第一夜
『――樹市の大型アミューズメントパークで発生した火災事故に関して、警察は、調理場に保管されていたガスボンベが劣化、破損していたことが原因で、室内にガスが充満していたとの見解を示しました。また室内に充満していたガスが、何らかの原因により引火したことで、今回の大規模な火災事故に発展したと見ており、業務上過失の疑いと故意による事件の可能性も含めて、引火の詳しい原因を調べております。なお、大型アミューズメントパークの運営側は、無期限で業務を停止することを発表しており――』
そこまで聞いて、わたしはニュースを垂れ流すテレビを消した。
時刻は朝六時、すっかり日も昇りきったので、これから暑くなっていくのだろう。窓の外から見える蒼天は、見渡す限りの快晴だった。
「ふぅ――」
わたしはパタリとベッドに上半身を横たえて、気持ちを落ち着けるように深呼吸をした。
ところで、いまわたしが寝ているこの部屋は、虎尾市の中央にある大病院――虎尾総合病院の七階に用意されたVIPルームと呼ばれる個室の一つである。以前に軟禁された閉鎖病棟の方ではなく、一般外来で利用される中央棟の最上階にある要人専用の特別病室だ。
あれから――わたしが土井MCBから脱出して、天桐・リース・ヘブンロードにコテンパンにやられた日から数えて、既に三日が経っていた。
わたしはその間、自分でも珍しいことにずっと、寝たきり状態で療養している。
「――いらっしゃいませ。どうぞ、お入りください」
わたしは誰も居ない病室内で、あえて大声でそんな問い掛けをする。すると、その返事をするように、ドアがノックされて、同時に、バン、と大きく開け放たれた。
「……今日は随分と遅いですね? わたしを退屈で殺す気だったのでしょうか?」
「いやぁ、まさかまさか! 綾女嬢を殺す気なんざ、全然全く持って1ミリもないっスよ? それにしても今日も今日とて、元気そスね?」
わたしの軽口によりいっそう軽い口調で返しながら、病室に入ってきたのは、白衣を纏った柊南天である。柊南天は、医師とは思えない態度と軽薄な態度をしながら、点滴の位置を少しずらして椅子に腰を下ろす。手慣れた動作で電動ベッドを操作して、背上げ機能でわたしの上半身を起こした。
わたしは不愉快そうに顔を顰めて、柊南天に鋭い双眸を向ける。
「――この不機嫌そうなわたしを見て、どこが元気そうだと?」
「元気、じゃないんスか? 綾女嬢の顔は、いつも通りに見事な美形っスよ? あ、これ誉め言葉ス」
「それはどうも――ところで、今日は付き添いの監視役は居ないのですか?」
相変わらず軽薄な柊南天から視線を逸らして、入口のドアに意識を向けた。
病室の外、その廊下には、いまのところ誰の気配も感じないが、果たして本当に誰も居ないのだろうか――昨日、一昨日は、護国鎮守府から派遣された監視役が常駐していた。
そんなわたしの勘繰りに、柊南天は意地の悪い笑みを浮かべる。どっちだと思いまスか、なんて含み笑いをしてきたので、思わずその頬を平手打ちした。
しかし、それは当然ながらも読まれて、紙一重に躱される。空振った反動で、ビキリと筋肉が悲鳴を上げたが、表情には出さずに我慢した。
「まぁ……どちらでも良いです。くだらない問答は止めましょう――Dr.ホーリー? サッサと今日の診療を始めてくださいませんか?」
「確かに、そスね。んじゃあ、ちょいと失礼しまスよ――」
わたしは目を瞑って、病院着の胸元をはだけさせる。ほんの少し身体を動かすだけで、関節が激痛を訴える。想像以上に回復が遅い。
わたしが病院着をはだけさせると、柊南天は途端に真面目な顔になり、聴診器などは使わず、優しく触診してくる。触診の手際と肌への触れ方などは、紛れもなく名医と呼べる腕前だった。
「――やっぱ、想像以上に回復早いっスね、綾女嬢。全身の気の流れが、もうほとんど正常っス。あれほど丹田が乱されたってのに、ものの数日……ってか、丸二日安静にしてただけで、ここまで丹田の状態を戻せるなんて、間違いなく化物の類ス」
「……失礼な。わたしはただ、Dr.ホーリーの指示通り、魔力の流れを利用して、乱れた内功を強制的に血流へと戻しただけです。栄養剤入りの点滴も外さずに、しっかりと養生したのですから、むしろ治って当然でしょう? 逆説的に、ここまでやって、しかもほとんどの時間を寝たきりで過ごしたにも関わらず、まだ身体を動かすのが厳しいというのが異常では?」
言いながら、わたしは首を少し捻った。すると、首筋に電撃が走ったような痛みが起こり、肩回りの骨が軋んで鈍痛を訴える。
身体の痛みは無視できるので、さして問題はない。けれど、筋肉も骨もボロボロという事実が厳しい。無理やりに動けば、決して動けないほどではないが、これだと本来のパフォーマンスの二割も出せないだろうし、何よりその代償に深刻な後遺症が残りかねない状況だ。
「いやいや、異常なのは、いま意識が鮮明にある点スよ!? 何にやられたのか知りませんけど、自然治癒が出来ないくらいに身体中の気を乱されて、しかも魔力回路までズタズタに切り裂かれた状態なんスから……常人だったら、とっくに植物状態スからね!?」
事情を知っているくせに、柊南天はわざとらしく知らない振りで驚いてみせた。その驚きの演技が大根役者過ぎて、わたしはいっそう腹立たしげに表情を硬化させる。
けれど悔しいかな、それを指摘することはできない。
いまここで寝たきりになっている理由と、わたしが柊南天の知り合いということは、表立って明かせない秘密である。
ちなみに、室内にはいま、わたしたち以外誰もいないが、監視カメラも盗聴器もあるので、迂闊な反応はできない。
「そうですか……それで? どうです、Dr.ホーリー。わたしはいつになったら、本格的に身体を動かして良くなるのでしょうか? 安静にしているのも、もういい加減うんざりしているのですけれど?」
「呆れるってのは、このことを言うんスねぇ――うちがまっとうな医師だったら、あと二週間はベッドに縛り付けまスよ? せめて一週間は寝てないと、命の保証が出来ない、って怒鳴るっスよ?」
「まっとうな医師は、わたしの身体を治療なぞしてくれないでしょう? それと――もし、あと二週間も寝ていろと言われてしまったら、わたしはいまこの場で、貴女を殺すかも知れませんよ?」
「……ははは……そりゃ、怖いスね」
柊南天はおどけた調子で肩を竦めてから、はだけた病院着の胸元を元に戻して、わたしの触診を終わらせた。椅子から立ち上がり、隅に置かれた珈琲サーバーを勝手に利用し始める。
咎めることはしないし、好きに使って構わないが、自由過ぎるだろう。
「さて、冗談とか抜きに、Dr.ホーリーとしての見解スけど――この調子なら、今日一日安静にしてくれたら、明日には起き上がって大丈夫そうスね。とはいえ、勘違いしないで欲しいんスけど、容態が良好って訳じゃないスよ? 本音を言えば、最低あと一週間は様子見したいっス」
「……今日一日……だいぶ長引きましたね……」
「この問答がまさに、呆れるってやつっスよ!? 綾女嬢は、痛覚だけじゃなくて、感覚がイカレちまってまス。綾女嬢、いまの自分の容態、理解出来てまスか!?」
わたしの残念そうな呟きに、柊南天は食って掛かる勢いで文句を口にする。
その文句に頷きながら、激痛を我慢して右手で左脇腹を擦った。瞬間、雷撃を浴びたみたいに身体中が痙攣して、目の前が真っ白になり、意識が遠くなった。
「理解、していますよ? 生きているのが不思議な状況でしょう? いまわたしは、四肢が千切れていないだけで、神経も含めて、致命的なまでにダメージを負っている……本来ならばきっと、完治など見込めず、リハビリに移るまでに半年は時間を要するほどの重態なはずです。全身の骨という骨が、折れるかヒビが入っている状況ですし、内臓も破裂寸前……事実、まだ流動食さえ受け付けないので、こうして点滴で過ごしているくらいです。恐らく起き上がれば、五分と立たずに倒れるでしょうね?」
「マジで、そスよ? 理解、してるじゃないスか? それでよくも、いつ動けるか、なんて愚問を口にしまスね? 正気じゃないスよ、まったく……」
柊南天は呆れ顔をしながら、淹れ立ての珈琲を口に含んでいた。香ばしい匂いが病室に満ちる。
「――ちなみに、Dr.ホーリー。今日一日は、どのように過ごしたら宜しいでしょうか? 昨日と同様に、内功を整えることに集中すれば良いのですか?」
「魔力の鍛錬も、内功の調息も一切しないで欲しいスね。マジで完全に気絶してて欲しいス。知ってまス? 起きてるだけでも、身体には負荷掛かってるんスよ? それでなくとも、いまようやく綾女嬢の身体は、正常な治癒力を取り戻し始めたってのに――そんなに死にたいんスか?」
「まさか。わたしが、死にたがり、にでも見えますか?」
「死にたがりにしか見えないスね。どんだけ脅しても、安静にしてくれないなんて、本当に医師泣かせス――あ、時間スね。とりま、抗生剤を注射しとくんで、あとは一日、寝ててくださいっス」
点滴の刺さっていないわたしの左手を掴んで、柊南天は素早い手際で注射を打った。そして熱を測ってから、ふむ、と神妙な顔をしながら頷く。
「……いま綾女嬢、四十度近く熱が出てるの自覚ありまス? 意識が朦朧としてるはずスけど、なんで平然と受け答えできるんスか?」
柊南天は電動ベッドを元通りに寝かせて、優しく丁寧に、わたしにシーツを掛ける。
それをあるがまま受け入れて、瞼を閉じながら深呼吸した。大きく空気を吸い込むと、肺が軋むように痛む。
「自覚は、していますよ。だから、冷静になるために運動をしたいのですけれど……まあ、いま無理をする意味はありませんものね。安静にしますよ――退屈ですけれど」
「ちな、一応スけど、念のため言っとくと、イメージトレーニングとかも禁止っスよ。脳を酷使するのは静養にならないス。マジのマジで、寝ててくださいよ?」
「……はいはい」
全部分かってるぞ、とばかりに、柊南天はわたしにそんな釘を刺す。わたしはおざなりに返答した。
「さてと、んじゃあ、そろそろ問診は終わりにして、護国鎮守府のイケメンでも呼んできまスかね……」
グッと残りの珈琲を一息に呑んで、柊南天は立ち上がった。その一瞬に、わたしの手元に何やら綺麗に畳んだ護符を握らせてくる。
「……これは?」
わたしが囁くように問い掛けると、柊南天がニヤリと笑って口元に人差し指を当ててきた。
『――ヘブンロード嬢からの御礼ス。異端管理局に入局する為の許可証みたいなモノっスよ。後日渡そうかとも思ったスけど、恐らく当分の間は、綾女嬢に接触する人間には監視が入りまス。そうなると、うちが人修羅の相棒として接触する機会が持てないス』
柊南天が精神感応力でもって、わたしの脳内に直接、言葉を送り込んできた。頭の中を覗かれるような不愉快な感覚に鳥肌が立つが、とりあえず何事もないように無表情を保ちながら瞳を閉じた。
(……護符にしか見えませんけれど……これが、許可証ね……いえ、それよりも、わたしはヘブンロードさんの居る異端管理局の場所を知らないのですけれど?)
わたしの無言の問いに、しかし柊南天は無視を決め込んで、ヒラヒラと手を振りながら病室を出て行こうとする。
(――柊さん? 無視して帰ろうとしないでくださいませんか? 柊さんの正体をバラしますよ?)
瞳を閉じて眠った振りをするわたしだが、その全身から本気の殺意を放った。それに反応したようで、ピクッと肩を震わせて、柊南天はドアに手を掛けた姿勢で立ち止まる。
「そいや、綾女嬢。言ってなかったスけど、うち、今日で護国鎮守府との契約は終了なんスけど、綾女嬢の治療は、サービスでもう少し続けまスよ? 次に来るのは、十日後の予定スから、そこで綾女嬢の容態を診てから、他の医師に引き継ぎするか、護国鎮守府に再契約を持ち掛けるか、検討しまスよ――つぅ訳で、とりあえず綾女嬢は、治ることに専念して欲しいスね」
柊南天の捨て台詞に、わたしは舌打ちしたい気持ちをグッと堪える。
それはつまり、次の診療タイミングで様子を見るということだ。わたしの容態が良くなっていなければ、天桐・リース・ヘブンロードには挑ませないぞ、という脅しでもある。
(まあ、それも致し方ありませんね……次は、満身創痍ではなく、万全な状態で挑むのが礼儀でしょうし……十日後であれば、それほど遠くはありません。お待ちしますからね?)
わたしは脳内でそれだけ呟き、言われた通りに意識のスイッチを切ろうかと心を落ち着かせた。するとドアの向こうから、覚えのある気配が感じられた。
この安心できる優しい気配は――十中八九、龍ヶ崎十八だろう。治療に来てくれたに違いない。
わたしがそんな期待をしていると、柊南天はそのまま病室を後にした。ドアが閉じた音がして、廊下でわたしの容態を説明する声が聞こえる。そして、入れ違いに誰かが入って来る。
「失礼します……綾女さん、ちゃんと寝てる?」
入ってきた誰かは、やはりわたしの想像通りに龍ヶ崎十八だった。
龍ヶ崎十八は囁くような小声で言いながら、足音を立てないよう気を遣ってベッドの傍まで近寄ってきた。わたしは返事をせず、静かに寝息を立てる。
さて、寝ているわたしに龍ヶ崎十八は何か悪戯でもするのかな、とあり得ない期待を胸に抱きつつ、狸寝入りを続けた。
当然ながら、紳士的な龍ヶ崎十八がわたしの身体に悪戯することなどなかった。
「――それにしても、毎回、他人の言うこと聞かずに、無茶してさ。どんだけ俺が心配してるか、分かってくれてるのかな」
横になって寝息を立てるわたしの全身が、柔らかく仄かに暖かい光に包まれる。同時に、身体が内側から活性化して、傷口が癒される感覚が生まれた。
とても心地好い感覚に、思わず、はぁ、と艶のある吐息を漏らしてしまった。まるで効能の強い温泉に浸かり、湯治でもしているような感覚である。
わたしは火照った吐息を漏らしながらも、寝たフリを続行する。起きてしまうと、この心地好さが事務的な治療に変わってしまいそうだ。
「…………ごめんね、綾女さん」
不意に、龍ヶ崎十八が深刻な響きでそんな囁きを漏らす。
何を謝罪しているのだろうか。わたしには全く心当たりがなかった。むしろどちらかと言えば、わたしの方こそ龍ヶ崎十八に謝らなければならないだろう。
一応、護国鎮守府の取り決めとはいえ、龍ヶ崎十八はわたしのパートナーである。それを蔑ろにして、好き勝手振舞っているのはわたしなのだから。
「綾女さんを止められなかったのもそうだけど……こんな大怪我させたうえに……貞操さえも、守ることが出来なかった……静姉ちゃんも、だけど……あの糞野郎たちに汚されたのは、俺が日和ってすぐに動けなかったせいだ……」
重苦しい空気で何やらもごもごと独白している龍ヶ崎十八に、わたしは内心で疑問符を浮かべる。貞操が守れなかった、とか言っているが、少なくともわたしの処女はまだ失われてはいない。
何か勘違いしている――けれど、狸寝入りしているわたしに、弁明する機会は訪れない。
「ちゃんと……責任は取るよ」
ボソリと漏らしたその『責任』とやらが、どういった意味合いなのか、わたしは非常に気になった。いっそう聴覚に神経を集中して、龍ヶ崎十八の語りを聞き漏らさないようにする。
(――勘違いだろうと、わたしに負い目を感じてくれるのは重畳です。十八くんとの関係は、良好であれば良好であるほど好ましいですからね)
打算抜きに嬉しくなっていた気持ちを誤魔化すように、わたしは寝息を少し落ち着かせる。
それから一時間ほど、龍ヶ崎十八は何も語らず、黙々とわたしの治癒に集中していた。優しい沈黙が満ちる病室内で、わたしはずっと狸寝入りを続けていた。
そんな折、やかましい足音が廊下から聞こえてきて、ノックすらせず病室内に何者かが入って来る。
「やっぱ、ここかよ――おい、十八。お前、なんでこんな化物を癒してんだ? この化物の治療は、Dr.ホーリーに任せてるはずだろ? 十八は、静の傍に居てやれよ!! 静がどれだけ精神的に傷付いていると――」
「――遊馬さん。いま綾女さんは寝ていますので、少し静かにしてくれませんか?」
「チッ! 十八、お前、静がどんな気持ちで、あの任務に就いたか分からないのかよ……」
病室に入ってきた闖入者は、声のトーンと龍ヶ崎十八とのやり取りから、遊馬司だと分かった。
遊馬司は何やら非常に激怒しており、ギャンギャンとやかましい音量で怒鳴っている。ここが病室で、わたしという病人が居ることを全く理解していないようだ。
そんな遊馬司に、龍ヶ崎十八は冷静に反論している。
「遊馬さん。静姉ちゃんが、俺の為に、俺のことを信じて、あの任務に就いたことくらい理解してるよ。結果として、虚空時貞に捕縛されて、信者たちに凌辱されたのも、理解してる――けどさ。申し訳ないけど、静姉ちゃんは覚悟のうえで、任務に同行してくれたはずだ。最悪、性奴隷として壊される可能性も、死んでしまう可能性もあったけど、それさえ覚悟して、付き合ってくれたと思ってる。違う?」
「――そりゃ、違わないだろうよ。だが、だから実際に無理やり犯されても、心構え出来てただろ、ってそう言ってんのか!? 十八、静は強姦されたんだぞ!? 一生モノの傷を負ったんだぞ!?」
「それは、綾女さんだって同じだろ!? だいたい、そんな静姉ちゃんが精神を壊される前に救出出来たのは、独断専行とはいえ綾女さんのおかげじゃないか! 俺らがグダグダと会議している間に、綾女さんは懲罰されるのも承知のうえで、単独で土井MCBに潜入して、虚空時貞を退治してくれたんだよ!?」
龍ヶ崎十八は声を震わせながら、努めて大声にならないよう反論している。一方で、遊馬司は感情を爆発させて、クソ、と大声で毒を吐いていた。
何が何やら分からないが、やり取りから推測する限りでは、龍ヶ崎十八が治療中の剣持静を差し置いて、わたしの治癒にやってきた事実が気に喰わないらしい。遊馬司の剣幕からすると、もしかして、剣持静に好意を持っているのだろうか。
これは起き上がる訳にはいかないな、とわたしは騒音に気付かないフリをして、深い眠りについている体で寝息を安定させる。
「綾女さんは――確かに、紛れもない戦闘狂だよ。今回だって、護国鎮守府の命令とか関係なしに、虚空時貞と闘ったのかも知れない。だからどんな目に遭ってても、恨み言一つ言わないだろうさ。目を醒ましてもきっと、あっけらかんとしてる気がする――けど綾女さんは、静姉ちゃんよりも更に酷い扱いをされてるんだぞ!? 強姦されただけじゃなくて、死ぬほどの重傷まで負って!! 助けた時の容態を、遊馬さんは知らないだろ!? 綾女さんは全身の気脈が乱れてて、俺の治癒でさえ通じないほどだったんだよ!? 奇跡的に意識があったし、偶然にも、Dr.ホーリーが居たおかげで、なんとか一命を取り留めたけど……普通なら、完全に死んでたんだ」
「……それこそ、この化物の自業自得じゃねぇかよ! 好き勝手振舞った結果、制裁を受けただけだろ!?」
「――好き勝手の結果が、静姉ちゃんの救出に繋がってるだろ? そりゃ、静姉ちゃんも、強姦されて心神耗弱状態だったけど――それだけ、だった。確かに人それぞれ、精神的なダメージは違うと思うし、別に静姉ちゃんが軽傷だったなんて思わないよ? 無事で良かったとは思うし、酷い目に遭わせてしまって俺自身の力不足を悔やむけど……今みたいな静姉ちゃんと付き合う気にはならないよ。辛いのは分かるし俺を頼ってくれるのは嬉しいけど、だからって、命の恩人でもある綾女さんを蔑ろにするような薄情な静姉ちゃんの傍には居られない」
「この――十八じゃないと、静の心を癒せないんだぞ!? 静が、お前のことをどう想ってるか――」
「――遊馬さん。俺は静姉ちゃんのことは好きだけど、それは幼馴染としての好き……連理と同じように親友としての好きだ。ただのライク、なんだよ。いまの俺は綾女さんを異性として意識しているし、静姉ちゃんを危険な目に遭わせたこと以上に、こんな重傷を負わせたことに責任を感じてる。だから悪いけど、綾女さんの治癒を優先させてもらうよ」
まさか身近でこんな色恋沙汰の修羅場が起きるとは――わたしは狸寝入りを続けながら、龍ヶ崎十八と遊馬司の白熱する言い合いに夢中になっていた。
だからだろうか。二人の言い合いに集中し過ぎていたからか、もう一人の闖入者が言葉を発するまで、その気配を察することが出来なかった。
「――――おいおい、色ボケ男子。二人とも、興奮し過ぎだ、馬鹿。ここは病室だ。言い争うなら、外に行け、外。それに、市松人形ちゃんもよぉ。いつから狸寝入りしてたかは知らねえが、サッサとマジで寝ろよ。十八の治癒が効きにくいだろが」
冷たく呆れた九鬼連理の声が、病室のドアのところから聞こえてきた。いつの間に入ってきていたのか分からないが、音も気配も消して病室まで来ていたらしい。
九鬼連理のその言葉に、龍ヶ崎十八と遊馬司がハッとして息を呑んだ気配がする。聞かれて焦っている様子も感じられた。
「え――綾女さん。起きてる、の?」
「…………」
「ハッ――ま、流石に、空気を読まない天然の市松人形ちゃんでも、この状況じゃ起きられるわきゃねぇか。そうだな、寝てろ、寝てろ」
九鬼連理はわたしが狸寝入りしていると確信している様子だが、それに答えることなく、寝ているフリを続行する。九鬼連理の言う通り、わたしのことを語っていた龍ヶ崎十八の前で、起き上がるのは少し気恥ずかしい。
ちなみに、龍ヶ崎十八はわたしが寝ているかどうか確信が持てないようで、治癒を続けながらも額や頬をペタペタと触ってくる。くすぐったいが、悪い気はしない。だがここで無反応というのも逆に怪しいので、多少、むず痒いとばかりに身動ぎして見せる。
わたしの微妙な反応に龍ヶ崎十八は多少訝しんでいたが、頬を撫でたり首筋を擦ったり以上の悪戯をする度胸はないようで、すぐに弄る手を止めてくれた。
一方で、遊馬司の気配が遠ざかり、病室のドアノブを回す音が聞こえた。
「おい、司。ちなみに、静ちゃんだけどよ――今なら脈なしとか関係なく、誰でも堕とせるぜ? 十八なんか無視して、この機会に奪っちまえよ。それが健全じゃねぇか?」
「……黙れよ、連理。クソ……もういい。うるさくして悪かったな……じゃあな、十八」
悔し気な様子の捨て台詞を吐いて、遊馬司はそのまま廊下を歩いて行った。病室に残る気配は、龍ヶ崎十八と九鬼連理の二人だ。
しかし二人は特に何も話さず、無言で数分間、ただそこに居た。
龍ヶ崎十八はわたしの治癒を続けてくれて、九鬼連理はそれをジッと見詰めている雰囲気である。何がしたいのか、と寝たフリをしながら内心で首を傾げる。
「……ところで、連理。何の用だよ? いまの俺は休暇中だろ? 別に、綾女さんを治癒してても――」
「――グッドニュースと、バッドニュース。二つあるけど、どっちから聞きたい?」
九鬼連理がピシャリと言い放つ。その言いざまに、龍ヶ崎十八は気勢を削がれた様子で、興味なさげに、どっちでも、と小さく呟いた。
「んじゃ、グッドニュースから言うぜ? 異端管理局から御礼状が届いた。だから、今回の市松人形ちゃんの暴走は不問だし、十八の無茶は逆に評価されて、お前ら二人とも、S級危険人物に認定されたぜ? つまり今後は、すげぇ不本意ながらも、オレより格上ってことだ。天火姉さんに興味持たれるかも知れねぇな」
「……それ、正式通知か? だとしても、何で連理が伝えに来るんだよ?」
「おいおいおい、オレはすぐに虎姫のとこ来いって言ったろ? 直接、虎姫が伝えたかったが、それが出来ないから、わざわざ来てやったんだろうが――って、ま、良いや。んで、バッドニュースだが、このタイミングで一柱市に魔獣が現れた。魔獣は脅威度S級が認定されたぜ。討伐タイミングは次の新月――六日後、二十三日の日曜日予定だとよ」
「……脅威Sの、魔獣?」
「ああ、個体名は未決定だが――自然発生したっぽい獣系の魔獣だとさ」
九鬼連理はずいぶんと軽い調子で喋っているが、龍ヶ崎十八の声は硬く緊張している空気が感じられた。わたしはよく分からないが、魔獣というのは割と深刻な問題なのではなかろうか。
「被害は、どうなんだよ?」
「だいぶ人死にが出てるぜ? 警察関係者では、特異課の人間が何名か。一般人では、十数名が喰い殺されてる。警察は公式発表で、熊の被害って報道してるが、そのせいで猟友会の人間も何人か被害に遭い始めてるぜ――昨日の夜、討伐してくれ、って護国鎮守府に陳情が来た」
「……討伐者は、誰に?」
「当初は天火姉さんを想定してたが、ちょうどタイミング悪く、修行に出ちまってる。だから、タイミング良くS級に昇格した十八と市松人形ちゃんに白羽の矢が立ったぜ?」
「…………俺はともかく、綾女さんはこの状況じゃ、六日後に討伐なんて無理だ」
龍ヶ崎十八が苛立ちを孕んだ声で反論している。だが、わたしが無理かどうかを勝手に決めないで欲しい。魔獣がどんな存在か知らないが、九鬼連理の口振りから危険な存在であることは理解出来る。
それならばぜひ、経験値の為にもわたしは闘いたい。
「無理かどうかなんざ、オレは知らねぇよ――そりゃ常識的に考えれば、ここまでの重傷で脅威度S級の魔獣を討伐なんざ不可能だろうな。けど、市松人形ちゃんはたぶん、絶対に闘うって言うんじゃないか?」
九鬼連理が呆れた声でわたしに向かってそう呟いていた。当然だ、と胸を張って頷きたい気持ちになったが、寝たフリを辞める訳にはいかない。
「――まぁ、とりあえずそれを伝える為に来ただけだから、オレはもう行くぜ? あ、それと、魔獣討伐の件だけど、実は、いまちょっと異端管理局が交渉してきててよ。もしかしたら助っ人が来るかも、知れねえぞ?」
「助っ人? 異端管理局からってことは、円卓の誰かが来るのか?」
「ああ。誰が来るかは分からねぇが、円卓三席か、四席か……少なくとも、S級以上が来るのは確実だろ、って虎姫が言ってたぜ」
九鬼連理は一方的にそう言って、じゃな、と病室を出て行った。
龍ヶ崎十八はそんな九鬼連理の背中を見送っていたようだが、深い溜息と共に、すぐさまわたしの治療に集中してくれる。
ふたたび病室内に、柔らかく温かいひと時が流れる。
わたしは傍らの龍ヶ崎十八の気配に安堵して、もういいか、と治癒に身を委ねた。
そしてそのまま、訪れた睡魔に逆らわず、フッと意識を失わせた。深くぐっすり眠れそうな予感がしていた。




