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外道に生きるモノ  作者: 神無月夕
第五章/円卓に座るモノたち

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第四夜/中編

 だだっ広い駐車場に乗り入れたタクシーは、入口付近で停車する。駐車場には、ほかに一台もなかった。


「着きましたけど、本当にここで宜しいので?」

「うむ。世話になった。支払いはクレジットカードじゃ」


 タクシーで移動すること、一時間半。途中、コンビニエンスストアに朝食兼昼食を購入する為に寄り道したが、それを差し引いてもだいぶ時間が掛かった。

 八重巴はスマートにクレジットカードを提示して、三万円前後の支払いを済ませていた。わたしはそれを横目に、コンビニエンスストアで購入したビニール傘を開いてからタクシーを降りる。


 到着したのは、犬歯山が見下ろす麓にある自然公園、その中でも、展望台のある小高い丘への入口である。

 丘の上にある展望台は、屋上が周囲を見渡せるパノラマになっており、六角柱の形状をした三階構造の建物である。入り口は東西南北に一つずつ、その内部には土産物屋と、犬歯山の歴史が閲覧出来る資料室、小洒落たカフェテリアなどがある。

 けれど当然この悪天候のせいで、それらの売店は全て臨時休業、普段は無料で開放している屋上エリアも立ち入り禁止で、封鎖しているようだった。


「残念じゃの。せっかく来たのじゃから、カフェを堪能したかったのじゃが……」


 タクシーが走り去っていくのを見送ってから、八重巴が残念そうな声を漏らす。視線の先には、わたしが見ているのと同じ看板――『台風の為、臨時休業』と書かれた注意書きがある。


「……ところで八重さん。濡れますよ?」

「うむ。別に良い」


 傘をさしていても、横殴りの雨で足元がびちょびちょになるほどだ。だと言うのに、そんな大雨の中で八重巴は傘をささずに堂々と立っていた。

 一応、八重巴が羽織っている暑苦しい灰色のロングコートは防水対策されているようで、内側の軍服はそれほど濡れてはいない。けれど、軍帽はびしょ濡れで、まさに頭から水を浴びたようになっており、長い黒髪は随分と水を吸って重たそうだった。

 わたしはそんな八重巴から視線を切って、看板の注意事項を今一度見直す。看板にはハッキリ『無料展望台の立ち入りも禁止』と赤い文字で大きく書かれていた。


「進入禁止のパイロンも設置されていますけれど、ここからどうするのですか?」


 わたしは直立不動の姿勢で看板と相対している八重巴に首を傾げる。風が轟々とやかましい。

 八重巴は軍帽を取って、額に張り付いた前髪を掻き上げていた。わずらわしそうに後ろ髪を一本にまとめて結び、器用に丸めてお団子状にしている。

 随分と雑な手入れだ。しかも雨でびしょ濡れになった髪をそのままで結ぶなど、髪が痛むだろうに――わたしは場違いな心配をしつつ、今一度、これからどうするのかを問い掛けた。


「八重さん? これから――」

「――聞こえている。うむ。ひとまずは、展望台に上ろうかの。周囲が見渡せれば、キメラの位置も見つけ易いじゃろ」


 八重巴はそう言って、等間隔に並んで進入を拒んでいた赤いパイロンを平然と跨ぎ、展望台がある丘へと進んで行く。わたしも仕方なしにそれに従った。

 丘の上は、展望台の設備と見晴らしの良い広場だけがある。円形の広場は、わたしの腰元程度の柵で囲われており、直下は崖である。

 広場の中心には、三階建ての展望台があり、正面入口にはシャッターが下りていた。当然ながら、展望台設備の内側にはひと気が感じられない。

 広場から見えるパノラマに視線を向ければ、生憎の土砂降りで、視界は数メートル先もまともに見えない状況だった。とはいえ、正面の犬歯山はかろうじて見えていた。

 標高300メートルほどの低山とはいえ、間近で見上げる犬歯山はそれなりに雄大だった。その名前の示す通り、急峻な山肌が犬歯のようだ。


「この付近に、魔獣キメラが居るのですか?」

「さあの? この広場で姿を観測されたのは事実じゃし、この周辺で行方不明者が急増しておるのも事実じゃ。じゃが生憎、遭遇して生き残った人間が居らぬでの。キメラの住処がどこか分かっておる訳ではない」


 八重巴は無責任な物言いをしながら、展望台のシャッターに触れる。

 見渡す限り、展望台の入口は全てシャッターが下りており、鍵なしでは進入できそうになかった。非常階段もなく、少なくとも一階には窓がない。

 入れないのが分からないはずはないだろうに、八重巴は何かを確認するように、六角柱の展望台をグルリと回り始めた。恐らくは他の侵入経路がないかを探しているのだろう。

 わたしはそれを横目に、展望台の陰で強風から身を隠す。

 先ほどからいっそう風が強くなってきており、ビニール傘の強度ではもはや風雨を防ぎ切れなくなっていた。

 実際、傘の骨は既に折れているし、腰から下は防ぎ切れない横雨でずぶ濡れになっている。下着まで濡れているのを自覚できる。


「……気温が高いのは救いですけれど、濡れたまま放置されると、体温が奪われてしまいますね」


 戦闘がないならば雨宿りがしたい。それがわたしの素直な感想である。

 わたしが感想を口にしていると、戻ってきた八重巴が不意に質問してくる。


「鳳仙殿は、壁駆け(カベガケ)は出来るかの?」

「――――は?」

「壁駆け、じゃ。入口が閉まっておるようじゃから、ここから展望台の屋上まで、壁を駆けて登ろうと思うての」


 グルっと展望台を一周してきた八重巴が、唐突にそんなことを口にする。展望台の垂直な壁面を指差しながら、わたしを試すような視線で見ている。

 壁駆けと言う聞き慣れぬ単語に一瞬混乱したが、それはつまり、壁面を駆け登る類の歩行術を指しているのだろう。

 それならば何のことはない。三階程度の高さであれば、歩法飛天を用いなくとも容易である。


「壁駆け――と言う技は、全く存じませんが、ここから屋上に駆け登るのでしたら、出来ますよ? むしろ八重さんこそ出来るのですか?」

「出来ぬなら言わぬ。さて、それならば遠慮なく――」


 わたしの返事に満足気に頷くと、八重巴は散歩でもするような軽い踏み込みで地面を蹴り、凄まじい跳躍を見せた。

 トン、トン、トン、と垂直の壁面を斜めに蹴りながら、わずか三歩で展望台の屋上に着地していた。

 まるで三段跳びのようだ。垂直の壁面を駆けたとは思えないほど、軽やかで鮮やかな壁登りだった。


「……へぇ。手合わせしたくなるほど、鮮やかな歩法ですね」


 わたしは不敵に笑いながら、八重巴に遅れないようグッと身を屈めて足に力を溜める。八重巴が見せてくれた『壁駆け』とやらは出来ないし、あれほどの洗練された疾駆でもないが、この程度の児戯で侮られる訳にはいかない。

 侮られない為にはどうするか――身体の調子を確かめる意味も込めて、身体能力だけで壁登りをすることにしよう。

 わたしは全身が雨に濡れるのも構わず、ビニール傘を畳んだ。


「――――せぇ、のっ!」


 我ながら珍しくも小さな掛け声を上げて、わたしはその場で垂直跳びする。身体能力頼りの跳躍でも、全力で跳べば軽く2メートルは跳躍出来る。


「よっ、と――っ!」


 真上に跳び上がって頂点に達した瞬間、畳んだビニール傘をすかさず壁面に突き刺した。壁面がコンクリートだったので、それほど苦もなく半ばまで突き刺さる。

 わたしは一瞬だけ、ビニール傘に体重を掛けて壁面に両足を付けた。その重さで当然、ビニール傘はバキンと音を立てて圧し折れる。しかし、その一瞬があれば充分すぎる。

 ビニール傘を支点にわたしは態勢を整えて、壁面に着地した両足に力を溜める。それと同時に、壁面の凹凸を見極めた。

 壁面に隠れたほんの少しの凹み、出っ張り、切れ目部分を見付けて、ニヤリとほくそ笑む。

 そこからの動きは曲芸に見えるが、特殊な技術など用いない極めて単純な肉体運動だ。

 壊れたビニール傘を引き抜いて、まずは凹んだ部分に跳ぶ。凹みを蹴り上げて跳躍、出っ張りに足を掛けて更に跳ぶ。切れ目には壊れたビニール傘を嵌めて、それを足場に、ひょいと跳び上がる。

 そうして、わたしの場合はおよそ八歩ほどで、展望台の屋上エリアに着地した。


「ふむ。よもや、強引に跳んでくるとは思うてなかったの。驚嘆に値するぞ。じゃが、少し残念かの。鳳仙殿の剣術の一端でも見れるものと期待したが……」

「それは、どうも。ご期待に副えず申し訳ありませんね」


 八重巴は驚き半分、落胆半分でわたしに流し目を向けている。

 確かに、この児戯は落胆されても然るべきではあろう。一見、壁を蹴上がる超人技に思えるが、実際は、ボルタリングの技術を応用した身体能力にあかせた壁登りである。この程度は、達人の域に居る人間ならば誰でも出来る芸当だ。

 わたしは壊れたビニール傘を広げてみた。だが見た目通り、傘は真ん中で折れていて、既に役目を終えていた。まあ今更、傘をさしたところで濡れた身体はどうしようもない。


「……ここまで濡れたら、もう諦めますか……どのみち、魔獣との戦闘では、傘などさす気がありませんでしたしね……」


 独り言ちてから、展望台をスッと見渡す。とりあえず入口の階段に突き出した屋根があったので、わたしはそこに移動した。とはいえ、横殴りの風雨は避けようがないので、気休め程度の雨宿りにしかならなかったが、八重巴のように意味もなく雨を浴びる気はない。


「ところで、八重さん? 魔獣キメラは発見できましたか?」


 八重巴は屋上の中央で豪雨を身体を晒しながら、直立不動のまま、霞んだ犬歯山の尾根を眺めていた。何かを探しているようにも見える。

 標高差を無視しても、ここから尾根まで直線距離で軽く2キロ以上ある。わたしも視力には自信があるが、流石にこの距離とこの悪天候下では、動物の存在さえ見分けられないだろう。


「――鳳仙殿。ちなみに、鳳仙殿の索敵能力はどの程度じゃ?」


 そんなことを思っていると、ふと八重巴が振り向いて、何やら勝ち誇った笑みを浮かべた。わたしに対する挑発のつもりだろうか。不愉快な態度だった。

 わたしは内心の怒りは表情に出さず、スッと目を細めた。同時に、精神と肉体を集中させて、感覚を研ぎ澄ます。

 魔力を巡らせて感知領域を拡大すれば、この豪雨の中だろうと、50メートル半径に居る動物の呼吸音くらいは聞き分けが出来る。


「……そうですね。少なくとも、半径50メートル圏内に人が居ないことくらいは察せます」

「ほぉ? その若さで見事じゃ。明鏡止水を極めた達人の域かの? じゃが残念ながら、理外の域には達しておらぬの」

「――へぇ? それは失礼しましたね」


 カチンと来る言い回しである。わたしは声を固くして、睨み付ける双眸に殺気を篭めた。その殺気を流して、八重巴は不敵な笑みを浮かべながら言葉を続ける。


「鳳仙殿はまだ、魔力を纏わせる術を完全には修得しておらぬようじゃ。せっかくの才能が勿体ないかの。少しだけ儂がレクチャーして見せよう」


 八重巴は軍帽を脱ぐと胸にあてて、スゥ、と静かに息を吸った。途端、全身を撫で回されたような錯覚を味わう。八重巴の放った何らかの気に触れられたようだった。


「魔力は循環させることで、あらゆる限界を引き上げる。また、物質や肉体に纏わせることで、あらゆる性能を引き上げる。この特性を活用すれば、体内で魔力を循環させつつ、練り上げた魔力を纏わせることで、パフォーマンスを爆発的に向上させることが出来る――いまの儂を、魔力視してみると良い」


 言われるまでもなく、わたしは八重巴の全身を魔力視した。

 八重巴は、仄かに立ち昇るような薄い魔力を纏わせている。その魔力の質も量も、感覚的には虚空時貞の足元にも及ばないだろう。もしかすると、わたしよりも格下かも知れない。けれど、明らかに洗練されていた。

 八重巴が纏う魔力は一見して高密度と分かるし、身体全体が均一な膜状に包み込まれており、衣類のように安定している。


「魔力を纏わせる、と言うのは、ただ付与するのではない。纏わせるモノに魔力を留めて、余分な魔力の漏出を防ぐ技術じゃ。そうすることで、引き上げた限界まで性能を利用出来る。鳳仙殿は視たところ、魔力の循環は美しいが、纏わせるのが未熟のようじゃ。これがもっと熟達すれば、感知の精度も数倍に跳ね上がるかの」

「へぇ? それは、とても為になる助言ですね。参考にいたします――それで? 八重さんの索敵能力とやらは、わたしと比べてどれだけ素晴らしいのでしょうか?」


 わざと不愉快な言い回しをする八重巴に、わたしは苛立ちをぶつけた。先ほどから感じている全身を撫でられる不快感と、結論をぼかした喋り方が心底気に喰わない。

 八重巴はそんなわたしの怒気を平然と受け止めながら、自然公園の中央広場付近に視線を向けた。


「儂の索敵能力は、半径1キロ圏内じゃ。展開した儂の感知領域内に存在する全ての生物が、いまどういう状況か把握出来る――これが理外の域じゃ」

「……わたしが把握出来ないからと、適当を言っていませんか? 半径1キロ圏内など、出鱈目に過ぎます。人間の脳で処理し切れるはずがありません」

「甘い、甘い。考えが青いの――常識を超えておるからこそ、理外の存在じゃ。確かに、素の索敵能力が儂ほど高い者はほとんど居らぬが、異能持ちの中には、直径5キロ圏内を自らの領域として掌握しておる化物さえ居るぞ?」


 サラサラと信じ難い台詞を吐く八重巴に、わたしは、あり得ない、と首を振った。

 そんな広範囲の状況を把握するなど、土台人間には不可能だろう。それこそ思考を分割して、複数の並行処理が出来なければ脳内が正しく処理できず廃人になるに決まっている。

 わたしのそんな思考に、八重巴は苦笑だけ返して視線の先を指差した。


「――鳳仙殿は視えないかも知れぬが、いまあの場所で、クリエイター殿が結界を展開しておる。内側では、龍ヶ崎家の倅と、クリエイター殿の創造物が闘っておるようじゃ」


 わたしは指差された方向を眺める。しかし、視えない、との宣言通り、そこには平野が広がっているだけに思えた。

 騙されているのか、と一瞬疑うが、すぐに思い直して、ジッと目を凝らして魔力視を続ける。

 たっぷり一分間、八重巴が指し示した場所を眺めるが、かろうじて捉えることが出来たのは、微かに振るえる不自然な空気の振動だけだ。


「……何も、視えませんよ?」

「やはり、これも噂通りじゃの。鳳仙殿は魔術のイロハを知らぬようじゃ――結界を外から看破するのは容易ではない。儂は広げた感知領域で、直接アレに触れたので把握出来たがの。さて、それはそれとしてじゃ――儂らの目的もしっかり見付けておる」


 八重巴はクルリと背を向けて、犬歯山の登山口のうち、木々が生い茂っている場所を指差した。

 その登山口は確か、数年前の落石の影響で山頂への道が途切れており、いまは封鎖されているはずだ。時折、観光客が間違えて登ってしまう程度で、通行止めにされている道である。


「魔獣キメラは、あの奥の洞のような場所に、結界を展開して座っておるの。半分寝ているようじゃから、いまがまさに攻め入る好機じゃ」

「……洞? わたしは存じませんが、洞窟のような場所に隠れている、と言うことですか?」

「隠れているのは間違いないが、手前に水辺と滝があるようじゃ。恐らく、観光名所の一つ、細糸の滝かの? 厄介じゃが、水辺での戦闘になるかの」


 八重巴はそう言いながら、フッと魔力を霧散させる。途端、わたしの身体を無遠慮に触っていた不愉快な感覚が消える。


「それでは、行くかの? ここからであれば、トントンと五分程度で到着出来るじゃろ?」

「トントン、と言う擬音がよく分かりませんけれど――道なりに向かったのであれば、登山口に辿り着くのさえ、三十分は掛かるでしょう?」


 わたしは屋上から目的の場所を眺めて、至極当然の感想を嫌味たっぷりに呟いた。だがその嫌味を無視して、八重巴は流し目を向けた。


「崖を飛び降りて、真っ直ぐと向かえば良いのじゃ。さして苦はないと思うが?」

「……はいはい。苦はありませんし、準備運動代わりにはなりますね。けれど、道なき道を当然のように提案されるのは慣れませんね……」

「ふむ。存外、鳳仙殿は常識に縛られておるの。いや、違うか。儂が【人修羅】の伝説を知っておるが故に、特別そう感じておるのやも知れぬ――すまぬな」


 八重巴の素直な謝罪に、わたしはどこか侮られたと感じて腹が立った。しかし、そこで口答えしても仕方ないし、何より不毛である。

 ふぅ、と溜息を漏らしてから、わたしは八重巴と肩を並べた。


「わたしは生憎、犬歯山には登ったことがありません。だから、細糸の滝とやらも、どこにあるのか知りません。八重さん、申し訳ありませんけれど、先導してくれませんか?」

「おっと、それは重ねて失礼――それでは、案内しようかの。くれぐれもコケないよう、足元には気を付けるのじゃぞ?」

「ええ、八重さんこそ」


 そう言ってバチバチと視線をぶつけてから、八重巴は何の躊躇もなく展望台の屋上を飛び降りた。

 わたしもそれに遅れないよう、すぐさま飛び立つ。たかだか三階程度の高さを飛び降りることは、病み上がりでも恐怖さえ湧かない。ただしこの豪雨と強風が、思いのほか態勢を崩してくるので、足が滑りそうになることが少しだけ恐怖だった。

 そんな可愛らしい恐怖を感じつつも、先行する八重巴の姿を目で追う。

 先に飛び降りた八重巴は、強烈な横風にも何ら影響されず、軽やかな足取りで着地、そのまま柵を乗り越えて崖からも飛び降りる。ちなみに、崖下は垂直ではなく急斜面の岩場になっており、木々とゴツイ巨岩だらけで獣道もない。

 そんな急斜面を転げ落ちるでもなく、自由落下に脚力の速度を合わせた凄まじい疾さで、八重巴は風のように駆けて行く。重力を感じさせない足取り、音を鳴らさない不思議な歩法でもって、木の枝、岩場を足場としていた。

 灰色のロングコートをはためかせながら飛び跳ねるその姿は、ムササビが飛んでいるようにも見える。


「八重さんの歩法――あれほど洗練された動きは、とても勉強になりますね」


 必要最小限の動作、最適な体重移動、一瞬で足場状況を判断する思考力――それらが相俟って、水が高きから低きに流れるように流麗な跳躍、躍動を見せていた。

 そんな八重巴に見惚れつつ、置いて行かれないように、わたしは歩法飛天を駆使した。

 わたしの動きは八重巴と比べるならば、悔しいかな無駄が多かったが、速度は少しも劣らない。

 放たれた弾丸の如く真っ直ぐと、何もかもを蹴散らしながら疾駆した。

 そうして予想通りに五分ほどして、とうとう地上まで到達する。


「ほぉ? 鳳仙殿、ここで止まれ――気付かれたようじゃ」

「――っ、と。はい? 気付かれた?」


 文字通り飛ぶように駆けて、登山口の入口に着地した途端、ピタリと八重巴が足を止めた。

 数秒遅れてわたしも着地するが、勢いを完全には殺し切れず、少し不格好になった。咄嗟に巨木の枝を掴んで、無理やりにブレーキを掛ける。

 八重巴は静かに、登山口から続く道に顔を向けている。

 登山道は緩やかな上りになっており、遠目で見るよりもずっと多くの木々が生い茂っていた。木々のおかげで吹き荒ぶ豪雨が、登山道では若干弱まっている。しかし、豪雨と強風は良いとしても、逆に生い茂る木々のせいで、登山道はもはや夜である。ただでさえこの悪天候で薄暗いのに、陽射しが遮られていて、日中には思えない暗さだった。当然ながら山道なので、電灯の類は全くない。


「ふむ、想像以上に厄介かも知れぬの――身体の組成を変えておる。水辺に適した姿になるつもりかの?」


 一方、八重巴がしきりに感心しながら、無造作に登山道を進み出す。

 わたしに、止まれ、と言ったくせに、すかさず歩き出すとはどういう了見か――と、文句を口にしようと思ったが、グッと呑み込んで精神を集中させる。

 先ほど八重巴に指摘された『魔力を纏わせる』と言う技術を意識して、その場で周囲の気配を探ってみた。すると確かに、感知領域がより広がったのを自覚出来た。


「ウ、ヴォォオオ――――ンッ」


 距離感までは分からないが、雨音ではない水の落ちる轟音がしている付近から、不思議な鳴き声が聞こえてきた。同時に、ひどく朧気だが、その生物の大きさと姿かたちがなんとなく理解出来た。

 狼の遠吠えを思わせる低音で響くそれは、全長2メートル超で、触手のような腕を少なくとも八本以上は生やしているようだ。


「ほぉ? 感知領域を広げたか……先のアドバイスだけで、そこまで出来るとは、まっこと末恐ろしい才覚じゃの――さて、鳳仙殿。魔獣キメラは、儂らを待ち伏せしておるようじゃ。誘われるがまま、向かうとしようかの?」


 集中するわたしに振り返り、八重巴は登山道を指差した。

 わたしはそれに頷いて、深呼吸すると共に、全身に気合を入れ直した。


「魔獣キメラは、滝周辺を戦闘の場に選んだのですね……もはや濡れ鼠なので、水辺に抵抗などありませんからどうでも良いですけれど……」

「油断はせぬように、じゃ。環境に適合する特性があるとなると、攻撃パターンが大きく変わる可能性も高い――ああ、ところで、言い忘れておった。儂は鳳仙殿をサポートするが、直接、魔獣キメラとは闘わぬぞ? 儂が手を出してしまうと、あっという間に終わってしまうからの」


 八重巴の台詞に、わたしは怪訝な顔を浮かべる。


「……リハビリしたいわたしにとっては、単独で闘えるのは有難いですけれど……手を出さないのであれば、サポートとは、いかなる役割なのでしょうか?」

「ここまでの道案内も含めて、魔獣キメラの探知が主な役割じゃの。あとは適宜、助言もするし、戦略の相談にも乗るぞ? もしくは万が一、鳳仙殿が危険な状況になれば、儂が討伐するのも吝かではないかの」

「そう、ですか……万が一なぞあり得ませんけれど、わたし、八重さんの実力を見てみたいと思っていて……討伐が終わった後で結構です。わたしと手合わせして頂けませんでしょうか?」


 登山道を歩きながら、わたしは八重巴にそんなお願いをする。しかし、八重巴は首を横に振ってから、それは出来ない、と口を開いた。


「残念じゃが、イージス殿から『くれぐれも手を出すな』と、厳命が下っておる。じゃから、鳳仙殿とは遊びでも切り結ぶことは出来ぬ」


 八重巴はそんなことを言いながら、二又に分かれている道を迷わず左に進んだ。

 標識もないのに、確信めいた足取りである。恐らくいまのわたし同様、魔獣キメラの気配を頼りに歩いているのだろう。


「――じゃがもし、鳳仙殿が儂をその気にさせることが出来たならば、後日、闘う場を用意することは出来るかの? ちなみに、その気にさせるのは簡単じゃよ? 儂は結構な剣術フリークでの。見たこともない剣術や、面白そうな流派などを見ると、ついつい修得したくなるのじゃ。じゃから、鳳仙殿――いや、伝説の【人修羅】が振るう剣術には、いま少し興味を持っておる」


 どこか馬鹿にした風に笑いながら、八重巴は足を止めた。

 正面からは、豪雨が水面を打つ音と、それよりも大きな轟音が聞こえてきていた。見れば、数メートル先で道が開けており、奥には滝が見えていた。


「ここまで来れば、案内は不要じゃろ? 魔獣キメラの間合いは、半径10メートル前後と言ったところかの。滝壺周辺は全て間合いのようじゃ。気を付けよ?」

「――ええ。言われずとも、気を付けますよ」


 わたしは八重巴を追い越して、観光名所の一つと呼ばれている細糸の滝に足を踏み入れる。

 そこは砂利が敷き詰められた川縁であり、この大雨でだいぶ水嵩を増していた池である。滝の水量もかなり増水している様子で、窪地になっている滝壺周辺の池は、増水した水が溢れ出している。


「フォォ――ンッ……」


 そんな池の真ん中で、怪物がブヨンブヨンと胴体を揺らしていた。


「……なんて、不気味な姿……魔獣と言うのは、思っていたより、ずっと醜悪なのですね」


 わたしは思わず吐き気を催した。その怪物から漂ってくる臭いはドブのようで、外見はグロテスクの一言に尽きた。

 怪物――魔獣キメラは、胴体がゼリー状だった。

 土砂降りの豪雨を浴びてプルプルと震える胴体からは、十二本の触手が伸びており、その先端は池の中に沈んでいた。一方、その頭部は巨大な鮫で、脚部は触手とは別に生えており、蟹のような形状の十本脚をしていた。

 全長は3メートルを超えて、まだまだ膨らんでいるのが見て取れる。

 どうやら池の水と降りしきる雨を身体に吸収して、ゼリー状の胴体を大きくしているようだ。しかも、胴体が大きくなるにつれて、触手の数が増えていた。いままさに十三本になった。


「――無機質な気配、殺意も敵意もなく、何を考えているのか全く読めない相手……嵐は徐々に勢力を増しており、足場には水が溢れて、不安定で滑り易い。何よりも、相手が絶対的に有利な立地条件。さて、リハビリにはもってこいの逆境ですね」


 グロテスクな魔獣キメラの姿に不快感を覚えつつも、わたしは戦闘を愉しもうと、すぐに気持ちを切り替える。

 相対してもその強さが見えない不気味さはあるが、脅威度S級と恐れられるくらいだ。雑魚であるはずはなかろう。

 わたしは期待と共に、大きく息を吸って仕込刀を抜き放った。威圧に殺気を篭めて、魔獣キメラに鋭い視線を向ける。

 魔獣キメラはやる気がないのか、それとも何も理解していないのか。わたしの視線を前に、微動だにせず不思議な鳴き声を上げていた。


「まあ、良いでしょう。いざ、尋常に――――ッ!?」


 わたしはグッと腰を落として、掛け声と共に踏み込もうと前傾姿勢になった――瞬間、触手が脇腹を薙ぎ払った。

 反応すら出来なかった。

 わたしはあっけなく吹っ飛び、ドカンと豪快な爆音を立てながら、鋭い岩壁の手前に生えた大木の幹に激突した。


「――は、ははは……とっても、強い」


 鋭く突き出している岩壁に叩きつけられていたら、流石に一巻の終わりだったかも知れない。

 わたしはすかさず起き上がり、口元に笑みを貼り付けたまま魔獣キメラを見る。

 想像以上に、魔獣キメラは手強そうである。

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