第一夜/後編
龍ヶ崎十八の案内に従い、辿り着いたその部屋は、重厚な絨毯が敷かれて高価なインテリアが盛りだくさんの役員応接室だった。
座ると腰が沈み込む豪華絢爛なソファ、大理石の大型テーブル、ガラス張りの書棚と木製の衣装棚、名画と思しき高級そうな絵画、超大型のTVディスプレイが置かれた十二畳ほどの広さをした部屋だ。
龍ヶ崎十八はその部屋に入ると、衣装棚を開けて、ハンガーに掛けられていた男物の黒いロングコートを手に取ると、わたしに差し出してきた。
何の意図か、と龍ヶ崎十八の眼を見ると、彼はわたしの姿を直視できない様子で、照れながら視線をあさってのほうに逸らしている。
ああ、とわたしは得心して、自らの姿を見下ろした。
わたしは今、下着姿にシーツを巻いただけの露出狂じみた格好である。同年代の異性を前に、あまりにもはしたない格好で恥ずかしいことこの上ない。
――なるほど、龍ヶ崎十八は律儀な性格のようだ。
着替えを用意してくれ、と言う嫌味の台詞をちゃんと覚えていたらしい。
わたしは視線を上げて、無言でロングコートを差し出している龍ヶ崎十八をひとしきり眺めてから、何の遠慮もせず、当然のようにそれを受け取る。
そして、とりあえずで身体に巻いていたシーツを躊躇なく剥ぎ取って、受け取ったロングコートを羽織る。シーツを取った瞬間、龍ケ崎十八がいっそう赤面して、身体ごと向きを変えていた。
「……ピッタリ、ですね」
わたしは下着姿にロングコートという恰好で、改めて自らの姿を眺めた。
渡されたロングコートは、わたしの為に誂えたように肩幅も丈もちょうどで、前のボタンを閉じてしまえば膝まで隠れるものだった。一応、全身を隠せるうえに温かいので、この場はこれで充分だろう。
とはいえ、ロングコートの下は下着姿なので、先ほどと変わらぬ露出狂の気分である。
「着替え、になるようなものが、これしかなくて……申し訳ない」
ロングコートで妥協しているわたしに、龍ヶ崎十八が申し訳なさそうに頭を下げてくる。
どれだけ詫びられても服が出てくるわけではないので、わたしは無表情で冷めた視線を返して、無言のままソファに腰を下ろした。
いかにも高級なそのソファは、見た目を裏切らず、座り心地が素晴らしい。
「龍ヶ崎くん。このコート、ありがたく頂戴いたしますが、構いませんね?」
「……え? あ、それ? うん、返さなくていいよ」
「どうもありがとうございます」
わたしは感情の籠らない形だけの感謝を口にして、柔らかいソファの背もたれに身体を預けた。顔には出さないが、いまも身体の節々がズキズキ悲鳴を上げている。
「……オレのじゃねぇから、別にいいけどよぉ、十八。そのコート、ブランド物だろ? 一着、ン百万は下らねぇのに、いいのか?」
「別にいいよ――あ、鳳仙さん、値段は気にしないでいいからね」
「ええ、気にしませんよ。わたし、衣類の価値など気にしたことがありませんので」
「…………少しは気にしろよ、市松人形ちゃんよぉ」
わたしたちに遅れて役員応接室に入ってきた九鬼連理が、呆れた声でそんなことを口にする。そんな彼女に苦笑を浮かべながら、龍ヶ崎十八が対面のソファに座った。
九鬼連理は、わたしを逃がさないよう、入り口の扉のところで腕を組んで壁に寄り掛かる。この役員応接室に窓はなく、出入口は扉が一つだけ――これで逃げ道は塞がれた。
「えーと、仲間になってくれたからには、色々順番に説明しないといけないんだけど……まずは、俺らが、どうして鳳仙さんを助けたか、ってところから――」
「――その前に、わたしの質問に答えてくれませんか?」
「あ……うん、どうぞ」
龍ヶ崎十八は気を取り直した様子で、テーブルに両肘を立てて寄りかかり、両手で口元を隠すようなポーズを取った。威厳を出して話の主導権を握ろうとでもしているのだろう。
しかしそんなのはお構いなく、わたしは見下すような視線で、バッサリと話の腰を折る。
わたしの威圧に気勢を殺がれたようで、龍ヶ崎十八は口を閉じてから、畏まった様子で主導権を明け渡してくれる。
「龍ヶ崎くん、九鬼さん――貴方たちは【魔女の騎士】ですか?」
わたしが質問した直後、九鬼連理のみならず、龍ヶ崎十八もピシリと固まった。空気が張り詰めるのを感じる。
いきなり地雷を踏んだか――と、一瞬だけ危惧するが、すぐさま空気は弛緩する。
「――俺は違うけど、連理は【魔女の騎士】だよ……まさか、魔女の騎士って単語を知ってるとは思わなかったな……鳳仙さんは、やっぱり、理外の存在ってことか……」
「リガイの存在、というのが、何のことか存じませんが【魔女の騎士】が、魔女から不思議な力を与えられた存在、ということは存じております」
これは巫道サラに教えてもらった情報であるが、それ以上のことは詳しく知らない。
そんなわたしの発言に、龍ヶ崎十八は怪訝な表情を浮かべた。一方で、腕を組んで傍観していた九鬼連理が口を開いた。
「……不思議な力、って具体的にどんなんだよ? 知ってんのか?」
「――さあ? 知りませんよ。むしろそれを教えてくれるのではないのですか?」
「…………市松人形ちゃんよ、テメェはその程度の知識しかないのに、【魔女の騎士】のことを、どこで知った?」
「――とある【魔女の騎士】を自称する方と闘ったとき、その方から教えていただきました」
わたしはしばし逡巡してから、『巫道サラ』の名前を素直に話すことは避けた。今の九鬼連理の反応を見るに、迂闊なことは口走らない方が良いだろう。
巫道サラが彼女たちの知り合いという可能性もあるし、敵同士である可能性もある。話さなくても良いことを話して、予期せぬ警戒を生み、情報を引き出せなくなるのは避けたい。
「魔女の騎士と闘って、いま生きてる、ってのが驚きなんだが……まぁ、天然だった五十嵐葵を殺せたなら、それもあり得るか……」
わたしの答えに、九鬼連理が神妙な顔で何やら納得していた。
「えと、鳳仙さん? 魔女がどんな存在なのか、まったく知らない、のかな?」
「どんな? 魔女とは、【魔法具】と呼ばれる神の奇跡を起こせる武器と、特殊な異能を持っていて、魔法なるものを操る超常の存在で、魔女独り居れば、自衛隊一個師団を壊滅できて『人型リーサルウエポン』とも形容される――存在ではないのですか?」
「……概ね間違ってないけど……随分と、捻くれた表現で……しかも、重要な部分が……」
「いやいやいや、十八よ。『人型リーサルウエポン』って、その表現がおかしいだろ!? 市松人形ちゃんの誤った認識を改めさせろよっ!!」
わたしの発言に対して、龍ヶ崎十八は困った表情になり、九鬼連理は勢い込んで口を挟んできた。
二人のその反応から察するに、どうやらわたしが巫道サラから教わった知識は、だいぶ間違っているようだ。
わたしは静かに、巫道サラに対して怒りを募らせた。いつかこの件も含めて、復讐してやろうと心に誓う。
「…………魔女について、説明頂けますでしょうか?」
「ああ、ええと……うん」
わたしは恥かしげに顔を伏せながら、遠慮がちに懇願する。すると、龍ヶ崎十八がポリポリとこめかみを掻きながら、ごほん、と咳払いをして説明を始める。
「まずは、魔女の定義から、かな? 魔女は、世界の理を外れて生きるモノたち――理外の存在のうち、【魔法具】を顕現させることに成功したモノを指すんだ」
龍ヶ崎十八はそう言って、九鬼連理に意味深な視線を向けた。九鬼連理はそのアイコンタクトを受けて、やれやれ、とため息を漏らしながら、ビー玉みたいな球体を放り投げてくる。
それをパシッと受け取って、龍ヶ崎十八はわたしに見せ付けるように掲げた。
「これが、五十嵐葵の【魔法具】――【言霊の宝珠】だよ。あらゆる対象に、命令を強制させる奇跡の武器さ。コレがあるから彼女は【言霊の魔女】と呼ばれていたんだ」
キラリ、と光を反射する翡翠のビー玉に対して、龍ヶ崎十八は到底信じ難い台詞を吐いた。わたしはそれを鼻で笑いながら、話の腰を折るのを承知で浮かんだ疑問をぶつける。
「命令を強制? そんな便利なモノがあるのならば、どうして先ほど、わざわざわたしと交渉したのでしょうか? ただ一言『仲間になれ』と命令すれば、それで事足りたのではありませんか? いえ、そもそも、そんなモノがあったのならば、なぜ五十嵐さんはわたしに殺されたのでしょうか?」
龍ヶ崎十八の言が真実であれば、あの戦闘中、五十嵐葵はわたしにただ一言『動くな』とでも命令すれば、それだけで状況が一変していたはずである。
五十嵐葵が油断していたにしても、いかにわたしを甘く見て、完全に舐め切っていたと仮定しても、今際の際に至るまで、ソレを使用しなかった意味が解らないし、辻褄が合わない。
あの戦闘中、いくらでも命令を発せられるタイミングはあったのだから――
「――龍ヶ崎くんの話が真実なのであれば、いま使用して証明して下さりませんでしょうか?」
わたしは挑戦的な視線で龍ヶ崎十八を睨みつける。下手な嘘や誤魔化しは非常に不愉快である。すると、そのわたしの視線を正面から見つめ返して、龍ヶ崎十八は困ったように眉根を寄せた。
「証明は出来ない。けど、これは真実だよ……まぁ、鳳仙さんの疑問は当然だけどさ――とりあえず、順を追って説明するよ。そうすれば、魔法具がどんなモノかも含めて、話が繋がるからさ」
龍ヶ崎十八は言いながら、わたしに見せていた翡翠のビー玉を再び九鬼連理に放り投げる。九鬼連理はソレを視線さえ向けずに受け取ると、すかさず胸ポケットに隠す。
「ええと、続いて魔女の種類を説明するよ。魔女には、天然の魔女と、後継の魔女の二種類がいる。そのどちらも定義は満たしているから、区別なく魔女と呼ばれるんだけど、その内実は、まったく異なる存在なんだ」
「……天然の、魔女……」
その単語は、五十嵐葵の口からも聞いた。五十嵐葵はこれ見よがしなドヤ顔で、自らのことを『天然の魔女』と語っていた。
「天然の魔女は、天然って言われる通り、自然覚醒した魔女のこと――異能を目覚めさせると同時に、自らの身体から【魔法具】を取り出すことに成功した存在さ。非常に死に難い存在で、その寿命は数百年から数千年にもなる。しかも身体能力が覚醒前と比べて数十倍以上に跳ね上がってるから、魔女単独でかなり強い存在なんだよ。まぁ、そんな慢心があるからか、天然の魔女は往々にして、【魔女の騎士】を連れていないことが多いけどね」
「ちなみに、五十嵐葵は天然の魔女で、しかも魔女の騎士を連れていないタイプだった。だから市松人形ちゃんでも殺せたんだろうな――ま、つっても、生身で魔女を狩るなんて、明らかに異常だがな」
龍ヶ崎十八の説明に、九鬼連理が嫌みったらしい言い回しを付け足す。挙句に、さも異常者を見るような視線でわたしを見てくる。
わたしは不愉快そうに九鬼連理を睨み返してから、無言のままで龍ヶ崎十八に説明の続きを促した。
「と、とりあえず説明を続けるけど……もう一種類の魔女は、後継の魔女と呼ばれてる。これは、親である魔女から【魔法具】と【魔女の聖痕】を引き継いだ【魔女の弟子】が至った存在のことさ。後継の魔女の場合、その寿命や身体能力などの基本性能は、魔女の弟子の頃から何ら変わらない。とはいえ当然、魔女の弟子は親である魔女から選定されただけの実力があるし、与えられた魔術、魔法を継承してるから、一般人とは比較にならないほど強い存在だけどね」
わたしはそこまで聞いて、龍ヶ崎十八の説明に目を細めた。当然のように新たな単語が次々と出てくるので、それらの設定が消化しきれない。
しかし、そんなわたしの混乱に気付かず、龍ヶ崎十八は更に続ける。
「さて、そんな天然の魔女と、後継の魔女だけど……どちらも、たった一つだけ使命を与えられている。その使命は、星の秩序を乱すと言われる理外の存在、【破壊者】を殺し尽くすこと。この【破壊者】はたとえば、異世界からの来訪者であり、闇の悪魔であり、鬼や魔獣と呼ばれる怪異のことを指すんだ。魔女は、それら異形を狩る使命を帯びた理外の存在を言うんだよ」
龍ヶ崎十八はそんな総括で、魔女の説明をまとめた。だが、ファンタジー耐性のないわたしでは、悪魔や鬼、魔獣と言われても、それが果たしてどんな存在かもまるでピンとこない。
そもそも『星の秩序を乱す』とか、仰々しい御題目を掲げられても、己の周りの世界でさえ詳しく知らないわたしからすると、規模が広くなり過ぎて思考が完全に置いてけぼり状態になってしまう。
「鳳仙さん。この説明じゃさ、【破壊者】――星の秩序を乱す存在を狩る魔女は、正義の存在じゃないのかって思うかも知れない。けど、そういう訳じゃないから勘違いしないで欲しい。実はこの【破壊者】の定義だけど、魔女以外の理外の存在を指すんだよ。つまり、理外の存在は、魔女と魔女以外に区別されていて、魔女は自分以外の理外の存在を殺す使命を帯びてるんだ。ちなみに、使命を達する為なら、どれほど被害が出ようと、どれだけ無関係な人間が巻き添えになろうと、一切考慮せず、躊躇もしない。魔女はそもそも一般的な倫理観や、正常な感性が壊れてる輩が多くて、自分都合以外に頓着しない。さらになまじっか、己のどんな都合も通すことが出来るだけの力を持ってるから、たちも悪いし――だから魔女は、自分以外の存在を塵芥程度にしか考えていないし、殺すことにも躊躇しない」
「……おい、十八。脱線してる感があるし、市松人形ちゃん、途中から付いてこれてねぇぞ」
「え――あ、え? あれ……鳳仙さん、俺の話、解ってるよね?」
九鬼連理の指摘にハッとした龍ヶ崎十八が、ようやく混乱しているわたしに気付いた。わたしは眉根を寄せた表情のまま、フルフルと首を横に振る。
話が繋がると言われて聞いていたが、結局のところ、魔女を魔女足らしめる条件――【魔法具】とやらは何なのか、どうしていま使えないのかが理解できない。
そんなわたしに、九鬼連理が溜息混じりで口を開いた。
「十八は話を引っ張り過ぎだったっつうの。市松人形ちゃんの質問――『五十嵐葵が何故、魔法具【言霊の宝珠】を使用しなかったのか』、『オレらが何故、【言霊の宝珠】を使用できないのか』について、答えは単純だぜ。【魔法具】の力を発動させるには、三つの条件がいる。一つ、持ち主から正式な引き継ぎ――『使用の承認を得ている』こと。二つ、持ち主の【魔女の聖痕】を継承していること。三つ、使用に応じた対価を支払うこと。それらを全て満たさないと、力を発動させることは出来ねぇ。だからオレらじゃ、一つ目と二つ目の条件を満たせねぇ。一方、五十嵐葵は三つ目の条件が満たせなかったから、使用できなかったと思うぜ? この【言霊の宝珠】の対価は、使用者の魔力と、対象との好感度を使用するらしいからな。ああ、好感度ってのは当然、プラスの感情がマイナスされる仕様だ。ついでに言うと、言霊の宝珠は副次効果として、あらゆる対象と自分との好感度が数字で分かるようになるようだ――つまり悪意のある奴は、パッと見てわかるってことさ」
九鬼連理はそう言ってから、ニヤリとわたしを見ながらほくそ笑んだ。それは暗に、わたしが九鬼連理に対して悪意を持っていることを見抜いていると告げていた。
なるほど――いまの九鬼連理には、わたしの彼女に対する好感度が見えているのだろう。
さて、そうなると、五十嵐葵が対価を支払えなかった、というのは満更嘘ではないと思える。プラス感情、要は好意を消費すると言うことは、端から悪意しかない場合には、使えない理解だろう。
九鬼連理の回答にわたしは納得して、ふむ、と一つ頷きを見せる。しかし、それだけでは龍ヶ崎十八の説明までは消化しきれなかった。
「……ついでに、十八に代わってオレが説明してやるよ」
すると、わたしの無理解を見越したように、九鬼連理が先ほどまでの龍ヶ崎十八の説明に対して、補足を始めた。
「恐らく、最初の部分から付いてこれてねぇ無知の市松人形ちゃんに、【理外の存在】ってヤツを簡単に教えてやる――これは、物理法則を無視する三次元以上の世界に存在しているモノ、全てを指す」
九鬼連理は言いながら、両手を広げて大きく丸を描いた。いちいち喧嘩腰の説明だが、龍ヶ崎十八よりもピンとくる説明ではある。
わたしは取り敢えず納得して頷き、先を促す。
「ちなみに、物理法則を無視する世界ってのは、具体的に言うと……そうだな。例えば、こういう魔術とかは理外の力だ」
わたしの反応を見ながら、九鬼連理がニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべて、素手の右手を頭上に掲げた。途端、何も持っていないのに関わらず、その右手が燃え上がる。掌には、ボウリング大の火球が浮かんだ。
その光景を前に、五十嵐葵が闘いの最中で見せた竜巻を思い出す。
そういえば――彼女も魔術だ何だと言いながら、身一つで不思議な現象を起こしていた。
「これが魔術だ。んで、こういう魔術とかが常識になってる世界が、理外の世界。またこの理外の力が当たり前に扱える存在を、理外の存在と定めてる。つまり、オレも十八も理外の存在だぜ。理外の力はほかに、幽霊とかに代表される霊魂の力、いわゆる霊力だったり、中国拳法で言うところの氣とか、アニメとかでよくあるPK、ESPだかの超能力も、総じて理外の存在が扱う力だ。この説明で、ピンとくるか?」
「――理解は出来ますけれど、胡散臭いことに変わりはありません。だいたいそれらの超常現象は、解明されていないだけで、物理法則を無視していないのでは?」
「ハッ! いちいち論理的な思考で面倒だなぁ、市松人形ちゃんはよ。ファンタジーやSFの定番に理解があれば、さして難しい話じゃないんだけどよ」
「申し訳ありませんけれど、わたしはその手の創作に造詣が深くありませんので」
売り言葉に買い言葉で、わたしは九鬼連理の台詞に言い返す。さも知っている大前提で、非常識な事柄を常識のように語るのは止めて欲しい。
そんなわたしと九鬼連理のやり取りに、龍ケ崎十八は口を挟む機会を探りながら、おどおどと成り行きを見守っていた。
「まぁ、いいや。ともかく、馬鹿みたいな結論でまとめると、現在の科学で説明できない法則や能力を持つモノ――それが【理外の存在】だ。んで、その中でさらに細分化して、【魔法具】に選ばれなかった存在が、【破壊者】。選ばれたモノが【魔女】だ――余談だが、この【魔法具】の定義は、対価を支払うことで奇跡を引き起こして、壊れねぇ物質を指すぜ」
「……壊れない? この世に壊れないモノなどないでしょうに」
九鬼連理が不敵な笑みを浮かべながら、わざと強調して言ってくるので、わたしはついそこに噛み付いた。しかし、そのやり取りこそ想定通りと言わんばかりに、九鬼連理は続ける。
「壊れねぇんだよ――【魔法具】は、時間が止まってる代物だ。時間軸がこの三次元上に存在しねぇから、何をしても壊れねぇモノなんだよ」
九鬼連理の不愉快な物言いに、わたしは眉を顰めて押し黙った。そんなモノはあり得ないと一蹴するのは簡単だが、証明できない以上、どれほど論理的な反論をしたところでただの水掛論になってしまう。故に言い争いは無駄である。
納得なぞ到底できないが、そもそもを考えれば、わたしの納得など九鬼連理の説明には影響しない。
わたしは取り敢えず、理解出来た内容に対して無言で頷いた。
「――さて、んじゃ、ついでに魔女の大別をザックリ纏めるぜ。【天然の魔女】ってのは、人間を超越した突然変異種だ。何の切っ掛けも因果もなく、唐突に異能を覚醒させた化物だ。一方で、【後継の魔女】ってのは、遺伝や技術の相伝により【天然の魔女】の力を引き継いだサラブレッドだな。だから【後継の魔女】の方が、天然と比べるとだいぶ常識がある。つまり危険なのは【天然の魔女】の方で――市松人形ちゃんが殺した五十嵐葵は、その【天然の魔女】ってわけだ。だから、オレらはテメェを助けたし、スカウトもしてるんだよ」
九鬼連理はそう言って、言外に『何が言いたいか分かるな』と問い掛けている。わたしは冷めた視線で睨み返してから、理解を示すように強く頷いた。
みなまで言われるまでもなく、彼女が何を言いたいのかは理解できる。
つまりわたしは、野放しにしておくには危険すぎる、と判断されたということである。また同時に、味方とすれば役に立つと思われたから仲間に誘われたのだろう。
まぁ、それ以外の可能性として、わたしがどこかの【魔女】に仕えている場合を想定した、とも考えられるが、その可能性は、先ほどまでの問答で、わたし自身が否定してしまっている。
「ええ、だいたいのところは、理解いたしました――それで? 仲間になったわたしに、いったい何を望むのでしょうか?」
「――ようやく本題に入れるぜ。おい、十八」
わたしが九鬼連理に首を傾げると、彼女は疲れたように息を吐いてから、龍ヶ崎十八に視線を向ける。よく分からないが、この話の主導権は彼にあるようだ。
改めて向き直り、何を言われるのだろう、と龍ヶ崎十八の瞳を真っ直ぐと見詰める。
龍ヶ崎十八はわたしの双眸にしっかりと目線を合わせて、真剣な表情で口を開いた。
「ああ、うん。じゃあ、本題に入るよ――俺と連理は、理外の存在から、この日本国を守護する組織【護国鎮守府】の第壱戦斗部に所属する人間なんだ。で、主な活動内容は、日本各地で発生する魔女事案を解決すること――鳳仙さんには、その仕事を手伝って欲しいんだよ」
「解決――とは、具体的に何をすれば宜しいのでしょうか?」
「えと……その……具体的? そうだな……例えば、所属部によるけど……共通して言えるのは、問題を起こしてる魔女を倒して捕らえるとか、発生した事案の後始末をしたりとか――」
わたしの問いに言い淀む龍ヶ崎十八に、呆れ声で九鬼連理が口を挟んだ。
「――おいおい、十八。この市松人形ちゃんが、戦斗部以外を希望するわきゃねぇだろ? ハッキリ言ってやりゃいいだろ? ほとんどの場合、事案を起こした魔女を殺すことが任務だ、ってよ――そもそも今回のオレらの任務自体が、【言霊の魔女】暗殺だったろうが!」
「…………いや、連理。だとしても、一般人に人殺ししてくれないか、って聞かないだろ、普通? そりゃ、俺らの都合で言えば、鳳仙さんには戦斗部に来て欲しいけど……選択する権利はある――」
「ハァッ!? おいおいおい、十八。何を甘っちょろいこと言ってんだ。この市松人形ちゃんのどこが一般人なんだよ!? それに、選択する権利も何も……コイツが後方支援とか、補助隊とか選ぶと思うか!? だいたいにして、市松人形ちゃんは既に人殺しじゃねぇか。それとも何か? 【魔女】は、人間じゃねぇとでも言うつもりかよ?」
「……いや、んなことは言わないけどさ……」
下らないことで言い合う龍ヶ崎十八と九鬼連理に、わたしは仄かな期待に胸をときめかせつつ、ズバリと質問をする。
「……つまりわたしに望むのは、五十嵐さんみたいな【魔女】を、見つけ出して殺すこと――で、間違いないでしょうか?」
わたしのキッパリとした発言に、一瞬だけその場の空気が静まり返る。
だがすぐさま、そら見たことか、と九鬼連理が鼻で笑って、龍ケ崎十八が苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。
「ああ、極端な言い方をすれば、そうだよ。一応、公務員扱いで、給料は出るし、任務に拒否権はあるから、気が進まないなら断ったっていい。けど、この組織を知ったからには、もう死ぬまで抜けることは出来ない――だから、どの部署でもいいけど、組織に所属してもらわないとならないよ?」
「それなら当然、龍ヶ崎くんたちの所属する第壱戦斗部とやらですね。断る理由がありません。望むところです――実地で、あんな強者との死闘をこれから何度も経験出来るなんて、素晴らしいことこの上ない」
わたしは興奮気味にそう息巻いて、心底愉しげに笑みを浮かべる。その笑顔を見て、龍ヶ崎十八は困惑顔になり、九鬼連理は小さく舌打ちしている。
「ほれ――やっぱ、この市松人形ちゃんは狂ってるっつうの」
「……何度も言いますが、わたしは『市松人形』ではありません。それに狂ってもいません。ただ純粋に嬉しいだけです――心置きなく、強者と真剣で対人戦を行えるのでしょう?」
「…………それが嬉しいってのが、狂ってるっつの」
九鬼連理の呆れた台詞など聞き流して、わたしは龍ヶ崎十八に顔を向ける。
最強に至る為に必要な修行の道が、わざわざ目の前に現れてくれたのだ。これを悦ばないなどあり得ない。わたしは降って湧いたこの幸運に、歓喜を噛み締めて身体を震わせた。
「それで? わたしは何か契約書でも書くのでしょうか? それとも、この口約束でもって、もはや所属したことになるのでしょうか? いつ頃、任務を頂けるのでしょうか?」
わたしはウキウキとした声で、テーブルに肘をついた龍ヶ崎十八に詰め寄った。急に動いた為、身体が激痛を訴えていたが、興奮していてそれどころではなかった。
そんなわたしに、龍ケ崎十八は困り顔のまま、言葉に詰まる。
「……あ、えと……契約書、は後日書いてもらうけど……その、本当に良いんだね? 戦斗部以外にも、危険の少ない後方支援部や、補助隊もあるけど……」
「闘えない部署に興味はありません」
わたしの即答に、龍ケ崎十八は、そっか、と小さく頷いた。そして、扉に立つ九鬼連理に目配せしてから、最後に一つ、と神妙な顔で口を開けた。
「……ちなみに、鳳仙さんって、蒼森家の分家なの?」
「いえ、まったく関りありませんよ。遠縁でもなければ、そもそも血縁関係にさえありません」
「…………え、じゃあ、何故に、蒼森家当主の道場に居たの?」
間髪入れずに即答したわたしに、龍ヶ崎十八と九鬼連理が怪訝な表情を向けてくる。
わたしはそんな二人に怪訝な表情を向けた。他人様のお家事情を聴いてどうするつもりなのか、と露骨に不機嫌な空気を纏った。
「――逆に問いますけれど、師父とお二人は知り合いなのでしょうか?」
「ん? シ、フ? シフ、って?」
わたしの問い返しに、龍ケ崎十八がきょとんと首を傾げている。上手く文字変換が出来ていない様子である。
わたしは溜息を漏らしつつ、致し方ない、と蒼森家を知る人間と話すとき用のテンプレート回答を口にする。
「……わたしは【人修羅】蒼森玄の、唯一生き残った弟子であり、正統な乙心一統流継承者です。孫ほども年が離れていたので、師父には実の孫と同じように可愛がって頂いておりました。あの日も、早朝稽古をして頂く予定で道場に赴き、五十嵐葵と遭遇しました」
「…………へぇ、実の孫と同じように、ねぇ? なぁ、市松人形ちゃんよ。蒼森家はテメェのことを知ってるのか?」
「それに答える必要を感じません」
九鬼連理の質問に、わたしはピシャリと即応する。しかしそれで何かを察したようで、九鬼連理は何やら納得顔で頷いていた。
聡い人間は厄介で煩わしいが、好きなだけわたしのことを調べればいいだろう。いくら調べようと、決してわたしの過去まで行きつくことは出来ない。
「……えと、じゃあ、とりあえず今日は、これくらいの説明でやめとこうかな。俺らは、そろそろ帰るよ。あ、鳳仙さんは、申し訳ないけど、まだ数日、ここで養生して欲しいな」
龍ヶ崎十八はそう言うとソファから立ち上がり、さりげなくわたしに手を差し出して起こそうとしてくれる。その手を払って、わたしは自力で立ち上がった。
そんなやり取りを見ていた九鬼連理が、ククク、と苦笑しているのを横目に、わたしは無表情に問う。
「そういえば、五十嵐さんに突き刺さっていた仕込み刀は、回収して頂けたのでしょうか? アレは、数少ない師父の形見なので、あれば返して欲しいのですけれど――」
「――テメェが無事に契約を取り交わしたら、返してやるよ」
わたしの問いに、九鬼連理が挑発的な口調で返してきた。その答えに、なくなっていないことを安堵して、そうですか、とそっけなく返した。