表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
外道に生きるモノ  作者: 神無月夕
第六章/八重越えて

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

74/88

第四夜/後編

『ァアアアアアアア――ッ!!!』

「――ぁ!?」


 ガン、という視えない衝撃が、わたしの顎を撃ち抜いた。このたった一撃で、グラリと身体が傾いで、脚に踏ん張りが利かなくなった。

 何が起きたか理解出来ないまま、わたしの視界は乱れて、腹部に何かが突き刺さった。チラと視線を落として視れば、それは砂利が固まった拳大の石だった。

 慌てて、歩法飛天でその場から飛び退こうとする――けれど、それより疾く、霊力の触手がわたしの両足を掴んでいた。


「くっ、そ――な、にっ!?」


 すかさず触手を斬って逃れようとするが、合間で刃状の鞭が襲い掛かってきた。

 鞭の速度は先ほどよりも倍速以上になっており、パターンも変わっていた。そのせいもあり、今までの調子で弾き切ることが出来ず、掠り傷だが身体のあちこちを切り裂かれた。

 しかしその掠り傷は、一瞬にしてわたしの霊体を五分の一ほど削っていた。

 咄嗟に梵釈之位を発動させて、状況を立て直すべく距離を取る。思考が加速して、時間が引き延ばされたかのように周りの景色が緩やかになる。

 時間感覚が緩やかになった時、わたしに迫る何かをハッキリと視認した。


「――石礫!?」


 驚愕の声は黒霊の絶叫に掻き消された。

 わたしの正面から、超高速の砂利が散弾銃のように飛んで来ていた。それらは霊力を帯びず、物理的に飛んできた石礫だった。霊感では感知できない攻撃である。

 思わず歯噛みする。砂利が小さく速すぎたことを差し引いても、ここまで無様に不意打ちを喰らってしまったのは恥でしかない。これが強力な霊撃であれば、即死だったろう。

 本当に幸いだったのは、砂利の威力が弱かったことだ。気絶を免れたのは奇跡に等しい。


(……攻撃、パターンも、変わって、る――っ!?)


 わたしは転がるように距離を取りながら、飛んでくる石礫を全て無視して、直撃を受けたら致命傷となり得る刃状の鞭だけ斬り裂いた。


『ァァアア――――ッ、ァアア!!』

「……うる、さいっ!! ぐっ!?」


 雨の如く降り注ぐ砂利、数を増して襲い掛かる鞭による霊撃、さらには、霊力を纏った小型の竜巻が四方から迫ってきた。

 砂利による石飛礫は、直撃しても青痣になる程度の威力しかない。これなら、眼などに当たらない限り影響はない。警戒はするが無視しても問題ない。

 一方で、数を増した鞭による霊撃は脅威だ。安易に受ければ、これが致命傷になるだろう。

 焦らず冷静に分析すれば、攻撃パターンはそこまで劇的に変化していなかったのが幸いではある。だが、攻撃速度が倍速以上に疾くなり、複数のフェイクパターンも増えているので、捌くのは想像よりも困難になっていた。刹那でも集中を切らせば、一寸の見切りを誤ってしまえば、次の瞬間には切り裂かれて死に至るだろう。

 けれど、石礫よりも鞭よりも、一番の問題が、霊力を纏って突撃してくる竜巻だった。

 この竜巻はどうやら、先ほどまで黒霊が周囲に展開していた竜巻と、同程度以上の強力な霊圧を持っていた。つまりわたしの仕込刀では、霊力を溜めなければ、切り裂くことさえ出来ない。


(……くそ……この竜巻、わたしの霊力を、奪っていきます……)


 小型の竜巻は全部で四つ、完全にランダムな軌道で動き回っていた。

 移動速度は鞭ほどの高速ではないが、厄介なのは近くを過ぎる度に、わたしの霊力を奪っていくことだろう。目算で1メートル範囲内で避けると、霊糸を解されて奪われる感覚がある。

 これでは紙一重で避けるのは危険だ。多少大げさに逃げないと、持久戦が破綻する。

 

「凄いですよ、綾女姫。黒霊姫が、大怨霊に昇華したてとは言えど、初見でここまで粘るなんて、恐怖を感じるくらいに驚きですよ? これ、もしかしたら――」

「――いや、でも、これは……流石に、もう無理、だと思います、です。だって、あの調子じゃ、そろそろ、霊力が……」


 蒼矢の感心した声に被せて、朱火がわたしの負けを確信したように呟いていた。

 まだ勝負は決まっていないのに、わたしを舐めるのも大概にしろ、と声を大にして叫びたい。まったくもって気に喰わない。


(……油断は、できませんけれど……そろそろ、このパターンも把握しましたよ……)


 わたしは辛抱強く攻撃を受け流して、先ほど同様に霊力を溜めつつ、黒霊を一刀のもとに斬り伏せるチャンスを窺っていた。

 絶叫しながら守護霊陣の中を暴走する黒霊を目で追って、付かず離れず一定距離を保つ。

 襲い掛かる鞭は、蒼之太刀と朱之太刀で応戦。

 飛来する砂利の雨は、急所以外を全て無視。

 ランダム軌道の小型竜巻は、霊力を奪われるギリギリを見極めて大きく回避。

 そうして、改めて持久戦を前提とした立ち回りを続けていた。


『――アァァァアアア!!!』


 黒霊の絶叫が段々と大きくなっていく。

 それは怒りの絶叫か、それとも苦痛か、死に際の恨みか。どういう感情が篭められているのかは分からないが、聴く者をただただ不愉快にさせる叫びだった。


「――っ!? いま!!」


 すると唐突に、黒霊が動きをピタリと止めた。

 何が起きたか分からないが、その様は隙だらけで、誰がどう見ても最大の攻撃チャンスだった。すかさず踏み込んで、渾身の一撃を繰り出す。

 黒霊の静止は、まるで時が止まったような硬直で、罠かと疑うほどに露骨だった。けれど、罠だろうとどうでも良い。この一瞬を逃したら、次はない可能性がある。


「喰らえ――【暁天】!!」


 罠だろうが何だろうが後先考えず、黒霊に目掛けて、いまのわたしが繰り出せる最強の剣技を放った。霊剣化した仕込刀には、限界まで集中させた霊力を纏わせている。

 ここまでして、万が一に黒霊の霊圧を貫けなかったとしたら、もうお手上げでしかない。


「――まさか、もう禍津日神(マガツカミ)になるのかえ?」


 黒霊の懐に踏み込んだわたしに、そんな冬帝の声が届いた。

 その言葉の意味を理解するより先に、わたしは視界が暗転していた。


「――――え?」


 繰り出した暁天の手応えはおろか、仕込刀を振り切った感触さえないまま、わたしの全身から力が抜けたのを理解した。また同時に、ぐしゃっと、その場に崩れ落ちて膝をついた感覚があった。


「……な、なにが……」

『全てを呪う……全てを殺す……全てを恨む』


 何が起きたかまったく分からない。ただ一つ理解出来たのは、黒霊を倒すことに失敗したということだけである。


「……わたし……どう、なって?」


 次に気付けば、わたしの身体が守護霊陣の隅まで吹っ飛んでおり、両手足が折れていた。かろうじて仕込刀は握っていたが、もはや全身に力が入らない状況だった。

 正面には、黒い羽衣を纏った黒霊が静かに浮かんでいる。

 先ほどまでの絶叫はどこへやら、いまは冷静な口調で、呟くように呪詛を繰り返していた。しかしそこに知性は感じられず、ただひたすらに殺意を振り撒く存在と化していた。


「な、んだと、言うの……でしょうか……」


 わたしと黒霊の距離は、5メートルほどだ。仕込刀が届く範囲ではない。

 まあ、いまはそもそも、腕さえ上がらなくなっているので、接近されていても困るが――


「――それよ、り……身体が、動かない……?」


 不思議なことに、脳のリミッターを外しても身体が動かなくなっていた。

 まるで神経が繋がっていないかのように、身体はどこも反応さえしない。かろうじて動くのは顔の表情筋だけで、首から下が切り離されているかのようだ。

 普段ならば、たとえ両手足が折れていようと、限界を超えて強制的に動かすことが出来た。筋肉さえ繋がっていれば、何とでもなったのに、今は何も出来なかった。


『全てを呪う……全てを殺す……全てを恨む』


 黒霊から呪詛が吐かれた。すると今度は、脳みそが直接揺らされたような気持ち悪さが発生して、後頭部を鈍器で殴打されているような頭痛がする。

 グワングワンと視界が揺れ始めて、我慢できずに胃の中身をひっくり返して嘔吐した。

 クソ、と吐き捨てて立ち上がりたい。けれど、ばら撒かれる殺意の圧力に、わたしの心が折れそうになっていた。

 まったくもって信じたくないことだが、勝てない、と言う後ろ向きな声が心に浮かんでくる。


(……攻撃は、止んでいる……なのに、どうして……気持ちが、萎えて、る?)


 ただそこにいるだけの黒霊に、わたしはもはや抵抗する気力さえ失い始めていた。

 冷静な状況分析さえできず、自身の霊体が霧散し始めていることにも気付いていなかった。


「綾女姫、もう完全に限界では? 霊障(レイショウ)に晒されて、微かだった霊力も綺麗に枯渇したようですよ?」

「え、と……けど……むしろ……霊力が、枯渇してるのに……まだ、戦意が、失われてない……って、かなり、凄いと思います、です……」

「――凄い、どころの話ではないかえ。耐霊性を失った状態で、アレの霊障をまともに浴びて、それでもなお、生気も戦意も失わぬとは、とても人間とは思えぬ精神性ぞえ。これほど強靭な意志を持っておるならば、死んだ後は確実に、禍津日神か、神霊になるぞえ」


 好き勝手な話をしている蒼矢、朱火、冬帝の声を聴きながら、わたしはなんとなく状況を理解した。

 どうやらこの心が折れそうな現状は、黒霊の霊障と言われる霊力的な攻撃のせいであるようだ。けれど、それが分かったところで、何も出来ないが――


『全てを呪う……全てを殺す……全てを恨む』

「――同じこと、しか、言えない……のですか?」


 わたしが出来たことは、ただ悪態を吐くことだけだった。

 絞り出すように、震える声で黒霊を挑発する。ついでに強がって笑みを浮かべようとしたが、顔が引き攣って、恐怖という感情で強張ってしまった。


「さて――これ以上は、もう無理かえ? 白虎丸、綾女を回収するぞえ。蒼矢、黒霊を抑えるぞえ」

「ワォン!」

「承知しました、冬帝様」


 冬帝の号令に、疾風の如き速さで白虎丸が駆け寄ってきた。それを横目に、黒霊が緩やかな動作で手を振るう。


「ワァォオオ――」


 白虎丸が咆哮すると、その身体が虹色の霊装で包まれた。それと同時に、黒い稲妻が幾筋も白虎丸の身体に降り注ぐ。

 凄まじい衝撃波と熱、痺れる空気で辺りが満ちた。キナ臭い匂いが漂う。


「はいはい、黒霊姫。おいたはその辺で! ここらで、正気に戻りましょうか?」

『邪魔を、するな……』

「いやいや、邪魔くらいしますよ――封神」


 わたしの動かない身体を咥えて、白虎丸が守護霊陣の中から飛び出した。歩法飛天に匹敵するほどの高速移動で、あっという間に戦線から離脱してくれたのである。

 一方で守護霊陣内では、蒼矢が笑いながら黒霊を凄まじい霊力で包み込んでいた。

 黒霊は蒼矢の霊力を振り払うように、必死に腕を振り回している。その腕を一振りするたび、白虎丸を襲った黒い稲妻がドカンドカンと降り注いでいるが、蒼矢は涼しい顔で受け流していた。


「儂らが思うていたよりも、ずっと善戦しておったぞえ。じゃが想定外だったのは、黒霊の霊格が予想よりもずっと高かったことかえ? あれほど速く、禍津日神になるとは思わなかったかえ」

「……善戦……ね。それは、どうも……けれど、わたしが負ける、と端から、決め付けていたのですか?」

「決め付けではないぞえ。負けると確信しておったぞえ。じゃが敗因は、綾女が霊力枯渇して負けると予想しておったかえ? それがこうなったから、儂らとしても驚きぞえ」


 白虎丸がわたしを冬帝の真横に下ろした。力なく地面に横たわる。

 守護霊陣を出てから、少しだけ気持ちが回復していた。どうしてか、折れていた腕も治っているし、傷だらけになっていた身体も全快していた。

 けれど、異常がないはずのわたしの身体だが、不思議とちっとも動かなかった。まるで金縛りにでも遭っているようだ。


「……身体が、動きません……」

「仕方ないぞえ。綾女は気付いておらぬが、霊体がほとんど霧散しておるかえ。しかも、禍津日神の霊障をまともに受けておるし、精神も呪われとる状態ぞえ。万が一、そんな状態で起き上がれたならば、もはや生物とは言えないぞえ」


 胡乱な思考では良く理解出来ないが、兎も角、内側がだいぶやられているらしい。

 どうやったらこの状態が回復するのか分からないが、とりあえずわたしでは何もできないことだけは理解した。

 何もできないならば、蒼矢と黒霊の顛末を視ることにしよう。


『……邪魔……する……な……邪魔……』

「――はいはい、落ち着きましょうね、黒霊姫。冷静に、気持ちを抑えて」


 凄まじい密度の霊力が、黒霊を包み込んで圧し潰している。黒霊は身動き取れぬ様子で、苦々しい表情で蒼矢を睨みつけている。

 一方で、蒼矢はそんな黒霊を、子供をあやすような口調で押さえ付けていた。こうして見ると随分と霊力量に差があるようだ。

 わたしが手も足も出なかった今の黒霊が、蒼矢には手も足も出ない。

 この構図は必然的に、わたしより黒霊が上で、蒼矢はさらに上と言う序列の証左である。この上には如月椿がいるのだから、わたしがいかに未熟か、いまの立ち位置を理解する。

 悔しいは悔しいが、今はもはやそんなことより、死にたい、と言う強烈にネガティブな気持ちが沸々と湧き上がってきていた。

 自殺願望など生まれて初めて感じているが、なかなか甘美な誘いに思えた。


「ところで、綾女はいま、死にたくなっておるのではないかえ? 無性に自殺したくなっておるのではないかえ?」

「……お分かり、ですか? ええ――もし身体が動けば、自ら命を絶っていたかも知れません」


 顔だけ冬帝に向けて、ほんの少しだけ動かせた指先を自らの首筋に向けた。

 もしわたしの腕が上がっていたら、躊躇なく頸動脈に爪を立てて切り裂いていただろう。あまりにも衝動的な感情だが、嘘偽りない強烈な思いだった。

 何とか思考を切り替えようと意識を強く持つが、そんなことでは、この自殺衝動を抑えることは出来なかった。負けた悔しさを思い出しても、殺したい相手への憎悪を深めても、それらの狂おしい熱意など全て流されてしまい、思考が真っ黒に塗り潰されるほど、強烈な自殺衝動がこみ上げてくる。


「……自分を、殺したい……死ぬのが、正しい、快感だと思うなんて……本当にこれ、どういう状況でしょうか?」


 自嘲しながら、自らの感性を疑う。

 正常な思考のなかでは、この感情が明らかな間違いであることを理解しているのに、沸き上がる自殺願望は頭の中を真っ黒に塗り潰す。


「綾女がいま感じておる負の念は、霊障と呼ばれる呪いに依るモノぞえ。禍津日神にまで至った霊獣は、もはや自らの手で人を殺すことはせず、死という強制的な観念を撒き散らすだけの存在と化すぞえ。さながらそれは、天災に等しい存在ぞえ」


 冬帝が視線を黒霊に向けた。蒼矢の霊力で包まれた黒霊は、白目を剥いて呪詛を吐き続けていた。

 わたしがいま感じているこの負の意識は、黒霊が原因だと言う。この強烈な自殺衝動は、黒霊の霊撃の一種であるようだ。だが、それが判ったところで、どうやって対策を取ればよいのか見当も付かない。

 いやそもそも、いまの胡乱な思考では、対策を教えられたところで何も出来ないだろう。

 気力さえ根こそぎ奪われているのだから、このまま死ぬしか――


「――綾女よ、霊障に抗うにはまず、死を拒絶することぞえ。死を受け入れた瞬間に、心臓の鼓動も止まるかえ。とはいえ、真の意味で霊障に抵抗するには、霊力がなければ不可能、じゃからいまの綾女では抗う術がないかえ」


 冬帝の挑発に、一瞬だけ発奮する。死ぬしかない、と思考した自らの未熟さを怒り、わたしはギリと奥歯を噛んだ。


「蒼矢、少し急ぐかえ。綾女が、そろそろ限界ぞえ」

「……承知しましたよ、冬帝様。んじゃ、黒霊姫、ちょいガチに封じさえて貰うね」


 そんなやり取りの直後、黒霊を包み込んだ霊力が眩い光の渦に変わって一気に爆発した。

 周囲には、光の粒子が雪のように降り注ぎ、祝福の言葉じみた不思議な響きの音が響いていた。しかし、響き渡る音を認識が出来ない。

 美しい音色が奏でられている、というイメージだけが頭に届く。


「蒼矢も成長しておるかえ。祓詞(ハラエコトバ)が見事ぞえ――どうじゃ、綾女。だいぶ楽になったのではないかえ?」


 冬帝に話しかけられて、ハッとする。確かにいま、わたしは死にたいとは思っていなかった。

 聴いているのに意味を理解出来ない音が身体に染み込んでいくのと同時に、わたしの胡乱だった思考が徐々に鮮明になっていく。

 真っ黒に塗り潰されていた頭の中が、少しずつ掃除されていく印象だ。気持ちが軽くなっていた。


『――――キャァアアッ!!!』


 ふと、黒霊がひと際甲高い大絶叫を放った。遅れて、パリン、と硝子の割れる音が鳴り響き、流れていた美しい音がピタリと止んだ。

 時間が凍り付いたように、世界を無音が支配した。

 数秒か数分か、永遠にも感じた一瞬の静寂が過ぎて、ふいに身体が重くなった。


「封神、完了――どっすか、綾女姫? 楽になりました?」

「上出来ぞえ。綾女もこれで、何とか死なずに済んだかえ」


 冬帝と蒼矢がジッとわたしを見詰めてきた。

 重怠い身体は、動かすのが億劫だったが、自分の意思で動けるようになっていた。先ほどまでの金縛り状態が嘘のようだ。

 ゆっくりと起き上がり、霊体を意識した。

 霊力はもう雀の涙ほども捻り出せないが、霊体はほんの微かに感じ取れた。通常の時の五十分の一以下、程度だろう。


「……霊体が、殆どないだけで……これほど、身体がキツくなるのですね……」

「儂からすると、霊体が殆どなくなっておるのに、身体がキツイと表現するだけの綾女が恐ろしいこと、このうえないかえ。普通の霊能力者であれば、その状態だと、気絶していても不自然はないぞえ」

「あら……そう……なのですか? チッ……でも……そうかも……知れません、ね」


 グラリと視界が揺れた。トン、と身体が崩れ落ちた。

 いきなり全身から力が抜けて、俯せで地面に転がる。強烈な睡魔が襲い掛かってきて、思わず瞼が閉じそうになる。


「朱火よ。急ぎで快癒秘霊丹(カイユヒレイタン)を用意するぞえ――綾女、今日はもう、これで修行は終わりかえ。失った霊体を元に戻さなければ、身体も満足に動かせぬぞえ」

「承知……いたしました……すぐ、お持ちします、です……あ、覚醒状態で、飲用した方が、効果出ます……ですからね……」


 どこかから朱火のそんな声が聞こえた。声は本殿の方へと遠ざかっていったので、霊丹とやらを取りに行ったのだろう。

 わたしは気持ちを振り絞り、囁き声で質問する。


「…………どうしたら……霊体を、元に……」

「焦っても仕方ないかえ。元に戻すには、霊丹や霊薬を飲んで、霊力を充実させたうえで霊体を回復するしかないぞえ。霊体が回復しないうちには、意識を保つのさえ難しいかえ」


 冬帝がわたしのすぐ傍に屈んだ気配がした。気配に顔を向けようとしたが、今度は視線を動かすことさえ出来なくなっていた。

 この感覚には憶えがあった。これは体力が完全に底を尽いた状態だ。

 限界突破して動き続けて、もはや身体が何も出来なくなった死に体、である。随分と久しぶりだ、と心のなかで自嘲する。


「ちなみに、しばし意識を失わず、そのままで我慢するぞえ。朱火が持ってくる快癒秘霊丹は、覚醒状態で摂取するのが、一番効果が高くなるモノぞえ。少しでも早く霊体を元に戻したいなら、気絶するのは耐えることぞえ――」

「――正直、冬帝様も、朱火姫も無理難題を言ってますよね? この状態でむしろ、いま意識あるのが尋常じゃないってのに……あ、とりあえず黒霊姫の霊格が落ち着いたので、蒼ちゃんは黒霊姫を介抱しておきますよ」


 どうやら黒霊は意識を失っているようで、寝息のような規則正しい吐息が聞こえていた。

 抱き抱えているのだろうか、蒼矢が遠ざかる気配と一緒に黒霊の気配も遠ざかった。


「さて、綾女。意識を保つために、何か話でもするかえ?」


 小馬鹿にした風な問い掛けに、わたしは小さく頷いた。もはや声を出すのも億劫で、半分夢うつつでもあった。


「それでは――先ほどの調伏の儀に関して、綾女の敗因と、今後の対策、ついでに、黒霊の状態変化を説明しようかえ?」


 わたしの耳元に顔を近付けて、上から目線な口調で語り出す。


「まず、綾女の敗因じゃが、いたって単純ぞえ。持久戦の選択――それが最大の敗因ぞえ。これは綾女の弱点であり、致命的な悪癖かえ。綾女が選んだ後の先を取る戦術が、完全な読み間違え、ぞえ」


 攻略の糸口が分からないのに、様子見をせず、攻め込むことなど出来ない。

 互いに決め手が欠けている状態で、持久戦を選択しないのは果たして間違いか――否、わたしだって、黒霊がどんな戦略なのか、戦術スタイルなのか、どう立ち回るのが最適か分かっていれば、きっと持久戦は選択しなかった。

 そんな言い訳と反論が脳内に浮かんだが、事実として負けている以上、これは負け犬の遠吠えでしかないだろう。


「儂も椿も不思議に思うのじゃが、なにゆえに、綾女は戦闘を長引かせるのかえ? 戦術も何も要らない原始的な力比べにおいて、なにゆえに、最初から奥の手を切り、最大火力で敵を仕留めないのかえ? 仮に綾女ほどの実力があれば、奥の手を封じられたとて、そこから幾らでも挽回出来るはずぞえ。最大火力を最初から繰り出すのに、何かリスクがあるなら別じゃが、あえて段階を踏んで強力な技を繰り出す必要性が儂には分からないかえ」


 本当に不思議そうな声音で冬帝は質問してきた。

 ぐうの音も出なかった。物理的に声が出ないのもあるが、それ以上に正論であり、返す言葉が見付からなかった。

 意識してこなかったが、なるほど、確かにその通りだろう。わたしの致命的過ぎる弱点であり、ギリギリの戦闘を少しでも長く愉しみたいという気質も原因である。


(……言われて、気付きましたけれど……わたしきっと、慎重に闘うことと、相手を侮ることを、履き違えていた、ようですね……)


 思い返すと、今までの強者との闘いの中で、わたしは無意識に相手を侮っていたのかも知れない。

 油断せず、慎重に、相手の出方を見ながら闘っているつもりで、その実、勝負をすぐに決めてしまうのが勿体ない、最大火力を繰り出したらすぐに終わってしまう、という勘違いをしていた節がある。

 身体が万全な状態では、相手を格上と認めていてさえも、最初から全力を出した覚えがない。

 改めていま、師父から言われた『実力と経験が足りない』という指摘を痛感する。


「その敗因を踏まえたうえで、今後の対策じゃが、当然ながら短期決戦で、開始五分以内に勝負を決めることが重要かえ」


 冬帝はなかなかの無茶振りを口走りながら、理由は単純かえ、と続ける。


「まずもって、霊力の消費量の問題があるぞえ。まだ綾女は自身の限界を把握しておらぬが、霊装技術は凄まじい量の霊力を消費する技術ぞえ。先の戦闘、正直あそこまで保てるとは思わなんだが、基本的に、霊装技術の長時間使用は誰もせぬかえ――あの椿でさえ、霊装技術の連続使用は、30分を限界に設定しておるぞえ。恐らく巴でも、10分程度の連続使用しかせぬかえ? それほど、霊装技術はとっておきじゃし、繰り出すからには決め切る算段を用意するモノぞえ」


 それは、霊装技術を教えた時に、真っ先に教えるべきことではないのか、と、わたしは殺意を滲ませる。襲い掛かる睡魔が少しだけ収まった。


「ちなみに、霊装技術をとっておきにしなければならぬ理由は――お、朱火じゃ、用意できたかえ?」

「お待たせ、しました……これ、霊水に、溶かし込んで……きましたので、飲んでください、です」


 白虎丸がわたしの身体をひっくり返して、仰向けに寝転がらせてくれた。上を見上げると、水筒を持って困った顔になっている朱火が視える。


「こ、これ……ひと息に、全部……飲んでくださいです……」


 背中に腕を入れられて、上半身を起こされた。

 身動き出来ない脱力状態のわたしの口を無理やり開かせて、朱火が水筒をそのまま咥えさせてきた。グッと顎が外れそうになる。

 ごくごく、と生温い液体が喉に流し込まれた。飲み難くはないし、味もないが、胃に落ちた瞬間から身体の内側が燃えるように熱くなった。


「――飲み切ったかえ?」


 冬帝の質問に、力なく首を倒して頷いた。口元から、飲み切れなかった液体が零れる。

 ドクン、と大きく心臓が跳ねて、突然、霊力が溢れ出した。しかし、溢れた霊力はコントロール出来ず、ただただ周りに拡散される。


「霊体を意識するぞえ。精神を集中させて、治癒力を高めるイメージで、身体を整えてみせるかえ」


 心臓の鼓動と、同じ感覚で激しい頭痛が始まる。血流の流れが耳に五月蠅い。

 それでもわたしは、冬帝の指示を忠実に守り、天仙之位を発動させた。無我の境地で、身体を癒すことだけに意識を集中させる。

 その途端、グワングワン、と視界が揺れた。

 瞼を開けているのに、画面が白くなり、何も視えなくなった。貧血に似た症状だが、音も何もかも聞こえなくなっていた。


「ふむ、効き始め――――」


 冬帝が何か言ったような気がするが、わたしはそのまま、糸が切れるように意識を失った。

11/19の更新は一旦これで終わりです。次は11/20中にアップ予定

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
久々に綾女ちゃんの活躍見れて満足… 修行順調に進んでたけど思わぬ難敵に強がるけど恐怖に全身支配されてるの良いですねぇ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ