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外道に生きるモノ  作者: 神無月夕
外伝/嫦娥

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月の裏側

第七章の前日譚/舞台裏の話となります。

 中国の裏社会で、天災に喩えられるほど恐ろしい殺人鬼が存在する。

 裏社会に生きる者たちで、その名を知らぬ者はいないほどに有名な殺し屋であり、中国大陸を実質支配している大組織黒龍幇(ヘイロンパン)でさえも迂闊に手が出せない化物である。

 しかもその悪名は、中国大陸だけには留まらない。

 全世界に支部のある異端管理局では、この殺人鬼は脅威度SSの魔獣に認定されており、討伐不許可対象として扱われているほどだ。それゆえに、各国にあるそれなりの規模を持つ理外の組織は、決して関わってはいけない存在だと認識していた。


 どの組織にも属さず、己の気の向くまま傍若無人、唯我独尊に振舞う最悪の凶手――その殺人鬼の本名を、(ユエ)梅花(メイファ)と言う。

 多数の異名を持ち、中でも有名な別称としては『双剣公主(ソウケンコウシュ)』、もしくは『朔望殺手(サクボウノコロシテ)』とも呼ばれていた。


 月梅花――年齢十九歳、身長145センチ、少女のような体型で、顔立ちも童顔、幼い印象をした美少女である。

 月花(ユエファ)財団を統べている月家の長女でありながらも、現当主でさえコントロールできない絶対不可触(アンタッチャブル)の存在とされている。ちなみに月花財団とは、 大中華(ダイチュウカ)后土(コウド)銀行有限公司、后土不動産有限公司、月花(ユエファ)微細電子(ビサイデンシ)など、世界時価総額ランキングのトップ五十位内に名前を連ねる大企業を、実質支配している上位組織体である。この月花財団の決定は、一国の大統領よりも発言権を持つとされており、世界経済に多大な影響を与えるほどだった。

 そんな月花財団を統べている月家の長女――月梅花は、生まれながらの人格障害者であり、救いようのないサイコキラーらしい。

 これは境遇や環境のせいではなく、産まれ落ちた瞬間から強烈な快楽殺人嗜好を持っており、物心ついた頃にはもう人間として人格が破綻していた存在だと言う。

 しかし一方で、それほどのサイコパスでありながらも、神に祝福されたとしか形容できないほどの能力、才能に溢れていた。

 知能指数においては、五歳の時に測定不能の結果が出ており、学力だけなら十歳になる頃に大学卒業レベルに達していたと言われている。

 実際のところは、月梅花自身が教育機関に通ったことがないので、どこまで真実かは不明だが、少なくともその才覚を見出されて、超一流の教師陣による英才教育を施されたのは事実である。

 英才教育の結果として、十五歳を迎えた時には既に、あらゆる専門分野の大学院教授を論破できるまでの博識を身に着けており、十八か国語を流暢に話せるほどの多言語話者にもなっていた。

 また、身体能力においては、もはや人類とは別次元の生物と思えるほどのパフォーマンスをした天然の超人だった。鍛えずとも人間の限界を超越した反射神経、運動神経を備えており、当然のように、どれほど複雑で困難な動きでも一度見た動作は寸分違わず再現出来て、ミリ単位で己の身体を完璧に操作出来る技術を持っていた。

 才色兼備、文武両道、家柄も申し分ない殿上人、しかし致命的なまでに人格に欠陥がある狂気の怪物――


「――それがこの……『禁忌の【嫦娥(ジョウガ)】』――月梅花って人なのか?」


 護国鎮守府の特別会議室に呼ばれた俺は、恐る恐ると手元の写真をもう一度眺めた。

 そこに写る美少女は、小柄な体躯に驚くほどの小顔を乗せて、黄金比を思わせるほど整った目鼻立ちをしていた。腰元まで伸びた長く艶のある黒髪は、思わず目を奪われるほどに美しい。

 写真越しに見ても、その漆黒の瞳は、視た者を吸い込む引力を感じさせた。表情は、輝いているような喜悦の笑みを浮かべている。鮮烈な朱色の紅を引いた小さい唇に、少しだけ綻んだ口元から覗く白い歯が印象的だ。

 蒼天を基調としたロリータドレスを着ており、その美貌だけ見れば、まるで社交界に招かれた伯爵令嬢に思えるだろう。

 しかしその両手には、あまりにも不釣り合い過ぎる血に染まった双剣が握られていた。足元には血の海も広がっており、斬殺されたと思しき裸の女性が転がっていた。

 明らかに異常な写真である。ホラー映画の撮影か、と疑いたくなるほど凄惨な構図だ。ちなみに、これは隠し撮りなのだが、被写体の美少女はバッチリとカメラ目線で写っていた。


「ああ、そうだ。しかもコイツ、先週の満月の時にはホストとヤクザ、合わせて十五人を殺してる。さらに五日前には、関西の京道市だかにある『爽やか商店通り』ってとこで、七人くらいの無差別殺人までやらかしてる」


 正面に座って踏ん反り返る九鬼連理が、渋い顔を俺に向けながら、追加で三枚の写真を見せてきた。受け取って、思わず顔を顰める。

 その写真の一枚目に写っているのは、芋虫のように両手足を失って、血の海で蠢いている男性たちの姿だった。男性たちは例外なく下腹部が押し潰されており、身体中切り傷だらけで、首から上だけが綺麗な状態だった。

 もう一枚目は、血の海に沈んでいる複数の首なし遺体である。先ほどまでの写真と比べれば、だいぶ見た目はマシな部類だが、男女関係なく全員、同じように首を失って倒れている様は一番ホラーかも知れない。

 最後の一枚は、美少女が神秘的な笑顔を見せながら、踊るように回転している瞬間の写真で、それだけ見れば、振るわれている双剣が美しい剣舞を思わせるだろう。問題は剣舞の先で、人間が空中分解されている点である。

 血飛沫と撥ね跳ぶ四肢、恐怖と驚愕で唖然とした人間の顔が、美しい舞を見せる美少女との対比で異様さを際立たせている。これは、シンプルに恐怖写真でしかない。


「――その写真は、先月の満月の時だな。ちなみに撮影者は、その後、同じ目に遭って死亡してる」


 俺は、見ていられない、と写真を裏返しに伏せた。どれだけ危険な存在か、改めて理解した。こんな所業をして笑える様は確かに、人の姿をした魔獣でしかない。


「……それで、この月梅花は、何が目的で訪日してるんだ? ホストとかヤクザとか、何の意味があって殺したんだよ?」

「意味がねぇから、脅威度SSの魔獣認定されてんだろ――だが、今回は明確に意思表示されたぜ」


 これだ、と言いながら連理が携帯で録音された音声を流した。


『今回メイファは、鳳仙綾女という女を殺すために日本に向かう。メイファの邪魔をするなら、誰であろうと皆殺しにする。これ、警告である』


 それは、スピーカーで流された音声を録音したような響きをしていた。少しだけひび割れて、ハウリングしている音声である。

 流暢な日本語で、凛とした宣言だった。

 スピーカーを流し終えた連理は、溜息を漏らしつつ携帯の画面を見せてくる。そこに表示していた日付は、八月八日――満月の日である。


「今回の訪日理由は、これだとよ。どうしてか知らんが、市松人形ちゃんが狙われてるみたいだな」


 連理の他人事のような言葉に、俺は苛立ちをぶつけるように怒鳴りつけた。


「どういうことだよ! 綾女さんが何をしたって言うんだ!? どうして狙われ――」

「――知らねえよ。オレが知る訳ねえだろ。ちょっと落ち着けよ、十八。んで、どうしようもない問題は二点ある。次の新月が近いってことと、狙いがよりにもよって市松人形ちゃんだ、ってことだ。オレが何を言いたいか、分かるな?」


 言いながら、連理はぬるい梅昆布茶を口にしていた。

 あえて氷を入れて温度を下げる飲み方には、いつも首を傾げるところだが、いまはそんなことは気にならなかった。


「分からねぇ――新月が近い、ってどういうことだよ?」

「あん? そっか、十八は【嫦娥】のことを詳しく知らねぇのか? そりゃ、面倒……だが、ま、簡潔に説明してやるよ」


 チッ、と露骨な舌打ちをしつつ、連理は身を乗り出して教えようとしてくれた。

 他人には察せよ、と普段から言葉少ない性格だが、分からないと素直に言えば、面倒臭いと言いつつ懇切丁寧に説明してくれる。この優しさは、いつもながら感謝している。

 連理が、いいか一度で覚えろよ、と真っ直ぐ俺を射貫くように見てきた。コクリ、と頷いた。


「こいつの異名に『朔望殺手』ってあるだろ? そこで察して欲しいんだが、コイツはな、新月と満月の夜に、殺人衝動が爆発するんだ。その都度、殺人衝動にだけ従って人を襲う化物に変貌する。この異常性、不死性、強さを全部ひっくるめて【嫦娥(ジョウガ)】って異名を与えられてる」

「……嫦娥、って、何だよ?」

「マジか、十八!? 常識じゃん――って、いや、ま、知らんくてもしゃあねぇ、のか? あのな、嫦娥ってのは、中国神話で出てくる月の女神の名前だぜ? 不死の薬を盗んで、月に逃げた――っと、んな神話はどーでもいいな。重要なのは、コイツの殺人衝動が厄介ってことだ」


 連理は携帯で月齢カレンダーを表示して俺に見せてくる。

 次の新月は、八月二十二日となっていた。今日が十五日なので、一週間後である。


「この月梅花の殺人衝動には、イカレた特性があるらしい。新月の夜では強者を殺したい欲求が高まり、満月の夜では無差別に多くの人を殺したい欲求が高まるんだとよ――ちなみに、魔術回路を自覚はしてるし、何らかの異能も覚醒してるようだが、どっちも使った形跡がない。恐らくは魔力の使い方自体、知らないんだと思うが……もしかしたら、魔力操作や異能の必要性を感じてない、ってのが正しいかもな……そもそもコイツ、素のパフォーマンスだけで、ガチに魔女を殺せる類の化物だぜ? オレはおろか、単独じゃ多分、虎姫も敵わないかも知らん。才能だけなら、天火姉さんを超える化物だ」

「……いや、そんなことより、連理……強者を殺したい欲求が高まる、ってどういうことだよ?」

「オレが懸念してんのは、そこだよ。分かってるだろ? 最悪の想定を、よ」


 連理の悪い癖で、みなまで言うな、と察することを強要してくる。しかし俺としては、思いつく限りの最悪の想定など、口に出して否定したい気持ちだった。

 連理がわざわざ、俺をこの特別会議室に呼び出した理由を考えたくなかったのだ。


「オレがいま、ここで十八にだけ伝えてることを理解しろよ――護国鎮守府はこの件に、一切の不介入を貫く意向だが、第壱戦斗部の部内方針は異なる。先日、鎮守格四極(シキョク)会議でもって、第壱戦斗部所属『鳳仙綾女』には、脅威度SS級魔獣『月梅花』の単独討伐命令が下された」

「ふざけんなっ!!」


 俺は癇癪を起したようにテーブルを強く叩いた。そうしたところで、この決定が覆ることはないのも理解しているし、駄々をこねたところで無意味なのも知っている。向かい合って座っている連理に文句を言ったところで、何も出来ないことさえ分かっている。

 けれど、無駄だと分かっていても、どうしても、ふざけるな、と叫びたかった。


「十八。今回のこれ、蒼森(アネ)が騒ぎ出したのが発端だって聞いてるぜ? 梓鶴(シヅル)さんを差し置いて、やたらと市松人形ちゃんを敵視してたらしい。完全に私怨だろうが――なんか痴話げんかでもしたのか?」

「……はぁ? 蒼森姉って、望夜(ミヤ)さんが? いや、知らないけど……この前の、お見舞い、の時とか、か……?」

「ふぅん――ま、そこは、どうでもいいか。ともかく、この命令は、市松人形ちゃんに伝える流れだ。当然、単独討伐命令だから、十八を含めて、誰もこれを手伝うことは許されない。手助けすることも禁止されてるぜ?」

「……護国鎮守府として、不介入を貫くなら――」


 俺が苦情を口にすると、連理が呆れた顔で、もうこれ以上言うな、と鋭く睨みつけてきた。


「――いいか? オレが挙げた問題点の二つを、詳しく説明してやるよ。新月が近いから、この月梅花は今現在、市松人形ちゃんを殺すこと、とは別に、他の強者も探して彷徨ってる。どっかで偶然でも遭遇したら、誰だろうといきなり襲われる。だから十八は少なくとも、夜六時以降の外出は禁止だ」

「…………俺は、小学生かよ?」

「陽が沈み始めて、夜の時間帯になったらもう危険なんだ。だから、市松人形ちゃんと一緒に居たり、単独で外を歩いてたりしたら、巻き込まれる公算が高い。当然、虎姫もオレもコイツが帰国するまでは外出は控える。幸いだが、天火姉さんは遠征で日本に居ねえからセーフだしな――んで、肝心の二つ目だ。狙われてるのが、市松人形ちゃんだからこそ、護国鎮守府としては関わるな、ってお達しを出してる。つまり護国鎮守府の裏側の意向は、市松人形ちゃんを切った、ってことだ。当然ながら、このことを、あの戦闘狂の市松人形ちゃんに伝えない理由もない。さて、伝えれば必然、あの市松人形ちゃんは月梅花を探すはずだろ? そしたらあとは、野となれ山となれ、だ」


 俺は悔しそうに下唇を噛んだ。言いたいことは分かる。この話が綾女さんの耳に入ったら、きっと彼女は間違いなく、嬉々として夜の街を練り歩くだろう。

 強者と闘うことに悦びを感じる性格を思えば、ウキウキしながら頷く光景が容易に浮かぶ。


「ちなみに、鎮守格四柱(シチュウ)会議を開いて、市松人形ちゃんを隔離する、みたいな決定も不可能だぜ? オレと十八が承諾出来ても、天火姉さんは不参加、虎姫も声を掛けるな、っつってたからな――」

「――じゃあ例えば、ほとぼりが冷めるまで別の任務で海外に――」

「――オレがいま、十八にだけ伝えてるってことを察しろよ。今回、月梅花の単独討伐命令は、龍ヶ崎家には秘密にするって決定だぜ? それを捻じ曲げて教えてるんだから、十八が何をしても、もう無駄だってことだ」


 あの手この手で、何とか綾女さんと月梅花の接触を回避しようと考えるが、この連理の言葉で完全に打つ手なしになってしまった。

 連理は俺に人差し指を向けた。右手で銃を形作って、額の位置に指の銃身を向ける。


「ここまで詳しく説明して、もういい加減察したか? オレが、わざわざここまで来て、秘密をベラベラ喋ったってことは――オレが監視役ってことだぞ?」


 ああ、と苦虫を噛み潰したような顔で、小さく頷く。

 俺が勝手な行動をしないよう、どこかでこの話が漏れないように、先んじて連理がやってきた状況らしい。つまりは、これ以降、俺に自由行動は許されないようだ。

 ここまで用意周到に準備されていると言うことは、この展開は、ここ数日の話ではないのだろう。


「……これ、いつから決まってたことだ?」

「お、諦めたか? 諸々が決定したのは、さっきの宣言がされた八月八日だが……市松人形ちゃんに関して何らかの制裁を加えるべきだって流れは、七月最終日辺りには決まってたぜ? 原因は言わずもがな、十八の入院が引き金だからな? だからこそ、十八に市松人形ちゃん関連の話を通さない、って方針も、八月二日には決定してた。そこまで話が進んだから、もう仕方ねぇってなって、虎姫とオレが十八をコントロールする運びになった」


 連理の言葉に、クソ、と悪態を吐いた。

 病院で臥せっている間に、想像以上に状況が悪化していた。

 ただでさえ護国鎮守府内では、綾女さんの評判は下落し続けている。暴走するなら殺すべきだ、という過激な発言をする連中も一定数存在していた。これは、コントロール出来ない人間は、護国鎮守府には不要という保守派である。

 そして保守派の筆頭としては、鎮守格十二家のうち、四極と呼ばれる『蒼森(アオモリ)家』『白華(ハッカ)家』『黒丘(クロオカ)家』『朱山(シュヤマ)家』である。

 四極の当主たちは口を揃えて、【人修羅】を名乗る綾女さんを殺すべし、と訴え続けていた。

 そんな訴えを、俺は龍ヶ崎家当主の権限で何とか抑えていた。これには、九鬼家当主の連理も、虎尾家当主の秋姫も協力してくれていた。

 だと言うのに、気付けばこの切羽詰まった状況になっていた。人の悪意を、これほど厄介に思ったのは久しぶりだ。


「ま、十八がこれで納得するとは思わんし、納得させようとも考えてない。ただ、救済措置はあるようだぜ? まぁ、十八は絶対にそれを呑まない、と思うがな」

「――救済措置? 何だよ!? それで、綾女さんを助けられる、のか!?」

「ええ。十八さんが望むのならば、アヤメちゃんを助けて差し上げても宜しいですよ? その代わり、条件がありますけど――」


 俺が期待に瞳を輝かせた瞬間、背後のドアが開いた。同時に、聞き慣れた声も聞こえてきた。慌てて振り返るとそこには――蒼森望夜が居た。

 現れた望夜さんは、俺の隣に座り、いつも通りに冷淡な表情のまま連理に流し目を向ける。

 連理は連理で、これ見よがしに舌打ちして、苦々しい顔で押し黙った。手の拳銃は上に挙げて、そのまま机に下ろしてる。


「――十八さんが、ワタシとの婚姻を承諾してくれれば、撤回命令を出すのも吝かではありませんよ? 十八さんもまだ遊びたい盛りとは思いますが、私欲より先に、龍ヶ崎家当主としての自覚を持っていただきたいので――」

「――望夜さんが、なんでここに!?」

「……十八さんが呼び出されたと耳にしましたので、交渉しようと思い参りました。ワタシも多少の火遊びには目をつぶるところですけれど、流石に、これ以上は看過できませんよ? いい加減に懲りてくださいませんか? あんなメンヘラ女――アヤメちゃんの自己都合に巻き込まれて、十八さんが怪我をするなんて馬鹿げています」


 望夜さんが俺の肩に手を添えた。それを見た連理が、鼻で笑いながら続ける。


「十八よ。蒼森姉が言うには、今すぐ婚姻届けにサインすれば、救済措置で、市松人形ちゃんには今回の任務を伝えないで置いてやる、らしいぞ?」


 望夜さんは連理の言葉に頷いている。俺は不愉快そうに眉根を寄せてから、望夜さんの手を優しく払って向き直った。

 真っ直ぐと望夜さんの顔を見て、思い切り勢いよく頭を下げる。


「望夜さん、お願いだ! 婚姻に承諾は出来ないけど、四極会議の決定を覆して、綾女さんには天火先輩のヘルプをお願いしてくれないか!?」

「――――不愉快、です」


 俺は誠心誠意に頭を下げた。無理難題の要望には応えられないので、必死にお願いするしかない。

 望夜さんの立場では、四極会議の決定を覆すことは出来ない。けれど、独断で勝手に反故にしても、恐らく罰せられることはない。

 望夜さんは当主ではないが、鎮守格十二家の中では誰からも一目置かれる存在であり、一番発言権を持っている。


「頼むよ、望夜さん!! 俺に協力――」

「――十八さんにお聞きしますが、それほど、アヤメちゃんが好きなのですか?」


 望夜さんが顔の半分を隠した前髪を掻き上げて、両眼で強く俺を睨み付ける。その表情には、凄まじい嫌悪感が浮かんでいた。

 俺は一瞬だけその返答に躊躇したが、恥ずかしさを呑み込んでしっかり頷いた。


「ああ……多分、好き、なんだと思う……けど、それ以上にいまは、綾女さんが心配なんだよ。綾女さんは、酷く危うい。普段から、死にたがりだし……この、月梅花みたいな化物と闘ったら、またきっと……死ぬほどの怪我をするに決まってる……」

「十八さん、ワタシは非常に不愉快ですよ? けれど……分かりました。ワタシもそこまで狭量ではありませんから、大人になりましょう。譲歩出来るのは、愛人として囲うまで、です。許せる火遊びはそこまでで、ワタシとすぐに婚姻を結んで――」

「――そのへんにしとけよ、蒼森姉。十八も、無駄なの分かってるだろ? 救済措置を選ばないなら、今日は解散しようぜ? ちなみに、十八はこれから、オレが連行するけどな」

 

 連理が俺と望夜さんの間に手を差し入れて、魔術で炎の壁を展開した。

 凄まじい熱気に、俺は思い切り顔を顰める。一方で、望夜さんは慌ててその場から跳び退いた。

 望夜さんは魔術耐性が低いので、その一瞬だけでも長い前髪の毛先が焦げていた。咄嗟に顔を庇った腕も多少火傷している様子だ。


「連理さん。こういう武力行使は、無礼ですよ? ワタシと十八さんの会話に水を差して――」

「悪りぃけど、蒼森姉。オレが寛容できる修羅場は、ここまでだ。猫も喰わねぇ痴話喧嘩は、オレが見てないとこでやってくれよ。だいたいよぉ、もう交渉決裂してるだろ?」


 連理がそう言いながら立ち上がった。炎の壁は霧散して魔力の粒子に変わり、次の瞬間には、俺の身体を拘束する炎の鎖へと転じた。

 クソ、と舌打ちしつつ、両手を拘束する炎の鎖に魔力で抗った。ダメージこそないが、外すのにはだいぶ苦労する強度だ。逃がす気はないらしい。


「おい、十八。一つだけ、オレも蒼森姉と同じこと言うぜ? 十八はもう少しだけ、龍ヶ崎家当主の自覚を持った方がいい――市松人形ちゃんに惚れるのは勝手だが、アレは十八の手に負えるような女じゃねぇからな? あの化物と一緒に居たら、正気じゃ居られなくなるぞ?」

「……連理も、望夜さんも、綾女さんを勘違いしてると思う。綾女さんはああ見えても、ちゃんと人間らしい部分があるし……いままで、辛い目に遭ってきたからこそ、少しだけ捻じ曲がっただけ……」

「――本当に、不愉快です。けれど、十八さんが洗脳されているのは、充分に理解できました。連理さん。申し訳ありませんけど、十八さんをしっかり監視してくださいませ。ワタシはもう戻らせていただきます」


 望夜さんが氷のような表情でそう言って、来た時と同様の唐突さで、すぐさま特別会議室から出て行った。それを見送ってから、連理が俺を呆れたような顔で見てくる。


「十八よ。んな訳で、とりあえず夏休みの間は、オレの監視下に置くぞ? 行動範囲も制限して、護国鎮守府本部内から一歩も出させねぇ。当然ながら、市松人形ちゃんとの連絡も禁止だ。何かあれば、オレが直接対応してやるよ――さて、腹減ったな? 今日はカツ丼でも食うか?」

「…………出来れば、ラーメンが良いな」


 俺は諦めたとばかりに天井を見上げて、長く深い溜息を漏らした。

 この場では、もう何も出来ないだろう。ここまで手を回されたら、流石に抵抗は無意味だ。一旦は静観して、情報を整理することが大事である。


「んじゃ、食堂に移動しようぜ――ちなみに十八。下世話な話だけど、静ちゃんとの関係は今どうなってんだよ?」

「……マジで下世話だな……静姉ちゃんは、遊馬さんに任せてるよ……」

「ヘタレだよなぁ。それが十八の良いとこかも知れんけど、オレからすりゃ、ハッキリ言ってただの臆病者(チキン)だぜ? 傷心の相手を慰める意味でも、一発ヤっとけば良いのによ――余裕で童貞を卒業できただろ?」

「……それ、女の台詞じゃねぇよ。ってか、そういうのは、遊馬さんに言えよ」

「司は焚き付けても無駄だろ。十八よりずっと純情(ピュア)だから、ワンナイトラブ的なのは受け入れられないんだよ。って、ま、ヘタレ十八じゃ慰めるなんて無理か……」

「…………ヘタレ、じゃねぇよ。俺だって純情――」

「――黙れよ、ヘタレ。純情ってのは、移り気なしに一人を想い続ける気概を言うんだよ。それこそ静ちゃんみたいな、よ。他人に同情して、気持ちが揺れるうちは、純情とは言わねぇよ」


 連理がバッサリと断言して、俺の肩に手を回してきた。後ろ手に炎の鎖で拘束されているが、歩くのには支障はない。肩を組んだまま、俺たちは食堂に向かった。

 俺は心の中で強く、綾女さんの無事を願う。せめて死なないでくれ、無茶なことはしないでくれ、と強く強く祈る。

 これでもう、夏休み期間中、綾女さんには逢えないことが決定してしまっていた。

さて、時系列としては、この舞台裏から第七章に続きます。

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