第六夜(3)
ミュージアムパーク万美術館――公式ホームページで発表されている施設説明では、地上三階、地下一階の近代彫刻館と、地上二階の世界絵画館、入場口となっている地上三階建てのマルチホールが観光の目玉であり、それら三つの延床面積が70,000平米、室内の展示室総数は四十を数えるそうだ。また、野外展示場も含めた総敷地面積は150,000平米にもなり、ちょっとしたテーマパークと化している広大な美術館である。森と山で囲まれた敷地内には、お土産をメインにした購入可能なアート作品を扱うショップが五店舗あり、観光客受けを狙っているカフェテリア、レストランもある。そのほか、多目的で使用されるアートホール、野外ステージなども置かれている。
この広い敷地内のどこかに、龍ヶ崎十八は捕らわれているらしいので、見つけ出すのは割と骨だろう。
わたしはロッカールームから出て、真っ先に三階へと向かった。
スタッフ用のバックヤードは入り組んでおり、途中、階段を下りてきたスタッフとすれ違いそうになったが、かろうじて見付からずに済んだ。
ちなみに、いまわたしが居るのは、入場口から繋がる地上三階建てのマルチホールだ。エントランスは吹き抜けになっており、二階、三階と全て見通せる構造だった。しかし幸いにも、手すりは高く、半透明な曇り硝子なので人影を視認するのは容易ではない。隠れる場所には困らなかった。
「瑠璃さんたちは、大丈夫でしょうかね……」
階下を見下ろしながら、ロッカールームに繋がるバックヤードの入口を注視する。チラチラと神薙鶺鴒の茶髪が見えていた。
気付かれていないようだが、端から見ているとハラハラしてしまう。
とはいえ、神薙大女神の心配なぞするだけ無駄だ。わたしは視線を切って、一階エントランスを見渡す。
エントランスには美術館内に入る為の受付があり、待合スペースや記念品販売している売店があった。また、ミュージアムパーク万美術館で行われる今後のイベントスケジュールが張り出されており、美術館の成り立ち、その歴史を垂れ流す大型ディスプレイが置かれている。そんな中で、既に六名ほどのスタッフが準備万端で客入りを待っており、世間話に花を咲かせていた。
「……三階にあるのは、人形彫刻でしたかね……」
わたしは索敵範囲を広げつつ、視線を通路の先に向ける。公式ホームページの施設説明では、マルチホールの三階には、人形の王国シリーズと呼ばれる五百蔵鏡の彫刻作品群が展示されているらしい。
人を隠すならば、人形の中――という安直な考えではないが、事実として、三階奥には人の気配がしていた。確認するに越したことはない。
静けさに満ちていた館内に、チャイムが鳴り響く。それは開館を告げる九時の鐘であり、それからクラシックのBGMが流れ始めた。
『本日もお越し下さり、誠にありがとうございます。ミュージアムパーク万美術館、ただいまより開館いたします』
録音された声優のアナウンスが大音量で響き渡り、それを合図に、わたしは三階奥の部屋を開けた。両開きの大扉はそこそこ大きな音を立てながら開いたが、アナウンスのおかげで、誰にも気付かれることがなかった。
「――――へぇ?」
バタン、と閉じられた扉を背に、わたしは広い展示室を見渡して、感心の吐息を漏らす。
なるほど、だから人形の王国か。
展示室内は、一見すると西洋の街中を具現させたかのような光景が広がっていた。見渡す限りところ狭しと、洋服を着た生活感溢れる人形たちが、思い思いの形で止まっている。
人形は全て等身大であり、肌色に塗装されていた。足元や壁は、街中を思わせるトリックアートが施されており、遠目から一見すると、写真を切り取った光景か、もしくは時間が止まった空間に思える。
「なんて、精巧な人形でしょう……」
街中を走る年頃の少女を思わせる人形に触れる。身長はわたしと同じくらいで、躍動感溢れる格好のまま、時間が止まったようなポーズをしている。手触りは鉄製で、ラバー素材を被せているらしい。
わたしは視線を他の人形に移す。
どれもこれも、人間と見間違うほどの精巧な造りで、いまにも動き出しそうな躍動感がある。しかし、決定的に人形足らしめているのはその表情だろう。
展示室の人形は例外なく、そこに貌がなかった。身体つきだけ見れば、文句なく人間を思わせるくせに、顔を構成するパーツが一つもついていないのだ。
「……さて、隠れているのは、どなたでしょうか?」
集中のレベルを一段階引き上げる。微かな息遣い、押し殺したような吐息、脈打つ心音が、人形の中から聞こえてくる。しかし、この展示室が反響する構造なのか、場所の特定が出来ない。
しかも、その人の気配は、わたしを認識していなかった。わたしに対して、何の感情も持っていない。それゆえに、どの人形の中から聞こえるのか判断が出来なかった。
わたしは部屋の隅から隅まで、足音を鳴らしながらゆっくりと歩いた。
間違いなく気配はある。だが、どこか不鮮明で特定が難しい。
「――『人形の王女』?」
展示室の一番奥、一段高くなったステージのような舞台に、ひと際大きい人形が両手を広げて唄っているように立っていた。足元には、その人形を称えるように、祈る格好で跪いている従者のような人形が並んでいる。
そしてそのステージには、展示室内で唯一、タイトルと説明文が書かれていた。
身長は三メートル、黄金のドレスを着て、両手を広げたその人形は、あ、と開いた口だけが表現されている。そんな人形を中心に、跪いている従者の人形が印象的で、唄っている、と断言出来るような造りをしていた。
だが、そこに書かれた説明文は、観る者をひどく悩ませる。
『唄っているのか、嘆いているのか、祈っているのか。人はそれをどうして判断出来るのか――人形は賛歌を捧げたのではない。絶望の産声を上げたのだ』
説明文を一読して、わたしは眉根を寄せつつ首を傾げる。表現者が何を言いたいのか、全く理解出来ない文章だ。
「……確かに。表情がなければ、分からないですけれど……」
わたしは背を向ける。瞬間、鋭く強烈な視線、殺意を孕んだ気配が人形から感じた。
「――なんです?」
咄嗟に距離を取り、ポケットの柄を握り締める。同時に、低い姿勢で構えて、臨戦態勢になりつつ、正面の人形と対峙する。
けれど、一瞬だけ感じた殺意は、もはや跡形もなく消え去っていた。
しばし戦闘態勢のままで屈んでいたが、扉の外からガヤガヤと騒がしい音が聞こえてきて、ハッとした。もう一般客が入ってきている時間帯である。悠長にしては居られない。
「怪しい気配なのは、この『人形の王女』ですけれど……動く気配はないんですよね……」
近付いて集中すると、先ほどから感じている気配の主は間違いなく、『人形の王女』と書かれた三メートルの人形だった。どういう原理か、その口元から抑えたような吐息と、心音のような音が聞こえてきていた。
(――これも『創造』の産物でしょうかね?)
わたしはそんなことを考えながら、展示室の扉が開かれたのと同時に、サッと他の人形の陰に姿を隠した。入ってきたのは、団体の観光客で、そのほとんどが外人だった。
wow、という驚きの声を発する数人と、展示室の案内を始める引率を観察しながら、一瞬の隙を縫って部屋を出た。
三階の廊下には、チラホラと人の姿が見えている。開館してから、まだ十五分程度だと言うのに、早速、混み始めた様子だ。思いのほか、この美術館は人気があるらしい。
「こうなってしまっては、ゆっくりと回ることにしましょう」
誰に言うでもなく呟きながら、わたしは堂々と観光客の振りをして二階の展示室を見て回った。
二階には、彫刻、絵画、写真を展示した三部屋があり、そのどれもが感嘆するほど見事な芸術だった。
わたしは芸術に興味はない類の人種だ。だが、そんなわたしでさえ、それらがどれだけ素晴らしいか理解出来るほど、珠玉の名作ばかりだった。
さて、それはそれとして、わたしは次に、距離の離れた場所にある世界絵画館に足を向けた。神薙三姉妹がどこに向かったかは分からないが、恐らくは近い場所から回っているだろう。
ミュージアムパーク万美術館内の舗装された道を歩きながら、そこかしこに置かれた不思議なモニュメントを眺める。どれもこれも、何を表現しているのか不明瞭だが、前衛的な形状をしていた。
「恐竜だよ、お父さん! 恐竜!!」
「お、これはティラノサウルス――え? アースドラゴンの亜種? なんで?」
野外展示場の一角では古代恐竜展をやっているようで、実物の三分の一スケールで作成された恐竜の彫刻を前に、子供がはしゃいでいた。それを横目に、世界絵画館に入った。
世界絵画館は大きな円形構造をしており、一階は壁沿いにぐるっと一周出来る。壁には等間隔に抽象画、風景画、戦争画、歴史画が並んで展示されていた。
どれもこれも、素人目でも分かる程度には、超絶技巧を感じさせる絵画である。しかし何より凄まじいのは、それら異なるジャンルの絵を描いた人物が、五百蔵鏡ただ一人であることだろう。
「芸術の点では、本当に天才のようですね……けれど、どれもテーマが意味不明ですけれど……」
展示されている絵画には、共通して『人間』というテーマがあるらしい。けれど、一貫してどの絵にも人の姿が描かれていなかった。いや、正確には、人間の身体の一部が描かれているが、それだけだ。
正直、作者の精神状態を疑いたくなる絵画だらけだが、他人のことは言えないので眺めて回る。
(……中央、壁の中に、広い空間がありますけれど……入口が見付からないですね)
とりあえず一階をグルリと回り終える。一方通行で、東西南北に出入口が一つ、あとは階段とエレベーターしかない構造を把握してから、二階に移動する。
二階は似たような円形構造だが、等間隔に正方形の展示室があった。展示室は都合、八部屋で、一部屋ごと木製の彫刻が展示されている。彫刻はどれもが、ファンタジーで見たような空想の獣だった。
「――これがどうして『神を宿した人間』になるのでしょうか?」
わたしは八部屋目に入った展示室に飾られた彫刻を見上げて、思わずそんなツッコミを入れる。
タイトルは『神を宿した人間』だが、吊るされているのはどう見ても、巨大な女郎蜘蛛である。どこに人間の要素があるのか全く分からない。何かの比喩か、と勘繰りたくなるほどだ。
そうして、世界絵画館も軒並み見物し終えて、わたしは一旦、外に出た。調べた限りでは、二階から一階の中心部に降りる通路は見付からず、ましてや、隠し通路と思しき仕掛けもなかった。
かといって、一階の中心部に何もないかと言えば、それは否だ。二階を歩いた感覚から、間違いなく一階中心部には広い空間がある。
(公式では、地下はないとされていますけれど……これは、地下から一階に上がる構造ですね……)
世界絵画館の周辺を、散歩する振りをして注意深く散策する。すると、明らかに異質で不気味な巨大オブジェが建っていた。それは、一見すると気持ち悪いだけの円柱にしか思えないオブジェだ。
直系五メートルはあろう太い円柱構造で、高さは八メートルあるらしい。黒い鏡面加工された表面には、三十センチほどの大きさをした赤黒い目が不規則に描かれており、うち幾つかの目は、絵ではなく義眼が嵌められている。
タイトルは『欲望』と、これまた意味が分からない。抽象造形の類だろうか。
「――あら? これはもしやビンゴでしょうか?」
グルっとその円柱を見渡すと、いくつもある目の義眼の一つがカードリーダーになっていることに気付くことが出来た。鏡面加工されたその周辺を魔力視すると、色がついたように扉の形に魔力が染みついているのが分かる。
ふむ、とわたしは腕を組んで、しばし悩んだ。
ここが『資料保管庫』か『作業場』か『館長室』のどれかに間違いないだろう。もしかしたら、ここで龍ヶ崎十八を助け出すことが出来るかも知れない。
しかし、軽々に迂闊な行動をすれば、わたしの狙いが達成できない可能性もある。特に、この先で五百蔵鏡が待ち構えている状況だったとしたら、事前に柊南天と考えていた計画が破綻してしまう。
「……ま、一旦は戻りますか。そろそろ約束の正午です」
わたしは円柱のオブジェに人だかりができ始めたのを見て、出直すことを選択する。流石に衆人環視の中、カードを使用して地下に進むわけには行かない。
昼時になって、当然ながら人混みはだいぶ増えていた。特に幼い子供連れの家族が多く、カフェテリアなどは凄まじい賑わいを見せている。
とはいえ満席ではなく、かろうじて人数分の席を確保できた。
「あたし、サッパリ分からねぇよ、この美術館……ヘンテコな彫刻ばっかで、気味悪いぜ」
「事前に、前衛的な芸術って聞いてたけど、実際に見ると本当に前衛的で……私もよく分からなかったわよ……」
「んー、私は堪能出来たかしらねぇ――特にあの『破滅的な人』って彫刻、胸に響いたわぁ」
四人席のテーブルに座って、神薙三姉妹は各々、感想を語り合っていた。その感想を聞き流しながら、わたしは注文したBLTサンドに口をつける。
「――瑠璃さんたちは、近代彫刻館を見てきたのですか?」
ええ、と頷く神薙瑠璃に、すかさず神薙鶺鴒が口を挟む。
「そうだ、そうだ! 近代彫刻館の地下、眠れる獣シリーズの展示室で、怪しい箇所を見付けたぞ!」
「……声が大きいですよ、鶺鴒さん。怪しい箇所、とは?」
勢いよく声を張り上げた神薙鶺鴒に、わたしはうんざりしながら問い返す。それに答えたのは、冷静な顔をした神薙翡翠だった。
「獣の彫刻が並んだ中で、唯一タイトルの付いた『獣たちの咆哮』って作品群の奥に、隠し扉があったわ。魔力視したら、ちょうど扉の形で魔力が染み込んでいたから、確実に隠し通路系ね」
手元のステーキを一口切って、その光景を思い出しながら説明していた。
「へぇ――ちなみに、そこにはカードリーダーはありましたか?」
「ん? カードリーダー? さあ? それらしいものはなかったわね……瑠璃お姉ちゃん、そんなのあった?」
「そうねぇ……なかった、とは思うけど……どちらにしろ、立ち入り禁止の柵があったから、入ろうとしたら止められるかしらね」
神薙瑠璃が難しい顔で頷いている。だが、カードリーダーがない時点で、そこはわたしが捜している場所ではない。一旦は捨て置いて良いだろう。
「――それ以外に、怪しいところは見付かりましたか?」
「あのね……三階の中央展示室脇にあるスタッフオンリーのドアが、恐らくは『館長室』だと思うわよ? だって、綾女ちゃんから預かったセキュリティカードだと、権限エラー、って表示されて進めなかったもの」
周囲に注意を払いながら、声を抑えて神薙瑠璃が答える。それに同意するように、神薙翡翠と神薙鶺鴒が大きく頷いていた。
「ええ、そうね。だいぶ広い空間があったし、独り分の熱源反応も視えたわ。しかもその独りが、瑠璃お姉ちゃんに匹敵するくらいの魔力量も感じたから――扉の奥には、間違いなくクリエイターが居るでしょうね」
神薙翡翠の台詞に、神薙瑠璃も頷いている。三人とも同一意見であるらしい。
つまり、わたしが狙っている本丸『クリエイター』五百蔵鏡が居るのは、近代彫刻館の三階『館長室』と思しき部屋か――そうなると後は、もう一つの隠し部屋を見付けるのが先決である。
「……まだ行ってないところは、どこでしょうか?」
わたしはカフェテリアの入口に置かれていたフリーマップを広げて、ミュージアムパーク万美術館の施設を眺めながら問い掛ける。
神薙鶺鴒がそれを覗き込んで、二か所を迷わず指差した。
「アートホールと、野外ステージだな。鳳仙は世界絵画館に行ってきたんだろ? なら、この二つを調べたら全部だぜ」
「ねぇ、綾女ちゃん。綾女ちゃんが見たって言う『欲望』のオブジェって、世界絵画館の裏手にあるモニュメントのことかしら? あんなところに、カードリーダーがあるなんて、少しだけ信じられないわぁ……」
「信じられなくとも別に良いですけれど、事実です。そちらは後回しで、この後はアートホールに向かいましょう」
わたしは即断して、神薙瑠璃たちの意見など聞かずに話を終わらせた。柊南天と立てた計画を果たす為には、最優先で龍ヶ崎十八を見つけ出さなければならない。
「あ、ちょ、待てよ、鳳仙。あたしたち、まだ食事中だから――」
「――これから命懸けになるやも知れないのに、よくもまあ、そんな悠長にステーキなど注文出来るものですね? 感心しますよ、その胆力」
「綾女さん。逆よ、逆。マジで闘り合う為にも、しっかり血肉を取って、魔力を充実させる必要があるの」
神薙鶺鴒に嫌味を言うと、真面目な顔で神薙翡翠に言い返された。それを睨むだけで無視して、わたしはとりあえず珈琲のお代わりを頼む。
サッサと食事を食べ終われ、と無言の圧力を神薙三姉妹にぶつけた。どうしてか揃いも揃って、三人ともガッツリステーキを注文している。
「あ、そうだ。綾女ちゃん、一つ聞きたいけど、良いかしら?」
ふと、神薙瑠璃が神妙な顔で首を傾げてきた。なんです、とわずらわしそうに聞き返す。
「昨日の計画通り、今回私たちは、綾女ちゃんのサポートに注力して、直接、クリエイターさんとは闘わないわぁ。けどそうなると、どこまで同行して、どんなサポートをすればいいのかしら? 周りの一般人を避難させる役目、とか、かしら?」
「……最優先としては、十八くんを救い出す役割です。わたしがクリエイターさんと一騎打ちしている間に、お得意のテレポーテーションで安全な場所まで転送する――それを常に意識してください。それを実行する為にも、お三方は基本的に、わたしとずっと同行していて欲しいです」
「え? あ、それで良いのね? ええ、もちろん! 良かったわぁ。少しだけ安心しましたわ」
わたしの説明に、何故かホッと胸を撫で下ろしている神薙瑠璃を見て、何がですか、と疑問を口にした。すると、満面の笑みを返される。
「――だって、綾女ちゃんをまた独りで闘わせたりして大怪我させたら、十八ちゃんを助けても全然喜ばれないもの。だけど直接対決の時まで同行出来るなら、私たちが出来るサポートも多いし、いざとなれば綾女ちゃんを護れるもの!」
神薙瑠璃は、トン、と自慢の胸元を叩いて、途端にゲホゲホむせていた。よく分からない使命感だが、やる気になってくれているのは有難い。ただし、わたしを護れると勘違いしているのは不愉快だ。
そんなお喋りをしながら、食事が終わった。そろそろ十三時半に差し掛かっていた。
わたしは神薙三姉妹を連れ立って、目的のアートホールに足を踏み入れた。
アートホールはミュージアムパーク万美術館内にあって、別枠入場料を必要とする建物だった。大人一人二千円とだいぶ高額だったが、それは仕方ないだろう。
入口のイベント案内を見ると、本日の予定は、明日から始まるコンサートイベントの前夜祭ということで、全国からアマチュアオーケストラ、合唱団、管弦楽団を集めての演奏会を開催していた。
開催時間は前半の部と後半の部に分かれており、後半の部が十四時からということもあり、アートホール内には次々と多くの観光客が集まり始めていた。
「……あ、この楽団、来てるんだ! 綾女さん。私、この楽団、凄く好きでさ――ちょっとだけ、聞いてかない?」
「何を世迷い事を――着席したら、三時間ずっと拘束されるのでしょう? ふざけないでください」
神薙翡翠の戯言を一蹴しながら、わたしたちは観光客の波を押し分けつつ、アートホールの隅々まで散策する。唯一、演奏を実施する舞台ホールと袖部分は確認出来なかったが、演奏開始前に、建物の内部構造は完全に把握することが出来た。
結論として、アートホールに怪しい場所はなかった。くまなく魔力視しつつ探索したのだが、魔力の痕跡はどこにもなかった。
必然、残りは野外ステージだけである。わたしたちは、そのままアートホールを後にした。
酷くガッカリしている神薙翡翠を、神薙瑠璃が一生懸命慰めていたが、そんなのはどうでも良いことだ。観光に来ている訳ではないのだから、ふざけないで欲しいと心の底から思う。
そうして、野外ステージに辿り着いた。野外ステージではイベントなど催していないので、無人で飾りもなく何も置かれていない。わたしたちは裏手に回る。
「――分かり易い、ですね」
「あからさまに、アレじゃん。なぁ、瑠璃姉さん、翡翠姉さん、アレ、だよな?」
「……そう、としか……思えないわよねぇ」
「綾女ちゃん、ここ、罠じゃないかしら?」
わたしたちは露骨なその光景に、四者四様に唖然とした。
野外ステージの裏手には、スタッフオンリーと書かれた地下へと続く階段と、カードリーダー式のセキュリティドアがあった。ちなみに、魔力視すると魔力の痕跡さえ確認出来た。
「これが罠、であろうとなかろうと、踏み込んでみないと始まりません。けれど間違いなく、ここが『作業場』か『資料保管庫』のどちらかでしょうね」
わたしはそう宣言してから、迷わずに階段を下り始めた。続いて、神薙鶺鴒、神薙翡翠、最後尾を神薙瑠璃が下りてくる。
入口のセキュリティは、リーダーにカードキーをかざすと、ピ、という電子音と共に解除された。挑戦権として八重巴から受け取っていたカードキーのうち、赤色のカードキーだ。
ドアが開くと同時に、キーン、と場が張り詰めるような感覚がして、空気中の魔力が増大したように感じた。
「……何らかの、結界が敷かれているわねぇ……」
魔術結界か何かだろうか、と疑問を持った直後、神薙瑠璃が呟いた。わたしは賛同するように頷きを返す。漂ってくる空気が、明らかに異質だった。
わたしたちが全員入ったところで、ドアは自動的に閉じた。
「――綾女さん。慎重に進んだ方が良いわ。奥に、信じられない数の熱源反応があるわ」
幅広で薄暗い通路に立ち止まり、硬い声音で神薙翡翠がそう告げる。しかし、言わなくともそんなのは気付いていた。
わたしもドアを開けた瞬間から、奥に広がる空間内で蠢くように待ち構えている何かの気配を捉えている。正確な数までは分からないが、少なくとも五十から六十は、怪しい気配があった。
ただ少しだけ不思議なことは、その多数の気配が、カードキーでドアを開けた瞬間から動き出したということだ。突如、電源が入ったかのようだった。
「――なぁにアレ? 魔獣……いえ、使い魔、なのかしら?」
通路を抜けた先の大部屋には、うじゃうじゃと人面の四足獣たちが跋扈していた。
室内は薄暗く、奥行きが見えないほど広かった。そこは物流倉庫かと見紛うほどに天井が高く、3メートル弱はあろう背の高い本棚が規則正しく並んでいた。本棚には、古今東西図の様々な書物や、見るからに怪しげな骨董品、不気味な彫刻や絵画、人形などが置かれていた。
チラと見れば、階段脇の木彫りプレートに『資料保管庫』と書かれていた。
「なるほど。ここが『資料保管庫』ですか?」
資料保管庫の中は、独特な古紙の臭いに混じって、血と埃とカビの臭いが満ちていて、人面の四足獣たちの低く唸る声がBGMのように響いていた。魔力濃度も濃く、身体にまとわりつくようなネットリした空気が漂っている。
わたしは四足獣たちの姿と、放っている空気を感じて、先日の夜、病室で龍ヶ崎十八に襲い掛かってきた蜥蜴モドキを思い出した。
姿かたちは違えど、この人面の四足獣たちからは同じ気配が感じられた。
「……ちょ、マ? キモ……しかも、この数……ヤバすぎ……」
震える声で囁いたのは、神薙翡翠だ。顔面を引き攣らせて、口元を押さえている。
神薙翡翠は恐る恐ると辺りを見渡してから、慌てて振り返り、通ってきた一本道の通路を確認していた。杞憂だが、挟み撃ちを恐れていた。
「……なぁ、瑠璃姉さん、翡翠姉さん。あたし初めて見るけど、アレって、魔獣マンティコア、だよな? 過去の討伐資料と、同じ姿だ」
人面の四足獣を見た神薙鶺鴒が、首を傾げながら呟いた。
資料保管庫の番人のように徘徊している人面の四足獣たちは、一見すると中型犬を思わせるが、明らかな畏形だった。
徘徊する人面獣たちは、全ての個体が全長70センチ前後で、滑らかな毛皮の胴体に長い髭を蓄えた中年男性みたいな人面である。口元からは鋭い犬歯が鋸のように並んでおり、半開きの口だけ見ると鮫を思わせた。その尻尾は蠍のようで、毒々しい針が先端についている。
「魔獣マンティコア、ね……」
わたしはしみじみと呟いた。それは伝説で語られる人喰いの化物だ。
空想上の生物で、当然ながら本物など見たことはないが、徘徊する人面獣たちはまさにその名称がふさわしいだろう。
けれど問題なのは、果たしてこの人面獣は、ソレと同じように強いのかどうか、である。
「……ええ、鶺鴒ちゃん。確かに、アレは『魔獣マンティコア』だと思うわぁ……けど、アレ。本当に魔獣かしらぁ? 翡翠ちゃん、どうなの?」
ところで、この異様な光景を前にして、神薙瑠璃はとても冷静だった。動揺は感じられたが、さして焦った様子もない。
「魔獣じゃない、かも――魔獣核が見えないわ」
小声で返事をする神薙翡翠に、神薙鶺鴒は無言で一歩前に出た。流れる動作で、神薙姉妹は戦闘配置を整えている。
わたしは、改めて視線だけで資料保管庫を見渡す。
室内には、人面獣が跋扈しており、それらはわたしたちに無味乾燥な双眸を向けていた。
人面獣からは、警戒心も敵意も感じない。襲い掛かる気配もなく、ただただジッと水晶玉のような視線をわたしたちに注いでいる。観察されているような印象だ。
そんな視線を浴びながら、神薙翡翠が推論を口にした。
「……魔獣じゃないけど、使い魔にしては生物的じゃないわ……魔力を放つ、じゃなくて、全身に帯びてるし。良く見たら熱源反応も、心臓部じゃなくて体表の素材からだし。これきっと、魔鉄鋼で造られてるのかな? 体表から放出されてる魔力熱が熱源ね……この化物、もしかして……与えられた魔力で動く自律制御の人形――魔動人形ってヤツかも。噂でしか聞いたことないけど……ちなみに、総魔力量から推定すると、脅威度Cってとこね」
「脅威Cだったら、あたしだけで蹴散らせるぜ――どうする、瑠璃姉さん?」
神薙瑠璃は神妙な顔で口元に手を当てていた。一方で、神薙鶺鴒は自信満々に腕を叩いてから、さらに一歩踏み出す。腰を落として空手の構えを取っていた。
脅威度Cという表現がわたしにはピンと来ないが、神薙鶺鴒が余裕を持って蹴散らせると判断する程度の強さらしい。
つまりこの人面獣たちは、見掛け倒しの烏合の衆ということになる。
(……それにしては、少し不気味な感じがします……危険な感覚……キナ臭い戦闘の気配……)
わたしは人面獣から視線を外して、薄暗い資料保管庫の奥の奥を注視する。瞬間、魔力が爆発するような振動を感じて、思わず口元がにやけた。心躍るほど、不穏当な強者の気配が漂ってきたからだ。
この気持ち悪い気配には覚えがあった。まさか、こんなところで遭遇するとは想定していなかった。
「とても良い反応だ――うん、これなら納得だ。オフィサーが言ってたのは君だね?」
わたしはすかさずポケットから魔力剣の柄を取り出して、正面に構えた。応じるように、資料保管庫の奥の闇から、漆黒のマントをたなびかせる何者かが現れた。
「――翡翠ちゃん、補助を! 鶺鴒ちゃん、退いて! 綾女ちゃんの邪魔をしないように!!」
何者かの出現に、神薙瑠璃は慌てた様子で叫んだ。神薙翡翠は言われるまでもないとばかりに呪文を詠唱し始めて、神薙鶺鴒は一歩退きつつ集中の世界に入った。
見事な連携だ。素晴らしい、と思わず感嘆の吐息を漏らす。神薙大女神の名は、伊達ではないかも知れない。敵ではないことに、少しだけ残念な気持ちだった。
「初めまして――貴方が『クリエイター』さん、ですね?」
何者かは身体のシルエットがくっきり分かるような黒いボディスーツ姿で、漆黒のマントという黒ずくめの格好をしていた。一瞬、人形かと見紛うその体型は、痩身で男性的な骨格をしていた。薄い胸元に、マネキンを思わせる滑らかな身体つきだった。
想像していた印象とはだいぶ違う。だがその顔は紛れもなく、インターネットで見た画像と同じ、円卓三席『クリエイター』こと、五百蔵鏡である。
「ああ、初めまして――君が、あのオフィサーに『特Sクラス因子』と言わしめた存在だろ? 噂でしか聞いたことないけど、伝説的な暗殺者【人修羅】の後継者、だとか?」
「よくご存じで――『特Sクラス因子』とやらが何か知りませんけれど、わたしが【人修羅】の後継者であることは事実です。ところで、五百蔵、鏡さん? それとも、クリエイターさん? どちらでお呼びすれば宜しいでしょうか?」
「好きに呼んで構わないが、どちらかと言えば『クリエイター』と、呼んでくれた方が嬉しいかな? さてそれでは早速、お手並み拝見と行こう。是非、愉しませてくれたまえ」
「ふふふ――お手並み拝見? 愉しませてくれ? それはまさにわたしの台詞ですよ? せいぜい場を白けさせない程度に足掻いてみせてくださいね? 五百蔵さん」
互いに挑発的な軽口を叩き合ってから、わたしは満足げな笑みを漏らす。するとその態度に、五百蔵鏡の顔が曇った。
「……不遜な挑戦者、とは聞いてたが、そこまでの態度をされると少し苛立つな。僕を馬鹿に出来るほどの実力が、果たして君にあるのか、と思うけど……それとも、虚勢を張って相手を不快にするのが君の戦闘流儀なのかな?」
「あらあら? 不遜、でしょうか? わたしは事実を口にしているだけですよ? 逆に問いますけれど五百蔵さんは、わたしを馬鹿に出来るほど、果たして強者なのでしょうか?」
「…………格下は往々にして吼えるものだが、何を根拠に、そんな自信満々なのかが謎だね。僕はこれでもさ、かなり君に期待してるんだよ? だから、あんまりテンプレの雑魚みたいに強がって、僕を失望させないでくれ」
「それは失礼。けれど、五百蔵さんこそ、その言い回し、負ける前振りにしか聞こえませんよ? 是非とも、わたしの期待にも応えて欲しいですね――」
「――口は達者だね」
五百蔵鏡の逆鱗が分からず、わたしは兎に角、ひたすら挑発してみた。しかし五百蔵鏡はさして動じず、馬鹿にしたような笑みを浮かべるだけだ。
チッ、とこれ見よがしに舌打ちしてから、ふと思い出したとばかりに、ニヤリと笑う。
「嗚呼、そうそう。これは忠告ですけれど――くれぐれもこの美術館にあるような駄作たちみたいに、不出来な真似はしないようお願いいたしますよ?」
「――――ああ? 駄作たち、だと? いま君、僕の作品を、駄作、と言ったか?」
駄作、という単語を繰り返しながら、五百蔵鏡は明らかに纏う空気を変えた。ふふふ、といっそう口元を歪めて嗤う。予想的中である。
五百蔵敬は途端に顔面を紅潮させて、青筋を立ててキレ始めてた。
「ええ。駄作、でしょう? 意味の分からないオブジェばかりで、不出来の極みとはこういうモノかと思いましたよ? アレなら、わたしが暇つぶしに作った折り紙の方が、マシじゃないですかね?」
「ふぅん? そう? 僕の創作物を、駄作と評するか――『特Sクラス因子』を壊したくなかったけど、仕方ないね。そこまで壊されたいなら、期待に応えよう。まあ、そもそも、これで簡単に壊れるくらいなら『特Sクラス因子』じゃないか?」
怒りが頂点を過ぎたのか、もはや落ち着いた様子で、五百蔵鏡は達観した表情を浮かべていた。しかし放たれる威圧は、出会い頭よりもずっと強烈だった。控えめに言っても、わたしより圧倒的強者だと断言できるだろう迫力だ。
武者震いではなく、怖気で身震いした。ここまでの感覚は、天桐・リース・ヘブンロードと対峙した時以来だ。思わず漏らしそうになるほどである。
「――召喚士モード、切り替え」
五百蔵鏡は小さく呟いて、パチンと指を鳴らした。その全身が魔力に包まれる。それを合図に、四方八方から、人面獣が憤怒の表情で襲い掛かってきた。
10/27迄、毎日1話ずつ0:00更新します




