第一夜/中編
わたしは九鬼山の裏道ルートを黙々と登った。時折、心肺機能向上のためにダッシュしつつ、常時周囲の気配を探知しながら索敵能力も鍛える。
道中では、何人かの登山者とすれ違った。だが、登山口で遭遇した青年ほどお節介な輩は居なかった。確かに登山者の誰も彼もが、わたしの軽装を見て一瞬だけ心配そうな顔を向けてくるのだが、そこで挨拶以上の声掛けなどはしてこない。ただ会釈だけして、すれ違って山道を降りていくだけである。
当然、わたしも登山者に対して、声を掛けるなどせず会釈だけですれ違う。
そうして、一時間半ほどもすれば、山頂まで辿り着いた。
標準登山時間を一時間も短縮していたが、わたしにとっては、少し遅いペースだった。普段のわたしだと、一時間以内には登り切っている。
九鬼山の裏道ルートは幾度となく鍛錬で登っており、感覚としては庭を歩くのと同じ要領で、さして疲れもせず、それほど時間も掛からない。
「……やっぱり、どう調べても類似する記事がありませんね……」
山頂エリアに辿り着いた時、溜息と同時にそう漏らした。
ここに至るまでの道中、思い付いたキーワードでかたっぱしからネット検索を実施した結果、山頂で起きたという事件の痕跡は見付からなかった。唯一、それらしき情報は、ついこの間の満月の夜に呟かれた『血に染まった山』というコメントだった。その呟きには何やら画像も投稿されていたようだが、いまは消されている。
「とりあえず、展望台で食事しましょうか……」
ここまで徹底して情報がないと、あの青年の言葉はただの戯言だったのではないか、とさえ思えてきていた。こういう時に、柊南天の情報網がないのは厳しい。
夏休みということもあり、山頂エリアには決して少なくない観光客がいた。しかし九鬼山には、ホテルなどの宿泊施設がないため、山頂エリアで人が溢れるような大盛況になることはなく、また表道ルート付近のように外国人が多いということもなかった。
九鬼山を観光する登山客は、その大半が山頂まで来ることなく、ロープウェイから下山をすることが多いからである。記念に登頂することはあっても、観光名所としては売りが弱いからだろう。九鬼山頂は、ただただ見晴らしの良い広場があるだけで、景色を見ながらピクニックする程度の楽しみしかない。
そんな九鬼山だが、観光の売りは山の頂上ではない。
観光地として有名な九鬼山の売りは、八合目付近にあるテーマパークじみた動植物園であり、その傍にポツンと建てられた山菜料理をメインに扱う和料亭である。また、七合目付近にも、九鬼山を擬人化したオリジナルキャラクター『クッキーちゃん』グッズを取り扱うお土産専門店と、店内で野鳥観察ができる一風変わったカフェテリアがある。
それらの施設は、ロープウェイ乗り場から五分程度下山したところに点在しており、九鬼山を語るうえで外せない名所である。どんな観光ガイドマップにも、絶対訪れるべき観光スポットとして紹介されていた。
そのため、九鬼山を訪れる観光客は、主に二種類に分類される。
山登りを主目的とした本格派の登山者か、観光スポット目当ての観光客か、である。わたしのような軽装で訪れた人間は、パッと見で後者に分類される。
さて、そんな観光名所が別に存在しているおかげで、山頂エリアの展望台には常時、人が少ない。ここで食事している人間は、系統的に本格派の登山者が大半だった。
わたしは券売機で名物『鬼カレーライス』を注文して、端の方のテーブルに座った。
展望台の食事スペースには、軽装のカップルが一組、登山リュックを背負った女性の登山者が一人、大学生と思しき男子グループ三人が居たのみだった。横目で探りを入れるが、特段、不思議な気配はない。ただの一般人で間違いないだろう。
「……どうやって、情報を収集しましょうかね?」
鬼カレーライスが出来上がるのを待つ間、わたしはどうやって、この周辺で起きたであろう殺人事件を聞き出すか、悩んでいた。
わたしはどちらかと言えば、人見知りする方である。見知らぬ店員に声を掛けるのは、得意ではなかった。とは言え、聞かなければ調べられないのも事実である。
「あの……つかぬことをお伺いしますけれど……ここ最近、物騒な事件、起きたりしてませんか?」
「――はい?」
意を決して、わたしは注文した食事を持ってきてくれた店員に質問をした。店員はやたらと高圧的な態度で、どういうことだ、とメンチを切ってくる。
とりあえず下手に出つつ、もう一度繰り返した。
「九鬼山で、ここ最近、何か事件とか、ありませんでしたか?」
「……アンタ、学生さんっぽく見えるけど、記者さんなの? 悪いけど、何も知らないよ。ここでそういう風評被害を言われると困るんだよね!」
「え、ええ? すい、ません……」
「アンタらみたいに、勝手なことを言う輩のせいで、どんだけ迷惑だったか! 本当にやめて欲しいわ!」
店員は怒り心頭で怒鳴り散らして、キッチンへと戻って行った。
わたしはそこまで怒られる理由もわからず、あまりの剣幕に気圧されて、キョトンとしていた。すると、そのやり取りを聞いたからか、大学生と思しき男子グループが近寄ってきた。
「ねぇ、キミ。もしかして、満月に起きた例の殺人事件を調べてたりする?」
「――例の?」
馴れ馴れしい態度で、男子グループの眼鏡青年がわたしの正面に座った。そして、まるでわたしを逃がさないように、連れの二人が左右に分かれて真横のテーブルに陣取る。
さりげなく逃げ道を押さえているが、この立ち居振る舞いから察するに、武術の心得はない様子だった。ただナンパに手慣れたグループというだけだろう。対処は簡単だ。
わたしは少し怯えた様子を出しつつ、正面の眼鏡青年に、興味あり、とアピールした。この手の連中の扱いには、わたしも慣れている。
どうやって情報収集しようか困っていた矢先、逆にこの手のナンパ連中が来てくれるのは幸いである。情報だけ奪い取ってあしらえば良いだけだ。なんともついている。
「何か……ご存じなんですか? わたし、あまりよく知らなくて……」
「うんうん、俺ら、知ってるよ? ちょうど郷土史の研究、ってか心霊スポット巡りで、九鬼山に来ててさ――ところで、キミ、何ちゃん?」
「わたし、ですか? あ、わたしは――五十嵐葵、です」
咄嗟に、死んだ人間の名前を口にした。
生きている知り合いの名前を適当に口走ると、下手に調べられた時、生活圏の近くまで来てしまうかも知れない。今日以降、会うつもりがない連中相手には、死んだ人間に成り済ますのが一番良いことを学んでいる。
わたしの自己紹介に、ぴゅー、と無駄に口笛を吹きつつ、男子三人組は瞬間的に目配せしていた。ナンパ成功と、勘違いして喜んでいるのだろう。とりあえずその空気に乗ってやる。
「葵ちゃん、か。可愛いねぇ――オレは宇佐美立、九鬼商業大学の三年だよ。葵ちゃんは高校生?」
「ええ、高校二年生、です。私立五葉女学院に通っています」
「五葉!? 五葉って、あの名門お嬢様学校か!? ヤベぇ、葵ちゃん、ガチ令嬢じゃん!!」
「うぉぉ、メッチャ良い出逢いじゃんか。ねぇねぇ、この後さ、俺らと一緒に遊び行かない?」
「――ちょ、ハルト、レン、そうがっつくなって! ごめん、ごめん、葵ちゃん。ちょっとコイツら、結構なナンパ野郎でさ」
お嬢様を装って優雅に笑うと、途端に左右のテーブルに座った青年が色めき出す。
正面の眼鏡青年――宇佐美立も、口元をにやけさせながら、勢いよく前に乗り出す二人を手で制止していた。ちなみに、最初に反応した右側のテーブルに座っているのが、ハルト、であり、左側のテーブルに座っているのが、レン、らしい。
「……そ、そんな、お嬢様、とかじゃ、ないですよ?」
「おいおい、俺らがナンパ野郎? リツが一番面食いのナンパ野郎だろうが――おっと、俺は悠斗だよ。秋田悠斗! リツと同い年で、オカルトサークルのダチさ」
秋田悠斗、と名乗る青年は、三人組の中で一番体格がガッシリしていた。身長も一番高いだろう。180センチ前後で、かなり筋肉を鍛えている雰囲気を感じる。ただし、その気迫や圧力から察するに、運動能力は一般人以上アスリート未満と言ったレベルで、わたしからすれば肉達磨でしかない。
「俺は碇錬。レンって気軽に呼んでよ、葵ちゃん。あ、俺も二人と同い年だけど、恥ずかしながら一浪してるから大学二年生さ。けど、たぶんこの中で俺が一番頭良いぜ!?」
「いやいや、頭良いなら、留年しないだろ? ってか、五葉女子の葵ちゃんを前にして、頭良いアピールは無駄だろ?」
「あ、そっか! 普通に、ウチの大学一年より頭良いよな!? ハハハ、ユーモアユーモア!」
ひと際ノリが良い碇錬は、バンドマンみたいなヘアスタイルにピアス、線の細い痩せ型で、さりげなく化粧をしている。わたしは好みではないが、三人組の中では一番整った顔立ちをしていた。恐らくは大学でもモテるのだろう。イケメン枠の見せ餌要員と思われる。あえてもう一度言うが、わたしの好みではない。
「――ごめんね? 葵ちゃんが可愛すぎて、ちょっとオレら暴走しちゃったよ。それでさ、いま時間ある? 時間あるなら、場所変えて、例の殺人事件について話さない?」
チラチラとキッチンで調理する店員を見ながら、眼鏡青年の宇佐美立がそんな提案をしてくる。
宇佐美立の発言には、碇錬と秋田悠斗は黙って従っていた。なるほど、このメンバーでは宇佐美立がリーダー格なのだろう。確かに、一番格上の雰囲気を纏っていた。
一瞬だけ目を細めて宇佐美立を注視すると、中肉中背だが、なかなか引き締まった身体つきをしていた。アスリート体型であり、視線の動かし方や気配、所作の端々から察するに、格闘技系の何か、例えば空手などの経験者と推測出来た。とはいえ、わたしの敵にはならない。
「……時間は、ありますけれど……その、場所変えて、ってどちらに?」
「野鳥カフェ行こうよ? 葵ちゃん、野鳥好きそう! どう? 当然、オレらで奢るよ? どうよ?」
「――お、いいねぇ。俺は賛成だぜ! そろそろ糖分も欲しくなって来たわ」
秋田悠斗は手を叩きながら、大賛成、と満面の笑みを漏らす。わたしは困った表情を浮かべながら、手元の鬼カレーライスに視線を落とした。食事中の女性に対して、次の飲食店を提案するとは、どう反応すべきか迷ってしまう。
そんな状況を察したか、碇錬が呆れた声でフォローを入れてくる。
「リツもハルトも馬鹿過ぎだろ? いま、葵ちゃんは鬼カレー喰ってるじゃん! とりま、喰い終わったら、ゆっくり話したいから下山しようぜ」
な、と言いながら、碇錬がウインクしてくる。わたしはそれに、あえて恥ずかしそうな表情で顔を伏せる。思わず笑い出しそうにもなったが、そこは何とか耐えた。
どうやら、この三人組は互いに役割分担を理解しているようだ。
わたしの反応を見つつ、誰が口説くか阿吽の呼吸で連携している。今回、わたしにはこの碇錬がメインで口説いていく流れらしい。
「……えと……まだ陽が高いので、もう少し山頂を見学したい、かな……と思ってるんですけれど?」
「お、いいね。それじゃ、そうしようか? ちなみに葵ちゃんは、今日はマジで、何をしにここまで来たの? 例の殺人事件を調べる為? んでも、にしては、詳しくなさそうだけど?」
左側のテーブルに座っていた碇錬が、馴れ馴れしくもわたしのテーブルに移動してきて、真横に座ってきた。それでいて、身体は少し距離を置きつつ、ジッと横顔を見詰めてくる。
わたしは恥ずかしそうな演技を続行しつつ、鬼カレーライスを食べ続ける。そのさまを、男子三人組は生暖かい視線で見守っている。鬱陶しいことこの上ないが、我慢である。
「…………わたしは、オカルトが好きで……いま巷で話題の『ロリータの悪魔』って……知りませんか?」
鬼カレーライスを食べ終えて、上目遣いに問い掛ける。すると、碇錬が目を見開いてビックリした表情になり、宇佐美立に視線を向けていた。チラと見れば、秋田悠斗も視線を逸らしていた。
これはビンゴかも知れない。この連中は、九鬼山の殺人事件もそうだが、何やら色々と知っている様子だ。幸先が良い。
「俺は……知らないなぁ……『ロリィタの悪魔』って、アレか……ロリコンの変質者?」
「……聞いたこと、ない、かなぁ……リツ、知ってるか?」
「――葵ちゃんって、何が目的なの? ただのオカルト好きって割にゃ、結構攻めてるな」
「ご存じ、ですか?」
「ああ、知ってるよ。けど、それを教えるのは、ここじゃ無理だなぁ。オレらの溜まり場まで来てくれたら、教えてもいいかな?」
とぼける二人とは裏腹に、宇佐美立は勝ち誇ったような表情でそんなことを提案してきた。何が攻めているのかもよく分からないが、とりあえず提案は受け入れよう。
たとえどこに連れて行かれようとも、この面子でわたしを抑えることは不可能である。仮にもっと大人数に囲まれても、このレベルなら、百人来ようとわたしの敵ではない。
それよりも、いきなりとぼけ始めた二人の態度が非常に気になるところだった。
「……え、怖いです……溜まり場って、どこですか?」
わたしは弱々しい態度を崩さず、上目遣いで宇佐美立を見詰める。その態度に気分を良くしたか、宇佐美立は強気の口調で続けた。
「大丈夫大丈夫、溜まり場って言っても、大学のサークルで使ってる郷土資料保管所、みたいなとこだからさ。タクシーですぐだよ」
「タクシーって……下山してから、の話、ですよね……?」
「いいじゃん、いいじゃん。今日はさ、この出会いを優先して、オレらに付き合ってよ。ちなみに、葵ちゃんマジで運がイイぜ? 満月の殺人事件と、ロリィタの悪魔に関しては、ネットでも規制掛かってて、アングラサイトでも、そこまでの情報は出回ってないからね。オレらほど、詳しい奴はそう居ないよ?」
ドヤ顔で決める宇佐美立に、わたしは感心した風な表情で応じる。しかし内心、そんなバカな話があるか、と否定していた。
もし宇佐美立の言葉が全て真実だとしたら、裏道ルートの登山口であった登山家の青年が知っていた理由が説明できない。また、山頂の殺人事件においても、この展望台の店員が事情を察しているのもおかしいだろう。
つまり、宇佐美立が訳知り顔で語っている内容は、誇張した嘘であることは間違いない。何を得意げに喋っているのか、という心境でわたしは話を合わせた。
(わたしがここで、宇佐美さんを論破しても仕方ありませんし……さて、問題は、このまま下山した方が良いのかどうか、ですけれど……)
悩みどころは、山頂エリアと九鬼山の周辺のどちらが『ロリータの悪魔』と遭遇できるか、その一点だけだ。わたしの目的は最初から、魔獣『ロリータの悪魔』とやらを討伐することだけ、である。
だから正直な話、山頂の殺人事件が魔獣と絡んでいないのであれば、無視すべき――
「――嗚呼、そうですね」
「ん? どしたの? ねぇねぇ、行こうよ、葵ちゃん」
「ええ。いま、決めました。行きましょうか」
「お、おお!? いいねぇ、その心変わり! そういうノリ好きだよ、オレら。じゃあ、案内するよ」
わたしはふと気付いて、悩むことを止めて宇佐美立に頷いた。
宇佐美立は満面の笑みで、会心のガッツポーズをしながら席を立ちあがる。秋田悠斗も碇錬も一瞬だけ安堵した表情を見せてから、上手く行った、と頷いていた。
冷静に判断すれば、簡単なことだった。宇佐美立たちの先ほどの反応を考えれば、山頂の殺人事件が、魔獣『ロリータの悪魔』と関係していないことは明白である。いや、無関係でない可能性もあるが、少なくとも宇佐美立たちは、関係があるとは思っていないことが分かった。
殺人事件について詳しく知っているのに、ロリータの悪魔の話になった時点で言葉を濁すのだから、この二つの事案は結び付けて考えられていない様子だ。
「食べ終わったなら、そろそろ行こうぜ? あ、それとも、どっか寄る?」
碇錬が急かすように、わたしの背中を触ってくる。馴れ馴れしいし、鬱陶しい。けれど、グッと我慢して、背中に触れている手を振り払わずに立ち上がる。
「……いえ、陽が沈む前に、移動したいなぁ、と思います……ご案内いただけますか?」
「オッケー、オッケー! 良い子だね、葵ちゃん!! 行こうぜ、リツ、ハルト!!」
「しゃあねぇ、ロープウェイ代は俺が出すぜ。あ、なんか飲み物要る?」
首を鳴らしながら、秋田悠斗が先行して展望台を出て行く。碇錬はわたしの背中を撫でまわしながら、さりげなく肩を組もうとしてくる。流石にそれは気持ち悪いので、肩に回された腕は振り払った。
碇錬が、ちぇ、という小さい舌打ちをする。舌打ちしたいのはわたしこそだが、息を呑んで精神を落ち着かせる。ある意味で、良い精神鍛錬になる。すると、今度は腕を掴んできた。
「あの……痛い、ですよ……行きますから……」
「あ、ごめんごめん――こっちだよ!」
弱々しく嫌悪感を示しながら、わたしは秋田悠斗に続いて進んで行く。その隣に碇錬が並び、逃げられないよう少し離れた距離で、宇佐美立が付いてくる。
ロープウェイ乗り場には、次の便を待つ外国人観光客が多く並んでいた。
やはり観光客の多くは、山頂エリアではなく、八合目付近の観光名所目的のようだった。
「チッ、混んでるなぁ……ウザ……」
秋田悠斗が自分より体躯が小さい外国人観光客を見て、そんな毒舌を呟く。ウザイのはお前だ、と強く思ったが、裏腹に苦笑いだけ浮かべて見せる。
その時――不意に、鋭い殺気と視線を感じた。
気のせいかも知れないが、一瞬、闘気を纏った魔力の感覚もあった。
それは間違いなく、わたしに対して何らかの攻撃を放とうとした気配である。思わず、ぴく、と反応して、慌てた様子で背後を振り返る。
「ん? どしたの、葵ちゃん? 何、オレを探しちゃった? そんな焦った顔して――」
「――――いえ、あ、その……誰かに呼ばれた、気がして……」
「オレは呼んでないよぉ――おい、ハルト。チケットくれよ」
気配の先には、しかし誰もいない。否、少なくとも、いまは誰の姿も視えない――けれど、確信をもって、何者かがわたしに敵意を向けていた。
わたしは表情を取り繕って、正面を向き直る。
静かに大きく深呼吸して、明鏡止水の境地で周囲の気配を探る。同時に、霊感も発動させて、魔力感知まで動員した。
途端に、半径200メートル以内の全ての生物が、わたしの感覚の中に浮かび上がった。だが、その感覚の中には、怪しい気配や疑わしい素振りをする人間は居なかった。
(――気のせい? いえ、確実に、かなりの強者の気配、でした……)
わたしは自問自答しながら、辺りを鋭く一瞥する。
周囲はだいぶ混雑しているが、その大半が外国人観光客で、ロープウェイ待ちをしながら何語か分からない会話をしていたり、景色を眺めながらカップルで談笑している。
特にこの中で、パッと見て強者の気配を纏っている人間は見付けられない。実力を隠しているとしたら、かなりの境地に至った猛者だろう。
「うぉ、おいおい、コスプレかぁ? リツ、レン、見ろよ、アレ……」
「あん、何だよ、ハルト……って、すげぇ。どこぞの社交界だよ」
わたしが注意深く周辺に意識を向けていると、その視線を追った秋田悠斗と宇佐美立が、列に並んでいた外国人観光客の一人を注視していた。二人はしきりに感心した声を出して、わーきゃあ騒いでいた。
見ると、その外国人観光客は、登山に相応しくない蒼いドレス姿をしており、息を呑むほど可憐な美少女だった。横顔だけ見ると、人形のように整っている。
しかし、そんなのはどうでも良い。わたしは視線を切って、さらに深く集中を高めた。
「おやおや、また、会いました。お嬢さん、下山、するですか?」
「――――っ!?」
集中の世界で周囲の気配を探っていた時、唐突に肩を叩かれた。直前まで全く気配はなく、肩を叩かれるまでわたしが気付けなかった。
わたしはハッとして、その相手――背が低いスーツ姿の老紳士を睨みつけた。
その老紳士は、数時間前に『モダン柊』を探していた中華系の外国人である。
「貴方、なんで!?」
慌てて老紳士から飛び退いた。
そんなわたしの驚きを目にして、男子三人は一様にビックリしていた。何が起きた、と老紳士とわたしを見詰める。
男子三人の驚きは無視して、わたしは警戒をあらわに怪訝な視線をぶつけた。
「ちょ、葵ちゃん、どしたの?」
「おいおい、どうしたの、葵ちゃん――もしかして、このジジイが痴漢!?」
わたしの警戒した様子を見て、秋田悠斗が老紳士の胸倉を掴み上げていた。老紳士は抵抗もせず、細目をそのままに微笑を浮かべていた。
「ジジイ、テメェ、何を葵ちゃんの肩に触れてるんだよ!?」
碇錬が秋田悠斗を押し退けて、不敵な笑みを浮かべる老紳士をどついた。喧嘩か、と周囲がいっそう騒がしくなる。
ところで、老紳士はそのどつきを甘んじて受け止めてから、わざとらしくよろけて尻餅をついていた。
「なに、するです? 我、何もして、ないですよ?」
「俺らの葵ちゃんをビビらせてんじゃねぇよ! ジジイ……列の一番後ろに並べよ!」
「…………あ、失礼、しました。横入、駄目ね?」
「そうだぞ、ジジイ!! 俺らの後ろにも並んでなかっただろうが! 順番を守れよ」
細目を少しだけ開いて、尻餅をついたまま凄もうとする老紳士に、碇錬が凄まじい剣幕になりつつも、常識的な文句を口にしていた。
確かに――わたしはロープウェイの列の並びを見て、別の驚きを浮かべた。
尻餅をついている老紳士には、それより後ろに並んでいる観光客たちの非難の視線が集中していた。かなり混雑しているのに、順番を守らずわたしの横に入ってきた様子だ。
「ごめんなさい、あ、貴女、アオイさん? 失礼しました――」
老紳士はわたしの目を見透かすようにジッと見てから、また目を細めて起き上がる。
軽い会釈をしたかと思うと、逃げるようにその場を後にする。
去り際に、また逢いましょ、と呟いていた。わたしは得体の知れなさに、若干恐怖を感じる。
強いのか弱いのか、その実力が測れないのもそうだったが、それ以上に、死人のように気配がないのが不気味でならなかった。
闘いたいと思えない生気のなさであり、いままで出逢ったことのないタイプだった。
(……アレが、わたしに殺気を飛ばした? いえ、でも……それにしては、あの希薄な気配は――現れた方向も違うし……)
わたしは列から逸れて、怪訝な表情を浮かべたまま、いまの老紳士とのやり取りを考えていた。怪しさだけで言えば、ダントツである。この混雑している人混みの中で、わたしを探し出して声を掛けてきたのだ。間違いなく、一般人ではないだろう。
もしかして、あの変態じみた老紳士こそが、円卓六席の候補者なのだろうか――そう考えると、あの気配の断ち方は、柊南天にも匹敵する。魔力が感じられなかったのも、巧妙に隠していたからに違いない。
「――葵ちゃん!? 大丈夫!? ほら、あのジジイ追い払ったからさ、ロープウェイ乗ろうぜ?」
「ハッ!? あ、ええ……そうですね……」
宇佐美立がそう言いながら、わたしの眼前に手を振っていた。瞬間、わたしは一歩後ろに下がりつつ、いつの間にか回ってきた順番に驚いた。思考に没頭していて、気付かなかった。
碇錬にふたたび肩を組まれて、そのままロープウェイに乗り込む。
乗員オーバーになるギリギリまで人を詰めたロープウェイは、満員電車並だった。アナウンスが流れて、ロープウェイがゆっくりと下山する。
これほど混雑していなければ、本来は外の景色を優雅に眺めることが出来たはずだが――見えるのは、背の高い外国人観光客の後頭部や、カメラ撮影している後ろ姿だけだった。ついでに、わたしの腰に手を回そうとして、さらに不愉快な笑みを見せる馴れ馴れしい碇錬である。
「おい、レン。セクハラはやめろよ! 羨ましいなぁ」
「いやいや、セクハラしてねぇよ。この混雑で、葵ちゃんをガードしてるんだよ!」
わたしを挟んで、宇佐美立と碇錬がぎゃあぎゃあ騒いでいる。とにかく静かにしろ、とは思ったが、そんなことより、先ほどの老紳士が気がかりでならなかった。あの気配のなさは、どういう技術なのだろうか、と無言のまま考え続けた。
さて、ロープウェイは、十五分間隔で、八合目と地上を行き来している。
ほどなく地上に到着して、わたしたちはロープウェイ乗り場の横のあるカフェテリアに一時避難した。
ロープウェイから降りてきた多くの観光客は、次の電車に急いで向かっており、駅までの道のりとバス停の混み具合が辟易するほどになっている。
それを避ける為に、お土産屋を併設したカフェテリアで、少し時間潰しをすることにしていた。
「……あの……ここでは、事件の情報、教えてくださらないのでしょうか?」
わたしは周囲に視線を向けて、誰もいないことを確認してから提案する。すると、スポーツドリンクのペットボトルを片手に持っている秋田悠斗が、ダメダメ、と首を振った。
「葵ちゃん。そんな連れないこと言うなって――ここじゃ、周りに聞かれるかも知れないだろ?」
「――誰も居ませんよ?」
「店員さんが居るし、話が興に乗ってきたタイミングで、人が来るかも知れないだろ?」
秋田悠斗の言葉に、宇佐美立も碇錬も、うんうん、と頷いて賛同していた。良く分からないが、兎に角、自分たちの縄張りにわたしを引き込みたいらしい。
仕方ないか、と半ば諦めつつ、わたしは言葉を呑み込んだ。
「……それじゃあ、早く、話ができることに行きませんか? わたし、先ほどの変な方と関わりたくはないので……降りてくる前に、移動したいです……」
「あ、そっか、そっか――おいおい、ハルト。お前が飲み物買いたいって言うから!」
「はぁ?! 俺のせいかよ――ま、さーせん。んじゃ、サッサと移動するか」
「タクシー呼ぼうぜ、タクシー! 勿論、ハルトの奢りで」
わたしの上目遣いに、三人は息の合った漫才の如き掛け合いを披露して、すぐさまタクシーを呼び出してくれた。地上のロープウェイ乗り場までは、タクシーや乗用車専用の山道が整備されており、車で移動する分には非常に便利である。
とりあえずそうして、わたしは男子三人に連れられて、九鬼南駅から徒歩七分ほどのところのマンションに移動したのである。
また来週




