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外道に生きるモノ  作者: 神無月夕
第六章/八重越えて

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第二夜/前編

『恨めしい――殺したい』

 

 耳元で囁かれる恨み節に、わたしはハッとして飛び起きる。


『呪われろ――死ね――どうして、寂しいの』

「……寝起きに怨念じみた台詞を聞くのは、鬱陶しいですね……」


 目を開ければ、横になっているわたしを、堺芽衣子が直立不動で見下ろしていた。

 周囲を一瞥すると、どうやらここは武道場らしい。気絶させられた後、介抱されることもなく、そのまま放置されていたようだ。

 毛布を掛けられていたのはありがたいが、そんな配慮をするくらいなら無理やりにでも起こしてくれ、と腹立たしくなった。


「――いま、何時でしょうか?」


 見渡す限り、武道場内には時計がなかった。

 外の景色を見ても、薄ぼんやりとした霧に包まれている為に、太陽の高度で時間を測ることさえ出来ない。握っていたはずの仕込刀もなく、持ってきた荷物ごと全て、どこかに片付けられていた。

 こうなってしまうと、いまが朝なのか夜なのか、実際にどれくらい気絶していたのかも分からない。


「……お腹の空き具合で、時間が判断出来ると便利ですけれどね……」


 わたしは殴られて痣が出来ている腹部を擦る。幸いにも、骨が折れてるとかヒビが入っていることもなさそうで、ただ激痛が走るだけだった。

 武道場の外に出て周囲の気配を探るが、察知できる範囲には人の気配がない。いや、人どころか動物の気配さえ感じなかった。

 辺りはシンと静まり返っており、冷たい風だけが吹いていた。


「おや? 化物――いや、修行者、綾女、だったかえ?」

「……そういう貴女は、冬帝さん、でしたか? いまは何時ですか?」


 音もなく、背後にスッと巫女装束の少女が現れた。

 巫女装束の少女――冬帝は少し宙に浮いており、半透明に姿がぼやけていた。その様を見ると、冬帝が正真正銘の幽霊であることを認識する。


「もう午前十時ぞえ。綾女は昨夜、椿に負けてから、半日以上……だいたい十四時間近くかえ? ずっと昏睡しておったぞえ」

「半日!? それほど寝ていたのに、これほど身体が重いのですか――」

「――いや、逆ぞえ。あれほど霊力を垂れ流して、挙句、完膚なきまでに負けたと言うに、たかだか半日程度で、起き上がって動けるのが異常ぞえ。一般的な修行者であれば、三日は昏睡かえ」


 わたしは驚愕の声を上げて、自らの身体を見下ろす。調子は悪くないが、筋肉疲労がだいぶ溜まっている感覚がある。動きが鈍い。


「……改めて直視すると、つくづく化物にしか視えぬぞえ。半日しか経っておらぬのに、既に霊力が安定しておるぞえ……本当に修行者かえ? 修行者だとして、何を修行しに来たのかえ?」

「――霊力が、安定? 嗚呼、この状態は、安定状態、なのですね……」


 全身の神経を集中させると、身体を巡っていた魔力が一切感じないことに気付いた。その代わりに、昨日はただ漏出していた黒いもやが、今は全身を薄く包んでいるのを感じ取れた。

 いまその黒いもやは、流動的に絶え間なく、繭で包むように体表面全体を覆っていた。この黒いもやが霊力であることは理解しているが、この状態をどう形容するのかは知らなかった。

 なるほど――この状態が、霊力が安定している状態であるらしい。

 わたしは意識して、流動している霊力をコントロールしようと試みた。だが、魔力を自覚した時のようにすんなりと操ることは出来ず、掴みどころのない感覚だけがあった。


「……椿は、この化物をどうしようというのかえ……」

「あ、そういえば、そうです。如月さんはどちらに?」


 呆れ顔をした冬帝の台詞にハッとして、本殿に向けて意識を集中させた。

 人の気配があるかどうか探ってみるが、人間と思しき気配も、息遣いを含めた物音一つなく、何も感じなかった。


「幽世にはもう居らぬぞえ。椿は学校かえ。部活の顧問をしとるゆえ、夏休みじゃろうと変わらず朝八時には出掛けとるかえ」

「なるほど――それでは、わたしの修行は、どなたが、どのようにやってくださるのでしょうか?」

「……はぁ……仕方ないかえ……どうやらこれは、儂が説明する流れのようかえ? とりあえずは、朝食に向かうぞえ」


 冬帝は言うと同時に姿を消した。否、空気に溶けるように透明になった、という表現が正しいか。よくよく見れば、黒いもや状態で本殿に飛んでいくのが視えた。

 霊力の感覚がいまいち分からないが、目を凝らせば、今は空気中に漂う微細な霊力が視える。

 振り返れば、いつの間にか傍らまで来ていた堺芽衣子が、凄まじい量の霊力を放ち続けていた。それに触れるだけで、寒気と怖気、精神に直接作用するような威圧が感じられる。


「……霊力が分かったからと言って、いまいち、何か役立つようには思えません」


 わたしの独り言に、堺芽衣子が『恨めしい――』とだけ返事していた。溜息を漏らして、本殿に向かう。


「お、おはよう、ございますです、綾女さん……あ、朝……朝食ですけど……霊薬、含んだ和食、を御用意しましたです」


 玄関を上がってすぐの和室に、昨日と同じスウェット姿をした朱火が居た。

 畳の上には年季の入ったちゃぶ台があり、そこには一汁一菜の和食が用意されていた。これが朝食らしい。

 どうやって、誰が調理したのかは不明だが、出来立てのようで温かい湯気が出ている食事である。


「――この食事は、食べても大丈夫なのでしょうか?」


 汁物には見たことのない不思議な形の草が浮いており、その色は紫色だった。また、胡麻和えだとは思うのだが、何の野草だか分からない惣菜が食欲を失わせる。

 ちなみに、主食は玄米のようだが、そこにもとろみのある何かが掛けられていた。


「問題ないぞえ――いや、むしろ、その食事も修行の一環かえ。霊薬を含んだ食事を続けることで、肉体改造も出来るぞえ」

「そ、そうです……えと……今日は、ですね……上級霊丹(ジョウキュウレイタン)である精神丹(セイシンタン)をメインに、魔魂丹(マコンタン)や、百年紫霞草(ヒャクネンシカソウ)を混ぜて……あ、精神丹って言うのは、霊力と肉体の結びつきを――」

「――よく分かりませんが、霊薬の説明は不要です。修行であるならば当然食べますけれど、わたしが知りたいのは、この朝食を摂取することで、結果的には、どのような効果効能があるのか。それだけ教えてください」


 しどろもどろと説明し始めた朱火の台詞を、わたしはバッサリと遮った。

 霊薬がどんなモノか、に興味などない。それらの作用機序を詳しく説明されたところで、心底どうでも良いことだ。

 摂取することが修行の一環という冬帝の言葉から察するに、身体の内側から何かを変える食事であることは理解出来る。それならば、食べない、という選択肢は最初からない。

 さて、摂取するのが大前提であれば、この朝食が、どのような結果を齎すのか、それを理解してから食べた方が、より効果が出やすいはずである。思い込みによるプラシーボ効果は、想像以上に顕著な効果上昇が見込めるのを知っていた。


「――霊薬を含んだ食事は、霊力を安定させる効果と、霊力コントロールが出来る肉体を造り出す効果があるぞえ。食事した後、霊力を意識することで、いち早く霊力を扱えるようになるかえ――ちなみに霊力は、自覚しただけでは無用の長物になり得るぞえ。自由自在に操れるようになる為には、肉体という器の準備も重要ぞえ。器が整っておらぬと、昨日の綾女がそうじゃったように、コントロール出来ず霊力を垂れ流すだけになるぞえ」

「食べるだけで、霊力を安定させるのですか?」

「左様ぞえ。そもそも霊力とは、生物の魂が放っておる目に視えぬ特殊なエネルギー波動で、生命の輝き、とも言われとるぞえ。この波動は、魂の器でもある肉体に影響を及ぼし、また肉体の影響をも受ける特性があるぞえ。つまり肉体が変質すれば霊力の出力も変わり、また、霊力の出力を強制調整することでも、肉体を変質させることができるかえ」

「へぇ――なるほど」


 冬帝の説明に、一応の納得はした。いまいち理解し難い概念ではあるが、単純に言うならば、霊力を操る為には、そもそも肉体が霊力を扱える器になっていないとダメ、ということらしい。

 つまり霊力の操作というのは、魔力とは違って、意識を変えることや、操作感覚を掴むこと、反復による鍛錬などでは、修得しにくい技術ということだ。勿論、コツは絶対的に必要だろうが、それよりもまず、器である肉体を改造するのが前提のようである。

 それを考えると、天然で霊能力を自覚している連中というのは、生来の肉体がそう造られているということだろう。その才能の差に、少しだけ嫉妬してしまう。


「――いただきます」


 さて、それが分かればもはや躊躇はない。わたしは早速、その食事に手を付けた。どれもこれもパサついて味気ないが、マズくはなかった。


「ところで、綾女。一つ質問ぞえ。魔法具で魔力を変換しただけの霊力を、どうやって、そこまで安定させておるのかえ?」


 恐る恐ると口にする冬帝に、わたしは怪訝な表情を向けた。

 そんなこと知るわけがあるまい。意識してこの状態を維持しているわけでもない。


「逆に問います。今のわたしの状態が安定している、と仰りますが、どうやったらこの安定状態にすることが出来るのですか? わたしが霊力を自覚してから、丸一日程度しか経っていません。わたし自身、何か特殊なことを実践していることもありません。けれど、先ほどまでの会話を統合すると、わたしの肉体はもう霊力に適応した、のでしょうか?」

「適応した、という訳ではないぞえ――綾女はいま、湧き出る霊力を肉体に押し留める『霊圧(レイアツ)』という技術を修得したようかえ? ちなみにその霊圧こそが、霊能力者として一人前になる為に必須な技術の一つぞえ」

「――へえ? 必須の技術の一つ、ですか? その言い方ですと、他にも必須の技術があるのでしょうか?」

「左様ぞえ。霊能力者を名乗る上で、必須技術としては三つ、段階ごとに習得するモノがあるぞえ。第一段階は、霊力の自覚と放出かえ。第二段階が霊圧の調整ぞえ。続いて、第三段階で霊体(レイタイ)を把握することが、必須の技術かえ」

「……それでは、わたしが目指すべきは、最後の第三段階、霊体とやらを把握することに努めれば良い、のですね?」

「儂が、椿から託された内容は、その第三段階まで修得出来るよう見守ることぞえ」


 どうしてか、見放したような声で告げられた。

 なるほど、霊体の把握か――それが、どれほどの難易度か分からないし、そもそも霊体が何かも知らないが、わたしが到達すべき目標地点は理解した。


「ちなみに、その霊体を把握すると言うのは、具体的にどういう状態になれば良いのでしょうか?」

「そのままの意味ぞえ。じゃが、そうか……霊体の概念を理解せんと難しいかえ? ふむ。例えば、霊圧で抑えている霊力を自在にコントロール出来るようになること、また、無意識に垂れ流しておる霊力が、どこから溢れているかを意識すること、かえ? あとは、言葉にし難いのじゃが、肉体と重なり合う霊力の塊を感覚的に認識することぞえ」

「なる、ほど? それではまず、わたしが目指すべきことは、霊力を自在にコントロールすることであり、コントロール出来るような身体作りが第一、と言うことですね?」

「……簡単に言うが、簡単ではないぞえ? 一般的な修行者であっても、数ヶ月単位で体組織を組み替えるものじゃし、霊力を自在に扱えるようになるのにも、同じ程度は時間が掛かるモノかえ?」

()()()()修行者であれば、ですよね? 自惚れるつもりも、過大に自己評価するつもりもありませんが、わたしはその一般的な枠にいるのでしょうか?」


 挑戦的な視線を向けた。少なくとも、出会い頭で冬帝が驚いたことや、レストランでの如月椿とのやり取りを思い返す限り、わたしは一般的な修行者よりも早く習得できる才があるはずだ。

 冬帝は苦い顔のまま首を振る。それは肯定の意味だ。


「……確かに、一般的な枠とは言い難いかえ。むしろ化物と呼ぶに相応しい才、椿と同水準の領域、天才の類ぞえ。霊力を自覚しておらんかったが、天然の霊能力者と比肩しても、見劣りせぬだけの才は秘めておるかえ」

「お褒めくださり、ありがとうございます――そんな如月さんは、いかほどで修得なさいましたか?」

「椿は、およそ一週間かえ。じゃが、綾女はいま魔法具を使っておるから、もっと短く……四日か、いや、三日もあれば修得出来るかえ?」


 なるほど、と頷く。日程を考えれば、ギリギリで八重巴との決闘に間に合う計算である。けれど果たして、霊体の把握とやらを修得しただけで、八重巴に勝てるのだろうか。

 如月椿は、霊獣の使役をするのが勝利条件とも言っていた。霊体の把握と霊獣の使役は同じことなのだろうか。疑問が次々と湧いてきた。


「――状況の理解はしました。その期間を短くする術はありますか? どうすれば、もっと早く霊能力を悟り、霊体の把握とやらを修得できるのでしょうか?」

「……貪欲過ぎるかえ。とりあえず今日の修行に関しては、これから説明していくぞえ――蒼矢!」


 冬帝が叫ぶと、壁の中からスッとホスト姿のチャラ男が現れる。蒼矢である。

 蒼矢はとても自然な動作で、食事するわたしの前に片膝を立てて跪いた。


「おはようございます、綾女姫。本日も麗しゅう――呼ばれて飛び出て、蒼ちゃんです。どしたの、冬帝様?」

「今日の修行内容を、いまから説明して欲しいかえ。だから呼んだぞえ」

「ああ、承知! 朱火姫の説明は終わったんですか?」

「まだぞえ」


 蒼矢の流し目に、部屋の片隅で直立していた朱火が首を横に振っていた。どういうことだ、とわたしは冬帝を睨み付ける。


「儂らは椿から、各々の裁量で、綾女を鍛えるよう命じられとるかえ。ザックリとした役割分担だと、儂は霊体を把握させることじゃし、蒼矢は霊獣の使役技術ぞえ。朱火は基礎的な心霊学、魔法具の説明や、肉体改造を主軸とした給仕担当ぞえ。白虎丸は、霊力を用いた実戦全般、と言ったところかえ」

「はい! 蒼矢こと蒼ちゃんは、全身全霊をもって、綾女姫に霊獣の使役術をお教えいたしますよ!」

「あ、えと……は、はい……あたしも、その……心霊学とか、しっかり、お伝えしますです……っ!」


 蒼矢、朱火と順番に頭を下げていた。それを横目に、とりあえず朝食を食べ切った。


「ご馳走様でした――それでは早速。この後の修行内容を具体的に教えて頂けますでしょうか?」

「あ、お粗末様でした、です……え、あ……冬帝様……」

「――樹海の奥に、破邪の滝があるぞえ。今日はそこに滝行しに行くかえ。無論、お目付け役として、朱火が同行するぞえ」


 冬帝はそう言って神社の入口を指差す。

 樹海とは、この幽世に入った時、背後に広がっていた森のことだろう。わたしはつまらなそうな表情を向けた。


「滝行のどこが、修行になるのでしょうか?」

「まずはこの幽世の霊力場に慣れることも肝要ぞえ。昨日、椿と闘って痛感したのではないかえ? 本気を出しとらん椿に、手も足も出なかったのを覚えとるかえ?」

「…………」


 ぐうの音も出ずに、わたしは押し黙った。まさしく図星である。

 身体が重い、本調子ではない、足枷があった、などの言い訳は実戦では全く関係ない。事実、結果論として、わたしは完全敗北しており、実際のところ、この環境下でまともに動けなかった。あのような悲惨な結果はひとえに、わたしの認識の甘さと経験不足である。


「幽世の環境下に慣れる最短の方法は、より重く強い霊力を身体に浴びることぞえ。それには滝行がうってつけかえ」

「そ、その……破邪の滝、までの道案内は、できません、ですけど……迷っても、大丈夫なよう、フォローします、です……」

「樹海には方向感覚を狂わす霊波が漂っておるかえ。そんな中を、真っ直ぐに進むことができれば、破邪の滝まで至れるぞえ。辿り着くまでの道中で、朱火から心霊学を学ぶと良いかえ。万が一、樹海で道に迷ったとしても、朱火が居れば帰ってこれるぞえ」


 冬帝の説明に、朱火が恐縮しながらペコリと頭を下げた。


「――分かりました。ちなみに、滝行の後はどのようなスケジュールでしょうか?」

「僭越ながら、綾女姫。お戻りになられ次第、不肖、この蒼ちゃんが、そちらの霊獣を使役する術を講義いたしますよ」


 蒼矢は不敵に笑いながら、わたしの背後でブツブツ呟く堺芽衣子を指差した。


「――綾女、もし、という話はしない方が良いかえ? まずもって、破邪の滝まで辿り着くことが困難じゃろうし、日没までに自力で戻れると思わない方が良いぞえ。むしろ、今日は破邪の滝まで到達することが出来れば、御の字ぞえ。朱火、晩飯に間に合わないようであれば、強制的に引き返してくるぞえ」

「……は、はい……遅くとも……椿さんが、お帰りになったら……戻ります……」


 冬帝と朱火の言い分は、わたしが滝行を終えられない前提で話していた。つまり、言うほど簡単に滝行自体も出来る訳ではないようだ。

 まあ、そうだろう。むしろ、そうでなければ鍛錬とは言えないか――どれほど難しいのかは分からないが、わたしにとっては、厳しい分には望むところである。


「それでは早速、向かいます――朱火さんは宜しいですか?」


 問い掛けたが、朱火の回答など聞かず、わたしは本殿を出ていく。慌てた様子で朱火が後を追ってきた。

 そんなわたしたちの背中に、冬帝が何やら難解なことを叫んできた。


「綾女、これだけは覚えておくと良いぞえ。破邪の滝は、強く清い霊波を放ち、超重厚な霊力を垂れ流しておるぞえ。じゃから、周囲の空間は霊波がほとんど漂っておらぬかえ――朱火よ、これで悟れぬようであれば手助けしても良いかえ」


 わたしへのアドバイスだが、生憎と理解が出来なかった。だから何だ、と思わず反論したくなる。


「……あ、そっか……霊感は、まだ、理解……してないんです、か……? え、してる?」

「霊感、とは何でしょうか?」

「…………え? あ、まだ、なんですね……」


 朱火の呟きを拾って、わたしは聞き返す。しかし、朱火は気まずそうに押し黙った。教える気がない訳ではなく、まだ早い、という意味合いに取れる態度だ。

 仕方なしに、歩きながら冬帝の言葉を考えた。

 恐らくだが、周辺気配、漂っている霊波とやらを察知出来れば、破邪の滝は容易に見つけることができる、のだろう。言い換えれば、霊力のコントロール段階で、空間に漂う霊波を感知することが出来ることを示唆しているのだ。

 そう考えると、朱火の呟いた『霊感』とは、その周囲の霊波を感知する技術だと推測出来る。きっとそれは魔力感知と同じような理論なのだろう。

 しかし残念ながら、理論を理解できても、どうやって、何を感じて、霊波を視れば良いのか――


(――見渡せば、黒いもや……霊力自体は、そこかしこから放たれているのがハッキリと視えます。けれどそれ以上に、濃い霧で視界が遮られて、数歩先がまともに見えません……)


 果たして、視えている霊力が霊波なのか。それとも、視るではなく、他の感覚で霊波を感じ取るのか。ノーヒントではピンとくる答えが見出せなかった。

 わたしはいっそう感覚を研ぎ澄まそうと集中するが、なぜか気持ちと思考が乱れて、いまいち五感が鈍いままだった。


「……ちょ、ちょっと……早い、ですよ、綾女さん……」


 己の感覚と、霊感とやらに対する考察に夢中になりながら、ただひたすら黙々と森の中を歩いていた。


「ちょ……そんな、ガンガン行こうぜ……だと、戻るのに、苦労します、です……」


 すると突然、朱火が慌てた表情で目の前に回り込んで、往く手を阻んできた。邪魔だ、と脇を通り抜けようとしたが、腕を掴まれて妨害される。


「何ですか?」

「……こ、このまま、闇雲に、進んでも……破邪の、滝に……行けません、ですよ?」

「――それはつまり、こちらの道が間違っている、と?」


 わたしはジロリと朱火を睨み付けた。

 どれほど思考に没頭していても、自分が真っ直ぐ歩き続けていることだけは把握している。これで辿り着けない、間違っている、ということは、知らず知らずのうちに方向を乱されたのだろうか。

 目印など何もない、代わり映えない樹海の中で、朱火は何を視て間違いだと指摘するのか。


「あ、や……えと……ま、間違ってる、し……このまま、だと、戻れなく、なります、です……」

「は? 戻れなくなる?」


 まだ三十分程度しか歩いていない。距離にしても、たかだか数キロだろう。だというのに、戻れなくなるとはどういう意味なのか。

 わたしは背後を振り返った。進んできた道の木々には、念の為に付けた目印がハッキリと確認出来ていた。最悪、この目印を辿れば戻れるはずだ。


「……こ、ここから、先は……次元の狭間、に繋がります、です……幽世と現世の、境界線が、曖昧になっている、ところなので……これ以上は、進まないで、くださいです……」

「――幽世と現世の、境界線?」

「そう、です……その……少し先に、時空が、歪んでるの……視えます、ですか?」


 朱火の指差した先には何もない。周囲の景色と何ら変わることのない鬱蒼と茂った森が視えていた。


「歪み……ですか?」


 わたしはジッと目を凝らした。視えないかと訊かれると言うことは、逆説的に、いまのわたしでも視えるはず、ということだ。

 視えないのは、何が原因なのだろうか――集中力を高めて、目の前を凝視した。


「霊波の層が、ズレてるのが……って、あ……もしかして……綾女さんって……そっか……視よう、としてます、ですよね?」

「――はぁ? それはどういう意味合いでしょうか?」

「ひ……っ!? ち、違います、です……っ!? そ、その……霊感は、眼で視るんじゃなくて、肌で感じるんです……」


 ギラリと殺気をぶつけると、朱火はしどろもどろと身振り手振りで弁明し始めた。


「何が、違う、のですか? 肌で感じる?」

「あ、う……そ、その……綾女さんって……霊能力はいままで、自覚してらっしゃらなかったんですよね? それと……いま、装着してる魔法具も、よく知らないん、ですよね?」

「ええ、そうですよ? ですので、色々とお教え頂きたく思うのですが、宜しいでしょうか?」


 わたしは朱火に向き直り、殺気を解放した。気持ちを落ち着かせて、しっかりと聴く姿勢を取った。


「は、はい! あたしが、しっかりお教えします、です……えと、まずは……」


 朱火はキョロキョロと辺りを見渡して、一本の大木に手を触れた。途端、その大木から大量の霊力が噴き出してきた。勢いよく噴き出す黒いもやは、まるで花粉のようだった。

 わたしはその勢いに、思わず顔面を庇いつつ一歩退いた。


「これ、視える、ですか?」

「ええ――噴出したその黒いもやが、霊力ですよね? いまは凄い勢いで噴き出しているのが視えます」

「……それ、が、この木が蓄えていた、霊力、です……霊力は通常、霊圧の壁で包まれています、です……この霊圧の壁、実は……外部からの、干渉に弱いです……より強力な霊圧を持つ、あたしが触れたことで……壁が崩れて、霊体を保てず、崩壊した、です」


 凄まじい勢いで噴出する黒い霊力は、やがて全てを出し尽くしたのか、徐々に収束して、後には干からびた大木があるだけだった。

 促されるまま触れてみるが、表面は乾いており、触れた瞬間に木屑がパラパラと落ちる。


「――これが?」

「霊感、って……噴き出した霊力を、霊圧で感じる、こと……です。引いては……空気中に、溶け込んでいる……霊力を、霊圧で感じること、です……霊力は、存在のそれぞれで、固有の波動を放っていて……それを霊波、と言います、です……だから、視覚に頼るのではなく……霊圧で触れることで……霊波とか、霊力を視ています、です……」


 朱火の講義を聞きながら、わたしは怪訝な表情を浮かべる。理解が追い付かない。


「えと……そっちの……枯れてない、木に、触れてみて、くれます、ですか?」


 指示された通りに、疑わしい表情で大木に触れてみた。瞬間、朱火の説明していた内容を真の意味で理解した。

 掌に伝わる温かく薄い膜のような感覚、ピリピリと電気が走るような痺れ。直感的に、これが霊圧という壁だと知れた。


「――なるほど」


 バチ、と掌に伝わる強い衝撃。同時に、わたしの霊圧が、触れている大木の霊圧に穴を開けた感覚があった。大木からは一気に霊力が噴き出してきたので、その霊力を身体に浴びてみる。

 噴き出す黒い霊力の温度、静電気のような痺れ、内側に響くような振動が、喩えようもない不思議な感覚だった。


「……え、え? えぇえ? い、いま……霊圧干渉、しました!? あ、あり得ない、ですよ……あたしの霊圧干渉、視た、だけ……じゃないです、か!?」

「嗚呼、この感覚を『霊圧干渉』と呼ぶのですね? なるほど、なるほど――霊波、の感覚も、なんとなく理解しました。妙な感覚ですね」


 両眼を閉じて、深く深く息を吸って止めた。

 心穏やかに身体の内側に集中した時、波が寄せて返すような揺れる痺れを感じた。また、音が反響するような微かな振動が、周辺のそこかしこから届いていた。

 風が肌を撫でる感覚、撫で回されるような感覚にも近いが、どこか根拠のない直感を得た感覚にも似ていた。根拠が伴わないのだが、確実にいま全身で感じているこれが、空気中に漂っている霊波だと自信を持てる。


「これは、わたしの『霊圧』が、霊波を感じている、のでしょうか? これが『霊感』ですか?」

「……え、と……そう、ですよ……それが、霊感、です……それにしても……あたし……ここまで、霊能力に適性がある人……初めて、見ました、です……本当に、化物、ですよ……まだ、コツも説明してない、のに……いくら【霊性開花の数珠】が、体内にあるから、って……ちょっと信じられない、です……」

「誉め言葉として受け取っておきます――ちなみに、霊波を感じ取れても、不十分ですよね? わたしはまだ空間の歪みとやらを視ることが出来ておりません。霊波の層のズレ、でしたか? それを視る為には、どのような技術が必要でしょうか? どうすれば修得できますか? それが出来ないと、破邪の滝には到達できないのでしょう?」

「え、と……その……多分……もう、視えると、思います、です……」


 確信したような顔で、朱火はわたしの手を握った。すると、握られた手を通して、強烈な振動が身体中を駆け巡った。体表を覆うようにしていた薄い膜が、パン、と弾けたような感覚がある。

 わたしは思わず膝をついた。身体の内側から、水分という水分が漏出するかのように、怒涛の勢いで霊力が流れ出していた。

 急激に口の中が渇き、喉が痛みを覚えて、呼吸さえも荒くなる。


「なに、を――っ!?」

「……綾女さんご自身の、霊圧で……感覚、掴めません、か?」


 朱火がわたしから手を離した瞬間、突如として視界が開けた。否、視界というよりも五感が拡張されたような錯覚に陥る。

 まるで、俯瞰で世界を観ているような――


「――――へぇ?」

「さっき……霊圧干渉して……霊圧を壊した、ですよね? そうすると、霊力が溢れ出します、です……霊感、って溢れ出した霊力に、霊力で触れる、感覚が近い、です……そしていま、綾女さんは、あたしの霊圧に触れて、霊力が溢れて……周囲に霊力の触手を、伸ばしました……」

「凄い――まるで触れてるように、感じます」


 瞼を閉じているのに、周囲がハッキリと視えた。

 唐突に、鮮明に、世界の感じ方が変わった。文字通り、周囲の世界が手に取るように分かる。


「霊感の、定義としては……霊圧で触れた範囲を、把握して、領域を探査する、能力を指します……です。霊圧範囲は……霊力を薄く放出、して、手を広げる感覚で……知覚範囲を、拡大する、ことが出来ますです……」


 朱火の説明をゆっくりと咀嚼する。

 なるほど、これは非常に素晴らしい。この感覚を掴むことが出来れば、別次元の索敵能力を手に入れることが出来るだろう。

 どことなく気配を感じ取る感覚にも似ていたが、現実の映像が脳裏に浮かんでいる点が全く違う。触れてもいないのに、範囲内にある存在の触覚がある。


「――これが、霊感」


 霊力の漏出を止めて、身体中を霊圧の膜が包み込んだのを認識した。

 体表を覆う霊圧の温かい感覚を意識しながら、空気中の霊波を意識して霊力でそれに触れる。漂う霊波に触れることで、脳裏には俯瞰景色が浮かび上がる。この感覚をさらに拡張する。

 朱火の言う通りに手を広げる感覚で、霊力を薄く伸ばすようなイメージで、身体の内側から霊力を放出して知覚範囲を拡大した。


「……こ、怖い……ですよ、綾女さん……いま、霊力コントロールさえも、できて……ます……」

「魔力を全身に流す感覚よりは、やり易いかも知れません。どちらかと言えば、修羅之位で脳のリミッターを外す感覚に近い――霊感のコツ、って他にありますか?」

「シュラノ、クライ……? あ、う、えと……コツ、ですか? 霊圧、意識しつつ、触れた霊波を、掴む感じ……ですかね? 肌で触れる、霊波を追う……霊圧範囲を、広げる……眼で視る、んじゃなくて、肌の感触を信じる……」

「へぇ? こう、ですね――ええ、理解しました」


 朱火はだいぶ抽象的な説明だったが、そうとしか表現できない気持ちは分かった。感覚を掴んだいまのわたしでさえも、上手く説明出来る気がしない。


「……絶対、に……おかしい……修得速度が……早すぎます、です……」


 わたしは改めて正面を向き直った。すると今度は、朱火が言っていた空間の歪みとやらが、ハッキリと浮かび上がっているのが分かった。

 まるでそこだけ仮想現実のデータがズレているように、ひび割れたような亀裂が入っていた。

 視る角度を変えると、ぐにゃりと光が曲がっているように歪んでもいる。霊圧で触れると、そこから先に何も存在しないことが分かった。


「――さて。それでは、破邪の滝を見付けることにしましょうか」


 わたしはクルリと進む向きを変えて、朱火が立っている方向に足を踏み出した。

 より五感を研ぎ澄まして、静かに天仙之位を発動した。すると、ピーン、と空気が張り詰めたような耳鳴りがして、無音に近い静寂が訪れる。一方で感度は上がっているようで、空間に漂う霊波の濃淡をいっそう強く感じ取ることができるようになった。

 先ほどまでは、強い霊力しか感じなかったが、敏感になった霊圧は、微かな霊波さえも拾えている。

 いまのわたしには、それらが鮮やかな青色で視えていた。強弱は色の濃淡で理解出来て、強烈な霊波であればあるほど、白色に近い輝きをしているようだった。同時に、あちこちの木が放っている霊力の黒色も視認出来ていた。

 それら霊波の濃淡を見分けながら、濃度が薄い方向を目指すことにする。


「……朱火さんは、見た目の割に、とってもお強そうですね……」


 霊感を修得したわたしは、改めて朱火の姿を視て、その内側に秘めた霊力量に圧倒されて苦笑した。

 霊獣の強さが、果たして霊力の強弱で決められるのかは分からないが、少なくとも朱火の霊力量、放たれている霊波の質は、わたしの数十倍以上だった。霊感で知覚すると、まるで太陽を直視した時のように強烈な光に視えた。

 ちなみに、わたしの背後で浮かぶ堺芽衣子も同じくらいの霊力で、霊獣としては、恐らく朱火よりも強力なのかも知れない。

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