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外道に生きるモノ  作者: 神無月夕
八重越えて
68/86

第一夜(4)

 ロープウェイ駅は、わたしや如月椿と同じような軽装の登山客で混みあっていた。けれど、ロープウェイ自体はそれほど混雑しておらず、余裕で座席を利用できた。割と快適だった。

 そうして、わずか十五分弱で、ロープウェイは天叡山の八合目に到着する。


「……歩いた時間が、本当に、勿体ないですね……」


 わたしはしみじみと呟き、傍らの如月椿を睨み付ける。

 無駄に登山道を歩いた時間と、同じだけの時間で、目的地付近にまで到達していた。ツッコミ待ちで歩き続けた如月椿を怒りたくなっても仕方あるまい。


「さて、と――ウチん家に案内するけど、ちょぉこのお客さんたちハケるの待とか?」


 ロープウェイ発着場は、折り返し下山する観光客で長蛇の列が形成されており、家族連れでたいそう賑わっていた。

 一方で、上りのロープウェイ側は、八合目の景色を堪能するのが目的と思える軽装の登山グループと、旅行鞄やスーツケースを持った宿泊目的の観光客グループがあった。二つのグループは全く逆方向にバラけている。

 わたしたちは、観光客グループと同じ方向に歩き出す。


「あれが、有名な山頂ホテルや。一泊が20万円から、っちゅう高級ホテルやで」


 如月椿が指差す先を見れば、見晴らしの良い高台があり、大きな洋館風ホテルが建っていた。天然温泉を売りにした人気のホテルで、天叡山にある唯一の宿泊施設である。

 まさか、このホテルが如月椿の実家なのだろうか。少し期待してしまう。


「ん? 綾女っち、そっち、ちゃうで? ウチらは山頂に向かうねん」


 ところが期待は裏切られた。如月椿は、こっちやで、と言いながら、山頂ホテルの脇道を抜けて、鉄条網とフェンスで囲われた送電線施設に向かった。そちらには、送電線施設のほかには急斜面の崖と、等間隔で設置された送電塔の姿しか見えず、山頂に続くような登山道はおろか獣道さえない。いやそもそも、登り勾配ですらない。

 わたしは振り返って背後の景色を眺める。天叡山の頂きは、山頂ホテルを正面にして、ハッキリと背後に確認出来る。

 仮に山頂へと向かうとしても、こちらに進む意味が分からない。


「如月さん。山頂に向かうのであれば、逆方向ではありませんか?」


 もしや、またツッコミ待ちか、とうんざりした声で問い掛けた。すると、如月椿は馬鹿にしたようなニンマリ顔をしてくる。


「綾女っち、何を言うてんねん? まさか、アレが視えへんのか?」

「……アレ、とは何でしょうか? 目の前にある送電線施設でしょうか?」

「やや!? 視えとるやん!? せやで? なんや、いちいち驚かせんで欲しいわぁ」


 またもや大げさに驚いて見せつつ、如月椿は正面にある送電線施設の入口に向かった。それがわたしへの回答になっていないことは一切無視して、フェンスの鍵を当然のように開錠する。

 ふざけているのか、と怒鳴りたい衝動に駆られたが、とりあえず深呼吸してから、騙されたと思ってそのまま付き従った。


「――どや? ウチの実家は、こっから先の領域やねん」


 送電線施設に入ると、ドヤ顔で如月椿が振り返った。

 何がだ、と横目で睨みつけてから、その光景にハッとする。如月椿の背後、送電線施設の中に見える景色が、濃い霧に包まれた登山道だったからだ。


「……これは、どういうことなのでしょうか?」


 送電線施設の扉一枚を隔てて、その奥には、完全に別世界が広がっていた。別の空間に繋がっているとしか思えず、何度も扉を出たり入ったりしてしまう。

 この扉はまさに、某国民的な漫画に出てくる『なんちゃらドア』にしか思えない。


「ウチ、霊媒師やって、南天から聞いとるやろ? 実は先祖代々から、霊媒師なんよ。そんで、ご先祖様にメッチャ強い霊能力者がおったんや。そのご先祖様が、山頂付近一帯を幽世(カクリヨ)に繋げたんや。元から、この天叡山の山頂付近は霊域として強力な霊力場を持っとったから、そのままにしとくん危険ちゃうかな、って思ったらしいわ」


 何度も扉を出入りしている様を笑いながら、如月椿はわたしの背中を押して、送電線施設の外に引っ張り出した。


「ちなみにや。ここは霊力を持っとる奴しか入れんし、出ることも出来へんねん」


 言いながら扉を閉じて、今度はゆっくりと扉を開けた。するとそこは、先ほどまで視えていた光景とは異なり、幻想的な登山道ではなく、現実の送電線施設の室内が広がっていた。


「へぇ? 霊力を持って、扉を開けないと繋がらない、ということですか?」


 現状のわたしは、魔力が霊力に変換されて垂れ流されている状態だ。霊力がない訳ではないのだから、当然、幽世とやらに接続できるはず――そう思ったが、それほど単純ではないようだ。

 何度試してみても、わたしが扉を開けると、内側は埃が溜まった送電線施設内でしかなく、外側は山頂ホテル脇の森である。


「それだけやないで。ちょっとしたコツも要るんや――こんな感じやで」


 不敵な笑みを浮かべた如月椿が、まるで消失マジックのように鮮やかに、扉を開けて姿を掻き消した。気配はおろか、存在自体がどこにも感じられなくなる。

 悔しいが、いまのわたしでは何をどうしたのかも分からなかった。

 ガチャ、と扉が開き、ふたたび如月椿の姿が現れる。そのドヤ顔が腹立たしい。


「――どや? 凄いやろ?」

「ええ、凄いですね……この技術は、教えて頂ける、と思って宜しいでしょうか?」

「モチのロンやで? ちゅうか、修行の締め括りは、ここから自力で脱出することやねんで?」


 如月椿の身体から大量の黒いもや――霊力が放たれた。その霊力に包まれたまま、腕を引かれて扉を跨いだ瞬間、濃い霧に包まれた登山道に立っていた。

 登山道は、左右に巨大な鳥居が立っており、正面はだいぶキツイ登り勾配をしている。そして、目算で100メートル程度登った先には、雲海に思えるほどの霧が立ち込めていた。

 背後を振り返れば、広がっているのは見渡す限りの深い森だった。どこまでも続く樹海であり、方向感覚が狂うような景色である。

 ここが幽世らしい。先ほどまで居た天叡山とは、明らかに異なる世界だった。


「ほな、行くで? この山道を登った先に、ウチの実家があんねん」


 如月椿はそう言って、軽快な足取りで雲海目指して登山道を歩き出す。わたしも足を踏み出して、途端、ガクンと膝が崩れそうになった。


「……身体が……重い……」

『恨めしい! 悔しい!! 腹立たしい!!!』

「……チッ……ただでさえ頭痛がするのに、キャンキャン五月蠅いですね……」


 この幽世に入ったせいなのか、取り憑いている堺芽衣子がいっそう騒ぎ始めていた。

 その姿も、先ほどまでの薄ボンヤリとした煙みたいな黒いもやではなく、ハッキリとした人型になっていた。しかもそれは生前の無事だった姿に近く、少なくとも流血していない綺麗な顔立ちに視えていた。

 ただし、瞳に光は宿っておらず、負の凄みは増している。


「そやそや、綾女っち。質問してたこと、一つだけ説明しといたる――【霊性開花の数珠】のデバフ効果やけど、いま痛烈に感じとるんちゃうん? この幽世じゃ、霊力を巧く扱えんと動くことさえキツイはずやねん。魔力の強化も封じられとる今、かなーり身体が重いんちゃう?」

「……ええ、まあ、そうですね」

「しかもやで? 取り憑いとる霊獣やけど、使役できへん限り、身体能力を半分にする呪いも纏っとんねん。つまり単純計算、半分の能力値に足枷までされとるのが今やっちゅうことやねん」


 如月椿がいじめっ子のような無邪気な顔で笑った。その態度と台詞が不愉快ではあるが、なるほど、だからこそ修行になるのか、と心底納得出来た。


「――もしかして、この状況というのが?」

「おぉ? ホンマ、察しは良いんやね。せっかく説明してから驚かそ、思っとったのに――せやで。この状況こそが、恐らくオフィサーが用意するであろう舞台状況やねん。せやから本気のオフィサーに勝とぉ思ったら、今の綾女っちじゃ無謀なん分かるやろ? そのまんまじゃ倒せへんやろ?」

「……分が悪いでしょうね」


 確かに、このままで挑んでも百回闘って一回勝てるかどうか、だろう。

 いや、八重巴の本気、実力の底が不明瞭な現状、勝てる確率があるのかどうかすら怪しい。


「如月さん。わたしは一週間そこらで、八重さんよりも強くなれるでしょうか? 勝負に勝てますか?」

「そない知らへんよ。ってか、強い弱いだけ言うたら、現時点でもオフィサーより綾女っちの方が実力は上やん? 地力じゃ格上なんやから、後はどれだけイーブンで闘えるかが焦点ちゃうん? イーブンに闘えたら、まあきっと、勝てるはずやし――」


 如月椿は当然とばかりに言い切り、はよせや、と視線を切って歩き出す。わたしは重い身体に活を入れて、その後ろについて行く。

 登山道を進み、やがて雲海の中に足を踏み入れた瞬間、身体の重さが更に倍になっていた。というよりも感覚的には、誰かに身体を押し付けられているような重さである。それこそ、取り憑いている堺芽衣子が圧し掛かっているのではないか、と疑ったほどだった。

 慌てて自らの背後を振り返るが、しかし押し付けられている事実などなく、誰からも何の干渉もされていなかった。


「――ちゅうても、オフィサーの用意する土俵で闘うってなっとる以上、イーブンに持ち込むんが、かなりムズイはずや。せやから、綾女っちは最低でも、霊獣の使役くらいは絶対せんとあかんやろな」

「……霊獣の使役、というのが、よく分かりませんが……兎も角、わたしが勝つ為の最低条件が、その、霊獣を使役すること、なのですね?」

「そやね。ちゅうか、考えれば考えるほど、端からこの勝負、無謀なんやないの? 綾女っちに勝ち目が見付からへん――せやけど、まあ、南天が勝つ見込みありって言うんやから、きっと他にも、秘策とか用意しとるんやろなぁ」


 首を傾げながらも、如月椿の足取りは軽い。一方で、わたしの身体は進めば進むほど、徐々に重くなっていった。

 さらには加えて、標高が高いせいか周囲の空気も希薄になってきて、耳鳴りがし始めていた。山登りは苦手ではないが、ここまで不調だと己の鍛錬不足が恥ずかしくなってくる。

 ふと気付けば、足元は傾斜がある登山道ではなく、段差のキツイ階段に変わっており、膝が笑っていて持ち上がり難くなっていた。

 わたしは思わず自嘲の笑みが零れた。不甲斐なさ過ぎる。


「――ただいまやん。家主のお帰りやで」


 登り切った先で、如月椿が元気よく手を上げながら声を出した。けれど、見渡す限り誰もいない。


「ここは――神社、ですか?」

「せやで。ここがウチの実家やねん。ようこそ、綾女っち」


 勾配の厳しい階段を登り切った先に広がっていたのは、幻想的な霧に包まれた神社の境内だった。

 綺麗に舗装された石畳を進むと、正面には大きな社殿が構えていた。左手奥には、渡り廊下で繋がった二階建ての母屋が見える。


「古い……いえ、随分と年季の入った本殿――!? 何者、ですか!?」


 境内の真ん中まで歩いた瞬間、突如、周囲から突き刺さるような殺意が放たれた。

 わたしはすかさず戦闘態勢になり、気持ちを切り替える。身体の感覚を研ぎ澄ませて、集中の世界に没入した。いつ何が起きても対応できるよう緊張感も高まる。

 辺りを鋭く一瞥するが、しかし気配の主は見付からない。周囲を包み込む霧が濃くなっていた。


「おぉっと、綾女っち。ちゃうねん、ちゃうねん! 敵ちゃうねん!!」


 わたしは視界に頼らず、敵意を放つ一番近い気配に斬り掛かろうと踏み込んだ。その瞬間、慌てた様子の如月椿が両手を広げて制止する。

 出鼻を挫かれたので一歩後退して、仕込刀を抜き放つのも堪えた。


「……何ですか? 敵、じゃない、とは?」

「堪忍やで、ホンマ。フユっちも抑えてや。この綾女っち、フユっちより好戦的なんやから」


 如月椿の背後に、ぼんやりとした青白い煙が集まってくる。それはすぐさま人型を成して、スッと地面に降り立った。

 それは、わたしよりも身長が低く、外見は中学生程度に視える少女だった。鮮やかな深緑色をした長髪が地面までも垂れており、巫女装束が似合っている。しかしその顔は険しく、露骨な警戒を見せていた。

 全身からは黒々とした重厚なもや――強力な霊力が放たれていた。


此奴(コヤツ)が、椿の云うてた修行者かえ? 修行者――にしては、あり得んほどの凄まじい霊力量ぞえ。しかも何故(ナニユエ)、そんな強力な怨霊をも連れておるのかえ?」

「この怨霊が、巷で噂の堺芽衣子やねん。綾女っちが使役する霊獣候補やねん」

「――正気かえ?」


 理解出来ない、とばかりに『フユっち』がわたしを凝視してくる。警戒こそ解かないが、先ほどまで放たれていた殺気は霧散していた。


「綾女っち。フユっち、紹介するわ――この、一見すると中学生っぽい女児は、ウチが使役する霊獣の中でも抜群に旧い霊獣で、名前を『冬帝(フユミ)』言うねん。生前は、ウチの偉大な御先祖様やで」

「――冬帝、ぞえ。儂のことは、冬帝(フユミ)様と、敬称を付けて呼ぶかえ」


 下から見上げるアングルで、見下す視線をわたしに向けてくる。とりあえずそれを軽く無視して、如月椿に疑問を投げる。


「意思疎通が図れる幽霊……これが、霊獣、ですか? 先祖の霊、と言うことであれば『守護霊』とか、そういった神仏の類ではないのでしょうか?」

「神仏? 守護霊? そんなわけあれへんやろ。ま、一部の中二病的な霊媒師やったら、そんな別称で呼ぶ奴もおるかも知れへんけど。さっき言うたやん。霊獣っちゅうんは――」

「――地縛霊とか悪霊、怨霊という存在、なのでしょう? それはお聞きしましたが、強力な霊力を持つ先祖の霊でも、()()という括りになるのですか?」


 わたしは幽霊や守護霊という存在を信じている訳でもなければ、地縛霊と悪霊、怨霊などの違いも理解していない。しかし、人間の姿をして知性がある存在を『霊()』と表現するのが、感覚的に納得できなかった。

 そんなわたしの疑問に、如月椿はキョトンとした顔で頷いた。


「せやで。姿かたちは人を模してても、霊力を発する獣やから、霊獣やで。ちなみに、フユっちにもう敵意ないから、そない物騒な闘気、抑えてくれへん?」

「――違和感でしかありませんが、理解いたしましょう」


 渋々と納得して、漲らせていた闘気を霧散させた。途端にガクンと身体が重く感じて、激しい疲労感に襲われた。

 素敵な逆境ではあるが、このような状況下で戦闘するのは、恐らく想像以上に厳しいだろう。


「ところで――そちらの方々も紹介して頂けるのですよね?」


 わたしは冬帝の背後、隠す気のない気配にチラと視線を向けた。

 冬帝が姿を現した瞬間から、その背後に、二人分の気配があった。また本殿の中からも一人分、強烈な霊力を放つ存在が出現していた。

 それらは三人は、凄まじい存在感を放っていた。


「流石、綾女っち。言うても、ここまで露骨じゃ気付くわな。かめへんでみんな、出てきて自己紹介しよか?」


 如月椿が不敵な笑みを浮かべて、気配の主たちに声を掛けた。やがて姿を現したのは、若い男女の二人組と、成人ほどの巨体をした大型犬一匹である。


「――最初は俺かな? 俺は椿姫(ツバキヒメ)の霊獣。蒼矢(ソウヤ)こと、(ソー)ちゃんです。どうぞよろしく、綾女姫(アヤメヒメ)

「あ、あたしも、椿さんの霊獣で、身の回りのお世話をさせて頂いている召使で……朱火(シュカ)と申しますです……気軽に『朱火(シュカ)っち』とお呼びください、です」


 蒼矢と名乗った茶髪の男性は、一見してホストを思わせるチャラい恰好をしていた。

 前髪で顔の半分を隠しており、心配になるほど色白な肌である。外見通りの軽薄な口調と態度をしており、押したら折れそうなぐらいに、なよなよした細い体格をしていた。

 けれど、その身に纏う黒いもや――霊力の量は、冬帝に勝るとも劣らないほどである。

 一方、朱火と名乗った女性は、陰湿な雰囲気を放ちながらモゴモゴと呟くような自己紹介だった。

 気配も希薄で、霊力もほとんど感じられない。だが不思議なことに、場を凍らせるような凄まじい冷気を足元から放っており、思わず背筋が震えるほどの殺気を感じた。

 その容姿は、野暮ったいスウェットに分厚いレンズの眼鏡を掛けていて、文学の虫と言われてしまうくらいに根暗な印象である。外見には全く気を使っていない様が見て取れる。


「ちなみに、その犬もウチの霊獣で『白虎丸(ビャッコマル)』言うねん。あだ名は『シロちゃん』や。格好ええやろ? ベースになった生前の魂は、生涯無敗の土佐闘犬だったんやで?」

「――へぇ? それは素晴らしい。よほどの戦闘力をお持ちなのでしょうね?」

「……綾女っち……すぐそないして、闘う前提で値踏みするのは良ぉないと思う」


 低い唸り声だけ上げる土佐闘犬の白虎丸は、如月椿が止めていなければ、すぐさまわたしに飛び掛かってきただろう。

 その巨躯から燃えるような烈しい霊力と、凄絶な敵意が噴出していた。そんな強烈な威圧を前に、わたしもつい昂ってしまう。


「待ちや、シロちゃん。綾女っちもやで? ウチ、そういうつもりで呼んだわけやあれへん」

「――あら? それでは、一体どういうつもりですか? 修行してくれるのではないのですか?」


 修行すると聞いているのだから、この霊獣たちと一戦を交えるのだと思っていた。違うのだろうか。

 わたしは身体に火を入れて、集中を高めた。


「ちゃうわ。いまは、ウチが使役する霊獣を紹介しただけやって――修行内容は、これから説明するからちょお待ちや」

「……椿、この狂気、事前に聞いておったより、ずっと度を越えておるぞえ。どんな人生を歩めば、これほど歪むのかえ?」


 冬帝が呆れた口調で、随分と失礼な台詞を吐いていた。とりあえず鋭く睨みつけて黙らせる。

 ところが、わたしの睨みに対して、どうしてか朱火がビクついて一歩下がっていた。


「綾女っちは今日から、本殿奥の武道場で寝泊まりやで。まずは、このデバフ環境に慣れることが目標やねん。ほんで、霊格を身につける修行を行いつつ、霊薬とかで肉体改造して、霊獣を使役する方法を学び――」

「――如月さんが、直接、実戦形式で指導してくださるのですよね?」

「は? いやいや、なんでやねん。そないなこと、せぇへんよ? そない無駄なこと、やる意味ないやん? ちゅうか、南天から依頼されとらんし」

「――わたしは、円卓に座る如月さんの実力を堪能したいのですけれど? 勿論、霊能力の修行も行いますけれど、それよりも実戦で己を高めたいです」


 想像していた修行内容とだいぶ違うことを言い始めた如月椿に、わたしは思わず憤って、その説明を遮った。これほどまで昂ってしまった気持ちを無視して、よもや実戦訓練はしない、と拒否されるのは酷過ぎるだろう。

 逆境の中で行われる実戦こそ、死地を乗り越えるような機会こそ、実力を底上げする近道なのだ。

 せっかく円卓に座る強者が修行をしてくれる状況で、その実力を堪能しないのは勿体なさすぎる。最悪、如月椿本人が闘ってくれなくとも、使役している霊獣たちでも充分愉しそうだ。

 そんなわたしの思考を読んだのか、如月椿がこれ見よがしに肩を落としてうんざりする。


「そない闘いたいんなら、しゃーなし。説明は後回しや。綾女っちの要望、叶えたるわ……どのみち、実力を測る必要性はあるしな。そない好戦的やったら、ウチがちょいと手ほどきしたる」

「――素晴らしい」

「おぉっと、ちょい待ち。ここじゃアレやから。武道場に行くで」


 如月椿の台詞に、冬帝が目を見開いて驚いていた。傍らの蒼矢も驚愕の表情を浮かべて、如月椿とわたしの顔を交互に見比べていた。

 何を驚くことがあると言うのか。その態度が不愉快だった。

 今すぐにでも闘いたい、とばかりに全身から闘気を迸らせる。垂れ流されている霊力が、倍以上の速度で噴出し始めた。魔力循環の意識を活発化させた影響である。

 どんどんと力が抜けていく感覚に驚き、慌てて興奮を抑えて魔力循環を調整した。


「……つ、椿さん……こ、この、綾女さん……ヤバ、ヤバ過ぎます、ですよ? ラスボス級の霊力量を、持ってますですよ?」


 朱火は恐怖が滲んだ呟きを漏らしている。蒼矢も一歩後退って、わたしに畏怖の感情を向けていた。白虎丸に至っては、負け犬の遠吠えみたいな弱々しい声音で、ガウガウ、と喚いていた。


「せやねぇ。せやから、調子乗ってんねん――ほな、綾女っち、場所移すで? こっちや」

「ええ、承知いたしました」


 果たして、調子に乗っているのはどちらか、と薄笑いしながら、わたしは如月椿に従った。

 思わずスキップしそうになる気持ちは落ち着かせて、どれほど如月椿が強いのか夢想する。いまのわたしがどこまで通用するのか、霊力を用いた戦闘がどんなものか、愉しみでならない。

 そうして案内されたのは、本殿奥の武道場である。武道場は思っていたよりも広かった。床は板張りではなく、格闘技マットが一面に敷かれていた。

 わたしは旅行鞄を武道場の端に置き、仕込刀を抜いて中央に立った。

 如月椿はそんなわたしと素手で対面して、遅れて入ってきた霊獣たちを一瞥した。


「ウチは大丈夫やから、指示するまでは、絶対に手ぇ出さへんとってね?」

「出さぬぞえ――じゃが、度を越えるような状況になれば、流石に介入するかえ」


 冬帝が腕を組んで壁に寄っかかっていた。その左右に、蒼矢、朱火、白虎丸が座して、全員が完全にただの観客と化していた。

 霊獣は手を出してこないらしいが、随分と舐められたものだ。


「……如月さん、わたし手加減しませんので、殺してしまったらごめんなさい」

「ええよ、ええよ。殺せるもんなら、どうぞ、や。せやけど、無理やと思うで? ま、ウチは手加減するから、そこは安心してや」

「上等――ぐッ!?」


 ふざけたことを言うな、と腰を落とした瞬間、如月椿の後ろ回し蹴りが鳩尾に突き刺さっていた。

 わたしは受け身も取れず、そのまま吹っ飛ばされて転がった。反応出来なかった。


「開始の合図、必要やったかな?」

「…………不要、ですよ? それにしても……だいぶ、疾い、ですね?」

「ウチ、これでもクノイチ、つまり忍者やで? スピードには自信あんねん」


 すかさず起き上がり、態勢を立て直して対峙する。

 脳内麻薬の分泌量を増やして、集中力を最大まで高めた。長くゆっくりとした呼吸に切り替えて、修羅之位ではなく天仙之位を発動させた。

 少しだけ身体が重くなったが、その分、研ぎ澄まされた五感がより鋭敏になる。

 攻めるよりも受け身を優先にするのは個人的に趣味ではないのだが、まずは如月椿の動きを見極めなければならない。


「……素敵です、如月さん。ノーモーションで、音さえなく、これほどの威力――がぁ!?」

「油断し過ぎやねん」


 如月椿の足元に注視した刹那、その姿が掻き消えて、背面を肘鉄で強打された。


(――視えない!?)


 無意識に、カウンターで斬り払いをしていたが、当然ながら空を斬っていた。

 前のめりに態勢を崩しながらも、必死に蹈鞴を踏んで身体を起き上がらせる。あまりの強打に横隔膜が痙攣したようで、完全に息が止まっていた。

 こうなっては、もはや出し惜しみなど無意味だ。

 如月椿の動きを視認出来ていない状況で奥の手を出すのは抵抗があったが、ここまで実力差があるのであれば、そうも言ってはいられない。


「梵釈之位――歩法、朧」

「んな!? うぉぉい、むっちゃ疾いやん!?」


 わたしは武道場の壁を駆けながら、幾重にも分身を見せる動きを披露した。如月椿の視界から逃れる為に、素早さで撹乱させて不意打ちを仕掛ける意図である。


「――追い付いて、おいて、その台詞は、随分と上から、ですね?」


 しかし、その背後を平然と並走された。

 如月椿は足音も立てず、気配さえ感じさせない動きで、わたしの真後ろに影のようにピッタリくっついて駆けてくる。


「――ちゅうか、このデバフ環境で、なんでこない動けるん? あり得へんよ?」

「うるさ――ぐぅ、っ!?」

「ウチの動きにも反応出来とるし、ホンマ化物や」


 背後にピッタリ張り付いている如月椿に斬鉄を繰り出すが、紙一重で躱されて、カウンターにボディブローを喰らわされた。

 ドスン、と凄まじい衝撃が腹部から背中に突き抜けて、激痛を味わいながらマットに激突した。

 これほど実力に差があることが信じ難いが、まさに大人と子供の差である。手も足も出ない、とはこのことだろう。


「……何で、いまので立ち上がれるん? しかも何で笑顔なん?」


 ゴロゴロと転がって、わたしはすぐさま起き上がった。かろうじて、意識はハッキリとしている。

 ただし激痛と呼吸困難は最高潮で、出来ることならばこの場で今すぐ蹲って、胃の中身を全部吐き出したい気持ちだ。だが、それ以上に、これほどの強者を相手に出来る悦びに昂ってもいた。


「素晴ら、しい――」

「ホンマに狂気やで。こないな状況で笑えるのは……」

「――如月さんは、円卓の名に恥じぬ、真の強者です。本当に、感服いたしま――っ!?」


 わたしは少しでも時間を稼いで、痙攣する横隔膜と激痛を訴える腹部を落ち着かせようとした。しかしそんな思惑はお見通しとばかりに、如月椿はまた音もなく、右ストレートを繰り出してきた。

 予備動作のない瞬息の右ストレートに、わたしは咄嗟で刀を合わせた。

 拳を両断するつもりで、唐竹割の要領で振り下ろす。けれど、信じがたいことにその刃は弾かれた。ただの素手に、である。


「化物、め――っ!?」

「ウチの台詞やねん。こんだけデバフ地獄の環境で、こない動ける綾女っちこそ化物やで?」


 続けざまに、心臓と腎臓が掌底で強打された。発勁の如き衝撃がわたしを突き抜けた。


「……く、そっ!! 無形羅刹、っ!」

「若い子がクソはあかん――って、ぉおお、ちょ、速い速い。こりゃ、あかんな」

「――――このまま押し切、っ、ぐぅ!?」

「ウチ、ちょぉっとだけ、本気出さなあかんやん」


 わたしが放った無形羅刹――高速の連続斬撃をかい潜り、如月椿の前蹴りが肋骨に突き刺さった。

 如月椿はわたしを蹴り飛ばした勢いを利用して、アクロバティックにバク宙を決めると、大きく距離を取っていた。

 せっかく間合いを詰めたのに――いまや剣の間合いの外で、互いに向かい合う。


「ウチ、もう充分、綾女っちの実力分かったんやけど、まだ続けるん? これ以上は、お腹いっぱいやねんけど、綾女っち、まだまだ足りへんか?」

「――――」


 如月椿の挑発的な言葉は聞き流した。もはや問答は不要だった。

 わたしは腹部の激痛を無視して、集中の極致に達する。全神経が目の前の如月椿を捉えており、その一挙一動に注視している。微かな筋肉の動きさえ見逃さないと、瞬きせずにジッと見詰めた。


「ホンマ怖すぎや……せやったら、ウチのとっときお見せするわ」


 おどけた調子で言う割に、対峙する如月椿には微塵の隙もない。それこそ、わたしが油断しようものなら、容赦なくつけ込む気概さえ感じる。


「ほな、行くで――」


 強く意気込んで、如月椿の身体が動き出す。しかしその言葉はフェイクだ。気合を入れて踏み込むように見せて、その実、足元に力は入っていない。


「歩法朧に似ていますね……」


 如月椿の体術、足捌きは、見せ掛けの動作と実際の動きをズラしていた。挙動全てが、虚実入り混じった騙し技となっている。

 その特性に気付けなければ、見せ掛けの動きに釣られて虚をつかれる。

 今回の台詞もまさにそうだった。

 あえて声を出して、行くで、と言いつつも、わたしの動き出し、身構える隙を伺っていた。わたしが動いた瞬間に、後の先を取るつもりである。

 だがそれを把握しているわたしには、子供騙しでしかない。通用するはずがなかろう。


「――四字熟語闘技(ヨジジュクゴトウギ)艱難辛苦(カンナンシンク)』や」


 喋りながら、無意味に両手を大きく広げる。同時に身体の重心が傾いた。足裏に力が籠り、筋肉が躍動し始めるのを捉える。

 一歩踏み込めば剣の間合いで、二歩踏み込まれれば拳の間合い。

 二歩目を踏み込ませる前に、斬鉄で両断する。

 流れる動作でスッと刀を振りかぶり、踏み込ませる前に最速で切り裂――けなかった。


「っ、っ――っ!? 馬、鹿な……?」


 音もない衝撃が、わたしの背後、後頭部を撃ち抜いていた。途端、視界が揺れて、足に力が入らなくなる。

 チラと背後を見ると、後頭部を撃ち抜いた何かが、トン、とマットに落ちた振動が伝わってきた。けれど、それが何かは分からない。振動と音のした方を見ても、何も見えなかった。


「あかん、あかん。ウチの動きに釣られすぎや」


 膝から崩れ落ちた。痛みよりも脳震盪で、もはや立っていることさえできなくなっていた。視界が安定せず、眩暈と吐き気が襲ってくる。


「解説したる。ウチ、『四字熟語』って言うたタイミングで両手広げたやろ? あんとき、この透明で無音の手裏剣『音無(オトナシ)』を投げたんや」


 朦朧としているわたしに、如月椿はそんな言葉を投げてくる。

 音が脳内で反響して、不快感が酷い。しかも正直、視界がブレているので、この、と言われても、それが何か見えていない。しかし何らかの投擲物によって殴られたのは間違いないようだ。


「……飛び、道具……」

「せやで。ウチ、クノイチやさかい。だいたいの暗器術は嗜んどる」


 何を投擲されたのかも分からないし、その投擲された瞬間さえ分からなかった。直撃を受けた今でさえ、どんな軌道で飛んできたのかも理解出来ない。

 何よりも、素手で来るという先入観、思い込みが、さらにわたしを不明にさせていた。

 これはもう苦笑するしかない。この結果は、必然の負けである。

 油断していた、と言えばその通りだし、相手を無意識のうちに、型に嵌めていたのも敗因だろう。何が起こっても対処出来る、という慢心があったのも間違いない。如月椿の戦闘スタイルを決め付けて、展開の読みも甘すぎた。

 今更になって、蒼森玄師父から言われた『実力不足』『経験不足』を痛感する。


「……綾女っちの悪い癖は、きっとアレやね。あらゆる状況に対して、想定が足りへんね。つまり経験不足や。なまじっか、何が起きても後の先で対応できるから、予期せぬ攻撃への対処が遅いねん」


 薄れる意識に、そんなありがたいアドバイスが降り注ぐ。反論しようと思ったが、声が出なかった。


(……まさに、言われなくとも、痛感していますよ……)


 苦虫を嚙み潰したような顔で睨みつけると、如月椿は不思議と、勝ち誇った様子もなく油断さえしていなかった。


「ちなみに、最大の敗因やけど、きっとソレや。綾女っち、()()()()()()()()()()()()()、って思っとるやん? ソレ、地道な努力家とか、基礎しっかりして強ぉなった実力者には、通じへん理論やねん――」


 如月椿の身体が一歩遠ざかり、腕を振り上げる仕草をした。視界が安定していないので、何を放り投げたのかは分からないが、攻撃が来る予感に警戒を強め――瞬間、ドン、と。


「――ウチに集中し過ぎやねん」


 側頭部が強烈に揺らされた。わたしは衝撃に受け身も取れず吹っ飛ぶ。

 痛みよりも、驚きが先行する。その攻撃は、観戦に徹していたはずの冬帝からだった。


「儂が今まで見てきた中でも、これほどの化物はおらんかったぞえ」

「せやねん。ウチもこれはビックリや――南天が絶賛しとった理由が、やっと理解出来たわ」


 冬帝の飛び回し蹴りを喰らい、続けざま、正拳突きまで浴びたわたしは、もはや意識を保つことも出来ずに気絶した。

 完膚なきまでの完全敗北。ぐうの音も出ない結果だった。


「……笑顔のまま気を失うとは、まったくもって狂気の沙汰かえ」


 呆れた冬帝の声に如月椿が返答していたようだが、それ以上は、気絶したわたしの与り知らぬところでの話である。

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