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外道に生きるモノ  作者: 神無月夕
第六章/八重越えて

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第四夜/前編

 朝食の場で、丸一日ぶりに如月椿と顔を合わせた。その瞬間に、狂人でも見るような目を向けられて、化物やん、と呟かれた。だいぶ失礼な話だ。


「……おはようございます。いきなり朝から、なんなのでしょうか?」

「なんなん、って言われても、率直な感想やん? 南天から聞いとったより、綾女っちがソーゾー以上に異常やったって話やん?」

「異常、とは、随分と失礼な物言いです。不愉快ですよ?」

「事実やんか。てかこれ、褒めてんねん。ウチが思うてたより、綾女っちの成長が異常に速いねん」


 不思議な色の草が浮かぶ味噌汁を呑みながら、如月椿はわたしに箸を突き付ける。その態度もまた失礼だ。

 しかしそんなことを指摘しても仕方ないので、わたしも席について、朱火が運んでくる朝食に手を合わせる。

 今日もまた、霊薬とやらが入っているようで、精進料理のような肉のない質素な一汁三菜だった。


「ほな。今日から、ドM装備外そか? ホンマは最終日まで引っ張ってから外そ、思うてたけど、ここまで順調やさかい、オフィサーとの本番想定して、外しとくのがええね。オフィサーのことやから、魔法具無効化は、とっときで仕掛けてきそうや」

「――【霊性開花の数珠】のこと、でしょうか? それは構いませんが、どうやって外すのでしょうか?」

「やや!? ホンマに、それ言うとる? しゃーなし。外し方、レクチャーしたる」


 如月椿が馬鹿にした風に笑いながら、わたしの頭に手を置こうとした。咄嗟にそれを拒絶して、手で叩き落とした。また、身体を乗っ取るつもりだろう。

 あの感覚は不快で嫌だ――と、如月椿の手を叩き落としたのに、接触がトリガーだったらしい。

 叩いた姿勢で身体が動かなくなっていた。まったくもって腹立たしい。


「ウチに触れたら、それだけで『憑依』の条件は満たすやん。せやさかい、ガチに殺し合うならつもりなら、いっぺんもウチに触れんで闘わんとあかんで?」


 わたしの口から、気色の悪い声でそんな台詞が吐かれて、スッと両手が目の前に出された。

 勝手に身体中の霊力をコントロールして、掌の部分だけから霊力を掻き消していた。すると、嵌まっていた指輪が勝手に転がり落ちて、虎柄のブレスレットに戻る。

 四つのブレスレットが外れたのを確認してから、今度はそのまま手首同士を擦り合わせる仕草をして、同時に、体内の全霊力を手首に集中し始めた。

 今度は手首以外から霊力がなくなり、ジリジリと身体全体が焼けつくようなヒリヒリ感にさらされた。手首に集まった霊力はすぐさま眩い光を放ち、やがて数珠の形を成して、両手首に最初から巻かれていたような状態で実体化した。心臓が一瞬だけ大きく脈打った気がしたが、身体に負担はない。

 霊性開花の数珠の顕現方法は、感覚的に言えば、昨日修得した霊装技術にも似ていた。だが決定的な違いは、霊装技術よりも遥かに簡単なことだった。霊力コントロールできるようになった今ならば、口頭で説明してくれるだけで体得出来た自信がある。

 これならわざわざ憑依するな、と苛立ちを隠せなかった。こんなことで、二度も身体を乗っ取られたのが不愉快極まる。

 まあ、実際のところは、抵抗できず乗っ取られたという事実が、何よりも不甲斐なくて情けなかった――わたし自身の未熟が悔しくてならない。


「ほな、外すで?」


 手首を捻って、カチャリと数珠が鳴る。すると、どういう原理か分からないが、パン、と数珠が弾け飛んだ。

 弾けて床に散らばった数珠はしかし、自動的にまた集まり、元通りの形にくっ付いた。


「――どやねん?」


 如月椿がわたしの身体で首を傾げた。その途端、身体の内側から魔力が溢れ出てくるのを自覚する。

 けれど同時に、体重が三倍になったかのように重くなり、正座している身体に誰か飛び乗ったのかと錯覚するほどの重さを感じた。思考もそうだが、全身の感覚が散漫になり、不愉快な耳鳴りも始まる。三半規管がグラグラと揺れ始めて、吐き気と頭痛が始まった。


「これが、霊力なし、の状態やで? まともに思考できへんやろ?」

「――なるほど。確かに、この状態で、八重さんと闘えば、確実に負けますね」


 如月椿の憑依が解けて、自由が利くようになったが、まったく思い通りに身体は動かない。

 普段の動きどころか、恐らく片手と片足がない状態を思わせるレベルだった。それでなくとも、水中に居るような不自由さと息苦しさがある。100キロ超の鉛が全身に巻き付いている感覚で、高熱にうなされたような思考回路、ずっと殴られていると錯覚するほどの頭痛がしていた。

 ただ呼吸しているだけなのに、既に満身創痍状態である。


「ほんで、綾女っちはいま、霊力、自覚出来るん? それとも、一切分からへんの?」


 魔力回路が復活したので、重苦しい全身に魔力を流して肉体強化を施した。少しだけ楽になったが、それでも不調が回復することはなかった。

 とりあえず胡乱な頭に喝を入れて、如月椿の言葉通りに霊体を意識した。

 霊性開花の数珠を外す前の状態、溢れるほど湧き出ていた霊力の感覚を思い出しつつ、霊体から生み出される霊力をコントロールしようと試みた。


「…………これが、わたしの霊力……でしょうか?」


 集中すると、朧気ながらも霊体を意識できた。霊体が自覚出来れば、霊力を知覚するのはかなり簡単である。わたしは、霊体から漏れ出る霊力を認識した。

 しかし、その霊力量は、ほんの微かである。この程度では、霊力がある、とは胸を張って言えないくらいだった。


「お、ええねぇ! 霊力、あって良かったわ――ま、スズメの涙やけど。ほなら、その蚊が鳴くような霊力を増やす為に、次のステップ行こか?」


 如月椿の挑発に憤りながら、わたしはなけなしの霊力を全身に流した。

 霊力が身体に巡り出すと、驚くほど不調が回復した。重かった身体は軽くなり、思考もクリアに、頭痛さえもなくなる――とはいえ、まだまだ普段通りと言えるほどには正常ではない。


「次のステップ、というと? 本日からは、どのような修行になるのでしょうか? この環境における実戦、とかですか?」


 わたしは期待を篭めた不敵な笑みを向ける。しかし、如月椿はわたしの笑顔を見て、ドン引きしながら緩く首を横に振った。


「実戦なんてやらへん! 南天がはじめ、言うてたはずやで? 実戦は、綾女っちの本来の目的とちゃうやん?」

「本来の目的? 何ですか?」

「霊獣の使役や! 使役さえ出来れば、霊体の強化、霊力の底上げが可能や。いま綾女っちに取り憑いとる『堺芽衣子』――やのうて『黒霊』やったっけ? その霊獣を、今度は、使役するフェイズやねん。昨夜、蒼ちゃんから説明受けたやん?」

「説、明? まぁ……受けた、と言えば、受けたのでしょうか? あれが、説明だと言うのであれば……」


 わたしは首を捻りながら、納得できないと表情を曇らせる。

 昨日の夕食時のやり取りを思い返して、説明不足としか思えない蒼矢の台詞を反芻した。


「……使役する為に、調伏(チョウブク)を試みる、でしたか? 縁を結んだ霊獣と一騎打ちして、打倒する必要がある……とか?」


 ひたすら黒霊を口説いていた蒼矢が、この口説きこそ今後の使役に大事なんです、とか良く分からないことを言いながら、サラリとそんな説明をしていた。

 霊獣と一騎打ち、という台詞には興奮したが、内容を聞けば、実戦というよりも霊力のぶつけ合い、霊力量の比べ合いのような一騎打ちらしい。

 それが霊力による力比べと知って、だいぶガッカリしていた。ひり付くような命のやり取りがしたいのに、単純な力比べなどには興味などない。


「そやで。蒼ちゃん、来ぃや! 出番やでぇ!」


 如月椿が奥の部屋に声を掛けた。すると、室内を漂う霊波が揺れて、空気が冷えた感覚がした。


「椿姫、おはようございます。おや? 綾女姫、だいぶ霊力が少なく――」

「――蒼ちゃん。綾女っちは今日から、霊獣使役の儀、霊獣調伏のフェイズに移行や。詳しい説明と、霊力場を整える準備、よろしゅう」

「あ、え、はい、かしこまりました――あれ、でも、椿姫。いまの綾女姫では、無理では? 昨日ほどの霊力の量ならいざ知らず、いまの綾女姫の霊力を視るに、黒霊姫を調伏するのは不可能では?」


 蒼矢が真顔で平然とそんなことをのたまった。思わずカチンと腹が立ったが、確かにいまの霊力量を視れば、事実としてそう思うだろう。

 特に、昨夜の説明を鵜呑みにすれば、この調伏とやらは実戦ではなく、霊力のぶつけ合い、霊力量の多寡を競うモノらしい。明確に、わたしが勝つ可能性など考えられない。

 けれど、勝てないのが確定しているのであれば、そもそも如月椿が提案するはずもない。何がしかの抜け道でもあるのだろう。

 わたしは如月椿に視線を向けて、どう返答するのか見守った。蒼矢の判断ではなく、如月椿の判断を聞いてみたかった。


「不可能やろな――それが、通常の霊獣調伏やったらね」

「あ、え? ま、まさか、ですけど、解放させた状態で、調伏の儀をやるつもり、ですか?」

「そやで。むしろ、綾女っちはその方がええんちゃう?」


 如月椿の台詞に、何やら驚愕しながら蒼矢が首を振っている。


「いやいやいや、流石に、綾女姫でも死んでしまうのでは? どれだけ強かろうとも、黒霊姫には手も足も出ないのでは?」

「出ぇへんやろな」

「――ですよね!? それなら、真っ当な霊獣使役の儀をした方が……」

「せやけど、綾女っちなら死ぬことはないと思うわ。んで、死なへんなら、ちぃとばかし、霊力を用いた実戦を経験して、死地を乗り越えた方がええんちゃうかな?」


 不敵な笑みを浮かべる如月椿に、蒼矢は困り顔になって押し黙っていた。

 どうやらこのやり取りを見る限り、蒼矢はわたしの身を案じてくれている様子だ。だがそれは、お節介でしかない。わたしは別に、可能性があるのであれば、死の淵に立つことを躊躇する性格ではない。


「良く分かりませんけれど――霊力を用いた実戦を経験できるのであれば、是非、お願いいたします。そのうえで、霊獣調伏が出来るのでしたら、それはわたしにとっては一石二鳥です」

「ほれ、見ぃや。これが綾女っちやで?」

「ぬ、ぐ……そこまで言うのでしたら、もはや蒼ちゃんは何も言いませんよ」

「――ま、そんで無理やったら、また【霊性開花の数珠】を装備して、真っ当な調伏をさせたらええ。せやさかい、とりあえず頼むわ」


 如月椿のまとめに、蒼矢は溜息一つで頷いた。納得はしていないが、文句は呑み込んだらしい。


「承知いたしました――それでは早速、黒霊姫をお呼びいたしますね?」


 蒼矢が試すような視線で、わたしに首を傾げてみせた。

 わたしはいつでも準備が出来ている。力強く頷いて、ニヤリと口元を緩めた。

 不可能と言われて、燃えない剣士はいないだろう。それでなくとも、ここまでの修行は思っていたよりも緩く、厳しくない内容で達成感がなかった。

 修行というのは元来、苦しくて困難なモノほど張り合いがある。


「そないお伺い立てんでも、ええよ。はよ、呼んで来ぃや。あ、でも、そやなぁ。綾女っちの化物具合を考えると、万が一もあり得るし……念の為、場所を整えとかんとあかんかな? 蒼ちゃん。調伏の儀を行うんは武道場やなくて、神木のとこで陣を敷くようにして欲しいわ」

「――あ、かしこまりました。それじゃ、俺、黒霊姫と一緒に向かいますね。裏手の神木っスよね? 守護霊陣を敷くのに、朱火っちには声掛け、しときます?」

「大丈夫や。ウチがチャチャッとやっとくわ。ちゅうわけで、綾女っちは本殿の裏手に来てや」


 如月椿は背伸びして、足音をさせずに部屋から出て行った。

 わたしもひとまず用意された朝食を食べ終えてから、言われた通りに本殿の裏手に向かった。

 裏手には砂利が敷き詰められた広場があり、その中央には、四階に相当するほど背の高い巨木があった。巨木には太いしめ縄が巻かれており、神々しい霊波が放たれている。


「あら? 冬帝さんもいらっしゃるのですね」


 中央にある巨木を囲んで、冬帝、朱火、白虎丸が、それぞれ数メートルの距離を取って控えていた。肝心の蒼矢と黒霊はまだいなかった。


「……惟神(カンナガラ)護り(タマ)え、(サキワ)え給え、其処(ソコ)現世(ウツヨ)高天原(タカマガハラ)(アラワ)せ給え……」


 巨木の前では、如月椿が胡坐で座して真剣な顔で何やら唱えていた。

 聞き慣れないフレーズの長文だが、祝詞には詳しくないので、これが正しいのか正しくないのかは分からない。とにかく、祝詞らしきそれを繰り返し唱えることで、段々と周辺の空気が清くなり、霊力が充実し始めていた。


「……あ、おはよう。えと、鳳仙綾女、さん、だっけ? あれ、蒼矢さん、あたし、ここで何する、んだっけ? 闘う、とか、良く分からんこと言われた気がしたけど……あたし、格闘技とか、知らんけど? そもそも、運動音痴だし……」

「ああ、大丈夫ですよ、黒霊姫、ご心配なく――先ほども説明した通り、此方の守護霊陣の中で自我を手放せば、必然、綾女姫を襲う……いや、綾女姫を圧倒出来るはずですよ?」

「その、自我を手放す、ってのが、いまいちよく分からへんけど……」


 蒼矢の悪気のない発言に、わたしは青筋を立てた。

 圧倒出来る、か――事実なのだろうが、随分と舐められているようである。


「――(カシコ)(カシコ)みも(マヲ)す。守護霊陣『降魔(ゴウマ)成道(ジョウドウ)調伏陣式(チョウブクジンシキ)』」


 如月椿が祝詞らしき詠唱を終えた。瞬間、巨木を中心にして、半径10メートル範囲内の砂利が一粒一粒、眩い白光を放ち始める。


「……わぁ、幻想的……」

「へぇ? これは――凄まじい霊力ですね。まるで霊力の海のよう……これがその、守護霊陣、とやらなのでしょうか?」


 白光はしばらくして収まり、砂利が敷き詰められていた地面は一面、薄い霊力で包まれていた。

 地面に目を凝らすと、薄い霊力の表面には虹色の梵字が浮かんでおり、何やら儀式めいた空気が漂っていた。

 如月椿は梵字が浮かび上がった中央で、わたしに振り返る。


「ほな、綾女っち。今日は、ここで修行やで――この守護霊陣『降魔成道調伏陣式』の内側で、怨霊化した霊獣『黒霊』を打倒することやで」


 ジャジャジャジャーン、とオーバーリアクションで騒いだと思ったら、如月椿は凄まじい速度でその場から飛び退いた。

 音もなくわたしの真横に着地して、不敵な笑みで背中を押してきた。


「あ、そや、綾女っち。いちお、言うとくと、この守護霊陣内じゃ、魔力は使えへんよ? 純粋な身体能力と霊力だけで、何とかするしかあれへんで」

「なるほど、承知いたしました――いくつか質問です。わたしはいつでも準備万端ですけれど、黒霊さんは、あんな調子で、満足に闘えるのでしょうか? それと、黒霊さんに、死ぬ、という概念はもうないとは思いますけれど、打倒する、とは具体的にどうすれば宜しいのでしょうか?」


 わたしは躊躇なく守護霊陣に足を踏み入れた。途端、身体がズシリと重くなった。わたしの微かな霊力では、この霊力場の影響を軽減し切れないようだ。

 スゥ、と深呼吸して集中の世界に入った。天仙之位を発動して、なけなしの霊力を絞り出す。

 全身に霊力を満遍なく循環させて、肉体を限界まで強化してみるが、状況はさほど変わらなかった。そもそもの霊力量が少ないのが原因のようで、霊力コントロール程度ではどうしようもないらしい。

 思わず、クスリと笑みがこぼれた。ちょうどいい逆境である。

 普段の三分の一程度に落ちた身体能力で、魔力というチート能力を使用せず、培った剣技だけでどこまで闘えるのか――


「具体的、ねぇ? 殺す気で行けばええよ。出来へんやろけどね」

「――出来る、出来ないは、挑戦してみないと、分からないでしょう?」

「おぉ、強気やねぇ。その調子で気張って欲しいで――ほな、蒼ちゃん、頼むで?」


 如月椿はニヤニヤと馬鹿にした風に笑いながら、戸惑った様子の黒霊を指差した。すると、黒霊の背中をドンと思い切り押していた。

 きゃ、と可愛らしい声を上げて、黒霊はよろけながら守護霊陣に足を踏み入れた――刹那、その身体の内側から、爆発を思わせるほどの勢いで霊力が噴き出した。


『がぁああっ――ッ!! 恨めしいッ!! 憎い!! 苦しいッ!!!』


 それはただの絶叫ではなく、霊力による音響攻撃を思わせた。相対するわたしの全身に、爆風じみた霊波が叩きつけられる。


「綾女っち、気ぃつけや? 使役されてへん霊獣が、降魔成道調伏陣式に踏み入れた場合、死に際の怨念に支配されて、野生の怨霊と化すんや。芽生えとった自我も失ぉて、本来持っとった怨霊の特性を取り戻す――せやから、守護霊陣内の生物を呪い殺すまで終わらへんで?」


 如月椿の解説を聞きながら、黒霊の全身から伸びてきた刃状の霊力を躱す。それは触手にも似た形状をしており、鞭を思わせる軌道で、わたしを狙っていた。

 すかさず仕込刀を抜刀して、襲い掛かってきた鞭を斬り付ける。

 仕込刀に霊力を篭めていないからか、バチン、と電気に弾かれたような衝撃があり、勢いよく吹っ飛ばされた。


『どうして、あたしが!! どうして!? 何で!? こんなに苦しいの!!』

「――上等ッ!!」


 恨み節を絶叫しながら、宙に浮いている黒霊は、吹っ飛んだわたしに向かってきた。

 問答無用に始まった戦闘に、わたしは嬉々として笑顔を浮かべる。全身に気を充実させて、黒霊を一太刀で殺すつもりの戦闘モードに気持ちも切り替えた。


『苦しい!! 許さないっ!!! みんな、死ねばいい!!!』


 黒霊はまるで竜巻のようだった。

 撒き散らす呪詛の如き叫びは、ビリビリと空気を震わせている。またその身体は黒い霊力の渦が纏わり付いており、噴出する霊力は吹き荒れる暴風と化していた。同時に、刃状をした霊力鞭が縦横無尽にわたしへと襲い掛かってくる。


「チッ、鬱陶しい…………鞭は疾いですけれど、避けるだけなら難しくはありません……」


 わたしはとりあえず、霊力の鞭から逃げ回りつつ状況を整理した。

 鞭の威力は凄まじく、風圧だけで皮膚が切れるレベルである。紙一重で躱すと、それだけでも微弱なダメージが蓄積されてしまう。篭められている霊力が段違いのようで、これを弾くにはわたしの霊力では難しいだろう。

 ここまで強力だと、迂闊に直撃したら、霊体が半分以上削られるに違いない。そうなれば、もはや身体が動かなくなって、続く霊撃で死亡が確定する。

 現状では――避ける、以外に有効な選択肢はないだろう。

 とはいえ、鞭の軌道は分かり易く、焦りさえなければ見切るのは容易である。逃げの一手だけならば、永遠に避け続けることが出来るだろう。

 さて問題は、どうやって接近して、黒霊を倒すか、である。


「……やはり、わたしの霊力程度では……弾かれてしまうのですね……」


 逃げ回りながらも、何度か高速の鞭に仕込刀をぶつけたが、その全てが力負けで終わっていた。

 斬れる感覚はなく、ただただ弾かれる。この手応えだと、斬鉄を使用しても無駄だろう。根本的に仕込刀に篭めた霊力量が足りていない。かといって、切断できるほどに霊力を篭めると、全身を巡る霊力が不足して一気に動きが遅くなる。

 必然、致命的な一撃を受けるリスクが高くなる。攻略法が見出せていないいま、それは悪手だろう。


「物理的な斬撃では……効果は、なし……と」


 何度か遠隔から雨燕による飛ぶ斬撃を繰り出すが、黒霊には傷一つ付かず、まったく意味を成さなかった。手応えもない。

 肉体があるように視えるだけで、霊体である黒霊には、あらゆる物理攻撃が利かないと推測できた。

 

「綾女っち! 守護霊陣の中なら、霊獣は消滅せぇへんから、手加減なんかせぇへんで殺すつもりでええで? 気張って、斬り伏せて見しぃ」


 如月椿がそんな発破をかけてきた。半笑いで、やれるもんならやってみろ、と挑発的な口調である。わたしが、手加減などしていないのを理解したうえでの嫌味だった。

 不愉快極まりないが、いまは反論するだけの余力がなかった。


「……これでこそ、修行、ですね――【梵釈之位】」


 目を細めて、集中力を一段階引き上げた。

 忘我の境地に意識的に入ると、すかさず周囲の世界がスローモーションのように遅くなり、体感時間が緩やかに流れ始めた。

 素早く息を吐くと、身体の内側の霊体に意識を向けて、肉体と共鳴させる。なんとなく曖昧にコントロールしていた全身の霊力を掌握して、心技体の一致に合わせることで肉体性能を跳ね上げる。


「かき集めても、霊力量は黒霊さんの、十分の一以下、ですね」


 ふふふ、と苦笑しながら、霊力のぶつけ合い、殴り合いでは勝ち目はないと自覚した。しかし、それが分かっているのであれば、幾らでもやりようはある。


「さて――それでは早速、修行の成果――霊装技術を披露いたしましょう」


 霊装技術のコツは掴んでいる。霊力が少なかろうと、霊糸を紡ぎ出すことは出来るし、霊力を薄く伸ばせば全身に纏わせることも可能だ。

 瞬間、全身に霊衣を纏わせた。仕込刀にも霊糸を巻き付けて、その刃を霊剣化させた。

 格段に肉体は軽くなり、全ての動きが倍速に、黒霊の動きは止まって視えてきた。仕込刀はただ霊力を篭めた時とは違い、何もかもが斬り裂ける確信を持てるほどに鋭くなった。


「……げに恐ろしき化物ぞえ。あれほどの、繊細で極細の霊糸を紡いで、しかも霊剣化まで――これで、霊装技術を覚えたばかりとは、末恐ろしいぞえ」


 わたし本来の霊力が、他者よりも少ないのは理解している。けれど、少ないからなんだというのか。

 殺し合いは、霊力量の多寡だけで勝敗が決まる訳ではない。力が強い者が常に有利であることに間違いはないが、力が弱い者が常に負ける道理もない。

 弱い力も使い方次第である。そして、弱い力でも戦局を覆す技術が、この霊装技術なのだ。


『死ねッ!! 苦しめっ!!! 壊れろぉ――ッ!!』


 黒霊の絶叫はどんどんと大きくなっていく。それに比例するように、襲い掛かる鞭の数も増えていき、吹き荒れる暴風も激しさを増してきた。


乙心一統(オツシンイットウ)流、蒼之太刀(アオノタチ)極意――偃月(エンゲツ)


 わたしは冷静に、緩やかに流れる時間の中で、迫りくる鞭を斬り払う。

 下段から上段まで斬り上げて、大きく弧を描きながら下段を薙ぎ払う剣技――半月の軌跡を中空に刻みつつ、上下左右で飛んできた鞭を斬った。


「――朱之太刀(アカノタチ)天地双撃(テンチソウゲキ)


 刀を振り下ろすと同時に振り上げて、それを素早く繰り返す。頭上から落下してきた鞭と、地面で跳ねて襲い掛かってきた鞭を斬り払う。


『来るなぁっ!! 来るなぁあああ!!』


 斬っても斬っても減らず、その勢いを緩めない鞭による霊撃だったが、それら全てをわたしは最小限の動きと剣技で捌いた。一撃捌くごとに、一歩前に出る。

 わたしはもはや、鞭の霊撃を完全に見切っていた。

 どんな角度から鞭が来ても、わたしに傷を負わすことは出来ない。どころか、激しさが増せば増すほど、黒霊との距離が近付いていく。


『どうして!? どうしてぇ!!! 死ね、死ね、死ねぇ、っ!!!』


 黒霊に近付けば近づくほど、爆発じみた強風が全身にぶつかってきた。風速30メートルを超えるだろう風の壁が、接近するわたしを吹き飛ばそうとしてくる。

 そんな強風を前に踏ん張り、一歩一歩確実に近寄った。

 仕込刀を振るえば振るうほど、わたしの霊装技術は練度が上がり、身体も動き易くなっていく。剣技のキレもいや増して、どんどん洗練されていく。

 実戦を経て、逆境を前にして、わたし自身が成長しているのを感じた。


「綾女姫を、みんなが、化物、って言ってる理由がマジ解りましたよ……信じ難い光景ですね」

「今更かえ? じゃが、それにしても、ここまでの展開は予想だにしておらんかったぞえ」

「……ど、どうやったら、あんなこと……あんな動き、出来るのでしょう、か……」


 守護霊陣の外から、そんな囁き声が聞こえてくる。観戦している蒼矢、冬帝、朱火の感想だが、それは素直な称賛ではない。

 どいつもこいつも、わたしを侮っていたが故に出た台詞である。ここまで健闘しているのが信じ難いという驚きなのだ――不愉快極まる。


「ホンマ、驚きやで。何よりも驚きなんは、前に見たド派手な技やなくて、身体に負担を掛けない繊細な剣技やっちゅうとこや。アレ、達人の技やで――せやけど、決め手に欠けとる」


 わたしの剣技を見て、如月椿だけが正しい理解をしていた。

 黒霊との闘いは現状、一見するとわたしが優位に見える状況である。黒霊の攻めは全て防げており、互いに無傷のまま、徐々に二人の距離も縮まっている。このまま推移すれば、わたしの仕込刀が黒霊に届くだろう展開に思える。

 しかし実際は、彼我の霊力差が如何ともし難かった。


(――ここまで近付いて、ようやく解りましたが……予想以上に、霊圧が高い……アレを貫くには、霊剣化の密度を上げないと……かなりの溜めが、必要ですね……)


 霊力の鞭は軽く斬り裂けているが、霊感で捉えている感触だと、黒霊を覆う竜巻を斬るのはそう簡単ではないことが分かった。

 あの竜巻は見た目とは裏腹に、ひたすら分厚い霊圧の壁をしており、圧倒的な霊力量を誇っていた。霊装技術ではないようだが、要塞と言えるほどに強力な霊力の盾である。

 いまのわたしの霊装技術では、恐らくは貫けない。だからこそ、攻めきれない。如月椿の指摘通り、決定打に欠けている。


(……黒霊さんを一太刀で倒せなければ、反撃を受けて敗北、でしょうね……まさか、霊力が足りないとは……ちょっと悔しいです……)


 黒霊が纏う霊力の竜巻は、中心から2メートルほど離れていた。それはすなわち、渾身の一撃で竜巻を切り裂いたとしても、本体の黒霊に刃を届かせる為には、更に一歩踏み込む必要がある。

 けれど、その最後の一歩が遠く感じる。

 竜巻を切り裂く一撃を溜めるには、霊剣化した仕込刀にもっと霊力を集中しなければならず、それを戦闘中にこなすには、流石にまだ慣れが足りず困難だった。それに、竜巻だけではなく、その後に控える本命、黒霊本体を切り裂くことが出来なければ意味がない。

 そこまでの霊力を溜めるのは、かなり厳しいだろう。

 それゆえに、わたしは決定的な隙を狙い撃ちするため、早々に持久戦を選択していた。

 いくら黒霊が強力な悪霊とはいえ、これほど大量の霊力を常に撒き散らしていれば、いずれ霊力か体力が尽きるだろう。その瞬間こそが、最大の好機である。


「蒼之太刀、柳風(リュウフウ)――」


 黒霊と相対して、目算3メートルほどの距離で、ピタリとその足を止めた。

 わたしが立ち止まったことで、全方位から一斉に鞭の乱撃が襲い掛かってきた。

 右回りに半身傾げてから、勢いを付けて左回りに回転しつつ横薙ぎした。飛来する鞭の乱撃を、全て最小限の捌きと剣舞で弾き返していく。


『ああぁああ!!! どうしてっ!? どうしてぇ!! 苦しい、のにっ!!! なんで!! なんで、死なないのぉ!!?』


 爆音じみた絶叫と、ダンプカーの突撃じみた空気の衝撃がぶつかってくる。それらを受け流しながら、正面で立ち止まった。


(幸いにも、当たれば脅威でも、軌道は単調で捌き易い……力勝負では負けても、受け流すだけなら外道之太刀は不要ですよ……)


 外道之太刀は、どれもが肉体の限界を超えた技である。使えば使うほど、肉体には過度の負担、疲労を蓄積させる。持久戦には向かない剣技だ。

 だからこそ、わたしはいま、表の剣術である『蒼之太刀』『朱之太刀』を使用していた。


「――あやや、もうこない時間やん。ウチ、そろそろ学校行かなあかん。冬帝っち、朱火っち、蒼ちゃん、あと宜しくや。こん感じやったら、今日は調伏出来へんわ」


 わたしが黒霊の隙を窺っている様子を見て、如月椿が軽い口調でそう断じていた。

 確信めいた口調、予言めいたその台詞に、一瞬だけ心乱されそうになる。ブラフでも挑発でも、わたしを不愉快にさせる術には長けているようだ。


「――侮る、なよ」


 苦笑と共に苛立ちを呑み込み、冷静に、現状を維持する。

 身体のキレは悪くない。

 剣技の冴えも調子が良い。

 いまは梵釈之位をも解除して、朱之太刀極意【龍神之位(リュウジンノクライ)】で筋力性能を向上させているだけなので、肉体負担もほとんどない。

 霊装技術に乱れもなく、体力も充分。このままだったら丸一日切り結んでも平気だろう。

 ただ一つ注意すべきは、この単調な繰り返しに飽きて、行動が乱れないようにすることだ。集中をし続けるのは、想像以上に苦痛である。単調な同一動作を繰り返すことで、スリップと呼ばれるエラーを起こす危険性がある。

 そんな懸念をしつつ、わたしは虎視眈々と霊力を溜めていく。


『助けてよぉ!! あたしを、助けて!! どうして、こんな苦し――――ァアアアアア!!!』


 ふと黒霊の絶叫が変化した。今までは、助けを求める叫び、苦しみを訴える悲鳴、世界に対する呪詛だったが、唐突に、ただ意味を成さない雄叫びに変わった。

 何が起きるのか、と首を傾げたとき、観戦している冬帝が呟いた。


「もう大怨霊化するのかえ? 思うたよりずっと早いかえ」


 何か行動が変化するのか、とわたしは警戒した。

 黒霊の動きを見逃さず、ほんの一歩だけ後ろに引いて身構える。

 次の瞬間――わたしの認識が甘かったことを痛感した。

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