第四夜/後編
わたしは気絶しそうなほどの激痛に堪えて、すぐさま構えをとる。悠長に倒れていては、追撃されておしまいである。
わたしに油断はなかった。あの不意打ちは、魔獣キメラを誉めるべきだろう。
(……視認、出来ない速度、でした……)
脇腹に手を添える。服は破れていて、ヌルっとした血の感触がある。骨には最初からヒビが入っているが、今の一撃で何本か肋骨が粉砕されたようだ。
内功で臓器を保護しつつ、魔力の循環を強化、粉砕した骨に魔力を纏わせて元の状態を維持する。しかしこのせいで、また完治が遠ざかった。
「……修羅之位を、封印などと……生温い考え、でしたかね?」
わたしはしみじみと呟き、溢れる笑みを隠さず再び池の前に戻った。心配していた追撃はなかった。
魔獣キメラは変わらず、滝を背にして池の中心で身構えている。ほんの少しだけ、先ほどより膨らんで見える。
「ふむ。触手の攻撃速度はS級じゃが、威力はB級じゃの。速度特化の腕と、威力重視の腕がある形状かの?」
ふとわたしの真後ろで、八重巴がそんな分析を口にする。それを聞いて、いっそう愉しみが増す。やはりまだまだ魔獣キメラは全力ではないようだ。
「鳳仙殿、また挑む前に一つ訊きたいのじゃが……良いかの?」
「――手短にして頂けますか?」
「今の攻撃パターンは、狙って引き出したのかの? あえて受けたとも思えぬような吹っ飛び方じゃったが……」
八重巴の質問に、意味がわからない、と首を振った。
攻撃誘導出来るほど、わたしは魔獣キメラの行動パターンを知らない。それこそ、これからパターンを見極めていくつもりである。
すると八重巴は何か察して、一人納得したように頷いた。
「道理で――まさか、とは思うたが、鳳仙殿は魔獣との闘い方を知らぬようじゃの?」
魔獣キメラを前に悠長に講義を受けている場合ではないが、不思議と攻撃はされなかった。
わたしは一歩バックステップして、八重巴と横並びになってから問いかける。
「闘い方……とは?」
「ふむ。そも魔獣の闘い方は、どんな個体も例外なく、後出しジャンケンじゃ。基本的に、脅威度C級の魔獣でさえ、その個体性能は人間を遥かに凌駕しておる。技術では到底覆せぬほどの能力差を持つ個体が理外の常識じゃ。じゃから、正面から策もなく馬鹿正直に戦えば、一部の例外を除き、力押しされるに決まっておる。一方で、どれだけ知性があっても、魔獣はその性質上、技術を用いない。常に攻撃手段は、状況に応じた有効な最大火力じゃ――それを分かっておれば、鳳仙殿には討伐なぞ容易じゃろ?」
「――だから、今は様子見しているのですか? それでは、もしわたしが動かなければ、あのキメラも動かないのでしょうか?」
わたしは意識を魔獣キメラから外さず、疑いの眼差しで傍の八重巴を流し見た。八重巴は強く頷き、一歩前に踏み出る。
「魔獣は常に、敵対する存在の後の先を採る。フェイントは決してせず、敵対する存在が何らかの行動をしようとした際、その事の起こりを察して決まった動作を返す。それは敵対する存在が脅威であればあるほど、じゃ。手本を見せよう。例えば――」
八重巴は言いながら軍帽を目深に被り直して、スッと流れる動作で前傾になり、いまにも飛び掛かる姿勢を取った。刹那、閃光にしか見えない触手の横薙ぎが、八重巴の脇腹を襲う。
疾い――と言うよりも、来ることが分かっていてさえ視認できなかった。
その瞬息の触手は、予測して避けるしかないほどの高速であり、見てからの反射神経では到底捌けない攻撃だった。しかしそれを、八重巴は平然と受け切った。
わたしが無様に吹っ飛んだその触手を、軽々と右手で握りしめて見せたのだ。
この芸当には驚嘆するしかない。八重巴は魔獣キメラの攻撃タイミングを完全に見切っていた。余裕さえ見せて、受け止めてみせたのだ。
「どうじゃ、鳳仙殿。この魔獣は、儂の行動の起こりを読んで、出鼻を挫く為の単一行動を選択したじゃろ?」
八重巴はそう言って、握りしめた触手を引きちぎり、真横に跳躍するフェイントを入れた。気配そのものを移動させる予備動作で、相対しているのが達人であっても釣られるだろう見事な動きだった。しかし実際は、残像の見える速さでのバックステップである。
八重巴が予備動作をした瞬間、砲丸大の圧縮空気が魔獣キメラの口から放たれていた。
とはいえ、その圧縮空気はフェイントに釣られており、まったく見当はずれの方に飛んで行く。爆音と爆風を伴った圧縮空気は、地面を抉りながら木々を蹴散らして霧散した。
わたしも八重巴も、そんな出鱈目な破壊力を秘めた圧縮空気の行く末を他人事のように眺める。
「前方への動きには速度重視の横薙ぎ、左右の動きには強力無比の魔術砲。魔術砲の威力は、低く見積もってA級じゃの。直撃を喰らえば、無傷では済まぬぞ? さて、ここまで攻略法を伝えれば、鳳仙殿ならばもうアレは敵ではなかろ?」
「……随分とわたしのことを買ってくれているのですね?」
「おや? 自信がないのかの? 鳳仙殿はキメラの弱点がまだ分からぬかの?」
軽い口調で薄ら笑いを浮かべながら、八重巴は挑発的にわたしを流し見る。その試すような視線に、わたしは苦笑しながら呟いた。
「……これ以上のアドバイスは流石に不要です。戦闘が愉しめなくなってしまいます」
「ふむ。ということは、弱点は理解出来たのかの?」
「解説が御希望ですか? それであれば、わたしが倒し終わった後に――」
わたしは最後まで言い切らず、予備動作なく無遠慮に踏み込んだ。気持ちは乗せず、気配は明後日の方向に飛ばしながら、愚直に魔獣キメラの前、池の中へと踊り出す。
ブォン――と、音を置き去りにした高速の横薙ぎが、わたしの気配を切り刻む。それを横目に、わたしは魔獣キメラの正面へと跳んだ。魔獣キメラとの距離は、まだ5メートルはある。
「フォォオオ――ンッ、フォ!」
わたしは大上段に仕込刀を振りかぶり、両手で力を篭める。
すると、魔獣キメラは蟹のような前脚四本を持ち上げて、わたしを威嚇するように構える。四本の前脚には巨大なハサミが付いている。
「――新たなパターンでしょうか?」
中空で振りかぶった姿勢のわたしに、その前脚はハサミを広げて魔力を纏わせていた。
わたしを掴むのか、そのまま突くのか、薙ぎ払うのか、斬り付けるのか、はたまた魔術でも放つつもりなのか――さて、どんな攻撃を見せてくれるのだろうか、愉しみである。見事に受け切って見せよう。
そんな覚悟をした刹那、わたしの想像の斜め上の攻撃が放たれる。
果たしてそれは、ロケットパンチならぬ、ロケット蟹バサミだった。構えていた四本の前脚が、関節部分で切り離されて、中空に飛び出したのだ。
「……なんて、面妖な」
わたしは、にやけながら呟いた。宙を舞うロケット蟹バサミは、飛び掛かっているわたしを取り囲むように飛び回りながら、魔力の鎖を展開していた。
魔力の鎖はわたしの四肢に絡みついた。刀を振り上げた状態で、わたしは空中で磔にされたように静止することになった。
なるほど。これは攻撃ではなく、わたしを拘束するためだけの技のようだ。
「ふふふ……」
空中で静止したわたしは、四肢に力を篭めた。だが、魔力の鎖はなかなか頑丈で、多少の腕力では引き千切れなかった。
さて、それはそれとして、魔獣キメラはわたしを空中に捕らえてから、ゼリー状の身体を見る見ると硬質化させる。その体表面が亀の甲羅みたいに変質していた。また同時に、池に埋まっていた触手が一斉に顔を出して、うねうねと中空で蠢いていた。気持ち悪いことこの上ない。
「へぇ、技術を用いないと言うのは、本当ですね――この程度で、わたしが身動き、出来ないとでも思いましたか?」
「ファオォオオオオ――」
魔獣キメラは気持ち悪い咆哮と共に、蠢く触手を引き絞り、次の瞬間、そのすべてを空中で静止しているわたしにぶつけてくる。流石に、無防備で受けたら挽肉になりかねない攻撃だ。
だが、何一つ怖くない――わたしは触手が引き絞られた刹那、振りかぶった刀を渾身の力で振り下ろした。わたしを拘束していた魔力の鎖が、バチン、と紫電を放って弾け飛ぶ。
魔力の鎖に、魔力をぶつけて相殺させたのだ。
「――御覧下さいませ。これがわたしの本気です。外道之太刀、雨燕・比翼飛燕」
振り下ろした刀から、山なりに斬撃飛んでいく。それは豪雨と暴風を切り裂き、硬質化した魔獣キメラの身体に傷をつけた。それと同時に、蠢く触手が自由落下したわたしを取り逃がして、豪快に空を切っていた。
一方で、わたしは池に着地してから、歩法朧で踏み込んだ。池はそれほど深くなく、魔獣キメラの手前までは、膝が沈む程度の深度しかない。
「――ファォオゥ!?」
魔獣キメラは痛覚を持たないらしい。驚愕の叫び声は、自らの甲羅が雨燕・比翼飛燕で割れたからではなく、わたしの姿が蜃気楼のように揺れて見失ったからだった。
鮫の顎が大きく開かれて、ふたたび圧縮空気の魔術砲が池の中に連続で放たれる。それはわたしの残像を狙って放たれたものだが、動きを捉えている訳ではないので、ただのヤケクソに見える。
わたしは歩法朧を用いて、魔獣キメラの真後ろに到達していた。どうやら魔獣キメラは、視覚範囲が正面しかないようだ。気配をズラしただけで、わたしがどこに居るか視えていなかった。
「ほぉ? 疾い――何より巧いの」
池の外で観戦している八重巴が感心した声を上げている。それを耳にしてから、ふぅ、と溜息を漏らした。
「もっと、苦戦出来ると思ったので、少しだけ残念ですよ――外道之太刀、斬鉄」
わたしはあえて宣言して、それを合図に横薙ぎの斬鉄を繰り出した。流石にわたしの声が真後ろから聞こえて、魔獣キメラは慌てて首だけ180度背面に回転させる。
けれど――それじゃ遅過ぎる。
「ファゥオ――――ァゥ!???」
首だけ回転させた魔獣キメラの動きに合わせて、わたしは見付からないよう死角を移動しながら、斬鉄を連続で繰り出した。甲羅がバターのように切り裂かれて、そこから腐臭を放つ紫色の血が噴き出ていた。浴びたくないので、身体に付着しないよう気を付けた。ちなみにその胴体は、想像以上に柔らかかった。
魔獣キメラはわたしの姿を追って、首だけグルグルと回転させた。回転させながらも、その大きく開かれた顎からは圧縮空気が放たれ続けている。しかし、その圧縮空気は当然掠りもせず、わたしの姿を視界に映すことさえ叶わない。
魔獣キメラは何が起きているかも理解出来ず、その胴体を凄まじい速さで刻まれていった。
「――ファ――ッ、ゥ!?」
そうして、七回か八回か、魔獣キメラの周りを駆け回って、わたしはもうトドメを刺そうと立ち止まった。流れるように腰を落として、目にも留まらぬ速度で刀を収める。
わたしは半身に抜刀術の構えを取って、回転する魔獣キメラの頭部が正面に向くのと同時に、必殺の一撃をお見舞いする。
「外道之太刀――暁天!」
宣言の瞬間、わたしは既に振り抜いた刀を収めていた。
気付いた時にはもう終わっている超高速の一閃――【斬鉄】の横薙ぎを、速さ特化で繰り出す攻撃だ。音速を超える斬撃スピードと、斬鉄よりも広範囲を切り裂ける奥義である。
わたしの一閃は空間を切り裂いて、魔獣キメラの頭部を分断した。まるで割れた鏡面のように、胴体に繋がっていた頭部が横滑りして、あっけなく池に転がり落ちる。
断末魔さえ上げる間はない。わたしに向かって放とうとした圧縮空気も、口から放たれる前に切り裂かれて霧散していた。
「油断せぬことじゃ――ほぉ?」
魔獣キメラの触手が力なく池に落ち、頭部を失った胴体がグラリと傾いだ時、背後で観戦していた八重巴が注意喚起の声を上げる。
その注意を聞く前に、わたしは超至近距離で追撃の準備を整えていた。抜刀した仕込刀の切っ先を胴体に突き立て、グッと一歩踏み込む。
「外道之太刀――穿ち月・千々乱風」
わたしは息を吐くと同時に、面攻撃にしか見えない連続突きを繰り出した。それは一撃一撃が穿ち月の威力を持ち、余波で貫いた箇所を抉り削る局所爆破じみた剣技だ。
散弾銃を真正面から浴びたみたいに、魔獣キメラの身体はあっという間に穴だらけの蜂の巣みたいになった。螺旋状に穿たれた穴は、切り口が焼け爛れており再生し難くなっていた。
けれどそれだけでは終わらない。この程度でトドメとするのは生温い。
わたしは一歩バックステップして、下段に構えると、大きく深呼吸する。精神を一段階高揚させて、身体の回復など二の次に、修羅之位を発動する。
「空を切り裂き、神を狩る斬撃――――九天一閃」
切っ先を池に浸した状態で、刹那の溜めから、ひと息に逆袈裟で切り上げた。わたしの切り上げは、穴だらけで傾いだ魔獣キメラの巨躯を斜めに切断する。次いで、振り抜いた射線上にあった空気さえも断ち切り、降り注ぐ雨粒を蹴散らして、池に亀裂を走らせた。
この奥義は、斬鉄ほどに威力はない。抜刀術ほど疾くもない。だが纏わせた剣気により、触れたモノを内側から破壊する。動物であれば、斬られた箇所が腕の一部でも、そこから内臓破裂までが必至の奥義である。
流石に、魔獣キメラと言えど、ここまで破壊すればもはや終わりだろう。オーバーキルしすぎかも知れない。
わたしは逆袈裟に斬り上げた残心の姿勢で、ニヤリとほくそ笑んだ。そしてゆっくりと、気持ちを落ち着かせるように納刀する。
「愉しめまし――」
「――おい!! 鳳仙殿、油断するでない!!」
「――――は? ッ!?」
わたしの独り言を最後まで言わせず、慌てた調子で八重巴が叫んだ。その悲痛めいた叫びに、わたしはハッとして、池に倒れ伏す魔獣キメラの巨体を注視する。
瞬間、背後から右肩を何かに撃ち抜かれた。
その一撃で、わたしの肩関節が砕かれた。激痛と同時に、力なく右腕は垂れ下がる。幸いにして血管は避けており、大量出血にはならない。
しかしこれで、右腕が使い物にならなくなった。
「バオォオオオオ――――」
撃ち抜いた何かは、勝ち誇ったような咆哮を上げている。
わたしはすかさず仕込刀を左手に持ち替えて、咆哮しているのが何かなど確認せずに、滝に向かって駆けた。魔獣キメラの死骸を飛び越して、歩法飛天で弾丸のように跳んだ。
そんなわたしを追撃するように、背後から音もなく弾丸のような何かが撃ち込まれる。左脚と脇腹に被弾して肉が抉られたが、それは軽傷だ。
「……何が、起きたのでしょうか?」
飛び込んだ先、滝を突っ切った向こう側には、予想通りに巨大な洞があった。そこには壊された祠があり、大型の獣が棲んでいた形跡があった。
ドブのような臭いで満ちており、腐った空気が漂っている。
わたしはその洞の中で転がりながら、小さく丸まって体勢を整えた。
「バアアアアア!!」
滝の轟音を吹き飛ばすような絶叫が聞こえる。わたしはそれを耳にしながら、左手に握る仕込刀に力を篭めた。
怒涛の勢いで落ちている滝のカーテンを見据える。この向こう側に、何か得体の知れない化物が居る。
「魔獣キメラだけ、ではなかったのでしょうか?」
わたしは首を傾げながら、撃ち抜かれた左脚と脇腹、右肩を眺める。撃ち抜かれた部位には、パチンコ玉くらいの穴が開いている。
「バアアア――ッ」
「――嗚呼、なるほど」
集中を更に引き上げて、迷わずに肉体の限界まで気力と魔力を充実させる。すると、突如として滝が捲り上がり、龍の姿を形作った。水で出来たその龍は、ギラリとした透明な双眸をわたしに向けている。
わたしはそれを見て、何が起きたのか、何が撃ち込まれたのかを察した。
チラと見れば、その水の龍の背後には、魔獣キメラの残骸――ブヨブヨのスライム状になっている鮫の頭部が浮かんでいた。首を切断するだけでは甘いと思ったが、逆に首だけでも活動出来たとは盲点だった。
「……第二形態……いえ、第二ラウンドの始まり、でしょうか?」
「――――バフッァアアア!!」
わたしは嗤いながら、突撃の態勢をとっている水の龍目掛けて飛び掛かる。応じるように、空中に浮かんだ鮫の頭部――魔獣キメラが怒号を放つ。
巨大な顎を開いた水の龍は、飛び掛かったわたしを丸呑みしようと突撃してくる。その速度と勢いは砲弾じみていて、直撃すればぺしゃんこに潰されること必至である。
「歩法――朧」
直後の、ドガァン、という爆音に、わたしの呟きは掻き消された。
果たして水の龍は、わたしを呑み込むことに失敗して、滝に隠されていた洞に激突、凄まじい衝撃波を放ちながら爆散していた。滝を形成していた崖は大きく抉れて、ガラガラと土砂崩れを起こしていた。
一方でわたしは、歩法朧で姿を捉えられないよう工夫しながら、空中に浮かぶ魔獣キメラの下を駆け抜けた。一旦は、仕切り直しをしよう。
「さて、どうやって倒せば良いのでしょうか、ね?」
わたしは観戦に徹している八重巴の横まで駆けると、態勢を立て直して、頭部だけになっている魔獣キメラと向き直る。一方で魔獣キメラはわたしを見失っており、土砂崩れを起こした滝壺だけ注意深く見ていた。
水の龍はもう元通りの滝に戻ったが、土砂崩れにより地形が変わっているせいで、もはや観光名所の細糸の滝は見る影もなかった。アレではただの川である。
「……鳳仙殿。一つ質問しても良いかの?」
「――手短にお願いします」
わたしはグッと姿勢を落として、魔獣キメラに飛び掛かろうとした。それを止めるように、八重巴が首を傾げる。
「魔獣の倒し方、知らぬのか?」
「ええ、存じませんよ?」
「…………」
「嗚呼――答えは言わないで貰えますか? わたし、まだ試したいことがあるので」
わたしの即答に呆れた溜息を漏らす八重巴を制して、深く長く呼吸を吐いた。
八重巴が言いたいことは理解している。
わたしは、魔獣キメラにトドメを刺し損ねたのだろう。どの部位が致命傷になるのか、どうすれば殺し切れるのか、魔獣の倒し方を教わるのは忘れていた。だからついつい、常識の範囲で考えてしまった結果がこれだ。
よくよく考えれば、魔獣は自然死もせず寿命もない理外の存在だ。そんな化物が、身体を破壊し尽くしたところで死ぬはずはない。
(……さて、どこが弱点か――と、推理するまでもありませんね……流石にアレで、間違いないでしょう……)
わたしは愉しそうに満面の笑みを浮かべて、魔獣キメラの頭部をジッと魔力視する。
その中心には、ひと際濃い魔力の渦が視えた。物理的に見ても、透けている頭部に翡翠色をした宝石が埋まっている。
恐らくはあの宝石こそが、魔獣キメラの弱点――命の核だろう。
天然の魔女である五十嵐葵の台詞を思い出す。
魔女にも【魔女の聖痕】と呼ばれる弱点が存在していた。魔獣にも類似する弱点があるのだろう。だからこそ、八重巴も呆れた様子で『倒し方を知らないのか』と口にしたのだ。
確かに、知らずに戦えば決して勝てないが、知っていて戦えばあっという間に終わってしまう。
「――となると、次の課題は、アレをどうやって破壊するか……先ほどのように、水の龍が相手だと些か厄介ですし……」
わたしが愉しげに独り言ちた時、八重巴がスッと手を挙げながら一歩前に出た。
「鳳仙殿。面白い剣技を見せてくれた御礼に、儂の剣技を一つ披露しよう。これを見れば、いま鳳仙殿が悩んでおることは解決するぞ?」
「は? それは、どういうことでしょう? 倒し方の類であれば、遠慮いたしますけれど……」
「安心しろ。倒し方のヒントではなく、一つの技術を披露するだけじゃ。じゃが、一見して覚えられるほど簡単な技術ではないがの」
八重巴は嬉しそうな声でそう言いながら、もう一歩前に踏み込んだ。途端、魔獣キメラが慌てた様子で振り返り、わたしたちを視認する。ぶわっと池の水が浮き上がり、ふたたび水の龍を形作り始めた。
水の龍は大きく顎を開いて、中空から八重巴を押し潰さんとばかりの威圧で身構えている。あと一歩踏み込めば、砲弾を思わせる速度で迫り来るだろう。
(……正面突破では、決して勝てない……いまのわたしならば、全力の【暁天】で、水の身体は切り裂けるでしょうけれど……直後にあの体積がぶつかってくると……避ける選択肢しか……)
わたしは八重巴の動きを注視しながら、自分ならばどうするか思考し続ける。
やはり避けてからの反撃で、一撃のもと断ち切る奥義が必要か――
そんなわたしの思考を嘲笑うかのように、八重巴はスッと背筋を伸ばした。灰色のロングコートから短い指揮棒を取り出して、それを胸元に構える。
構えはフェンジングを思わせるが、手元にあるのはプラスチック製と思しき30センチ程度の指揮棒だ。
ふざけているのか、と思わず叫びそうになった。
「――霊剣・天羽々斬」
八重巴が何やら呪文めいた言葉を呟く。すると指揮棒に光が灯り、一瞬にしてそれが、白銀の両刃剣へと変貌する。
わたしは驚愕しながら、それを魔力視した。けれどそこに魔力は一切ない。
「儂は、霊力を扱える魔剣士じゃ」
不敵な笑みを浮かべながら、チラッとわたしに振り返る。その瞳は、良く見ておけよ、と物言わず語っていた。
わたしは言われずともその白銀の両刃剣を注視する。途端、そこに凄まじい密度の魔力が流れ込み、綺麗に外側を包み込んだ。一見するともはや魔力の剣にしか見えない。さらに八重巴は、その魔力剣に、見て取れるほどの剣気も纏わせた。
わたしはその技量に、全身を粟立てた。
術理は分かる。だが同じことができるかと問われたら、無茶を言うなと即答するだろう。生後一ヶ月の子供に新体操の演技をしろ、と言っているのと同義だ。
八重巴はその剣をスッと前に突き出して、左腕を背中に組んだ。そして軽やかな跳躍で、口を開けた水の龍目掛けて踏み出す。
タイミングを測ったように、水の龍は凄まじい速度で襲い掛かる。
水において速度は硬度だ。銃弾の如き速さの水は、それだけでコンクリートより硬くなる。ましてやそれは、体積から想定される質量だけでも、軽く200トンはくだらない水の塊だ。受けることは、すなわち即死でしかない。
しかしそんな致死の突撃を、八重巴は優雅な立ち居振る舞いで迎え撃つ。
「八重示現流――【水分】」
ゆらりと剣先が誘うように揺れて、刹那、八重巴は踏み込みながら、寝かせた剣で水の龍の口を横薙ぎする。
それは一見、水の龍の鱗を撫でただけの軽い斬撃に見えた。しかし実際は、わたしの【暁天】を思わせる一閃だった。ただの一太刀で、口から胴体まで上下に分断して見せた。
見事だった。最小限の動きで、水を断ち切り、循環していた魔力を乱して霧散させてもいる。
バザァ――と、大質量の水が形を成さずに落下する。
この一撃で、もはや龍の身体を維持できず、水はただの水滴となり、土砂降りの豪雨に混じって、池に降り注ぐ。
「へぇ――魔力を、斬るのですね」
魔力という概念をある程度分かってきたおかげで、その術理を理解出来た。この技術がどれほど難しいかも同時に理解したが、おかげでわたしの悩みは一瞬で解決した。
八重巴はさらに一歩、軽い跳躍で魔獣キメラの頭部に向かって迫った。
「バファアア!!」
瞬間、八重巴の進撃を拒むように、魔獣キメラは雄叫びを上げながら正面に水の壁を形成する。その厚みは軽く40センチはあろう。貫くのは容易ではない。
その防御パターンを見せてから、八重巴は不敵な笑みと共に大きくバックステップする。
「どうじゃ? 悩みは解けたかの?」
八重巴は最後まで攻めるつもりはなかったようだ。素早くわたしの隣まで戻ってくると、白銀の両刃剣をただの指揮棒に戻して挑発的な視線を向けてくる。
一方、八重巴が攻撃範囲外に移動したからか、魔獣キメラは水の壁を解除している。
「――理解はしました。勉強にもなりました……悩みは解決しましたが、出来るか否かが問題ですね」
「ほぉ? やはり儂の眼に狂いはないかの――たったあれだけで術理を理解して、出来る、出来ないの領域で悩むとは……末恐ろしい怪物じゃ」
八重巴は笑いながら、一歩後ろに下がった。ここから先はわたしに任せるという意思表示だ。とてもありがたい。
それでは期待に応えなければ、女が廃る。
わたしは半身になりグッと左手を引いて、寝かせた切っ先を魔獣キメラの頭部に定める。乙心一統流基本の構え、射貫きの型である。
深呼吸して、心を落ち着かせる。
ここから繰り出すのは、ただの【穿ち月】だ。最も単純な外道之太刀の基本の一撃である。ただし、その技には剣気と魔力を纏わせて、先ほどの八重巴のような魔力を断ち切る斬撃にするつもりだった。
八重巴の術理の模倣だ。これが成功すれば、また一つわたしは強さの階段を上ることが出来るだろう。
「……八重さん。一つお願いがあります」
一歩踏み出そうとして、わたしはふと思い出したとばかりに口を開いた。
「ここから先は、わたしがどうなろうと、助けは不要です」
一方的にそれだけ告げて、わたしは射貫きの型を崩さず、すり足で一歩踏み込む。瞬間、魔獣キメラの虚ろな双眸がわたしを標的に捉えた。
この先が地獄の一丁目、魔獣キメラの間合いである。
「バァアアアア、ファア――!!」
わたしは馬鹿正直に、真正面から踏み込む。そんなわたしに応えて、池の水が舞い上がり、巨大な水の龍を形作った。水の龍は大きく顎を開いて、突撃態勢をとっている。
さて、わたしは八重巴のように上手く出来るだろうか。
「外道之太刀――【穿ち月】」
引き絞った仕込刀に魔力を篭める。同時に、魔力の循環を意識しつつ、剣気も纏わせた。そしてその状態のまま、更に魔力を纏わせる。
口で言うのは簡単で、理論としては難しいことではない。たかだか魔力の層の間に剣気を挟み込むだけだ。けれどその所業は、魔力の操作が未熟なわたしにとってかなりの難度である。
だがだからこそ、この生死を賭けた逆境で試すことに意味がある。
「バァアアアゥ!!」
外道之太刀の歩法は使わず、本当に真正面から、わたしは軽やかな跳躍で飛び掛かった。
正面からの敵に対して、いまの魔獣キメラの攻撃パターンは一択だ。
意図した通りに、わたしを押し潰さんとばかりに水の龍が突撃してきた。
眼前に迫り来る爆撃じみた水の突撃――先ほど八重巴が切り裂いたよりも、さらに巨大化して見えた。
(……ただの体当たりが致命打、呑み込まれても水圧で押し潰されるでしょうね……ふふふふ……これが失敗すれば、流石に死にますね……)
千分の一秒にも満たない一瞬、わたしは走馬灯を見るように、停まった時間の中で状況を整理して、ついつい自嘲していた。これが失敗したら、即死する確率は九割を超える。一か八かにしても、あまりにリスキーな選択だろう。
だからこそ――失敗がイコール即死に直結するからこそ、わたしの集中は最高潮に高まった。
「バァ――――ガァアアアア!?」
果たして、決着はわたしの勝利と相成った。
圧倒的な質量を誇った水の龍は、魔力と剣気を纏った【穿ち月】に切り裂かれて、魔力が乱されたことで、あっけなくただの水となって池に落ちた。
そしてそのまま、わたしは手を伸ばして、魔獣キメラの頭部に浮かんでいた宝石を貫き、勝負を終わらせた。
宝石を貫く瞬間、魔獣キメラが分厚い水の壁を展開していたが、そんな壁も障害にはならず、豆腐を斬るような容易さで貫けた。
「――くぅ、ぁっ!?」
「ガァ――――」
けれど、軍配はわたしに上がったとはいえ、魔獣キメラは即死しなかった。
わたしが突きを放ったままの姿勢で滞空していると、四方八方から水の弾丸が飛んできた。威力はゴム弾程度で致命傷にはなり得ないが、満身創痍と化しているいまのわたしからすると、結構なダメージを受けてしまう。
それは魔獣キメラの最後の抵抗だ。下品な言い回しだが、イタチの最後っ屁である。
わたしは全身にそんな水の弾丸を浴びながら、自由落下で池にダイブする。
「ほぉ――なるほど。これが【人修羅】かの」
感心した声が八重巴から聞こえた。
「お疲れ様じゃ、鳳仙殿――おや? 気絶でもしておるのか?」
「……いえ。起きていますよ」
わたしは池の中で脱力して、プカプカと水に浮かんだ。
雷鳴さえ鳴り始めた暗雲を見上げると、眼も開けられないくらいの豪雨が降り続いている。嵐はこれからが本番と言わんばかりに激しさを増していた。
そんな雨を全身に浴びながら、わたしはゆっくりと身体を起こす。
「早くシャワーを浴びたいですね……」
わたしはびっしょり濡れた前髪を掻き上げて、同じくびしょ濡れになっている八重巴に同意を求めた。八重巴はその言葉に苦笑しながら、うむ、と頷いて、池の中に足を踏み入れる。
「――魔獣核の破片も回収したからの。病院に戻るとするかの」
八重巴はわたしの近くに浮かんでいた魔獣キメラの命の核――翡翠色の宝石の欠片を拾って、満足気に頷いた。軍帽を胸にあてて、わたしに手を差し伸べた。
「……こんなことなら、いっそ水着で来れば良かったです……」
意図せず着衣泳になった状況の自分を鑑みて、わたしはそんな呟きをした。この状態のまま病院まで一時間半以上も移動するには苦痛でしかない。
わたしは八重巴の手を掴まず、起き上がって溜息を漏らした。
ここまでが五章前半




