第五夜(3)
自宅だと言うのに、だいぶ感慨深い思いである。そう言えば、最後に戻ってきてからもう一週間以上経っていた。
最近は入院することが多かったために、病室が自室に思えてきていたところだ。
「……郵便物は溜まっていませんね」
久しぶりの帰宅で、郵便ポストが溢れていないか不安だったが、どうやら龍ヶ崎十八が片付けてくれたようだ。元から郵便物が少ないこともあるが、直近、二、三日分の新聞と、低俗なダイレクトメールしか入っていなかった。
リビングのテーブルには、龍ヶ崎十八が片付けてくれた郵便物が分かり易く置かれていた。一瞥して、重要そうな物がないことを確認する。
さて――サッサと準備をしよう。
当面、宿泊しても二泊三日程度で帰ってくるつもりだった。若干余分に、四日分の着替えを用意すれば事足りるはずだ。
万市に行く目的は観光ではない。
最優先目的が、龍ヶ崎十八の奪還であり、第二が『クリエイター』五百蔵鏡の暗殺である。それらの目的をこなすだけならば、丸一日ほども時間があれば充分だろう。
「――とはいえど、今年は課題も少ない夏休みですから、ついでに温泉で湯治するのも良いかも知れませんね」
わたしは支度をしながら、ふと思いつきを口走った。だが、それは妙案だ。
I県万市は湯治場としても有名である。温泉療養するのに、もってこいの保養地である。
わたしの目的がブレることはないが、少しだけ旅行気分になって支度を続けた。念のため、用意する着替えは、四日分ではなく一週間分に変更した。着替えや携帯の充電器、スキンケア用品などを旅行ケースに詰め込んで、戸締りをしたら準備完了だ。
わたしは旅行ケースを引きながら車に戻って来た。柊南天は車のエンジンをかけた。
「おかえり、ス。荷物はトランクにお願いス」
「はい――あ、そう言えば、柊さんは身一つで付き合ってくださるのでしょうか?」
「ん? ああ、心配無用ス。うちはもうトランクに準備してまスんで」
トランクを開けると、確かにわたしの旅行ケースと同じくらいの旅行ケースが寝転がっていた。
「うち、それで足りなければ、現地調達する派なんで――あ、急ぎじゃ、ないスよね? うち、途中のパーキングで飯とか寄りたいんで、そこはお付き合いくださいスよ?」
「構いませんよ。わたしもどうせ、今日すぐに挑むことはしませんので」
わたしが助手席のシートベルトを締めたのを確認して、柊南天は車を動かした。
車のナビには目的地設定をしていたようで、動き出した途端、目的地付近までのルート地図が、音声と共に表示された。
ここから隣のI県万市までは、約250キロあるようだ。
高速道路を利用しても、四時間程度は掛かるらしい。電車移動と違って、乗り継ぎがないのが楽だが、予定より時間が掛かるのは少々難点だろう。
「さて――それでは、改めて説明をしてもらいましょうか?」
「ういっス。んじゃ、巴女史の思惑、からスね?」
柊南天は言いながら、ラジオの教育番組を垂れ流し始めた。
「巴女史――否、あえて『腹黒嘘吐き妖怪婆』って、異名を使いまスね?」
「……腹黒、嘘吐き、妖怪婆……ですか?」
「そスよ。目的の為なら平然と嘘吐いて、権謀術数に長けていて、あの外見で中身は還暦過ぎてる妖怪婆スからね」
「……還、暦? え、六十歳のこと、ですか?」
「ん? あ、もしかして、綾女嬢も外見に騙されてるんスか? 腹黒嘘吐き妖怪婆、メッチャ若作りスけど、あれで今年六十二歳スよ? 曰く、霊力と内功を極めてるから、全盛期の二十歳の姿で、老化が止まってるらしいス」
「…………はぁ?」
思わぬ余談を耳にして、信じられないと、脳裏に八重巴の顔を思い浮かべた。
八重巴はそもそも化粧っ気がなく、年齢を誤魔化している風もなかった。それでいて肌の張りや艶などは二十代と見紛う瑞々しさだ。童顔だとしても、三十代後半にしか思えない顔立ちである。
それが六十二歳――なるほど、あの年寄りじみた話し方も納得である。そう考えると、確かに『腹黒嘘吐き妖怪婆』の異名に相応しい。
「腹黒嘘吐き妖怪婆の思惑は、さっきもチラと言ったスけど、綾女嬢を監視下に置くことス。だから今回の依頼、真の目的は、五百蔵氏を殺させることでも、依頼失敗することでもなくて――依頼を受領させること自体が目的なんス」
「……つまり?」
「依頼通りに暗殺成功すると、綾女嬢が円卓三席に座ることになるんで、腹黒嘘吐き妖怪婆がパートナーになるス。これで監視下に置ける。一方で、依頼失敗しても、ペナルティに書かれたように『三年間、八重家に従属する契約を結ぶ』ことになるんで、監視下に置ける――どっちに転んでも、目的が達成する算段スね」
小難しい教育論を語るラジオ番組をBGMに、柊南天は解説した。だが、その思惑の意図するところがよく理解できない。わたしを監視下に置くことで、八重巴は何がしたいのか。
柊南天はそんなわたしの思考を読んで、苦笑しながら続ける。
「んで、綾女嬢を監視下に置きたい理由は、いずれ【人修羅】の称号を奪い返したいからっス。四代目【人修羅】鳳仙綾女の隙を突いて、五代目【人修羅】になり替わろうとしてんスよ」
「――へぇ? それはどうして、ですか?」
「ん? どうして? ああ、なるほど、なるほど。知りたいスか? けど、生憎とそれ、大人の事情スねぇ。だから割愛しまスわ。さてそれはそれとして、この思惑を知ったうえで、綾女嬢はどうしたいんスか?」
柊南天は唐突に意味不明なとぼけ方をして、話題を変えて誤魔化そうとしていた。何をはぐらかしたいのか謎だが、とりあえず追及はしない。
「クリエイターさんと、闘うか、闘わないか、八重さんの依頼内容を変えるか、のどれか、ですか?」
「そーっス、そーっス。どしまス?」
「判断材料が足りません。その三つは、何がどう違うのでしょうか?」
「うちの面倒さが違うス。あと、綾女嬢の満足度が異なるでしょうね」
具体的なことは言わず、あえてずらした回答をする柊南天に、わたしは目を細めて睨み付ける。
「わたしに理解出来るよう説明してくれませんか?」
「ああ、はいはい、分かります分かります。つまり端的に説明すると――かくかくしかじか」
柊南天は仕方なしとばかりに、三つの抜け道の違いを説明してくれた。
とはいえ、その内容はあまりにも屁理屈じみており、理解は出来たが納得は出来なかった。いまいち腹落ちしない。まるで言葉遊びのような杜撰な論理であり、そんなことで何とかなるとは到底思えなかった。
しかし、柊南天はその説明に自信満々であり、何を根拠にしているのか分からないが、確信を持って頷いていた。そこまで言うならば、信用してみよう。
「――いま柊さんが言った内容が事実で、それがまかり通るのならば、わたしが選ぶのは『闘う』選択肢ですね」
「あ、やっぱそスよね? だろうと思いました。一応、言っておきまスけど、その選択が最も過酷で、達成困難な選択肢スよ?」
「分かっていますよ。だからこそ、経験が積めるでしょう?」
柊南天を信じるのであれば、気兼ねなくクリエイターを殺すことが出来る。また同時に、八重巴の依頼も達成出来るし、報酬を全て手に入れることも出来るだろう。その代わり、確かにこの選択肢は、最も過酷で難易度が高い。
けれどだからこそ、そんな逆境を乗り越えることで成長出来るのである。
「ふむふむ。流石、綾女嬢っス。その発想、マジでドMスよ? ま、らしいっちゃあ、らしいスけどねぇ……んじゃ、その方向で依頼を受領しまスわ」
わたしの回答に満足気な口調で言って、柊南天は視線を一切動かさず、カーナビの画面を操作した。すると、車載ホルダーの携帯電話が反応して、スピーカーで呼び出し音が鳴り始める。
呼び出し音は、わずか2コール目で誰かと繋がった。
「――もしもし?」
「あ、椿ちゃん? うちっス、うちうち。いま暇スか?」
「あぁん? うち、さん? なんやねん? 新手のオレオレ詐欺かぁ?」
「ちゃうちゃう、詐欺ちゃうっスよ? ま、暇みたいスね? ちょい、いつものボイスチェンジャー挟んでもらえないスか?」
「……あんなぁ、南天? ウチ、暇ちゃうねん。めっさ忙しいねん――何番や?」
「五番スねぇ。相変わらずのツンデレさん。そういう椿ちゃん、大好きスよ?」
「ホンマか!? ほな、ウチと付き合おうや! 今夜は寝かせへんぞ?」
「あ、そういう恋愛的な感情じゃないス。ついでに、非通知設定も忘れずスに、お願いスわ」
「……はぁ、いけずやなぁ……毎度毎度、ウチをからかうの、堪忍やで……ほい、いま繋がっとるわ」
「あざス。んじゃ、転送お願いしまス。番号は――」
似非臭い関西弁の何者かとそんな漫才じみたやり取りをして、柊南天は電話口の何者かに電話番号を伝える。すると一瞬保留になってから、すぐさま呼び出し音が鳴り始めた。
『綾女嬢、これいま、腹黒嘘吐き妖怪婆に架けてるス。だから、くれぐれも喋らずでお願いしまス』
柊南天はテレパシーで、わたしの脳内に直接そんな言葉を伝えてきた。
わたしは、後で説明しろ、と強く殺気をぶつけてから、押し黙るついでに気配も消した。
しかし車内では、ラジオ番組がそのまま垂れ流しである。そこは気にしないのか、と疑問に思ったが、柊南天はお構いなく相手を呼び出し続けた。
電話は、40コールを越えてようやく、腹黒嘘吐き妖怪婆――八重巴と繋がった。
「誰じゃ?」
「――【人修羅】です。こう名乗れば、ご理解頂けるでしょうか?」
「ほぉ? その声、鳳仙殿か? どうやら儂の依頼を見てくれたようだの?」
「ええ。拝見させて頂きました。不愉快ですが、こちらの条件を呑んで頂ければ、お断りせずに引き受けます」
電話口の相手は、話し方と声の特徴から、間違いなく八重巴だ。一方の柊南天は、普段の胡散臭い喋り方ではなく、流暢で丁寧な喋り方を心がけていた。どことなくわたしに似せた喋り方だ。
ボイスチェンジャーの声音がどんなものかは分からないが、電話口の八重巴は、どうやらわたしが話していると勘違いしていた。
だいぶ不愉快で腹立たしいが、口出しはせず沈黙を貫く。
「ふむ、条件のぅ? 鳳仙殿は、今朝、儂から挑戦権を受け取っておるじゃろ? もう引き受けた、と認識しておるのじゃが?」
「あら? 随分と一方的ですね。それは納得できません。うち――わたしは、依頼など無視して、傍観しても良いのですよ? 放っておいても、護国鎮守府が龍ヶ崎家の御曹司を救出するでしょうし」
「……傍観すれば、ペナルティを受けることになろう? 三年間、八重家に従属してもらうことになるが、良いのか? もしくは、依頼を反故にする気であれば、儂はこの件を公にするだけかの? いつぞやのように、人修羅の信頼が地に墜ちるぞ?」
「【人修羅】が、依頼を断れないとお思いですか? 信頼が地に墜ちる? 脅しているつもりでしょうか? やれるものなら、やって御覧なさいな」
柊南天の横顔を眺めると、ニヤニヤと愉しそうだ。そんな顔で、しかし喋る言葉には重みさえ感じさせる空気を出している。
いまの交渉がどちら有利に動いているのか分からないが、少なくとも先ほど柊南天が語った展開にはなっている。このままの調子であれば、八重巴が折れるだろう。
しばし沈黙が続いたが、ふと八重巴が舌打ち混じりに呟いた。
「――条件は?」
「依頼内容の補足ですよ。成功と失敗に関する定義を細かくしたいです。暗殺対象『五百蔵鏡』が、人修羅以外の誰かの手により死んだ場合も、依頼成功となる。代わりにもし、暗殺出来なかった場合、人修羅は円卓に座る資格を喪う。しかも依頼失敗で、八重家に永劫従属することを誓約する。また、依頼失敗とは、五百蔵鏡を暗殺出来ず、五百蔵鏡が生きた状態で依頼期限を迎えること。それと今回、人修羅の行うあらゆる破壊行動における責任の所在は、依頼主の責任となる」
「鳳仙殿、何が目的かの? 儂に一方的と言う割に、それこそ随分と一方的じゃなかろうか?」
「わたしは吐いた唾を呑みませんよ? この条件を呑んでくださるのであれば、依頼を引き受けましょう。妥協点はありません。これが譲歩出来る最大限です」
柊南天がバッサリと断言するのを聞いて、思っていたより強気で大丈夫か、と心配になった。これが通らなければ、そもそも柊南天が提案していた計画は総崩れである。
わたしは柊南天にジト目を向けるが、不敵な笑みで返された。
「呑まないのであれば、依頼は断ります。当然、龍ヶ崎家の御曹司は救出いたしますし、その過程で邪魔する敵は排除します。けれど、それだけです――」
「――ふむ。鳳仙殿は、依頼は断るがペナルティは受けない、と言っておるのかの?」
「ええ。依頼を引き受けていないので、五百蔵鏡を殺しても成功報酬を頂かないということです」
「――もう一声、儂にメリットがあれば、呑んでも良いぞ?」
まさか、とわたしは心底驚いた。本当に、先ほど説明された通り、八重巴が柊南天の要求に喰い付いてきたからだ。
柊南天は、計算通り、とばかりに満面の笑みを浮かべていた。
「でしたら、依頼の成否に依らず、人修羅に貸しを作れる、と言うのは如何でしょう? ただの一度だけならば、何の条件もなしに依頼を引き受けましょう」
「おお、それで手を打とうかの――これで正式な受注かの?」
「ええ、これで交渉成立、です。んじゃ、ま、言質も頂きましたんで、後ほどメール返信いたしまス」
「…………ん? 待て、貴様……鳳仙、殿、か?」
「はぃ? ああ、うち――わたしは【人修羅】です。それでは失礼――」
最後の最後で話し方を崩したせいで、八重巴が怪訝そうな声を上げていた。だが、それに雑な受け答えをしてから、柊南天はすかさず電話を切った。
「ふぃ~、疲れたス……でも、ほら、綾女嬢? うちの言う通りになったじゃないスか」
電話が切れた途端、柊南天は素の口調でドヤ顔をしてきた。胡散臭そうな顔を向けて、呆れた声で答える。
「ええ、お見事です。けれど、まさかわたしのフリをするとは思いませんでしたよ?」
「あざス! あ、ちな、フリも何もボイスチェンジャーの声、綾女嬢の声音スから、演技せんとあかんでしょ」
「――嗚呼、やはりわたしの声ですか。それはそれは」
柊南天は無邪気に言うが、それは色んな意味で許し難いことだ。けれど、そこで目くじらを立てても仕方ない。とりあえずこれで、柊南天が提案した第一段階はクリアしたわけだが――
わたしは、それよりも、と疑問に思ったことを口にした。
「ところで、柊さん。電話口の『椿ちゃん』とやらはどなたでしょうか?」
柊南天の事情を知っているのかどうかは分からないが、疑問を一つも挟まず、二つ返事で協力していた『椿ちゃん』なる何者か――協力者としか思えない女性らしき声の主は、いったい何者か。
柊南天は、あ、とハンドルをポンと叩いた。
「言い忘れてたス。さっきの関西弁の女子は、異端管理局で、うちのパートナーしてる円卓四席如月椿ちゃんス。コードネーム・ペルソナ。結構な脳筋女子で、武闘派クノイチって感じスね」
「クノイチ? 忍者、ですか? いえ、そんなことより――『円卓四席』ですって!? どういうことでしょう?」
「おぉおう!? だから、急に殺気をぶつけるのは止めてくださいっスよ……あ、けど、安心してくださいス。関係性としては、言いなりになる赤の他人、腐れ縁の幼馴染、って感じスね。椿ちゃんが一方的にうちのことを愛してて、うちはその愛情を利用する間柄ス。うちにとっての優秀な駒っスかね」
わたしは怪訝な表情を浮かべた。少しだけ理解し難い説明だった。
「……『優秀な駒』云々は良いとして……『うちのことを愛してて』とは? 如月椿さんは、女性ではないのですか?」
「女性スよ? 生物学上も、精神的にも女性ス。ただし、生粋の同性愛者スけど。んで、うちの唯一の幼馴染ス。ちな、うちが人修羅の相棒してるのも、昔から知ってるス。てか、蒼森玄氏とも顔見知りスよ?」
「――へぇ? それは初耳ですね。どういう意味でしょうか?」
「いやいや、だからスねぇ。すぐそうやって怖い殺気をぶつけるの止めてもらえまスか? うちはこれでも小心者なんで……運転ミスしちゃうスよ?」
「それは失敬。けれど、あまりにわたしが知らないことが多くて、つい――それで? 如月さんとやらは、人修羅の協力者ということですか?」
わたしの殺気にいちいちビクビク反応する柊南天に、ひどく冷めた視線を向けた。
「んん? 協力者、じゃないスね。人修羅の相棒であるうちを知ってるだけで、人修羅のことは何も知らんスよ? 蒼森玄氏と顔見知りスけど、人修羅が誰かは知らんス」
「……よく、分かりませんが、つまり気にする相手ではない、と?」
「そスよ、そスよ。気にしないでくださいス」
わたしは口には出さず、心の中で『柊南天が精神感応能力で洗脳したのだろう』と、納得していた。だから、愛情と言う束縛で縛っているのだろう、と。
「――いや、綾女嬢。うち、洗脳とかできませんから。だから、ソレ、違いまスからね?」
わたしの心の声を勝手に聞いて、柊南天は否定していた。だが、この件においては、真実などどうでも良いことだ。
さて、そうなると、もう一つ問いただしておきたいことがある。
「ところで柊さん、貴女の予言通りに事が運んだので、先ほど仰った『大人の事情』――八重さんが人修羅の称号を求める理由、凄く知りたいのですけれど……何を隠しているか、教えてくれませんか?」
わたしは窓の外に視線を向けながら、今度こそ教えろ、と強い威圧を放った。
「それは大人の事情スからねぇ。簡単には教えられ――――怖い、怖い、怖い!!」
「柊さんは、わたしの相棒、ですよね? それとも、敵ですか?」
「はいはい、なるほど、なるほど、分かりました、分かりました。いま、教えるスよ。うち、降参ス」
わたしの今日一番の殺気に中てられた瞬間、柊南天はハンドルから右手を上げて、降参降参、と焦ったように手を振る。
いちいち、わずらわしいやり取りをさせないで欲しい。わたしは溜息を漏らした。
「……ちょうど、目的のサービスエリアに着いたスから。ちょい、トイレ休憩と食事買って来てから、続き話しましょ」
柊南天はそう言いながら、スマートなハンドルワークで車線変更をして、サービスエリアに進入する。
サービスエリアは、午後一時という時間帯もあってか、それなりに混雑していた。
駐車場に停めてから、わたしと柊南天は一度外に出て、トイレ休憩と軽食を購入しにサービスエリア内を歩いた。
食堂で定食を注文したい気もしたが、周囲に人が居る中では、詳しい話が出来ないので断念した。
とりあえずわたしは、サービスエリアのベーカリーチェーン店で、一番人気のBLTサンドと珈琲を購入した。ついでに、水のペットボトルを二つ売店で購入する。
一方で柊南天は、宿で食べる用のおやつを購入すると言いながら、さして珍しくもないお土産を物色していた。それはさながら、広いサービスエリア内を見て騒ぐ観光客の動きである。
わたしはそんな柊南天に呆れて、車のキーを奪うと一足先に車内へと戻った。
「お待たせス――おやや? 綾女嬢は、それだけスか、食事?」
しばらく経ってから、柊南天は茶菓子を幾つかと、串焼き、たい焼き、肉まんを抱えて戻ってきた。
わたしはそれに冷ややかな視線を向けながら、BLTサンドをゆっくりと咀嚼する。
「うちが買ったのはあげないスよ?」
「――要りません」
「うぉ、冷たい……ま、いいや。さて、そんじゃ、食べながらで説明しまスかね」
柊南天は2リットルのお茶を豪快に直飲みしながら、車のエンジンをかけた。また、ラジオを流し始める。それを横目に、周囲の気配を探った。
とりあえず車外に、わたしたちを探るような気配は感じられなかった。
「大人の事情は、人修羅の歴史に繋がるんスけど……綾女嬢は、人修羅の歴史をご存じスか?」
もぐもぐ、とたい焼きを頬張りながら、柊南天は挑発的な笑みを浮かべる。わたしはその言い回しに、なるほど、と脳裏に浮かんでいた一つの可能性に確信を持った。
「――初代【人修羅】は、八重家の御先祖様だった、とかでしょうか?」
「わぉお!? 相変わらずの察し――どこで気付きました?」
「報酬の一つに『初代【人修羅】が残した秘笈書の譲渡』がありました。また思い返せば、八重さんはわたしと初めて逢った際、初対面にも関わらず【魔女殺し】を知っており、見たがりましたから……何よりも、いま柊さんが、人修羅の歴史と仰いましたので、それが決定打ですね」
「んじゃ、説明不要スか?」
柊南天をギラリと鋭く睨み付ける。下らない問答は時間の無駄だ。サッサと説明しろ、と強く思考した。
「失礼しやした――お察しの通り、初代【人修羅】八重無極は、八重家を興した大剣豪で、呪術に長けた刀鍛冶、魔女狩りの剣鬼と恐れられてたス。また、当時の最強でもあり、享年八十八歳まで現役を貫いた化物だったスよ」
「へぇ? 齢八十八――米寿ですか? 偶然にも、師父と同じ年齢とは皮肉な……」
「や、偶然じゃないス。そこは生前、蒼森玄氏が言ってたスけど、人修羅を引き継ぐなら二代目との代替わりを再現したかったらしいス」
「二代目との代替わりの再現――ですか? ということは、無極さんは、二代目となる何者かに殺されて、人修羅の称号を奪われた、と?」
「そっス。そっス。二代目【人修羅】天地紅に、殺されたんスよ」
わたしはその名前を聞いて、ピタリと硬直した。思考をフル稼働させて、その名前が覚え違いでないか、自らの記憶を疑った。
「……天地……紅……?」
「そっスよ? 聞き覚えあるんじゃないスか? って言うても、うちも蒼森玄氏に聞いたレベルしか知らんスけど」
柊南天はわたしの疑いの眼差しに強く頷き、間違いないと断言する。しかし、それはあまりにも信じられない。
「あ――なるほど。『天地紅』を襲名した方、ですね? わたしとしたことが、つい勘違いを――」
「や、勘違いじゃないス。千年前に生きた阿修羅姫、蒼森家の剣術『乙心一統流』の開祖ス。それも本人スよ」
「馬鹿な――いま、柊さんも仰っていましたが、本人だとしたら千年前の方ですよ? あり得ません。同姓同名の後継者では?」
天地紅とは、いまの説明にあった通り、乙心一統流の開祖であり、晩年には、外道之太刀を創った伝説の剣豪の名前である。
口伝と僅かな古文書の中でしかその存在を知ることは出来ないが、殺戮を司る『阿修羅姫』と恐れられた歴代最強の剣士だったそうだ。直弟子も子孫も作らず、気紛れに自身が認めた強者に剣術を伝えたとされる流浪の剣神――
蒼森家は、そんな開祖に認められた数少ない強者の血筋であり、天地紅の全ての剣術を受け継いだ唯一無二の家門である。だからこそ、師父も開祖の天地紅を神の如く崇めていた。
いまのわたしが四代目【人修羅】であり、師父である蒼森玄が三代目だ。千年前の剣神、阿修羅姫が、二代目【人修羅】のはずがない。
「あー、それが事実なんスよ。で、人修羅の歴史なんスけど……ま、最後まで聴いてくださいス」
柊南天は串焼きを頬張り、お茶で流し込んでから神妙な顔になった。
「初代【人修羅】八重無極は、200年前の江戸時代、三十五歳の時に【魔女殺し】を鍛え上げたんス。それから【人修羅】という名前を語り、魔女狩りを始めた。ちな、無極氏が活動を始めた当時の日本では、異端管理局が設置されてなかったから、魔獣や天然の魔女が我が物顔で跋扈してたス。そんな中、人修羅を名乗る無極氏は、魔女の天敵として魔女を狩って狩って狩って――それが、人修羅って言う化物の成り立ちスね」
柊南天は食事の手を止めず、時々もぐもぐと咀嚼しながら歴史を語り出した。
初代人修羅――八重無極は、呪術と霊能力、自らが鍛え上げた魔女殺しを駆使して、多くの魔女を狩り続けた。魔力を持たないただの人間でありながら、幾人もの魔女を殺し続けて、五十歳を過ぎる頃には『魔女狩りの剣鬼』とまで呼ばれるほど強くなったそうだ。
そんな折、異端管理局の日本支部が設立されると、八重無極は当時の円卓一席に勝負を挑んだ。
結果としては、円卓一席に破れるが、強さを認められて円卓二席を与えられたらしい。
異端管理局に所属した八重無極はそれから、円卓一席を殺す力を蓄えるべく、いっそう多くの魔女を狩り、やがて究極の呪術――若返りの呪術を編み出すことになる。
八重無極が編み出した若返りの呪術は、時間経過によりどんどん若返る呪術だった。
これにより老いを克服した八重無極は、実年齢が八十五歳を数える頃に、肉体が三十代前半、全盛期の頃まで若返った。
全盛期に戻った八重無極は、ふたたび円卓一席に挑むことになる。この挑戦が【人修羅】の号と業を継承することになるきっかけだった。
円卓一席との闘いは熾烈を極めたそうだ。だが、魔女を狩ることに特化していた八重無極は、当時の円卓一席を殺す寸前まで追い詰めて、魔女の切り札である魔法具【英霊の角笛】を使用させるに至る。
その【英霊の角笛】は、過去の英霊の霊魂を呼び出す魔法具であり、呼び出した霊魂を己の身に憑依させることで、英霊と一体化するものだ。呼び出す英霊は、魔女のイメージした条件に適合する存在がランダムで選ばれる。この時、魔女がイメージした条件は、八重無極より強い剣士、という漠然としたものだった。
果たして、呼び出されたのが、千年前の剣神『阿修羅姫』こと『天地紅』だったそうだ。
そうして、復活した天地紅はそのまま魔女に憑依、圧倒的な実力でもって八重無極を鏖殺した。その後、八重無極の【魔女殺し】を奪い、その刀の呪力を利用して、自らの肉体に宿る魔女の魂を殺した。魂を失った肉体は器となり、天地紅は千年の時を超えて完全に蘇ったのである。
魔女の肉体という長寿の器を持った天地紅は、これより百年間、第二次世界大戦が終わるまでの長きに亘り、二代目【人修羅】の号を受け継いで、裏社会で暗躍を続けた。
その過程で、己の経験と技術、知識を後世に残す礎を創り上げたらしい。
「――それが『記憶の欠片』スよ。これにゃ、二代目【人修羅】が歩んだ全ての業が詰まってるらしいスよ?」
肌身離さず持っているのか、柊南天は親指大の青い宝石を取り出して掲げた。太陽の光を反射させて、それは七色に光って見えた。
「ちな、蘇った天地紅が、当時の異端管理局の円卓七席を巻き込んで、自らの専属医、つまり人修羅の相棒を仕立て上げたんスよ。それが連綿と続くうちの御先祖様ス。ま、二代目【人修羅】が代替わりするまでの間に、うちの家系は三度代替わりしましたけどね……えと、んで、天地紅スけど、百年過ぎた辺りで、蘇った器の限界を感じたらしいス。『この身体では次の領域に辿り着けない』とか? 魔女の肉体を奪っといて、生前の身体の方が上だってんだから、どれだけ化物だったんだって話ス。ま、そんな時にちょうど、若かりし蒼森玄氏が目の前に現れたそうス」
およそ五十年前、スかね? と呟きながら、柊南天は続ける。
「人修羅を引き継ぐ前の蒼森玄氏は、そりゃあもう剣の求道者って感じだったらしいス。剣技を極める為なら悪魔に魂を売るほど……噂じゃ、八重家とも関わりがあったとか、なかったとか……とにかく、そんな蒼森玄氏は、二代目【人修羅】天地紅に喧嘩を売って、死なないまでも惨敗を喫したス。そこで己の全てが未熟だと悟ったそうスけど、一方で、天地紅は蒼森玄の剣才を感じて一つの提案をしたそうス。それが人修羅を引き継ぐこと――そこに何の意図があったかは、ついぞ蒼森玄氏から聞けなかったスけど、この条件を呑んだから、天地紅は【魔女殺し】を託して自害したらしいス。こうして三代目【人修羅】の時代になったわけスよ」
柊南天はここで言葉を止めて、ひとしきり説明し終えたと満足気な顔をする。わたしはこれ見よがしに溜息を漏らして、鋭い殺気をぶつける。
「――つまり?」
「あ、さ、さーせん……ちょ、マジで怖いスよ、綾女嬢。分かってます、分かってます、つまり、スね。腹黒嘘吐き妖怪婆は、【人修羅】の称号と共に、これが欲しいんス」
わたしの殺気に怯えながら、柊南天は先ほどの青い宝石を見せ付ける。
「八重家には、人修羅との因縁もあるっちゃあるスけど……そんな瑣末よりも、ずばり天地紅が残した人修羅の業――この『記憶の欠片』を手に入れたい、と思ってるんスよ。けど、これがどういうモノなのか、どうやったら手に入るのか、それは知らない。なので【人修羅】を継ぐ必要がある。だから綾女嬢を監視下に置きたい、って感じス」
「……わたしを殺さないのは、まだそれを手に入れていないから?」
「察しが良くて助かるっス。その通りスよ」
わたしは押し黙った。充分に納得はできた。だから先ほどの交渉で、あれほど柊南天が強気に出ているのに、あっさりと折れていたのだろう。
「――ちなみに、いまの人修羅の歴史を、八重さんはご存じなのでしょうか?」
「本当、察しが良くて助かる、助かるっス。当然、知らないス。具体的には、人修羅に相棒が居ることを知らないスね」
「なるほど。だからこそ、慎重にならざるを得ない、のですね?」
「そっスよ。ってか、人修羅に相棒が居ることや、人修羅の業がどんな代物かなんて情報は、腹黒嘘吐き妖怪婆を含めて、誰も知らないスよ? これ、当事者だけのトップシークレットスからね? 絶対にバラさないでくださいス」
「柊さんこそ、その軽い口で漏らさないように注意くださいよ?」
わたしの嫌味に、柊南天は苦笑を返していた。
「――んじゃ、そろそろ動きますか」
ひとまず休憩も出来たので、車はふたたび目的地であるI県万市を目指して動き出した。
10/27迄、毎日1話ずつ0:00更新します




