第一夜(1)
目が覚めて真っ先に聞こえてくるのは、ここ数日で聞き慣れたスケッチの音だ。速写しているように細かく素早く走る鉛筆の音であり、興奮気味の荒い息遣いである。
わたしは薄く眼を開けて、音の聞こえる方に顔を向けた。そこには、目を充血させて必死の形相をした五百蔵鏡が座っていた。
「――今朝は、だいぶ興が乗っているようですね?」
「申し訳ないが、鳳仙。最後の追い込みだから、もう少しだけ寝ててくれないかな? まだ日も昇り切っていないし、本当に、本当にもう少しなんだ」
「それは、スケッチが今日で終わる、ということですか?」
「ああ――ちょっと口を開けるのも遠慮して欲しい」
五百蔵鏡が自分勝手な要求を口走る。だが逆らうつもりもないので、わたしは言われた通りに目を閉じて天井を向いた。
起き上がらずに出来る修行をしよう――
わたしは全身の血流を意識して、その流れに沿って魔力を行き届かせた。また同時に、肌表面から魔力が漏れ出ないよう外側から抑え込むコントロールをする。そうすると必然、筋肉に魔力が留まろうとするので、その魔力を薄く伸ばす感覚で皮膚の下に満遍なく広げた。
「……これ、独り言だから相槌も打たないでいいけどさ。鳳仙、君は、本当に人外の『化物』だよね。ドクターから聞いた話だと、魔力を自覚してからまだ一か月も経ってないんだろ? なのに、そこまでの魔力練度――しかも、まだ十七歳、だっけか? 同い年で比べると、S級の新顔ちゃんも充分に天才と言えるレベルだったけど、それを頭一つ以上飛び抜けてる才能だ……やはり『特Sクラス因子』だと、生息域が違いすぎる」
精神集中しているわたしに、五百蔵鏡が呆れた声を出していた。
基本的には、誰かも知らない他人と比べられても何とも思わないが、比べられた相手が龍ヶ崎十八だと少しだけ誇らしく感じた。
「十八くんは、やはり天才ですか?」
「おい、喋るな――ん? あ、S級の新顔ちゃんのこと? そりゃあ、天才だろ。そもそもあの異能『治癒』が、百年に一人いるかいないかのレベルだし、珍しいことに覚醒者なんだよ? 捕らえる時に僕も少し闘ったけど、戦闘力も申し分なかったし、魔力操作なんかは目を見張るものがあった。鳳仙は別次元としても、同年代ではほとんど無双出来るだろ」
「――へぇ? そんな方がパートナーなのは、誇らしいですね」
「悪いけどさ、鳳仙。本当に、喋らないでくれないか? あと微笑とかも、どうでもいいから、寝顔を見せて欲しい」
五百蔵鏡の理不尽な要求に一瞬だけ苦笑してから、文句は呑み込んで黙り込む。
そこからしばらく、単調なスケッチの音と呼吸音だけが聞こえた。わたしも集中の世界で、ひたすら自身の内側で魔力操作を鍛錬した。
「――完成した」
ふいにボソリと、喜びが滲んだ囁きが聞こえた。ハッとして集中の世界から意識が戻される。
「終わりましたか?」
「…………」
わたしの問い掛けに何の反応もしないので、仕方なしに魔力鍛錬を中断して身体を起こした。
ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべる五百蔵鏡を見て、わたしはそれ以上追求する気を失くす。問うまでもなく、会心の出来のようだ。
「いつの間にか、もうこんな時間か――わたし、汗を流してきますけれど、柊さんは、どちらに居るかご存じでしょうか?」
自らの作品の出来栄えに満足している様子の五百蔵鏡は、声を出さず首を横に振った。部屋の中を見渡して柊南天の痕跡を探すが、気配も含めて何もなかった。
とりあえず日課をこなす為に、着替えを手にして客室露天風呂に向かった。ここ数日は、この朝風呂で一日の始まりを感じていた。
さて、今日は八月二日の月曜日――ミュージアムパーク万美術館での五百蔵鏡暗殺事件が起きてから、ちょうど一週間が経とうとしていた。
わたしはその間、ずっとこの旅館で温泉療養しつつ、適度な観光と軽いリハビリを行い、龍ヶ崎十八のお見舞いなどをして過ごしていた。一昨日くらいから、もはや完全に気力も体力も充実しており、これ以上の休息は不要と思えるくらいに絶好調な状態が続いていた。
だと言うのに、柊南天からは、まだ完治していないので安静にしてくれ、とお願いされていて、退屈に過ごしている。
「――嗚呼、そうだ。五百蔵さんのデッサンが終わったのですから、お願いすれば、またわたしと稽古してくれるかも知れませんね」
温泉で四肢を伸ばして、雲一つない蒼天を見上げながら、わたしはそんな呟きを漏らす。
長風呂は趣味ではないが、最近のわたしは、こうして温泉に浸かりながら物思いに耽ることが好きになりつつあった。
のぼせない程度に長湯しながら、無駄な思考に没頭する。
「……そう言えば、十八くんが昨日で護国鎮守府に復帰する、と言っていましたね……何か新しい任務があるかも、とか……もしかしたら、今日にでも連絡が来るかも知れません」
寝惚けたような呟きと共に、多少の期待に胸を膨らませた。
せっかく夏休みという長期休暇で、貴重な実戦経験を積みたいと願うのは剣士の常だろう。温泉療養も充分に堪能したので、次は絶体絶命の窮地を味わって、自らの腕を高めたい。
「――八重さんからの報酬も、そろそろ頂戴しないといけませんね……ついでに、わたしをハメたことに対して、制裁も与えないと、ですし」
ふいに感じた気配に、わたしは思い出したとばかりに頷き、温泉から上がった。
いま感じたこの気配は、柊南天で間違いないだろう。気配は、わたしたちが泊まっている部屋から、客室露天風呂に向かって歩いて来ていた。
「あらら? 綾女嬢、もう上がるんスか? いまちょうど、綾女嬢が喰い付きそうな情報持ってきたってのに?」
身体の水滴を拭ってから脱衣所に入ると、先ほど感じた気配の正体――柊南天が着替え片手にやってきていた。
やはり、である。わたしの感覚は間違っていない。
柊南天は全裸のわたしを一瞥してから、脱衣籠に着替えを入れて服を脱ぎ始める。どうやら、わたしを呼びに来たという訳ではなく、朝風呂を堪能するつもりだったようだ。
だが生憎、わたしはもう堪能したので、一緒に湯に浸かるつもりはない。
「その情報とやらには非常に興味がありますし、わたしも八重さんの件でご相談があるのですけれど――温泉は先に上がらせて頂きますよ」
わたしは半裸の柊南天を横目に、濡れた髪をドライヤーで乾かす。
髪を乾かし終わったら、サッサと部屋に戻ろうと思っていた。気温もだいぶ上昇し始めているし、ボチボチ朝食の時間でもある。
「あ、そっスか? ま、いっか――んじゃ、後で部屋でお伝えしまスよ」
「ええ、朝食を頂きながら、お聞きすることにします」
「了解ス。ちな、今日の朝食は部屋食で依頼してないんで、食堂行く必要あるっスよ?」
柊南天の着やせする身体つきを睨み付けながら、分かりました、と頷いた。
わたしは持ってきた私服に着替えて部屋に戻った。部屋には、事切れたように倒れている五百蔵鏡が居た。
「――呼吸、していませんけど、死んだんですか?」
五百蔵鏡は畳に俯せで転がり、全く微動だにせず突っ伏していた。周囲にはデッサンの時に使用していた画材などは一切なく、片付け終わって力尽きた、という印象である。
あまりにも無防備で隙だらけ、気配さえ感じない無様な様子に、わたしは少しだけ心配になった。
勿論、仮に死んでいても心は痛まないし、心底どうでも良いのだが――わたしは純粋な親切心から、とりあえずベッドに運んであげようと身体に触れる。
「生身、じゃない、のですか?」
スッと抱き起そうとした時、そのあまりの軽さに驚いた。およそ20キロもないだろう。
外見からはあり得ない体重だった。しかも人肌の温度を保っているにも関わらず、脈動がなかった。心音も聞こえなければ、血流も感じない。けれど、体温は人間と同じくらいだ。
肌の弾力、見栄えは人間にしか思えないが、これは間違いなく人の手による造形物であると確信した。
実際、両手で抱き上げた際に、魔力を流してその身体を調べたところ、内側は人間とは異なる構造をしていた。
わたしは五百蔵鏡の身体をベッドに放り投げる。人間大の人形を放り投げた感触だ。そのまま携帯電話だけ手に持って、食堂に向かう。
わざわざ柊南天が風呂から上がってくるのを待つつもりなど毛頭なかった。
食堂はだいぶ盛況で、ほぼ満席に近い状況だった。一般客の多くは家族連れで、バイキング形式の朝食を楽しんでいる。
「おはようございます。ようこそお越しくださいました、蒼森望夜様。お席はこちらです」
VIP扱いのわたしを見付けると、若女将が個室になっている奥座席に案内してくれた。
席に着くと、和風の朝食を配膳される。相変わらず、出来立てで美味しそうだ。
「綾女嬢、薄情じゃないっスか……部屋で待っててくれても良かったんじゃないスか?」
朝食を摂っていると、しばらくして浴衣姿の柊南天がやってきた。
「あら、柊さん、それは失礼いたしました……ところで、そう言えば、わたしが興味ある情報とは、どんなものでしょうか?」
「おや? 性急っスね。まだ食事中なのに、すぐに聴きたいんスか?」
「サッサと言ってくださいませんか?」
いちいち勿体ぶる柊南天の態度に溜息を漏らしながら、みそ汁に口を付けた。相変わらず美味い。一週間毎日食べても飽きない味である。
柊南天はテーブルに印刷した紙を置いた。
「巴女史から、ようやく返信が来ましたよ?」
わたしは紙面に目を落とす。それは短いメール文で、簡潔な苦情だった。
「『約束が違う。これでは報酬は払えない! 依頼内容は暗殺だ。対象が死んでいない以上、これは暗殺失敗であり、ペナルティを支払うべきだ』――へぇ? 柊さんはどんな内容のメールを送ったのでしょうか? それに対する返信がこれですよね?」
「うちは、ちゃんと『五百蔵鏡は社会的に殺した。暗殺成功也』って、メールしたっス」
ふむ、と口元を緩めて思案顔を浮かべる。
想定外の着地になってしまい、八重巴は慌てふためいているのだろう。しかし、それはわたしたちの想定内である。
「当然、わたしが興味を持つ情報というのは、この返信だけではありませんよね?」
メール文の日付は、八月一日になっている。つまりは昨日の返信だ。それを一日寝かせてから、勿体ぶって言うはずはないだろう。
柊南天の性格から察すると、この後にもやり取りがあり、そこで決定的な何かが起きたはずだ。だからこそ、こうして勿体ぶっている。
「ご明察ス――うち、また綾女嬢のフリして電話しまして、そこで言質取ったス」
不敵な笑みを浮かべながら、小型のボイスレコーダーを取り出して音声を流し始める。
『鳳仙殿。儂との約束を反故にする気か!?』
『どこが、ですか? わたしは言いましたよね? 暗殺対象が、人修羅以外の誰かの手により死んだ場合も依頼成功となる、と――暗殺対象である五百蔵鏡はもう死んでいます。世間がそう認識しています』
『言葉遊びなぞをするつもりはない! 事実として、クリエイター殿は生きておる』
『クリエイター、という号を持つ存在は、確かに存命かも知れませんが、それは理外の世界の話でしょう? もう一度言いますが、依頼内容は五百蔵鏡の暗殺、です。そして、五百蔵鏡という人間は、もうこの世には存在しません――インターネットでお調べになったら如何でしょうか?』
聞こえてくるのは、全く身に覚えもないわたしの声と、ハッキリと苛立っている八重巴の声だった。
ボイスチェンジャーで喋っているのは理解しているが、喋った覚えもない台詞を耳にするのは、非常に不愉快だった。
垂れ流される通話録音は、ここからしばし水掛け論になる。互いに譲る気がなく、話は平行線でただただ言い合う展開だ。
わたしは段々と腹が立ってきて、聞く意味があるのか、と柊南天を睨み付けた。するとその瞬間に、シィ、と人差し指が口元に当てられた。
『――これ以上言うても無駄じゃのぅ。致し方ない。まぁ、儂もこういうケースを想定しておらんかったのが落ち度じゃ。報酬は全て支払おう』
『賢明なご判断、ありがとうございます。それでは報酬の受け取り方ですが――』
『――ところで、依頼の成否に依らず、人修羅は儂に貸しが出来ておったはずじゃが、早速利用させてもらいたいのぅ』
『それは、どういうことでしょうか?』
『単純じゃ。八重家の道場で、八重示現流の流儀に則って、儂と賭け試合をして欲しいのじゃ。儂は八重家の全てを賭ける。儂が負けたら、八重家は人修羅に絶対服従を誓おう』
『……わたしには、何を賭けろ、と?』
『人修羅の遺産のうち、【人修羅の業】を賭けて欲しいのぅ。どうじゃ?』
『随分と身勝手な――賭け試合とは、具体的にどんな勝負になりますか?』
『一対一、木刀を用いた勝負じゃ。どちらかが降参を宣言するか、戦闘不能になった時点で決着とする。ちなみにこの戦闘不能とは、失神もしくは、死ぬ危険性があると判断された状況に陥った場合を指す。また、万が一死んだ場合には、殺したほうが負け――どうじゃ?』
『……その賭け試合、互いに殺さない前提だと、公平な第三者の立会人が居ないと不安です。わたしが勝っても、無効にされたら嫌ですし』
『円卓一席イージス殿を立会人に招こうではないか。じゃから、儂との勝負後、余力があるならば、そのまま一騎打ちの舞台も整えようぞ?』
『――――』
『賭け試合の期日は一週間後、八月八日、日曜日の十四時でどうじゃ? 試合会場は、八重本家の剣道場を利用しよう』
『……確認ですが、八重家の全て、とは、八重家が保有なさっている資産も含めて、その全てが人修羅に帰属する、という認識で宜しいでしょうか?』
『ふむ。その通りじゃが、それほど金銭に困窮しておるのか?』
『地獄の沙汰も金次第、ですよ? 資産はどれほど多くても困ることはありません――承知いたしました。その賭け試合、受けましょう』
『重畳、重畳。それでは後ほど、住所をメールで送っておこう』
プツン、と電話が切れた音が鳴り、ボイスレコーダーは再生を終えた。
わたしは緩み出す頬を隠さず、疑問に首を傾げた。
「――素敵なお誘いですけれど、八重さんはわたしに確実に勝つ自信がある、ということでしょうか?」
魔獣キメラ退治の際に垣間見た八重巴の実力を考えると、自惚れでも何でもなく、いまのわたしならば勝算は六割近くあるだろう。勿論、八重巴が異能やその真の実力を隠している可能性はある。
だが、だとしても、確信をもってわたしに勝てるという自信がどこから来るのか不明だった。
先ほどのボイルレコーダーから聞こえた声音には、勝利を確信したかのような響きが含んでいた。
「いやぁ、ちゃうっス――あ、ちゃう、ってのは、綾女嬢がいま考えてるように、実力差がある、とか、実力を隠してるとかって意味じゃないス。巴女史の戦闘力は、過大評価しても、いま現在の綾女嬢の本気とほぼ同程度っスかね? 同一条件、正々堂々と全ての手を使える状況で真正面から闘えば、七割程度で綾女嬢が勝てると思いまスよ」
「それならば、八重さんとしては博打なのでは? わたしに勝てる保証が――」
「――真正面から闘えれば、スよ? 巴女史、じゃなくて――腹黒嘘吐き妖怪婆の土俵に引きずり込まれた時点で、これ正味、綾女嬢の勝率は奇跡が起きて一割あるかないか、てとこになってまスよ? だって腹黒嘘吐き妖怪婆の土俵じゃ、勝ち目なんざほぼないんス」
柊南天はピシャリと言い切る。そして、勿体ぶった様子で言葉を呑んで押し黙っていた。
わたしの認識が間違っていないのであれば、必然、罠でも用意しているということだろうか。勝ち目がない、とまで言わしめるというと、よほど強力な罠なのだろうか。
どれほどの逆境が待っているのかと、わたしは愉悦の笑みを浮かべて胸を高鳴らせた。
「んー、ま、綾女嬢の期待には応えられると思うスよ。罠、と言えば罠、スかね? この賭け試合、かなりのハンデ戦になりまスから」
「ハンデ戦? へぇ? どういうことですか?」
「殺しの禁止、使用武器の制限、霊力場による身体能力の制限、魔力禁止と、綾女嬢に一方的な制限が掛かるんスよ。だから体調が万全だろうと、綾女嬢が圧倒的に不利な状態っス」
「……殺しの禁止と、使用武器の制限は、お互い様ではありませんか? わたしだけが圧倒的に不利というのは些か言い過ぎでは?」
同一条件での試合を望んでいる訳ではないが、聞く限りで、試合条件は平等に思える。
確かに、殺しを禁じられると、わたしの攻撃力は格段に落ちるだろう。また、武器が木刀である点も、だいぶ影響するに違いない。
けれど、たかだかそれだけだ。互いにその条件であれば、剣技で幾らでも挽回できるだろう。挽回出来る要素であれば、さして問題はないはずだ。
「不利なんスよ。んーと、まず一つ目『殺しの禁止』って制限が、綾女嬢だけに課せられたルールっス。この試合そもそも、八重家が保有する魔法具の力で、誰も死なないような設定になってるス。限定領域内での戦闘で、あらゆる即死攻撃を無効化するってもんスね。このことを腹黒嘘吐き妖怪婆は、あえて言わずに闘うつもりっス。そして、だからこそ綾女嬢を殺す気で闘うでしょう」
「……なるほど。八重さんからすると、わたしが死んでいなければ負けではない。けれど、八重さんが即死に類する攻撃を受けた場合には、ルールに則り、わたしの負けが決まる、と?」
「お察しの通りス。つまり綾女嬢が勝つ為には、死なないギリギリまで攻めて戦闘不能にするか、降参させるしかないスね。ちな、戦闘不能の定義も向こうの匙加減スから、綾女嬢は極力、重傷を負わない闘い方じゃないとヤバいスよ?」
「それが八重示現流の流儀、ですか? なかなか卑怯ですね。しかし面白い。上等ですよ」
「あと、武器っスけど、綾女嬢は木刀で、腹黒嘘吐き妖怪婆は木刀を霊剣化させるんで、実質、影響を受けるのは綾女嬢だけス」
「へぇ? それはそれは――とても素敵」
思わず笑みが零れた。なんともわたし好みの理不尽な逆境ではないか。
「言うて、それより一番キツイのが、霊力場による身体能力制限、魔力禁止による能力制限でしょうけどね」
「それは、具体的にどんなモノなのですか?」
「霊力場では、霊力を持たない人間は、両手足に重しが付いた状態になるっス。分かり易く言えば、重力が三倍にも四倍にもなったと感じるっス。逆に、霊力を持つ人間は豊富な霊力で気力が充実するっス。ちな、魔力禁止にもなってるから、魔力運用による身体能力向上は出来ないス。つまり綾女嬢は、ヒノキの棒でステータスデバフを受けた状態で、殺さないよう手加減しないと行けない。一方、腹黒嘘吐き妖怪婆は、バフマシマシの最高装備をして、全力で綾女嬢を殺しに来る、って感じス。まさにラスボスっス」
ふむ、と頷いた。聞けば聞くほど愉しく素敵な逆境である。
そもそものところ、殺し合いはスポーツではないのだ。互いに同一条件で競い合うことなぞ、よほどでない限りはあり得ない。体調が万全でないことも常識であり、敵が常に優位になる状況で闘おうとするのも当然である。
そんな環境で、いかに自らの強さを示せるか。それが肝要であり、目指すべきところだ。
わたしは最強を目指しているのだから、あらゆる苦境を打破出来なければお話にならない。
「……デバフ、とか、バフマシマシ? とかは、よく分からないのですけれど、このまま挑むとわたしが負ける公算が高い、ということですね? 勝ち目がほぼない、と仰っていましたけれど、逆に言えば勝てる目も存在している……わざわざわたしに伝えてくるということは、勝てる算段も用意なさっている、ということですね?」
「察しが良くて何よりス。ま、言うて、この算段も確実ってほどじゃないスけどね――少なくとも、攻略法は存在してまス。そして、同条件で闘うことくらいは、出来るようになる術があるっスよ?」
「あら? それでは、必勝になってしまう、ということですか? せっかく愉しめそうなのに、わざわざ退屈にするのは嫌ですよ?」
「いやいや、必勝にはならんスよ。ってか、相変わらず、自信が凄いっスね? ま、ご安心を。綾女嬢が心配してるみたいな、イージーモードにゃ絶対にならないって保証しまスよ。退屈は感じさせないス――言うて、うちとしては確実に必勝して欲しいんスけども、そこまで鍛え上げるには時間が足りないと想定されるス」
鍛え上げる、と言いながら、柊南天は黒い数珠をテーブルに置いた。
数珠の一つ一つには、梵字に似た紋様が刻まれており、装飾品として見ても不気味だ。魔力視してみるが、特に何も感じない。
「これは――?」
「今回は修行回っス。綾女嬢には、地獄の修行を受けてもらうっス」
「――わたしの質問に答えてくださいませんか?」
「せっかちっスねぇ。説明しまスよ。ズバリこれが、今回の修行に役立つ魔法具――【霊性開花の数珠】と呼ばれるモノっス。魔力を霊力に変換する道具で、霊能力を開花するサポートをしてくれまスよ」
「つまり?」
「そういうことっス」
わたしの思考を読んで、柊南天は不敵な笑みを浮かべて頷いた。説明を端折り過ぎだが、理解は出来た。
なるほど――どうやら本当に、必勝の対策という訳ではなく、努力次第で負けることもあり得るようだ。そういうシチュエーションは上等である。
ちなみに今度は、魔力という超常の力ではなく、霊能力という不可思議な力を修得する流れ、ということらしい。
具体的に、霊能力を修得することで何が出来るようになるのか、それは分からない。どう強くなれるのかも不明だが、身に着けた能力で弱くなることはないだろう。
「あ、ちな、ほくそ笑んでるとこ申し訳ないスけど、流石に綾女嬢がどれほどの天才――否、化物だろうとも、たった数日で霊能力を開花させるのは不可能スよ。開花出来るなら、そもそもとっくに覚醒してるはずっスからね」
「――はぁ? どういうことですか?」
「霊能力って、魔力とはだいぶ毛色が違って、誰もが持っている能力じゃないんス。割合的には四人に一人くらいで、素質を持つ人間だけが自然に覚醒する特殊能力なんスよ。そんで自然に覚醒した瞬間から、霊力の強弱は死ぬまで変わらんス。だから霊能力を覚醒した人が全員、霊能力者になる訳でもないんスよ」
「へぇ? それはつまり、わたしに才能はない、ということですか?」
柊南天が無言で首を傾げた。誤魔化しているようだが、それは肯定と同じである。
才能がない、という耳慣れぬ単語に、ふふふ、と口元を歪めた。
「……ところで修行とのことですが、鍛えても無意味なのでしたら、わたしはいったい何をするのでしょうか?」
「無意味じゃないっスよ? 霊能力が覚醒する可能性は限りなく乏しいスけど、霊能力を身に着けることが出来ない訳じゃないっス」
「……それはどういう? 詳しく、説明頂けるのでしょうね?」
「申し訳ないスけど、説明は椿ちゃんに聞いてくださいっス。うちよりも専門家の説明の方が、万倍分かり易いはずス。とりま、うちが言えることは、守護霊獣を使役する修行をしてもらう予定、ってことスね」
わたしの質問は全て無視して、柊南天は一方的に告げた。
椿ちゃんとは、どこか聞き覚えのある名前だ。
「椿、ちゃん? 如月、椿さんでしたか? 円卓四席で、柊さんのパートナー。何やら『武闘派クノイチ』とか、意味の分からないことを仰っていた記憶が……」
「意味分からん、って酷いスよぉ――ま、事実スけどね。ちな、武闘派クノイチでありながら、かなり実力のある霊能力者で、裏では霊媒師も兼務してるんスよ?」
「……霊媒師……」
胡散臭い、と呟くと共に、だからなんだ、と脳内で強く思考する。
柊南天は適当な相槌を打ちつつ、食後の珈琲を注文していた。わたしはついでに、梅昆布茶を注文した。
「――綾女嬢には、この後、新幹線で椿ちゃんの実家に向かってもらいますス。チケットはこれっス」
テーブルの上に新幹線のチケットが置かれた。それを一瞥して、よりいっそう強烈に睨み付ける。説明をしろ、と殺気を篭めた。
「あーと、スね。綾女嬢が巴女史に確実に勝つ条件は、幾つかあるんス。一つ、霊力場を支配下に置くこと。一つ、霊装技術を修得すること。一つ、腹黒嘘吐き妖怪婆が用意する全ての魔法具を無効化すること――などスけども。それらのうち、どれか一つでも条件を満たすってのが、ほぼほぼ不可能って思うス」
「また、回りくどい……」
「はいはい、分かります分かります、つまり、スね。確実な勝利条件を満たす為の、最も簡単な方法として――霊獣を使役すれば、一発で解決ス」
ドヤ顔になりながら、熱々の珈琲を飲んでいる柊南天に、わたしは溜息だけ返す。
「……それで? わたしはどこに向かえば、円卓四席の如月さんに逢えるのでしょうか?」
梅昆布茶を一口飲んで、心を落ち着かせながら問い掛けた。柊南天は笑顔で頷いた。
「S県天叡市にある天叡山ロープウェイ駅を目指して欲しいス。駅に着いたら、椿ちゃんから声掛けまスよ」
「柊さんは同行なさらないのですよね?」
「行かないス。うち、こう見えて忙しいんで――椿ちゃんには言っておきまスのでご安心を」
柊南天がひと息に珈琲を飲み干して、グッと親指を立てていた。何一つ安心できないが、とりあえず期待することにしよう。




