第六夜/前編
朝起きてから、随分と久しぶりに携帯電話を確認した。着信は数件、そのどれもが為我井優華からのものだった。緊急という訳ではなさそうで、留守電にはなっていない。
着信の内容は、恐らくはメールの中身と同じだろう。ただの近況報告である。
「いまは、シンガポールですか……あらあら、楽しそうですね」
SNSアプリに百を超える大量の未読通知が表示されていた。そのどれもこれもが、家族旅行中の自撮り写真や、観光地の写真であり、わたしの無反応を心配するメッセージ内容ばかりだった。
一昨日のメッセージでは、『綾女ちゃん、ずっと未読だけど大丈夫? また、携帯壊れた? ちょっと架けるよ?』というメッセージがあり、直後にSNSアプリを通しての着信があった。
時系列を見ると、その後に、携帯電話に直接架けてきた様子だ。
当然ながら、全く携帯電話を見ていないわたしは、それら全てを無視していた。むしろ今更気付いたのだが、この幽世にも電波が通じていることに驚きを隠せない。
この幽世は、どういう原理の世界なのだろうか――
「――と、そんなことよりも、これ。もしかして柊さんが、何か返答したのでしょうか?」
わたしは為我井優華の反応に何一つ返答していない。けれど、不思議なことに、直前のメッセージには、為我井優華から『そっかぁ、綾女ちゃんも実家に帰省してるんだぁ。忙しいのに、ごめんね? じゃ、また今度ねぇ!』という、よく分からないメッセージが届いていた。
この前後に、会話は一切ない。
通知も全て未読である。だが、この最終のやり取りを読む限り、わたしに成り済ました誰かが、何らかの言い訳を伝えている様子が分かる。
「優華さんを心配させずに済んだのは良かったのですけれど……実家に、帰省? わたし、実家をどこだとお伝えしていましたっけ?」
首を傾げながら独り言ちて、本殿の裏手に向かった。時刻はもう、午前九時を回っている。朝食を摂ってから一時間と少し、準備運動は充分、心も体も万全に整っている。
本殿の裏手、神木のある庭には、一昨日と同じように、冬帝、朱火、白虎丸が待っており、中央では黒霊が蒼矢と隣り合って立っている。
わたしが来たのを確認して、しゃがみ込んでいた如月椿が立ち上がる。
「……随分と、着飾っておられるの、ですね?」
如月椿は普段のジャージ姿とは全く異なり、ダメージ加工されたデニムにタイトなトップス、ストリート系のへそ出しコーデをしており、眼鏡ではなくカラーコンタクトレンズに、かなりはっきりしたメイクまでしていた。
パッと見では誰だか分からないほどの変貌ぶりだ。とにかく気合を入れた感が出ている。
わたしの驚きに首を傾げながら、当然やん、と口を開いた。
「愛しの南天が来るんやで? はしたない格好は出来へんやろ?」
「……へぇ? そう、なんです、ね?」
「そやで? ええかっこしぃへんと、嫌われてまうやろ?」
内心ではドン引きしつつも、わたしはそれ以上は追求せず引き下がる。
柊南天をどう想おうと、わたしには関係ない。また、柊南天が如月椿をどう想っていようと、それもどうでも良い。
ただ少し、ここまで気合を入れて、しかもどこか浮足立っている如月椿を見てしまうと、以前の柊南天の電話での態度が冷たく感じた。如月椿は利用するだけの関係で、割り切った付き合いだと柊南天から聞いているだけに、憐れみの気持ちを禁じ得ない。
「――さて、そんじゃ、正真正銘、いまから十五分だけが最後のチャンスやで? 負けるか、ウチが危険と判断したら即終了や」
「ええ、勿論――嗚呼、その前に一つ、お聞きするのを忘れていたことがあります。宜しいでしょうか?」
「なんやねん」
わたしは身体を伸ばしながら、黒霊に視線を向ける。
「前回闘った際、黒霊さんは少しずつ状態を変化させました。大怨霊とか、禍津日神とか――あれは、自由自在にコントロール出来るモノなのでしょうか? 出来るとしたら、すぐに禍津日神の状態にはなれないのでしょうか?」
時間経過と共に、闘い方が変わり、強力になっていったのを思い返す。
わたしとしては、リベンジするのであれば、最強状態の禍津日神とやらになった黒霊と闘いたいのだが、それは可能なのだろうか。
そんなわたしの思惑を理解したのか、冬帝が呆れた顔で応えてくれた。
「――綾女が推測しておる通りかえ? 時間経過でしか、あのような霊格昇華は起きぬぞえ」
「それは残念です。けれど、仕方ありませんね――それでは後学のために、もう一つお聞きしたいのですけれど、あれはどういうことだったのでしょうか? どうして、時間が経てば経つほど、強力になっていったのです?」
わたしは食い気味に質問した。その問いに一拍置いて、冬帝が溜息交じりに説明してくれる。
「……霊獣は怨霊化すると、周囲の霊波を取り込み、やがて霊格を変化させるかえ。霊格は一時的に、大怨霊、禍津日神、神霊と昇華していき、最終的には、禍を振り撒く呪い呪禍という存在に至るかえ。とはいえ殆どの場合、呪禍にまで至る前に、怨霊としての形を保てず幽世に霧散するのが普通ぞえ。その点で言えば、黒霊は霊獣としてのポテンシャルが高いと言えるかえ。軽々と大怨霊を超えて禍津日神に至るなぞ、儂らにも匹敵するポテンシャルぞえ」
「なるほど――ちなみに今の話で疑問が出たのですけれど、先日わたしは持久戦で失敗しましたが、仮にあのまま続けていれば、黒霊さんは怨霊としての形を保てず、霧散したのでしょうか?」
イフの話でしかないが、そうだと仮定すると、強力な霊獣を倒す場合には持久戦こそ望ましいのではないだろうか。
「綾女っち。悪いんやけど、そういうんは後回しにしてくれへん? グズグズしとったら、南天来てまうわ。ウチ、綾女っちをいっぱしにしとくって、南天と約束しとるんよ。せやから、サッサと黒霊っちを調伏して欲しいねん」
如月椿が、あかんあかん、と手を振りながら、冬帝とわたしの会話を遮った。
仕方あるまい。とりあえずそういった知識は、終わった後に改めて問うことにしよう。
「……失礼いたしました。それでは、舞台も整えてくださっている様子なので、早速やりましょうか?」
わたしは虹色の梵字が薄く浮かんだ地面を一瞥してから、その中央で黒霊と向かい合う。
おどおどしている黒霊を蒼矢がトンと押した。
『ぐぁあああ、がぁああっ――ッ!!!』
黒霊が守護霊陣内で絶叫を始めた。途端に暴れ出す膨大な霊力に、わたしはほくそ笑みながら腰を落とす。
「――いざ尋常に、勝負!!」
闘える時間は、僅かに十五分しかない。戦闘を愉しんでいる余裕はない。あっけない結末になろうとも、圧倒的な速度とゴリ押しの全力で攻め切る。
果たして、先に擦り潰れるのはどちらか――
わたしは思考を全て削ぎ落して、踏み出すと同時に、梵釈之位を発動させていた。また、出し惜しみせず霊装技術を駆使して、仕込刀を霊剣化した。
とりあえず霊力は攻撃に全振りである。
『――恨めしいッ!!! 殺すっ!!』
呪詛を撒き散らす黒霊の懐まで、ひと息で踏み込んだ。即座に踏み込んだおかげか、霊力の渦はまだ発生していない。
わたしの接近に慌てて、黒霊は刃状の霊力鞭を全方位から放ってきた。
それらを素早く斬り払う。前回とは違い、霊力が尽きることなど気にせず仕込刀に全力を篭めていれば、襲い掛かってきた霊力鞭にも力負けすることはなかった。
これならば――と、黒霊の懐でしゃがみ込み、一瞬だけ力を溜めて、下段から斬り上げる強力無比の斬撃を放った。
一刀両断するつもりで繰り出す外道之太刀【九天一閃】である。
「――っ!? そこまで、甘くない、ですか……」
『ガァアアアっ!? 痛い、痛い、痛いぃぃぃい!!!』
ところが、九天一閃で黒霊の下半身を切り裂いた時、突如、斬り付けた箇所から爆発じみた衝撃が生じて、わたしは無様に吹っ飛んだ。
「……ダメージは、ない」
素早く身体の様子を見るが、爆発による怪我などはなかった。咄嗟に、霊衣を纏って全身を護ったのが功を奏したようだ。また幸いにも、それほど威力の高い霊撃ではなかったらしい。
「とはいえ――次に警戒すべきは、あの爆発、ですね」
先ほどの一撃、充分以上に手応えがあった。
霊剣化させたうえで全力の霊力を篭めていれば、黒霊の放つ霊力鞭だけではなく、その身体も切り裂くことが出来ると実証された。
つまりいまのわたしでも、黒霊を殺せる算段が付いたことを意味する。
こうなれば後は、もう一度懐に入り込み、爆発で吹っ飛ばないよう注意して、斬り付けることだけだ。
わたしは叫び狂う黒霊を見詰めた。
その右脚は九天一閃で斬られて消失しており、いまはそこに黒い霊力の竜巻が集中している。一方で、上半身を護る強力な霊力の渦は、前回よりずっと薄い状況のようだった。恐らく失った右脚に霊力が集中しているのだ。
この状況ならば、心臓を目掛けて一点集中の穿ち月でも貫けるだろう。
「――意識して視ると確かに、霊装技術は燃費が悪いですね……霊体がガンガン削られます」
ニヤリとほくそ笑みながら、わたしは誰に言うともなしに呟いた。
すかさず前傾姿勢になり、獣じみた低姿勢のまま仕込刀を逆手に構えた。身体を捻りながら、飛天で黒霊へと突撃する。
黒霊はわたしの接近を睨みつけて、いっそう大きな声で叫び散らす。
「五、六撃程度ならば、問題なさそうです」
黒霊に迫る途中、上下左右から襲い掛かってきた霊力鞭は、その全てを避けずに、霊力を集中した霊衣で防御した。攻撃を受け流すのではなく、ただただ能力にあかせて防御したのだ。
培った剣技は一切用いておらず、防御力頼みのプロレス技でしかない。
あまりにも、わたしの主義ではない。けれど、勝つ為の戦略としては仕方ない。
「余分に霊力があれば――――穿ち月ッ!!!」
黒霊の懐まで踏み込んで、逆手に構えた仕込刀をその心臓に突き刺す。柄頭に左の掌底を当てて、霊衣に回していた霊力を全て攻撃に回す。
バキン、という破裂音と雷撃に似た痺れがあったが、わたしの仕込刀は黒霊の胸元を貫いた。
凄まじい悲鳴が耳元で響き渡り、同時に貫いた箇所が風船のように膨らんで、霊力の大爆発を引き起こした。
衝撃波が黒霊を中心に生じて、爆風になす術もなく押し出される。
「――トドメは、とっておきをお見せしましょう」
爆風の勢いに乗るように、わたしは後方上空に飛び退き、神木の枝に着地した。
神木は背が高いので、いまわたしは黒霊を見下ろす位置に立っている。高さにして、三階の屋根に匹敵するレベルだろう。
『どうして!? どぉしてぇ!!! 痛い痛い痛い、怖い怖い怖い……っ!!』
黒霊は一時的にわたしを見失ったようだ。キョロキョロと見渡しながら、悲痛な叫びをあげていた。
そんな黒霊の位置を見定めて、わたしは大きく上空に跳び上がる。両足が揃っていて、且つ、全力で跳び上がれば、霊装技術の効果もあってか、40メートル弱の高さまで到達する。地上からの高低差で考えると、およそ高層ビル15階分に相当するだろう。
これでもし魔力の強化まで出来たならば、どれほどの高さまで跳び上がれただろうか、と一瞬だけ夢想した。
「綾女姫。まるで、空、飛んでる、みたいですね? 霊装技術って、あんなことも出来るんすか?」
「出来る訳ないやろ!? なんやねん、アレ。おっとろしいわ――足にジェット機でも付いとるん?」
蒼矢と如月椿の驚愕が耳に届いた頃、わたしは放物線を描くように自由落下を開始した。着地点は混乱している黒霊の頭上である。
「――霊力で足場は作れませんけれど、こういう芸当は出来ますよ?」
自由落下を始めたわたしの身体と、飛び上がった神木の枝には、霊糸が結ばれていた。その霊糸はピンと張り詰めており、引っ張れば当然、勢いよく加速出来る。
「儂は、あんな霊糸の使い方をする輩を始めてみたかえ……」
「……アレ、って……紐なし、バンジー、です、よね……?」
重力加速と引っ張りの勢いを利用した滑空は、斜めにスライドする軌道で、速度を増しながら黒霊へと迫っていく。他の推進力を用いていない為、時速はいまだ100キロ前後だ。
これでは、威力としてはまるで弱い。
「――さあ、御覧なさいっ!!」
わたしはあえて黒霊に声を掛けた。途端、黒霊はハッとして頭上に視線を向けた。
『――ッ!? 恨めしいッ!! 殺すッ!! 痛いのは、嫌ぁああああ!!』
飛んでくるわたしに気付いた黒霊は、瞬間的に身体を庇って、上半身を黒い霊力の渦で覆い隠していた。一時的に防御に意識を集中させて、霊圧の壁をいっそう厚く強固にしたのだ。だが同時に、弾丸の如く飛び掛かるわたし目掛けて、触手じみた霊力鞭での霊撃も忘れなかった。ここまでは想定通りだ。
ちなみに、わたしを襲う霊力鞭は一本に束ねられており、しかも小型の竜巻を纏っていた。その形状はずばりドリルを思わせる。
真正面から貫く気満々の即死攻撃である。
「そういうのを、待っていましたッ!!」
わたしは歓喜の声を上げながら、眼前に迫るドリル状の霊撃に会心の笑みを浮かべた。そして、仕込刀に篭めていた霊力を最低限に落として、足裏に霊力を集中、霊衣を脚部だけに纏い、身体をグッと丸めて極限まで思考を加速させる。
『ぁああああ、死ねぇぇええええ――』
黒霊の絶叫が響き渡る中、霊力鞭を束ねたドリルが仕込刀に接触する。
刹那、ギャリギャリ、と言う何かが削れる甲高い音がして、爆音が連なった。
わたしはそれらの推進力を利用しつつ、更には両脚で渾身の飛天まで駆使して、黒霊の眼前に瞬間移動を思わせる速度で接近した。
黒霊からすると、わたしの動きは空中で急加速した風に見えただろう。背後で、それこそジェット噴射があったような爆進力だった。
「これが――奈落墜、です――がっ、ぐぁ……」
決着はついた。
わたしの勝利宣言は、黒霊を切断し終わった後、地面に激突してから周囲に響いた。
わたしが地面に激突した衝撃は、大砲が着弾したような爆音を鳴らす。その爆音の直後、黒霊の上半身を包んでいた黒い霊力の渦が内側から爆ぜた。
『――――っ、ぇええ!?』
受け身を取らずゴロゴロと転がるわたしに気付いて、黒霊が慌てて振り返った。けれど、その視界は右と左にズレて、上半身が真っ二つに裂けていた。
「……威力、だけなら……あの、聖騎士を名乗る、化物に放ったより……強力、だったはず……」
先日の聖騎士リィザ・ファミルの模造人形との戦闘を思い出した。
あの時に放った奈落墜よりも、今回の方がずっと破壊力は上だろう。霊剣化した仕込刀に全ての霊力を注ぎ込み、剣気と内功まで篭めた究極の捨て身技である。しかもあの時とは異なり、五体満足の状態で繰り出している。
ただ惜しむらくは、高さが足りなかった点と、加速をしたのが中途半端だった点だろうか。それでも充分に黒霊を殺し切ることに成功はしたが――
「これで……終わり、でしょうか……?」
わたしは転がったまま、顔だけ黒霊に向けた。地面に身体を強打した影響もあり、全身が一時的な麻痺状態になっていた。
動かそうと思えば動けるが、筋線維が痺れていて、機動力は半減していた。
『…………あぁ、あ、ぁ……』
視れば、黒霊は右半身だけで宙に浮かび、身体のあちこちから黒い煙を噴出させていた。霊力は不安定に漏出しており、もはや実体を保つのも難しいのではなかろうか。
霊体の状態はより酷く、もはや拳ほどの大きさまで削れていた。
「な、なんやねん、さっきの!? なんで、あんなアクロバティックなことできんねん……ウチでも、避けれるか自信ないやん……」
「椿よ。儂は何が起きたか分からぬのじゃが、どうなって、あんなことになったのかえ?」
「いやいや、冬帝様。そんなことより、黒霊姫を安定させないと……流石に、あんな状態のままで流れ込んだんじゃ、身体が保たないんじゃないですか!?」
信じ難いと眼を見開いている如月椿と冬帝を尻目に、慌てた様子の蒼矢が黒霊だったモノに駆け寄っていた。
とりあえず決着はしたはずだが、これで調伏とやらは出来たのだろうか――
「――調伏、出来てるっスよ、ちゃんと。けど正攻法じゃなくて、邪道な力業でスけど」
ふいにそんな声が聞こえてきた。その場の全員がハッとして、声の主に顔を向ける。
一方でわたしは、その聞き覚えのある声にこれ見よがしの溜息を漏らした。顔を向けるまでもなく、それは柊南天である。
相変わらずの白衣姿に、肩掛けのバックを持っていた。パッと見た感じは、往診に訊ねてきた医師にしか見えなかった。
「な、南天!? いつの間に、幽世に入ってきてたん!?」
「おひさ、っス。椿ちゃん。つい今しがたスよ? 綾女嬢の闘いを途中から見てましたス――ってか、相変わらず美しいっスね! 今日も綺麗ス、つい惚れ直しちゃうスよ?」
「わ、ホンマか!? なら、このままデートせえへん?」
「――おっと、さーせん。この後、スケジュールが詰まってるんスよ」
「なぁ!? 相っ変わらず、いけずやなぁ……期待させへんといてや」
柊南天と如月椿のそんな下らないやり取りを耳にしながら、わたしは痺れている身体を落ち着かせた。
しばらくすれば、霊体は安定して筋肉疲労も感じずに立ち上がれた。
黒霊の状況を視ると、蒼矢が先日と同じように霊力の膜で包んでいた。
霊力の膜に覆われた黒霊は、絶えず小さな悲鳴を上げ続けていた。
「……如月さん。調伏が出来たにしては、わたしの霊力に変化が――」
「――蒼ちゃん。綾女っちは大丈夫や。かまわへんから、綾女っちに戻してええで?」
わたしの問い掛けに、如月椿が被せ気味に断じた。その意味が分からず、蒼矢に視線を向けた。
蒼矢は如月椿の言葉にビックリという表情をしていたが、わたしと視線が合うと、大丈夫すか、と小さく問い掛けてきた。
何が大丈夫か、何をするのか全く分からない。
けれど、恐らくそれは黒霊を使役するのに、必要な何かをして良いかどうかの最終確認だろう。
躊躇なく頷いた。
「了の解、です。それじゃ、綾女姫。行きますよ?」
「――――ッ!?」
蒼矢は言いながら、黒霊を包んでいた霊力を霧散させた。すると、形を保っていた黒霊はとうとうただの黒い煙と化して、一気にわたしの身体に流れ込んできた。
ドン、という衝撃がわたしの霊体を揺らす。同時に、電撃に浴びたような痺れが身体中を駆け巡った。
なるほど、先ほど蒼矢が言っていた『身体が保たない云々』は、わたしのことを慮ったうえでの発言だったようだ。
凄まじい勢いで、内側から霊力が溢れ出してきた。
「綾女っち。霊体を意識して、溢れる霊力は呑み込むイメージを持つんやで。そこで下手打つと、霊力酔いになんで」
「――――」
言われるがまま、わたしは内側で爆発したように溢れてくる霊力を、抑え付けて安定を図るのではなく、もっと大きな器で呑み込むイメージをした。吸収して取り込む感覚だ。
「へぇ――これは、素晴らしい」
如月椿の言葉を意識した途端に、わたしの霊体は肥大化して、霊力の容量が広がった実感をする。
魔力が霊力に変換された時のような充足感に、霊力酔い一歩手前の万能感が同居していた。
仕込刀を振りかぶり、踏み込みさえせず、その場でただ振り下ろす。けれど、その軽い素振りは音を置き去りにして、空気を一瞬だけキナ臭くした。
あまりの速度に、生じた鎌鼬が地面を切り裂く。
「霊装技術を使ってもいないのに、この守護霊陣の中で、身体が凄く軽いです――」
トントン、とその場で跳躍をするが、無重力を思わせるほどに身体が軽い。ちょっと力を篭めるだけで、垂直跳び2メートルさえ出来るほどである。
これほど身体能力強化が出来るとは驚きだ。
つまり、霊力が多ければ多いほど、超人的な能力を得られるということだ。
「――この感覚は、八重さんも同じ、なのですよね?」
「んぁ? あ、そやで? オフィサーも、霊獣を最低でも二体は使役しとる。せやから、いまの綾女っちと同じか、それ以上の霊力は持っとるよ」
「柊さんが、わたしに言っていたことを、いましっかりと理解出来ました」
ここで修行する前であれば、確かに八重巴と戦闘しても確実に勝てなかっただろう。
その事実がいま、正しく理解出来た。
「あ、ところで綾女嬢。さっきの凄いっスね? あの霊撃ドリルを受け流しつつ、まさか、わざと刀身を弾いてその衝撃を利用して、仕込刀の峰を足場にするなんざ――うちも言ってて、なんじゃそりゃ、って感じス。全くもって正気の沙汰じゃないスよ?」
「……しかも黒霊っちを斬り付ける瞬間、仕込刀が神器化にまで至っとったで? ホンマに、おっとろしい化物やで」
柊南天と如月椿が、先ほどの奈落墜に対する解説を口にしながら、あり得ない、と首を振っていた。しかし、わたしの渾身の必殺を初見で見破っている時点で、二人も大概あり得ない。
何が起きたか分からずに決着させたつもりだったが、そう甘くはないらしい。
二人とも伊達に、円卓に座ってはいないということか――
「お褒めに与り光栄ですけれど――黒霊さんは、どうなったのでしょうか?」
わたしは溢れ出す霊力をコントロールしながら、霊感強度を高めた。
周囲を探るが、黒霊らしき存在はどこにもない。
感じ取れるのは、如月椿、冬帝、朱火、蒼矢、白虎丸、柊南天の霊力だけだった。
そこでふと気付いて、眉根を寄せながら柊南天に視線を向けた。
「……柊さんも……霊力を、自覚してらっしゃるのですか?」
「ん? そスよ? あ、教えてなかったスか? まぁ、いいじゃないスか、別に――」
柊南天は、あれ、と首を傾げながら口元に手を当てていた。脳内に『この前、心霊治療しませんでしたっけ?』というテレパシーが届いたが、わたしは首を横に振った。
思い返しても、施された治療は『魔力医療』と説明されていた。
実際の治療方法がどうかは知らないが、少なくとも心霊治療とやらを施されたという説明はされていない。
「――ま、うちは『現代のアスクレピオス』の異名を持ってるドクター、スからね。魔力、霊力、超能力、更には、あらゆる医術まで修得してて当然スよ?」
「ホンマに流石やで。ウチも何度、南天に助けられたか分かれへん――そない凄い南天と、綾女っちがどうして知り合いなんかは興味あるけどな」
柊南天に流し目を送る如月椿を尻目に、わたしは守護霊陣を出た。瞬間的に、肉体的な重さ、疲労、怪我が回復して、体調が万全になる。
霊力と魔力が溢れんばかりに身体を駆け巡り、素の状態だというのに、修羅之位を発動させた時のような感覚があった。
拳に力を篭めれば、何の技もなしに巨大な岩石さえ貫けるだろう。
「冬帝さん。黒霊さんは、どうなったのでしょうか?」
わたしの問いに答えてくれない二人は無視して、驚いている冬帝に顔を向けた。
冬帝はハッとしてから、一つ頷いて自分の胸元に手を当てる。
「使役した霊獣は、基本的に、主の霊体に溶け込んでおるかえ。じゃから、具現化せぬ限りは、存在を感じることさえ出来ぬぞえ。そして綾女はまだ、霊獣を具現化するのは無理ぞえ」
「……わたしの中に、溶け込んでいる、のですか?」
巨大になった霊体に意識を向ける。しかし、そこに異物感はない。溶け込んでいる、という表現の通りに、完全に一体となっているようで、少なくともわたしには分からなかった。
「綾女っち。霊獣の具現化は、覚える必要あらへんで。綾女っちの戦闘スタイルにゃ、霊獣とのコンビネーションは合わへんよ」
「――どういうことですか?」
「そこまで説明せなあかん? 霊獣って、意のままに操作とか出来へんよ? せやから、具現化させて闘わせる場合、息を合わせなあかん、ちゅう話やで?」
「なるほど? ちなみに――」
如月椿の言いたいことはなんとなく理解出来る。わたしの闘い方は、一対一、ないしは、わたし一に対して複数人が基本スタイルである。
誰かと協力して闘うことはないし、性分には合わない。
(――綾女嬢、椿ちゃんの言う通りスけど、そもそも、霊獣の具現化なら、うちでも教えられるっス。ここは引いときましょ? ってか、サッサと山を降りまスよ? 今日これから、ちょいと忙しいス)
わたしが如月椿に反論しようと口を開きかけた時、柊南天がテレパシーでそんなことを伝えてきた。顔を向けると唇に人差し指を指して、静かに、とジェスチャーをしていた。
仕方ない、と言葉を呑み込み、はいはい、と押し黙って頷いた。
「さて、んじゃ、椿ちゃん――早めの昼食だけ、御馳走させてもらってもいいスか? うち、急いで来たから、お腹減ってるんスよね」
「勿論や、ええで!! じゃ、早速用意させるわ――朱火っち、とっときの霊薬出して、渾身の懐石料理頼むで!」
柊南天のテレパシーに賛同した矢先、柊南天本人の言動で覆された。
すぐに山を降りるのではなかったのか――と睨み付けるが、どこ吹く風とばかりに、如月椿と肩を組んで本殿に向かっていた。
チッ、とこれ見よがしに舌打ちをしてから、わたしも本殿に向かった。




