第六夜(1)
目覚めは最悪だった。近年稀に見るほど頭痛が酷く、全身の気怠さは入院しているときよりいっそう辛かった。血流が滞って全身が冷凍庫に突っ込まれているような錯覚をするほど、身体が重く動きが鈍い。
全身の骨や筋肉が軋む程度の激痛は慣れているが、身体に火が入らないのは久しく経験していないものである。
「……睡眠も不足している感があります」
頭痛だけではなく、意識が朦朧としており、目覚めてから五分も経つのに一向にハッキリしなかった。
疲労困憊が色濃く身体に出ていた。それ自体も別段、当然のことだが、何よりの問題は、意識してこの状態を抑え込めないことだった。
普段ならば脳内麻薬を意識的に分泌させることで、身体の限界を麻痺させて痛覚をコントロールしていた。しかし、いまの胡乱な思考力と体調では、普段の三分の一もコントロール出来なかった。
「……心当たりは、昨夜、柊さんに処方された、内服薬、ですけれど……」
わたしはもう一つのベッドでぐっすりと寝ている柊南天を睨みつける。
ところが、眼に力を入れた瞬間、ガンガンと鳴り響く頭痛が視界を霞ませた。慌てて瞼を閉じてから、大きく深呼吸して心身を整えた。
「とりあえず、汗を流してきましょうか……」
寝汗でぐっしょりになったインナーが気持ち悪い。わたしは着替えを持って大浴場に向かった。
朝の静謐とした空気と静まり返った館内、一方、館外の森からは野鳥の鳴き声が目覚めのアラームの如くけたたましく聞こえていた。
朝の早い時間だからだろう。大浴場には人の気配は一人だけだった。
「あらぁ? おはようかしら、綾女ちゃん――って、ちょ、血が滲んでるうえに、傷だらけじゃないの!?」
気配の主は、神薙瑠璃だった。
神薙瑠璃は半身浴をしており、腰まで温泉に浸かったまま、わたしを見て挨拶してくる。そして直後、わたしの身体を目にして絶叫に近い声を上げていた。
わたしはスッと視線を下げる。たしかに、胸元を隠したタオルには少し血が滲んでいるし、露出した脚や腕、脇腹などには、青痣になっている打撲痕、火傷じみた擦過傷、瘡蓋になっている裂傷が無数にあった。
「……沁みるでしょう、その傷……痛いわよぉ」
神薙瑠璃はまるで自分が傷ついたかのように顔を歪めて、痛そうな声で呟いた。
そんな神薙瑠璃の身体を眺めて、わたしは不愉快そうに眉根を寄せる。
全くもってふざけた身体だ。華奢な撫で肩に、メロンを思わせる巨大な乳袋、腰はそれほど細くはないが決して太いわけではない。お尻は温泉で少し隠れているが、明らかに大きく安産型に思える。全体的に女性らしい丸みを帯びて、透き通るような白い肌だ。
わたしは露骨な舌打ちをしてから、かけ湯をしてからお湯に入った。
温泉に浸かると途端に身体の芯に火が入り、内側でズキズキと拍動に合わせた痛みが生まれる。当然、体表面全体が焼かれるように激痛なのはデフォルトだ。
「はぁ――っ、ふぅ」
わたしは肩まで浸かり天井を仰ぎ見る。痛みを受け入れて、温泉の熱さに身体を預ければ、じんわりと内側から疲労感が解けていくのを自覚する。
「……ねぇ、それ痛くないのかしら? 綾女ちゃん……無理したら、本当に駄目なのですよ」
神薙瑠璃が前屈みになって、わたしの視界に惜しげもなく胸元を晒す。重力に従いぶら下がっているが、形は綺麗なままだ。
わたしは眩しいものを見るように目を細めて、スッと顔を逸らす。
「瑠璃さんの言う、無理、とは何でしょうか? わたしにとって、一番無理なのは、戦える状態にも関わらず、敵前逃亡をすることですよ?」
「……うぅぅ――もう! そんなことばっかり言って……」
いじけるような仕草で、神薙瑠璃は腕を組んでむくれていた。ちなみに、組んだ腕にはその巨乳が載っている。
ふいに神薙瑠璃が神妙な顔になり、小声で問いかけてくる。
「ねぇ、綾女ちゃん。ところで質問なのですけど、どうして、偽名に望夜ちゃんを名乗ってるのかしら? 望夜ちゃんとは、面識でもあるのかしら?」
「ミャアちゃん? 嗚呼、蒼森望夜のことですか?」
わたしはその問いに、ふむ、と一瞬思案する。
聞くべきか聞かざるべきか、悩ましい質問である。個人的には興味があるが、聞いたところで何かが変わるわけではない。むしろ、わたし自身が怖気づく結果になるやも知れない。
最近気づいたことだが、わたしにとって恋愛と殺し合いは似て非なるものであるらしい。命懸けである点と、勝たないと意味がない点は似ているが、恐れを抱くかどうか、挑戦者であることを幸運に思えるかどうかという点で決定的に異なる感覚を持っている。
まあ、そんな逡巡はさておき、わたしは温泉でリラックスしていたからか、思わず口走っていた。
「――面識はございませんが、十八くんの婚約者であることは知っています。どういった方で、十八くんとはどんな仲なのか、お伺いしても宜しいでしょうか?」
神薙瑠璃が、へ、と素っ頓狂な声を上げて、次の瞬間、ニンマリとした笑みを浮かべた。よほどわたしの顔が面白いのか、探るように顔を近づけてきた。
温泉で上気した頬を隠すように、わたしは視線を逸らす。
「あらあらあら、まぁ、綾女ちゃん。そっかそっか……十八ちゃんは、朴念仁に見えても、結構、罪な男の子なのねぇ。あ、だから静ちゃんのことを――」
「――失礼ですが、わたしの回答に答えていただけませんか?」
「あら、ええ、そうね。でも、そうですかぁ……静ちゃんは勝ち目薄いわねぇ……」
ザパァ、とわたしの隣に腰を下ろして、あのね、と肩を寄せて顔を近づけてくる。二の腕に押し当てられる胸の圧が非常に不愉快だった。
「本名、蒼森望夜ちゃん、ピチピチの十九歳で、いまは護国鎮守府の第壱戦斗部に所属しているわ。蒼森家の現当主、梓鶴様の愛娘でもあり、蒼森流居合術の師範代として――」
「――そんなことを聞いているのではありません。十八くんとは、その……どういった関係性があるのかを聞いています」
「あ、ええ、ええ、関係性、ね……婚約――」
「――婚約関係であることは存じていますよ?」
わたしの素早い切り返しに、神薙瑠璃は、むぅ、と唸りながら肩を竦めた。
「……ま、そうよね……んー、どう説明しましょうかしらね……少しだけ、悩ましいわね」
勿体ぶったように腕を組んで首を捻る神薙瑠璃を、鋭いジト目で睨み付ける。
素性調査をしているつもりはないのだ。ありのまま、龍ヶ崎十八との間柄を答えるだけに何を悩むのか理解出来ない。
「えーと、ね。ちょっとだけ複雑なのよねぇ……十八ちゃんからすると、望夜ちゃんは近所のお姉さんでしかないかしら。だけど、野心家の望夜ちゃんからすると、十八ちゃんは絶対に手に入れたい相手だからねぇ……ちなみに、綾女ちゃんって、蒼森家の内情とか、詳しかったりするのかしらね? 噂じゃ、前当主で、『夜叉』と呼ばれてた蒼森玄御爺様とお知り合いだったんでしょ?」
「師父に教わったことは、ひとえに剣術のみです。そもそも蒼森家の内情など興味ありません。わたしが聞きたいのは――」
「――ええ、ええ。分かってますわよ。あのね……蒼森家って鎮守格十二家の中でも、ここ十数年の間で一気に凋落した家門なのよね。特に、梓鶴様に当主を代替わりしてからは、鎮守格四極の中で最も実績を積んでいないわ……零仙様も御年二十八にもなってご結婚なさっていないし、どころか第弐戦斗部所属だから、実力もそれなりで――もご!?」
いきなり蒼森家の内情へと脱線し始める神薙瑠璃を前に、わたしはうんざりして、もういい、と強引に手で口を塞いだ。もごもご、と口を動かしているが、これ以上喋らせる気はなかった。
「知りたいことを端的に、蒼森家の内情など知らないわたしにも、分かり易く教えてください。それ以外の蛇足は不要です――それで? 十八くんとは、どれくらい仲が良いのですか?」
ぬぅ、と神妙な顔になった神薙瑠璃から、ゆっくりと手を放した。これでまた関係ない話を始めたら、今度は頬を引っ叩くつもりで右手を構える。
「……仲の良さ、だと……それほどでもないわよ? 知り合い以上、お友達未満って感じかしらね? 十八ちゃんとしては、家門の付き合い以上の感情は持ってないわよ――望夜ちゃんも、恋愛感情はないけど……どんな手を使っても結婚するつもりでいるだけかしら」
「恋愛感情がないのに、結婚するつもり、ですか? なるほど、それが蒼森家の内情に関係する、と? 例えば、後継者問題、とかでしょうか?」
「あ、うん……後継者……うん、まあ、そうですわね。遠からず、そんな感じ、かしら……」
わたしが納得した瞬間、ひどく煮え切らない返事をされて、ふたたび鋭く睨み付けてしまった。よく分からないが、神薙瑠璃としては説明が足りないらしい。
けれど、わたしはもう聞きたいことが聞けたので、後はどうでも良くなっていた。重要なのは、龍ヶ崎十八の意志であり、その点においては、蒼森望夜という相手は少なくとも剣持静よりも脈なしのようだ。
「――ところで、瑠璃さん。朝食はご一緒いたしませんので、時間厳守で、八時には本館ロビーに集合でお願いいたしますね?」
「ええ、承知していますわよ――う~ん、と。じゃあ、私はそろそろ出ようかな……お先に、上がらせてもらうわね」
「どうぞ、ご勝手に」
わたしに見せ付けているのか、目の前でその巨乳を強調するかのようにグッと背伸びしてから、神薙瑠璃は大浴場から出て行った。
神薙瑠璃を見送ってから、天井を見上げながらゆっくりと温泉を堪能する。とはいえ、そろそろわたしも上がらないと逆上せてしまう。
サッと身体を洗って、他の宿泊客が来る前に大浴場を後にした。
部屋に戻ってくると、まだ柊南天は就寝中だった。時計を見れば、もう六時半になる。いくら何でも寝過ぎだろう。
わたしは無言のまま、柊南天の布団を引っぺがして――瞬間、そのあられもない姿に絶句する。恥ずかしながらも、予想外過ぎて、凍り付いたように固まってしまった。
「――裸族、でしたか」
「…………んん……なんスか……寒い、ス……」
柊南天は布団を捲った途端、寝惚けた声でそんな呟きを漏らしながら、くの字に身体を曲げて丸まっていた。着やせするタイプのようで、割とスタイルが良くて腹が立つ。
わたしは容赦なく柊南天の頬を引っ叩く。バチン、と良い音が鳴った。
「――!? 痛いッ!? なんスか、なんスか!?」
「おはようございます、柊さん。もう六時半ですよ。起きる時間です」
「ハッァ!? 六時、半!? むしろ、まだ寝てる時間スよ!? え、朝食まで、まだ――ッ!?」
騒がしい柊南天の頬をもう一度引っ叩いた。寝惚け眼だった柊南天は、ようやくそれでハッとなる。
「……あ、えと……おはようございます……アレ? ところで、うち、いま何でビンタされたんスか?」
「サッサと起きないからです。朝食まで時間がありません――まずは服を着てください」
同性の裸に興味はないし、風呂場でもないところで他人の肌を見たくもない。
柊南天は渋々と脱ぎ捨てていた浴衣を拾い上げて、ガウンを羽織るように身に着ける。とりあえずそれで、わたしにとって目の毒である大きさをした胸元は隠れた。
「柊さん。わたしに何かしましたか? それとも、昨日、処方してくださった薬の副作用ですか? 今朝からずっと、頭痛が酷く倦怠感があります。思考も胡乱ですし……何より、気の乱れが激しいです。魔力コントロールもほとんど出来なくなっています。昨日の今日で、これは明らかにおかしいです」
「…………ああ、はいはい。なるほど、なるほど、分かります、分かります、つまりそれ、うちの医療術に耐えられるだけの素地が出来たってことスね? とうとう、うちの真骨頂をお見せ出来るってことスね?」
わたしの訴えを聞いて、柊南天は嬉しそうに頷いていた。何やら予想通りらしいが、このままでは困るので、なんとかしてほしい。
「説明を求めます。わたしはいま、どういう状態なのでしょうか?」
「えーと、っスね。うちが施した精神感応の奥義と処方箋が、正しく綾女嬢の肉体に作用したってことス。結果、綾女嬢の肉体はいま仮死状態になったんスよ。だから、身体がずっと冷え切ってると思いまスよ?」
柊南天はベッドから起き上がり、インスタントコーヒーを用意し始める。
「――仮死状態? どういうことでしょうか?」
「昨日の触診した結果スけど、綾女嬢の身体、想像以上に内傷が酷かったんスよ。それこそ日常生活を送るのさえ困難なほどで……常識的な医者なら、一週間は絶対安静ってほどの重傷ス。起き上がってるのさえ、内臓への負担がヤバかったス。だから、仮死状態にして負担を減らしたスよ。そんでもって、うち特製の治癒施術を実行するんで……とりま、これを呑んで欲しいスね」
ほい、とわたしの前に、白湯が入った湯飲みと、顆粒の包み、赤い錠剤を置いた。飲め、ということだろうか。いかにも怪しい薬だ。
「これは?」
「顆粒が、基礎代謝を強制的に低くさせる薬ス。んで赤い錠剤が、肉体の治癒速度、細胞の再生速度を劇的に向上させる効能がある薬ス。ただこの錠剤は効果効能が強過ぎて、常人が使用すると急激な治癒速度に肉体が追い付かず、栄養不足と老衰で死ぬリスクがあるんス。だもんで基礎代謝を低くして、更に使用者の身体を仮死状態にすることで、治癒速度を調整するんスよ」
「……仮死状態とは、細胞の活動が停止に近いほど弱まっている状態では? そんな状態で使用しても、効果は出るのですか?」
「出なくはない、って程度スね。けど、綾女嬢の懸念通り、効果は薄いス――そこで世界最高の名医であるうちが、仮死状態を部位ごとで調整して、綾女嬢の肉体を治癒するって訳スよ」
ニコリと笑顔を見せてくる。ふむ、と頷くと、わたしは顆粒と錠剤を一気に飲み干した。
しばし様子を窺うが、体調の変化は特に感じない。即効性がある訳ではないらしい。
「呑みましたが、わたしはどうすれば宜しいでしょう――か、ッ!?」
「お、効き始めましたスね。んじゃ、横になってくださいス」
「――――ッ、く……」
即効性がない、と判断した瞬間、ドクン、ドクン、と凄まじい速度で心臓が脈打ち出す。身体の末端がブルブルと痙攣を初めて、柊南天に言われるまでもなく、その場に倒れ伏した。
「さて、そんじゃ――激痛ありますけど、ま、耐えてくださいス」
倒れたわたしを仰向けにひっくり返して、柊南天は腹部に馬乗りになる。そして、胸元から腹部、首筋から肩、臀部から足先と、優しく撫でまわした。
「――ぐぅ、っ!?」
柊南天が触れた箇所が、燃えるように熱くなってきた。同時に、内側から食い破られるような激痛が走る。普段感じている致命傷ほどの激痛ではないが、胡乱な思考状態のいま、声を我慢出来なかった。
こんなに自分の身体をコントロールできないのは初めてだ。無意識に痙攣が起きていた。
そんなわたしの身体を体重で物理的に抑え込んで、柊南天は触診を続けた。
「……ふむ、ふむ……なるほど、なるほど……うぉ、これは……はいはい……」
触診されるごとに、激痛はどんどんと強烈になっていき、まるで身体が削られているような錯覚に陥った。しかし痛みが強くなればなるほど、思考がクリアになっていき、我慢が利くようになる。
「――それにしても、流石、としか言いようがないスよ。まさか八時間程度の仮死で、内臓の疲労がここまで回復されるとは思わなかったス。この身体、マジで化物スね。ここまではの回復力を持つ身体は、うちも生まれて初めてス」
およそ五分程度で全身の触診を終えて、柊南天はわたしから離れた。これでもう大丈夫、とサムズアップをしている。
確かに、思考だけはだいぶスッキリして鮮明になっていた。先ほどまでの夢うつつ状態だった感覚は、いま完全に覚醒している状態だった。けれど逆に、身体の激痛や疲労感はかなり増大していた。この状態を自主退院した昨日と比べると、調子はすこぶる悪いと言えるだろう。
「……柊さん。お伺いしますが……これで、治癒は完了、ですか?」
「まだまだまだ、っスよ。そう焦らんでくださいス。ま、いまは一旦終わりスけどね――言うて、ご安心を。ちゃんと綾女嬢が戦闘出来るように整えまスから。とりあえず朝食を摂って、栄養を身体に蓄えてからまた施術するっスよ」
「…………なるほど、そうですね」
両手足に数百キロの鉄の枷でも付いているかのような重さを感じながら、わたしは立ち上がった。
骨と筋肉のみならず、内臓が脈打つごとに激痛を訴えている。だが先ほどと違い、身体は燃えるように熱くなっており、また、意識的に痛覚も遮断出来て、脳内麻薬さえ思い通りに分泌出来ていた。
これならば、それほど苦ではないか。普段とそこまで変わらず、痛みを我慢して動くことが出来るだろう。
「お? 綾女嬢もお腹鳴るんスね?」
ふと、わたしのお腹が空腹を訴えた。ぐぅ、という可愛らしい音を耳にした柊南天は、満面の笑みで頷いていた。
少しばかり恥ずかしいが、身体が正常に挙動している証拠なので、素直に認める。
「それでは柊さん。わたしは朝食を頂いてきます。忘れずに、八時でタクシーを用意しておいてくださいね?」
「OKス。綾女嬢も、喰ったら戻ってきてくださいよ?」
わたしはそのままロビー脇にある和風カフェレストランに向かった。
朝食は夕食と違い、本館に宿泊している客は本館、別館の宿泊客は別館、と食事場所が分かれている。ちなみに、柊南天はまたもや夕食同様、朝食も部屋食にしているそうだ。
ロビー脇にある和風カフェレストランはそれほど広くはなかったが、そもそも本館宿泊客など数えるほどしかいない為、見渡す限り二組しか座っていなかった。
わたしは受付で名前を記載して、一番奥のテーブル席に腰を下ろした。テーブルには『空席』札が置かれていたので、裏返して『利用中』札に変えた。
朝食はバイキング形式なので、席を確保したら好きな物を取ってくる必要がある。
和洋中が揃ったバイキングは、どれもこれも作りたてで美味しく、栄養バランスも整っていた。わたしは珍しく空腹の命じるまま、目に付いた美味しそうな皿を持てるだけ取った。
そうして、病み上がりなことも気にせず、都合、三人前ほどの量を食べてから、わたしは『幽玄の間』に戻ってくる。
ところで、朝食を摂っている間、神薙三姉妹は誰も来なかった。八時に集合と言っているのに、朝食抜きで向かうつもりだろうか――
「お? おかえりなさい、ス」
部屋に戻ると、二人前程度の食事が所狭しとテーブルに並んでおり、夕食同様、それを美味しそうに頬張る柊南天が居た。
「部屋食の場合は、和風チョイスになるのですね」
並んだ食事のラインナップは、オーソドックスな和風料理ばかりだった。ほとんどがバイキングで提供されていた料理だが、海苔が付いた切り干し大根と、刺身、鱈の西京漬けなどは、独自に用意されている。お米も玄米のようで、部屋食とレストランでの朝食は、少し違うらしい。
まあ、とはいえ、食事を終えてお腹いっぱいのわたしには関係ない。
チラと時計を確認すると、八時まであと三十分程度しかなかった。柊南天に施術してもらう前に、着替えを済ませておこう。
「――あ、そだ、綾女嬢。ちょっと服着替える前に、施術するっス」
私服に着替えようと浴衣を脱いだのを見て、柊南天が食事の手を止めた。
「ええ、宜しければ、是非お願いいたします」
この激痛を少しでも緩和してくれるのであれば、それは願ったり叶ったりである。
わたしは言われるがまま上半身裸で、柊南天の前に背中を向けた。身体のあちこちから、血が滲んでいた。
「あ、そだそだ……ちな、この施術。数秒から数分間、完全に気絶しまスけど、ご安心くださいス。起きた時には、ガンガン調子上がってるんで!」
そう言うが否や、柊南天が肩甲骨付近を触診した。その瞬間、テレビの電源が切れるように、わたしの意識は落ちて暗転した。
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