、竜胆の体温が伝わってくる。
竜胆の手は小さくて、そんなのわかっていたことだけど、女の子なんだって実感が強まってくる。
(……やばい……手、汗ばんでないか?)
俺は明らかに緊張していた。
「……お、お前、こういうの慣れてるのか?」
「な、慣れてるわけ、ないじゃん。
男の子の手なんて握ったの、皆友くんが初めてだもん」
「え?」
「……お、男の子とデートするのも初めてだから……ちょっと緊張してる。
その……手、汗ばんでたら、ごめん」
うっすらと赤くなっていた頬が、真っ赤に染まっていく。
竜胆も緊張してたのか。
「み、皆友くんは……初めて、じゃない、よね?」
「女子とデートするのがってことか?」
「……うん」
「いや、二人っきりは……初めてだ」
「そ、そうなんだ。
あたし……皆友くんの初デートの相手、なんだ……」
照れながら、竜胆は嬉しそうに笑った。
「と、とりあえず行こ。
お店、混んじゃうかもしれないから」
「あ、ああ」
俺たちはゆっくりと足を進める。
歩きながら竜胆は指を絡ませてきた。
恋人繋ぎ……という奴だろう。
「……っ」
「っ……」
お互いの間に会話はない。
でも、気まずさや不快感はない。
ただ互いを包む何とも言えない空気を、俺たちは感じ合っていたように思う。
こうしてギコチないながらも、二人の初デートが始まったのだった。