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外道に生きるモノ  作者: 神無月夕
第五章/円卓に座るモノたち

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第五夜(4)

 快調に高速道路を進みながら、ふと柊南天が、忘れてた、と声を上げた。

 

「そいや、泊まる宿は決まってんスか? ボチボチ高速下りるんで、ナビセッティングしたいから、教えて欲しいんスけど……」

「決まっていませんよ。現地を適当に流して、良さそうなところに飛び込もうと思っています」

「……杜撰な。どこぞの大学生の無計画旅行じゃないんスから……んー、決まってないなら、うち、ってか異端管理局でよく利用する旅館、どスか? 海鮮料理が美味いし、天然温泉の大浴場とサウナあり。ちょっと豪華にすれば、源泉かけ流しの客室露天風呂付き和室もあるスよ?」


 柊南天は言いながら、カーナビで旅館の位置を呼び出していた。同時に、片手で携帯を操作して、旅館のホームページを表示させる。


「これっス。どスか?」

「――へぇ? 素敵な旅館ですね。もし部屋が空いているのであれば、予算は幾らでも構いませんので、是非、お願いしたいですけれど?」

「おぉお、太っ腹スね――ま、言うても、今回はうちが出しますよ。どうせ依頼をこなしたら、充分な報酬が出まスし。そもそも経費で落とせるし」


 笑顔でサムズアップすると、迷わず予約を進めていた。わたしは目を細めながら、念の為に質問する。


「ちなみに、宿は何泊で、いくつの部屋を予約するおつもりですか?」

「んぁ? え? 二泊じゃダメ、スか? うち、ついでに有給取って休もうかと……あえ? 部屋って、二人部屋を一つ予約しまスけど? あ、独り部屋希望ってことスか?」

「違いますよ。本日この後、神薙さんたちと合流する予定なのですから、四人部屋をもう一つ追加しておいてくれませんか? あと、わたしも湯治をしようと思っているので、連泊で五日ほどお願いします」

「は……はぁ? え、あ、そスか……」


 わたしはそんな要望を口にして、宜しく、と流し目を送る。一人一泊十五万円は下らない高級旅館で、五連泊、しかも複数の部屋を予約となると、そもそも予算の問題よりも、空きがないかも知れないな、と少しだけ心配になった。

 わたしの言葉に柊南天は頬を引き攣らせていたが、無理とは言わずに、しゃあない、とすかさず電話を架けていた。


「――あ、すません。部屋を空けてもらいたいんスけど……」


 柊南天は常連めいた口調で旅館のフロントに電話すると、宿泊の交渉を始めた。けれど当然ながら、旅館側も空きなどない様子だ。電話口で微かに、無理です、と断りの言葉が聞こえている。しかしそれに引くことなく、上を出せ、とクレームを入れていた。

 しばらく経ち、相手が変わったのか、もう一度同じ要望を伝えて、唐突に笑顔で頷いた。


「はい、はい……そス。ええ、ええ……んじゃ、宜しくス」


 すると、どんな裏技を使ったのか、旅館側は二つ返事で柊南天の要望に折れていた。結果として、予約は完了したらしい。


「はぁ……もう、我儘姫スよ、綾女嬢は……けど、ご要望通りに、お部屋取れましたよ。こっから直行しまスけど、一応、寄り道も考えてチェックインは十七時にしました。夕食は十九時からス。ちな、お連れの神薙大女神は、いつ頃お越しになられる予定スか?」

「さぁ? これから、旅館が取れたことも含めて連絡する予定ですので――彼女たちは電車移動でしょうから、夕食には間に合うのではないですかね?」

「あ、そスか……」


 興味なさげに呟いて、柊南天は運転に集中する。わたしは早速、神薙瑠璃にショートメッセージを打つ。


「――ちな。救出チームに、男子は居ないスよね? 女性だけスよね?」

「ええ。全員女性ですよ」

「救出後に、龍ヶ崎家の御曹司と何泊か、とか、そういうのは予定してるんスか?」


 柊南天は何やら含みを持たせた言い回しで、好色そうな笑みを浮かべていた。

 わたしは、嗚呼なるほど、と言われて初めて気付いたとばかりに手を叩く。そういうデートプランも有りだったのか、と。

 しかし、すぐさま苦笑して、サラサラと黒髪を左右に揺らした。


「申し訳ありませんが、まだ交際していませんので――ついでに言えば、恐らく救出されたら、きっとすぐにご実家に戻ると思いますよ?」

「うぉ、つまらない反応。けど、綾女嬢的には、狙ってるんスよね? じゃなきゃ、わざわざ救いに行かないでしょうし」

「あら? 柊さんはこういう色恋沙汰がお好きなのですか?」

「ははは、そりゃ当然スよ。うち、マジで出逢いなくて困ってるんスから――いや、冗談抜きに、後継ぎを考えないとガチでヤバいレベルの年齢でスしね」


 割と本気のトーンで呟く柊南天に、わたしはそれ以上何も言えなくなった。記憶にある限りだと、柊南天の年齢はもうそろそろアラフォーだったはずだ。


「失礼な。まだ三十七ス……アラサーで行けまスよ?」


 わたしの思考を読んでそんな訂正をしてくる辺り、本人もだいぶ気にしている様子だ。けれど、それは違う、とわたしは同情の視線を向けてから、窓の外に意識を向けた。


 旅館に到着したのは、結局、午後四時半過ぎだった。

 高速道路は順調に進んだのだが、一般道に下りてから先、不運にもあちこち工事をしており、何度も迂回をさせられた。そのせいで、カーナビの到着予定時刻はどんどんと遅れていき、結果としては、予定時刻を一時間以上オーバーしたのだ。

 とはいえ、どうせ今日は何もする予定はない。

 このまま宿で、神薙瑠璃たちと合流するのを待つだけである。


「――ようこそ、お待ちしておりました。()()()八重巴様でしたね。そちらが蒼森望夜(ミヤ)様でいらっしゃいますね」

「そス、そス。ちょっと早く着いちゃいました」

「ありがとうございます。お部屋の御用意は出来ております――遅れてくるお連れ様は、三名様で間違いございませんか?」

「そス、そス。神薙って名乗るはずス」


 手慣れた様子と馴れ馴れしい口調で、柊南天はフロントカウンターで受付を済ませていた。

 ロビーでわたしたちを迎えてくれた着物姿の若女将は、柔和な笑顔と丁寧な対応で、旅館内の設備を説明してくれる。

 わたしは館内マップを眺めながら、露天風呂、大浴場の位置を把握して、まずは汗を流そうと心に決めていた。


「――それでは、お部屋までご案内いたします」


 ひとしきり説明を終えた若女将は、当然のように先導して、わたしたちの部屋まで案内してくれた。

 案内の途中で旅館内の設備説明、周囲の観光地まで紹介する若女将の手際は、思わず舌を巻いたほどだった。それでなくとも丁寧で嫌味のない対応には、高級旅館に相応しい品格さえ感じられる。

 旅館全体も心地好い空気が漂っており、柔らかな琴の演奏が館内BGMとして流れていた。

 廊下のところどころには、ソファや椅子が置かれており、室内でなくともどこでも休める配慮もなされていた。

 この旅館の雰囲気を言い表すと、高い宿泊費を払うだけある、ではなく、高い宿泊費を払うのが礼儀だ、と思わせるほどである。安心出来る風情と素晴らしいサービスクオリティが当たり前に共存しているのが感じられた。

 わたしはそんな館内を眺めながら、神経を研ぎ澄まして周囲の気配を把握する。

 不思議と、案内される通路にも左右の部屋の中にも、ほとんど客の気配がなかった。


「……穴場、なのでしょうか?」


 高級旅館だからこそ、この夏休みシーズンに部屋が埋まっていないのはおかしい。満室になっていないとしても、ほとんどの部屋が埋まっていて然るべきではなかろうか。

 わたしは少し怪訝に思いながらも特に口に出さず、若女将に従って旅館一番奥の部屋に通された。木彫りのプレートに『幽玄の間』と書かれたその客室は、この旅館で一番上等な二人部屋のようだ。

 若女将がカードキーでドアを開けると、まず土間があり、次いで広い和室が現れた。


「どうぞ、ごゆっくりお過ごしくださいませ」


 若女将は客室には入らず、そのままスッと下がって行った。それを見送ってから、わたしは客室に踏み入れて、室内を見渡す。

 通された和室は二十畳はあろう純和風の作りで、如何にも高価な掛け軸と、大型テレビが置かれている。水洗トイレは個別で、和室の中には戸襖で仕切られた別室もあった。別室は十畳ほどの寝室だ。和室の奥には格子戸で仕切られた広縁があり、椅子と机が置かれている。広縁からは外にも出られるようで、硝子の引き戸から周囲の景色が眺められた。


「はぁぁああ~……久しぶりに来たっスわ。いいスよね、この空気」


 柊南天は、疲れたス、と大きく伸びをしながら、脚のないフロアソファに横になっていた。

 わたしはそんな柊南天から視線を切って、広縁の硝子の引き戸を開けた。すると、外には縁石が点々と連なる道があり、その先には、離れのような小さな小屋があった。

 周囲に気配はない。旅館自体が山間にあり、竹林に囲まれている立地条件の為か、部屋から出ても見渡す限りの森である。


「あ、綾女嬢。もう温泉入るんスか? アメニティは脱衣所にありまスけど、着替え持ちましたか? 浴衣とかは、この部屋から持って行かないとないスよ?」


 わたしが広縁から外に出ようとした時、柊南天の忠告が飛んでくる。なるほど、この先が客室露天風呂なのだろう。

 引き戸を開けたすぐ足元には、新品の使い捨てスリッパが常備されていたが、わたしは気にせず素足で縁石を歩いた。縁石以外には砂利が敷かれていて、庭園を思わせる造りになっている。


「……ここが脱衣所、ですか」


 小屋の中は八畳ほどで、空調完備、トイレ付き、洗面台にドライヤー、新品のアメニティグッズが棚に取り揃えられており、体重計、マッサージチェアも置かれている。


「――へぇ? これはこれは、素晴らしい」


 脱衣所から奥、曇り硝子の引き戸を開けると、巨大な岩場と背の高い竹林に囲まれた露天風呂が姿を現す。温泉特有の硫黄の香りと、森林の匂いが漂っている。露天風呂は脱衣所よりも1メートル近く低い位置にあり、岩の足場が階段状になっていた。岩の間からは、源泉が絶え間なく湧き出ており、それが露天風呂に溜まっていく構造だ。

 露天風呂の脇には独り分の洗い場があり、そこだけは人工的な白いシャワーと木製の椅子が置かれていた。


「どスか? メッチャ風情ありまスよね?」


 気付けば、わたしの後ろから柊南天が顔を出していた。わたしは、ええ、と頷きつつ、スッと脱衣所を出て、部屋まで戻ってくる。


「柊さん。こちらの旅館には、貸し切りの内湯もあるのですよね?」

「おっと、通っスね? あるっスよ? とびきり身体に優しい温泉――って、そっち行くんスか?」

「ええ。少し館内を見て回ろうと思います。わたし、初見の場所は下調べしたくなる性分なので――」


 わたしはそう言いつつ、ふと柊南天に振り返り、疑問に思っていたことを問う。


「――ここが柊さんの息が掛かった旅館であることは理解しています。そして、柊さんが『八重巴』と偽名を使うのも構いませんし、わたしの名前も偽名にしてくださったのは助かります。けれど、わたしの名前で使用した『蒼森望夜』とは、誰の名前でしょうか?」


 想像による出鱈目な名前とは思えない。ましてや、蒼森玄と無関係とも思わない。あえてわたしに使うあたりが、何か含みがあると勘ぐってしまう。

 柊南天はわたしの質問に、苦笑しながら肩を竦めた。


「龍ヶ崎家の御曹司――彼の婚約者、スよ? 蒼森家にはいま、当主に三人の子供が居て、長男は二十八歳で、次女と三女が双子の十九歳なんス。双子の姉は、護国鎮守府所属で『望夜(ミヤ)』、双子の妹が堅気さんで『朔夜(サクヤ)』って言うんスよ」

「……不愉快です……どうしてわざわざ、十八くんの婚約者を名乗らせたのですか?」

「要らんお節介だったスね、さーせん……けど、ほら。万が一、お泊りになったら、裏工作が楽かな、って思って……」

「――ちなみに、いまのシーズンでこの旅館がこれほど空いているのは、どうしてですか? 不自然なほど人の気配がありません……チェックイン時間が遅いのか、とも考えましたが、それにしてもまだ誰もやってこないのはおかしいでしょう?」


 さりげなく感覚を研ぎ澄まして、索敵領域を半径100メートルまで拡げたが、少なくともその中に柊南天とわたし以外の客の気配はなかった。


「ああ、それスね。いま、綾女嬢も言ったじゃないスか。うちの息が掛かってるって――」

「人払いをしたなどと、分かり易い嘘は結構ですよ。来る途中でも確認しましたけれど、この旅館、インターネット上では向こう半年、予約が満杯になっています。そこに五連泊もねじ込むことなど、息が掛かっていても出来ないでしょう?」

「――細かいスねぇ。いや、その抜け目のなさが、綾女嬢スかね? そスよ。予約は全て埋まって……いや、埋めてます。うちと、円卓二席、四席、五席、十席の面々で、スイート級の客室はずっと貸し切りにしてるんスよ。各都道府県に、これと同じような借り方をしてるホテル、旅館が七十軒近くはあるんス。もちろん、全部経費スよ。年間百億ちょい、スかね?」


 柊南天は軽い調子で言うが、その馬鹿げた発言にわたしは呆れる。

 柊南天個人が旅館を経営しているとか、異端管理局がオーナーの宿泊施設だとか、そういうことではなく、ただただ財力にモノを言わせた結果とは――宿泊しようとしなかろうと、端からキャンセル料まで込みで独占予約しているとは、夢にも思っていなかった。異端管理局は馬鹿の集団なのか。


「あ、それと一応、一般客も利用出来るように、全部屋独占まではしてないス。だからもし、大浴場行くなら一般客も居るんでご注意くださいス」


 わたしは、なるほど、と納得して、改めて館内を見回ろうと柊南天に背を向ける。


「嗚呼――ところで、柊さんの存在は、神薙さんたちには言いませんよ。何か文句はありますか?」


 顔は向けず、部屋で寛ぎだした柊南天に確認する。

 どうせ、龍ヶ崎十八を救出することに直接参加しないのだから、わざわざ神薙瑠璃たちに紹介する必要もなかろう。そもそも『Dr.ホーリー』としての柊南天を知っているのに、どうやって紹介するべきかも分からない。

 すると、柊南天はあくび混じりに答えた。


「あいあい、文句なんかないスよ。うちは裏方に徹するんで、言うだけ面倒になるでしょ――あ、だからくれぐれも、この部屋には来させないでくださいスよ? うちは食堂での夕食じゃなくて、部屋食で頂くんで」


 わたしはそれに頷きだけ返して、廊下に出た。バタン、とドアを閉めると、オートロックされる。


 さて、とわたしは旅館内をグルリと散策し始めた。どの廊下がどこに繋がっているのか、宿泊客の入りはどんな程度か、旅館全体を把握しようと努めた。

 確かに柊南天の言う通り、宿泊する『幽玄の間』含めて、その周辺、上階の部屋など、和名が付いている部屋は軒並み無人だったが、旅館のロビー周辺、フロントを過ぎてすぐの番号部屋には、家族連れの一般客が数組入っていた。いまは移動から解放されて、夕食前の休憩をしている気配だった。

 本館は二階建てで、宿泊部屋しかなかった。和名が付いていたのは六室で、わたしと柊南天が泊まる部屋の周囲、真上の階は無人である。

 わたしは宿泊している『幽玄の間』がある本館を散策し終えて、渡り廊下で繋がっている隣の別館に向かった。

 別館に行くには、本館一階のロビーを通り過ぎて、長い渡り廊下を通らないと行けない。別館は七階建てになっており、本館とは打って変わって老若男女問わず多くの宿泊客が歩いていた。

 別館には、露天風呂と大浴場、大食堂など、宿泊部屋以外の全ての施設が集中している。

 別館にも玄関ロビーがあり、本館よりも広いフロントカウンターがある。玄関ロビーのあるフロアには、和風のカフェレストランと売店が併設されていた。本館の静けさとは打って変わって、このロビーフロアは、だいぶ多くの人間で賑わっている。

 これから宿泊する予約客、売店で物色する宿泊客、忙しそうに対応するスタッフたち。わたしはそれらを横目に、改めて館内マップを眺める。

 ここからエレベーターで四階に行き、そこから内階段を利用して五階に上がると、この旅館の売りである大浴場と露天風呂が待っている。着替えもない手ぶらだが、とりあえず様子見に向かおう。


「……食事の前に入浴している方が割と多いですね」


 大浴場の入口には、ソファとマッサージチェアが置かれた半円形の展望フロアがあった。テレビや雑誌が置かれた待合スペースのようで、湯上りの宿泊客が数名リラックスしている。何気なく見渡して、意識を大浴場に向ける。

 入浴客は女性用に四人ほど、混んでいる訳ではない。だが、男性用の方は盛況のようで、少なくとも七人ほどの気配がある。

 ふむ、とわたしは納得してから、ちょうど入浴しようとやってきた老夫婦とすれ違う。年季の入った老夫婦は旅館に似合いの上品さがあった。

 四階には、家庭用ゲーム機が置かれたゲームコーナーと、図書室を思わせるライブラリーエリアがある。ライブラリーエリアには、漫画だけでなく、小説や週刊誌、月刊誌のバックナンバーが置かれており、だいぶ充実したラインナップだ。三部屋だけインターネット接続出来るPCも設置されており、浴衣姿の社会人が一人、PCで何やら作業している姿があった。

 三階に降りると、遊戯室とナイトバーがある。遊戯室には、ビリヤード台が二つ、奥が個室になっており、そこには卓球台が一つあった。ナイトバーは八人掛けカウンターと、二人掛けテーブルが二つの小洒落た空間で、開店は午後九時過ぎからである。まだ誰も居らず、電気も点いていない。

 二階に降りる。別館二階は全部屋が二人客用の宿泊エリアである。渡り廊下からは、隣の本館と間にある庭園が覗き見えるが、本館奥の宿泊部屋までは見渡せない構造だ。当然ながら、客室露天風呂の位置も建物と木々で隠れて、望遠鏡など使っても物理的に見えないだろう。

 二階の端から端まで歩いて、途中、五組の予約客とすれ違いながら、一階ロビーに戻ってくる。

 サッサと部屋で着替えを用意して、大浴場に行こう――


「あ、ぁあ!! 居た、居たぞ! 瑠璃姉さん、翡翠姉さん!! 鳳仙綾女だ!」


 ふいに、フロントに並んでいた客の一人からそんな素っ頓狂な声が上がる。

 顔を向ければ、見覚えのある顔ぶれが三人、色違いのキャリーケースを脇に置いて立っていた。大声で騒ぎ立てているのは、そのうちの一人、茶色いざんばら髪をしてひと際高身長の筋肉ゴリラだ。

 わたしはそのテンションに疲れたような吐息を漏らしてから、仕方なしに三人組に近寄った。


「あ! 本当だぁ……良かったわぁ……綾女ちゃん、綾女ちゃん。私たち、いま予約がないって言われてしまったのよぉ……だから、旅館を間違えちゃったかしら、と思って、どうしようって焦ったわぁ」

「いやいや、瑠璃お姉ちゃん。綾女さんがこの宿に居ても、私たちの宿がここである保証はないでしょう? というか、予約取れなかったんでしょ? だってこの旅館って、半年先まで予約が埋まっていることで有名なとこよ? 実際、綾女さんの名前で私たちの部屋は予約されてない訳だし……」

「そうだそうだ! 鳳仙綾女! 予約取れてないぞ!!」


 安堵の表情でわたしに助けを求める和装の美女と、その横で非難がましい表情を浮かべるギャル風メイクをしたモデル体型の美女、そして受付で泣きそうな困り顔をしている女性スタッフの構図に、思わず頭が痛くなる。目立ちたくはないのに、これ以上ないほど目立っていた。

 はぁ、とこれ見よがしに溜息を吐いてから、どういうことだよ、と仁王立ちスタイルでわたしを見下ろす筋肉ゴリラ――神薙鶺鴒(セキレイ)を睨み付ける。


「予約は取れていますよ? 神薙瑠璃さんの名前で、三名の予約です――わたしの名前では予約しておりませんので、そりゃあチェックイン出来ないでしょうね……」

「あ――神薙様、ですね!? 失礼いたしました……すぐにご準備いたします。お待ちください!」


 わたしが『神薙瑠璃』の名前を伝えると、困り顔をしていた女性スタッフは、慌てた様子で内線電話を架けていた。

 内線の相手は若女将だろう。畏まった口調で、お越しになられました、と丁寧に説明をしている様からすると、わたしたちは全員VIP待遇のようだ。

 そんな光景を前に、ギャル風の美女――神薙翡翠は、信じられないと眼を見開いて驚いていた。一方で、神薙瑠璃と神薙鶺鴒は、この旅館に泊まれることに安心した、とばかりに、嬉しそうな笑顔を浮かべている。


「――大変、お待たせいたしました。神薙瑠璃様、神薙翡翠様、神薙鶺鴒様。お部屋までご案内いたします」


 手際よく宿泊の手続きを終えた女性スタッフは、緊張気味だが眩い笑顔で頭を下げて、廊下を進もうとした。すると、どこからともなく、男性スタッフが二名やってきて、神薙瑠璃たちが持ってきたキャリーケースを運び始める。

 その様を見ながら、わたしも部屋に戻ろうと歩き出す。


「……あ、えと、ところで、蒼森望夜様は、如何いたしましたか? 先ほども此方までお越し頂いていたようでしたが……?」


 振り返れば、ベテランの風格を持った女性スタッフが、わたしを呼び止めていた。

 なるほど、何もせず行ったり来たりしている様を遠目から見られていたようだ。手ぶらで散策していただけだが、相手がVIPとなれば、気になるところだろう。


「いえ……用事がある訳ではありません。失礼いたしました。ただちょっと、素敵な旅館だったので、散歩をしていただけです」

「あ、そんな、出過ぎたことを――失礼いたしました。お褒め頂き恐縮です。当館はだいぶ広いので、時折、迷ってしまわれるお客様もいらっしゃいます。恥ずかしながら、私共も新人はついつい迷ってしまうほどで……お好きに歩き回って頂いて結構です。どうぞごゆるりと当館をご堪能くださいませ――お夕食の時間は、十九時から二十二時までの間となります。六階の大食堂にて準備しておりますので、お好きな時間にお越しくださいませ」

「ええ。ありがとうございます」


 わたしは軽く会釈してから、そのやり取りを見守っていた神薙瑠璃と並んで歩き出した。


「……えと……あれ? 綾女ちゃん。いま『蒼森望夜』って呼ばれてた、かしら? ん? あれ?」

「ええ。偽名で予約しておりますので、鳳仙綾女と伝えたところで、そもそも旅館の方にはお分かりになりませんよ?」

「あ、うん……あ、え? あ、そう? ええと、偽名……ねぇ」

「――何か?」


 何やら煮え切らない調子で眉根を寄せている神薙瑠璃に首を傾げる。わたしが『蒼森望夜』を名乗ることに違和感があるようだ。だが、どうしてこの偽名を使ったか、と追求されても、わたしでは答えられない。この偽名で予約したのは柊南天である。その思惑の本当の意図は知らないし、興味もない。

 うんうん、と悩まし気に唸っている神薙瑠璃から視線を切って、わたしは静かになっている神薙姉妹に意識を向ける。女性スタッフの先導に従って粛々と歩いている神薙翡翠と神薙鶺鴒は、キョロキョロしながら、しきりに感嘆の吐息を漏らしていた。


「――こちらです。どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ」


 女性スタッフが案内したのは、わたしと柊南天が宿泊している『幽玄の間』の真向かいで、木彫りのプレートには『万緑の間』と彫られている。


「わぁ、お!? 何この部屋!? スゴ――え、マジ!?」

「おおおお!! こんな旅館、生まれて初めてだ!! ってか、なんで寝室が別になってるんだ!?」

「……え、もしかして、この部屋……客室露天風呂もある、の? ちょ、ちょっと綾女ちゃん!? こんなに高級な部屋、どうやって!?」


 客室に入った神薙姉妹は、三者三様の驚き方をしていた。それを横目に、キャリーケースを運んできた男性スタッフも早々に戻っていった。キャリーケースは室内の入口に丁寧に置かれていた。

 わたしは興味本位で神薙姉妹の和室を覗き込む。

 部屋の間取りや雰囲気はほとんど一緒だが、四人部屋だからか少しだけ広い。また、個室トイレと別に個室のシャワールームがあり、縁側には檜造りになっている客室露天風呂が見えていた。当然ながら、客室露天風呂は源泉かけ流しで、常にお湯が噴き出ていた。


「……なるほど、万緑(バンリョク)の間、ね」


 客室露天風呂から覗く景色は、一面、深い緑に覆われており、森林浴をしている気持ちになる。この景色を眺めるだけでも心が癒されそうだ。


「ねぇ、綾女ちゃん! どうやったのかしら、ここの予約……流石に、これが飛び込みで泊まれるとは、私にはとても思えないのだけど……」

「どうやったと思いますか?」

「……うぅぅ……つまり、秘密ってこと、よねぇ?」

「ご想像にお任せしますよ」


 神薙瑠璃の疑問には、まともに答えずはぐらかす。その態度に一瞬だけむくれたが、すぐに呑み込んで不安な表情を浮かべていた。


「……えと……ちなみに、この部屋……おいくら、くらいするの、かしら?」


 恐る恐るという口調の神薙瑠璃に、わたしは何の心配をしているか、と首を傾げる。


「――四人部屋だと、シーズン価格抜きにしても、一泊十八万と言ったところですね。けれど、ご安心ください。宿泊費は奢りますので、神薙さんたちは気にする必要ありませんよ」

「え? いや、え? ジュウ、ハチ、万円……?」


 わたしの言葉に、ピシリと空気が凍り付いた。

 安心しろ、と言っているのに、凍り付くとは何事だ、と思った矢先、神薙翡翠が目を細めて疑わしい目を向けてきた。


「ちょっと、さぁ。瑠璃お姉ちゃん、騙されてないよね? 綾女さんが奢るって言うから、信じて来たけどさ……ここまでの豪勢な宿はあり得ないわよ? ねぇ、綾女さん。一応、言っとくけどさ――恥ずかしい話、私たちそんなにお金ないわよ?」


 神薙翡翠は腰に手を当てて、ビシっとわたしに指を向ける。胸を張って言う台詞ではないが、そのポーズはムカつくほど決まっていた。


「わたし、奢りますと言ったつもりなのですけれど……まあ、確かに? わたしのような高校生の小娘が、こんな高級宿に泊まれるほどの資金を持ってるとは考えられないのでしょうね。しかしながら、そんな期待を裏切ってしまって申し訳ないのですけれど、わたし、これでも結構な小金持ちですよ?」


 わたしは携帯アプリでネット銀行の残高を表示させた。メインバンクではないが、分散させた資産のうち、生活費用としている口座であり、残高は軽く五千万円を保有している。カードが手元にないのですぐには引き出せないが、資産を証明するのには充分だろう。


「――こ、マ!? えぇ、えええ!? 一、十、百……うぉおい!?」


 その画面をチラっと見てから、神薙翡翠は、やたらと不思議な擬音を連発させて、挙動不審に驚いていた。

 さて、それはそれとして、わたしは夕食前に温泉を堪能したいのだ。もうこれ以上の問答は、全て後回しにすることにしよう。


「それでは、わたしはこの辺で失礼いたします。夕食でお会いしましょう……その際に、明日の段取りを調整したいと思っております」

「あ、ちょっと、綾女ちゃん。その前に、綾女ちゃんの部屋はどこなの?」

「――向かいにある『幽玄の間』です。けれど、用事があるのでしたら、事前に携帯で連絡ください」


 神薙瑠璃の質問に背を向けたまま答えて、そのまま向かいの客室に戻ってくる。

 客室は、テレビがつけっぱなしの状態で、誰も居ない無人状態だった。柊南天はどこだ、と考えた瞬間、客室露天風呂から気配が感じられる。

 どうやら柊南天は客室露天風呂を堪能している様子である。それもまた有りだろうが、客室露天風呂はいつでも利用出来る。それよりも、時間制限がある大浴場を先に愉しむべきである。


 わたしは用意されていた浴衣と、持参した替えの下着、貴重品だけを持って大浴場へと向かった。

 気付けば、時刻はそろそろ十九時になる。

 もうほとんどの宿泊客が温泉より食事に移ったようで、大浴場には、母娘が一組しかいなかった。娘さんは五歳くらいで、母親は三十代半ばと言ったところだろう。和気あいあいと話しながら、内湯の大浴場に浸かっている。

 そんな光景を微笑ましいと眺めながら、わたしは早速、露天風呂に向かった。内湯の大浴場も愉しむが、それよりも独りになりたかった。

 わたしの身体は、外見上はだいぶ良くなっているが、ところどころ重傷である。

 特に、明るい光の下でマジマジ身体を眺めれば、あちこちが青痣と縫い傷があるのが分かるだろう。そもそもが白い肌に、血も滲んでいる。

 こんな身体で大浴場に入るな、と龍ヶ崎十八あたりには怒られそうだが、ちゃんと他人の迷惑にならないよう気を遣っているので許して欲しい。


「――――晴天、ですね。澄み切っていて、星々が良く視えます」


 露天風呂は温度ごとに幾つか点在している。その中でも、すぐ傍が崖になっており、夜でも絶景のロケーションをした岩場の温泉に浸かる。温度はぬるいくらいだが、半身浴にはちょうどいい。

 見上げれば、夜空には煌めく星と三日月が浮かんでいる。見渡す限り雲一つない夜空に、周囲は深い森という絶景の温泉は、身体だけではなく心まで癒してくれる。


 心理的にも、肉体的にもだいぶ沁みる温泉の効能を感じながら、わたしはそれから三十分ほど、ゆっくりと大浴場を堪能した。

10/27迄、毎日1話ずつ0:00更新します

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