第一夜/前編
小鳥の囀る声が聞こえてくる。
さわさわとした木々が風に揺れる音が遠くにある。
閉じた瞼には、優しく暖かい光が注がれているように感じた。
「んぅ……? っ――――がぁ!?」
わたしは、もぞもぞと身動ぎして――瞬間、全身を襲う激痛で覚醒した。
慌てて目を見開くと、双眸に飛び込んできたのは、見慣れぬ白い天井だった。
ここは、どこだ――と、疑問が浮かぶが、そんな瑣末は捨て置いて、今どういう状況かを思考する。
(わたし……死んで、いない?)
思い出せる最後の光景は、五十嵐葵が絶命したのを確認した瞬間である。
師父の道場で死闘を演じて、結果、勝利と引き換えに死を覚悟したあの瞬間――
あの死闘が夢とは到底思えないし、あの状況から助かるとも到底思っていなかった。けれど、実際に今、わたしはまだ生きているようである。
「…………あり、得ない……」
わたしが意識を失った後に、いったい何が起きたというのか。
わたしは混乱し始めた思考を努めて冷静にしようと、深くゆっくりと呼吸を繰り返した。
仮に百歩譲って、あの直後に救急車が偶然やってきて、奇跡的に応急処置が間に合って、わたしが九死に一生を得たとしよう。
確かにその可能性は、零ではないだろう。
わたしはこれ以上ないほど死に体ではあったが、致命傷はなく、単純に失血死寸前だっただけである。輸血が間に合えば、助かったとしてもおかしくはない。
けれど――それでは、これは説明できない。
「……腕が、治ってる……」
わたしは激痛を堪えて、右腕と左腕を持ち上げる。するとそこには、まるで何事もなかったように生えている両腕がある。
破損することを厭わず、無刀之型から外道之太刀を繰り出して、もはや義手にするしかないほど壊れてしまったはずの両腕。
それが、どう見ても生身で、しかも無傷でまだ存在していた。
わたしは、グッと拳を握り、弛緩させて掌を開く。激痛こそあれ、両腕は機能として問題ないように思える。
「左足、も……どうして?」
常人ならば悶絶するくらいの激痛だったが、わたしはそれを気合で堪えて、上半身を起こした。そして、清潔な布団を剥ぎ取って、両腕同様に大怪我を負っていたはずの左足を見た。
不思議なことに、重傷だったはずの左足も綺麗なもので、見える範囲に傷は確認できない。
わたしは怪訝な表情を浮かべて、部屋の中を一瞥した。
ここはまったく見慣れぬ白い部屋だった。
室内には、わたしの眠っていたベッドが一つと、大型のテレビが一つ置いてある。
出入り口は一つ、重厚そうな鉄製の扉である。
天井は高く、普通の二階建てくらいの高さに、格子が嵌った天窓が二つある。そこから柔らかい日差しが差し込んできていた。
少なくとも病院の類ではない。当然、心当たりのある場所でもない。
「…………いったい、何が……」
わたしは汗で額に張り付く黒髪を払って、とりあえずベッドから起き上がった。
立ち上がることに違和感はなく、激痛こそあれ、動けないほどではない。とはいえ、状況が分からないことには、動き回るのは得策とはいえない。
「そもそもこんな姿で動き回るのは、恥かしいです……」
わたしは自らの姿を見下ろして呟いた。
誰が脱がしたのかは知らないが、わたしは今、スポーツブラとショーツしか身に着けていなかった。さすがにこんな下着姿で、人の目があるかも知れない場所を歩き回る趣味はない。
まあ、水着姿と思えばそれほど恥かしいこともないか――と、思考して、鉄扉の向こう側から話し声がするのに気付いた。
(――――男女が、一組。近付いてくる?)
わたしは慌てて室内を見渡し、姿を隠せる場所を探した。けれど、ベッドとテレビしかないこの室内で、姿を隠すのは少し無謀である。
チッ、と舌打ちしてから、仕方ない、とベッドのシーツを剥ぎ取って、素早くそれを身体に巻いた。一応、パッと見は白いワンピースに見えるだろう。
「…………だから、そこは――」
「――あのよぉ、そんな常識が――」
男女の声が鉄扉のすぐ向こう側で響いている。音の反響具合から、部屋の外は一本通行の通路になっているように思える。
鉄扉を見れば、鍵穴は部屋の内側になかった。どうやらこの部屋の鍵は、外側に付いているようだ。完全に閉じ込める為の部屋である。
二人組は、鉄扉の外側で鍵穴をガチャガチャといじっていた。その様子から、この鉄扉の鍵は複数付いているのだろう。
わたしは音を立てずに素早く鉄扉の影に回り込み、忍者の如き身軽さで、部屋の隅の天井付近に張り付いた。これで一瞬でも隙を突けるだろう。
果たして、鉄扉は開かれる――扉は室内側に開いた。
「――どっちにしろ、一旦、話をしないと」
そうして室内に入ってきたのは、同い年に見える男女の組み合わせだった。二人はまったく無警戒に部屋に入ってくる。
わたしはその闖入者たちをマジマジと観察した。
二人の姿はどちらも見覚えがない。少なくとも、わたしの知り合いではないだろう。
男子のほうは、170センチ前後の身長で、線の細い痩せ型の青年である。どこにでも居そうな一般人の雰囲気だが、足取りと立ち居振る舞いから、しっかりと鍛えられている体幹が見て取れた。凡人ではない。
ちなみに彼は、頼りなさそうな塩顔をしているが、いかにも真面目そうな印象で、その全身から話しかけやすい柔和な空気を放っている――お世辞にもイケメンではないが、この平凡さは、割とわたしの好みである。
一方、女子のほうは、平凡な彼と並ぶのが不釣合いなほど目立つ存在だった。
その身長はスラッと高く、青年と同じくらいあった。少しだけ日焼けした健康的な肌色に、トップアスリートのように引き締まった身体つきをしていた。
胸のボリュームはわたしとドッコイ程度だが、全体のバランスから見ると、そんなのは些細なことだろう。黄金比という単語がつい浮かぶほど、バランスの取れた体型をしていた。
少しだけ赤茶けた髪を自然なショートカットにしており、片耳に穴を開けないタイプのイヤリングを付けている。
その顔立ちは、まさに格好良い麗人――意志の強いハッキリとした双眸、自信に満ち溢れた表情、凛々しい顔の作りは、男女問わずモテるに違いない。宝塚の男役と言われても、納得の美貌をしている。
そんな二人は、どちらも見覚えのある制服を着ていた。
(あの制服は……六花高校?)
学ランとブレザーの胸元にある特徴的な六花の刺繍。
二人の着ている制服は、私立六花高等学校の指定制服である。県内では、わたしの通う県立三幹高等学校と唯一、同レベルの偏差値を誇る進学校だ。
自由な校風と、県内最大を誇る生徒数、多様な学科が売りのミッション系スクールで、文武両道の生徒が多いことでも有名である。
そんな二人が、何故わたしを――と、疑問を感じた瞬間、二人のうち、美少女のほうが、当然の顔で天井に張り付くわたしに視線を向けた。
バチ、と視線が交錯して、刹那、わたしの全身を怖気が貫いた。
「え!? 居ないっ!? ちょ、どこに――」
「――バカ十八、どこ見てんだ? 市松人形ちゃんは、こっちだ」
ベッドに誰もいないことに気付いて、男子は慌てふためいたが、それを馬鹿にした風に笑って、美少女はわたしを指差した。
「ぅえ!? うぉ――え? マジか!?」
わたしの姿を認めて、その男子は驚愕の顔を浮かべている。
一方で、美少女は流れる動作で鉄扉を閉めると、思い切り男子を突き飛ばした。男子は為すがままによろめいて、無様に床に転がっている。
わたしが飛び掛かることを見越して、強引に避けさせたのだろう。見事な反射神経だ。
「おいおい、んなとこに張り付いて、蝙蝠かっつうの――――いいぜ、闘るかい? 軽く捻ってやろうか?」
美少女はその容姿には似つかわしくない乱暴な口調で言って、不敵な笑みを浮かべる。同時に、わたしに向けて、中指を突きたて安い挑発をしてくる。
全身から溢れんばかりの闘気。匂い立つ強者の気配。
なるほど――この口の悪い美少女は、少なくとも手加減して勝てる相手ではないようだ。
「…………チッ」
わたしはこれ見よがしに舌打ちして、猫のように音を立てず、スタッと天井から床に降り立つ。
闘うことは吝かでないが、状況が理解できない今、闇雲に噛み付くのは悪手だろう。先決なのは、情報を聞き出すことである。
わたしはそんな心の葛藤をしてから、無抵抗をアピールする為に両手を挙げる。
そんなわたしを見て、美少女は、フン、と鼻で笑った。
「ここがどこかも分からない。オレらが何者かも分からない。回復させたとはいえ、恐らく動くのも辛い状況で、よくもまぁ、そこまで冷静に振舞えるよなぁ――」
「――連理、お前、いきなり何で押すんだよっ!」
腕を組んで胸を張るその美少女に、起き上がった男子がそんな抗議をしていた。そのやり取りを眺めながら、わたしは逃げる隙を窺った。
「うっせ、十八――あのな、オレは十八を助けてやったんだぜ? さっきの一瞬、下手すりゃ、十八が人質に取られてたかも知れねぇ」
「人質、って――アホかっ、お前! この状況で、どうして俺を人質に取るんだよ!?」
「おいおい、まったくバカだなぁ、十八――あの闘気を見りゃ分かるだろが? あの市松人形ちゃんは、まさしく狂犬だぜ? 隙あらば、オレらを倒す気でいやがる」
なぁ、と油断なく、美少女がわたしに首を傾げる。その全身からは、わたしを抑え付けるくらいの重圧が放たれていた。抵抗は無意味だ、とその闘気が語っていた。
「…………」
わたしは沈黙で返す。すると、男子が困った表情で美少女に物申した。
「連理、お前、狂犬って言い方、おかしいだろ? 彼女はただ、状況が分からなくて、戸惑っているだけ――」
「――相変わらず、甘いなぁ。大甘過ぎるぜ」
勝手に勘違いしてくれた男子の優しい進言は、即答で吐き捨てられて、美少女はこれ見よがしに、やれやれと肩を竦めた。
悔しいが、この美少女相手に、油断を誘うことは出来なさそうだ。
「けどまぁ、十八の言うことも一理はあるわな――自己紹介してやるよ。オレは、九鬼連理。友達からは、親しみを込めて『クッキー』って呼ばれてるぜ」
「……友達じゃなくて、下僕たち、だろ? しかも、親しみじゃなくて、畏怖を篭めて――魔王クッキー、って呼ばれてるし」
「おいおい、うっせぇぞ、十八――」
口の悪い美少女――九鬼連理と名乗った彼女は、傍らの男子と軽いドツキ漫才をしてから、わたしに改めて向き直った。
「――さて、そんでこっちが、腐れ縁の幼馴染、お人好しの龍ヶ崎十八だ」
「ちょ、おい、連理! なんで、俺の紹介をお前がするんだよ……あ、ごめん。俺は、龍ヶ崎十八。六花の普通科に通う二年生だ。ちなみに、この連理も二年だけど、コイツは国際科だよ」
龍ヶ崎十八と名乗った彼は、殺気も闘気もなく、まったく警戒した空気も出さず、わたしに丁寧な説明をしてくれる。九鬼連理の言う通り、お人好しというのは間違いないだろう。
個人的には、そのお人好し加減は非常に好印象だが、確かに少しだけ甘すぎる嫌いがある。
「んで、市松人形ちゃん、テメェは何て言うんだ?」
両手を挙げたままのわたしに向けて、九鬼連理は指で銃を形作ると、軽い調子でそう問い掛けてきた。
わたしは答える義理も必要も感じなかったが、致し方ないか、と口を開いた。
「――わたしは、鳳仙綾女、と申します。県立三幹高等学校、普通科の二年生です」
「おぉ! 俺らと同学年――って、三幹!? スゲェ、見た目通りに、頭良いんだね」
わたしの自己紹介を聞いて、興奮気味にはしゃぐ龍ヶ崎十八とは裏腹に、九鬼連理は目を細めて怪訝な表情になる。
「ホウセン、アヤメ? 聞かねぇ名前だな――市松人形ちゃん、ソレ、本名か?」
「逆に問います。九鬼連理、とは、本名でしょうか?」
「へっ――本当、良い度胸してるわ、市松人形ちゃんよぉ」
「――申し訳ありませんが、わたしの名前は、市松人形ではありませんよ?」
明らかに喧嘩を売ってくる九鬼連理に、わたしも怯まず売り言葉に買い言葉を放つ。途端に緊張感が漂い出すが、そんなキナ臭い空気を感じ取って、慌てた様子の龍ヶ崎十八が口を挟んだ。
「おいおいおい、ちょっと待てよ――まず言っておくよ……えと、綾女さん。俺らはキミの敵じゃ――」
「――鳳仙、と御呼び下さい。初対面の相手に対して、いきなり名前呼びと言うのは、些か馴れ馴れしいと思います」
「――ない……って、ああ、そ、そっか。ごめん……えと、鳳仙さん」
わたしは龍ヶ崎十八の言葉に被せて主張した。そのやり取りに、九鬼連理が苦笑している。
しかし、敵ではないという言葉は正直ありがたかった。現状、九鬼連理という強者と戦いたい欲求はあるが、状況が分からない今、ここで戦う選択肢を選ぶのは些か早計過ぎる。
九鬼連理の指摘通り、わたしの体調は激痛を堪えてかろうじて動けている程度だし、そもそも無手の状況である。万全の状態でないと戦えないわけでは毛頭ないが、情報を引き出してからでも遅くはない。
「ハッ――ホウセンさん、ねぇ……おい、十八。どうする? オレが説明するか?」
九鬼連理は龍ヶ崎十八に首を傾げてみせながら、さっきまでわたしが寝ていたベッドに腰を下ろした。まくりあがるスカートなど気にせずに、豪快に足を組む。とはいえ、スカートの下にはスパッツを穿いていた。
「ああ、いや……俺が説明するよ。連理じゃ、いちいち喧嘩売るからさ」
「ぁあ? 喧嘩売ってるのは、オレだけのせいじゃないだろ? 市松人形ちゃんが噛み付かなきゃ、オレもわざわざ喧嘩なんざ売らねぇよ」
「はいはい、分かったから、黙ってろよ?」
へいへい、とおざなりな返事をする九鬼連理を横目に、龍ヶ崎十八は、えーと、と口元に手を当てて、神妙な顔になった。
わたしは二人の関係性に疑問を持ちつつも、少なくとも龍ヶ崎十八に敵意がないことだけは信じることにする。
いまは少なくとも、わたしから攻撃をしない限りは、攻撃されないのは間違いないだろう。
「……まずは、そうだな。ここがどこか、だけど――ここは、連理の実家が保有する隠れ家の一つだよ。九鬼市と虎尾市の境目にある使われなくなった医院さ。実は、このガサツが売りの連理は、結構な名家の令嬢で――」
「――嗚呼、なるほど。九鬼、連理。九鬼姓と言うことは、九鬼市の大地主で六花銀行を筆頭に、大小百数社の企業を包括するK・F・Cのオーナーのご親族でしょうか? そう言えば……KFCのオーナーは確か、九鬼市の市長と懇意の仲だそうで、色々と融通を利かせてもらう代わりに、裏でずいぶんとあくどいことをしていると噂されてますね」
「お、おお? よ、よく、知ってるね? いや、まあ、あくどいこと、っても……そりゃ、概ね間違っちゃいないけども……」
「龍ヶ崎くん、でしたね? 虎尾市の市長が、たしか龍ヶ崎十三と名乗る御仁だったと記憶しております。十三氏は御年、還暦を迎えるはず――となると、龍ヶ崎くんの御爺様か、ご親族の誰かでしょうか? もしそうだとすれば、龍ヶ崎くんもかなりの名家の御子息ですよね?」
「――わぁお」
龍ヶ崎十八の説明から、わたしはすぐさまピンと来て、確信気味の推理を披露する。すると、龍ヶ崎十八は心底感心したとばかりに、ただただ感嘆の声を漏らしていた。
しかし――わたしの推理が正しいとなると、状況は少しだけ複雑かも知れない。目の前の二人は今、確かに敵ではないかも知れないが、いずれわたしの敵になる存在だろう。
立ち回り方に気を付けねばならない。少なくとも、この場所から抜け出すまでは――
「おい、市松人形ちゃん。テメエの推理は、恐らく間違ってるぜ?」
わたしが静かに警戒のボルテージを高めた瞬間、何もかも悟ったようなドヤ顔で、九鬼連理が口を挟んできた。
わたしは九鬼連理のドヤ顔に多少苛立ちつつも、とりあえず噛み付いても仕方ないと、彼女の主張を黙って聞いてみることにした。
「――途中までは、確かに合ってるだろうよ。オレがKFCのオーナーの一人娘って部分と、十八が十三爺ちゃんの孫って部分はな。ま、ついでに補足すりゃあ、十八は虎尾総合病院の跡取り息子でもあるぜ? って、そんなパーソナルデータは、どうでもいいや」
九鬼連理はベッドから立ち上がって、わたしの間合いから逃れるように、数歩だけ遠ざかった。もったいぶったような不敵な笑みが腹立たしい。
「オレは、まどろっこしいのは好きじゃねぇから、誤解から解いてやるよ。テメエの警戒は、九鬼市市長の一人娘、五十嵐葵を殺したことに関してだろ? オレらが五十嵐葵と情報を共有してて、五十嵐葵の仇、ないしは、死の真相を探ってるんじゃないか、って疑ってんだろ? だが残念、そりゃあ的外れだ。オレらもテメエと同じく、五十嵐葵――【言霊の魔女】を殺そうと狙ってたからよ」
あっけらかんと断言する九鬼連理に、しかしわたしはいっそう警戒を高める。
あの状況でよもやバレていないとは思わないが、それでも、わたしが五十嵐葵を殺したことを知っていることに驚きを隠せなかった。しかも、五十嵐葵が魔女という意味不明な存在であることも理解している素振りである。
わたしは混乱する思考を必死に顔に出さないよう努めながら、話の主導権を握るために口を開いた。
「……九鬼さん、貴女の言葉が真実だとして、それを証明できるものがありますか? また仮に真実だとして、わたしを助けた理由は何なのでしょうか?」
「チッ、面倒くせぇなぁ、いちいちよぉ。証明は簡単だろ? オレが、五十嵐葵が魔女ということ、しかも死んだことを知ってる――っうことは、五十嵐葵の仲間じゃない、だろ? イコール、市松人形ちゃんを助けた理由に繋がるだろ?」
「――――飛躍し過ぎていて、理解できませんね」
「ハッ、嘘付け!」
随分と曖昧な言い回しで、互いに腹の内を探りあうような緊迫した空気が流れたとき、きょとんとした様子の龍ヶ崎十八が挙手する。
わたしと九鬼連理は同じタイミングで龍ヶ崎十八を見て、どうぞ、とこれまたシンクロした目配せで話を促した。
「……なぁ、連理。悪いけど、つまりどういうこと?」
「相変わらず察しが悪いな、十八――この市松人形ちゃんは、オレらが五十嵐葵の仲間じゃないか、って疑ってんだよ。九鬼市の市長とオレの両親が懇意ってことは、同い年の娘も友達の可能性が高い。そう考えれば、五十嵐葵が殺される前に、オレに連絡してた可能性がある。だから、あんな森の奥の道場で瀕死だった市松人形ちゃんが、ここに連れてこられたってのも、説明が出来るだろ」
「…………ちょい待ち。タメだから友達の可能性云々は理解した。けど、鳳仙さんをここに連れて来た理由には――」
「十八も大概面倒だなぁ……黙って最後まで聴けよ。いいか? 今オレが言った『オレらが五十嵐葵の仲間』って仮定が真実とすれば、市松人形ちゃんがここに連れて来られて、しかも生かされてる理由は、二つほど考えられる。一つは五十嵐葵を殺した犯人が分からないから、犯人を捜す為にオレらが助けた。もう一つは、別の人間に助けられたところ、オレらに運悪く見つかった、だ」
九鬼連理は呆れた顔をしながらも、龍ヶ崎十八の理解に合わせて噛み砕いて説明を続ける。
「だが、後者はあり得ない。ここまでの会話で、ここがオレらの隠れ家って伝えてるからな。となると、前者――オレらは、五十嵐葵を殺した犯人を知らないってことになる」
「いやいやいや、ちょい待てって……俺らが犯人を知らないって……いや、確かに、どうやって殺したのかは分からないけど……」
「だろ? そう、オレらは、市松人形ちゃんが五十嵐葵を殺したことを知ってる――つまり五十嵐葵の仲間だったら、現時点で、市松人形ちゃんを生かす理由がない。だから、五十嵐葵の仲間じゃないってことだよ」
九鬼連理はそう言って、ムカつくドヤ顔でわたしを流し見る。本当にムカつくほど、そんな横顔さえ美麗だ。しかも、頭の回転もかなり速い。
彼女は、わたしの懸念点をみなまで言わず察して、既に遠回しに答えていた。
「……容姿端麗、頭脳明晰、挙句、相当の実力者とは……自分がいかに井の中の蛙だったか、つくづく痛感します」
「ハッ――まあ、オレほどの傑物は、そうそういやしねえがな」
わたしのやっかみを篭めた呟きに、九鬼連理は自信満々の豪快な笑いで応じる。その態度は、一見油断している風に見えて、けれど微塵の隙も見せていない。
わたしは、九鬼連理が油断ならない相手であるが故に、逆に安心感が持った。当面、九鬼連理の口車に乗せてもらおう。
「おい、連理。いちいち話の腰を折って悪いけど、察しの悪い俺にも分かるように説明してくれ」
すると、若干置いてけぼりになっていた龍ヶ崎十八が、心底情け無い顔で弱々しく手を挙げる。わたしはその嗜虐心をそそられる表情に、ちょっとだけトキめいた。
「……いいか、十八? 当たり前の話だが、オレらがこの市松人形ちゃんを生かしたまま、警察にも突き出さず匿っているのは、それだけの価値があるからだろ? どんな理由で殺したのか知らねぇけど、【言霊の魔女】を殺したような化物を、わざわざ助けたんだぜ? 少なくとも、殺す為じゃないってのは分かるよな?」
「連理、お前、言い方ってもんが……」
「うっせ――んで、だ。そこまで仮定すれば、自ずと答えは見えてくるだろ? オレらには、市松人形ちゃんを殺せない理由がある。それが何か――まぁ、普通に考えれば、事情聴取だけで済むはずはねぇよな?」
「――つまり、どゆこと?」
「オレらの仲間、ないしは、共犯者にならないか、って誘いだって分かるだろ?」
小気味良いテンポで交わされる龍ヶ崎十八との会話に、わたしは納得するように小さく頷いた。ここまでの流れは、九鬼連理の言う通り、わたしを生かしている段階で理解できた。
そして、この提案に乗らない理由は、今のところわたしには皆無である。
わたしは今、純粋に情報が欲しいし、先ほどの会話から察するに、彼女たちの仲間になれば五十嵐葵レベルの強者とも戦える可能性がある。
「さて、と。まだピンと来てねぇ、十八は置いといて――」
九鬼連理はいまいち要領を得ない龍ヶ崎十八を尻目に、わたしを指差した。
「――返答は?」
聞くまでもないけどな、と含んだような言い方で、九鬼連理はわたしに問う。その態度が無性に腹が立って、わたしは不敵に笑いながら即答した。
「お断りします」
「…………は? 何だって?」
「お断りします」
「………………おいおい、冗談だろ?」
「ええ、冗談です」
わたしはあえて無駄な問答を挟んでから、両手を挙げて抵抗の意思がない旨を強調する。
「っ!? 冗、談かよ――チッ、この、いちいち面倒な、受け答えしやがって」
望んだ返答で決着したにも関わらず、九鬼連理は不愉快そうに顔を歪めて舌打ちしていた。わたしは、そんな九鬼連理を見て、してやったり、と少しだけ溜飲を下げてから、傍らの龍ヶ崎十八に視線を移した。
その時ちょうど、龍ヶ崎十八が恐る恐ると挙手していて、連理とわたしを交互に見ながら口を開いた。
「あ、え、と――これはつまり、俺たちの仲間になってくれる、ってことでいいの? 俺らの事情も、何も説明してないけど……」
「ええ、もちろん。このお話は、わたしにとってもメリットがありますし、そもそも断るほどの強い理由がありませんから――ところで、仲間でも共犯者でもどちらでも結構ですけれど、ひとまずわたしに着替えを用意してくれませんか?」
「ハッ――厚かましいなぁ、おい!」
「あ、ご、ごめんっ! 着替え、持ってきてなくて……」
わたしのささやかなお願いを、九鬼連理は横柄な態度で吐き捨てた。その視線は、お似合いの恰好だぜ、と物言わずに語っている。
そんな九鬼連理とは裏腹に、龍ヶ崎十八は慌てふためいて、すかさず顔を逸らしていた。わたしがシーツを巻いただけの半裸であることに、ようやく気付いたらしい。
もはや今更感はあるが、それでも視線を逸らすという龍ヶ崎十八の配慮は、わたしの中では好感度プラスだった。
「……その、まさか、鳳仙さんが、もう起き上がるとは思ってなくて……あの重傷だから……見た目が癒えてても、激痛なはずで……」
だが、しどろもどろに着替えを持ってきていない言い訳をする龍ヶ崎十八の姿は、だいぶ好感度マイナスである。
そんな龍ヶ崎十八のうろたえっぷりを眺めながら、わたしはバッサリと言い切った。
「――今も激痛ですよ? 気合と根性で堪えていますけれど、呼吸するたびに肺が軋むように痛いです。そもそも、油断すれば全身が痙攣を始めるでしょう。そうですね……この痛みを喩えるならば、40度を超える高熱が出ていて、身体の節々が悲鳴を上げている状態で、ダンプカーに轢かれた感じでしょうか? 正直、これで動けることが、奇跡だと思いますけれど?」
「おいおい、涼しげな顔で言う台詞じゃねぇぞ、市松人形ちゃんよぉ――だがまぁ、痛かろうと何だろうと、起き上がれるんなら、話は早いな。詳しい話をしたいから、場所変えるぞ?」
九鬼連理の自分勝手で強引な意見に、わたしはムッと苛立った表情を浮かべる。
激痛で動けるのが奇跡とまで言ったのに、場所を変えるとはどういう了見か――いやそもそも、さっきからわたしのことを『市松人形ちゃん』と呼ぶのが、何より腹立たしい。
「……もう一度だけ言います。わたしの名前は、市松人形ではありません」
「知ってるっつの、市松人形ちゃんよ。ただの愛称だろうが? ほれ、移動するぞ」
「…………ええ、了解いたしました」
わたしは殺意を篭めた視線で九鬼連理を睨み付けながらも、逆らうつもりはないので、もはや指摘するのを諦めて頷いた。
ちなみに、わたしと九鬼連理のそんなやり取りを横目に、龍ヶ崎十八は一人置いてけぼり状態だ。
「おい、十八。お前が先に行け」
九鬼連理が呆けている龍ヶ崎十八の後頭部を思い切り叩いて、ドン、と背中をどついた。そのどつきにハッとして、龍ヶ崎十八はわたしを見る。
「あ、ぅ、ぁ……ああ。えと……じゃあ、鳳仙さん、とりあえず付いて来て」
龍ヶ崎十八は視線を泳がせながら、鉄扉を開けると先行してこの部屋を出て行く。そんな彼を見送ってから、九鬼連理が腕を組んで、お前が先だ、と目で合図してきた。
わたしが逃げないように殿を務めるつもりだろう。無理からぬことではあるが、わたしをまったく信用していない警戒振りだ。
わたしはそんな九鬼連理の厄介さ、慎重さを改めて認識して、身体が完全に癒えたならば真っ先に殺そう――と、心の中で大きく頷いた。
「あ、ちなみにな。雑魚そうに見えて、十八はオレと同じくらい強いぞ? 普段はお人好しが過ぎるから油断の塊だけどよ。本気で闘ったら、市松人形ちゃんじゃ、勝ち目ねぇよ」
龍ヶ崎十八に続いて長い廊下を歩いていると、唐突にそんなことを九鬼連理が呟いた。その呟きは、わたしにだけ聞こえるか細い声量で、どこか勝ち誇った響きがある。
わたしは、まさか、と疑わしい視線を背後に向けた。すると九鬼連理は、マジだぜ、と冗談抜きの真剣な顔で頷いていた。
(……師父。わたしは今、だいぶ恵まれた境遇にあるようです……地獄にて、わたしの行く末をどうか見守っていて下さい)
わたしは心の中で亡き師父に祈りながら、悦びの形に緩む表情筋を必死に抑える。
強者に溢れるこの世界――最強を求めるわたしにとっては、愉しみでしかなかった。