第六夜(4)
「だいぶ警備がぬるい倉庫ですね?」
わたしは倉庫の前で、南京錠が掛かっただけの扉に触れて、背後の金城神楽に首を傾げた。
「……そうかもですけど……内側に防犯セキュリティがあるから、それで充分だと思います……この倉庫は、事前にセキュリティルームで防犯を解除しておかないと、開けた瞬間、警報が発報します」
「――逆に、あえて発報させて、警察関係者を中に引き入れると言うのも手な訳ですね?」
そんなことを呟きながら、そう言えば龍ヶ崎十八たちは結局どうしたろう、と思考する。
なんだかんだとわたしが捕まってから、もう丸一日が過ぎている。そろそろ迎えに来てくれても良い頃合いだろう。
もし迎えに来てくれていれば、虚空時貞の取り巻きである武装ハーレム七人衆、いや既に一人倒しているから六人衆か。その相手を任せるのに――と、思考した瞬間、グラグラと建物が揺れた。同時に、凄まじい爆発音が階下から聞こえてきて、地上から騒々しい叫び声が響いた。
「な、なに!? 地震!? いえ、爆発……ですか?」
「――想像以上に大きな爆発が、階下で発生したようですね。何が起きているのでしょうか……」
金城神楽が反射的にわたしの身体に抱き付いてくる。
ポフ、と言う擬音が聞こえそうなほど、柔らかく軽い衝撃に、わたしは思わず微笑む。華奢な腕力のおかげで、抱き付かれても肋骨はそれほど痛くなかった。
はてさて、一体何が起きているのか――わたしたちはここに居て、何も派手なことはやっていない。だと言うのに階下では、ドカンドカン、と小規模な爆発音が立て続けに響いてくる。
耳を澄ますと、爆発音は四階付近から聞こえていた。レストラン街だろうか。
「レストラン街付近に、火薬庫でもあるのでしょうか?」
「……もしかしたら、二葉晶の、魔術式かも知れません……二葉晶は、地雷魔術の使い手で……爆発の威力だけなら、南雲果林を凌ぎます……けど、地雷だから、設置型の魔術なのが弱点です」
「へぇ? そうなんですね」
二葉晶と言えば、昨日わたしを案内していたチーフのことだろう。武装ハーレムの一員である。
わたしはその顔と立ち居振る舞いを思い出しながら、ボソリと呟く。
「地雷魔術、か――それは、少しだけ愉しそうです」
わたしのそんな呟きに、金城神楽が怪訝な顔を向けてきた。
慌てて笑いながら誤魔化して、とりあえず倉庫の鍵を斬鉄で切り裂いた。もはやこの状況では、防犯警報が鳴ろうが鳴るまいがどうでも良い。
ビービー、と扉が開いた瞬間から、けたたましい警報が鳴る。
金城神楽は耳を押さえながら、すぐ傍に座り込んだ。
一方でわたしは、堂々と胸を張って倉庫に侵入して、チラっと周囲を一瞥する。
倉庫内はとても綺麗に整理整頓されており、倉庫と言うだけあって、様々な資材が所せましと置かれている。そんな中で、一番奥に分厚いガラスケースが置かれていた。
「ビンゴ――穿ち月」
わたしはガラスケースの中に仕舞われた仕込刀を見つけて、迷わずに穿ち月を放った。厚さ30センチはあろうガラスケースは、当たり前に強化ガラスだったが、いまのわたしの攻撃を防げる強度ではない。
バギン、とガラスにあるまじき音が鳴り、わたしはガラスケースの中に腕を突っ込んだ。
仕込刀は何やら鎖で雁字搦めにされていたが、それを強引に腕力で引き千切り取り出した。腕がガラス片で血だらけになってしまったが、それはご愛敬だろう。
「――素手も中々面白かったですけれど、やっぱり刀がなければ、シックリきませんね」
わたしは素早く仕込刀を抜き放ち、白い線にしか見えない速度で、幾度も素振りした。煌めく刹那の白刃は空中を切り裂き、閃光に遅れて悦びの音を奏でた。
「あ、もしかしたら、先ほどの爆発音は、十八くんが助けに来てくれたのかも知れませんね。だとすれば、武装ハーレムと闘ってくれているということですね――助かります」
わたしは仕込刀を鞘に収めてから颯爽と倉庫を後にする。
座り込んで待っていた金城神楽は、わたしの姿を認めると慌てて抱き付こうと駆け寄るが、右手に握っている仕込刀に気付いて、一瞬足踏みした。
「……その杖? 木刀……ですか? どうしたんですか?」
「これが形見なんです――ところで、神楽さん。ここからどう逃げるのが、一番、安全なのでしょうかね?」
わたしは微笑みながら、視線をペントハウス側に向ける。
修羅之位を発動させて気配を探ると、ペントハウス内に五十人ほどの信者が居るのが分かる。強者と思われる気配は、今のところ感じないので、ここに突撃するのは悪手だろう。
わたしの視線がペントハウスに向いていることに気付いた金城神楽は、慌てて首を横に振る。
「逃げるなら……やっぱり、上ってきた階段を……地下一階まで下りるのが、ベストです。地下一階の階段は、地下駐車場と繋がっていて――」
「――――静かに」
金城神楽が丁寧に説明している最中に、わたしはサッとその口元を押さえた。
強烈な気配、鋭く重い殺気と禍々しい魔力が、ペントハウスの中からわたしたちに向けて放たれた。その気配には、覚えがある。
「……時貞の爺、です」
ブルリと震えて、金城神楽はわたしの背中に隠れるように回り込んだ。突き刺さる殺意に恐怖しているようだ。その背中を優しく撫でて、庇うように前に出た。
「神楽さん――少しの間、隠れていてくれませんか?」
「……逃げ、ないのですか? 時貞の爺は、本当に危険ですよ? いつも、罠を仕掛けた状態で、待ち構えていて……卑怯、ですよ?」
「――念のためにお聞きしますけれど、あのペントハウスから下に行く直通エレベーターなどは、ありますか?」
ペントハウスから漂ってくる禍々しい魔力を遠目に視ながら、わたしは囁き声で訊ねた。すると、金城神楽はすぐさまハッとした表情で、あります、と頷く。
ありがたいことに、金城神楽はだいぶ聡いようで、言葉少なくともわたしの意を察して、ズバリの回答をしてくれるだけの有能さがある。
「……確かに、先回り、される危険性は高いです……ペントハウスから地下駐車場に直通するエレベーターの出口は、神楽たちが使用した階段の通り道を塞ぐような構造です……」
「やはり――それであれば、わたしがペントハウス内に居る魔王さんを殺す方が、安全に脱出できるのではないでしょうか?」
「…………でも、それは……そっちの方が、危険、ですよ……」
わたしと金城神楽が囁き声でそんな問答をしていると、ふいに、ピーン、とハウリングする音が屋上スピーカーから聞こえた。
『鳳仙くん。よくぞここまで逃げ延びることが出来たのぅ。まったく見事じゃ。褒めてあげよう――ところで、一つ取引しないかのぅ?』
屋上スピーカーからは、虚空時貞の気色悪い濁声が聞こえてきた。その声を聞いて、ビクッと金城神楽が怯えている。
わたしは、大丈夫ですよ、と優しく言いながら、とりあえず主張を最後まで聞くことにする。
『鳳仙くんがいま連れている娘――神楽を解放して欲しいのじゃ。神楽は、儂の最も大切な娘じゃ。正直、誘拐されていると思うと、気が気ではないのじゃよ。神楽を引き渡してくれれば、命は見逃しても良い。どうじゃろぅか?』
なるほど、とわたしは頷き、それで主張は終わりか、としばし沈黙した。まだ話は終わらなかった。
『神楽に危害は加えぬ。儂は神楽を失うと困るからのぅ――命以外で欲しいものがあれば、何でも渡してやるぞ? ひとまずはペントハウスに来てくれないかのぅ? ああ、もし逃げるつもりじゃったら、儂は信者たちを使って出入口を封鎖するぞ?』
それは、あまり有効な脅しではないだろう。
実際、その言葉を聞いても、背中に隠れた金城神楽は、行かないで逃げよう、とわたしに懇願している。
けれど、ここで逃げる選択肢はわたしの中には存在しなかった。
ここまで見事に柊南天と予習した通りの展開になっていて、しかも虚空時貞自ら、最期の舞台を演出してくれているのだ。その期待に応えないわけにはいくまい。
『儂はもう、逃げも隠れもしないぞ? そんなところに隠れていないで、サッサと来て欲しいのぅ』
屋上スピーカーが再びハウリングする。
ちょうどその瞬間、スポットライトがわたしと金城神楽を照らすように当たった。完全に動向は把握されているらしい。
わたしは仕方あるまいと言った渋々の体で、金城神楽に苦笑してから、その腕を引いてペントハウスに向かう。
「……待って、ください……貴女が、いくら強くても……時貞の爺には、純粋な力は通じない、ですよ? ここは、挑発に乗らず……逃げ回った方が、絶対に良いです……」
「神楽さん。逃げ回ることは可能でしょうけれど、そうすると、神楽さんの身体を維持している魔力が尽きる危険性があります――自分でも分かってるのでしょう? 魔王さんからの魔力供給が希薄になりつつあるのが」
「……それは……でも……」
「ご安心を。わたしはこれでも、神楽さんのお父さんから、直接、神楽さんを護れと言われたほどの実力を持っています――魔王さん如きに、敗北はしないと約束しましょう」
わたしは爽やかな笑顔で嘘を言って、金城神楽の腕を引きながら、ペントハウスの扉を開けた。
扉を開けると途端、むわっと鼻を突く汗の臭いと、生理的不快感を催させるすえた匂いが漂ってきた。どことなく血生臭い香りも混じっており、気分が悪くなりそうだ。
ふと周囲を一瞥すると、室内は宴会ホールに思えるほど広く、足元は一面、ウッドタイプのスクエア型カーペットタイルが敷かれていた。
整然と並んだキングサイズのベッドが置かれている中、長机や椅子がところどころに点在している。壁際には豪華なソファもあって、その室内のあちこちでは、下着姿だったり裸同然の恰好をした男女が、一汗かいた顔で寛いでいた。
見渡す限り男女の比率は、圧倒的に男性が多く、三対七と言ったところだろう。また、年齢層も男性だけは二十代から七十代くらいまでと幅広いのに、女性陣だけは全員、うら若き二十代の巨乳美女しか居なかった。
その異様な光景は、わたしと金城神楽の気持ちを不快にさせた。
わたしは眉を顰めて、ああこれは発情の臭いか、と納得した。
「おぉおぉ、来てくれて助かるよ、鳳仙くん」
この状況に辟易していた時、目の前から上半身裸の虚空時貞がやってきた。
わたしは何も思わないが、虚空時貞の半裸は鍛え上げられた鋼の筋肉をしていた。腹筋は見事としか言いようのないほど美しいシックスパックで、大胸筋や上腕二頭筋も力強く張り詰めている。
何より目を引くのは、そんな完璧な裸体の端々に描かれた不思議な紋様だった。見る者を惑わすようなそれは、魔法陣を思わせるタトゥーである。
魔術効果を高めるものか、もしくは防御系の魔術でも施されているのか、少なくともただのファッションタトゥーではあるまい。警戒するに越したことはないだろう。
「……そう言えば魔王さんは、凄腕の魔術師でもありましたよね……ついつい、催眠術頼りの雑魚と勘違いしてしまっておりました……」
わたしはわざと聞こえるように呟いて、不敵な笑みのまま仕込刀を素振りする。
そんなわたしの背中に隠れて、金城神楽は怯えた表情で周囲をキョロキョロと見渡していた。正面の虚空時貞など眼中にないようで、周囲から突き刺さる好奇の視線にだけ警戒していた。
わたしたちを注視する視線は、どれもこれも下心が透けていて気色が悪かった。まだ幼い金城神楽が怖がるのも当然だろう。
「――ねぇ、魔王さん。一つ提案があるのですけれど、聞いてくださいませんか?」
「提案? ほぅ? なんじゃ? 聞くかどうかは別として、言うだけはタダじゃぞ?」
わたしは怯え切っている金城神楽を庇いながら、仕込刀の先端を半裸の虚空時貞に突き付けた。
「わたしと、一騎打ちしてくれませんでしょうか? この場の全員を相手にしながら、魔王さんと闘うのも吝かではありませんけれど、あまり神楽さんに凄惨な光景を見せたくはありませんので――」
言うが否や、目にも留まらぬ速度で仕込刀を抜刀して、そのままの速度で振り抜き、壁際のソファで寛いでいる三十代の禿頭男性に雨燕を放った。
涎を垂らして下卑た視線を向けていた禿頭男性は、気付かぬうちにその首を落として、血を撒き散らしながら絶命した。
その近くで寛いでいた信者たちが、一斉にその場から離れて、悲鳴を上げながら床や壁に張り付いて丸くなる。
「――――」
首無しの死体がソファに横たわり、吹き出す血液が辺りを真っ赤に染める。
突然の虐殺に信者たちが慌てふためく中、しかし金城神楽は目を見開いただけで悲鳴は上げなかった。
動揺は感じられるが、それは人の生き死に衝撃を受けたというよりも、わたしの雨燕という技に対して驚愕している様子だった。ちなみに、その驚愕は虚空時貞も同様で、明らかに纏う空気が変わっていた。
飛び道具でもあるのか、と疑いの眼差しをわたしに向けている。
「鎌鼬のような……風の魔術か? いや、魔術の類ではないのぅ……何をした?」
「――ふふふ。教えて欲しければ、わたしの提案、聞いてくださいませんか?」
わたしは斬り伏せた男性の死体を一瞥して、ふたたび神速の切り払いを振るう。
次に放ったのは、微弱な魔力を纏った『雨燕・比翼飛燕』である。飛翔するその双撃は、ソファごと死体を両断して吹っ飛ばした。
それに続けて、刀を逆手に持ち替えてから、剣気を篭めつつ床に突き立てた。床に剣先が触れた瞬間、篭めた剣気を解き放ち、同時に微弱な魔力を纏わせる。
外道之太刀土竜・轟然地裂――土竜の派生奥義であり、今までは理論しか知らなかった未修得の技だった。けれど、魔力の扱いに慣れてきた今のわたしならば、造作もなく繰り出せる。
この技は土竜と同様、地面など平面部を伝って、距離の離れた対象に衝撃を届ける技である。ただし派生奥義だけあり威力は桁違いで、対象に届くまでの通り道も全て切り裂き、爆裂する斬撃だった。
「……何じゃ、いまのも……魔術にしては、術式の発動が視えなかった……じゃが、魔力を飛ばしただけにしては……在り得ぬ破壊力じゃ」
土竜・轟然地裂は、両断されたソファの辺りに直撃すると、小型の爆弾が爆発したみたいに凄まじい衝撃を放つ。
転がっていた死体は粉微塵になり、カーペットタイルは切り裂かれて捲り上がり、床材は露出して凹んでいた。
「神楽さん――ゴミを退かしましたので、そちらの隅でわたしが魔王さんを殺すのを見学していてくださいませんか?」
「……あ、の……逃げ、ません、か? 貴女が、強いのは……分かりましたけど……時貞の爺を、特定出来なければ……やっぱり負けちゃい、ますよ?」
わたしはソファのあった隅っこを刀で指し示しながら、ニコリと微笑んだ。だが、金城神楽はいっそうわたしの背中にへばりついて、恐る恐るという小声で不安を吐露している。
「ご安心を、神楽さん。心配せずとも負けませんよ?」
「……威力が強い攻撃が出来ても……やっぱり……力、だけじゃ、負けちゃいます……」
「――――はぁ」
ふむ、どうするか――わたしの実力に対する信頼度が低いのか、それとも虚空時貞に対する恐怖が強いのか、その両方か。
わたしの言葉に賛同は得られず、金城神楽は、いやいや、と首を振りながら、背中から離れてはくれなかった。
溜息を漏らすしかない。流石に、金城神楽を庇いながらでは全力で愉しめない。
「――なぁ、鳳仙くん。今しがたの攻撃、儂に向けて放ってくれないかのぅ? そうしたら、鳳仙くんの要望を聞いても良いぞ?」
わたしが困り顔で思案していると、虚空時貞が両手を広げた隙だらけの姿勢で挑発してきた。
虚空時貞との距離は、およそ10メートル弱。先ほどのソファまでの距離とほぼ同じだった。
「――――雨燕・比翼飛燕」
虚空時貞の意図は理解出来る。
万全の防御態勢でわたしの技を受けてみて、その威力を確かめたいのだろう。戦闘になったら、優位なのはどちらなのか、それを測りたいのだ。
これで技の威力が予想以上だった場合、逃げの選択肢を選ばれるかも知れない。
わたしは先ほどよりも手抜きをした雨燕・比翼飛燕を放つ。案の定、それは虚空時貞の肌に届くこともなく、途中で弾かれて終わった。
「……くくく……くく……この程度、か……原理は分からぬが、所詮は、物理的な攻撃か。良いぞ? 鳳仙くんの提案を聞こうではないか――儂と一騎打ちで、勝負を決めよう」
「ふふふ――それは、重畳。ありがとうございます」
「…………逃げ、ないのですか? 罠ですよ……これじゃ、勝てない、です……」
虚空時貞の余裕の笑みを前に、わたしは心底嬉しくなって感謝の言葉を述べる。
一方で、背後の金城神楽は絶望的な声音で、震えながら座り込んでしまっていた。
そんな金城神楽に仕込刀の鞘を手渡しつつ、お願い、とわたしは頭を下げる。
「神楽さん――本当に、わたしを信じてください。さぁ、疾く部屋の隅に――」
「うむうむ、鳳仙くんの言葉通りじゃ。神楽よ。万が一にも危険があってはマズイからのぅ。下がっていなさい」
「…………」
わたしが一歩前に踏み出すと、虚空時貞も金城神楽に強い口調を投げる。
しばし沈黙が漂った後、金城神楽は顔を伏せたまま、鞘を胸に抱えて部屋の隅に移動してくれた。近寄ってくる信者は居らず、遠巻きに様子を窺っていた。
「安心するが良いぞ、鳳仙くん。神楽に、儂から危害を加えることなぞない――当然、鳳仙くんも危害なぞ加えないで欲しいぞ? 儂との約束、しっかりと『聴いてくれるかのぅ?』」
「…………へぇ?」
金城神楽が安全圏に移動した直後、虚空時貞は早速とばかりに催眠術の布石を打ってきた。
不意打ちのその言霊を思わずまともに受け止めて、グラリと少しだけ頭が揺らされたのを自覚する。
けれど、そんなことはおくびにも出さず、不敵な笑みも崩さないまま、会話を続ける。
「――約束は当然、守りますよ? 一騎打ちを聞いてくれたのですから、当然でしょう? さて、それでは早速……と言いたいところですが、少しだけ、わたしと会話をしませんか?」
「ふむ? おぉおぉ、良いぞ――儂も気になっておったことがあったからのぅ。じゃが、儂の話は後回しで良い――鳳仙くんの話とは何じゃ?」
「ありがとうございます。単純な戯言ですけれど――」
わたしは語りながら、スッと脱力して自然体に刀を構える。
心のスイッチも切り替えて、思考は明鏡止水の境地に至る。
周囲が凍ったような錯覚をするほど集中の極致になり、同時に充実する覇気、闘気を身に纏って、枯渇寸前の魔力は身体の内側に抑え込む。
「――魔王さんの敗因を、殺す前に説明させて頂こうかと思っております」
「…………ほぉ? 儂の、敗因?」
「ええ、そうです。殺してしまってからでは、悔やむかと思いますので――」
笑みを浮かべたままで、冷静に虚空時貞との距離を測る。
目算で9メートル、全力で踏み込めば一秒も掛からない。虚空時貞の反応も鈍い――特に先ほどの雨燕を防御した時なぞ、眼前に迫ったそれを認識してから弾くのに、零コンマ数秒掛かっていた。
反射神経の速度、防御センスは、圧倒的に南雲果林に劣る。
しかも、わたしの攻撃を防御するには、攻撃を認識してから意識する必要があるようだ。それならば、気付かないまま首を落とせば事足りるだろう。
「――まず、最大の敗因としては、わたしとの一騎打ちを選択してしまったことです」
チラ、と金城神楽の様子を窺う。
金城神楽は座り込んで身体を丸めながらも、わたしに向かって祈るように手を合わせていた。周囲の信者とは結構距離が離れているので、すぐに襲われる可能性は少ないだろう。
「なるほどのぅ――儂が、一騎打ちで、鳳仙くんに負ける、と言いたいのかのぅ? くはははは! とても面白いジョークじゃ! それで? 続きを聞こうじゃないか」
「ええ。わたしとの一騎打ちが、どうして敗因になるのか、ですけれど――それは、魔王さんが慎重だから、であるとも言えます。魔王さんはその慎重さ故に、いま階下で暴れまわっている龍ヶ崎十八くんを警戒しているのでしょう?」
「…………ほぅ?」
「十八くんは、恐らくはもう、人質だった『剣持静』さんを救出しているのでしょう。だからこそ、今度は『わたし』という人質が欲しい――だって、十八くんの実力は、魔王さんを凌駕しているのかも知れませんからね?」
わたしの流暢な説明に、腹を抱えて笑っていた虚空時貞の顔が曇り始める。図星を突かれて、内心で不愉快に思っているのが見て取れた。
魔力視をすると、ジワジワと全身から漂う魔力の量が増えているのも分かる。
準備が整ったら、全身全霊でわたしを叩き潰すつもりだ。計画通り、望むところである。
「十八くんと言う未知の脅威と、人質なしで闘うのは、あまりにリスキーです。それならば、催眠術が有効であるわたしを相手にするに限るでしょう――さてここで、本来の魔王さんならば、こんな状況になってしまったら、逃げの一択だったはずですね? ところが、神楽さんを奪われてしまった。これは計画外の出来事でしょう? だって神楽さんを奪われたら、間違いなく破壊神に報復されますものね」
「…………」
もはや虚空時貞は沈黙でわたしの言葉を肯定した。
気に喰わない、という空気が強く漂い始める。それでも律儀に、わたしの言葉を最後まで聞いてくれるつもりなのは助かる。
わたしも、いざ決戦のその瞬間に向けて、気持ちと身体を順調に整える。
「だからこそ、魔王さんは何としても神楽さんを奪い返さないと、ですよね? その為に、乱戦を避けてわたしとの一騎打ちを選んだ。万が一にも、神楽さんを失ってしまったら、取り返しがつかないからですよね?」
挑発的に笑いながら、わたしは一歩踏み出す。
ここまでは全てが計算通りだ。柊南天から聞いていた情報に誤りは一つもなかった。
「なぁ、鳳仙くん? 鳳仙くんが、儂のことを十二分に理解しており、あえてこの状況になるよう誘導したことは理解した。じゃが、この一騎打ちこそが敗因とは言うが、具体的に何が敗因なんじゃ? 儂はそれが理解出来ぬ。儂に分かるよう『教えてくれないかのぅ』?」
「分かりませんか? ええ、教えてあげます。ちなみに、魔王さんの考えは正しいですよ? だって、昨日から一日しか経っていないのに、催眠術の対策が出来る訳がない。その考えは至極当然であり、それほど魔王さんの催眠術は万能ですからね」
「――――何を、考えている?」
「あらあら、分かりませんか? よもや、いま『精神読取』を発動させたのでしょうか? どこまでも予想通りですね」
わたしは更に一歩踏み出す。
自然体のままで、けれどいつでもどの瞬間にでも、全身全霊に渾身の一撃を放つことが出来る状況だった。
虚空時貞はそんなわたしを睨み付けて、途端、怪訝な表情に変わる。脳内を何かが手探りするような気持ち悪い感覚がある――だがそれは、柊南天の精神感応能力ほど強力ではない。
「鳳仙くん、戯言はもういい――儂の催眠術から、どうやって逃れたのじゃ? 淫夢を見せてから、正気に戻れた者なぞ、いまだかつて誰も居らぬ。それこそ処女だろうと、経験豊富なビッチだろうと誰一人例外なく、淫夢に堕ちた人間は正気を失う。これは麻薬よりも強力な依存性の高い催淫じゃ。『儂にそれを聞かせろ』、『催眠術の対策方法は何じゃ?』――『教えろ』」
「気付きませんか? 思いつきませんか? これほど魔王さんの思考を誘導して、状況の御膳立てさえも出来るわたしが、どうして催眠術を甘んじて受けたのか?」
「……『儂の話を聴け』『儂の瞳を視よ』『儂の問いに答えよ』――『足を止めろ』」
わたしは優雅にもう一歩踏み出した。
途端、虚空時貞は右手を上げる。その掌からは、ビーム光線のような炎の柱が放たれた。続けて左手も上げて、拳を握ったまま振り払う。すると、わたしの左右から巨大な氷の壁が生まれて、圧し潰そうと倒れ込んできた。
「嗚呼、素晴らしい――此処に至って、ようやくその可能性に気付いてくれましたか?」
果たして、わたしはその両方を軽々と躱す。それらは、あくびが出るほど遅すぎる。
「この……鳳仙くん、『催眠術を聴け』――『儂を視ろ』っ!!」
「聞いてますよ? 観てますよ? それでも、響きません――だって、スイッチを切り替えたわたしに、この程度の催眠術は効きません」
「触れて、しまえば――ッ!?」
「――そういう行動を取るのも、お見通しですよ?」
わたしとの距離が5メートルと迫った瞬間、想定通りに、虚空時貞は魔術ではなく体術で挑戦してくる。
わたしに直接触れて、より強力な催眠術を掛けようというつもりだろう。けれど、その体捌きは南雲果林ほどのキレがない。わたしに通じる道理はない。
「――――がぁあああ!? 防御が、突破された!?」
「全てにおいて、反応が遅すぎますよ? おっと――」
わたしは嗤いながら、斬鉄でもって虚空時貞の右腕を肩口から切り落としていた。遅れて発動した防御魔術が、残心の姿勢だったわたしを弾き飛ばした。
ステップを踏んで軽やかに円運動しつつ、数振りだけ本気の雨燕を飛ばした。
けれどその雨燕は、発動している透明な壁に阻まれて、虚空時貞には届かなかった。
虚空時貞の周りを包み込む透明な壁は、防御性能がかなり高そうだ。
「さて、それでは改めて、最大の敗因について、より詳しくお教えしますね? わたしと一騎打ちする状況になったことが敗因とお伝えしましたが、その本意は至極単純です。一騎打ちになれば、わたしが負ける要素がないからです――つまり、昨日時点で、わたしは催眠術の耐性を持っており、それを隠して、わざと魔王さんに負けた、という訳です。だから、淫夢から正気に戻るのも容易でしたよ? だって、そもそも効かないのですから」
わたしは唄うように語りながら、虚空時貞と距離を取る。
タンタン、と軽やかなステップで、さりげなく金城神楽の近くまで遠ざかり、出血する右肩を抑える虚空時貞と対峙した。
「く、そっ――まさかッ!? まさかぁ――!! この、化物がぁ!!」
激痛でなのか、激怒でなのか、虚空時貞はとにかく絶叫している。その表情は真っ赤で、半裸の上半身は真紅の服でも纏っているように血塗れだ。
常人であれば、意識を失いかねないほどの出血量だが、なお血気盛んになっている印象だった。
当然ながら、虚空時貞の戦意もよりいっそう苛烈になっており、血走った瞳はわたしを真っ直ぐと睨み付けている。なんとも素敵な殺意である。
「ネタバレも終わりました。そして、大ダメージも与えることに成功しました。しからば、ラスボスとやらは、第二形態に進むのでしょう? 柊さんの話だと、ここからが本当に、命懸けの勝負になるそうですよね? さあ、愉しみましょう?」
わたしの笑顔に、虚空時貞は大絶叫で応えた。その全身から、凄まじい魔力が溢れて爆発した。




