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外道に生きるモノ  作者: 神無月夕
第五章/円卓に座るモノたち

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第三夜

 

 わたしは廊下から近付いてくる足音に反応して、自然と目を醒ました。寝起きとは思えないくらいに思考は鮮明で、しかもすっかり眠気もない。

 スッと視線を窓の外に向けて、それから病室に備え付けられたデジタル時計を確認する。

 日付は七月二十一日、金曜日。時刻は、朝七時十五分。窓から見えた太陽の高さも間違いない。


「……主任、ですね」


 わたしは相変わらずの時間通りさに感心しつつ、その足音が誰なのかを確信する。ここ二日で聞き慣れた足音だ。気配も間違えようのない。


 ペタペタペタ――と、気配を消すこともせず、足音を隠す技術もない歩き方で、音の主は、わたしの居る病室の前で立ち止まった。

 コンコンコン、と乾いたノックがする。それに遅れて、小さな音量で、起きてますか、と訊ねる声が聞こえてくる。


「今起きましたよ――どうぞ」


 わたしは三日連続の同じ台詞を吐いて、上半身を起き上がらせる。


「失礼します――おはようございます。鳳仙さん」

「ええ、おはようございます。主任」


 病室に入ってきたのは、この虎尾総合病院で勤務している看護師の一人で、御年四十を数える高砂(タカサゴ)初穂(ハツホ)看護主任である。ちなみに高砂初穂――主任は、VIPルーム患者に対する朝の検温と採血の担当で、護国鎮守府とは全く関係ない一般人だ。


「毎朝、早起きですよね、鳳仙さん。今日の体調はどうですか?」

「すこぶる良好ですよ。今日あたりは、リハビリ施設で運動したいな、と思っております」

「え――あ、え、ええ? そ、それは、まだ早すぎるんじゃないかなぁ?」


 わたしのニコリとした笑顔に、主任は顔を引き攣らせた。だが、すぐさま冗談だと捉えたようで、アハハ、と乾いた笑いをしつつ、慣れた仕草で検温、採血の順番に手を動かしていく。

 冗談ではないのだが、主任のような一般人からするとそう思っても仕方ないだろう。

 実際、わたしの身体は、いまもって重篤な状態に他ならない。内臓の大半は損傷しており、全身の骨はヒビが入っている。筋肉繊維がズタズタなのも変わらずで、体温もずっと三十八度近くで安定している。むしろこれで平然としているのが不思議でならないはずである。

 それでも三日前と比べたならば、この体調は雲泥の差だった。今のわたしならば、ほんの少し無理をするだけで、十全のパフォーマンスで動けるだろう。


「……ええ、と……うん。まだ少し発熱がありますね……」


 主任は渋い顔で体温計の数字をボードに記入していた。そのまま流れる動作で採血をして、点滴の付け替え、部屋の整理整頓、簡単な清掃をすると、用事は済んだとばかりに病室を出て行く。


「安静にしていてください。何かあればナースコールを」


 そうして、ここ三日続く朝の日課となった一幕が終わりを告げた。

 わたしは疲れたように溜息を漏らしてから、この後にやってくる次なる闖入者に身構える。

 お決まりとなった青髪の闖入者はすぐさま現れた。


「おはよぉございまぁす、綾女ちゃん。今日もお加減如何かしら?」


 音も気配もそれこそ魔力の揺らぎすら感じさせず、青髪の闖入者――神薙瑠璃が病室のドアから顔を出してくる。


「調子はすこぶる良好です。だからサッサと、十八くんを呼んできてくださいませんか?」

「残念ですが、それは許されませぇん……あのね、綾女ちゃん。元気そうに振舞ってても、綾女ちゃんの容態は少しも軽傷じゃないわ。私の眼は誤魔化せませんよ」

「――それでは、いちいちわたしに確認しないでくださいませんか?」


 神薙瑠璃の双眸がうっすらと魔力を放った。

 魔力視でわたしの身体を精密検査でもしたのか――聞いた話だが、魔力視を極めたうえで適性もあれば、魔力の流れを視るだけで対象の肉体状況を把握出来るらしい。

 わたしはそこまでの領域には達していないが、神薙瑠璃はその領域に達しているらしい。とても優秀である、と言う自画自賛を嫌というほど聞いている。

 わたしは不愉快そうな顔で吐き捨てて、備え付けのテレビを点けた。


「……それじゃあ、今日は何を教えようかしら? 理外の世界初心者の綾女ちゃん、何か希望はあるかしら?」


 神薙瑠璃はまるで昨日と一昨日の繰り返しのように、全く同じ台詞、同じ流れで、壁際に退かされていたパイプ椅子を組み立てて座った。


 このくだらないやりとりが始まったのは、つい二日前からだ。

 龍ヶ崎十八が何者かに襲われた翌日――二日前の朝から同じ時間帯になると、必ず神薙瑠璃が来訪するようになったのである。事情を聞くとどうやら、わたしを監視する役は、神薙瑠璃が専属になったからだそうだ。さらにはこのタイミングで、龍ヶ崎十八が治癒に来なくなった。

 護国鎮守府は、わたしの治癒と監視に龍ヶ崎十八を絡ませない判断を下したらしい。

 理由は単純だ。端的に言えば、わたしという新米よりも、龍ヶ崎十八の方が大事だから、である。

 重傷のわたしを治癒する代償に、龍ヶ崎十八は寿命を削っている。互いの重要度を天秤に掛けた時、そこまでしてわたしの治癒を優先する理由がなかったらしい。それは当然の判断だろう。どんな貢献が出来るのか不明なわたし如き新米に対して、護国鎮守府の幹部である龍ヶ崎十八が己の命を削ってまで治癒を施すのはあまりにも問題である。

 また同時に、わたしが理外の存在全般における知識不足だと判明していることから、神薙瑠璃が家庭教師役も兼務して監視役を買って出たとのことだった。

 しかしこの家庭教師役は、有難迷惑極まりなかった。実戦に役立つ知識があれば歓迎だが、神薙瑠璃の語る知識は、ほとんどが歴史の話ばかりだったのだ。とてもじゃないが、実戦に応用できる気がしなかったのである。

 それ故に聞いていて退屈でしかならず、わたしはここ数日、嫌がらせのような精神的苦行をうけさせられている。


「ねぇ、綾女ちゃん。希望はないかしら? ないのでしたら、今日もまた魔術史について、昨日の続きから進めますわよ?」


 神薙瑠璃のその問いに、わたしは横目で一瞥して、テレビから流れる天気予報を眺めた。その態度に、神薙瑠璃は、もう、と不貞腐れた顔を見せる。


「分かりました。じゃあ、昨日の続きを――」

「――神薙さんは、わたしの希望を聞き入れてくださったことがありましたでしょうか? 聞き入れても頂けない希望を口にするのは無意味では?」


 視線を向けずにピシャリと言い放つ。それに対して、神薙瑠璃はニコリと笑顔を浮かべた。


「あらあらあら。そんなこと言わないでくださいませ。聞き入れてもらえないも何も……無理な希望は当然叶えられませんよ? ちなみに、希望ってなにかしら?」

「十八くんをわたしの治癒に戻すか、Dr.ホーリーを呼んできてください」

「……ほらぁ、やっぱり。それは無理ですぅ。と言うか、どんな内容を勉強したいかって希望を聞いてるのに、見当違いの希望を言われちゃうと困りますわぁ」


 神薙瑠璃は呆れた顔で溜息交じりに呟いて、手元に持つ分厚いハードカバーの本を開いていた。それは歴史書ではないが、魔術書の類であると聞いている。講義の内容はほとんどが、その本に記載された内容を読み上げることで行われていた。

 わたしは神薙瑠璃の溜息に舌打ちを返して、天気予報で流れている不穏当な台詞に意識を向ける。

 予報士の説明では、海上で発生した台風五号は急成長しつつ、ゆっくりと日本に近付いているらしい。このままの速度と進路だと、二日後の夜にちょうど直撃するようだ。


(……魔獣討伐の決行日にドンピシャリですけれど……どうなることやら……)


 予報士は、高確率で明日には温帯低気圧になるだろう、と語ってもいるが、あまり当てにしていない。この予報士が台風情報を的中させたことは、実のところ一度もない。まあ、十中八九、大雨の中での魔獣討伐となるのだろう。

 わたしは、台風が来てもリハビリに丁度良い逆境か、と前向きに考えて、ふと思いついた。


「――えと、昨日は確か、四象の魔女の生い立ちまで説明したかしらね。だから、今日はこの『四象(シショウ)』について詳しく――」

「希望、ありました。魔獣(マジュウ)という存在に関して、ご教示頂けないでしょうか?」

「――あ、ええ? 魔獣?」

「ええ。魔獣という理外の存在について、詳しくお聞きしたいです」


 天気予報が切り替わり、直近で発生した交通事故の情報が垂れ流され始めた報道番組に見切りをつけて、わたしはテレビの電源を切った。神薙瑠璃に顔を向けると、意外だ、と目を見開いて驚いていた。

 神薙瑠璃はその表情のまま、どうしようか、と悩ましげに首を傾げて、ハードカバーの魔術書をパタンと閉じた。


「魔獣……魔獣ねぇ……そうですかぁ……詳しく、かぁ。専門外ですけど、そうですねぇ――」


 なぜか言い淀みながら、専門外と前置きをしつつも、意を決して口を開く。すると、直前までに悩ましげな態度は何だったのか、神薙瑠璃からは非常に流暢な説明が語られた。


 魔獣――その概念としては、内在魔力を持ち、生命の定義を満たしており、個で意思決定を行うことが出来て、一代限りで消滅する【破壊者(ハカイシャ)】を指すらしい。ちなみにこの破壊者とは、魔女ではない理外の存在を示している。

 また、その特徴の一つ『一代限りで消滅する』と言われている通り、魔獣は繁殖しない。自然死もせず寿命もないようだ。

 発生経緯と条件、個体性能、形態なども全ての個体で異なり、発生傾向さえもパターン化することは出来ないが、唯一共通しているのは、生命を持つ存在を喰らう特性があることらしい。なぜそんな特性を持っているのか、理由は不明だが、それゆえに破壊者とは、生物全てにとって百害あって一利なしの存在と言われている。

 魔獣は突然、何の前触れもなく発生する天災に等しい。発生したが最後、周囲はただただ脅威に巻き込まれてしまう。ただし、天災よりもずっと厄介なのは、この魔獣という存在が、意思決定が出来る知性を持っていることである。

 魔獣の思考回路、優先事項は、個体それぞれに全く異なる。

 欲望に従って周囲の生命体を食い荒らす個体が居る一方、少数の個体を注意深く狙いつつ、永く永く狩りを続ける個体も居る。稀に、捕食をせず存在し続けることを目的とする個体まで居る始末だ。それほどに魔獣ごと性格と思考パターンが違うらしい。そしてこの違いこそが、魔獣の厄介な特性である。

 欲望に忠実な個体ならば討伐は容易だが、隠れる性格を持つ個体の場合、まず発見に時間が掛かる。狡猾な魔獣だと、百年に亘って姿を隠して生物を食い散らかし、脅威度SSに至った個体も居たと言う。


 そこまでの説明を聞いて、わたしはふと、魔獣の強さに疑問を持った。神薙瑠璃の説明では、魔獣が厄介であることは伝わるものの、討伐できないという印象はなかった。どれほど強力な個体でも、大前提、発見さえできれば討伐出来るように聞こえた。


「あの……質問です。その魔獣の強さは、どうやって判断しているのでしょうか?」

「強さ? 強さ、って言うと、倒しにくさ、みたいな判断基準を想像していますか?」

「ええ。例えば脅威度とやらは、どれだけ生命を喰らったか、その被害状況で変わると認識しました――だとすると、強くなくとも、発見し難い魔獣は脅威度が高いのでしょう? 強い、手強いとは別ですよね?」

「ああ、なるほど。そうですねぇ――確かに、綾女ちゃんの指摘はもっともかしらね。けれど、強さの判断基準も、脅威度で見分けてますわぁ。人間に対して使用している危険度って指標と同一ですからねぇ。つまり脅威度が高い個体は、手強いって判断されていますわ。ちなみに、この脅威度も危険度も、異端管理局が認定している指標ですわよぉ」

「へぇ――異端管理局とは、確か……裏社会の倫理機関、世界政府のような中立組織、でしたか?」


 わたしはどこかで聞いた説明を口にする。それを聞いた神薙瑠璃は、顔を輝かせて頷いた。


「あら、お詳しいわ……はい、そうです。けどより正確に言えば、護国鎮守府を含めたあらゆる他の理外の組織を束ねる上位組織って位置付けかしらねぇ。一般企業の概念で言えば、いわゆる財閥の親会社ってところなのよぉ」


 頬に人差し指を当てながら、可愛らしく小首を傾げている。年に似合わぬ仕草だが、その纏う空気には似合いだった。


「その異端管理局の幹部、各支部の頂点から数えて上位十名のことを、円卓十席とか呼んでいるのですけど……危険度と脅威度は、その円卓十席の誰かが認めることで、正式な公表がされるのですよぉ」

「へぇ? 円卓十席、ですか。それではその方たちは、どうやって脅威度、危険度を認定しているのでしょうか? 独断と偏見ですか?」


 だとすれば、やはり強さイコール脅威度にはならないだろう。

 しかし、神薙瑠璃は苦笑しながら、違う、と断言する。


「実際の詳細は知らないけど……噂だと、異端管理局の支部には、任意の対象の脅威度、危険度を測る魔鏡があるらしいわぁ。その魔鏡に遠視の魔術を併用して、対象の実力を測るみたいよぉ。魔鏡はとても融通が利くらしくて、写真からでも脅威度や危険度を測れるんですってぇ。それで測った数値をもとに、円卓十席の誰かが判断する――それで正式な発表になるのよぉ」


 神薙瑠璃は語尾を伸ばしながら、人差し指を何も映っていないテレビに向けた。すると、人差し指から魔力が飛んで、暗くなったテレビの表面が青緑色に波打った。

 テレビの表面に何かを映すつもりだろう――波打つ青緑色が実像を結び始める。

 ほどなくして映し出されたのは、パソコンで作成されたかのようなピラミッド図だ。

 階層は五段階に分かれており、最下層では熊が人を襲っている絵、一つ上の層では暴れている象が蟻を潰している絵、その上になると鯨が人を呑み込んでいる絵、さらに上だと巨大なドラゴンが火を噴いて国を燃やしている絵だった。一番上に至っては、落雷と竜巻と津波が世界を襲っている。


「……これは?」

「綾女ちゃんの質問にあった脅威度の図よぉ――このピラミッド図の一番下が、脅威度C級ってところかしらねぇ。頂点がSS級に該当する厄災ねぇ」

「…………脅威度C級は、人喰いの熊程度、ということでしょうか?」

「察しが良いわねぇ。そうよぉ――下から、C級、B級、A級、S級、SS級ねぇ」


 神薙瑠璃は言いながら、テレビに映るピラミッド図を一つ一つ指差す。

 その説明を信じるとして、二日後に挑む予定の脅威度S級とやらは、つまり国を燃やす巨大ドラゴンと同じくらいの強敵と言うことだろうか。

 ふむ、いまいち強さの定義が分からなくなってしまった。果たしてそれは、人が戦える領域に居る存在なのだろうか。


「ちなみにね。いまの綾女ちゃんって、S級危険人物ですよねぇ? 脅威度って、危険度ともイコールだから、つまり綾女ちゃんは、このドラゴンと同じ程度には人間社会にとって危険な存在なのよぉ」


 わたしが疑問に思っていたところ、神薙瑠璃が補足をしてくれる。なるほど、傍から見るとわたし自身も充分、空想上の化物と同列に扱われる存在らしい。

 わたしと同格に認定されていることを考えると、脅威度Sの魔獣と言うのも、さして恐ろしい存在ではなさそうだ。


「さて、ここまでは概念の説明……次は、魔獣って言う理外の存在と対峙するうえで、絶対に忘れちゃいけないこと、知っておかなければならないことを教えるわぁ。それが魔獣の持つ最も有名な二つの特性――『月齢(ゲツレイ)』と『貪欲(ドンヨク)』よ」

「……月齢と、貪欲?」

「ええ、そう。まず月齢だけど、これは単純よ。魔獣は例外なく、月の満ち欠けに魔力が左右されるわ。満月時が最も強力で、新月時が最も弱体化する。より正確には、新月時が一番死に易いのよぉ」


 嗚呼それで、とわたしは内心で納得する。だから討伐のタイミングを新月に合わせたのか。


「それに新月時には『貪欲』も発動しないし、気性も大人しくなっているケースが多いわぁ。だから魔獣を討伐するには、基本的に新月を狙え、って言われてるのよぉ」

「どれくらいの弱体化なのでしょうか? 死に易いかどうかではなく、運動性能はどれほど通常時から落ちるのでしょうか?」


 強敵と闘ううえで、その弱点を突くのは正しいことだろう。勝つために最善を尽くして、あらゆる戦略を練って挑むのは当然のことだ。けれどわたしは可能であれば、互いに全力で、生死を賭けたひり付くような攻防がしてみたいと思っている。

 この考えを驕りや不遜と言われても仕方ないが、そういう性格なのだから変えようがない。


「……運動性能? んん、どうなんだろ……魔力量は平均で、通常の五分の一まで落ちるかしら? だから攻撃力と防御力は、確実に半減程度はしてるわねぇ。あとは、再生速度が三分の一以下まで落ち込むのは確実ね……けど、運動性能はそれほど変わらないかなぁ? 戦闘パターンは、変わる個体と変わらない個体がいるし――綾女ちゃん。もしかして、どこかで魔獣討伐の話を聴いたのかしら?」


 神薙瑠璃は何かを察したようで、疑いの眼差しをわたしに向けてきた。その表情は無言で、駄目よ絶対そんな危険なことしたら、と語っている。

 わたしは誤魔化せないことを承知で、苦笑しながら首を傾げて、何のことでしょうかと、とぼけて見せた。


「もう。綾女ちゃん、本当に今の自分の状況、理解しているのかしらぁ?」

「承知していますよ? それで? もう一つの特性『貪欲』とは、どのようなモノなのでしょうか?」

「――はぁ。ええ、そうねぇ。貪欲って特性は、食べた生命体の生命力を取り込んで、どんどん強力な個体に成長するって言う特性よ。魔獣はあらゆる生命体を無差別に貪り喰らって、それを吸収していくのよ。だから時間が経てば経つほど、強力な個体になるし、必然、脅威度も上がっていくのよぉ」

「へぇ? それは――恐ろしい、ですね」

「……綾女ちゃん……恐ろしい、ってそんな満面の笑みで言われても……本当に戦闘狂なのねぇ」


 ついつい零れた笑みを前に、神薙瑠璃は心底呆れた表情を浮かべていた。


「失礼しました――ところで、先ほど運動性能はそれほど変わらない、と仰いましたけれど、魔力量が五分の一まで落ちているのであれば、相対的に運動能力は下がるのではないのでしょうか?」


 わたしは気になった点を質問する。いまいち神薙瑠璃の説明に納得が出来なかった。

 魔力という存在は、身体能力に凄まじい影響を与える。それの有無一つで、肉体性能には雲泥の差が出るのだ。それこそ運動のできない雑多な凡人でさえ、魔力を得ただけで一流アスリートを超えるほどの肉体性能を手に入れる。

 すると、神薙瑠璃はわたしの質問に一瞬だけ首を傾げて、すぐさま何かに思い当たり、強く頷いていた。


「そっか、そっか……えと、ね。綾女ちゃんは、魔術回路(パス)を自覚したのが……つまり魔術の加護を手に入れたのが、最近でしたね? だからそんな発想になるのかしら……確かに、魔力を自覚しているか否かで、身体能力が劇的に変わるのは間違いないわ。けど、魔力が多いから身体能力が高いって言うのは認識違いなのよ?」

「どういう意味ですか?」

「魔力って、とっても特殊なエネルギーでね。その有無は肉体に劇的な変化を与えるけど、その量の多寡では肉体にそれほど影響を及ぼさないのよ――正確に言えば、肉体には先天的に魔力を許容できる上限があって、その上限以上に魔力を出力しても、肉体性能が向上することはないわ。上限以上に引き出した魔力は、全て肉体外に漏出するのよ。ちなみに一般的にその魔力限界は、20%前後って言われてるわ。つまり肉体に影響を与える最大の魔力出力は、個人差はあれど、自らが保有する魔力の五分の一程度……それ以上の出力をしたところで、肉体には何の影響もない。だから……私も魔力量には自信があるけど、身体能力は二流アスリート程度ですよ――とはいえ、極稀に上限が50%とか言う超人も居るけどね」


 神薙瑠璃は、割と基本的な魔術理論ですわ、と苦笑した。

 わたしは不貞腐れたような顰め面をしながら、特に反論せずに納得する。一応、辻褄は合っている。

 実際で考えると、魔王と呼ばれた虚空時貞がまさにそうだった。わたしと比べるのが烏滸がましいほど圧倒的な魔力量を誇っていたのに、身体能力の点で言えば、南雲果林の方が格上だった。

 虚空時貞の動きが思いのほか悪かったのは、手加減していたからでも、複数の魔術を同時に使用していたからでもなかったわけだ――


「つまりその理論だと、魔獣は新月だからと言って、弱くなったりはしない?」

「弱体化は間違いなくしているわ。魔術攻撃は通常時より弱いでしょうし、大規模な範囲攻撃は鳴りを潜めると思うわ。けど、綾女ちゃんが気にしてるような、身体能力や運動性能、敏捷性とかの戦闘能力って点では、あんまり変わらないわ――だから、同格の戦闘員を複数用意する必要があるのよ」


 神薙瑠璃は言うが否や、はぁ、とこれ見よがしに深い溜息を漏らした。そして、テレビに映していたピラミッド図を消す。


「流石に、鈍い私でも、綾女ちゃんが何をしようとしているのか分かっちゃったわぁ。だから、十八ちゃんか、ホーリー医師を呼べって言ってたのね……それにしても、どこで魔獣討伐の話を知ったのかしら?」

「あら? 何の話でしょうか? 魔獣討伐とは、とても興味深いですね。詳しく教えてくれませんか?」

「……もうっ! 別に私は監視役って言っても、綾女ちゃんの敵じゃないわよ!? 無茶をさせないように見守る役目として、ここに通っているんだから、もっと心を開いてくれても良いのに……」


 いじけるような顔の神薙瑠璃に、しかしわたしはきょとんと何も知らない表情を浮かべた。

 はぁ、ともう一度溜息を漏らすと、神薙瑠璃は立ち上がり病室からサッサと出て行く。


「……翡翠ちゃんにバレたら、怒られちゃうかもだけど……仕方ないから、とっておきの魔術を綾女ちゃんに施してあげますよぉ――だから、綾女ちゃん。くれぐれも無茶しないで、お部屋で安静にしててよぉ?」

「――――とっておきの魔術?」


 神薙瑠璃はドアノブに手を掛けて、背を向けたまま言葉を続ける。


「私がこの部屋を、魔術で酸素カプセル状態にしてあげますわ。寝ているだけで、回復力とか治癒力を向上させることが出来るようになりまぁす――だから、無茶しないで寝ててくださいよ?」

「そんなことが、出来るのですか?」

「あんまりやりたくはないわよぉ? だって確実な効果が出るわけでもないし、自然な方法でもないんだからねぇ? 何より、通常の酸素カプセルと違って、魔術による疑似酸素カプセル状態だから、人によっては魔力中毒になる危険性も――」

「――御託は結構です。神薙さん、そんなことが出来るであれば、是非、お願いいたします」

「…………はぁ」


 神薙瑠璃の台詞を最後まで言わせず、わたしはパタリとベッドに横になり、リラックス状態で睡眠に意識を切り替える。

 振り返り、何とも言い難い困り顔を浮かべた神薙瑠璃だったが、すぐに病室から出て行った。

 パタン、と扉が閉まる音がして、少しすると病室内の気圧が高くなった気がした。心なしか室温も下がり、高山に居るような爽やかで涼し気な空気が感じられた。


(……確かに、酸素カプセルに入った感覚に近いですね……)


 わたしは肺いっぱいに空気を吸って、ゆっくりと吐きながら、身体に蓄積された疲労を自覚する。眠気に抗うこともせず、そのまま電気を消すように意識を飛ばした。

 まだまだ陽は高いが、いま現在のわたしが優先すべきは治療である。メインイベントである二日後の魔獣討伐までに、少なくとも病室から起き上がるレベルまで治さなければならない。


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