第九夜(1)
時刻は正午。空を見上げると雲一つない快晴で、風は無風に等しかった。
現在の気温は35℃、湿度は90%を示しており、まるで蒸し風呂にいるような天気である。
今朝の天気予報では、今日はこれから更に気温が上がり、八月の最高気温を更新する勢いだと言っていた。不要な外出は避けるよう注意報道もされていたくらいである。
こんな炎天下の中では、ただ立っているだけでもジワジワと汗が浮かぶ。
それでなくとも、変装のつもりで黒いパンツスーツ姿をしているのだ。黒いスーツ全体が直射日光を浴びて、まるでサウナに居るかのような暑さを提供してくれていた。ちなみに、いまのわたしは、髪型も普段と変えて一つに束ねたポニーテールで、似合わないサングラスをかけている。
傍から見ると怪しい探偵である。正面左手側、すぐ傍にあるバス停の列に並んでいる風を装って待機しているが、明らかに周囲から浮いていた。
「――じゃあ、あとは段取りの通りでよろしくっス」
隣でチラチラと時間を確認していた柊南天は、よし、と気合を入れてから、八重家の裏手に駆け足で去って行った。
わたしは柊南天を見送ってから、先ほどと変わらず、バス停待ちの列からズレた壁にもたれて、向かいの通りにある八重家の正門が開くのを待っていた。
腕を組んで何やら正面をジッと眺めているわたしに、周囲は訝し気な視線を向けてくる。
徐々に、バス停待ちの列が長くなってきていた。列はちょうど良い塩梅で、壁にもたれているわたしを覆い隠す壁の役割になっていた。
八重巴の呼び出しは無事に成功していた。
柊南天はつい先ほど、例によって例の如くボイスチェンジャーで声を変えて、為我井清香を名乗り、警察署に出頭しろ、と命じていたのである。
八重巴は、そんな柊南天の成りすましに気付かず、なんだかんだと渋りながらも了解していた。わたしはその呼び出しで、八重巴が釣られたのを確認するため、ここで状況を見守っている。
(いいっスか? くれぐれも、戦闘場所は間違えないようにしてくださいっスよ?)
姿の見えなくなった柊南天の釘刺しに、判っている、と強くイメージを飛ばした。
しばらくしてから、ようやく正門が開いて、白い軍帽と白い軍服、挙句に、この炎天下だというのに灰色のロングコートを羽織った八重巴が現れた。
わたしはすかさず気配を断って、修得したばかりの【空無之位】を発動させた。
刹那、正面に並んでいるバス停待ちの列の数人が、わたしの姿を見失ったように不思議そうな表情を浮かべていた。その反応を見るに、どうやら無事、存在感を消せたようだ。
腕を組んで堂々と壁にもたれている黒服サングラスのわたしに、周囲の誰も違和感を覚えていない。
八重巴は正門を出て立ち止まり、ジロリと周囲を眺めて、大通りを歩く通行人、辺りの気配などを探っていた。だいぶ警戒している様子である。
「あれ……コスプレか?」
「え、モデルさん? 何? 撮影?」
バス停待ちの列に居る数人が、向かい側の通りに現れた軍服ロングコートの八重巴を認識して、途端にざわつき出した。
あれだけ目立つ格好をしていれば当然だろう。だが、そんな注目の的になっていても、八重巴はさして気にした風もなく、堂々としたままバス停とは逆方向に歩いて行く。
一瞬だけ、バス停の列を眺めていたが、わたしの姿には気付けなかったようだ。
「……いま視れば、あの服装、かなりの霊力を持ってます……まるで霊衣ですね。凄まじい霊圧を纏っています……」
ボソリと呟いた。霊能力を開花したいま、八重巴が纏う軍服の異常さが嫌と言うほど理解できたのだ。初対面の時に感じた『雪女』と言う印象は、あの軍服が放つ怖気、強烈な霊圧が原因だろう。
思わず内心でほくそ笑む。あの軍服を纏っているいまの八重巴は、少なくとも昨日、八重家の剣道場で闘った時よりも強いはずだ。アレは、着ているだけで全身を強化する性質のモノである。
(――うちは無事に八重家に潜り込みましたっス。んじゃ、綾女嬢もお気をつけて! ご武運を祈るっス。ちな、予定通りなら、あと十五分前後で到着するはずっス)
脳内に柊南天のテレパシーが届いた。わたしは、了解、と小さく呟いて、通りの角を曲がった八重巴の後をゆっくりと追う。たとえ距離を置いても、見失うことはない。
八重巴が向かっている先は、京道中央警察署である。ここから徒歩で三十分程度は掛かる距離だ。決して近くはないが、遠いと言うほどでもない。向かうのに、幾つかのルートが存在しているが、そのうち八重巴の使うルートも既に把握している。先回りは容易である。
(まぁ、この炎天下で、日傘も差さずに歩いて向かうのは、だいぶおかしいですけれど……)
わたしは仕込刀に付いている日傘を差して、とりあえず回り道を選択した。
合流地点は、予め地図を見て頭に叩き込んでいる。ここから二十分程度――そこで、八重巴と決着をつける予定である。
歩きながら、それにしても、と考える。
事前に柊南天から聞いていたが、どうして八重巴は徒歩で向かうのだろうか。この猛暑であれば、タクシーを使うのが一般的ではなかろうか。
『安心してくださいっス! 絶対に巴女史は、徒歩で向かうっス。だから、綾女嬢は先走らず、確実にバレない距離でストーキングしてくださいっス』
今朝のやり取りが脳裏にフラッシュバックする。
自信満々にサムズアップしていた柊南天に、わたしは胡散臭い視線を向けたが、実際、徒歩で向かっているのを見せられては、ぐうの音も出ない。
フッと脱力した瞬間、空無之位が解けた。途端、通り過ぎる通行人たちが、ギョッとした様子でわたしを認知する。通行人からすればきっと、突如そこに現れたように感じたのだろう。
まだまだ未熟だ。三分前後しか、空無之位を維持出来なかった。
わたしは浮き出る汗を拭いながら、少し速足で大きく回り込んで先回りした。このまま行けば、京道中央警察署の裏手に出るルートである。
この時間、昼時だからだろう。猛暑日の炎天下でも、街中は人で溢れている。
オフィス街を通り抜ける道でもあるからか、ジャケットを身に着けたサラリーマンも多く歩いていた。わたしのようなパンツスーツでも目立つことはないのは幸いだ。
オフィス街を抜けて、裏道を通り、閑散とした歓楽街を過ぎて、京道中央警察署の裏門のところに出た。当たり前だが、地図通りである。
わたしは警察署を見上げる。予定通りであれば、いまこの署内に為我井清香はいない。外回りに出ており、戻ってくるのは一時間後である。
「――計画通り、一時間以内に終わらせましょう」
静かな決意と共に、わたしは深呼吸してもう一度、空無之位を発動させる。同時に、霊感を用いて100メートル範囲内の索敵を行う。八重巴の気配はまだない。
想定より早く来ることはなかったようだ。これで万が一の懸念点もクリアできた。
さて、と意識を切り替えて、日傘を畳んだ。
わたしは警察署の正門まで回り込んで、大通りを進んで行く。
このまま真っ直ぐと進むと、五分ほどで陣河駅が現れる。その手前にある大きな十字路を左折して、狭い裏路地に足を運んだ。
道幅が狭いグネグネと曲がった裏路地は、売り家となっている古民家や、支度中と看板が出ているがとっくの昔に倒産したような居酒屋、何を販売しているのか分からない店舗が並んでいた。その並びにある高層ビルは築三十年を過ぎているだろう老朽化具合で、入っているテナントの名称は薄汚れて読めない。ランチの看板が出ている飲食店は、昼時にも関わらず殆ど人が居なかった。
どこか薄暗い雰囲気で、通行人はチラホラ居るが、迷い込んだと思われるスーツ姿のサラリーマンと、明らかに堅気ではない雰囲気を持つ厳つい青年だけだ。
「……どういうことじゃ? 何故、ここに鳳仙殿が居る?」
「こんにちわ、八重さん。昨日ぶり、ですね?」
そんな中、正面からゆっくりと歩いてくるロングコートに白い軍服の八重巴を出迎える。やはり、柊南天の言う通り、八重巴はこのルートを通ってきた。
わたしと八重巴は5メートルほどの距離間で立ち止まり、互いに覇気をぶつけ合う。
「おい、邪魔――――ひぃ!?」
狭い裏路地のド真ん中で立ち止まっているわたしたちを見て、通行人の男性サラリーマンが邪魔そうにイチャモンを付けようとした。瞬間、強烈な殺気を中てると、女の子みたいな悲鳴を上げて来た道を慌てて走って戻っていく。
明らかに只ならぬ空気を放つわたしと八重巴を見て、歩いてきた通行人たちはみな、関わらないようにと道の端に寄って、そそくさと逃げていた。
「――儂は今日、爆弾娘に呼び出されておる。悪いが、鳳仙殿と語らっている暇はないのじゃが?」
「それは失礼しました。けれど、ご安心くださいませ。清香さんはいま、警察署には居りませんよ?」
「居ない? それはどういうことじゃ? まさか……鳳仙殿が、あの爆弾娘に何かしたのか?」
「いいえ? わたしが清香さんをどうこうする訳ありませんよ?」
わたしの問答に、八重巴は怪訝な表情を浮かべる。どうやらわたしが為我井清香に成りすました、という可能性に思い当たっていない様子だ。
しかし、それは当然か。成りすます理由も思い当たらないのだろう。
「鳳仙殿は、儂に何か用事があるのかのぅ?」
「ええ、その通りですよ――いまこの場で、昨日の続きをしましょう?」
不敵に笑うと同時に、霊力と魔力、覇気を全解放して、全力の殺気を八重巴にぶつけた。一瞬だけ眉根を寄せて、無意識に一歩後退りしている。
「……昨日の続き、じゃと? 何を馬鹿な……断る。後日、儂からまた連絡を――」
「――今回、わたしは八重さんの要望を飲んで、昨日の賭け試合を行いました。しかし、それでもう貸し借りなしでしょう? と言うことは、次、同じ条件でやることはありません。何故、八重さんの都合ばかりを飲まないといけないのですか?」
「――――チッ」
周囲を支配するほどの魔力と霊力で、八重巴を押し潰さんばかりにプレッシャーを与える。
すると、八重巴は苦々しい顔を浮かべて舌打ちして、唐突に無表情になった。スッと殺気が引き、その全身から気配という気配が消え失せた。
「鳳仙殿の要望は理解したが、儂はこの場では勝負などせぬぞ? 昨日の闘いで十二分に理解しておる。いまの儂と鳳仙殿では、儂が負ける」
「果たしてそうでしょうか? 昨日は全力ではありましたが、死力は尽くしておりませんよね?」
「だとしても、ここでは人の目もあるじゃろぅ? 京道中央警察署のお膝元じゃし、警官もよく警らしておる道じゃ。この裏路地の入口と出口には、監視カメラもある。闘うなぞ不可能じゃろぅ?」
「あらあら、随分と常識的な――それくらいでわたしが引き下がるとでも?」
八重巴はこれ見よがしに溜息を漏らして、首を振っていた。何とかわたしを説得してこの場をやり過ごそうとしている。けれど、逃がす訳がないだろう。
「――鳳仙殿。儂はこの場では、生憎だが本気は出せぬぞ? 衆目もある中で、闘う気なぞないし意味もないじゃろぅ? 闘いたければ、後日、儂からの連絡を待つが良い」
「嗚呼、それはいけません。そもそも、八重さんに拒否権はありませんよ?」
わたしはそう宣言しながら、仕込刀を抜き放つ。美しい白刃が八重巴の胸元に突き付けられた。その光景を見て、周りの通行人が俄かに騒ぎ出す。
携帯電話を取り出して、警察に通報しようとしているサラリーマンが居たので、強烈な殺気と魔力、覇気をぶつけた。ビクッと身体を振るわせて、そのサラリーマンは携帯を取り落としていた。
「……ふむ。思ったよりも、だいぶ正気ではないのじゃな? まあ、それこそが【人修羅】の精神性なのかの?」
「少し心外なのですけれど――皆さん、まるでわたしを狂人のように言うのですね? わたしはただ純粋に、闘うことを優先しているだけですよ?」
「ふむ。これ以上は問答せぬよ。儂と鳳仙殿の感性が決定的に異なることは、もう理解しておる――そのうえで、再度告げるが、儂はこの場で闘う気はないぞ?」
八重巴は、トン、と軽いバックステップで、後方に3メートルほど後退った。やる気はなく、完全に脱力している状態である。だが同時に、両手には霊力が集中しており、その双眸には魔力が篭められていた。
どうやら魔力視も駆使して、わたしの挙動を警戒しているようだ。
なるほど。闘う気がないのは事実だろう。けれど、わたしが逃すはずがないのも承知している様子だ。
恐らくこれから、不毛な追い駆けっこが始まると想定しているのだろう。
「言っておくが、鳳仙殿。いまの儂では、鳳仙殿に勝ち目はないが……鳳仙殿から逃げ果せるくらいは造作もないぞ? 戦闘力、魔力の出力では負けを認めても、索敵能力や周辺感知能力、霊感の精度では、自惚れなしに儂が格上じゃぞ?」
それは事実である。魔力の操作技術、霊力のコントロール、霊装技術の質などのあらゆる技術力は、素直に脱帽するほど老練である。
実際、八重巴は薄い魔力を伸ばして全身を覆い、軍服の放つ霊圧に魔力の層を重ねていた。霊力と魔力の二重構造をしたその白い軍服は、霊装技術を駆使していない状態だと言うのに、性能は既に霊衣を纏っているのと変わらないだろう。
両手に集中している霊力は、手首に隠している暗器に注ぎ込んでおり、その気になった瞬間、強力な霊剣となって姿を現すに違いない。
わたしがどこから飛び掛かっても、それを捌くシミュレーションが脳内でイメージされている。
「ええ。逃げる、という選択肢が存在していれば、いまのわたしでは八重さんを追い詰めるのは困難でしょうね」
「……逃げるという選択肢が存在していれば? 儂が、逃げる以外の選択をするとでも思うておるのか? どれだけ挑発されようとも、儂は鳳仙殿と闘わぬぞ?」
「さて、それはどうでしょうね?」
わたしがニコリと首を傾げてみせた。その態度に、八重巴は怪訝な表情に変わって、周囲を改めて一瞥していた。何か罠でも仕掛けられているのか、と疑っているようだ。
罠を仕掛けた、という発想は、間違いではないが正解ではない。あえて言えば、この会話による時間稼ぎこそが最大の罠である。
さて、それはそれとして、周囲には、逃げるに逃げられなくなったサラリーマン風の男女が四人、堅気ではない空気をしたチンピラ風の青年、大学生と思しき男女のカップルが、この異様な雰囲気に怖気づいて立ち止まっていた。巻き込まれたくない気持ちで、道の端に寄って遠巻きに成り行きを眺めている。
野次馬のつもりではなく、恐怖に委縮して動けない様子だった。こんな場面に遭遇してしまい、災難なことである。
そんな部外者を一瞥して、八重巴がわたしを鋭く睨みつけてきた。
「これだけの目撃者が居る中で、一体何をしようと言うのじゃ? この裏路地は狭く人通りは少ないが、それでも日中帯は、ひと気がない訳ではない。それに監視カメラが設置――」
「――監視カメラは問題ではありませんし、人通りと言う点でも、別に配慮に値しません。後で、そんなものはいくらでも、どうとでもできますからね。ちなみに、目撃者など気にする必要ありません」
わたしはそう宣言すると同時に、仕込刀【魔女殺し】を振るった。目にも留まらぬ速度で、白刃が中空を美しく彩った。
風切り音を置き去りにした刀の残像は、八匹の蛇を形作っていた。
「――――なっ!?」
驚愕の声は、向かい合う八重巴からである。八重巴は慌てた表情になり、霊力を篭めた掌打を繰り出して、襲い掛かってきた蛇状の斬撃をいなしていた。
けれど、それ以外の目撃者たち――遠巻きに成り行きを見守っていた観衆は、何が起きたか分からぬまま、首から上を吹っ飛ばされていた。当然ながら、反応さえ出来ず、全員が即死だったろう。
わたしが放ったのは、霊力を篭めた剣気を、更に魔力で纏った飛翔する斬撃である。それは霊力で指向性を持たせた細長い蛇となって、目撃者全員の首筋に噛み付いたのである。
うち一匹は八重巴に向かったのだが、それは軽々と弾かれた。
「八重示現流、終の剣技【八岐大蛇】――でしたか? 合っていますか?」
「…………化物め。技を視せただけ、じゃぞ?」
その場に血の臭いが充満すると共に、バタン、と首のない遺体が七体、地面に転がった。
先ほどまでのざわめきは途端になくなり、辺りは静まり返る。この場で生者は、わたしと八重巴の二人だけになる。
「ええ。視ただけ、ですよ? だから、八重さんほどの威力は出せませんでした」
わたしは刀を大きく二度三度と素振りしてから、切っ先を正面の八重巴に向ける。
「さあ、これで邪魔者は居なくなりましたよ? 昨日の続きを、思う存分に殺り合いましょう?」
「残念じゃが、鳳仙殿。ここまで人死にを出すと、警察だけではなく特異課も本格的に動き出すぞ? 儂ら異端管理局でも、この大ごとは――」
「――ご安心を。そこの調整は、事前にクリアしております。それに大体、五百蔵さんを殺した時だって、これより多くの死傷者が出ていますよ?」
ふふふ、と笑みを浮かべれば、八重巴は口元を引くつかせて苦笑していた。もはや話にならない、とでも思っている様子だ。
ジリジリと、静かに後退りを始めている。
「鳳仙殿。悪いが、もう儂は帰らせてもらう――これ以上、無駄な問答を繰り返したところで、儂の行動は変わらぬ。逃がさぬと言うのであれば、勝手にせよ」
「あらあら、そんなつれないこと言わないでくださいよ――まあ、もう手遅れですけれど」
「何がじゃ――――な、にっ!?」
八重巴が全身から魔力と霊力を放ち、わたしから目線を切って駆け出そうとしたところで、ピタリと身体を硬直させた。途端、驚愕の顔になり、わたしに背中を向けて、背後を振り返る。
どうやら、ここまで接近してようやく、その存在を感知出来たようだ。とはいえ、わたしでさえ、正面に姿が視えていても、その存在感を知覚出来なかった。そう考えると、八重巴の索敵能力はやはりわたしより数段格上のようだ。
「……約束の時間より少し遅れたか? 昨日ぶりだな、第六席とお嬢さん。もう始めているのか?」
足音もなく、気配もなく、優雅に現れたのは天桐・リース・ヘブンロードである。彼女は、八重巴の逃げ道を塞ぎつつ、こちらに向かって進んでくる。
その姿を見て、八重巴は百面相のように表情をコロコロ変えながら、わたしと天桐・リース・ヘブンロードを交互に見ていた。様々な感情が浮かんでは消えている様子が分かった。
わたしは、そんな反応に満足気に頷いた。してやったり、とばかりにドヤ顔を浮かべる。
「どういう、ことじゃ、イージス殿? 何故に、こんなところにお越し下さったのか?」
「聴いていないのか? 私は今日【人修羅】に呼ばれてね。なんでも、第六席と正式に殺し合いたい、だそうだ。その公正な立会人として、やってきた」
「……殺し合いたい、じゃと? 鳳仙殿、どういうことじゃ?」
「言ったではありませんか? 昨日の続きをしましょう、と――それはつまり、殺し合いに他ならないですよね?」
不敵な笑みに、八重巴の顔が怒り心頭とばかりに憎悪で歪んでいた。整った相貌だからこそ、恐ろしいほど歪んだその形相は、まるで白い鬼を思わせる。
「円卓六席オフィサー、私はここで、円卓席次戦の開催を宣言しよう――条件は、昨日の賭け試合と同条件だが、円卓席次戦でもある為、降参は認められない。また、決着がつくまで終わらないこととする」
天桐・リース・ヘブンロードの宣誓が響くと、途端に、裏路地一帯の空間が歪み始めて、何やら薄い魔力が漂う不思議な世界に変わった。
見渡すと、景色は変わっていないのだが、どこもかしこも曖昧にぼやけており、なんだか夢の中みたいになっている。
これが、事前に柊南天から聞いていた人造魔法具【並行世界】と言われる結界の効果だろう。
現実世界とは隔絶した異空間であり、ここで起きたことは、現実世界には何の影響もしないらしい。
好きなだけ暴れられる反面、結界範囲は術者を中心とした半径100メートル内と聞いている。空中も地中も含めて、球体状で限定された100メートル範囲の小規模空間で、内側に存在する建物は全て、絶対に壊れることのない障害物となっている世界だ。
「席次戦――じゃと? イージス殿、それは拒否できない、と言う解釈か? そもそも儂に鳳仙殿と闘うメリットがないではないか?」
「拒否は許さない。これは円卓一席イージスの名で宣言する命令だ――確かに、お嬢さんと闘うことに、メリットがないように思うかも知れん。だが、実際のメリットはあるようだぞ?」
天桐・リース・ヘブンロードはそう言いながら、何やら一枚の紙を取り出して、そこに書いてある文章を読み始めた。その紙には強力な魔力が篭められており、一見すると魔術書にも思えた。
それこそが、柊南天が仕掛けた甘い毒である。これを聴いたら、もう八重巴は引き下がることはない。
「これは魔術誓約書だ。内容は『勝利した側には【人修羅の遺産】を全て渡すことを誓う。四代目【人修羅】鳳仙綾女』――と、まあ、こんな魔術誓約でね。これは必ず実行される。それを私が保証しよう」
その内容に、八重巴の表情が途端に凍り付いた。
提示された勝利報酬は、八重巴が願っていた長年の夢である。これを手に入れる為に、わたしに賭け試合を申し込んだのが、そもそも事の発端だ。
わたしは八重巴に笑顔で頷いた。この宣誓に嘘はない、という意思表示である。
「…………ほぉ、それは、それは、素晴らしいメリットじゃのぅ」
「どうだ? 準備する時間くらいは用意するが?」
天桐・リース・ヘブンロードが、わたしと八重巴を交互に見やる。
準備の時間など不要だが、八重巴はどうだろうか。
「……しばし、待って欲しいのぅ。そうと決まれば、儂も死力を尽くして、鳳仙殿と闘おうではないか」
八重巴はそう言いながら、灰色のロングコートから指揮棒を取り出した。そして、胸元で構えた。
「霊剣・天羽々斬――」
以前、魔獣キメラを倒す際に見た霊剣化である。指揮棒は光に包まれて、白銀の両刃剣に変貌した。しかし、今回はそれで終わらなかった。
八重巴はその白銀の両刃剣に、灰色のロングコートを巻き付けた。途端、ロングコートは魔力の粒子に変わり、次の瞬間、両刃剣に収束して鞘の形状になった。
「――神剣・天叢雲剣、顕現せよ」
「第六席のソレは、久しぶりに視たな」
天桐・リース・ヘブンロードの感心した風な声が聞こえて、同時に、爆発するような魔力と霊力の風が吹き荒れた。爆心地は、八重巴が胸元に構えたその剣からである。
視れば、先ほどまで輝くばかりに美しかった白銀の両刃剣は、抜き身のくすんだ青銅色をした片刃剣に変わっていた。先ほどよりもずっと切れ味がないように見える。
「……これで、準備は出来たぞ。円卓席次戦の殺し合い、死力を尽くして相手してやるわ」
「素晴らしい――本当に、本気の八重さんと、殺し合いが出来るのですね? 昨日は、だいぶ不完全燃焼だったので、今日は心行くまで愉しみましょう!」
「――まったく、呆れるほどの、イカれた戦闘狂じゃのぅ」
互いに向かい合い構えた。二人の距離は、目算で6メートル程度。一歩踏み込めば、切り結べる距離間である。
わたしは、仕込刀【魔女殺し】を下段に構える。一方で、八重巴は神剣・天叢雲剣を大上段で構えた。
「さて、それでは開始の合図は、立会人である私が執り行おう――今回は、昨日の賭け試合の延長であり、同時に、円卓席次戦でもある。円卓席次戦の特性上、降参は認められない。また、決着がつくまで終わらない」
辺りに戦闘の空気が充満して、今にも爆発しそうなほど互いの闘気が張り詰めた瞬間、天桐・リース・ヘブンロードが声高に宣言する。
わたしは嬉しそうに破顔して、凍り付いたように無表情になる八重巴の双眸を見詰めた。
八重巴は無表情のまま目を細めて、静かに深呼吸していた。すると、溢れ出ていた霊力がドレスみたいに収束して、白い軍服を虹色に染め上げていた。凄まじい密度の霊衣である。
「それでは、始め――――」
「――――ッ、ぉおお!!」
「――ふふふ、アハハハ!!!」
天桐・リース・ヘブンロードの合図を耳にして、八重巴は裂帛の呼気と共に、大上段から神剣を振り下ろす。それは随分とゆっくりに視えたが、音速を超える必殺の斬撃――破邪之太刀である。
一方でわたしは、合図を耳にした瞬間に愉しさが爆発してしまい、大笑いしながら全力で後方に飛天を使って飛び退いていた。当然ながら梵釈之位も発動しており、霊衣も両脚に纏っている。その状態で、まずは全力で回避行動をとっていた。
「――万代不易と言う奴だな、お嬢さんの性質は」
そんな呟きが天桐・リース・ヘブンロードから漏れた。
以前も思ったが、随分と難しい日本語を知っているな、と感心しながら、わたしは破邪之太刀を受け流す。
唐竹割の軌道で垂直に放たれる剣気の側面に、霊剣化した仕込刀で斬鉄をぶつけて、地面に逸らしたのである。
最初の攻防は、ただの拳合わせでしかない。お互い、それで決まるとは到底思っていなかった。
「逃さぬぞ――――終の剣技【稲妻断ち】」
「逃げませんよ――外道之太刀【無形羅刹】」
わたしは一旦、破邪之太刀を捌いてから立ち止まり、更に踏み込んできた八重巴を迎え撃つべく、高速の連撃を繰り出した。
無形羅刹――袈裟斬り、逆袈裟、横薙ぎ、唐竹割、刺突、抜き胴、斬り払いを瞬時に繰り出し、そこから無呼吸で絶え間なく斬りつける剣舞である。
一方で、八重巴は雷撃を纏った横薙ぎの剣気を放ってきた。それは神剣の横薙ぎと、紫電の如き枝分かれした強烈な剣気で構成されており、わたしの剣舞と相殺した。
「愉しい、です、ねっ!?」
「――どこがじゃ! この、化物めっ!!」
互いに渾身の剣技を凌ぎ切り、接吻するほどの近距離で鍔迫り合いを繰り広げる。
笑顔で仕込刀を押し込むわたしに、嫌悪感をあらわにした八重巴が応じていた。ギャリギャリ、と神剣と魔女殺しが刃音を鳴らして、ぶつかり合う霊力が紫電を散らす。
神剣の纏う霊力は昨日とは比較できないほど強力だったが、今日の仕込刀【魔女殺し】であれば受けて弾くことが出来る。これが魔女殺しでなければ、きっとすぐさま折れて砕けただろう。
「外道之太刀――【斬鉄・双月】」
「八重示現流――【水分】」
鍔迫り合いから一歩引いて、わたしは超高速で斬鉄を振り下ろし、斬り上げる。しかし、八重巴は冷静にそれを見切り、寝かせた刃で刀身を弾いていた。同時に、仕込刀に篭められた魔力が乱れて、剣気が飛ばずに霧散する。
「――本当に、素晴らしい!!」
わたしは歓喜の声を上げつつ、大きくバックステップして距離を取った。八重巴は、今度は間合いを詰めずに、その場で立ち止まって神剣を構え直す。
「嗚呼、なんて愉しいのでしょうか。八重さん、まだまだ勝負はこれから、ですよ?」
「……ふむ。儂はこれでも半世紀以上生きておるが、鳳仙殿ほど恐ろしいと感じた剣士は初めてじゃ。まだまだ若いと言うのに、凄まじい剣技、底の見えぬ才能、これほどの狂気を宿しておるとは――鳳仙殿が成長しきる前に、なんとしても殺しておかなければの」
「あら、それは光栄です。ぜひ、わたしを追い詰めて欲しいですね――嗚呼、わたしも死力を尽くすことを誓いますよ?」
お互いに正面で向かい合い、そんな会話を交わした。
二人の距離は、およそ九歩の間合いである。ひと息で詰められるが、必殺の間合いには少しだけ遠い。仕切り直しの距離だ。
わたしは深呼吸してから、改めて気合を入れ直す。同じように、対面している八重巴もいっそう真剣な表情になっていた。
さて、ここまでは紛れもなく前哨戦であり、ここからが本当の殺し合いである。
第九夜が六章の最終話なのですが……現在、まとめきれずに推敲を繰り返してます……
残り2話になるか、3話になるか……もうしばらくお待ちください。




