第七夜(3)
わたしは一旦、梵釈之位を解除して、静かに深呼吸をする。
闘う前と同じような距離感で相対した八重巴は、不敵な笑みを浮かべたまま、仕方あるまい、と木刀を素振りして再び霊剣化させていた。
わたしはチラと天桐・リース・ヘブンロードを一瞥する。すると、砕けた木刀の代わりを投げてよこしてくれた。
「それにしても、鳳仙殿は、儂の期待を裏切らない女子じゃ――ここからは、一方的な試合になると思うが、本当に降参はせぬのか?」
確信しているとばかりの自信満々に、八重巴はそう宣言した。
わたしはクスリと笑う。八重巴がその確信を持つところまでは、事前に想定していた通りである。逆に言えば、勝てると確信を得てくれなければ、わたしとしては困る展開だった。
「降参をする理由、どこにもありませんよね? 巴さんが強いのは知っていましたし、まだお互い、消耗していない状態――むしろ、年齢差を考えれば、わたしの霊体が削れている今が、ちょうどいい塩梅なのでは?」
「……減らず口を叩くのは、健在じゃのぅ。まあ、この賭け試合では、殺される心配はないと思うているのじゃろぅ? そうじゃが、殺されるより辛い目と言うのも、世の中には幾らでもあるのじゃぞ?」
「――――へぇ? それはそれは、とても愉しそうですね?」
互いに距離を測りながら、円を描くように剣道場内をすり足で動く。一見すると膠着状態だが、その実、イメージの中で幾度も攻防を繰り広げていた。
八重巴は確かに、わたしが今まで出会った中で、師父と匹敵するほどの剣術家と言える。その技量だけを見れば、間違いなく最強格の剣士だろう。
その一挙一動、予備動作の一つ一つが洗練されており、無駄の一つさえ感じない。これがスポーツとしての剣道だったら、わたしも確実に勝てる自信はない。
「ふむ――やはり、剣技だけだと、儂が負けるか……」
闘気をぶつけ合い、幾度目になるか分からないイメージでの切り結びを経た時、八重巴がふとそんな呟きを漏らした。
ピタリとその場で互いに足を止める。
「……剣技だけだと、とはどういう意味でしょうか?」
わたしは半ば分かり切っていることを問い返した。
八重巴が何を言いたいのか、次にどんな戦術を実行するのか全て知ったうえで、あえての質問である。
「そのままの意味じゃよ――鳳仙殿が、想定通りに、化物だった、と認めておるのじゃ」
八重巴は苦笑しながら、想定通り、と強調して発言していた。
そうだろうとも、とわたしも内心で頷いた。
それは虚勢でも何でもなく、本当に真実でしかない。実際のところ、ここまでに行われたイメージによる剣戟のシミュレーションでは、どこまでやっても、どれほど切り結んでも、最終的に、相打ち、もしくはわたしの勝ちで終わっていた。それはお互いに口には出していないが、ハッキリと映像として脳裏で視えていたのだ。
ちなみに、わたしの霊体を半分削った『破邪之太刀』とやらを繰り出したとしても、勝敗の結果は変わらなかった。
「想定通り、だったのであれば、それこそ巴さんが降参して――」
「――儂はこう見えても、あらゆる想定において対策をしっかりする性格での? つまり、ここから儂の独壇場になる、ということじゃ」
八重巴は言い切り、霊剣化した木刀を居合の姿勢で構え直す。グッと腰を落として半身になり、重心を足裏に変えて踏み込む姿勢になっていた。
それは傍目から見ると、踏み込んでくる予備動作に思える。けれど、実際は違う。ここから本当の意味での、八重示現流のルールが適用されるのだ。
「アレス、フェアジーゲルン――」
八重巴の呟きが剣道場に響き渡る。途端、今度は凄まじい圧力の霊力場が形成された。
わたしが運用していた微かな霊力では、この霊力場の圧力に対応出来ず、思わず膝をついてしまった。体重が三倍にも感じられるほど、誰かに上から抑え付けられている錯覚をするほどの重さだった。
これが、事前に想定されていた八重巴有利の舞台である。そして、ここから先の展開こそが、わたしの修行の成果を魅せるところである。
「鳳仙殿が、短期間で霊力を開花させたのは、驚きではあるが儂の想定内じゃ。まあ、普通の才能であれば絶対に不可能じゃが、実際に鳳仙殿を知っておったのが良かった。常識ではあり得ぬことじゃが、これくらいはできるじゃろと想定して、準備をしっかりさせて貰った」
「…………へぇ? その準備、とやらが、これ、ですか?」
「まさに、そうじゃ。そして、巽との闘いで、儂は安堵したぞ? 鳳仙殿が、儂の想定以上には、なっていなかったことが分かったからの」
八重巴は饒舌にドヤ顔でそんなことを語っていた。勝利を確信したことから、わたしを侮って油断しているような態度にも見える。しかし、構えは依然として居合のまま、足裏に霊力も溜めて、木刀にも霊力が溜まっている。霊剣化を超えて、恐らく神器化させるつもりだろう。
これはきっと、遠距離の斬撃で、わたしを一刀両断して終わらせる戦術に思えた。
下手に勝負を長引かせず、この霊力場に慣れさせず、対策も取られないうちに、反応出来ない必殺で速攻で決める――格下が格上を打倒する戦術だ。
言葉とは裏腹に、油断は微塵もない。
勝ち切るまでは侮らない様子だ。遊びがないのは、厄介である。
「わたしが……想定通りかどうか……くっ……まだまだ勝負は、これからでしょう?」
「鳳仙殿。生憎、儂は駆け引きが苦手での。サッサと勝負を終わらせるつもりじゃよ――」
八重巴はわざわざそんな掛け声を出しながら、大きくゆっくりと大蛇薙ぎを繰り出した。それは手抜きではなく、先ほど繰り出したよりも強力な霊力を纏った八匹の大蛇だった。
「――八重示現流、終の剣技【八岐大蛇】ッ!!」
凄まじい圧力で迫りくる八匹の大蛇に、わたしは思わず感心してしまった。
八重巴は想像以上に慎重だった。ここで、わたしの返し技を警戒していた。
「へぇ――ここまでが、想定通りなのですかね?」
強烈な霊力場に押しつぶされて、床に跪いているわたしに、八重巴はまだ保険を掛けているようだった。霊体を半分まで削られて、もはや風前の灯火であるわたしが、ここからまだ逆転できると考えている。自分が負ける可能性を考慮しているのである。
けれど確かに、わたしも同じ立場ならきっとここで油断はしないだろう。
格上を相手にして、一つ二つの計略が成功したところで、勝利を確信するのは愚者でしかない。
「――外道之太刀【天が紅】」
床に膝をついて苦痛の表情を浮かべていたわたしは、襲い掛かってきた八匹の大蛇が刃圏内に侵入した瞬間に、一太刀で全てを切り裂いて見せた。
「やはり、かの……」
「何が、やはり、なのでしょうか?」
わたしはスッと立ち上がり、霊力制御法でコントロールしていた霊力を解放した。
途端に、半分にまで削れたと誤認させていた霊体が元通りに膨れ上がり、全身に霊力が充実した。
身体のダルさ、重さが感じなくなり、この霊力場を克服できた。
そんなわたしを見て、八重巴は再び居合の姿勢になり――間髪入れずに踏み込んできた。
「八重示現流、終の剣技――【天沼矛之太刀】」
「――――チッ、くぉ!?」
足裏にジェットブーストでも付けていたのかと思うほどの爆発力で、わたしの眼前に踏み込んだ八重巴は、横薙ぎの一太刀を繰り出してきた。
咄嗟に木刀で打ち払うが、横薙ぎの太刀だけしか弾き飛ばすことは出来なかった。直後に巻き起こった竜巻のような霊力の渦が、わたしを吹き飛ばす。
それは凄まじい威力の霊撃であると同時に、剣気、覇気を纏った打撃に似ていた。
これは破邪之太刀のように美しい斬撃ではなく、防御されるのが前提の範囲打撃技である。
「っ!? く――」
わたしは床を転がりながら、剣道場の壁に背中を強かに打ち付けた。勢いよくぶつかり、一瞬だけ呼吸困難になった。
けれど、硬直している暇はない。
わたしはすかさず態勢を立て直して、追撃に反撃しようと木刀を正中に構えた。だが、八重巴はあえて踏み込まずに距離を取っている。
霊感で感知している限りでは、強力な霊力が迫って来ていたはず――と、思考した瞬間、その正体に思い至り、すかさず顔を上げた。
「――この、ッ!! 外道之太刀【九天一閃】」
慌てて、頭上からわたしを貫こうと落下してきていた霊力の槍を、逆袈裟の切り上げで弾き返す。どうやらこれが、天沼矛之太刀における本命のようだ。
横薙ぎの一撃から繋がる霊力の渦で範囲打撃を放ち、吹き飛んだ先に槍状の霊撃で仕留める――なるほど、素晴らしい攻撃力だ。
「――――ッ!!」
感心したのも束の間、八重巴が素早く木刀を大上段に構えた。そこに纏っている霊力、剣気は、恐怖を感じるほどの圧が放たれている。
脳内で警報が鳴り響いていた。このまま受けたら、確実に即死するだろう威力――先ほどよりもっと練度を高めた破邪之太刀で間違いない。
「斬鉄・双月――」
「――破邪之太刀」
わたしは考えるより先に、目の前の中空に向かって超高速の斬鉄二連撃を繰り出した。零コンマ数秒遅れて、八重巴も破邪之太刀を繰り出す。
果たして、わたしの眼前で、斬鉄・双月と破邪之太刀の剣気がぶつかった。その激突は凄まじい衝撃を生み、踏ん張りきれずよろけてしまう。
そんなわたしのすぐ横を、破邪之太刀の剣気が飛んでいった。放った斬鉄・双月が、なんとかその軌道を逸らすことに成功した。
「――くっ」
外道之太刀の中でも、最速の部類である剣技【斬鉄・双月】を先に繰り出したにも関わらず、後出しの破邪之太刀の剣気の方が、圧倒的に早くわたしに届いていた。
剣技の良し悪しは、詰まるところ、如何に早く相手を斬りつけるかの速度勝負に尽きる。相手の攻撃よりも僅かでも速ければ、それが剣技として優れているということになる。
その点で考えると、剣技の優劣では完全に負けていた。しかも、運良く斬撃を逸らすことは出来たが、代償にまた木刀が圧し折れてしまっている。剣技の威力でも完敗だった。
「……わたし、この渾身の一撃で、相殺出来ない、とは思いもしませんでしたよ……」
いくら霊力差があるとはいえ、斬鉄・双月はぶつかった瞬間に力尽きた。なのに破邪之太刀は、軌道を逸らされてもなお威力を弱めず、剣道場の壁を切り裂いてから霧散していた。
「化物、じゃのぅ……鳳仙殿には、呆れるばかりじゃ」
「……わたしもいま、巴さんに尊敬の念を抱いておりますよ。ここまで愉しくなるとは、本当に思ってなかったので……」
わたしと八重巴は肩で息をしながら、互いに睨み合う形で相対していた。
「……霊力操作が雑じゃの。木刀が、また折れておるぞ?」
「ええ、そうですね――まだまだ、未熟ですよ」
「未熟、とまでは言うておらんぞ? むしろ、十把一絡げの霊能力者より遥かに熟達しておる――ほれ、サッサと代わりの木刀を受け取ったらどうじゃ?」
八重巴が言いながら、天桐・リース・ヘブンロードを指差す。しかし、それに釣られる訳にはいかない。一瞬でも、八重巴から視線を逸らすことは出来ない。
ここが勝負の分水嶺であり、刹那でも隙を見せれば、そのまま決められる恐れがある。全神経を集中していなければ、足をすくわれるだろう。
「……おや、木刀は代えずで、いいのかのぅ? 折れたままで、儂に、勝つつもりか?」
わざとらしく呼吸を乱しながら、八重巴が挑発してくる。さりげなく霊力を木刀に一点集中している。
わたしは警戒を緩めることなく、態度だけは余裕を見せて首を傾げる。
「折れたままでも、勝てる自信がありますからね。それに――巴さんは、そろそろ限界でしょう?」
八重巴に霊感で探りを入れると、肉体と共鳴している霊体が、だいぶ微弱になっていた。霊力も尽きそうになっており、もうそろそろ限界に思える。
霊力が枯渇しそうになっている状況を考えると、今度は間違いなく、タイミングを見計らって霊力を封じてくるに違いない。
「ふむ。そう、じゃのぅ……儂もこう見えて、それほど若くはないからのぅ――限界じゃ、と弱音を吐きたくは、なるかも知れんのぅ」
「ふふふ……限界であれば、降参してはいかがですか?」
「それは、儂の台詞じゃ。鳳仙殿こそ、そろそろ限界じゃろぅ。降参するには、良い頃合いじゃ」
互いに笑みを浮かべつつ、いっそう強い闘気をぶつけ合った。戦闘の緊張感は高まり、一触即発の空気に場が熟していく。
わたしは梵釈之位を発動させて、思考速度を加速させた。ここからは、霊力の運用頼りではなく、脳内麻薬の分泌と身体強化で、八重巴を圧倒しなければならない。
(……よくよく考えれば、素手で闘った方が、殺さないよう手心も加えやすいですね……)
加速する思考の中で、わたしはそんなことをぼやいた。無刀之型による斬撃であれば、急所を狙わない限りは即死はしないはずだ。
わたしは圧し折れた木刀をわざと投げ捨てる。
「――おや? それは、何じゃ? 降参、と言うことかの?」
八重巴が怪訝な表情を浮かべて、何の意図だ、と警戒心をあらわにさせていた。
けれど、それは当然の反応だろう。折れていても、木刀を捨てる必要などない。霊剣化すれば、刀身がが折れていようと関係なく使える。
わたしは右の手刀に最低限の霊力を流すと、左の掌打を八重巴に向けて、射貫きの構えを取る。
素手で構えを取ったわたしに、八重巴はいっそう警戒を強めていた。正気か、とその見開いた目が雄弁に語っていた。
無論、正気である。ここからわたしは違う展開を魅せるつもりだった。
そもそも前提として、この賭け試合は殺し合いではない。わたし自身に余裕がなくなってきた今、全力で愉しんでしまうと、勢い余って殺してしまう可能性がある。
それらを考慮すれば、このわたしの戦術は、恐らくはベストだろう。
「ほぉ――そうするつもりか。巧い、な」
わたしの構えを見て、天桐・リース・ヘブンロードが、小さく感心した風の吐息を漏らしていた。耳聡くその声を拾って、少しだけ嬉しい気持ちになる。
どうやら、天桐・リース・ヘブンロードは、わたしの意図を正しく理解してくれたらしい。同時に、その反応で、やろうとしていることが、八重巴に有効であることも教えてくれていた。
「巴さんが、降参したくなりますよ、きっと――」
「……ふむ。どうかな? なかなか、思う通りに行かないのが人生じゃよ?」
素手のわたしの意図が掴めず、八重巴は戦術を練り直し始めたようだ。互いに、まだ決め手には欠けている状況である。迂闊に勝負手を放つのは危険と判断したのだろう。
格上相手との闘いでは、慎重に事を運び、大胆に決め手を放つのが重要である。八重巴はそれを正しく理解している。
(――――ギャース!! ヤバいっス!! マジ、っスか!? ちょ――綾女嬢、ちょ――)
そんな折、ふと脳内に柊南天の絶叫が届いた。
突然の絶叫に、ガァン、と音響爆弾を喰らったような衝撃を脳内に受けて、わたしは思わず顔を顰める。集中が乱れて、つい荒い呼吸を吐いてしまった。
刹那、その隙を逃さず、八重巴が四つん這いほどの低姿勢で突撃してくる。
それは一度見た剣技――【雷獣】である。全身から霊力を放出させながら、わたしの懐に迫る。
「――ッ!? チッ」
「受けて見よ、儂の渾身の――――ッ!?」
わたしが咄嗟に反応したのを見越して、八重巴は【八岐大蛇】も同時に繰り出していた。
八方から迫る大蛇の霊撃を無刀之型【天が紅】で蹴散らして、続く【雷獣】の突撃を受け止めようとした瞬間、八重巴が何かに驚いて足を止める。そして、凄まじい勢いでバックステップしていた。
何が起きた、と八重巴の露骨な隙に戸惑いながらも、わたしもすかさず反撃すべく手刀を引き絞る。けれど、その瞬間――その気配に、気付いてしまった。
「――――ぇ!?」
わたしも八重巴が何に対して驚いたか理解して、彼女以上に驚愕していた。慌ててその場から転がるように飛び退いた。
霊感範囲を剣道場にしか向けておらず、気配探知も八重巴に向けて絞っていたのが仇となった。外部からやってくるその気配に、気付くのが遅れてしまった。
(――ちょっと柊さん!? 柊さん、どういうことですか!? どうして、ここに――)
剣道場の端に置いた仕込刀を庇うようにして、わたしは女の子座りでペタンと座り込んだ。
「クソ、クソ――――ベフライエン」
一方で、八重巴も珍しく、ひどく慌てた表情になって、何やら呪文を口走っていた。途端、剣道場を包んでいた霊力場が消え去り、身体がフッと軽くなった。続いて、制限されていた魔力も解放された。
どうやら全ての制約を解除したようだ。これで何の負担も感じなくなる。
「あの、勝手に入るのはお止めくださ――――」
「――失礼しますよぉ。ここに、巴さん居るかな?」
ドタバタ、と慌ただしい音が聞こえてきたかと思うと、聞き覚えのある声と共に、見覚えのある人物が剣道場に入ってくる。
(どうして、ここに――為我井清香さんが、来るんですか!? 何が起きた、のですか!?)
頭の中で、まさか、という驚愕を声にして、テレパシーで繋がっているであろう柊南天に叫んだ。
意味が分からない、と思考が混乱の極致になっていた。
しかし、それはわたしだけではなく、八重巴も同じように混乱しているのが見て取れた。明らかに、想定外の登場人物だったようで、おかしい、と表情を歪めて首を振っている。
信じ難い存在を見るように、突如として剣道場に現れた闖入者に視線は集中した。
「お、発見! 巴さん、お久しぶりですね――と? あれれ? そこに居るのは、綾女ちゃん、じゃないの!? ええ!? 優華のお友達の、鳳仙、綾女ちゃんが、どうしてこんなとこに……んー、どゆことかしらん?」
「あの、お願いします、為我井様! これは不法侵入ですよ? 勝手に上がるのは――」
「――あ、千鶴さん、ごめんね? これ、不法侵入じゃないのよ? 提示が遅れたけど、はい、令状」
八重千鶴の制止を振り切って、為我井清香は、土足でズカズカと勝手に剣道場に入ってきた。そして慌てふためく八重千鶴に、ここのガサ状よ、と言いながら書類を見せていた。
書類を見てから、八重千鶴は、う、と押し黙り、仕方なく引き下がっていた。
「えーと、巴さん。今日はワタシ、仕事でここに来てるからさ。とりあえず、改めて自己紹介しとくわね?」
為我井清香は、複雑な表情を浮かべている八重巴の前に立って、懐から黒い警察手帳を出した。
「ワタシ、警視庁捜査第一課、警部、為我井清香です。ちょっと、とある事件を担当してて、巴さんにお聞きしたいことがあって来ました。心当たり、有りますよね?」
「……心当たりなぞ、ある訳ないじゃろぅ? 特異課の連中ならいざ知らず――よもや、儂に剣術を習いに来たのかのぅ?」
「あ、そ? 心当たり、ないんだ? 茨煉獄組と、久遠組の抗争、関わってないの?」
「――当然、知らぬ。儂とは無関係じゃ」
「ふーん、そ? 五百蔵鏡の暗殺事件も、無関係?」
「――――知らぬ。儂とは無関係じゃ」
為我井清香は無表情に詰め寄りながら、ジッと八重巴の所作を注視していた。嘘は許さない、と強烈な眼力で睨みつけている。
しばし無言で睨み合ってから、スッと為我井清香が視線を横にずらした。
「ねぇ、ところでさ――そこの麗しいモデルみたいな外人さんは、どちら様?」
不躾に指差しながら、天桐・リース・ヘブンロードに首を傾げている。値踏みするような視線で、頭からつま先までをジロジロと眺めていた。
その視線に溜息を漏らしてから、天桐・リース・ヘブンロードは呆れたように首を振る。
「ジュ、ヌ、パールパ、ジャポネ――」
「キ、エテ、ヴー?」
「――――ワォ」
天桐・リース・ヘブンロードは、フランス語で『日本語は話せません』と口にして、瞬間的に、為我井清香が『貴女はどなた?』と聞き返していた。
簡単なヒアリングだったので、わたしでもやり取りを理解出来たが、まさか為我井清香が即答でフランス語を返せるとは思っていなかった。
為我井清香の優秀さに、内心でかなり驚愕する。為我井六姉妹の中で、最も優秀で偉大な姉と言われるだけある。
「――フランス語、話せるようだな?」
「あら? 日本語、話せるんじゃん?」
天桐・リース・ヘブンロードの問いに、為我井清香も似たような問いを返していた。
このやり取りで、もう逃げられない、と諦めたのか、天桐・リース・ヘブンロードが深く溜息を漏らしていた。
「私が何者か、それを貴女に答える必要を感じない。私は八重家とは無関係の、ただの来客でしかない。そこのお嬢さんと同じだよ。私たちは今日、八重巴の剣術指南を受けに来ただけだ」
「ふーん、そうなの? じゃあ、なんでさ。そんなに日本語も話せるのに、わざとフランス語で誤魔化そうとしたのかしら? それにどうして、正体を隠そうとするの? おかしくない?」
「知りたければ、特殊災害・異常対策課の人間を連れてきたらどうだ?」
「……ああ、何? アンタって、特異課と関わりあるの? ふーん、そんで? 名前は?」
「それは職務質問だろう? つまり任意だ。答える必要はない。それに、先ほどの令状は『捜索差押許可状』だった。私とは無関係だ。令状に従って、八重家をいくらでも捜査すれば良いだろう?」
「…………はん? あ、そ。そういう態度ね……調子に乗ってるなぁ」
天桐・リース・ヘブンロードとしばし睨み合ってから、為我井清香は露骨に舌打ちする。
「確かに? アンタ、今回のワタシの用事とは無関係っぽいし? 特異課の連中と関わりがあるってことは、つまりはそういう面倒ごとってことでしょ? ワタシも、今ここに知り合い居るから、下手に裏社会のことは言いたくないし? 今回は、一旦、見逃してあげるわ」
為我井清香はやたらと負け惜しみのような口調で言って、今度はわたしに視線を向けてきた。標的を変えたらしい。チッ、と内心舌打ちした。
すると、その隙をついて、天桐・リース・ヘブンロードが逃げるように剣道場の外に向かう。
「――あ? ちょ、アンタ、何を逃げようとしてるのよ!?」
「八重巴、今日は残念ながらもう終わりだろう? 私は帰るよ――お嬢さん。また今度、機会があればどこかで会おう」
「ああん? おい、勝手に帰るな、って――」
為我井清香は咄嗟に手を伸ばして肩を掴もうとしたが、それは流麗な体捌きで躱されていた。慌てて、羽交い絞めしようとしていたが、その制止さえも当然のように振り切って、天桐・リース・ヘブンロードはこの場を去って行った。
剣道場の外に出ていった天桐・リース・ヘブンロードを見送ると、為我井清香は盛大な舌打ち一つしてから追うのは諦めていた。
改めて興味をわたしを移すと、目の前にヤンキー座りで腰を落として強い口調で質問してきた。
「さて、と――ねぇ、綾女ちゃん? 綾女ちゃんは、どうしてここに居るの?」
「……わたしは……その……八重巴さんの、剣術の腕が、とても素晴らしいとお聞きして、是非にと連絡を取ったところ……今日を指定、されたので……こちらに……」
先ほどの天桐・リース・ヘブンロードの話に乗っかり、八重巴の剣術指南を受けに来たことにしてみた。それで誤魔化せるとは思えないが、それ以外に良い言い訳が思いつかない。
為我井清香はそれを聞いて、満面の笑みになりながら鋭く突っ込んできた。
「ふーん? じゃさ、優華から実家に帰ってるって聞いてたけど、あれは嘘、ってこと? 実家って、朱川家でしょ? 朱川家って、G県の大地主さんだよね? そもそも、優華からは『綾女ちゃん、G県に帰ってるらしい……寂しいよぉ』って連絡受けてるけど?」
わたしの目を見ながら、笑顔で首を傾げてくる為我井清香に、どう返すべきか思考が停止してしまう。
これが全く知らない警察の人間であれば、この場ですぐ殺しただろう――けれど流石に、友達の姉をそんな理由で殺すのは忍びない。
正直な話、わたしが何をしているのか、為我井清香に言う程度なら気にならない。けれど、それが間接的に為我井優華に伝わってしまい、友達でいられなくなるのは寂しいし、少しだけツライ。
わたし自身の人間性を保つ為にも、為我井優華のような一般人との正常な交友関係は、可能な限り絶やしたくはないのだ。
「――ねぇ? やっぱ、アレ、綾女ちゃんだったんだよね? 金髪ウィッグ付けて、親戚のところに旅行するって言ってた『朱川麗奈』ちゃん?」
「………………」
為我井清香は確信しているようで、わたしを真っ直ぐと見詰めて問いかけてきた。
ここまでバレていると、もはや言い逃れせず真実を言うしかないのか。どこまで調べられているか分からない以上、下手に嘘を重ねると面倒になる可能性もある。
しかし、正直に言ったところで、為我井清香がどこまで理解出来るかも分からない。むしろ余計なことを言わない方が、お互いの為になる可能性すらある。理外の存在、裏社会について、詳しくないのであれば巻き込んでしまう。それはそれで申し訳ないだろう。
わたしは観念したような様子で俯き、どうするか、と悩んだ。その様をジッと見詰めて、強烈な圧を放ちながら為我井清香は黙って待っていた。
「…………あ、その……実は――」
仕方ない。一旦、真実は言わずに、適当な誤魔化しを言おうと決めて口を開きかけた時、為我井清香の携帯が鳴った。
「あ、誰よ――チッ。はいはい。為我井です。何ですか、課長?」
携帯を見て盛大な舌打ちをしてから、為我井清香は立ち上がって電話に出た。さりげなく通話内容を聞かれないよう、剣道場の入口に移動している。
わたしは耳に意識を集中させて、その通話内容を探る。すると、相手が烈火の如く怒鳴っているのが分かった。
少し聞くだけで、会話内容は理解出来た。
どうやら、為我井清香のこの行動は独断専行だったらしく、県警からは軽率過ぎるとお叱りを受けているようだ。ずいぶんと強引な手段で令状も用意して、そのまま単独で八重家に突入してきたらしい。
課長は怒り心頭で『早く戻ってこい!!』と喚いているが、為我井清香は、それを適当な相槌で流そうとしていた。
「……鳳仙殿。悪いが、本日の賭け試合は無効じゃ。また後日連絡をしよう――儂はイージス殿の言葉通りにする。鳳仙殿も合わせておいてくれ」
「――ええ。承知しました」
小声でそんな打ち合わせをして、入口で立ちはだかる為我井清香に視線を向けた。
「――はいは……ああ!? なん――はぁ!? 特異課に任せろ!? 正気ですか、課長!! このヤマはワタシたち一課の――ああ、もう知らん!! ワタシは好きにやります!!」
電話口の課長に語気荒く怒鳴り付けて、為我井清香は一方的に電話を切っていた。どうやら課長は、部下をたしなめることに失敗したらしい。しっかりしてくれ、とひどく落胆した。
為我井清香は、はぁ、とこれ見よがしの溜息を吐いてから、わたしの前に戻ってきた。溜息を漏らしたいのは、こちらだと強烈に思った。
「……さて、綾女ちゃん。ワタシこう見えてもだいぶ粘着質でさ。気になったことは、とことんまで追求する性質なのよね」
ええ、存じております――とは、心の中で強く頷くのみで口には出さなかった。
「巴さんにも用事はあるんだけど、そっちはまだ後で――」
「――のぅ、捜査一課の『爆弾娘』よ。確かに八重家は、久遠組と関わりのある家柄じゃ。じゃが、五百蔵鏡暗殺の事件は、もはや被疑者死亡で解決したはずじゃろ? わざわざ他県の管轄まで土足で踏み込んで、好き勝手できる権限は、貴方にはなかろう?」
「……伊達に長生きしてないわね、老獪な巴さん。けど生憎、今のワタシには令状あるからさ。証拠がないか捜査させてもらう権限はあるのよ?」
「儂は、協力しない、とは言うておらぬ。特異課を待て、とお願いをしているだけじゃ」
為我井清香と真正面から向き合って、八重巴が胸を張ってそう主張していた。その態度はどこから見てもお願いしてはいないが、言葉だけは丁寧で冷静だった。
「そ? んじゃ、そのお願いは聞けません。それで? 綾女ちゃんは、どーしてここに居るのかな? 変装してまで、親友の優華に嘘を吐いてまで、こんな遠くまでやってきてさ……何が目的だったのか、清香お姉さんに教えてくれないかな?」
「…………わたしは、実は……その……」
「うん。ワタシは、実は、何?」
しどろもどろに視線を泳がせて、少しでもマシな整合性のある嘘を考えた。けれど、誤魔化す設定も、真実味のある言い訳も思い付いてはいない。
下手な言い訳は、為我井清香の前では無意味だ。調べられたら更に言い逃れが出来なくなってしまうだろう。だが、このままで誤魔化し切れるはずはない。
わたしは脳内で必死に柊南天を呼んで、どうすればよいか助けを求めた。しかし、柊南天は沈黙を守っている。
「……綾女ちゃん? ワタシは何も、貴女を疑ってる訳じゃなくて、理由を教えて欲しいだけよ? 隠さないといけない何かがあっても、それを言ってくれないと怪しくなるだけよ?」
ねぇ、と強烈な眼力でわたしを見据える。
本当に困った、どこまでをどうやって伝えるべきか――と、思考の末、とりあえず、先ほど口にしようとした誤魔化しを試してみることにする。
ここに居る理由も、どうして変装していたのかも、全て朱川麗奈のせいにする方針である。
「……あの……わたし、朱川家では、養子であることで、肩身が狭くて……麗奈さんから、虐められてるんです……今回の遠征も、麗奈さんが自分の経歴に箔を付けるため……高名な巴さんに、剣術指南をお願いしてて……けど、いざ剣術指南する、ってなった時、面倒くさい、って言い出して……自分の代わりに、朱川麗奈、として、八重巴さんに名前を売れって……」
「あのさ、綾女ちゃん。だとしても、道中まで変装してる必要ないわよね? ってか、変装しなくても、名乗りだけ変えれば、別にそれで良くない? 何から隠れる為に、新幹線でも朱川麗奈になりすまそうとしてたのかしら?」
「…………えと、それは、罰ゲームで……」
「優華から聞いてる限り、綾女ちゃんはさ、頭の回転も速いし、要領も良いし、器量もあるわよね? そんな人がさ、誰も見られていないのに、しっかりと変装して長時間移動するなんて、ちょっと考えられないんだけど?」
「…………」
マズい――やはり言い訳にもならなかった。為我井清香は正論で詰めてきた。
どうやら、わたしは自分で思うよりもずっと素直で、しかも今だいぶ余裕がないらしい。確かに我ながら、誤魔化し方が下手くそだと痛感する。
遠目に、わたしの言い訳を聞いた八重巴も、なんだそれは、と呆れた表情を見せていた。
「――綾女ちゃんってさ、理外の存在と関係あるの? ってか、八重家と何か関わりがあるの? 弱みを握られてたり、するのかな?」
「……えと……その……実は、理外の存在のことは、知って――」
「ふーん、だとすると、おかしいわね? ワタシさ、特異課で把握してる理外に属する連中は、ほとんど把握してるんだけど……綾女ちゃんのことは、知らないんだよね?」
全てを見透かすような強い視線で見てくる為我井清香に、わたしは、ゴクリ、と唾を飲んで押し黙ってしまった。
さて、どうする? この場で為我井清香を殺すか、否か――
(――綾女嬢、ちょっと、その思考ストップっス。ギリ、救援間に合ったス……そのまま待機で――)
お尻の下にある仕込刀に手を触れて、泣きそうな演技をしていると、ようやく柊南天からのテレパシーが届く。同時に、外からパトカーのサイレンが聞こえてきた。何台ものパトカーが止まる音が聞こえて、直後、屋敷内に慌ただしく入ってくる複数人の気配も感じ取れた。
「チッ――マジか」
パトカーのサイレンを聞いて、為我井清香が舌打ちしつつ、剣道場の入口に視線を向けた。
果たして、ドカドカ、と足音を立てながら現れたのは、特殊部隊を思わせるゴツイ武装をした八名だった。全員が拳銃を片手に、素早く剣道場に入ってくる。
わたしは心の中で安堵した。
見れば、それは八重巴も同じようで、彼女は分かり易く口元を緩めていた。これで助かった、とでも言いたげである。




