第八夜/前編
泊まったホテルは朝食バイキング付きだったので、柊南天と一緒に朝食を摂った。
その後、ホテル内にあるミーティングルームを借りて、改めて昨日話した作戦をしっかりと確認する。
ちなみに今日は、柊南天の格好は変装なしの普段着だった。
「……わたしが、言い訳をするまでは、了解いたしました。けれど、その後、柊さんの能力で誤認させる、というのは、果たして可能なのでしょうか? 改めて冷静に考えると、少々眉唾なのですけれど?」
「そこっスけど、あくまでも綾女嬢と清香嬢の関係性があるからこそ、何とかなりそう、って感じスよ――清香嬢って、魔力耐性が低くて、魔力親和性が高いんス。だから、魔力による精神感応は効果的なんス。ただし、抗魔力も高いんで、違和感ある刷り込みだと、レジストされる可能性があるっス」
「――つまり? 可能性はあるのですか、ないのですか? また、あるとしたら、どの程度の成功確率なのでしょうか?」
回りくどい、と睨み付ける。すると、柊南天は、大げさに肩を竦めながら、右手を広げて胸を張る。
「可能性はあるっス。成功確率で行けば、少なく見積もって50%ってとこっス」
ふむ、と腕を組んで、険しい表情を浮かべる。そこまでの成功率であれば、挑戦するだけの意義はあるだろう。
ただし、今回の懸念点は一つ、失敗した時をどうするか、である。
「これ、もし、作戦失敗で、疑いを持たれたりしたら――殺しますか?」
「いやいや、殺すって選択肢をうちよりも先に、綾女嬢が提案するのおかしくないスか? 親友のお姉さんっスよ!? いやまぁ、感覚的にはその感性が【人修羅】っスけども――失敗した場合、こっちに引き入れるのがベストっスね」
「……引き入れる、とは?」
「うちが出張りまスよ。清香嬢は、扱い注意のマジで爆弾娘スけど、爆弾って扱い方次第で、とっても有効っスよ? 特に、異端管理局でも、神言桜花宗でも、護国鎮守府でもなく、他の理外の存在に関連する組織に、属してないってのは、メッチャ動かし易い駒っス」
柊南天は、任せてくださいっス、と親指を立てていた。
まあ、そこまで自信があるのであれば、文句など言わない。わたしは作戦通りに、言い訳を口にするだけだ。それを如何に真実味を持たせて話せるか、わたしの演技力が試される。
それに最悪、証拠を残さず、殺してしまう選択肢がある。
昨日一日、心の中を整理して冷静に考えれば、為我井優華に知られないように為我井清香を殺してしまえば、別にわたしとの関係性が崩れることはない。
つまり、殺すことにおけるデメリットは一切ない。
親友の姉であり、ただの顔見知りが死んだ程度で、わたしの心が乱されることもない。
デメリットがあるとすれば、親友である為我井優華が悲しむ、と言うだけだろう。けれどそれも、人間は誰しもいずれ死ぬのだから、別に問題ではない。
「――その発想、マジでサイコパスっスよ? いや、これ誉めてんスけどね……ガチ【人修羅】って、こういう常識外れの精神性を持ってないと、やってけないんスよねぇ」
「本当にそれ、褒めてます? まあ、わたしも別に、殺す選択肢を上位にはしませんよ? だってまだ、清香さんは、未熟な果実ですからね。全力を意のままに発揮できるようになってから、是非、お手合わせしたいと思いますもの……」
「だから、そういうこっちゃないんスけどねぇ――ま、良いっス。そんな訳なんで、今日の段取りっスけども、清香嬢を京道市の大井山に呼び出したっス。山頂付近に、廃墟状態になってる古い神社があるんスけど、そこで落ち合おうってしたっス」
柊南天が携帯のやり取りを見せてくれた。
わたしになりすまして、為我井清香と何度かメールを交換していた。
その内容は『事情はメールで話せない』『直接説明させて欲しい』というお願いのやりとりである。それに対して、為我井清香は端的に『了解、行くわ』とだけ返している。
「……ところで、約束の時間は何時なのですか? ここから、大井山まではそれなりに時間が掛かりそうですけれど?」
「あ、大丈夫ス。昼過ぎ、十三時頃って伝えたっス。いまから向かえば、余裕さえあるっス」
現在時刻は、九時半である。確かに、四時間弱あれば、余裕があるだろう。既に朝食も食べ終わっており、後は移動だけだ。
そうなると、時間的余裕があるので、ここでもう少し話しておきたい――議題は、為我井清香を説得した後、八重巴とのリベンジマッチをどうするか、である。
「――どうしますか? いえ、どう段取りしてくださるのでしょうか?」
わたしは声に出さず、脳内でイメージだけ飛ばす。柊南天はそれを受け取り、苦笑しながらこめかみをポリポリ掻いた。
「巴女史の件っスか……あー、まぁ、そっスね……難しいっスね、段取るのが……何せ、一度、八重示現流の流儀でやってるんで……次も、ってなると、また時間を稼がれ――」
「――そもそも、今回の件って一度だけの貸しを返した形ですよね? 次は、わたしたち流……【人修羅】の流儀に則って、勝敗を決してはいけないのでしょうか?」
よくよく思い返すと、今回の発端としては、八重巴からの提案から始まっている。だがその提案はそもそものところ貸しを返す為に、八重巴に従った経緯である。
結果的に、決着付かずで中途半端に終わったのは、こちらの都合でもなければ、八重巴の都合でもない。だとすると、次があるならば、それは八重巴に合わせる必要はないだろう。
柊南天はそれを聞いて、いっそう困った表情を浮かべる。何に悩んでいるかは分かるが、わたしの主張は正論なはずである。
「…………いや、ま、それは、分かるっスよ? けど、そう考えると、もう次ってないんスよ? だってこの賭け試合って、あくまでもあの条件があったからこそ、何とか成立してたんス。絶対的に巴女史有利な舞台だからこそ、巴女史――腹黒嘘吐き妖怪婆は、綾女嬢に挑んだんスよ? そのアドバンテージがなくなったら、流石に受けてくれないっス。万が一受けてくれても、次の舞台を整えるまで、時間がかかるに決まってるっス」
「それを、なんとかしてください、とお伝えしています」
わたしは強くお願いをする。
その剣幕に気押されて、柊南天は、うぐ、と絶句していた。
「……方法は、なくはないっスけど……どれを選ぶにしろ、ヘブンロード嬢の説得が必要っスね……」
「どういうことですか?」
「綾女嬢に一応、確認しときまスけど、円卓に座る気はないっスよね? いや、うちも座らせたくはないっスけども、聞くだけ聞いてるっス」
その確認に、わたしは顔を曇らせる。当然ながら、座る気などない。
円卓に座ると言うことは、異端管理局に所属して、天桐・リース・ヘブンロードの命令を聞かないといけなくなる、と聞いている。所属するメリットをそれほど感じないのに、面倒なしがらみが増えるのは好ましくはない。
「そスよねぇ――やっぱ、そうなると、ちょっと違う方法を考えないといけないんスよねぇ」
どうやら柊南天が真っ先に考えたのは、わたしが八重巴を殺して円卓六席に座る、という単純極まる方法だったらしい。あまりにも短絡的である。
「……うん……とりあえず、これ、清香嬢の件を解決させてから、にしないっスか?」
しばし長考していた柊南天が、難しい表情のまま首を横に振っていた。現時点で妙案が思いつかなかった様子である。
先ほど『方法がなくはない』と発言をしたのに関わらず、思いつかないとはどういうことか――と、強く思考して、ギラリと睨みつけた。
柊南天は視線を逸らしている。
「――仕方ありませんね。とりあえず、清香さんとの待ち合わせ場所に向かいますか」
わたしはこれ見よがしの溜息を漏らしてから、諦めたように席を立った。
柊南天は慌てて、驚いた表情で立ち上がった。
「あ、はい――って、早くないスか? こっからそんなに時間掛からんスよ?」
「ええ。けれど、山登りするので、少し早めに向かいましょう?」
「へ――ええぇっ!? ロープウェイ使わんスか? 低山とはいえ、山頂まで二時間コースっスよ!?」
「良い天気だから、ちょうどいいでしょう?」
わたしの後を付いてきながら、柊南天はギャーギャー言い出す。別に、ただ山を登るだけで、何を苦労することもないだろうに。
「嗚呼、ところで、柊さんはどちらで待機するおつもりでしょうか? わたしが失敗した時のことを考えて、付近で姿を隠すのでしょう? であれば、それこそ早めに現地に到着していた方が良いのでは?」
「…………はいはい、分かったっスよ。ちな、うちは神社の付近で気配を断って、森の中に隠れる予定っス。んで、いざとなったら観光客を装って現れようかな、と。隙があれば、清香嬢に触れることも出来そうでスしね。ま、遠隔で精神感応を発動するだけでなんとかなるなら、それに越したことはないっスけど」
ホテルで宿泊費を精算してから、タクシーを呼び出した。
レンタカーは昨日でもう返却したとのことなので、今日の移動はタクシーである。
「……山頂の展望台に、珈琲が飲める喫茶店があるんスよ? ロープウェイで行って、ゆっくりすればいいじゃないっスか?」
「清香さんが先に来ていて、わたしと柊さんが一緒にいるのを目撃したら、どうするつもりですか?」
「そん時は……プランBっスね」
プランBとはなんぞや、と胡散臭い視線を向けた。事前に立てた今日の作戦は、名称なしの一つだけである。そんなに複数のプランがあるのか。
「――あるようで、ない。ないようであるっス」
わたしの思考を読んだ柊南天が、そんな戯言を口にしていた。はぁ、と呆れてもはやそれ以上は突っ込まなかった。
(……ところで、本当に柊さんは霊獣使役ができるんですか? わたしがそれを、退治しても良いのですか?)
(いいっスよ。言うて、うちの霊獣は、綾女嬢や椿ちゃんみたく、禍津神級のポテンシャル持った霊獣じゃないっスから、意思もありませんし、強くもないんで惜しくないっス)
(それでも、保有霊獣が減ると、霊力に影響は出るのでしょう?)
(大丈夫っス。また適当なの捕まえればいいっス。うち、霊獣は自分のキャパの限界近くまで、常に集めて確保してるんで!)
そんな会話をテレパシーで交わしながら、タクシーは大井山の登山口まで到着した。
山登りに挑もうとしている観光客はまばらで、わたしたちと同じように軽装の登山客も割と居た。
とりあえずわたしは、文句を愚痴愚痴と呟く柊南天を尻目に、登山道を歩き始めた。仕方ない、と溜息を吐いて、柊南天も後に続く。
「綾女嬢、くれぐれも言っておきますけど、その仕込刀――【魔女殺し】は抜かないでくださいっスよ?」
「抜く訳がないでしょう? それほど強い霊獣なのですか?」
「いや、うちの霊獣に対してじゃなくて、清香嬢に対してっス。何があっても、正体をバラしてこっちに引き入れることになっても、絶対に抜かないでくださいっス」
柊南天の念押しに、わたしは、はぁ、と首を傾げる。何度も繰り返し強く言うのは、フリなのかと思ってしまう。
柊南天がどんな状況を想定しているかは分からないが、わたしが為我井清香に仕込刀を抜く可能性があるのだろうか。
けれど、もし万が一、わたしが仕込刀を抜くとしたら、それは本気で闘う時だろう。むしろ是非、そんな状況になってほしいと願う。
「……いいっスか? マジのマジで、魔女殺しの抜刀NGっス。あ、そっか。うちが事前に預かっときまスよ」
「それは構いませんけれど、本当に信用がないのですね……少し悲しいです」
「嘘っスよね、それ。微塵も悲しくないくせに――今日の段取り、本当に大丈夫っスか? 逆に不安になってくるっス」
軽快な足取り急勾配をサクサク登りながら、わたしは柊南天とそんな軽口を言い合った。
杖代わりにするなよ、と釘を刺しながら仕込刀を手渡す。柊南天は、分かってまスって、と慎重に受け取っていた。
わたしは登りながら、もう一度、思考の中で段取りを反芻した。
昨日、夜中に何度も確認して、演技プランまでしっかり練っているのだ。出たとこ勝負の側面はあり、確かに不安でもあるが、充分に対策は出来ている。
問題なく、見事に台本通り演じ切って見せよう。
「ちなみに、柊さんはどのような霊獣を使役なさるのでしょうか?」
「ああ、今回、綾女嬢に退治してもらうのは、気狐って呼ばれる悪霊っス。うちのとっておきっス」
「……とっておきとは、強いのですか?」
わたしは多少期待しながら問いかけた。すると、苦笑しながら首を横に振られる。
「強くはないっス。ただし、悪霊としての厄介さは、かなりなはずっス。ちな、軽微な霊障を発生させる能力もあるんで、覚悟してほしいっス。ちょっとは苦戦しないと信憑性でないっスから」
「――へぇ? それは、わたしの霊能力の研鑽を試す良い機会ですね。愉しみです」
今回の演出を彩る役者としては充分だろう。
そんな悪霊を退治してこそ、わたしの話に真実味を持たせられると言うものだ。
そうしてわたしたちは、ゆっくりと山を登る高齢の登山客を追い抜き、下りてきた観光客とすれ違いながら、一切休憩せずに、山登りを続ける。
やがて一時間半程度が経った頃、山頂付近の展望台に到着した。
頂上はもう少し先で、まだ上に登る必要があるのだが、目的地の古い神社はここから峰で横続きにある。
「はぁ、やぁっと着いたっスね。やっぱ、山は空気が澄んでていいっスね」
柊南天が展望台からの眺望を前に、大きく伸びをしていた。わたしは周囲を一瞥して、地形の把握を真っ先に行う。
展望台には簡単な地図があり、それを見る限り、ロープウェイ乗り場は登山道とは別ルートにあるようだった。この展望台からだと逆側のルートで、少し山を下りることになる。
為我井清香を説得したら、帰りはそちらからロープウェイで戻ることになるだろう。柊南天がテレパシーで強く訴えていた。
「……うち、ここから少し奥にある珈琲が飲める喫茶店で休憩してるっス。まだ時間的には余裕あるっスから――綾女嬢もどっスか? 美味い、らしいっスよ?」
「結構です。けれど、そんな悠長にしていて大丈夫ですか? 清香さんがもう居たらどうするつもりですか?」
「居ないっスよ――少なくとも、約束の神社に気配はないっス」
柊南天はそう言って、グッと背伸びしている。
即答した柊南天を信じられず、わたしは意識を集中させて、霊感も駆使して周囲を探索、索敵した。
目的の古い神社は、ここから距離にして200メートルもない程度だが、その範囲を全て探知するのは、言うほど簡単ではない。
いまのわたしでさえ、霊感を併用してようやく感知出来るギリギリの距離である。それを柊南天は息を吸うように自然と感知していた。
ちなみに実際、柊南天の言う通り、神社のエリアは無人であることを知る。
「……柊さんって、想像以上に素晴らしい実力をお持ちですよね? 知るたびに、感心してしまいます。いつか、直接、味わいたいものです……」
「いやいや、マジでうち、サポート要員っスよ。サポート要員ゆえに、こういうサポートスキルの性能を極めてる、ってだけっス――戦闘面は、全て【人修羅】にお任せっスよ」
柊南天はそんな謙遜をしながら、立ち止まって景色を眺めているわたしを追い越して、宣言通りに喫茶店へと向かっていた。
わたしはそれを見送ってから、とりあえず待ち合わせ場所の古い神社へと足を向けた。
「捨てられた、という表現がまさにお似合いですね……」
古い神社は山中にあって、周囲を深い森に囲まれていた。
入口には崩れた鳥居があり、その鳥居に巻き付くようにねじれた巨木の幹が生えていた。六段ほどの階段が参道になっており、境内は相撲の土俵を思わせるほどに狭かった。
わたしは荒れてうらぶれた社殿を一瞥してから、周囲の森を見渡した。もし仮に、ここで大立ち回りをするならば、と戦闘のシミュレーションをする。
幸いにも、周囲にはわたしよりも太い巨木ばかりがある。これらを足場にすれば、自由で立体的な空中戦を披露出来るだろう。
そんなことを考えていると、数人の登山客が神社にやって来る。わたしはすかさず息を潜めて、巨木の幹に姿を隠した。
登山客はわたしに気付かず、そのまま古い神社を参拝してから戻っていく。
「……そろそろ、時間ですかね?」
木々のざわめきを聞きながら、これからの段取りを頭の中で整理した。するとちょうど、携帯が震える。
セットしていたタイマーが、約束の時間五分前を告げていた。
わたしは巨木の裏から姿を現して、狭い境内の中央で参道を眺めた。瞬間、正面からやって来る為我井清香の姿が見えた。
「……昨日ぶり、です。清香さん……」
「うん。昨日ぶりね、綾女ちゃん。連絡くれて嬉しいわ」
為我井清香はギラリと鋭い視線で周囲を一瞥して、何やら待ち伏せを疑っている様子だった。
わたしが何を語るのか、八重巴とどういう関わりがあるのか、どんな素性なのか――それらの疑いを持っており、このままわたしに襲われるかも知れないとの懸念も考慮しているのが分かる。
ハッキリと警戒しており、何かあったら反撃するわよ、とその全身が強く主張していた。
わたしはその警戒心の高さを内心で評価しつつ、おくびにも出さず演技を開始した。
「ええ……その……清香さんには、やっぱり、本当のことを伝えておいた方が良いかな、と思いまして――」
「――それで? 御託はいいからさ。ワタシが聴きたいことを訊ねる前に、まず、綾女ちゃんの告白から聴こうじゃない」
わたしらしくないオドオドとした態度で、恐る恐ると為我井清香の様子を窺いながら喋り出す。
鳥居に巻き付いた巨木の幹にもたれながら、為我井清香は腕を組んでいる。
「――実は、わたし……霊能力を使って、悪霊を退治する『退魔師』なんです……そもそも朱川家が、代々退魔師を営んでいた家系で……」
「はぁ? 退魔師? 悪霊って――綾女ちゃん。ちょっとそれ、荒唐無稽過ぎるわよ? アニメとか漫画の設定でしょ? 嘘吐くにしても、もっとマシな嘘を吐いてよ」
為我井清香が即座に否定する。
その反応はまさに想像通りでしかない。わたしが同じ立場でも、何を戯言を、と思うだろう。
けれど、話はまだ続く。ここからが本題だ。
「あの……信じられないのも、無理ない、と思います。けれど、本当なんです……だから、理外の存在のことも知っていますし……今回は、霊能力者として有名な八重巴さんに、その……霊力を鍛えてもらう為に来たんです……修行、が目的です……」
「――修行ねぇ? ふーん、そうなの? 綾女ちゃんがわざわざ変装をしてまで、巴さんに霊能力の修行を付けてもらいに、って? それ、どうやって証明するの?」
「……証明、ですか……」
明らかな疑いの目で、為我井清香はわたしの誘導に乗っかった。その質問が欲しかったのだ。
「証明、する為に……この神社までお越しいただいたんです」
「ん? 何それ? どういうこと?」
「申し訳ありません、清香さん――絶対に、危険な目には遭わせない、と誓います」
「は? 何よ、どゆこと――――んん!? 何、何よ、この気配!!」
わたしは柊南天にテレパシーで合図を送る。同時に、渾身の演技でもって、荒れた社殿に振り返る。
無手のまま、それとなく構えも取った。
途端、周囲の空気が数度下がった。空気が張り詰めて、あれだけざわめいていた木々を揺らす風の音が消え去り、辺り一面、無音に支配された。
太陽が陰ったのか、と錯覚するほど境内は暗くなり、荒れてうらぶれた社殿から黒いモヤが噴き出す。
(――柊さん? これ、本当に清香さんに視えてるんですよね?)
黒いモヤはすぐに収束して、2メートルはあろう狐の形を取り、おどろおどろしい空気を放った。
これが柊南天の使役する霊獣、気狐と呼ばれる悪霊である。
「ちょ、綾女ちゃん!? 何か、そこに居るの!?」
わたしは必死になって、悪霊と対峙した退魔師、という役どころの演技をしているのに、為我井清香には悪霊が視えていない様子だった。
悪霊が為我井清香に視えていなければ、この演技に信憑性がでないではないか、とわたしは柊南天を強く非難する。
しかし、全く視えていない訳でもないのか、それとも気配だけ察しているのか、為我井清香は何となく気狐の方向を向いていた。
「……清香さん。少し下がっていてください。いまここに、悪霊が居るんです――わたしは今回、この大井山の悪霊を退治する為に、呼ばれてきたんです……けど、一度負けてしまって……それで、八重巴さんに修行をお願いしたんです……」
あえて苦しげな表情を浮かべて、重い空気を増長させた。わたしからだと分からないように、この空間を魔力で満たして、為我井清香を抑え付けるように圧力を掛けた。更に、霊力を最大限出力して、それも全て為我井清香にぶつけた。
正直な話、気狐の霊力はそれほど強くはなかったので、恐怖を感じさせるには至れない。
「――あ? 何よ、ソレ……狐の幽霊?」
わたしの圧力を受けてか、突如ハッとした顔で、為我井清香が気狐の姿を視認していた。
(……清香嬢ってもしかして、外部から刺激受けると、才能が覚醒するタイプっぽいスね。綾女嬢の霊圧に反発して、無意識に霊圧を展開したっス。魔力も同じっスね……うわぁ、すげえ、厄介なタイプの天才さんっス)
(――そんなことはどうでもいいです。柊さん、もうこのまま、段取り通りに退治しても宜しいでしょうか?)
(あ、うっス。いいっスよ? やっちゃってくださいっス)
気狐を視認した為我井清香は、恐怖に驚愕が入り混じった顔をしながら、わたしの圧力を受けて膝をついていた。クソ、と毒を吐きながら、懸命に立ち上がろうとしている。
そんな為我井清香を横目に、わたしはいっそう大仰な構えをして、いざ勝負、とばかりに気狐の設定を読み上げる。
「はい――アレは、この大井山に巣食う狐の悪霊なんです。今まで何人もの登山客を殺して、その力を奪った霊で――」
「――ああ、もう! ワタシってさ、こういうファンタジー、マジで嫌いなのよね!!」
けれど、わたしが説明を口にしている最中で、突如、為我井清香が嬉々とした声で立ち上がる。
その全身からは、温泉が湧き出したような勢いで、凄まじい魔力と霊力が溢れていた。
思わず目を見開いて、ゴクリと唾を飲んでしまう。ついつい殺意が芽生えて、殺し合いたくなるほどの極上の気配――先ほどとは打って変わった強者の気配だった。
「綾女ちゃん。とりあえず、ここは清香お姉さんに任せなさいッ!! ワタシ、こういうの嫌いだけど、割と得意なのよ!!」
為我井清香は言いながら、圧倒的な霊力量で身体を包み込んで、腰を落としていた。空手の構えだ。
「――――嗚呼、なるほど。これが、清香さんなのですね」
わたしはその構えを目にして、独り言のような呟きを漏らす。
為我井清香の全身からは、凄まじい魔力も迸っており、溢れ出る気力が拳に集中していた。その全身が霊力と魔力で強化されていて、握り締めた拳はまるで大砲を思わせる圧力を放っていた。
為我井清香本人は、もはやわたしの声が届かないほど無我の境地に達しており、目の前の悪霊を倒すことしか考えていないのが分かった。
確かにこれは、無自覚の天才だろう。
いまこの瞬間の為我井清香を相手にしたら、わたしは確実に勝てるとは言えない。
「――――シィッ!!」
為我井清香が息を吐いた。刹那、繰り出した正拳突きが音速を超えて、衝撃波を気狐に飛ばしていた。
拳圧には凄まじい霊力が篭められており、同時に、魔力砲のような破壊力も伴っていた。気狐の背後にあった大木が一撃で圧し折れる。
大股開きで、左手を脇の下まで引いて、突き手を繰り出したままの残心――そんな為我井清香の姿を見て、わたしは背筋が凍る思いをしていた。一方で、ゾクゾクとした歓喜も沸き上がっており、もはや演技など出来ず口元が愉しげに歪んでいた。
(なっ!? ちょ、ちょ、ちょ、綾女嬢、駄目っスよ!? 段取り違う、っス!! ここでそれは、絶対に駄目――)
「ねぇ、清香さん。わたし、嘘を吐いてしまいました。退魔師とか、お伝えしたのですけれど――」
(――もう!! プランB、発動っス!!!)
わたしは一汗掻いたと額を拭う為我井清香に振り返り、ニヤリと笑みを浮かべたまま、もはや堪えられないと足を踏み出す――刹那、凄まじい霊力の爆発が巻き起こる。
何だ、と踏み出した足を止めて、霊力を爆発させた為我井清香を注視した。
「……これ……な、んで!?」
為我井清香が残心の姿勢を崩して、脱力状態で両手をダラリと下げていた。
苦悶の表情に驚きが浮かんでおり、身体が動かなくなったのか、不思議な構えでわたしに対峙している。
わたしは逸る気持ちを一旦抑えて、プランB、と言い出した柊南天に、どういうことか、と問い掛けるイメージを飛ばす。すると、為我井清香の背後、崩れた鳥居の脇からスッと、まるで影から生まれたような唐突さで、柊南天が姿を現した。
まさか、最初から隠れていたのか――全く気配が感じ取れなかった。
「いま、うちが清香嬢の五感を全て奪ったっス。目も視えなければ、耳も聞こえず、立ってるか座ってるかも分からず、ただ無重力で意識が浮かんだ状態っス――プランB。つまり、綾女嬢の演技で騙すのは諦めて、うちが直接、精神感応力で説明の流れっス」
「……柊さん。わたしもう、騙すとか、演技とか、本当にどうでも良いので、清香さんと心行くまで殺し合いたいのですけれど?」
「だぁ! 駄目っスよ!? 何を世迷言を――チッ!? クソ、これだから、無自覚な天才も、面倒っスねぇ!! はいはい、分かりました、分かりました!! 綾女嬢がそんなに言うなら、段取りした後半からの演技をお願いっス。シーンは『気狐に身体を乗っ取られた清香嬢』っス! うち、隠れて、肉体制御と思考の方向性を調整、認識も歪めまスんで、頼んまスよ!?」
宜しくっス、と声を反響させながら、柊南天はその姿を掻き消す。いや、正確に言えば、気配を完全に断って、崩れた鳥居を足場に巨木の上の方に跳び上がっていた。
そんな柊南天を見送ってから、わたしはハッとした表情の為我井清香と向き直る。
本音を言えば、もはや演技などせず、全力の為我井清香を殺して、証拠隠滅する方向で気持ちが傾いていたというのに――柊南天が為我井清香の肉体を制御する、と言っている以上、わたしが望む殺し合いは到底実現できない。
面倒で仕方ないが、また女優にならなければならないようだ。
「清香さん……意識は、ありますか? いま、清香さんに、悪霊が取り憑いて……」
「くっ、そ――何なのよ、これ? 綾女ちゃん、ワタシどうなってるの?」
いま為我井清香の身体は、柊南天が支配、制御していた。だから意識はあっても、身体を満足に動かすことが出来ないようだ。
それを悪霊の呪いと誤認させるのが、当初のわたしたちが描いた作戦である。
柊南天の精神感応力に対して、まだまだ為我井清香は抵抗が出来ないらしい。
「清香さん。とりあえず落ち着いてください。わたしが、何とか、悪霊を退治します……多少、痛いかも知れませんけれど――」
わたしは苦しい表情の演技をしつつ、掌打で為我井清香の胸元を狙った。瞬間、柊南天があえて精神感応力を緩めて、身体の自由を取り戻させる。
「――――ッ、うぉ!?」
動けるようになった途端、凄まじい反射神経でわたしの掌打は躱された。
それでこそ、だ。思わず演技が崩れて、口元がにやけてしまう。それを引き締めて、咄嗟に苦しげな表情を浮かべた。
為我井清香は慌てて、そんなわたしと距離を取り、何が起きているのか分からない、と首を振っている。
「く、そ……清香さん、気を強く持ってください!! 悪霊が、いま、心を支配して――きゃっ!?」
「うぉ、ちょ――ごめん、綾女ちゃん!?」
わたしが懇願するように声を掛けた時、柊南天の肉体制御により、為我井清香が強烈な回し蹴りを放ってきた。それを甘んじて十字受けして、わざと大きく吹っ飛んだ。
痛くもなんともないが、可愛らしく悲鳴も上げてみる。為我井清香が申し訳なさそうな顔を浮かべていたので、この演技も成功である。
「――清香さん……少し、痛くします、よ?」
「ちょ、っと、何なのよっ!! 身体が――またぁ!? 綾女ちゃん、逃げて――」
わたしは悲しい顔をしながら、無刀之型上段の構えを取る。
応じるように、為我井清香は空手の構えになると、その瞳から光を消す。能面のように表情も消えて、機械を思わせる空気を放ち出した。
(――出来たっス! 綾女嬢、いま、清香嬢の意識を眠らせて、認識を変えたっス。これで、気絶するまではずっと夢を見てる状況っス。夢想している相手は、凶悪殺人犯っス。魔力、霊力は解禁状態、油断すると苦戦するはずっス。存分に愉しんでくださいっス。ただし、殺しは厳禁っスよ!?)
柊南天のその言葉を聞いて、静かに深呼吸を繰り返す。ここから先は、興奮し過ぎないよう己を律して対応しよう。
殺すのはまだ早い――まだ愉しみは取っておこう。
わたしは集中を高めて、明鏡止水の境地に達する。そして、強く足を鳴らして踏み込んでくる為我井清香を迎え撃つ。
今月中に六章終わりまでアップ出来なかった…
短期集中連載しますので、年内までチラホラ更新が続きます。




