第一夜/前編
誤字修正
九鬼駅東口からそう遠くないところに、いつも開店準備中となっている小洒落たカフェがある。
店名の看板も出ておらず、インターネットで検索しても店舗として表示されないが、一応ここは、護国鎮守府の持ち店舗で、龍ヶ崎十八が集合の拠点に利用している一軒家だった。
外から見る限り営業している風には見えないが、外観の手入れは行き届いているので、定期的に清掃をしているのは分かる。
わたしはカフェの中の気配を探った。
一階のテーブル席には、わたしを呼び出した張本人――蒼森望夜の気配がある。
感覚を広げて探ると、二階の寝室にも覚えのある男女の気配があった。
女性の気配は、剣持静だろう。その傍らに居る男性の気配は、遊馬士郎と思われた。
だいぶ近い距離でいるが、いちゃついている訳ではなく、寝ている剣持静を介抱している遊馬士郎、という構図に思われる。
わたしは静かに深呼吸してから、鍵の掛かっていない入口の扉を軽く開けた。
カランコロン、と鈴が鳴り、テーブル席で優雅にティーカップを手にしている蒼森望夜が振り返った。
「――約束の時間より、五分遅いようですけれど? アヤメちゃんは、タイムスケジュールすら管理できないのでしょうか?」
わたしを見てすぐさまに、蒼森望夜は挑発的な視線と嫌味な言葉を投げてきた。敵意こそないが、心底嫌っているという態度を隠しもしていない。
呼び出した時に呟いていた通りに、仕事で仕方なく、という様子である。
「……五分? 待ち合わせの時間は、十二時、ですよね? ちょうどではないですか?」
「ええ、今は十二時ですよ。知らないようですので、教えておきますけれど、組織の上長から呼び出しを受けた場合、五分前集合が基本ですよ? 嗚呼、でも、そういえば、アヤメちゃんは護国鎮守府では『狂犬』とも呼ばれているんですよね? 失礼いたしました。狂犬に五分前行動などを期待するのは、無駄でしたね」
「…………喧嘩を売っているようですね? 今日の用事、とはそういうことですか?」
露骨な挑発とイチャモンに、わたしは大人げなくも聞き流せなかった。まあ、そもそも聞き流すつもりもなかったので、すかさず仕込刀を抜き放ち、全身から闘気と殺意を迸らせる。
それらを真正面から受けて、しかし蒼森望夜は舌打ち一つで視線を逸らした。闘気で応じることもなく、手元のティーカップに口を付けて、余裕のフリを見せていた。いちいち所作に格好付けているのが、いっそう腹立たしい。
「狂犬と呼ばれるだけあって、短気ですね。まぁ、飼い主も居ないので、それは仕方ありませんか――ところで、生憎と今日の用事はそんな下らないことではありませんよ、アヤメちゃん。話が脱線してしまいましたが、本題に戻しても宜しいかしら?」
「わたしは一つも脱線させておりませんけれど? すぐに怯えて引き下がるくらいなら、初めから噛み付かないでいただきたいですね……」
一方的にこちらが闘る気になっていても仕方ない。わたしは刀を収めてから、テーブル席と離れたカウンター席に座った。
「あら、聞き分けが良い――そうやって素直に従えば、狂犬などと言われないでしょうに」
「サッサと本題とやらを仰っていただけませんか? わたしも流石に、これ以上の一方的な挑発は、許容できませんよ?」
「はいはい。貴女にお似合いの、護国鎮守府からの任務を持ってきました。受けますか? 受けませんか?」
わたしの鋭い睨み付けに、蒼森望夜もジロリと睨み返してきて、テーブルに何やら押印された一枚紙を置いていた。
内容はよく分からないが、討伐依頼とタイトルには書かれている。
「受けない、という選択肢もあるのでしょうか?」
「ええ、勿論、拒否権はありますよ? 護国鎮守府は、理外の組織とはいえ、人で構成されています。当然ながら、所属隊員の自主性や意思を尊重するに決まっているでしょう?」
「初耳ですね――まあ、それは分かりました。それで、わたしにお似合い、というのはどういう内容の任務でしょうか?」
「受けますか? 受けませんか?」
質問に質問で返される。しかも、内容を言わずに選択を強要されていた。これは、前述していた自主性や意思を蔑ろにすることではなかろうか。
とはいえ、それをいま口にしたところで、蒼森望夜には通じないだろう。
とりあえず話が進まないので、わたしは溜息を漏らして、素直に折れることにする。
「――受けます。内容を教えてくださいませんか?」
「最初からそういえば良いのに、いちいち話の腰を折って――ええ。いまから説明しますので、不愉快ですが、こちらのテーブルに来ていただけませんか?」
「…………」
明らかにわざと余計な一言を漏らして、トントン、とテーブルの上を軽く指で叩いていた。
蒼森望夜は普段通りとばかりにリラックスした様子で、敵意以外の感情は一切、わたしに向けてこなかった。これに殺意が少しでも混じっていれば、即座に斬り捨てたのに――闘る気もなく、わたしの向ける殺意に対しても、無抵抗に逃げるような輩を前に、斬り付けても意味がない。
逃げ腰の臆病者と闘っても無駄だし、このままでは殺す価値もない。
嫌々ながらも、蒼森望夜の前に腰を下ろした。
「まず、これが討伐依頼書です。これがあれば、警察機関の職務質問を避けることが出来ます。また、これが護国鎮守府の所属隊員の証明にもなりますので、特異課から絡まれても問題ないでしょう」
「…………」
テーブルに置かれていた一枚紙を受け取る。依頼内容の本文は、至ってシンプルだった。
『以下、限定地域内において発生している理外の事象、その事象を引き起こしている原因を排除するべし。また、原因を排除する過程において起こった被害に関して、警察機関の介入は認めない』
限定地域内に指定されているのは、九鬼市全域、特別指定区域として九鬼山を中心とした半径10キロ圏内である。
依頼書の見出しには、討伐依頼【脅威度SS級魔獣】と記載されていた。
わたしは、へぇ、と喜びを隠さず呟いた。思わず口元に笑みが零れる。
討伐対象が脅威度SS級と言うことは、間違いなく手強いだろうことを意味する。以前に、神薙瑠璃から教えてもらったランク付けの定義で言えば、SS級は天災と同義であり、落雷や竜巻、津波などの厄災に分類されていた。
「――イカレてるわね。脅威度SS級を見て、よく笑えるわね?」
「あら? 逆に問いますけれど、強いと分かっている存在と闘うのに、心躍らないのですか? 蒼森さんはそれでも剣士ですか?」
「まぁ、アヤメちゃんのような狂犬の感性は理解出来ませんけれど――より詳しく説明しておきましょう。これだけだと、アヤメちゃんが対象と遭遇出来ず、任務達成出来ないでしょうからね」
蒼森望夜の不遜な態度も、いちいち突っかかってくる露骨な挑発も、もはやどうでも良くなっている。わたしの興味は既に、この困難な任務に向いていた。どれだけ強い魔獣なのか、どんな闘いが出来るのか、どれほどギリギリの勝負になるか、愉しみで仕方なくなっていた。
「今回の討伐対象は、その外見から、別名『ロリィタの悪魔』とも呼ばれています。陽が沈んだ夜間帯に街を徘徊して、通り魔的に人を殺して回るのです」
「――ロリータの、悪魔? 脅威度SS級の魔獣、の話ですよね?」
不思議な響きの別名が聞こえて、わたしは思わず聞き返した。
ロリータ、とは『ロリータファッション』のことだろうか。ドレスを着ている訳でもあるまいに、どういう意味なのか――と考えた時、なるほど、人型の魔獣なのかも知れない、という可能性に思い至る。その姿かたちが、人間に擬態するタイプかも知れない。
「ええ、勿論。ワタシはこの依頼書にある討伐対象の話しかしておりません。今回の敵は、見た目がロリィタ衣装を纏っているような姿かたちをしており、両腕には鋭い剣を装備しているようです。遭遇した場合、ほぼ確実に殺されるようです」
「素晴らしい。ちなみに、被害者はどれほど居るのでしょうか?」
「……素晴らしい? やっぱりアヤメちゃんは、立派にイカれてますよ? 被害規模は、まだそれほど――判明してる限りでは、この一週間で、二十名前後と言ったところですかね? よく知りませんが、特異課が事態の深刻さを理解し始めた状況のようです」
「ひとつ確認ですけれど、人型なのですよね? 他に特徴は?」
「遠目には、青いドレスを纏って見える、双剣を振う姿は妖精のよう、全長は150センチないくらい……そうですね。パッと見では可憐な少女、と勘違いする容姿をしています」
蒼森望夜の言い回しに、わたしはキョトンとしてから首を捻る。それは果たして、魔獣なのだろうか。聞く限り人間を相手にするように思える。
勿論、相手が人間だろうと躊躇はしないが、魔獣という理外の存在を見つけるのと、理外の人間を見つけるのでは難易度が異なる。
「蒼森さん、その魔獣は、人間ですか? 国際手配されているサイコパスだったりしますか?」
「なんですか、それは? どこ情報だか知りませんが、アレは人間ではありません。人間に擬態した魔獣です」
即答で断言されたので、わたしはそれ以上追求はしなかった。実際、どちらでも問題はない。もしこれが、柊南天の言っていたわたしを狙う円卓六席の候補者だとしても、やることは変わらない。
わたしはそこまで聞いて、もはや用はない、と席を立つ。呼び出した内容がこれだけならば、ここに長居する理由はない。
早速、徘徊して情報収集しなければ――
「お待ちなさい。少し忠告をしておきますわ」
「……なんですか?」
入口の扉を開けようとした瞬間、蒼森望夜が呼び止めてくる。
忠告など不要に思うが、とりあえず話だけは聞いてやろう。
「アヤメちゃんは、魔獣の特性をご存じかしら?」
「ええ、知っていますよ。それが何か?」
「魔獣の特性に『月齢』というものがあります。ご存じかしら?」
「ええ、神薙さんから教わりましたよ? 魔獣の魔力、不死性は月の満ち欠けに影響される、ですよね」
「それでしたら、お分かりとは思いますが、次の新月は二十二日です。今回の魔獣を狙うならば、必然、新月を――」
「――それでは、面白くありませんよ。わたしは可能であれば、万全の状態の魔獣を屠りたいので、新月で魔力が弱る前に、魔獣に挑みたいと思っております」
呆気に取られた様子の蒼森望夜から視線を切って、わたしはサッサと外に出た。
真夏の陽射しは肌を刺すように強く、蒸し暑いのも日本中どこでも変わらない。ただ立っているだけで汗が出るが、今はそれ以上に期待で胸がいっぱいだった。一刻も早く魔獣に遭遇したい思いである。
今の心境を言い表すならば、まさに渡りに船だろう。
つい昨日、如月椿たちのところから自宅に帰ってきたばかりで、さて今日以降は、この夏休みをどう満喫しようかと悩んでいたところだった。
直近のイベントごとはいくつか控えているが、どれもまだ参加できない。だからこそ、この魔獣討伐は次のイベントまでのスキマ時間にちょうど良く、非常にありがたい。
(……昨日の柊さんの話では、まだ破壊神と神言桜花宗の闘いは決着してないらしいですし……いまは水天宮さんも駆り出されていて、お忙しいそう……期待しているのは、円卓六席候補者のサイコパスさんですけれど……そちらは新月を待て、とのことでしたから、退屈だったんですよね……)
そんな風に考えた時、そう言えば、地元に戻ってきてから龍ヶ崎十八に連絡していなかったことを思い出す。しかも今回、こんな重要任務を与えられたと言うのに、わたしのパートナーである龍ヶ崎十八からの連絡はなかった。
何かあったのだろうか、と気になってしまう。
わたしは炎天下を歩きながら、携帯で龍ヶ崎十八に電話を架けた。
「…………出ない?」
コール音は鳴るが、いくら鳴らしても一向に出なかった。何度か架けても、まったく反応がない。
もう退院して護国鎮守府に復帰した、と聞いているので、電話に出られないはずはないのだが……話したい時に話せないと、蒼森望夜との関係性がどうなっているのか等、ついつい無関係な事柄まで気になり、腹立たしくなって問い詰めたくなる。
とは言え一旦、音信不通であれば、龍ヶ崎十八は後回しだ。
さて、そうなると情報収集と言えば、やはり柊南天だろう。今回の魔獣について、どうすれば遭遇できるか教えてもらわなければ――
「――情報収集ついでに昼食も、と思ってきましたが、甘かったですか」
日傘をさしてモダン柊までやってきたが、今日は開店していなかった。準備中の立て札が出されており、店内の気配を探っても誰も居ないのが確認出来た。
昨日まで一緒にいて、同じタイミングで戻ってきているはずだが、いまは別の用事でもこなしているのだろう。
ちなみに、移動しながら何度か柊南天の携帯にもかけたが、反応はなかった。
わたしは、大きくため息を漏らす。
こうなると、とりあえずどこかで昼飯を摂りたい気分だった。夏バテしないためにも、しっかりと食事は欠かさないよう心がけている。
「……とはいえ、空いているお店がありませんね」
モダン柊から徒歩で十五分ほどのところに、飲食店が立ち並ぶ裏通りがある。この炎天下でもかなりの盛況で、人がごった返していた。
ちょうど昼時と言うこともあり、どこの飲食店も人の列が形成されていた。見渡す限り、どこもかしこも満員だった。
「観光、ですかね? 外国人が、多い……」
インバウンド需要の影響か、良く見れば、飲食店の列に並んでいるのは大半が外国人だった。
また、横に広がったり、立ち止まったりして、通行の邪魔になっているのも、旅行鞄を持った外国人である。この光景で不快になることはないが、少しだけ鬱陶しい。
とりあえず、そんなキョロキョロしている外国人を避けつつ、手頃な定食屋を探すが、なかなか見つからなかった。
しっくりくる飲食店を、この裏通りで探すのは無駄か、と一通り歩き回った後、致し方ない、と駅前のファーストフードチェーン店に向かおうとした。
駅前のその店は割と穴場で、席数も非常に多いため確実にゆっくり出来る。ただし、味は推して知るべし、ではあるが――
「エクスキューズミー、すみません、ちょと、いいですか?」
「――――はい?」
ふと、片言で、わたしに何者かが声を掛けてきた。
それは直前まで気配さえなく、唐突に背後から現れたような感覚があった。殺意も敵意も感じなかったので、慌てずゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは、わたしより少し背が低いスーツ姿の老紳士だった。顔の特徴から見ると、中華系に思える老人である。
「失礼――この辺りで、このお店、ありませんか?」
老紳士は細い眼をさらに細めて、低姿勢で携帯の画面を見せてくる。わたしが反応していないのを気にせず、自己都合だけを優先してきた。
チラと携帯を見ると、そこは見覚えのある場所――モダン柊の公式ホームページだった。
なるほど、道を聞きたかったのか、とわたしは得心しつつ、ほんの少しだけ警戒を強める。
偶然か、故意か分からないが、この人混みの中で、わたしにピンポイントで声掛けしたのはどうしてか。何より、声が掛かる寸前まで気配を断っていた理由も何なのか。
改めて老紳士を見ると、目の前に存在していてさえ、その気配は希薄だった。
生気が感じられない、という表現がぴったりだろう。威圧感もなく、強者の気配も感じないが、逆に異質な空気を纏っているように思えた。とはいえ、霊力はなく、魔力もない。理外の存在に関係する類の人間ではないように感じる。
「……ここは、モダン柊というお好み焼き屋ですけれど、間違いないですか?」
わたしは一旦、店名に間違いないがないかを問い返す。ついでに、一瞬だけ強烈な殺意をぶつけて様子を伺ってみるが、目の前の老紳士は柔和な笑みを崩さず、コクコク、と頷いていた。
「はい、はい、そです。モダンヒイラギ、お好み焼き屋です。知ってますか?」
杞憂だろうか、疑いながらも、わたしは強く頷き返した。
「ええ。この通りを向こうに抜けて、大通りに従って歩けば――二十分ほどで、着くと思います」
「謝謝――ありがと、ございます。ここハオチー、美味しい、と聞てますが、本当ですか?」
「ええ。美味しいのは間違いないですよ」
わたしはあえて、問いに対して答えだけ返した。
今日はモダン柊は開いていなかった、という情報は、口に出すのを控えた。それを伝えたところで、わたしにメリットはないし、他の店を聞かれて面倒なことになる可能性もある。
それにやはり、こうして話していても正面の老紳士が一般の観光客のようには思えなかった。
「良かったです――それでは、謝謝。失礼、します」
わたしが疑わしい視線と空気を放っていたからか、それとも本当にただの観光客だったのか、老紳士はすぐに笑顔のまま下がって行った。
老紳士が進んで行った先は、わたしの説明した通り、モダン柊の方向に向かって、である。そうして去って行く老紳士をひとまず見送ってから、逆方向に足を向けた。
「……最後まで、気配を隠したままでしたね……かなりの強者か、本当にただの雑魚だったのか……」
誰に聞かせるでもなく、ただ口の中でボソリと呟いた。
あの老紳士が何者か分からないが、わたしの直感としては、警戒に値する得体の知れない存在だと認識していた。強いのか弱いのかさえ分からない、底が知れない相手だった。
そんなことを考えながら、駅前まで歩いたところで、携帯に着信があった。
着信は柊南天である。折り返しだ。
「もしもし?」
『あ、綾女嬢、おはよっス。どうしたっスか? なんか、着信あったんで、折り返したっスけど?』
「少しお聞きしたいこと――場合によっては、調べて欲しいことがあったので、ご連絡しました。ついでに食事も出来れば、と思ってモダン柊まで行ったのですが、今日は休みでしたか?」
『あ、ああ、さーせん。今日はこれから、先約があるっス。それが終わってからなら……いや、無理っスね。ちょ、マジでさーせん。明日以降なら、大丈夫っスよ?』
携帯の向こう側で、何やらドタバタと動き回っている様子が感じられた。耳を澄ませると、背後から怒号も聞こえてくる。だいぶ忙しそうだ。
「分かりました。それでは、明日またお伺いいたしますけれど――とりあえず聞きたいことがあります」
『了解ス。あ、ってか、ちょい、急ぎじゃないなら、一旦、切っていいっスか? また後で架けるっス!』
柊南天は一方的にそう言って、わたしの返事を待たずに電話を切っていた。すぐに、ツーツー、と電子音に変わったので、ついつい舌打ちを漏らしていた。
相変わらず自分都合で勝手な相棒である。しかし、もういい加減、慣れたものだった。とりあえず連絡が来たことを喜ぼうと頷き、気持ちを切り替えた。
空腹で怒り易くなっているのかも知れない――と、予定通り、駅前の空いているファーストフードチェーンに入って食事をした。
期待通りに美味しくはないが、昼時なのに混み合っていないおかげで、定食とドリンクバーで二時間半ほど居座っても、店員から文句一つ言われなかった。
ちなみに、柊南天からの連絡はなかった。
「……後で架ける、の、後とは、普通、一時間とか二時間後ではないのでしょうか……」
わたしは柊南天からの連絡を待つ間、為我井優華との他愛無いやり取りを一段落させていた。また同時に、八重巴からつい先日入手した戦利品『甲魂流の秘笈書』を今一度読み直して、その秘技の核心部分をイメージトレーニングしながら時間を潰した。
そうしてわざわざ時間を潰したというのに、結局折り返しがなかったので、無駄に休憩する羽目になってしまった。
今日の夜帯を徘徊するにあたって、情報を知っているかどうかで魔獣を捜索する効率が変わる。
とは言え今日はもう、蒼森望夜から聞いた情報だけで魔獣を探さざるを得ないようだ。
さて、じゃあどこを探すべきか――
わたしは護国鎮守府の討伐依頼書を再読して、特別指定区域に設定されている九鬼山を目指すことにした。
ここからの移動時間を考慮すると、今日一日は九鬼山周辺の散策で終わりになるだろう。九鬼山の最寄駅から、わたしの自宅までの電車は終電が早いのだ。
夜通し散策も考えたが、当てもなく探すのは無駄な労力で意味がない。
「久しぶりに、山頂で鬼カレーうどんでも食べますかね」
鍛錬がてら一番キツいルートで登山して、山頂の展望台で食事する計画を立てる。
向かう過程で、周辺の事件も調べればいいだろうし、街中を彷徨っていれば、魔獣がわたしを見つけてくれるやもしれない。
そんな考えで、とりあえず九鬼山に向かった。
九鬼山の麓にある駅では、観光客がたくさんひしめき合っていた。
インバウンド需要の波はここにも来ているようで、九鬼山登山の表道ルート入口に向かうバス停には、多くの外国人観光客が並んでもいる。
その混雑を横目に、わたしは徒歩で裏道ルートへと向かった。
裏道ルートは九鬼山に幾つかある登山ルートのうち、最も急勾配で登山時間が長いルートで、山登り上級者しか利用しない道である。
標準登山時間二時間半で、表道ルートが一時間であることを考えると倍以上の距離を登ることになるのだ。当然ながら、その登山口付近に、一見さんの外国人観光客は居なかった。
「こんにちわー! お嬢さん、そんな軽装で大丈夫? ここ、半端な装備じゃ遭難するよ!?」
「ええ、こんにちわ。ありがとうございます。少し涼むだけですので、平気です」
わたしが日傘を畳んで、軽装のまま山登りをしようとした時、ちょうど山道を降りてきた重装備の登山家と思しき青年に心配された。
その青年には笑顔で返して、平然と山道に足を踏み込む。
「本当に、そんな装備で、大丈夫か? 登山を舐めてると、死ぬぞ?」
わたしの後ろ姿を、まるで自殺者を見るような心配げに見詰めて、ラップでも刻むような口調で、青年は続けて声を掛けてくる。だが、そんな台詞は綺麗に無視した。
心配してくれるのは親切で優しいと思うが、少々鬱陶しい。
「おいおい、マジで大丈夫か? 自殺行為だよ?」
「――あ、親切な方。それでは、一つお伺いしたいのですけれど、宜しいでしょうか?」
懲りずに声を掛けてくるので、わたしは立ち止まり振り返った。
ふと妙案を思いついたとばかりに、ポンと手を叩いて、この周辺で事件でも起きていないか、青年に問い掛けてみることにする。
「ああ、なんだい? ロープウェイ乗り場がどこか、教えようか?」
登山リュックを背負った青年は、的外れなことを口にしながら、慌てて近寄ってくる。それに首を振って、違います、と断言してから続けた。
「この辺りで最近、その……化物が出た、とか、オカルトじみた事件が発生したとか、ありますか? 通り魔的な事件とか、不思議な響きの殺人事件とか」
わたしは首を傾げながら、遠回しに『ロリータの悪魔』に関して質問したが、登山家の青年は一瞬キョトンとしてから、嫌なモノを見たという顔を浮かべた。露骨に嫌悪感をあらわにしている。
「……なんだよ、君。オカルト愛好家か……そういうことなら、勝手にしてくれよ……」
「――どういう意味ですか?」
「あ、いや、えと――君も、九鬼山の鬼伝承を調べにきた、とか、この前、山頂で起きた殺人事件の概要を知りたい野次馬だろ? そんな軽装ってことは、動画配信者とかなんだろ? じゃあ、気を付けろよ」
勝手に勘違いしながら、矢継ぎ早にそんなことを言って、登山家の青年はサッサと立ち去って行った。
あまりにもあっけなく去って行く様を呆然と眺めて、わたしは疲れたように溜息を漏らす。
意味が解らないが、とりあえず青年の心配からは解放されたらしい。代わりに、何一つ有益な情報は得られなかった。せっかく知らない人間に声を掛けたというのに、この勇気が無駄になってしまった。
「……大体、九鬼山の鬼伝承なぞ、ただの迷信でしょうに――それよりも、山頂で起きた殺人事件というワードがとても気になるのですけれど?」
わたしの声は誰にも届かず、風に乗って霧散した。興味深い呟きをした責任は果たせ、と強く言いたい。
だが、立ち止まって待っていても、青年は戻ってくることはなかった。
こうなっては仕方ない。とりあえず裏道ルートを登りながら、九鬼山の山頂で起きたらしい殺人事件をインターネットで検索してみる。
九鬼山の裏道ルートは、物資運搬専用ロープウェイが整備されていることもあり、電波塔の小規模基地局が中腹に作られている。おかげで、表道ルートとは異なり、ほぼ全域でインターネット接続が可能である。
遭難しやすいが救助もされ易い、と言う触れ込みもあり、九鬼山の裏道ルートで経験を積む登山者も多いと聞く。
そんな山道を登りながら、歩きスマホで、地方記事や無責任な噂話などをネットで調べる。
「ネットでは、それらしい情報はないですね。山頂で殺人なんて大事件、報道されていないはずがないのですけれど……」
けれど不思議なことに、どれだけ調べても、ネット上では、先ほどの青年が口走った事件が見つからない。あの青年がデタラメを言った可能性はあるが、偶然出会った初見のわたし相手に、そんな嘘を言う必要があるとは思えない。
ましてや、青年が一般人ではない可能性は、もっとあり得ないだろう。
(それらを矛盾のないよう組み立てるなら、殺人事件は発生して報道もされたが、何らかの理由で報道規制が掛かった……だからさっき、わたしに『山頂で起きた殺人事件の概要を知りたい野次馬だろ』と言ったのでしょう。山頂展望台のスタッフに聞くのが早いですね……)
そういえば、柊南天が言っていた円卓六席の候補者は、国際手配されている犯罪者と聞いた。
そのサイコパスが起こした事件は、報道規制されるとも言っていたし、もしかしたらそれに絡むのだろうか――
わたしは自問自答しながら、軽やかな足取りで裏道ルートを踏破する。
2月限定で一週間ごと一話更新を目指す。




