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外道に生きるモノ  作者: 神無月夕
第六章/八重越えて

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第七夜(2)

2025/12/16 誤字修正

 道の駅でお土産を大量買いした柊南天は、その後も、あちこちの観光名所で地元の銘菓や、記念品を買い漁っていた。

 わたしはその間、ずっと助手席に座ってイメージトレーニングを繰り返していた。

 空無之位をいち早く修得する為のコツは、柊南天曰く、繰り返し繰り返しの反復練習、反芻による慣れだという。

 空無之位は、明鏡止水の境地や、無我の境地のように深い集中で成功する訳ではないらしい。実際、何度も繰り返すうちに、少しずつ空無之位に踏み込み易くなっていた。


「――さて、着きましたっスよ、綾女嬢」


 ようやく八重巴の自宅――指定されていた場所に辿り着いたらしい。

 民間のコインパーキングに駐車してから、柊南天は、右手正面に見えている屋敷を指差した。その家は、二車線の道路を挟んで、通りに面した長い塀に囲まれた武家屋敷風の豪邸である。

 このコインパーキングからだと、正面玄関は逆側のようで、一面長い塀しか見えなかった。


「うちは、ここで待ってまスから――何かあればテレパシーで警告しまスんで、綾女嬢の方でも、問題あればヘルプしてくださいっス」

「……かなり、わたしと距離が開くと思うのですけれど、大丈夫でしょうか?」


 どれほどの距離だとテレパシーが通じなくなるのか、わたしは不安になった。電波ではないのだから、どこでも繋がる訳ではないだろう。

 すると、柊南天はニヤリと笑いながら、余裕っス、と続ける。


「うちのテレパシー能力は、たった一人の対象に集中するなら、1キロ程度は問題なしっス。ご安心をしてくださいっス。あと、念の為スけど、綾女嬢の服に超小型カメラを付けときまスんで、何かあればこっちから指示するっス――ちな、もうヘブンロード嬢は到着してるみたいスね」


 時刻は十三時半か。約束の時間より少し早いが、まあ、来ていても不思議ではない。


「そうですか。それでは、行って参ります――嗚呼、そう言えば、柊さん。帰りは、送ってくださるのですよね?」

「あー、帰りスか? 帰りは……腹黒嘘吐き妖怪婆に、自宅までのタクシー代とか、出して貰えば良いんじゃないスか?」

「……ここから、タクシーで帰らせるつもり、ですか?」


 柊南天の発言には思わずドン引きする。わたしの『送って』は、新幹線の発着駅まで送ってくれ、というだけの軽いお願いのつもりだった。自宅まで、のつもりは一切ない。

 そもそも関西エリアの京道市から、関東エリアの四枝(ヨンシ)市にあるわたしの自宅まで戻るのに、タクシーでは軽く八時間以上は掛かるだろう。乗車金額も十七万円を超えるはずである。


「まあ、どっちにしろ、うちは帰りの見送りしませんっス。よっぽど、うちが回収しないとマズイ状況になったら別スけど……今日は、ことが終わったら、自力で駅まで向かってくださいっス。あ、ただ、駅で違う変装してお待ちしておきまスよ?」

「――承知しました。面倒ですけれど、自力で対応いたします」

「うっス。んじゃ、健闘を祈るっス。そして、綾女嬢が馬鹿な真似をしないことも祈るっス」


 そんなフリをかましてくる柊南天に、わたしは笑みを浮かべただけで視線を切った。

 わたしは車道を渡り、裏手から表門へと回り込んだ。正面に回り込むと、時代錯誤な木製で両開きの正門と、最新式のテレビドアホンがあった。古いのか新しいのか謎である。

 携帯電話の時計を眺めて、まだ約束の時間より二十分早いが、訪問するのにちょうどいいだろう。わたしは躊躇なく、テレビドアホンの呼び出しを押下した。


『何よ、誰――どちら様、でしょうか?』


 テレビ画面に映ったのは、いかにも不機嫌な態度の若い女性だった。

 トレーニング中なのか、剣道着姿にタオルで汗を拭っている。整った顔立ちはどことなく八重巴に似ていた。外見だけ見ると姉妹にも思える。


「八重さん――八重巴さんに呼ばれて参りました、鳳仙綾女と申します。約束は十四時ですけれど、宜しいでしょうか?」

『……また、巴おばあ様の客か。そこで待ってて』


 わたしの笑顔に胡散臭い表情を浮かべて、テレビ画面は暗くなった。

 しばらくすると、正門が内側から外側に開かれて、落ち着いた様子の割烹着姿をした女性が現れた。


「ようこそお越しくださいました。巴様がお待ちです。こちらにどうぞ」


 割烹着姿の女性は使用人に思えた。丁寧なお辞儀と共に、屋敷の中にわたしを招き入れてくれる。

 敷地内には風流な庭が広がり、本邸と思われる一番大きな家屋に通された。渡り廊下で剣道場と思しき建物に繋がっているのが見えた。

 すぐに剣道場に向かうのかと思いきや、どうしてか客間に通される。


「少々こちらでお待ちくださいませ」


 案内してくれた割烹着姿の女性は、客間のソファにわたしを促す。

 よく分からないが、とりあえず言われた通りに座って待つことにした。すると、しばらくして別の人間の気配がして、客間が乱暴に開けられた。


「……いらっしゃい、ませ。ここからは私が、ご案内します」


 現れたのは、最初にテレビ画面で受け答えした剣道着姿の女性だった。画面で見た時と同じく、不機嫌な態度で、いかにも歓迎したくない空気なのに頭を下げてくる。

 そんな剣道着姿の女性に、割烹着姿の女性が呆れた顔で嗜めるように言った。


(タツミ)さん、不敬ですよ? 巴様のお客様には、もっと丁寧に応じなさい」

「……はい、申し訳ありません。お客様……失礼いたしました」


 露骨に嫌がった態度で、しかし綺麗な謝罪をする剣道着姿の女性に、わたしは、別に気にしていない、と手を振った。

 そんなわたしに会釈してから、割烹着姿の女性は静かに立ち上がった。いちいち所作が洗練されていて美しかった。


「巽さん、後は宜しくお願いいたしますね。それではお客様、私はこちらで失礼いたします」


 割烹着姿の女性が下がっていくと、しばし沈黙が流れた。わたしはとりあえず黙って案内を待つ。


「あ、その……すぐ、巴おばあ様のところに向かいますか? おもてなしもご用意しておりますし、お手洗いもあります、けど……」


 巽さん、と呼ばれていた剣道着姿の女性が、恐る恐るといった調子で、よく分からないことを言い出し始めた。八重巴の居るところに案内したくないのか、オドオドとして何かを恐れている様子だ。

 巴おばあ様と呼んでいることから、八重巴の孫のようだが、察しも悪く実力もなさそうだ。


「申し訳ありませんが、サッサと巴さんのところに向かってくださいませんか? 約束の時間は十四時ですので、そろそろ行かなければ――」

「――あ、はいはい。そう、ですよねぇ……こちら、です」


 わたしの催促に、彼女は諦め混じりの溜息を漏らしてから、客間を出て渡り廊下を歩き出した。


「…………ちなみに、ねぇ、お客様? 貴女、って、いくつなの?」

「不躾に何でしょうか? 十七ですけれど、それが?」

「う――ぉ? 十、七……って、JKってこと……か。その年で、巴おばあ様に、呼ばれる実力……ねぇ」


 わたしに振り返ると、酷く驚いた表情で絶句していた。値踏みするような視線を向けてきて、明らかにわたしという人間を侮って見ているのが感じられた。だいぶ失礼な態度である。

 その失礼な視線を鋭く睨みつけて、サッサとしろ、と顎で先を促す。慌てた様子になって、彼女は足早に離れの剣道場まで案内してくれた。


「久方ぶりじゃの、鳳仙殿――おや? やはり、そこまで仕上げてきおったか……」

「ほぉ? お嬢さん。久しく見ぬ間に、だいぶ強くなったようだな――この感覚は、霊能力でも身に着けたのか? なかなか、面白い展開が視れそうだ」


 剣道場の中に足を踏み入れたわたしを出迎えたのは、剣道着姿をした八重巴と、貫頭衣を纏った天桐・リース・ヘブンロードである。

 二人はわたしを一瞥して、すぐに驚嘆の声を上げた。

 どうやら見ただけで、いまのわたしが霊力を身に付けたことを認識出来たようだ。しかし、八重巴は当然として、天桐・リース・ヘブンロードも見抜いたのは驚きだった。


「……へぇ? ヘブンロードさんは、霊力をお持ちではないのですね……」


 さりげなく霊感で探りを入れると、信じ難いことに、天桐・リース・ヘブンロードは霊力を持っていなかった。霊体の存在は感じ取れるが、かなり微弱で、霊力は放たれていない。

 しかも、これが最も信じ難いことだが、魔女であるはずなのに、魔力の総量さえもそれほど強大ではなかった。恐らくわたしより少し多い程度だろう。九鬼連理や柊南天と同程度かそれ以下で、神薙瑠璃の方が確実に強大だった。


「ああ、生憎と私には、昔から霊能力の素養がない――それはそうと、事前に告げておくが、私は今日、公正な立会人として来ているだけだ。お嬢さんとは闘わないぞ?」

「イージス殿、ご安心いただきたい。申し訳ないのじゃが、本日、儂が鳳仙殿に負けることは、あり得ないでしょう」


 わたしが天桐・リース・ヘブンロードに強烈な闘気を放っていると、それを庇うように、八重巴が前に出てきた。手には木刀が握られており、そこから微かに霊力が放たれている。芯に何か素材が入っているのか、ただの木刀ではなさそうだ。


「あ、そ、その……巴おばあ様? 私は、これで――」

「――これ、巽。自己紹介はしたかのぅ?」


 剣道場の入口で待機していた巽さんが、ボソボソと喋ってから下がろうとした時、八重巴が呼び止める。瞬間、巽さんがビクッと身体を振るわせて、恐る恐ると振り返った。


「……い、いえ……その、しておりません……」

「ふむ。鳳仙殿、そこな案内人は、儂の不肖の孫でのぅ――八重(ヤエ)(タツミ)と言うのじゃ。今年でもう二十四にもなるというのに、その程度の実力しか持っておらぬのが悩みでの。少しだけ稽古してくれんかのぅ?」


 こっちに来い、と八重巴が手招きして、巽さん――八重巽が苛立ちと恐れ混じりに、しずしず剣道場へと入ってきた。

 通り過ぎる際に、わたしを睨みつけてくるが、その怒りはお門違いだろう。

 八重巽はわたしと対峙するように向かい合ってから、八重巴に何度も視線を向けていた。挙動不審な態度である。


「あの、巴おばあ様……わ、私……別に……他流試合や、対人稽古より……まだ型稽古を……」

「巽。儂がやれ、と言っておるのじゃ。それに逆らう、と言うことかの?」

「……あ、う……そういう、訳では――」


 かなり横柄な態度で、八重巴が一方的に八重巽に命令をしていた。家族とはいえ、かなり横暴だろう。分かり易いパワーハラスメントだ。

 八重巽は恐縮しっぱなしに、声も上手く出なくなっており、恐怖に支配されている様子が伺えた。

 天桐・リース・ヘブンロードはそんなやり取りに口は出さず、剣道場の端に身を寄せて、腕組みしながらわたしの挙動を注視している。


「――八重、巴さん。申し訳ありませんけれど、わたしはそもそも了承しておりませんよ? 稽古も何も……失礼ながら、その程度の腕では、前哨戦はおろか準備運動にもなりません」

「あ? ちょ、ちょっと……その……お客様? 悪いけど……それ、初対面の相手に対して、しかも年上の先輩に対して、失礼、じゃないの? あ、その……巴おばあ様に呼ばれた、ってことは理解してる……していますけど……」

「果たして、本当に理解なさっていますか?」

「……あのさ……私を、なんか一方的に、雑魚扱いしてるみたいだけど……それなりに……いや、一応、全国区で五指に入る程度には、強いのよ? お客様――鳳仙、綾女、だったっけ? 名前も聞いたことがないけど……調子に乗ってると、痛い目に遭うわよ?」

「――――はぁ」


 わたしの言葉に、どうやらプライドを傷付けられたと思ったのか、八重巽がカチンときた様子で反論してくる。けれど、いま話したことは紛れもない事実であり、これを事実と受け取れないだけの実力差があるのだが――理解が出来ていないらしい。

 溜息しか出ない。八重巴の孫だというのに、まさか彼我の戦力差を理解出来ないほどの実力しかないのは、とても悲しいことだ。


「ふふふ……面白いな」


 わたしが落胆して呆れていると、天桐・リース・ヘブンロードがクスクスと笑っていた。

 その光景を見て、わたしもそうだが、八重巴が驚愕に等しい驚きを見せていた。目を見開いて、イージス殿どうかしたかの、と首を傾げている。


「ん? ああ、君の孫娘の強がり具合が、少し前のお嬢さんにそっくりだったので、つい思い出し笑いをしてしまった。まあ、お嬢さんとの明確な違いは、彼我の戦力差を分かったうえで強がるか、分からないまま強がるか、だがね」


 天桐・リース・ヘブンロードがわたしに神秘的な笑みを向けて、なあ、と首を傾げていた。

 なるほど、確かに――わたしはこめかみを掻きながら、少しだけ反省する。言われてみれば、同じような態度や言動をよくやっている。


「……ええ。承知いたしました。巴さん、宜しいですよ? お孫さんの、巽さんですね? 一本だけ、稽古を付けてあげましょう。経験を積ませてあげますよ」

「――――はぁ!? この、調子に、乗って……」

「おぉ! まさか、鳳仙殿が応じてくれるとは思わなかったぞ? 有難いのぅ――巽。最初から全力で、殺す気で行くのじゃぞ? 持てる力全て、霊力も使って挑むが良い」


 わたしは持ってきた仕込刀を剣道場の端に置いた。八重巽相手に、素手でも充分過ぎるほどである。ましてや、武器など使ったら過剰過ぎる。

 そんな態度に、いっそう挑発されたと思ったのか、八重巽は怒り心頭に顔を紅潮させた。


「巴おばあ様のお客様だから、遠慮してたのに――もう頭キたわ!! 本当に、死んでも知らないからね!? 巴おばあ様、木刀を――」

「剣道場の隅にある真剣で結構ですよ? わたしはハンデとして、右腕一本で相手いたします」

「――――上等よ。若いからって、自惚れてると痛い目見るってこと教えてあげるわ」


 八重巽の言葉に被せて、剣道場の奥に飾られている大太刀を指差した。八重巽がどのような戦闘スタイルかは分からないが、手のひらのマメを見る限り、重たい刀剣を普段から利用しているように思えた。飾られている大太刀の類が、しっくりくるのではなかろうか。

 八重巴が楽しそうに頷きながら、スッと一歩後ろに下がっていた。わたしの動きが見渡せる位置で、体捌きを確認する意図だろう。


「嗚呼――けれど、巴さん? 巴さんの思惑通りに相手をいたしますけれど、巽さんではわたしの今の実力を測るのに、力不足ではありませんか? 手の内、見せる前に決着しますよ?」

「――鳳仙殿。大事な孫じゃから、殺さぬようにしてくれよ」

「はいはい――殺す気にもなりませんけれどね」


 わたしは八重巴と軽口を叩き合って、いっそう八重巽を挑発した。すると、もはや問答無用と感情を爆発させて、八重巽が大太刀を構えて襲い掛かってくる。そこには鬼気迫る殺意が篭められていた。

 合図などなかった。もうとっくに稽古は始まっている。

 わたしはわざとらしく欠伸をして、これ見よがしに隙を見せる。馬鹿にされたと思った八重巽は、当然ながらその隙を狙って大太刀を振るった。


「八重示現流――【胴断(ドウダ)ち】!!」


 死ね、と続く叫び声と共に、わたしの胴体を目掛けて大振りの横薙ぎが迫る。

 それをどう受けようか一瞬だけ思案して、とりあえず剣技のレベル差を見せ付けることに決めた。これは、あくまでも稽古である。 


「……豪剣とはいえ、剣筋が荒すぎますよ?」

「――はぁ、ぇ!? なっ、によ――はぁ!?」


 豪快な横薙ぎは、わたしが手の甲で剣身を弾いただけで、あっけなく捌かれる。篭められた霊力と、なかなか強力な剣気が衝撃波となり、空を切りながらも、剣道場の壁に跡を付けた。

 八重巽は振り抜いた勢いを殺せず、態勢を崩して半身になった。その首筋に、ちょん、と人差し指を当てて、わたしはニコリと笑みを浮かべる。


「くそっ……この――八重示現流【大蛇薙(オロチナ)ぎ】!!」


 たたらを踏んだ八重巽の背中をトンと押して、姿勢を少し戻してあげる。すると、そこからアイススケートの回転を思わせる跳躍を見せて、大太刀を横に振るってきた。


「……不思議な形状をした、剣気ですね」


 わたしはその大太刀を紙一重に躱しながら、続いて迫りくる霊力を含んだ剣気を手で叩き落とす。

 物理的な大太刀の薙ぎは首筋を狙っており、その後に、大太刀から放たれる剣気がグネグネと蛇の如く襲い掛かる剣技だ。それらの剣気は霊力を含んでおり、見た目以上に高威力だった。

 雨燕のような鎌鼬だと油断すると、直撃で致命打となり得るだろう。とはいえ、どちらにしろ攻撃の精密さに欠けた荒い技である。


「まだまだ――八重示現流、秘奥【両儀(リョウギ)(ツブラ)】!!」


 間合いの外から繰り出されたのは、円形を描く踊りのような剣舞だった。

 大太刀を振らずに、剣身で空中に丸を書く動き――そこから生じる霊力と剣気の混じった鎌鼬が、わたしの急所を目掛けて飛び掛かってくる。


「へぇ――面白い」


 感心した声を上げてそれを眺めていると、八重巽が大きく息を吸い込んでから、獣を思わせる低姿勢になった。息を止めて、一瞬だけ動きを完全停止させると、次の瞬間、素早く踏み込んでくる。


「八重示現流――――【雷獣(ライジュウ)】っ!!」


 恐らくはその名称通りに、雷を纏った獣を思わせる突撃なのだろう。

 実際のところ、八重巽の技量でも、充分以上に驚異的な威力の技だった。ただ、わたしには物足りないだけである。


「無刀、刃流しの構え――」


 わたしは襲い掛かる【両儀・円】の鎌鼬を、全て掌で受け流す。鋭い剣気と霊力を纏ったそれらは、しかしだいぶ軽い斬撃だった。致命的なまでに、重さも、速さも、精密さも不足していた。これでは、捌いてくれ、と言っているようなものである。

 だからこそ期待に応えて、右手一つで全て払って見せた。 


「――からの、竜牙(リュウガ)

「っ――はぁ!? ぇ、っ!? うぅ――っ!! あ、が……」


 そして、八重巽の低空タックルと思しき突撃に合わせて、わたしもしゃがみ込み、右手の掌打を胸元に叩きつけた。

 わたしの挙動に付いてこれず、八重巽は驚愕のまま掌打をカウンターで喰らった。

 遅れて、大太刀をブンブンと振るっていたが、そんなヤケクソ当たる訳がない――そのまま、手の甲で太腿を強打して、床に膝をついた瞬間、顎を思い切り上に撃ち抜いた。

 八重巽は吹っ飛び、白目を剥いて一撃で気絶していた。ついでに盛大な鼻血と、口から泡を吐き、失禁までしている始末だ。だが、かろうじて死んではいない。


「うむ――儂の孫ながら、ここまで情けないとは思わなんだ……」

「あら? そう言う割には、満足そうですね? 巴さんで、何かわたしの弱点でも見付けましたか?」


 八重巴が残念そうに肩を落としながら、パンパン、と大きく手を叩いている。けれど、その口元はニヤリと薄笑いが浮かんでおり、予想通りだ、とでも言いたげな視線をわたしに向けてきた。


「おい、千鶴(チヅル)! 千鶴――すぐに道場まで来い!!」


 八重巴が剣道場の外に向かって大声を張り上げた。すると、庭で掃除をしていた割烹着姿の女性がすぐさま現れる。

 

「――失礼いたします。あらあらあら、巽さん、どうなさったのでしょうか? 巴様、何か粗相が――」

「巽が儂の客人に稽古を付けて貰っただけじゃ。まぁ、結果、粗相をしてしまったようじゃが――片付けてくれないかの?」

「かしこまりました。我が娘ながら、こんなはしたない恰好を見せてしまい、お客様にはご迷惑をお掛けします」


 千鶴、と呼ばれた割烹着姿の女性は、この屋敷でわたしを出迎えて案内してくれた使用人だった。なるほど、八重巽の母親だったのか――と言うことは、この女性は八重巴の娘だろうか。


「八重千鶴、儂の息子の嫁じゃ。生憎と、息子にも千鶴にも、鳳仙殿を満足させられる実力はないぞ?」

「――あら、失礼いたしました。そんなに物欲しそうな顔をしていましたか?」


 わたしが八重千鶴を一瞥したのを見て、八重巴が苦笑しながらそんな釘刺しをしてきた。そういうつもりはなかったが、疑問は解けたのでもう充分である。

 そうこうしているうちに、八重千鶴は手際良く失禁跡まで掃除して、気絶した八重巽を抱えて剣道場から去っていった。

 剣道場には、退屈そうな天桐・リース・ヘブンロードと、不敵な笑みを浮かべる八重巴だけになった。


「さて――思いもよらぬ些事が挟まってしまったが、これより八重示現流の流儀に則って、賭け試合を行わせて頂く。鳳仙殿、心の準備と身体の準備は良いかの?」


 八重巴は剣道場の中央で仁王立ちして、改めてそんな宣言をしてくる。当然、わたしの準備は万端だ。

 わたしも八重巴に相対する位置で立ち、勿論、と強く頷いて笑顔を向ける。


「――ルールの確認をするが、今回、勝敗は八重示現流の流儀に則られる。つまり『降参した場合は敗北』である。また、『相手を殺す、もしくは相手に致命傷を与えた場合は敗北』である。この二つが敗北条件であり、勝利条件は『相手が敗北した場合に勝利』である。互いに、武器の使用は木刀のみ。それ以外のルールは存在しない。同意するか?」


 天桐・リース・ヘブンロードが高らかにルール説明をしてきた。それを横目に、わたしは強く頷いた。当然だが、八重巴もそれに満足気に頷いた。


「なお、賭け試合の結果、敗者は勝者の提示する条件を全て呑む、と聞いている。提示した条件が何かは私の与り知らぬところだが、これを違える場合には、異端管理局が制裁を下す――同意するか?」


 なるほど、とわたしは迷わず同意して、八重巴も強く頷いていた。事前に聞いていた条件以上に、八重巴はがめつく報酬の上乗せをしてきていた。

 まあ、負けなければ正義であり、勝つ前提で愉しむのが今回の目的だ。

 わたしは闘気を全開にして、充実している魔力、気力を解き放ち、正面の八重巴を威圧した。


「――老体には堪える圧じゃの。素晴らしい剣の才能、強さの天稟じゃ。羨ましい限りじゃの」


 八重巴は涼し気な表情でそう言いながら、口元の笑みはそのままに、天桐・リース・ヘブンロードへと目配せをする。合図を待つ仕草である。


「それでは、木刀はこれを使用するように」


 天桐・リース・ヘブンロードは、剣道場の脇に刺さっていた木刀を適当に一つ掴んで、わたしに直接手渡してくれた。

 軽く素振りするが、ただの木刀である。それ以上でもそれ以下でもない。

 一方で、八重巴の手元にある木刀を視てみる。それは明らかに、わたしの獲物とは異なる造りをしているのが分かった。けれど、それを訴えることはしない。

 わたしは深呼吸して、木刀を下段に構えた。八重巴はフェンシングを思わせる姿勢で構える。


「――それでは、始め」


 シン、と剣道場内が静まった瞬間、天桐・リース・ヘブンロードがそう宣言する。わたしはそれと同時に踏み込んだ。


「ツァウバーフェアシーゲルン――」


 八重巴が突然、小さい声で、ドイツ語らしき呪文を呟いた。

 その刹那、わたしの身体がガクンと重くなる。身体中に循環していた魔力が突如消えて、魔力の運用が出来なくなったのだ。

 歩法飛天で一歩を踏み込んだ瞬間に、どうやら魔力制限の魔法具を発動させたらしかった。思わず足がもつれて躓きそうになった。


「霊剣――【大蛇薙ぎ】」


 態勢が崩れるのに合わせて、八重巴が流麗な仕草で木刀を振るった――否、既にそれは木刀ではなく、霊装技術で霊剣化した凶器だった。

 繰り出されるのは、先ほど見た蛇の軌道で迫る斬撃だ。だが、それは当然ながら、八重巽の放った剣技とは別次元である。


「ふふふ、ふふ、はははっ!! 本当に、素敵――です!」


 八重巴の放った【大蛇薙ぎ】は、霊力で出来た巨大な大蛇が襲ってくる剣技だった。五匹の大蛇が、剣気を纏ってわたしの急所に噛み付こうと迫ってくる。

 思わず嬉しくなって、すぐさま梵釈之位を発動させていた。霊力を全身に流して、態勢を立て直す。そして、柊南天の忠告も聞かず、手元の木刀を霊剣化させた。


「――なに? 霊装技術じゃと……しかも、霊糸領域にまで達しているかの?」

「驚くのは、まだ早いですよ――雨燕・比翼飛燕!!」


 わたしは三匹の大蛇を斬り捨てて、同時に、バックステップしながら霊力を纏った雨燕を放った。霊撃には霊撃を、という意図だ。


「――簡単には、降参させませんからね!!」


 続いて、斬り捨てずにいた二匹の大蛇を薙ぎ払い、その大蛇の霊力を木刀に纏いつつ、剣気と霊力を溜めた。腰を落として、居合の姿勢を取り、警戒心をあらわにしている八重巴を正面に見据える。


「ほぉ――それならば、八重示現流、【両儀(リョウギ)(トモシ)】」


 八重巴が迎撃態勢を整えたのを見てから、わたしは歩法陽炎で八重巴に踏み込んだ。陽炎は実体を揺らしつつ、敵に近寄る高速移動術だ。

 そんなわたしに、八重巴は超高速の九連突きを放ってきた。

 霊力が篭められたその九連突きは、流動的な軌道をして、額、眼、顎、喉、心臓、鳩尾、丹田、股間を強襲してきた。

 歩法陽炎で的を絞らせないよう接近しているのに、正確にわたしの位置を把握していた。恐らくは霊感で察知しているのだろう。


「穿ち月・千々乱風――」


 わたしは九連突きを全て撃ち落とす。同時に、それより多くの突きを繰り出して、八重巴の肩、膝、足首を狙った。けれどそれは返す刀で弾かれた。

 本当に愉しくなる。こういう達人レベルの相手と闘ってこそ、経験になるのだ。


「――とくと見よ。これが本来の【雷獣】じゃ」


 お互い拳の間合いまで近付いて、瞬間、八重巴が跪くようにしゃがみ込んだ。その全身が強烈な霊圧に包まれて、木刀からは霊力が放出する。放出した霊力は、まるで電撃のように辺りを闇雲に攻撃しつつ、霊剣化した木刀に収束した。

 一方でわたしは、大きく木刀を振りかぶりつつ、グッと脚に力を溜めて引き技の要領で素早く下がる。


「ふふふ、では、わたしも――とくとご覧あれ! 【土竜(モグラ)轟然地裂(ゴウゼンチレツ)】、です」


 引きながら振り下ろすわたしの剣と、凄まじい霊力が収束している八重巴の霊剣がぶつかり合う。

 爆発したかのような衝撃波が発生して、わたしは思い切り弾かれた。放った土竜・轟然地裂は、地面を這う剣気の全てを霧散させて、八重巴の振り抜いた霊剣と相殺する。

 わたしは引け腰のままバックステップして、八重巴は突撃の勢いを少しも落とさず追撃してくる。手元の霊剣は霊力を霧散させていたが、充実した覇気と剣気を纏っており、いまにも技を繰り出そうとしているのが分かった。

 避けるか、受けるか、捌くか、カウンターを狙うか――わたしは、アドレナリンを過剰分泌させつつ、集中を一段階上に引き上げた。

 悪い癖なのは理解しているが、どうしてもこの八重巴の剣技を見極めたいという欲求に従ってしまう。


「――八重示現流、(ツイ)の剣技【破邪之太刀(ハジャノタチ)】」


 フッと脱力したかと思った直後、八重巴の剣技が繰り出された。

 互いに手を伸ばせば届く距離から繰り出されたそれは、絶句するほど美しい唐竹割だった。

 音を置き去りにして、空間が切り裂かれたのではないか、と錯覚するほどに綺麗な縦線を描く斬撃である。木刀に篭められていた剣気、覇気が、一本の軌跡を空間に刻み付けていた。また、あまりの速さで振り抜いている為か、空気を焦げ付かせたような異臭が遅れてやって来る一撃だった。

 ただただ疾く振り抜くことだけ追求した剣技であり、究極の脱力から繰り出す奇襲攻撃である。

 人間の反射神経の限界を凌駕する斬撃に、思わず死を覚悟したほどだ。


「……さて、どうじゃ? そろそろ降参を考えてはくれんかの?」


 けれど、この程度で音を上げることは絶対にない。降参する理由は存在しないだろう。


「何を戯言を――ここまでが前哨戦、ですよ?」


 わたしは先ほどの素晴らしい一撃を、霊剣化させた木刀を犠牲にして、紙一重で捌き切っていた。疾い、ということは、逸らし易いという側面もある。

 八重巴の霊剣が振り下ろされた瞬間、咄嗟に、その剣身に穿ち月を放ち、軌道を数ミリ逸らすことに成功していたのだ。同時に、その突きの衝撃を利用して身体を反らし、剣戟を避けることにも無事に成功していた。

 代わりに木刀は砕け散っていたが――安い代償である。


「前哨戦、のぅ――いまの一撃で、霊体を半分は削ったというのに、鳳仙殿は、相変わらず狂気に満ち充ちておるの」


 不敵に笑う八重巴に、わたしも不敵な笑みで返す。

 確かに事実として、いまの一撃でわたしの霊体は半分近く削られていた。

 掠っただけで、ごっそりと霊体を掻き消されたのだ。流石、霊能力者としての闘い方を知り尽くしている老獪である。最初からこれが狙いであり、こうして弱体化させて敵を仕留めるのが八重巴という人物のスタイルなのだろう。

 霊力制御法で霊体を小さく見せているとはいえ、それがもう半分程度である。これが本来の霊力だったとしたら、既に勝負は決していただろう。黒霊という霊獣を取り込んでいなければ、負けていた。

 最高過ぎる――愉しくなってきた。

 ここからの展開こそ、己の実力がどれほど高まったのか試す絶好の機会である。

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