第三夜/前編
何かに起こされた訳でもなく、スッと自然に目を覚ました。
爽快な目覚め――ではなかったが、覚醒直後から気力体力が充実しているような感覚がある。周囲の音も静かに澄んでおり、寝起きなのに思考もクリアで、五感は研ぎ澄まされていた。
わたしは別段、低血圧ではないし、目覚めも良い方だが、ここまで綺麗に目覚めたのは、ここ最近で記憶していなかったほどだ。
もしやこれは、ここの食事や霊薬の効果なのだろうか――と、疑問には感じたが、とりあえず起き上がった。
ちなみに何の音も感じないが、視界の隅にハッキリと堺芽衣子は浮かんでおり、口元の動きからずっと呪詛を吐いている様子が伺えた。
昨夜、寝る前に霊感強度の調律を覚えて、霊獣――特に、堺芽衣子の声だけは、意識的に遮断することに成功していた。だから、垂れ流されているであろう恨み節は、わたしにはもう届かない。
堺芽衣子の姿を一瞥だけして、日課の鍛錬を始めた。朝の鍛錬を怠ると、途端に体が鈍るからだ。
武道場の外の景色を見ても、いまが何時頃かは分からない。だが、寝起きの調子からすると、朝五時前後と推測出来る。
目覚めてすぐだが少しの眠気もなく、身体に疲労も残っていない。ちょっと身体を動かした感触だと、昨日よりも確実に調子が良い。
武道場の中で、わたしはまず準備運動をして、型稽古から鍛錬を始めた。
しばらくすると、ふいに、どこからともなく冬帝が現れる。
「……おはようかえ。儂の起こす前から、身体を動かしておるとは感心出来ぬぞえ」
「おはようございます、冬帝さん。あら? 運動を制限された覚えはありませんけれど?」
「ほぉ? もう霊体の傷も塞がっておるのかえ? しかも、聞いておったよりずっと霊力も安定しておるぞえ――本当に、恐ろしいかえ」
一方的に何やら様子を分析されて、冬帝はふらりとまたどこかに消えた。
天仙之位を使っての霊感でも、辺りにはもう居なくなっていた。勝手なことを言って消えるのは、幽霊にとってはデフォルトの対応なのだろうか。失礼なことである。
「……挨拶だけですか……鍛錬に付き合ってくれたら、とても感謝しますのに……と言うか、何らかの修行方法をご教示くださっても良いでしょうに――」
独り愚痴りながら、その後、朝食の用意ができた、と朱火が呼びに来るまで鍛錬を続けた。
わたしは呼ばれてそのまま、汗も流さずに本殿に向かった。今日はどうしてか、朝食の場に如月椿が居なかった。
朝食が用意された部屋では、蒼矢と朱火が向かい合って座っているのみで、何故かよく分からないが独特な空気が流れていた。
とりあえず無視して、目の前に用意された食事に手を合わせた。
今日の食事も和食風で、一汁一菜である。不思議な色合いの霊薬がふんだんに使用されていたが、特に説明もなかった。味は悪くないので、気にせず食べ進める。
「――ごちそうさま。朱火さん、蒼矢さん。今日の修行のスケジュールはいかがでしょうか?」
黙々と食事を終えた後、依然として向かい合って座っている蒼矢と朱火に訊ねる。今日もまた、昨日同様に滝行をするのだろうか。
周囲を見渡すが、冬帝の姿が視えない。
知覚範囲を広げて本殿内をくまなく探るが、ここの二人以外には誰の気配もなかった。如月椿の気配も当然ない。
こんな朝早くから出掛けたか、それとも朝早いと思っているだけで、もう昼時なのだろうか。
「……あたし、今日は、待機って……冬帝様に言付かって、ますです……」
「綾女姫。本日はどうやら、お独りで滝行をする流れのようですよ? 昨日の進捗から判断すると、想定よりもずっと順調のようですね」
「順調? 本当にそうでしょうか? 昨日のスケジュールでは、こちらに戻って来てから、蒼矢さんに霊獣の使役方法をご教示いただく予定だったかと思うのですけれど? 結局、わたしはそのスケジュール通りに出来ませんでしたが、何を順調だと?」
思わずわたしは八つ当たり気味に辛辣な口調で責めた。しかし、蒼矢は意に介さず薄笑いを浮かべたまま首を横に振った。
「――順調なのは、綾女姫が滝行をこなしたから、ですよ。正直、まさかたった一日で破邪の滝まで到達できるとは、誰も思っていなかったんです。昨日の本当のスケジュールでは、破邪の滝を見つけ出せたら御の字みたいなノリで――辿り付けずに、迷って戻って来たら、霊獣使役術って考えてたんです。それがどうです? 実際は、破邪の滝まで辿り着き、滝行をこなした。これは予定前倒しです」
「だから、順調だと? とてもそうは思えませんけれど……昨日の滝行でも、それほどの手応えが得られた訳ではありませんし、修行と思えるほどの何かをやったわけでもありません」
わたしに才能がない、という点は棚上げして、実際、昨日の修行に満足のいく成果を感じなかった。滝行をしたことで、何か身体的な変化があるかと期待したが、そういったこともなかった。
確かに、霊感を修得したのは大きいかも知れない。
霊力のコントロールも、ほんの少しだけ出来るようにはなった。
だがそれらは変化ではなく、コツを掴んだだけでしかない。魔力回路が目覚めた時のように、劇的な感覚の覚醒がなかったとしても、もっと大きな変化を実感したかったのが正直なところである。
とはいえ、身体の調子は良くなっているので、無意味ではなかったとは思うが――
「綾女姫は、貪欲な方ですよねぇ。そこまで言うのであれば、仕方ない。先にご褒美をお伝えしましょう――滝行を終わらせて、夕方五時までに戻ってくることが叶えば、冬帝様が直接、次の修行を、ご指導なさるそうですよ? 綾女姫の凄まじい才能と霊力量を鑑みて、霊獣使役より先に、霊体強化を優先する方針になったそうです」
「――なるほど。確かに、それはご褒美ですね。そうとなれば俄然、やる気が出てきました」
蒼矢の台詞に、傍らの朱火が、それ言っちゃ駄目なヤツじゃ、と呟いていた。そうと決まれば、サッサと滝行を終えてくるか。
わたしは立ち上がり、長居は無用と本殿を出て行く。誰も追ってこない。
途中、階段を降りていると白虎丸がワンワンと騒いでいたが、一瞥して黙らせた。
(――天仙之位)
樹海を前にして、わたしは精神を研ぎ澄ました。霊感強度を高めなければ、まだまだ破邪の滝まで自力で辿り着ける気がしない。
天仙之位を発動した途端、世界はガラリと色を変えて、昨日悟った俯瞰景色が広がった。
視えていなかった微弱な霊波、あちこちから噴出する霊力を把握する。そんな中から、霊波が薄くなっている方向に足を踏み出した。
そうしてしばし歩いていると、昨日は気付かなかったが、かなり遠くの方角から、光り輝く強力な霊波が視えてきた。如月椿ほどではないが、この強力な光は、破邪の滝で間違いない。
目印が視えているならば、もはや迷いようがなかった。わたしは一直線に歩き続ける。
ほどなくして、目の前には白く輝く破邪の滝が現れた。体感でおよそ一時間だが、実際の経過時間はわからない。
さて、と深呼吸してから、わたしは昨日同様に腕だけ滝に突っ込んだ。
本来ならば、滝行と言うくらいだから全身に浴びる必要があると思うが、昨日の衝撃を考えると、いきなり全身で浴びたら死ぬ可能性があるだろう。
「――あら? 昨日よりも痺れがない? いえ……耐えられるように、なった?」
躊躇なく破邪の滝に腕を突っ込むが、あまり身体への負担を感じなかった。
昨日と変わらず全身を襲う電流はある。血液が沸騰しているような激痛も走っている。けれど、それらがまるで他人事のように、感覚の外側で訴えていた。
どこか幻肢痛にも似ていて、だからか、意識しなければ気にならない程度で済んでいた。
たった一日で身体が慣れたのか、と感じて、わたしは迷わず一歩踏み出した。本来の滝行であろう頭の上からつま先まで、全身に破邪の滝を浴びる。
「――――ッ!? グアァァッ!?」
途端、恥ずかしながらも苦痛で絶叫を上げてしまった。
咄嗟に身体が拒否反応を起こして、瞬間的に飛び退いていた。一瞬でも堪えることが出来ず、弾かれたように地面に転がっていた。
脳天から釘を刺された感覚だ。同時に、下腹部を乱打されつつ、肋骨が内側から破裂したような、激痛が爆発して身体の中から突き抜けていた。
それらは、痛覚を遮断していても無関係に響いていた。
「ぐぅ、はぁ、ッ……ッ!?」
地面に這いつくばりながら、血反吐を撒き散らす。
内臓が全てひっくり返ったように痙攣していた。骨は軋み、血流が凄まじい速さで全身を巡る。血管もところどころが破れていて、眼球からも血の涙を流していた。
「――いきなり破邪の滝の霊力を、無防備に全身で浴びたならば、霊圧などあってないようなモノぞえ。一撃で霊体が破壊されるに決まっておるかえ」
不意に、頭上からそんな言葉が投げ掛けられた。
見上げれば、呆れた表情をした冬帝が浮かんでいる。いつの間に現れたのか、気配を感じなかった。
「…………これ、は……この、痛みは……ぐっ……」
「しかし、ほとほと綾女は化物かえ――霊体を半分以上削られて、まだ意識を保っておるのが、異常に過ぎるぞえ。いかに才ある者でも、霊体の三分の一が失われれば気絶するかえ?」
「……霊体、を……半分、削られ……?」
どういう意味ですか、と続けようとして、胃からせり上がってきた大量の血を地面に吐いた。
全身が言うことを利かず、ずっと痙攣が続いており、意志に反して立ち上がることさえ出来なくなっていた。あまりにも不甲斐ないうえに無様である。
「ふむ――朱火が説明しておらぬかえ? 破邪の滝とはそもそも、この幽世に流れ込んでくる外界の雑多な霊力、霊波を、高純度に濾して圧縮させたモノぞえ。破邪の滝が幽世の地面に、それら濾した霊力を流すことで、空間の霊波をも安定させておるかえ」
「…………つまり、これは、強烈な霊力による攻撃、なのでしょうか?」
「左様ぞえ。察しが良いと話し易くて良いかえ――ちなみに綾女は、椿とはまた違った才を持っておるぞえ。椿は、霊能力者としては極めて非凡じゃったぞえ。あらゆる技術をあっという間に修得して、希代の天才という称号を欲しいままにしたかえ? しかしそれでも、綾女ほどの適応力は持ち合わせておらんかったぞえ。今の綾女のように、一度味わっただけで、これほど速く耐霊性を高めて、霊撃における防御力を手に入れるなぞ、儂は目の当たりにしていてさえ、信じ難い思いかえ」
冬帝は感心した風に言って、倒れ伏しているわたしの脇に立った。肩を貸してくれるわけでもなく、ただ見下ろしている。
「――ここまでの適応力、耐霊性がある前提ならば、綾女の闘い方も納得かえ。椿との模擬戦で、綾女の受け身がちという弱点が指摘されておったが、訂正するぞえ。確かに、あらゆる攻撃、霊撃において、即死せず、すぐさま適応出来る耐霊性、耐久性があるならば、あの闘い方は弱点ではないかえ。むしろ、恐ろしく効率的なカウンター戦略と思うぞえ」
「……それは……褒めて、くださっている、ということでしょうか?」
「ふむ、綾女が化物であることは疑う余地がない、ということぞえ――とはいえ、ここまでやって自前の霊能力が開花せぬということは、霊能力の才だけは凡庸ということかえ」
「――っ、勝手な、ことを……っ、いいますね……」
褒められて落とされた。しかも、それが事実だと理解しているが故に、納得するしかない。
けれど、理解していることを改めて指摘されると、無性に腹立たしい。そんなこと冬帝に言われずとも重々承知している。
ここまで無茶をしても、わたしの中で何かが目覚める感覚はなかった。
「くっ……そ……」
いまも途切れそうな意識を必死に繋ぎ止めながら、体内を駆け巡る霊力をコントロールしようと努力している。だが、霊力の流れを意識してもコントロールは利かず、ましてや霊圧も整えられる気がしない。
いまは呼吸を整えるのが精一杯で、漏出し続ける霊力を身体に留めることはおろか、どうすれば霊圧の膜を整えられるのか見当も付かない状態だった。霊体が何か微塵も掴めていなかった。
「……これ、本当……に、霊体を、把握する……修行……ですか?」
「安心するぞえ。霊体を認識、把握するのに、これ以上の適法はないかえ。じゃが、霊体の感覚がない人間が、霊体を自覚するのは難しいかえ――じゃからコツを一つ、伝授するぞえ」
冬帝は腰をかがめて、わたしの額をデコピンで弾く。瞬間、ドクンと大きく心臓が跳ねた。衝撃が突き抜けて、視界がブレる。
「――な――に?」
全身の感覚がズレたような、意識だけが宙を浮いているような――否、実際に、視界がわたしの身体を見下ろす位置にあり、フワフワした夢心地になっていた。
精神だけが乖離した状態になっており、肉体全ての感覚、痛覚があるのに、それがまるで夢での経験のようだった。
倒れ伏して苦しんでいるわたしの姿が他人のように視えている。
これは、まるで幽体離脱――そう感じた時、視界が明滅して、頭が大きく揺らされたような衝撃が走る。車酔いの症状に似た気持ち悪さがこみあげてきて、ふたたび意識が身体に引き寄せられた。
「――どうかえ? いまのが、霊体だけになった状態ぞえ。いわゆる幽体離脱、という奴かえ。これで、感覚は掴めたのじゃなかろうかえ?」
「……嗚呼……なるほど……ね……いまの感覚……これが、霊体……」
わたしは息も絶え絶えに、会心の笑みを浮かべた。確かに、いまの感覚はコツだろう。
「…………この激痛、にも……慣れて、きましたし……」
血反吐と血の涙を流しながらも、口元は愉し気に歪んでいた。
遮断出来ないこの激痛も、幽体離脱の感覚を得たいま、どこからせり上がっている痛覚かがハッキリと理解できた。これが霊体の破損なのだろう。
「――梵釈之位――」
静かに、深く、長く、呼吸をしながら明鏡止水の境地に至る。
集中を極限まで研ぎ澄まして、精神と肉体が、意識下で完全に掌握される。
わたしは先ほどの感覚を思い出しつつ、霊体だけを肉体から乖離させた。
途端に、身体と精神がズレたような感覚と、視界がブレるのを理解する。フワフワとした浮遊感に、激痛の悲鳴を上げ続ける肉体、ズキズキと鼓動するような精神的な痛みが混在して、繰り返し思考の中で蠢いている。
「…………まさに、化物、ぞえ。まさか、本当にあの一度だけの幽体離脱で、霊体を把握するとは、思わなかったかえ――」
「――誉め言葉として、受け取っておきますね」
霊体と肉体がズレた状態で、とりあえず言葉を発してみると、思いのほか簡単に喋ることが出来た。この要領で、わたしは霊体を肉体に戻さないまま、肉体を動かそうと試みる。
多少動きにくいが、零コンマ数秒の誤差だけで身体が起き上がった。
霊体の形を強く意識すると、冬帝の指摘通りに、大きく破損しているのを自覚出来る。
霊体を見詰めると、外見は紙粘土のようで、感覚としては水が入った風船のようだった。触れると割れてしまうような、衝撃に弱い素材に思える。
(――霊力が、不足しているのを……まとめて、固めるイメージでしょうか?)
紙粘土を思わせる霊体の形状は、腕と脚が千切れて崩れていた。
これを治さないと、この激痛は収まらないのだろう。ちなみに紙粘土の内側、風船のように破れそうな膜は、霊圧で間違いない。紙粘土の中を満たしている水と思えるのは、わたしの霊力であると直感的に把握する。
それらを正しく理解して意識しつつ、わたしは試しに、霊力を捻り出すべく集中した。すると、紙粘土の千切れた部分が、捻り出した霊力で包まれた。
わたしはその霊力を練るようにして、崩れた部分を整えてみた。
「――恐ろしいかえ」
驚愕な声音で冬帝が呟いていた。それは無視して、わたしはこの試みを続ける。
紙粘土の形を整えていけばいくほど、霊体が補完されていき、痛みが消えていく。霊力を絞り出す作業と、それを練り上げる作業は、かなりの精神力を消耗した。だがそれは、思考と肉体がただ疲労する程度だったのでさして問題にはならない。
「――こう、ですかね?」
しばらく集中の世界に没入した後、霊体の傷は完治した。
いや、これを完治と呼んでよいのかは分からないが、兎も角、肉体と同じ大きさにまで紙粘土は練り上げた。一応、身体のどこからも痛みを感じない程度には、霊体を整えることに成功していた。
「想像以上に、疲労が凄まじい、ですね……」
ズラしていた霊体を肉体に戻して、わたしは一息吐いた。瞬間、脚がガクガクと震え出したので、気合で抑える。
気付けば、梵釈之位が解除されていた。
無意識だったが、自動的に解除されるほどには疲弊していたようだ。梵釈之位を維持できないほど、肉体的にも消耗していたのだろう。
けれど、いまの身体の調子はすこぶる好調である。それこそ今朝の寝起きよりずっと調子が良さそうだった。
「へぇ――意識して視ると、霊体って少しだけ、肉体とズレて重なっているんですね?」
「――儂はいま、心底、綾女を怖いと思うておるぞえ。この恐怖は、巫道家の麒麟児に感じたモノと同じぞえ。末恐ろしい、という言葉では言い表せぬかえ」
「ん? 『巫道家の麒麟児』? それは、巫道サラさん、のことでしょうか?」
聞き逃せない単語が聞こえて、わたしは思わず殺気を放ちながら冬帝を睨んだ。
「ほぉ? 知っておるかえ? ふむ……ま、強者の世界では、有名じゃから当然かえ?」
「ええ、よく存じております。わたしの目標の一つ、でもありますし――ちなみに、巫道さんの才能とはどの程度のレベルなのでしょうか? また、どのような点が恐怖に感じたのでしょうか?」
目指すべき敵、倒すべき相手と同程度の評価というのは少しだけ悔しいが、負けている事実はどうしたって覆らない。
だからこそ、次に活かす為にも、打倒する為にも、少しでも情報があれば知っておきたい。
「巫道家の麒麟児は、天才などという言葉が陳腐に感じるほどの鬼才ぞえ。生まれながらに、神の領域に足を踏み入れたような霊能力者かえ――何よりも、巫道家の麒麟児を語るうえで、一番恐ろしいと思うのは、あの莫大な霊力量ぞえ。椿が十人居っても届かないほどの驚異的な霊力量は、そこらの禍津日神でさえ、一瞬で吹き飛ばすぞえ。しかもその霊力を、まるで己の手足の如く操る操霊術を持っておるし、誰に教わることもなく、霊装技術をも自然と身に着けておったぞえ」
「――へぇ?」
「そのうえ、天然の超人体質も持ち合わせておるかえ。筋肉量が常人の二倍以上の密度を持っておるし、骨格強度も尋常ではないぞえ。儂もだいぶ永くこの世に存在しておるが、いまだかつて、あれほど完成した天然の怪物には出逢ったことがないかえ」
絶賛する言葉を聞きながら、わたしは霊体と肉体の完全一致を試みた。
ほんの少しだけズレている霊体をコントロールして、肉体にピタリと調和させる――言うと単純だが、想像以上に難しい。
「……じゃが、綾女の化物具合も、たいがい驚異的かえ? 霊体を把握してすぐ、意識的に霊体と肉体を共鳴させようとしておるし……」
「――共鳴? 嗚呼、これを『共鳴』と呼ぶのですね?」
「左様ぞえ。霊装技術を修得するうえで、必須となる基礎技術でもあるかえ。霊能力者の中でも、一握りの達人しか身に着けることが出来ぬ技術ぞえ」
「へぇ? 本当ですか? まぁ、確かに、思うよりもずっと調整が難しいですが――」
どうしても完全一致が出来ない。ほんの微かに、肉体とズレてしまうのだ。けれど、一握りの達人しか身に着けることが出来ない、と言わしめるほど大層な技術ではないように感じた。
「――これで、どうです?」
実際、苦戦したが、それほど時間も掛からず、わたしは霊体と肉体を合致することに成功した。コツとしては、天仙之位で気を整えるのと同じ要領だった。
精神、気力、霊体、肉体を一致させると、自分でも驚くほど身体が調子が爆上がりする。
魔力で強化した時以上に、普段の数倍は全ての能力が向上したのを感じた。これが共鳴した状態なのだろう。
「見事かえ――もはや、儂や椿の想定を遥かに超えておるかえ。眉唾じゃったが、南天からの伝言こそ、正しかったということかえ」
冬帝の納得する呟きを聞き流して、わたしは試運転がてら、身体を動かしてみた。
全力を出している訳でもないのに、驚くほど思い通りに、信じ難いほど素早く軽やかな体捌きが出来た。力の伝達速度が速くなり、より伝達され易くなった感覚に近い。しかも、いまだかつてないほど力が漲ってもいた。
「――ねぇ、冬帝さん。霊体の把握まで到達した後は、どのような修行に移るのでしょうか? 霊装技術とやらを教えて頂けるのでしょうか?」
期待を篭めた流し目を向けると、冬帝は溜息を漏らしてから姿を消した。
気配まで掻き消して、この周囲から完全に居なくなった。現れた時と同様に唐突である。
「は!? ちょっと、話はまだ終わって――」
『――滝行は修了ぞえ。武道場まで戻ってき次第、次の修行に移るかえ』
空間に響き渡る一方的な宣言に、思わずわたしは、ニヤリとほくそ笑んだ。戻れば、次の段階に移るのだから、嬉しくならないはずはない。
改めて、わたしは集中の世界に没入する。
霊感強度はかなり高まっているので、もう道に迷うことはないだろう。だがそれでも、ここから武道場まではそれなりに距離があるし、目印とすべき霊波をどうするかが問題である。
「――さて。目指すは、冬帝さんですね。一刻も早く、後を追って、武道場まで戻りましょうか」
息を吸って、長くゆっくりと吐く。霊体と肉体を合致、共鳴させたままで、全身に充実する霊力をコントロールして、霊圧の膜を広げるように拡張した。
霊圧の触手を広げれば広げるだけ、霊感強度は向上して、知覚範囲も広がっていく。
霊感のコツはもう完璧に掴んでいる。あとは冬帝の霊波を捉えるだけだ。
「わたしを、試しているのでしょう?」
冬帝が捨て台詞を吐いて消えたことを考えれば、これは、武道場に自力で戻るまでが修行だということである。確かに、今朝までのわたしであれば難しかっただろう。けれど、いまのわたしには、それほど困難な試験ではなかった。
ほんの微かな細い霊波の糸が、真っ直ぐと樹海の中をうねっているのを知覚した。これが冬帝の残した霊波の残滓だと、直感的に理解出来た。
『恨めしい、恨めしい……どうして? どうして? こんなに、苦しいの? ど――』
堺芽衣子の声を大きくしたり、小さくしたりと、霊感強度の調律もしてみた。今朝よりもずっと楽に、しかも細かい調律が出来るようになっていた。
「――霊体を自覚したら、視える世界だけではなく、あらゆる面で新しい境地に至れました。けれど、この境地で、ようやく第一歩」
わたしは誰に言うでもなくそんな独り言を口にしながら、今度は、身体の性能がどこまで向上したか確かめるべく、両脚に力を篭める。
グッと前傾姿勢になってから、全力で歩法飛天を駆使して駆け出した。
一瞬で最大速度を叩き出す高速移動術【飛天】は、瞬間的な歩法であり、基本的に連続で使用し続けるような技ではない。ましてや長距離を走ることには不向きである。その特性上、インターバルなしに十回以上連続で使用すれば、心拍数が高くなりすぎるし、身体中の筋繊維が千切れるデメリットがある。
実際、修羅之位や天仙之位で限界を超越していてさえ、十五回を超える連続使用では、身体中がズタズタになった経験がある。ちなみに、修羅之位を使用せずに、生身での連続使用の限界数は十一回で、最大移動距離は一キロ弱だった。
共鳴した状態では、その記録がどこまで伸びるだろうか――実に愉しみである。
わたしは、爆発するような脚力で地面を蹴り上げて、弾丸を思わせる速度で直進する。木々の枝、幹を足場代わりに、方向転換しつつ、飛天で飛ぶように樹海を駆け抜けた。
「――ひゅ、は……はっ、はぁ……っ、ぁ、はぁ――」
ほんの一瞬も立ち止まらず、およそ一分強、途切れず飛天を利用し続けて、勢いを殺さずに全力疾走を繰り返した。
結果としては、合計十九回の連続使用、体感距離にして三キロ弱を走り切り、その場で襤褸切れのように倒れ伏した。
完全な酸欠になっており、顔面蒼白、筋肉も千切れる寸前で悲鳴を上げていた。
けれど、もはや樹海の出口は目と鼻の先だ。顔を上げれば、樹海の切れ間から登山道が視えていた。
身体に力を入れると同時に、修羅之位を発動させる。肉体の限界値が引き上がり、筋肉が一時的に強化された。痛みも希薄になり、酸欠だった脳内にも血流が巡り出す。
大きく息を吸って、勢いよく吐くと共に起き上がった。
「……霊体が、肉体とだいぶズレていますね……」
疲労のせいか、集中が乱れたせいか、飛天の連続使用前には共鳴していた霊体が、肉体とブレて揺らいでいた。
いまは一時的に修羅之位で興奮状態だが、それでも心を落ち着かせて、霊体と肉体の共鳴を試みた。途端に、身体の性能が更に一段階向上した。
「――何かが、信じ難い速度で迫ってきていると思うて警戒したら、正体は綾女かえ? いったい、何をしたのかえ? 道端に、バイクでも落ちておったのか、それとも、空でも飛んできたのかえ?」
「はっ、はぁ――あ、ら? わざわざ、お迎えに来てくださったのですか? ありがとうございます、冬帝さん。別にバイクなどありませんし、空も飛んでいませんよ? 健康的に、駆け足でここまで疾走して来ただけです」
「正真正銘の、化物ぞえ……それが事実なのは、認めざるを得ないのじゃが……破邪の滝からここまで、直線距離にしても二キロはあるぞえ? 霊装技術もなしに、霊獣に騎乗したでもなしに……どうすれば、これほどの距離を、二分掛からず走り抜けることができるのかえ?」
呆れを通り越したドン引き顔で、冬帝はわたしを見ていた。
だいぶ失礼な態度だが、甘んじて受け入れよう。それは畏怖という称賛である。しかし、そんな称賛とは関係なく、気になる言い回しがあった。
「冬帝さん。お伺いしたいのですけれど――霊装技術があれば、わたしのいまの高速移動は、さして不思議ではないのでしょうか? それに、霊獣に騎乗することも出来るのでしょうか?」
「……今更じゃが、儂らは、とんでもない化物に手を貸しておるのじゃなかろうかえ? 果たして、綾女に霊装技術を学ばせても良いものか、疑問かえ――ここまで行くと、椿でさえも、手に負えなくなるのじゃないかえ?」
「失礼な。わたしなどは、まだまだ力不足、発展途上でしかないですよ? いずれ最強の座は手に入れたいと願っておりますけれど――」
わたしの質問には答えず、冬帝は顔を顰めながら雲海に向かって飛んでいった。
仕方ない。こんなところで立ち話していても時間の無駄だろう。わたしも頷いて、登山道を進み始めた。霊感で周囲の気配を探ると、武道場には白虎丸が待機している様子だ。
まだ早い時間である。
ようやく二日目にして、修行らしい修行に移れる。愉しみでならない。
「……末恐ろしい、化物かえ。強くなる為になら、何もかもに貪欲――強さを求める修羅とは、まさに綾女を指す言葉ぞえ。これでは早々に、儂では荷が重くなるやもしれんかえ」
そんな冬帝の呟きは聞き流して、この後の修行に思いを馳せていた。




