第六夜/後編
配膳された昼食は、この幽世でいままでに用意された料理の中で最も豪華な懐石料理だった。
ミシュランの星付き料亭が提供したと言っても疑わないほど美味しかった。また、一緒に出された霊草を煮たというお茶は、飲めば飲むほど霊体や霊力が安定した。
食事をしただけなのに、体調は整っていき、魔力の流れも、内功も充実する。こんな料理があるのであれば、最初から提供して欲しい、と内心思った。
「どや、南天? ウチが保有しとる最高級の霊薬や霊草をふんだんに使用した料理やで。美味いし、心も体も整うやろ!? 今日の晩は、もっと美味しいの用意するで?」
せやから泊まっときや、と続ける如月椿に、柊南天は悲しそうな顔で首を横に振っていた。
実際は悲しくもなんともないだろうに、その演技は傍から見ていて巧いな、と感心する。わたしはどう断るつもりか傍観する。
「残念スけど……本っ当に、残念スけど――今日は、マジで、スケジュールカツカツなんスよ。だから、椿ちゃんのお誘いは感謝感激なんスけど、マジで、もう行かないとダメなんス」
ね、と、わたしにウインクしてくる柊南天だが、振られても相槌すら打てない。わたしは今日のスケジュールとやらを全く知らない。
むしろ、修行出来るならギリギリまで修行したい思いである。
特に、如月椿とも決着は付けていないし、冬帝や蒼矢、朱火や白虎丸という是非手合わせしたい存在がたくさんいる。
黒霊を取り込んで、霊力が爆増しているいま、修得した霊装技術と魔力を駆使して、どこまで自分の実力が向上したのか、実戦で試したい気持ちなのだ。
柊南天のスケジュール内容によっては、わたしは移動さえしたくない。
「ホンマ、いけずや……ま、しゃあなしか――」
「――あ、忘れるとこっス。いつものアレ、十二錠ほど包んで欲しいっス」
「…………ええけど、いつもより多いんとちゃう? そないな量、何に使うん?」
「秘密っス。けど、ちょい、当分、こっち来れなそうなんで――念のため、三か月分を持っときたいス」
何の話か分からないが、如月椿と柊南天の間で、何やら怪しい取引が行われていた。わたしは口を出さずに、そのやり取りを眺めていた。
取引されたのは、どす黒い色をした錠剤で、真珠のような大きさだった。それが十二錠である。わたしに処方された薬ではないし、今まで生きてきて、見たことのない錠剤である。
十二錠で、三か月分――効果効能も予想できなければ、誰に処方する薬なのかも不明だ。ただ一つ分かったのは、それが強力な霊力を秘めていることだけだった。
「ありがとス。んじゃ、後で振り込んどくスけど――いま相場幾らっスか?」
「南天やからな、値引きして、一錠五千万でええよ」
「お、お得スね! ありがとス、助かりまス」
「――ブッ!? ぐっ、ごほっ」
五千万、という単語を耳にして、わたしは思わずむせ返ってしまった。むせ返るわたしに、如月椿が呆れた顔で首を傾げた。
「なんや? 金額に驚いたん? 霊薬ってそもそも、高いんやで?」
「……っ、ええ。少々、驚いてしまいましたが……五千万、円、ですか? それ一錠で?」
「そスよ? これ、結構手に入りにくい霊薬なんスよ――何に使うかと、効果効能は秘密スけど」
十二錠で六億円の錠剤をお手玉しつつ、柊南天はあっけらかんと頷いた。
それほど高価だと、少しだけどういう霊薬なのか気になるが、知ったところで意味がないだろう。秘密にしているくらいだから、何か特殊なモノであることは間違いない。関わって良いことがあるとは思えなかった。
わたしは深呼吸してから、霊薬を煮たお茶を飲み干した。食事はもう全員終わっている。
「んじゃ、ボチボチ、うちら行くっス――御馳走様っス」
携帯の時間を見ると、正午を過ぎたところだった。
柊南天が立ち上がって、わたしに流し目を送ってきた。テレパシーはしてきていないが、移動するぞ、という意思が伝わる。
けれど、わたしはもうとっくに準備万端だった。
旅行鞄は持ってきているし、着替えもとっくに済ませている。移動するというのであれば、すぐさま行ける。
「南天。ちなみに、今日の予定ってどないなん? ウチ、今日休みやから、どこにでも送るで?」
わたしが立ちあがったのと同時に、如月椿も当然とばかりに立ち上がった。そして、柊南天と並びながら外に出ても付いてきた。
そんな如月椿に笑顔を見せながら、柊南天は特に何も言わず歩いている。わたしは二人の少し後ろを付いて行った。
やがてそのまま登山道を降りて、深い樹海が広がる巨大な鳥居のところまでやってきた。
「なぁ、南天。そいや、ウチ、このまえ、ええ飲み屋見つけたんやで? 今日の夜、久しぶりに飲まへん?」
「そスね。どうしまスかね……スケジュールキツいんスよね……」
如月椿はどこか猫撫で声をしながら、頬を紅潮させて柊南天に喋り続けている。しかし柊南天は適当な相槌を打ちながら、苦笑いだけ浮かべていた。
そんな二人は当然のような所作で、幽世と現世の境界を通り抜けた。鳥居を過ぎて、樹海に入る直前の位置で、パッとその姿を掻き消す。
「なるほど――」
わたしを置いてけぼりに幽世から離脱した二人を観察してから、移動時の霊力の動きを再現してみる。この幽世を自力で脱出するのが、修行の締め括りと初日に言われていたのを思い出す。
「――こう、ですかね?」
意識して霊力を放出する。
霊感で視ると、鳥居を少し過ぎた辺りでハッキリと空間がズレているのを知覚出来た。その狭間に足を踏み入れつつ、霊力で身体を覆った。
刹那、グラリと視界が揺れた感覚があり、目の前の景色が送電線施設の内側に変わる。そこには柊南天と如月椿が待っていた。
「ほら、言った通りじゃないスか――賭け、うちの勝ちスね?」
「……ホンマに、信じたくないほど、あり得へんことやで? 幽世とのスイッチ切り替えって、そない簡単なことやないで? 教えたとこで、何度かコツを掴まんと出来へんのが普通や。霊域の扉を開けることもそうやけど、現実に戻るんは特に、感覚が異なるんやで?」
二人は何やらわたしで賭けをしていた様子だ。
話を聞く限り恐らくは、わたしが自力で幽世を脱出できるか否か、を賭け事にしたのだろう。柊南天は一発で脱出出来るに賭けて、如月椿は失敗することに賭けたに違いない。
如月椿の期待を裏切れたのは、少しだけ優越感である。
どんな下らない賭けなのかは分からないが、修行の最後で一つ見返せたようだ。
「如月さんの期待には副えなかったようですけれど、このくらいならさほど難しくはありませんでしたよ? それに、直前でお二人の移動もしっかり観察させていただき、参考にできましたし――」
わたしはこともなげに言って、不敵に笑った。
そんなわたしに、如月椿が心底恨めしいという強い視線を向けてくる。よほど悔しいようだ。何を賭けたのか気になるところである。
「――椿ちゃん。そういう訳で、ここでお別れスね? うちらのスケジュールは聞かずに、恋城氏たちの直近の動向を探っておいて欲しいス」
「はいはい、分かったちゅうねん。残念やけど、ここまでの見送りで満足するわ」
如月椿は腰に手を当てて溜息を漏らしている。かなり消沈している様子だ。
なるほど、その台詞から推測するに、賭けに負けたらここで解散、とでも言われていたのだろう。逆に勝ったら今日一日は同行する、とかだったに違いない。
ついでに、誰だか知らないが、恋城氏なる人物の調査依頼も賭けの対象だったらしい。賭けに負けて、さぞ悔しかろう。
「――せやけど、司ちゃんはええとしても、アザミっちの監視は不可能やで? バレてもええなら別やけど」
「見崎嬢は別に大丈夫ス。そっちは、うち特製の追跡アプリで常にGPS取得してるスから……ま、言うても、本人がそれに気付いてる可能性はあるんスけどね」
「OK、承知や――理由は訊かへんで、司ちゃんだけ監視しとくわ」
「よろしくス。愛してるスよ、椿ちゃん!」
随分と軽い口調で愛の告白をした柊南天に、如月椿はまんざらでもない様子で破顔して、んじゃまた、と手を振りながら姿を消した。その姿の消し方は、クノイチを名乗るだけあり、わたしでさえ見失うほど素早い動きで、何故か木の上に跳び乗って移動していた。
あっという間に居なくなった如月椿を見送ってから、わたしは柊南天に向き直った。
「さてさて、そんじゃひとまず移動しまスか? ちな、綾女嬢、もうその変装解いていいっスよ?」
柊南天は一瞬だけ周囲を見渡してから、わたしが被っていた金髪のウィッグを強引に奪い取った。変装を解いていい、も何も、勝手に奪うのであれば聞くまでもないだろう。
それにしても、自力でも外し難いくらいしっかりとストッパーで止めていたのに、柊南天は軽々とそれを外していた。なかなか器用である。
「……はぁ……突然、何なんですか……勝手な……」
わたしは髪の毛をまとめていたヘアネットを取ってから、頭を振って手櫛で髪を梳いて流した。
久しぶりに解放したので、髪の毛がだいぶ乱れていた。枝毛が少し気になってしまう。
「今度は、うちが変装する番っス――金髪、どスか?」
金髪のウィッグを無造作に被って、ニヤリとピースしていた。かろうじてウィッグの方が柊南天の地毛よりも長いので、無様な感じにはなっていないが、正直似合っていなかった。
まあ、変装という意味では問題ないだろう。柊南天を知る人間が、彼女を本人とは思わない程度に様相が変わっている。
わたしは、ふぅ、と溜息を漏らしながら視線を外した。すると、次の瞬間、その服装が思い切り変わっていた。思わず目を擦って二度見する。
柊南天は白衣を脱いだだけではなく、肌露出高めなへそ出しノースリーブにデニムのショートパンツという格好で、その印象をガラリと変えていた。
この格好だけ見ると、もはや街中で逢っても誰だか気付けないほどだ。
「……凄い、ですね……」
「あ、そスか? イエーイ! こんな感じスよね?」
馬鹿みたいなダブルピースで首を傾げる姿に、わたしは少し引き気味で苦笑した。
格好で人を差別するのは良くないが、この手の相手とは、いままであまり関わったことがない。中身は柊南天だと分かっていても、正直、一緒に行動したくない気持ちはあった。
そんなわたしの気持ちを読み取って、柊南天は、いいじゃないスか、と苦笑していた。
「……まあ、とりあえず、ロープウェイに向かいましょう」
「うんうん、そスね。あ、今日のスケジュールを共有しときまスよ?」
「ええ、お願いしま――――なるほど」
柊南天は派手なサングラスとマスクを装着してから、テレパシーで直接わたしに情報を伝えてくる。それを無言で頷きつつ、二人並んでロープウェイに乗る。
(――綾女嬢の体調を万全にする為、京道市にある、京道大附属病院を確保してありまス。そこに、うちの直弟子一号が居るっス。今日はその病院で精密検査するっス)
(検査? 構いませんけれど……する必要があるのですか?)
柊南天であれば、触診と魔力視、霊視なども併用するだけで充分にわたしの身体を視れるのではないか――と、思考した瞬間に、身体の内側、内臓のイメージ画像が脳裏に届いた。
(綾女嬢が、うちの腕を信用してくれるのは嬉しいスけど、現代医療を侮らない方が良いっスよ? うちでも流石に、ステージ1の癌は分からんでスし、それ以外の病変の有無も見付けられないス。血圧が正常値かも測れないし……うちの力が最大限発揮出来るのは、対症療法がメインと思ってくださいス)
(……なるほど。まあ、検査入院は慣れていますけれど、そのお弟子さんは大丈夫なのでしょうか?)
何が、とは訊かない。言わずとも、柊南天であれば理解するだろう。事実、苦笑しながらも、安心してくださいス、と頷きつつ名刺を取り出した。
(通称、ピノコ、っス。外科領域に限った話スけど、医療技術だけなら、うちよりも上かも知れんス。そんで、予防医療の分野では右に並ぶ者がいないほどの天才ス。CTを眺めるだけで、偽陰性の病変も発見する凄腕っス)
渡された名刺には、『京道大学附属病院、院内専任准教授:陽野麻美子』と記載があった。肩書だけ見るに、だいぶ偉い役職の方であるようだ。
どうやって知り合ったのかはさて置いて、病院内ではそれなりに自由が利くのは間違いなさそうだ。
(……ちなみに、理外の存在とは一切関わっていないスけど、裏社会にはだいぶ染まってるス。具体的に言えば、ヤクザの情婦とかもやってて、闇医者としてはかなり有名ス。ある程度の金さえ積めば、何でもやるってとこで――)
(――それ、むしろ不安になりましたけれど? 大学病院側にとって大問題では?)
(あ、それこそ大丈夫ス。院長とか大学病院内で権力を持ってる連中は全員、ピノコを愛人にしてて、弱みを握られてるっス)
何一つ大丈夫ではなかったことを知り、わたしは苦虫を嚙み潰したような渋面を浮かべた。そんなところに無理やり検査をねじ込んで、足が付かないか心配である。
一体何をもって、安心してください、と言っているのか――
(明るみに出なければ、どれだけ汚れれても綺麗スよ? それに今回、逆に資産家令嬢として、無理やりに精密検査をねじ込んだだけスから、正真正銘、綺麗なもんスよ。しかも、うちの名前さえ出してないスから――ま、そのせいで、少しだけ不自由するかも知れんスけどね)
ガコン、と大きく揺れて、ロープウェイが麓の駅に到着した。
わたしは逃げるように先立って降り、迷わず天叡山ロープウェイ駅まで進んだ。
(ところで、柊さん。京道大学附属病院に行くのは理解しましたが、どうするのでしょうか?)
(天叡山ロープウェイ駅から、六つ先に『天神高月駅』があるっス。そこで特急に乗り換えて五駅、『京道市中央駅』で降りるっス。あとはタクシーで市内を五分くらいス)
電車旅に詳しくはないが、その説明でとりあえずどういう経路かは理解出来た。
しかし、確かにその行程を考えると、柊南天が急いでいた理由が解る。乗り継ぎが上手く行っても、いまから二時間程度は目的地まで掛かるだろう。しかもその後は、検査入院で精密検査する訳だから、今日はもう一日終わってしまったと考えるのが妥当だった。
(そういえば、柊さん――今回、わたしは修行して、だいぶ強くなったと自負しております。霊力を自覚して、霊装技術も身に着けました。これで、八重さんとの闘い、勝てる確率は如何程になりましたか?)
改札を通り抜けて、チラと背後を振り返る。果たして、柊南天が思い描いていたレベルに、わたしは到達しているのか否か。柊南天の想像通りか、それとも期待以上か――
見れば柊南天は、ニヤリと微笑みを浮かべながら、両手で七本、指を立てて見せていた。
(悪く見積もって、おおよそ七割、負けるっスね)
(へぇ? それでは勝率三割程度、ということですか? それほど、八重さんは手強い――)
(――ちゃうちゃうちゃうっス。むしろ、悪く見積もって三割まで勝率を上げた綾女嬢がヤバいス。とっておきを伝授しなくとも、もう勝利条件を満たすなんて、期待以上っスよ。これ、勝負形式が、八重示現流の流儀に則ってなかったら、逆に負ける要素がゼロっスよ?)
意味の分からないことを言いながら、発車ベルの鳴る電車に乗り込んだ。土曜日だからか、座席はそこそこ埋まっている。わたしは独り分の空き席に座った。
柊南天はわたしの位置を確認してから、扉付近に背中を預けていた。
(……とっておきの伝授、とは?)
(それより先にお伝えしときまスけど、綾女嬢は今回、うちの期待を大きく裏切ってるっスよ? 勿論、良い意味の方でス――いやぁ本当に、椿ちゃんに預けたのが正解だったス。うちの慧眼ここに極まれり、ってな感じスか? 椿ちゃんとの化学反応で、ここまで急速に育つなんて、マジで恐ろしいス。やっぱ故蒼森氏の言ってたことって、身内贔屓じゃなかったんスねぇ)
わざと気になる台詞を呟きつつ、柊南天は絶賛する。けれど、だとしても勝率三割は低いのではないか。何か決定的に負ける要因があるのだろうか。
そんなわたしの疑問に、まさにそうっス、と小さく呟いていた。
(――まず、うちの誤算が一つあるっス。綾女嬢、ちょっと強くなりすぎっス)
(……強くなったことが、誤算、ですか?)
(そスよ? 前に言うたじゃないスか、綾女嬢はそもそも素のままでも、腹黒嘘吐き妖怪婆と互角以上に闘えたんスよ? なのに、いまの強さときたら、素で圧倒出来るレベルまで至ってるス。こりゃ今回、真正面から力押しで挑んでも、バフマシマシ最高装備の腹黒嘘吐き妖怪婆に勝てる可能性があるくらいなんスよ? しかもそれが、魔力なしの制限状態でって言うほどスから、どれほど異常か分かりまスか?)
これくらいス、と言いながら、両手で円を描いている。だが、柊南天のそのジェスチャーは理解出来なかった。
ただ要するに、先ほど言われた勝率三割というのは、愚直に罠を真正面から打破した場合の勝率ということらしい。
(……そういうことであれば、八重さんとは、とても愉しい勝負が――)
(――ダメダメっス。それをやったらマジでダメっスよ? それが一番の負ける要因スからね? いいスか? 今回の主旨って、互いに殺し御法度なんスよ? けど、腹黒嘘吐き妖怪婆だけは、綾女嬢を殺しても良くて、一方で、綾女嬢は腹黒嘘吐き妖怪婆を殺せないんス。こうなると、綾女嬢が強くなればなるほど、負けるリスクが発生するっス)
そういえば、そんな説明をされた気がする。
今回八重巴に招かれている戦場では、特殊な魔法具により、死んでも生き返ることができるらしい。それだけ聞けば最高の殺し合いが出来るのだが、逆にこれが勝利条件を難しくしている。
八重巴からは、死なない戦場である点は説明を受けていない。つまり、わたしは死なない戦場であることを知らないまま闘いに挑むわけだ。そうなると、八重巴を殺そうとした時点で、わたしの負けが成立してしまう。
勝利するには、殺さず負けを認めさせるしかない。しかし、それは酷く困難だろう。
(あ、いま一つ思い付きましたけれど――)
(――闘う前に、魔法具のことを言っても無駄スよ? 勝利条件も敗北条件も覆らないス。何故なら、死なないけど、死んだら戦闘不能って敗北条件に組み込まれるだけスからね。そんで、綾女嬢が腹黒嘘吐き妖怪婆を殺した時点で、それは戦闘不能ではなく、殺害扱いされるだけス)
(……それはルール違反では? 道理が通らないでしょう?)
わたしは、不愉快だ、とばかりに眉根を寄せて柊南天を睨みつけた。ズレたサングラスを直しながら、わざとらしく窓の外の景色に視線を向けている。
(あの、腹黒嘘吐き妖怪婆に、道理なんてないスよ? これも言ってたじゃないスか。八重示現流の流儀に則って、と――八重示現流には、勝つ為に相手と同条件で闘う必要はない、って流儀があるス。それと何だっけ……えと、身体が動く限りは死ではない、とか)
(――その理屈であれば、わたしだって死なない限りは、負けない――)
(――だから、それが通じるのはあの腹黒嘘吐き妖怪婆だけ、でスよ? しかも、綾女嬢が強ければ強いほど、腹黒嘘吐き妖怪婆はあれやこれや言い訳を口にするでしょうから、負けを認めさせるのは不可能になっていきまスよ?)
良く分からない、とわたしは溜息交じりに首を振った。すると、ちょうど隣でお喋りしていたカップルのうち、彼氏側がビクッとして声のトーンを落としていた。
全く関係ないことだが、彼氏はデートの行き先で商業施設を提案していた様子だった。それに対して彼女が不満そうに頬を膨らませたタイミングで、わたしの溜息が聞こえたらしい。悪いとは思わないが、少し恥ずかしい。
(だとすれば、わたしが勝つ為には、何をすればよいのでしょうか? やはり当初の予定通り、死なない範囲で痛めつける――例えば、両手足を全て解体して、戦闘不能状態を創り上げる、とかですか?)
頭の中で、四肢を分断させた八重巴が転がっている。そのイメージを掻き消して、柊南天はいやいやと首を振る。
(それが今から言う、とっておき、スよ。この戦略、綾女嬢の性格からすると、絶対思いつかないし、嫌がるかもスけど――メッチャ単純ス。格上の貫禄を見せつけての、持久戦スよ? 霊装技術が長続き出来ないの、教わったスよね? 勝つ為に必要なのは、腹黒嘘吐き妖怪婆じゃ、綾女嬢を殺せない、倒せない、と分からせることス。勝負を決めに行かず、霊力を使い切らせる――綾女嬢じゃ、決してやらない闘い方スよ)
なるほど、とわたしは納得した。とっておき、と言うだけあって、わたしでは決して思い至らないだろう戦略だった。
わたしの考えの根底にあるのは、ギリギリの戦闘を愉しんで、強者を打倒することで強くなること、だ。それゆえに、もし持久戦を選択する場合でも、それは相手を仕留める為に機を窺う意味での持久戦である。決して、相手を疲れさせて弱らせることではない。
(つまり――負けない闘いをしろ、ということですね?)
(そスよ、そスよ。腹黒嘘吐き妖怪婆が降参することはないはずスけど、永遠に闘い続けることは出来ないス。アレでもだいぶ年寄りスからね……霊装技術を使い切るまで、ひたすら勝負を長引かせることが出来れば、文句のつけようがない確実な勝利ス)
(仮に、それ以外で勝つ術はあるのですか?)
納得はしたし、理解もした。
その戦略を取れば、ほぼ確実に勝利を収められるだろう。霊力を自覚したいまのわたしであれば、油断せず数時間闘い続けることは容易だ。
しかし、その戦略を取らずでも、正攻法で三割勝てるとも言っていた。それはどうすればよいのだろうか――
(そうなると、マジの博打スよ? 立会人のヘブンロード嬢が、闘うまでもなく、綾女嬢の勝ちを宣言すること、ス。その為の条件として、腹黒嘘吐き妖怪婆のあらゆる攻撃を全て無傷で受け流して、圧倒的実力差を見せ付けることス。次いで、ヘブンロード嬢の興味を引く強さを魅せること――例えば、霊装技術なしに、霊装技術を使用する腹黒嘘吐き妖怪婆をあしらう、とかスかね? ともかく、第三者の立会人でしかないヘブンロード嬢を動かす、のが勝利条件ス)
(……それが、三割、だと?)
(そスよ。ヘブンロード嬢は、本当に強い人間を常に探してまスからね。明らかに円卓六席より格上で、自らを脅かしかねない、と判断すれば、綾女嬢の勝利で勝負を終わらせるはず……ス)
思わずニヤリとほくそ笑んだ。
そんな方法があるのであれば、わたしが目指すべき勝利は、それしかないではないか。ちまちまと戦闘を長引かせて、確実に勝てる方法を選ぶというのは、あまりにも性分に合わない。
だいたい、天桐・リース・ヘブンロードを打倒するのも、わたしの目的の一つである。ならばこそ、天桐・リース・ヘブンロードの前で、強さを見つけるべきだろう。
『天神高月、天神高月です。お出口は左手側――』
車内アナウンスが流れて、わたしは立ち上がった。口元はニヤニヤしてしまっており、早く明日にならないか、と心も浮足立ち始めていた。
そんなわたしに呆れているのか、柊南天は肩を落としていた。
「綾女嬢、一応、言っておきまスけど。いま言ったのは、本当に博打でしかなくて、ヘブンロード嬢が動く可能性がある、って程度スよ? 逆にこれ、下手すると、圧倒的実力差を見た腹黒嘘吐き妖怪婆が、あの手この手で綾女嬢の負けを宣言するかも知れないス。そうなったら、闘わずに負け、ってなるス」
電車から降りたわたしに、柊南天が声を掛けてくる。視線を向けた。
「ええ。理解しております。だからこそ、博打、なのでしょう?」
「――いやぁ、これマジで分かってないスよ! ちょ、考えを改めて欲しいス!!」
「そんなことより、わたし乗り換えが良く分からないのですけれど――改札は出るのでしょうか?」
騒ぎ出す柊南天に笑顔で首を傾げて、わたしはとりあえずホームから地下の階段を降りた。
何番線が特急なのか、どこ行きに乗るのか、特急券を購入する場所はどこか、土地勘がないため全く分からない。まるでお上りさんのように、キョロキョロと周囲を一瞥する。
そんなわたしを通り過ぎて、柊南天が先を進んでくれる。
「こっちスよ――まぁ、警告はしましたスよ? 勝つ術も教えたし、負ける要因も理解してくれてまスしね。最悪、うちが例の手を使えば、負けだけは防げるはずスから……」
「あら? その、例の手、とやらも教えて欲しいですけれど?」
「秘密ス――まぁ、使うことは絶対にないんスけどね」
それはフリなのか、と疑問符を浮かべたが、ちゃうちゃうちゃうス、とわざわざテレパシーで念押ししてきた。
そんなやり取りをしながら、わたしたちは特急に乗り換えた。
更新日ズレてた…次の更新は三連休中にアップ予定です。まだ六章は続きます。




