第四夜/前編
ガチャリ、と病室の扉が開け放たれた。入ってきたのは、仏頂面をした高砂初穂――主任である。
「――おはよう、ございます。鳳仙さん? 朝から、何をやっているのです?」
「おはようございます、主任。ラジオ体操ですよ? 見て分かりませんか?」
点滴を腕に付けたまま、ベッドの脇で屈伸を繰り返すわたしを見て、主任は顔を引き攣らせる。化物、と声を出さずに呟いたのが見て取れた。
わたしはそれを称賛の言葉と受け取って、苦笑しながら背伸びをする。バキボキと骨が軋んで音を鳴らす。骨はまだ治っていないが、身体は想像以上に軽い。
「……検温と、採血しますよ」
「ええ。宜しくお願いいたします」
主任は言いながらベッドの脇に座り、わたしを手招きした。
「結局、前日までの天気予報は外れて、台風直撃ですね……外の様子はどうなんでしょうか?」
わたしはベッドに座って、検温をしてから腕を出す。体温は三十七度と微熱だった。
主任はわたしの世間話には一切答えず、無言のまま採血まで終わらせて、何か恐ろしいモノを見るような顔を浮かべた。
「あの……鳳仙さん。失礼ですけど、本当に、何か危ない薬とかやっていませんよね? 鳳仙さんの身体は、こんなにすぐ、起き上がって動けるようになる軽傷ではないはずなんですけど……」
「危ない薬なんて、勿論やってませんよ? 確かに軽傷ではありませんけれど、もうだいぶ治ってきたので、動くくらいは出来ます」
「……おかしいんですよ、それが……医師の先生も驚いてましたけど……回復が早い、って言葉じゃ説明できません……鳳仙さん、貴女、いったい何者なんですか?」
「――改造人間かも知れませんね?」
わたしは道化みたいに首を傾げたが、主任はそれを冗談とは思っていなかった。本気でわたしを改造人間か何かだと思っている。それほど怯えた瞳をしていた。
しかし、主任の恐怖はとてもよく理解出来る。正直、わたしもこの回復速度に驚いていた。
一昨日、昨日と、酸素カプセル状態にした病室内で、言われた通りにずっと睡眠を貪っていた。蓄積された疲労を堪えずに、ただただ寝て過ごしただけだが――結果、劇的に身体が回復したのである。
つい昨日、様子を見に来た医師がわたしの容態を見て、顎が外れんばかりに驚いていた。
ちなみに、ここまで劇的に効果が出たことは、神薙瑠璃も想定外だったようだ。わたしの回復を目の当たりにして、あり得ない、としきりに驚いていた。
(……とは言え、筋肉繊維と内臓疲労が回復しただけで、骨のヒビまでは治っていませんがね……まぁ、痛みは慣れたものですけれど……)
損傷した内臓はまだ完治していない。全身の骨もところどころ折れているし、ヒビも治っていない。だから動くだけでも骨が軋み、食事もまだ固形食は消化が厳しい。
しかし、ズタズタに引き裂かれていた筋肉繊維は、超回復という言葉では表せないくらいの速度でほとんど治りかけており、確実に前よりも強靭になっている自覚さえもあった。
それゆえに、恐らくいまのわたしは、平時と何ら変わらぬパフォーマンスを発揮出来る。これならば、予定されている魔獣討伐でも足を引っ張らないだろう。
「問題は――――神薙さんの許可が出るか、出ないか、ですかね」
「ん? 何が、どうしたの、綾女ちゃん? 許可って、何の話かしらぁ?」
物思いに耽っている間に、化物を見るような眼をしていた主任は早々に去って行き、入れ替わりで神薙瑠璃が病室に待機していた。
神薙瑠璃はわたしの傍らで、何食わぬ顔で本を読んでいた。
わたしはそんな神薙瑠璃にあえて聞こえる声量で自問して、スッと非難がましい視線を向ける。
今日はどうやら、わたしを終日監視するつもりのようだ。昨日までのように、酸素カプセル状態にした病室に独り放置してくれれば、いくらでも逃げ出せるというのに――厄介である。
「……綾女ちゃんが何を訴えたいのかは、まあ理解できますけど……まだまだまだ、綾女ちゃんが重傷なことに変わりないんですよぉ? もう少し安静に――」
「――せめて、十八くんを呼んではくれませんか?」
「はぁ……その調子なら、来週中には十八ちゃんと面会させられるかしらねぇ……けど、今日は無理よぉ。用事があるから、もうとっくに外出しているわ」
用事、と言う単語を強調して、神薙瑠璃はいまから動いても手遅れだ、と言外に告げていた。ハッキリ言わずに、わたしを諦めさせようとしている。
わたしは苦笑しながら、様子見をするつもりで、あえて追求する。
「外出するのは予定通りでしたか? わたし、こんな朝早くから向かうなんて聞いていませんでしたけれど?」
「……綾女ちゃんが、どこで、何の情報を、聞いたかは知りませんわよぉ。けど確かに、予定よりは早いかしら。なんでも連理ちゃんの進言と、先方さんの強い希望で、予定を早めて出発したのですって」
神薙瑠璃は軽い調子で答えてくれる。嘘が吐けないのか、吐く気がないのか、その素直な返事はわたしが知る情報とほぼ相違ない。間違いなく真実だろう。
実のところ、神薙瑠璃にこうして探りを入れているが、昨日夜、龍ヶ崎十八からメールが届いていた。
メールには、わたしの体調が回復しているのに顔を出せていないことに対する謝罪の言葉と、急遽予定が変わって本日朝早くから地方に移動しなければならない、ということが書かれていた。
結局、龍ヶ崎十八から直接は、脅威度S級の魔獣に関する話は聞けていない。わたしを心配して、あえて黙っているのだろう。だからこそ行先を告げずに、地方に移動と誤魔化した書き方をしている。
(まぁ、わたしは九鬼さんから、『一柱市に魔獣が出た』と聞いていますから、困りませんけれど……問題はどうやって、ここから一柱市に向かうか……ですね)
わたしが沈黙して物思いに耽っていると、ふいに神薙瑠璃がわざとらしく手をポンと叩いた。
「ねぇ、ところで、綾女ちゃん。綾女ちゃんって、魔力親和性がとっても高いわよねぇ……私、ここまで親和性が高い人を見たのは初めてよぉ? こんなに親和性が高いと、色々と大変じゃないかしら?」
「…………魔力、親和性?」
唐突に話しかけられて、わたしはキョトンと首を傾げた。耳馴染みのない単語が聞こえて、咄嗟には意味が分からなかった。
「ええ、そうよぉ。魔力親和性――」
「――親和性の本来の意味をそのまま使うならば、わたしは魔力と結びつきやすい性質を持っている、ということでしょうか?」
神薙瑠璃が何か説明しようとしたのを遮って、わたしは悩まし気な顔で訊ねた。
「……厳密には、違うけど……解釈自体はそう間違ってはいないわねぇ……けど、綾女ちゃん、ずいぶんと博識ねぇ。親和性って単語をよく知って――」
「――ちなみに、魔力と結びつきやすい性質、というのは具体的にどういう意味ですか? 大変、とも仰いましたが、魔力親和性が高いと、いったいどのようなデメリットがあるのでしょうか?」
わたしの興味が引けたことに満足気な笑みを浮かべた神薙瑠璃に、すかさず被せて問い掛ける。興味は確かに持ったが、だからと言って、その魔術談義で時間を潰すつもりは毛頭ない。
「……焦らなくても、詳しく説明するわよぉ。魔力親和性とは――魔力にどれだけ影響されやすいか、を指す言葉なのよぉ。この親和性が高いと、外部もしくは内部から与えられる魔力に対して、影響を受けやすいわぁ……だからきっと、私の魔力を浴びて、急激に綾女ちゃんが回復出来たのだと思うのよぉ」
もったいぶった言い回しで語る神薙瑠璃に、わたしはスッと目を細めて睨みを利かせる。
「……はいはい。分かってまぁす。あのね? 親和性が高いことのメリットは、肉体強化系の魔術がコスパってこと。少しの魔力で、大きな恩恵を受けることが出来るわ。ほかにも、回復系の魔術治療でも、今回のように劇的な効果が出たりもするわねぇ――逆に、デメリットは単純よ。攻撃魔術とか、魔力による弱体化、催眠、幻影系の魔術などなど、様々な魔術が肉体に与える効果が大きくなるのよぉ。ゲームとかを例にすると、効果は抜群だ、とか、魔術攻撃に弱い、って状況かしら?」
「なるほど――ゲームの例えは、わたしには理解し難いですけれど、おおむね理解しました。先日、ちょうど講義いただいた抗魔力とは別の要素ですね」
「あらあら、本当にとっても優秀なのねぇ――小学生の頃の連理ちゃんみたい……」
誉め言葉だろうとは思うが、こんなことで九鬼連理と比べられると少し不愉快だった。
ともあれ、わたしは納得した顔で頷き、さてどうするか、と思考を切り替える。こんな下らない問答で時間稼ぎされると困ってしまう。
見れば窓の外は、曇天から本格的な雨模様、完全な暗雲に変わっていた。
まだ朝だと言うのに太陽が分厚い雲に隠されて、パッと見た限りでは夜と見紛うばかりだった。風も徐々に強くなっている。
この調子だと、昼頃には期待通りに台風が街中を吹き荒れることだろう。魔獣との戦闘も困難になること間違いない。わたしも参戦したいのだが、神薙瑠璃を出し抜く方法がまだ思いつかないでいる。
「……ねぇ、綾女ちゃん。台風が気になるのは分かりますけど、安静にしててくださいねぇ? この調子だったらきっと、今日あたりから御粥とか出せそうなのよぉ」
「食事は別に――点滴で充分栄養は補給出来ていますよ。だからむしろ、ここまで回復したので、是非、リハビリに外出させて頂きたいのですけれど?」
「はぁ……その手の要望は、安静からは程遠いので許可できませぇん!」
神薙瑠璃が子供じみた声を上げながら、手元の本に視線を落としていた。一見すると隙だらけに見えるが、本を読みながらもわたしへの警戒は怠っていない。陣取っている位置も絶妙で、わたしが逃げようと動き出しても、すぐに対応するつもりでいる。
「――あら?」
その時ふと、音もなく病室のドアが開く。何者かが近付いている気配は感じていたが、それが誰かまでは分からなかった。
果たして現れたのは、九鬼連理とコスプレイヤーにしか思えない軍装をした女性だった。
女性は、白い軍帽を目深に被り、白い軍服に革製の軍靴、灰色のロングコートを羽織っている。漆黒を思わせる黒髪は腰元まで伸びるほど長く、怜悧な表情と鋭い眼差しが威圧感を放っていた。
その印象を一言で言い現わすのであれば、軍服の雪女だろう。氷の空気を放つ麗人である。
「ん、あらあらあら、連理ちゃん? どうしたのぉ?」
「おっす、瑠璃先生――んで、調子どうだよ、市松人形ちゃん?」
九鬼連理は値踏みするような上から目線でわたしを眺めて、気力が充実しているのを見て取った瞬間に、フッと鼻で笑った。不愉快極まる態度である。
一方で、連れている軍服の雪女は、青白い双眸をわたしに向けて、ほんの一瞬だけ挑みかかるような鋭い殺気を放ってきた。
思わずわたしは、ゾワリと全身の毛を逆立てた。素敵な殺意だ。応戦すべく全身に気力を漲らせる。
「……噂通り、じゃの。凄まじい気迫じゃ。これは期待できそうかの」
「ハッ! どんな噂なのか、是非とも聞きたいね……けど、ま、それは置いといて、とりあえずアンタの紹介が先、ですかね?」
「宜しく頼むぞ、九鬼連理殿」
「――ねぇ、連理ちゃん? そちらの方は?」
わたしが愉しそうな笑顔を浮かべていると、驚いた表情で椅子から立ち上がった神薙瑠璃が、警戒心あらわに軍服の雪女から距離を取っていた。どうやら神薙瑠璃の知り合いでもないらしい。
九鬼連理は呆れた顔で頭を掻いてから、後ろ手に腕を組んで直立不動する軍服の雪女を紹介した。
「此方の方は、異端管理局からお越しくださった八重巴さんだ。今回、脅威度S級の魔獣を討伐するに際して、オレらに手を貸してくれるんだとさ――んで、市松人形ちゃんよ。調子はどうだい?」
九鬼連理がそう問いながら首を傾げると、すかさず言葉を継いで、軍服の雪女――八重巴が一歩前に進み出てから口を開いた。
「鳳仙綾女殿。儂は、異端管理局、日本支部の円卓六席に座する者じゃ。コードネーム・オフィサー。此度の来訪は、円卓一席イージス殿からの依頼でもあっての――やる気があるならば、是非ご同行をお願いしたいが、どうじゃ?」
わたしは、何を言っているのか、と半信半疑の視線を九鬼連理に向ける。神薙瑠璃も気持ちは同じようで、どういうことか、と九鬼連理を凝視している。
九鬼連理は肩を竦めてから、これ見よがしの溜息を吐いていた。
「……九鬼さん。これはどう解釈すれば宜しいのでしょうか? わたしは、この八重さんと一緒に、魔獣討伐に向かって良い、のでしょうか?」
「え、え、ええ!? ちょっと、駄目よぉ、綾女ちゃん……連理ちゃん、どゆことよぉ!?」
「九鬼連理殿――申し訳ないが、部外者には退出をお願いしたいのじゃが、可能かの?」
八重巴の要望に、はいはい、と九鬼連理は頷いた。
「悪ぃね、瑠璃先生。オレらはもうこの辺で戻ろうぜ? 詳しい話は本部で説明するからよ――ああ、ちなみに、残念ながらこの件は虎姫が了承してる。だから、オレらは素直に引き下がるしかねぇぜ」
「え!? ちょ、そんな!? どうして秋姫ちゃんが許可してるのぉ!?」
「そこんとこも詳しく説明してやるっての――そんで、市松人形ちゃんよ。調子はどうだい? ま、聞かなくても、さっきの一瞬で理解はしたけどよ。護国鎮守府としての立場もあるから、回答が欲しいんだが?」
九鬼連理のそのおざなりな質問に、わたしはベッドから軽やかに飛び上がった。点滴を外して、グッと屈伸をして見せた。
「御覧の通りです。もう戦闘においても、申し分なく立ち回れます――宜しいでしょうか?」
チッ、という舌打ちだけ残して、九鬼連理は駄々をこねている神薙瑠璃を引っ張り、病室を出て行った。それはフリではなく、完全に監視を外したようだ。
廊下を見ても誰も居なくなっていた。
病室にわたししか居なくなったのを確認して、八重巴は軍帽を脱いで胸にあてる。いちいち堅苦しい振舞いだが、堂に入っていて様になっていた。
「鳳仙綾女殿。改めて、名乗らせてもらおう。儂は八重巴じゃ。円卓六席に座する者、与えられたコードネームはオフィサーじゃが、なんと呼んでくれても構わん。此度は、鳳仙綾女殿が軟禁されている、と円卓七席ドクター殿から聞いての。それを知った円卓一席イージス殿が『恩を返してくれ』と、珍しくも依頼をしてきたのじゃ。じゃから、超越権限を利用して儂がこうしてやってきたのじゃ」
「……円卓七席、ドクター? 七席、と言うと……嗚呼、なるほど。であれば、円卓一席イージスと言うのは、天桐・リース・ヘブンロードさんのことでしょうか? ふふふ……敵に塩を送る、とはこのことですね」
半ば確信しながらも、形だけの質問を投げた。ちなみに、円卓七席ドクター、とは柊南天のことである。
わたしは柊南天のさりげない気遣いに感謝しつつ、天桐・リース・ヘブンロードの不要な気遣いに若干腹を立てた。けれど、そんな内心の葛藤はおくびにも出さず、笑顔を浮かべた。
そんなわたしの笑顔を冷たい表情で一瞥して、八重巴がサラリと続ける。
「――鳳仙綾女殿。悪いが、円卓に座す者の名前を、不必要に口にしないでくれないかの?」
「あら、それは失礼しました。以後気をつけますね」
わたしは悪びれもせず、笑顔のままスッと頭を下げた。八重巴はそれ以上追求せず、さて、と話を続ける。
「それでは早速、これからすぐ魔獣討伐に向かいたいのじゃが、準備は必要かの?」
「……準備の時間を頂けるなんて、感謝ですね。ありがとうございます。いくらなんでも、この病院着では恥ずかしいので、着替える時間だけ頂けますか?」
「勿論、その程度は待とう――ところで、鳳仙綾女殿は凄腕の剣士だと聞いとるが、獲物はどこじゃ?」
わたしが病院着を脱ぎ捨ててクローゼットにある私服に着替え始めると、八重巴が病室内をキョロキョロと見渡していた。
「獲物――わたしの刀ですか? そこに立て掛けてある杖状の仕込刀がそうですよ?」
「なに? これが、あの【魔女殺し】かの?」
ただの杖と勘違いしていたようで、八重巴はわたしの仕込刀【魔女殺し】を完全に見落としていた。
それを指摘すると、まさか、と瞳を大きく見開いて、恐る恐ると手を伸ばしていた。
そんな八重巴の怪しい態度を見て、わたしは下着姿のまま、仕込刀に触れようと伸ばした腕を掴んだ。
普段であれば気にも留めないところだ。別に触れても構わないものである。だが、何やら神妙な顔をした八重巴が怪しすぎたので、思わず止めてしまった。
「――わたしの仕込刀が、何か?」
「そう警戒しないでくれ。こう見えて、儂も剣士なのじゃ……じゃから【人修羅】が振るったと言う最上大業物――【魔女殺し】を、せっかくなので拝見させて欲しいと思うての」
八重巴はそう言いながら、わたしの腕を振り払う。
他人のことなど言えないが、軍装をした二十歳前後の容姿の八重巴は、とてもじゃないが剣士には見えなかった。懐から拳銃でも出てきそうな雰囲気である。そもそも刀剣の類を所持していない。
わたしは八重巴としばし睨み合った。互いに真っ直ぐと視線をぶつけ合う。
「わたしが【人修羅】だと、ヘブンロードさん――失礼。円卓一席イージスでしたか? そのイージスさんから聞いたのでしょうか?」
「いいや? じゃが、いまのやり取りで確信はしたかの。何、他愛もない噂じゃよ。裏社会、とりわけ理外の存在たちが話している噂で、つい最近、伝説と謳われた暗殺者【人修羅】を自称する女子高生が現れたと言う。その女子高生が護国鎮守府に所属した、ともまことしやかに噂されておる――護国鎮守府に最近所属した女子高生なぞ、鳳仙綾女殿しか該当しなかったからの。消去法でカマかけしただけじゃ」
「そうですか……視るだけなら、別に触れても宜しいですよ」
わたしは八重巴から視線を切って、着替えを続けた。すると八重巴は、ふたたび仕込刀に手を伸ばして、慣れた仕草で刀を抜き放った。
刃を寝かせて反り具合を確認したり、刃文を舐めるように眺めている。
「なんと綺麗な直刃じゃ。しかも、凄まじく美しい刀身をしておる――同時に、ここまで恐ろしい怨念と呪詛が宿っている刀を、儂は今まで見たことがないかの」
誉めているのか貶しているのか、よく分からない説明を口にしながら、八重巴は興味津々と仕込刀を観察していた。
それを横目に、わたしはラフな私服に着替える。一応、びしょ濡れになっても身体が冷えないよう、インナーはヒートテック素材である。
「お待たせしました――ところで、何点か質問しても宜しいでしょうか?」
「何じゃ?」
「一つ目、わたしのパートナーである龍ヶ崎十八くんが、先行して魔獣討伐に向かっているようですが、十八くんとは合流出来るのでしょうか?」
「十八くん? それは誰のこと――ああ、クリエイター殿……円卓三席と組んでいる少年、龍ヶ崎家の倅のことかの? そうであれば、残念じゃが合流はしない。儂らは儂らで、別行動じゃ」
「……円卓三席? 組んでいる? どう言う意味でしょうか?」
さりげなく聴き逃せない台詞を吐きながら、八重巴は仕込刀を納刀すると、わたしに手渡してくる。
「そのままの意味じゃ。クリエイター殿はいま、新たにS級危険人物に認定された龍ヶ崎家の倅と行動を共にしておる――今回、儂とクリエイター殿は、魔獣討伐のサポートを命じられておっての。本来であれば、龍ヶ崎家の倅が討伐するのを見守り、失敗した際には儂らで討伐する役割じゃった。ところがクリエイター殿はそんな段取りを無視、独断で龍ヶ崎家の倅を唆して、儂を置いて魔獣討伐に向かいおった。クリエイター殿は実力に問題はないが、ちと性格に問題があっての……下手をすると、龍ヶ崎家の倅を壊しかねん。じゃから、鳳仙綾女殿を助けるのも兼ねて、儂がこうしてやってきたのじゃ」
「……壊しかねん、とは、どう言う意味です?」
わたしは鋭い殺気を放って、ギラリと睨み付ける。八重巴はフッと笑って軍帽を被る。
「クリエイター殿の厄介なところは、鳳仙綾女殿と似た性格をしておることじゃ――端的に言えば、戦闘狂での。確実に討伐出来る魔獣なぞより、龍ヶ崎家の倅に興味津々なのじゃ。龍ヶ崎家の倅がどれだけの実力か、試したくて仕方ないようじゃよ」
「……へぇ? それはそれは、非常に不愉快な言い方ですね」
「まぁ、そう怒るな――儂らはクリエイター殿の暴走を止めるために、サッサと魔獣討伐を果たそうという訳じゃ。クリエイター殿は戦闘狂なれど、命令には忠実じゃからの。魔獣討伐が為された後は、流石にもう護国鎮守府には絡まぬ」
八重巴がクルリと背を向けて、わたしから目を逸らす。立ち居振る舞いがいちいち決まっていて、本職の軍人にしか思えない。
わたしはサッと髪を梳いて身だしなみを整えてから、八重巴の隣に立つ。お待たせしました、と呟き、病室を出る。
廊下には、監視役の神薙瑠璃はおろか、人っ子一人いなかった。それこそ看護師や医師の歩く姿さえ見えない。だいぶ人払いしたようだ。
「ああ、ちなみに。今回討伐する魔獣の個体名が決定しておる。個体名は『キメラ』じゃ」
わたしの後から病室を出て、音もなく歩き始めた八重巴が小声で囁いた。そんな八重巴に付き従いながら、わたしは同じくらいの小声で返す。
「……ギリシャ神話の怪物、ですね。ライオンの頭部、山羊の胴体、蛇の尻尾を持つ獣、でしたか? 口からは火炎を吐く歪な姿の怪物……」
「ほぅ? だいぶ詳しいの。そうじゃ。じゃが生憎、この魔獣は、鳳仙綾女殿の思うような姿かたちはしておらんかの。個体名の由来は、肉体が継ぎ接ぎだらけの怪物だから、じゃ。観測された最新の情報では、頭部は獅子、胴体は鱗を持つ水牛、脚部が熊で二足歩行、尾が七つありいずれも鋼の分銅になっておるようじゃ。しかしながら、現れるたびに肉体が変質していて、姿かたちが一定ではない。それゆえ、合成獣と言う意味合いで『キメラ』と呼称が決まったのじゃ」
「へぇ、それはそれは――愉しめそうで何よりです」
「ふむ。愉悦を感じる内容は伝えていないがの。まぁ、噂通りの戦闘狂と言うことかの」
リハビリにちょうどいい、と呟きながら、階段を下りて行く。無論、病院の階段を下りることが、ではなく、魔獣と言う畏形との闘いこそがリハビリだ。
わたしと八重巴は病院のロビーを抜けて、病院内にある私設のタクシー乗り場の列に並んだ。
外は既にバケツをひっくり返したような土砂降りになっている為、タクシー待ちのお客さんは多かった。
ここからだとバスも運行しているものの、バス停は屋根がないので誰も並んでいなかった。
ちなみに、八重巴の格好は明らかに病院に場違い過ぎて、タクシー待ちのお客さんは全員、我が目を疑った後、好奇の視線を向けていた。
病院内でもひたすらビジュアルが目立っていたので、隠密行動には向かないな、としみじみ思った。せっかく、軍靴を音も出さずに歩く歩行術と、存在感と気配を消し去る隠遁術があるのに、勿体ないことこの上ない。
「そういえば、鳳仙綾女殿は魔獣がどこに居るのか存じているかの?」
目立つ格好の八重巴と並んでタクシー待ちをしていると、ふいに視線を向けず質問された。わたしはその質問に首を捻りながら、知っている範疇だけ答えた。
「一柱市のどこか、と聞いていますけれど――場所が判明しているのでしょうか?」
「犬歯山周辺でたびたび観測されている。じゃから、まずは麓にある自然公園に赴く予定じゃ。途中で、美味い店があれば昼食を頂くつもりかの」
「……申し訳ありませんが、昼食は諦めて頂けませんか? わたしはまだ固形食は控えたいですし、そもそも一秒でも早く魔獣と相対したのですけれど?」
八重巴が携帯電話で周辺の飲食店を調べているのを見て、わたしは呆れた顔でツッコミを入れた。真剣な表情と真面目な声音で、随分とふざけた台詞を吐くものだ。
わたしのツッコミに、八重巴は目を細めて非難がましい表情を浮かべる。
「鳳仙綾女殿。戦の前には腹ごしらえが大事じゃ。少なくとも儂は、まだ朝食も摂っておらぬ。じゃから――」
「――鳳仙、とお呼びください。いちいちフルネームを言われるのは、不愉快です。ついでに、朝食を摂っていないのは、わたしの知ったことではありませんよ? 時は金なり。昼食はコンビニエンスストアで済ませましょう?」
「……現代っ子じゃの」
八重巴の良く分からないその台詞に、わたしは眉根を寄せて首を傾げる。言うほど、八重巴の年齢は年上ではないだろうに。
「だいたいですよ、八重さん。八重さんのその軍服は目立ち過ぎます。申し訳ありませんが、その格好で飲食店に入るのはご遠慮頂きたいですね」
ちょうどタクシーがわたしたちの番になって、乗り込みながらそんな文句を口にする。タクシーの運転手も八重巴の軍装を見て、露骨にギョッと目を見開いていた。
しかしそんな視線を全く物ともせず、八重巴は助手席に乗り込みながら反論する。
「儂が目立つのは仕方ない。慣れれば気にならぬ。それに、いざという時に、最も動き易い格好でなければ意味がないじゃろ? 儂はこの軍装こそがフォーマルじゃ。他人にとやかく言われる筋合いはないわ」
「……ああ、そうですか」
とりあえず一柱市の自然公園入口まで、と運転手に告げて、八重巴は窓の外に視線を向ける。
わたしも一旦、後部座席でリラックスしながら、身体の調子を確かめる。魔力を巡らせつつ、内功を意識して調息する。
(さて、ほぼ万全ではあるものの、今回、修羅之位は封印しますか……骨の治りが遅くなってしまいますからね……)
わたしは八重巴とは反対の窓に顔を向けて、流れる景色を眺めた。
土砂降りの雨は窓ガラスを横殴りに叩き続けており、白いカーテンが引かれているようだった。見渡す限り、街中には歩行者は居らず、走っている車の量も少ない。
この凄まじい悪天候の中で、魔獣との激しい闘いをしなければならないことを思って、わたしは思わず口元がにやけるのを自覚していた。




