第五夜/前編
七月十三日木曜日。
今日は早朝から、気分が高揚するほどの見事な快晴だった。それでいて爽やかな陽気で、夏日ほど暑くもなく、湿度も低く、過ごし易い一日になる予感がしていた。
そして、天気だけではなく身体の調子もすこぶる快調だった。特に魔力は、ここ数日で最高潮に充実している。
昨夜、龍ヶ崎十八の治癒で身体を癒してもらった際に聞いたが、魔力も筋肉と同じように鍛えることが出来るようだ。魔力の流れに負荷を掛ければ掛けた分だけ育ち、異なる魔力の干渉を受ければ受けた分だけ成長するらしい。だからか、どうやら九鬼連理から受けた魔力の炎が、わたしの魔力を一段階強く鍛えてくれたようだった。
そんなこんなで、柊南天から処方された薬の効果もあり、もはや全快したと言っても過言ではないほど体調は回復していた。
こんな爽快な日は、なんだか愉しい出来事が起きそうな気がする――と、わたしは放課後の潜入調査に期待しながら、龍ヶ崎十八が用意してくれた朝食を食べていた。
「ん? 護国鎮守府から? はい、もしもし? は――え? そんな馬鹿な!?」
唐突に鳴り響いた携帯の着信音に反応して、龍ヶ崎十八は電話に出た。二、三、相手と何か話したかと思うと、いきなり深刻な表情になって声のトーンを高くして驚愕する。
「嘘だろっ!? どうし――はぁ!? そんなわけ……」
果たして、わたしの予感は的中するようだ。どうやら龍ヶ崎十八にとって、だいぶ予期せぬ異常事態が発生したらしい。
龍ヶ崎十八の反応を見る限り、わたしが期待していた展開よりも、ずっと愉しいことが起きそうだ。見る見ると顔面を蒼白にする龍ヶ崎十八とは裏腹に、わたしは内心でほくそ笑む。
しかし、そんな本性は胸に秘めて、朝食の手を止めると平然とした顔で首を傾げた。
「どう、しましたか? 十八くん?」
「……あ、いや……大丈夫、だよ」
血の気を失せさせた蒼白な顔で、微塵も大丈夫に思えない声音で、龍ヶ崎十八は首を横に振る。そのまま電話に集中して、話を続ける。
「……それで? 足取りは……そっか……クソ、まさか……たった一日で……」
電話口の相手が、護国鎮守府の誰かは分からない。だがその内容は間違いなく、朗報の類ではないことは確実だった。
龍ヶ崎十八の反応と、『たった一日で』という単語から、剣持静でも攫われたのだろうか。だとしたら剣持静は、囮としての役割を全うしたことになる。
勝手な推測からわたしは、不謹慎ながら剣持静の評価を見直した。
たった一日で目的を果たして、見事に獲物を喰い付かせるとは、肝心なところでしっかりと役に立つ人材である。
「あ!? だ――へ!? ちょ、ヘルプって――はぁ!? なんだそれ、おかしいだろ!? なんで――クソッ!!」
一方で、龍ヶ崎十八と護国鎮守府の何者かとの電話はヒートアップしていた。
龍ヶ崎十八が珍しくも激昂して、感情任せに怒鳴っている。何を言われたのか、断片的な単語ではよく分からなかったが、わたしが聴覚に集中し始めた途端、いきなり電話が終わった。
相手側が一方的に切ったようで、龍ヶ崎十八は呆れた顔で携帯の画面を眺めている。その様子を心配そうな顔で眺めながら、わたしは水の入ったコップを差し出す。
「十八くん? いったい何が、あったのでしょうか?」
水を一息に飲み干してから、龍ヶ崎十八は沈んだ顔で口を開いた。
「……昨日、あれから静姉ちゃんが行方不明になったらしい。寮にも帰ってないし、連絡も取れなくなったって……足取りを追ったところ、俺らが土井MCBから出た直後、また土井MCBに戻った、って目撃情報が見つかった」
「――それはつまり、魔王さんの催眠術で信者にされた可能性がある、ということですか?」
龍ヶ崎十八がコクリと頷いた。
推測はまさに的中である。わたしは内心で満足気に頷きながらも、表向きは、心配そうな表情を作った。心痛そうな顔で、少し視線を足元に落とす。
「ああ……だけど、どこで催眠術を受けたのか……」
龍ヶ崎十八の呟きに、確かに、と賛同する。
しかしそれはそれとして、剣持静のどこがそれほど魅力的に映ったのだろうか。わたしは少しだけ疑問に感じた。
囮の役目を果たしたのは見事だが、剣持静は特別なことを何もしていなかったはずだ――そんなに、巨乳が魅力だったのか。
わたしは答えのでない自問自答に、若干だけ苛立ちを覚えた。
「いま分かっている限り……静姉ちゃんが隠し持ってたGPSの位置情報は、土井MCBの駐車場で途絶えてる。だから取り急ぎ、遊馬さんに魔力感知をしてもらってる。けど……静姉ちゃんの魔力がより強い魔力に阻害されてるみたいで、位置の特定には、手間取ってるらしい……」
「――ねぇ、十八くん。剣持さんが拉致されたことを前提に考えると、常に行動を共にしていたわたしたちも、どこかで魔王さんと接触していた、と思うべきですよね?」
わたしは冷静に昨日の行動を思い返して、唇に指を当てながら悩ましげに首を捻る。
正直なところ、虚空時貞らしき人物に、全く心当たりがないのだ。だが少なくとも、わたしたちが団体行動していた時に、剣持静だけが接触した相手はいない。だからこそ、わたしたち全員、どこかで虚空時貞に接触していたはずである。
その考えは、龍ヶ崎十八も同じのようで、悩ましげな表情で唸っていた。
「……接触がなくとも、どこかで虚空時貞の目を見たか、声を聞いた可能性はある。だとすると、施設内のディスプレイのどこか、もしくは展示物の何か、施設内アナウンスとか、なのか……」
いったいどこで、と悩む龍ヶ崎十八に、とりあえずわたしは一つの提案をする。
「十八くん。一刻も早く、剣持さんを助け出さないと――今日は、学校をサボって土井MCBに向かいませんか?」
本音を言えば、剣持静の安否など二の次で、わたしはただ暴れ回りたいだけだった。
昨日でもう、施設内の怪しい場所の下見は終わっている。剣持静が攫われたということは、昨日赴いたどこかに、虚空時貞へと繋がる道が隠れていることに他ならない。
そこまで分かっていれば、あとは行方不明の友達を探す振りをして、好き放題、土井MCBを探索すれば良いだけだろう。
「……駄目だ。迂闊なことは出来ない。今日は一旦、遊馬さんの魔力感知の結果を待つ。それまでは、待機、だ」
しかし、わたしの提案を龍ヶ崎十八は却下した。苦虫を嚙み潰したような顔をしながら、拳を握り締めて首を横に振っている。
わたしは目を細めて、冷めた表情を龍ヶ崎十八に向ける。
「待機、とはどうしてですか? 迂闊に動かないのは理解出来ますけれど、待つことで状況が悪化したらどうするつもりですか?」
「――護国鎮守府が、別のサポート要員を用意する、って言ってる。だから今回、静姉ちゃんの犠牲は仕方ない、ってことになった……護国鎮守府は今回の囮作戦が有効だと決断して、任務内容を変更するらしい。そして次回の任務では、俺を外す、らしい……」
「はぁ? 十八くんを外す? どういうことですか?」
悔しそうに顔を伏せる龍ヶ崎十八に、わたしは詰問口調で問い掛ける。
全くもって何を言っているのか、意味が分からない。虚空時貞に囮が有効だったとして、龍ヶ崎十八を任務から外す必要はないだろう。
「今回の任務は、完遂、したことになった……次の任務内容は、全く別で……俺は、不要になる。次は俺の代わりに 神薙瑠璃さんが担当するって指示が来た。いま聞いた次の任務内容だとすると、確かに、神薙さんが最も信頼出来るけど――クソッ! 納得いかないっ!!」
龍ヶ崎十八は悔しそうに歯噛みして、苛立ちを露わに暴言を吐いている。けれど、相変わらず説明が足りていないので、何一つ要領を得ない。
とはいえ、たどたどしい説明の中でもハッキリしていることがある。それは、龍ヶ崎十八の出番が必要のない状況になったということだ。
そうなると、果たしてわたしはどうなるのか。
「十八くん。よく分からないのですが、わたしはどうなるのでしょうか?」
「……指示が出るまで、待機、してくれ」
「外されるわけではない、と思って宜しいのでしょうか?」
「…………神薙さんが担当になったなら、恐らく相方は、妹の神薙翡翠さんだと思う……」
わたしの問いに対して、あえて的外れな回答をしてくる龍ヶ崎十八に、大きく溜息を漏らす。
外される可能性が高いなら、ハッキリとそう言えば良いのに――という、非難の言葉は呑み込んだ。
「なるほど。それではまだ、わたしたちが担当、で間違いないわけですね?」
「――綾女さん? 何を、考えて――」
「――あら? わたしが何を言いたいか分かるのであれば、つまり十八くんも同じ気持ちだった、と解釈して宜しいでしょうか?」
わたしは不敵な笑みを浮かべて、何もかも見透かすような視線で龍ヶ崎十八の瞳を覗き込む。龍ヶ崎十八は、一瞬たじろいでから、観念したように顔を伏せた。
その反応でわたしは確信する。
龍ヶ崎十八は、新しい任務を言い渡される前に、単独で土井MCBに乗り込んで剣持静を助けるつもりのようだ。命令無視で罰せられるのだろうが、先の台詞から考えると、完遂している扱いの任務でそれほど重い罰があるとは思わない。
それこそ剣持静を助け出すことに成功すれば、何も文句など言われないはずだ。
「――ダメだ。危険過ぎる」
「何が危険なのでしょうか? 昨日と、状況がどう変わったと言うのでしょうか?」
「昨日は、ただの調査だった。だけど、今日は違う。申し訳ないけど俺は、虚空時貞が逃げようが、もうどうでもいい。静姉ちゃんの奪還を最優先に動くつもりだ」
龍ヶ崎十八は強い意思の光を宿した瞳でわたしを見詰めてくる。その視線を真正面からジッと見返しながら、自慢の黒髪を梳いて耳にかけた。
「それはつまり――魔王さんが逃げだすような力押しで、信者の解放だけ目的に、ひたすら暴れ回る想定でしょうか?」
「……暴れ回るつもりはないよ。けど、結果そうなるかもね」
「それの何が危険なのでしょうか?」
「――綾女さん。俺が後先考えずに行動を起こせば、恐らく破壊神がやってくる。そうなったら、もうどうしようもないんだ。だから、危険だって言ってるんだ。破壊神の犠牲になるのは、俺独りだけでいい。運が良ければ、信者の多くを解放出来るだろう……まぁ、最悪でも、俺の犠牲と引き換えに静姉ちゃんだけは助け出すつもりだけどね」
自嘲気味に笑って、龍ヶ崎十八は視線を逸らしていた。
どうやら覚悟は揺るがないようだが、それでわたしが引き下がると思っているのであれば甘すぎる。それにそもそも、龍ヶ崎十八を犠牲にして剣持静を助けるなど、そんな不釣り合いな提案に納得出来るわけがあるまい。
わたしは目を細めて、怒気を孕んだ鋭い視線で睨み付けた。
「十八くん。わたしがそれを聞いて、そうですか、と引き下がると思いますか? わたしは、馬鹿にされることがあまり好きではありませんよ? 十八くんにとって、剣持さんがそれなりに大切な幼馴染であることは理解しました。自己犠牲してでも助けたい、という気持ちは汲みます。けれど逆に、わたしにとっての十八くんが、どういう存在であるのか、それは理解してくれているのでしょうか?」
ジッと見詰めるわたしの視線に、龍ヶ崎十八はハッとしてから、気まずそうな表情で顔を伏せる。
「十八くんが犠牲になると言うのであれば、わたしは命を懸けて止めますよ? 正直なところ、わたしにとっては剣持さんなぞより、十八くんの方がずっと大切です――――それで? わたしにここまで言わせて、十八くんはどのような判断をするのでしょうか?」
「…………」
龍ヶ崎十八の伏せた顔を真っ直ぐと見ながら、わたしは椅子から立ち上がる。
時計を見れば、七時半に差し掛かっている。そろそろ学校に向かわないと遅刻してしまう。
さあどうする、と首を傾げると、龍ヶ崎十八は重い口調で謝ってくる。
「……分かったよ。ごめん。早計だった……俺は、綾女さんを危険な目に遭わせたくない。だから、迂闊に行動しない……悔しいけど、命令通りに待機するよ。遊馬さんから連絡が来たら、すぐに連携して、その時に対策を考えよう……」
「――本当、ですね?」
「ああ。本当だよ。単独行動はしない――だから、綾女さんも待機して欲しい。とりあえず俺は、護国鎮守府に直接、任務の件で直訴してくる。さっきの電話だけじゃ、到底納得できないからね」
龍ヶ崎十八は決意した表情で、顔を上げてわたしを見詰めてくる。その瞳に宿る強い覚悟を見て、わたしは満足気に頷いた。
「それでは――わたしは学校に行きますね? 放課後は、また九鬼駅前のカフェに行けば宜しいでしょうか?」
「あ、うん、そうだね。是非、来て欲しい――俺も、午後にはそこに向かうよ。そこで状況の整理と対策を考えよう」
わたしは龍ヶ崎十八に微笑みながら、行ってきます、と頭を下げる。
忘れずに仕込刀の入った竹刀袋と、学校の鞄を持って、急ぎ足に自宅を出た。その際に、携帯の時刻表示を焦った様子で確認しながら、急いでる振りをするのも重要だ。
「行ってらっしゃい――」
龍ヶ崎十八の送り出す言葉を背中に受けながら、わたしは少し小走りでバス停の方向へと歩いた。
バス停にはすぐに辿り着く。まばらだが、数人が既にバス停に並んでいた。
わたしはバス停の最後尾に並んでから、念のため、尾行されていないことを確認する。気配はなく、尾行もされていない。
そうしてからしばらくして、バスが到着する。
「――あ、乗りませんので、どうぞ行ってください」
けれどわたしは、そのバスには乗り込まず、列を外れて横道に入った。
「時間通りですね」
バス通りを二つほど隔てたところで、いつも利用している闇営業の白タクシーに乗り込んだ。自宅を出る際に、さりげなく呼び出しておいたのだ。
(それにしても十八くんは、嘘が吐けない人ですね――まあ、そこがとっても可愛らしいですけれど)
わたしは白タクシーに乗りながら、先ほどの龍ヶ崎十八の様子を思い返す。
龍ヶ崎十八の心の天秤が、わたしと剣持静のどちらに傾いているのかは分からない。だが少なくとも先ほどは、葛藤の末に、わたしを選んでくれたようだ。
あの真っ直ぐな瞳と口調の強さを思うに、剣持静を見捨てる気持ちはなさそうだが、当面は、単独で土井MCBに抜け駆けするつもりはないだろう。
わたしよりも先に抜け駆けしなければ、それだけで充分である。さっきの問答は、そもそも時間を稼ぐのが目的だ。
さてそれでは、わたしは早速、抜け駆けする準備をしよう。
携帯で為我井優華にSMSを送信して、今日明日と体調不良で休む旨を連絡した。途端に、リアルタイムで心配するメッセージが飛んでくるが、それほど大ごとではないことを伝えた。
わたしは夏休みになったら為我井優華の家に顔を出すことを約束して、他愛無いメッセージのやり取りをしながら目的地へと向かう。
「――あ、そこの角を曲がった通りで、止めてください」
ここ最近通い詰めている道路の路肩に止めてもらい、料金を払って降車する。到着したのは、閑古鳥の鳴いているシャッター通りである。
わたしは迷わずに奥まで進み、準備中となっている『モダン柊』の扉を開けた。毎度のことながら、鍵など掛かっていない。
店内は静まり返っており、幻影の出迎えもなかった。
「――柊さん。いらっしゃいませんか?」
わたしは勝手知ったる何とやらで、厨房を通り過ぎて、ベッドの置かれた隠し部屋まで行くが、柊南天の姿はなかった。
タイミングが悪い、と内心嘆きながら、隠し部屋の執務机に腰を下ろす。すかさず、渡されていた衛星電話を使って電話を架けた。
「…………出ませんね」
呼び出し音は鳴っているが、一向に電話は繋がらない。留守電にもならず、当然ながら、モダン柊の店内でも音は聞こえない。出掛けているようだ。不用心極まる。
わたしはめげずに呼び出したままにして、無造作に積まれた文庫サイズの自己啓発本を手に取った。
しかし、パラパラとその中身を一読して、思わず眉を顰めながらドン引きした。
「……何ですか、これは?」
パタンと閉じてから、カバーをマジマジと見直す。
カバーに書かれた本のタイトルは、『三秒で出来る自己改革』である。しかし、いま一読した限りでは明らかに内容が異なる。
わたしはフルフルと頭を振ってから、もう一度、本を開いて中身に目を走らせた。すると、やはり勘違いではなく、頁のほとんどが卑猥な単語の羅列で埋まっていた。
熟読しなくとも、登場人物の男女が何をしているのか理解出来る。それほど露骨な性描写が多い。
「…………『教祖に捧げる私の身体。集団乱交編』?」
わたしは呆れた表情で、カバーを取った。
現れた本の表紙には、カバーとは全く違うタイトルが書かれており、裏表紙のあらすじには『教祖で満足できなくなったヒロインは、信者たちとの複数プレイにハマっていく……』という下劣な記載がある。当然ながら、R18の表示もされており、官能小説で間違いないだろう。
わたしは、別の自己啓発本を手に取る。そして、まず中身を読む前に、カバーを外してみた。
それもまたタイトルと中身が異なっており、今度はライトノベルだったが、ジャンル的にはBLと呼ばれる類の小説だった。
「他人の趣味をとやかく言いたくはありませんし、性欲を否定するつもりもありませんけれど……ここまでムッツリだったと知ると、かなり幻滅ですね……」
疲れた風に溜息を漏らして、自己啓発本を装ったマニアックな文庫本たちをそのまま元に戻す。一部の本には付箋まで貼られていたが、付箋の頁は例外なく、際立った性描写で溢れた頁だった。
はぁ、と疲れたように溜息を漏らした時、ようやく衛星電話が繋がって、スピーカーにした電話口から柊南天の特徴的な声が聞こえてきた。
『――うぃっス。どしたスか、綾女嬢? 昨日の今日で、何か進展でもあったスか?』
能天気な声に、わたしは冷めた感情のまま、前置きを一切端折って本題を切り出す。
「柊さんの仰っていた通り、四名チームで行動したところ、早速、囮が拉致されました」
『ほぉ!? 昨日一日で、もう虚空時貞と接触出来たんスか!?』
「……魔王さんと思われるのが誰か、それは特定出来ておりません。しかし、帰宅時に催眠状態となった可能性があり、そのまま拉致されているのが事実です。そこで、すぐに殴り込みを行いたいのですが、護国鎮守府で方針転換があったようで――」
わたしは昨日一緒に行動した遊馬司、剣持静のことも含めて、龍ヶ崎十八との朝のやり取りもそのまま伝えた。そのうえで、昨日の調査報告、金城神楽、金城果林を発見したことも包み隠さず共有した。
一通りそれを聞くと、柊南天は驚愕の声を上げる。
『――進展、メッチャ早いっスねぇ。しっかし、たった一日でそこまで判明するってことは、もしかしたら虚空時貞たち、隠すつもりがないかもっスねぇ。信者獲得を急いでるのか、誰かに対して罠でも張ってるのか……それとも気付かれたか。や、気付いたとしたら、もっと違うアプローチなはずスね――ま、なんにしろ、綾女嬢は、迂闊な動きは警戒すべきっスよ?』
「柊さん。一つ伺いたいのですが、十八くんとの話で出た護国鎮守府の任務変更、これはどのような内容になるかご存じでしょうか?」
悩ましげに唸る柊南天に、わたしは問い掛けてみる。
龍ヶ崎十八の曖昧な説明では、今後の計画を立てるのが困難だったからだ。特に、今日は抜け駆けをするつもりでいるのだから、今後の護国鎮守府が、どんな動きをするのか分からないと、かなり面倒な決着になってしまう。
柊南天は、ああ、と頷いて、簡単だとばかりに説明を始めた。
『単純ス。いま綾女嬢から聞いた話を統合すると、囮を主戦力にするつもりじゃないスか? 今までの虚空時貞は、信者を増やすのが割と慎重だったんス。催眠を掛けるのはデフォルトとして、拉致するのは最終手段だったぽいんで――だから囮を用意しても、それが信者たちの居場所まで連れていかれるかどうかは博打だったっス。だもんで護国鎮守府は、念のため囮を用意しつつも、主戦力として龍ヶ崎家の御曹司と綾女嬢を利用したんスよ。それが今回、好みの女性を速攻で催眠に掛けて拉致した……こんな強引な手口、今までなかったスよ? この強引さから察するに、虚空時貞は今回、バレない自信があるのか、バレてもどーでもいいと思ってるかっス。どちらにしろ、囮が有効であれば、主戦力に囮をやってもらうのが一番リスクが少ないス』
「……その囮になる主戦力とやらは、魔王さんの催眠術には掛からないのでしょうか? それとも、催眠術など関係ないほどに強いのでしょうか?」
柊南天の説明に理解はした。だがそれが、わたしと龍ヶ崎十八を外すほどの妙案なのかどうかは甚だ疑問だった。
『さあ? あー、えと、龍ヶ崎家の御曹司が外されると、誰が担当になるって言ってたスか?」
「――神薙、瑠璃さん、と仰っていました。相方が、妹の翡翠さん、ですね」
『ああ、はいはい、なるほど、なるほど、分かります、分かります。つまりそれ、神薙家の三姉妹――通称、神薙大女神スか』
柊南天が、知ってる知ってる、と興奮気味に相槌を打ってくる。しかしながら、わたしはその通称名を含めて、初めて聞く名前である。詳しく説明が欲しいところだ。
『えーと、神薙大女神だったら、まず催眠術が関係ないほど強いかどうかは、否っス。十中八九、いまの綾女嬢単独で、二人を同時に相手しても殺し切れる程度の実力っス。んじゃあ、催眠術に掛からないかどうかだと、それも否っス。虚空時貞と同一格の魔術師なんで、催眠術に掛かり難くはあっても、掛からないことはないっス。ただ状態異常の耐性があって、催眠術への対策を講じてくと思うんで、虚空時貞を殺すだけなら、それほど難しくはないはずっス』
「……わたしと十八くんを外すよりも、魔王さんを倒せる確率は高いのですか?」
『否っス――けど、万が一を考えた時、まだ後継ぎがいない龍ヶ崎家の御曹司を死なすよりも、既に後継ぎが生まれてる神薙大女神を死なす方が、護国鎮守府の未来になるっス。だから今回、龍ヶ崎家の御曹司を外したんだと思うっス』
なるほど、とわたしは柊南天の説明に納得した。
確かに、龍ヶ崎十八が死ぬより、有象無象が死んだ方が良いに決まっている。護国鎮守府としても、龍ヶ崎十八の特異な能力は無駄に出来ないのだろう。
だがだとしても、倒せる確率が下がるのだから、任務が達成できない危険性がある。護国鎮守府の方針としては、だいぶ消極的ではなかろうか。疑問でしかない。
そう考えたとき、柊南天が思考を読んだかのようにその答えを語ってくれた。
『――護国鎮守府の判断は、囮をわざと捕らえさせて、内部で暴れ回らせる。そこから、あわよくば信者の解放、無理なら信者は見捨てて、最終的に虚空時貞との相打ちを狙う、に変わったんスね。恐らくは、一日で囮だけ奪われた手際を見て、こりゃ任務達成が不可能だって日和ったんスね。となれば、異端管理局の要望に沿うことが出来ないから、可能な限り被害を抑えたい。けど無理でした、って言う為には、それなりの犠牲も払わないといけない――そんなこんなで、折衷案として、それなりに名前の売れた戦力を放り込んで、あわよくば倒せる、みたいな方針にしたんスね』
「……ありがとうございます。状況は理解しました。それでは、いくつか相談したいのですが、宜しいでしょうか?」
『――なんスか?』
わたしの前置きに、柊南天は声を固くして身構えていた。
わざわざ前置きをしたことに、不穏当な空気を感じたのだろう。だが安心して欲しい。困らせるようなことを提案するつもりはない。
「先ほど仰っていた『催眠術への対策』とは、わたしでも出来るのでしょうか? それは、どのような対策でしょうか? また、この状況で、どうすることが一番、わたしが愉しめる展開になるでしょうか?」
わたしは興奮と期待に声を震わせて、一旦、事情通の柊南天に訊ねた。
催眠術への対策は、わたしなりには考えている。けれど、ぶっつけ本番で試して、それが見当違いだった場合、何もできずに終わってしまう。それだけは避けたい。
柊南天は少し困ったような声を出してから、そスね、と口を開いた。
『……対策は、綾女嬢でも出来るっスね。けど――ああ、理解、理解スよ。こうしてたまに、本業に勤しもうと思ったら、やっぱこうなるんスねぇ……いま、綾女嬢はどちらに居るんスか?』
「わたしはいま、モダン柊に居ますよ……ちなみに、無人なのに鍵を開けっ放しというのは、些か不用心かと存じますが?」
わたしの非難めいた口調に、柊南天は苦笑だけで答えず、唐突に電話を切った。
「ん? 柊さん? 柊さん? もしもし? ……切れてる」
いきなり切るな、と思わず怒鳴りそうになったが、怒鳴っても仕方ない。
溜息を吐いてから、とりあえず椅子に座った。ここまで直接やってくるつもりだろうか――だとしたら、どれだけ待てば良いのか。
非常に腹立たしいが、とにかく文句は直接言おうと決めて、気持ちを切り替える。
わたしは静かに目を閉じて、魔力操作の鍛錬に励むことにする。魔力を正しく理解して、ハッキリと意識して、身体の動きと合致させる。そこに外道之太刀の技を乗せることで、精度も威力も飛躍的に向上するのだ。
実のところ、わたしが今まで修得したつもりになっていた外道之太刀の秘奥義の数々――それらが本当は、正しく修得出来ていなかったことに、最近になって気付かされていた。
「外道之太刀は、魔力操作が大前提の剣技だったようですからね――嗚呼、早く試したい」
わたしは独り言ちながら、集中の世界に没入する。
九鬼連理には使わなった殺人技を、思う存分に、虚空時貞を含めた神言桜花宗の連中にぶつけたい。そんな逸る気持ちを抑え付けながら、柊南天が来るのをただただ待った。
柊南天はそれから、二時間ほど経ってからやってきた。
その手には、コンビニで買った弁当を持っており、これ遅い朝ごはんっス、と訊いてもいないことを答えていた。
「さて……わざわざ電話ではなくて、直接こちらにお越しくださったということは、何か魔術的な加護なり、対策なりがあるのでしょうか?」
「ん? あ、そスよ。けど、ちょい待ってもらっていっスか? お腹空いちゃって――」
相変わらずマイペースで、わたしの返答を待たずに弁当を食べ始める柊南天。わたしは呆れた様子で溜息を漏らしてから、そんな自己都合は無視して話を切り出す。
「柊さん。わたしは、午後にでも土井MCBに乗り込んで、金城神楽さんを誘拐しようと思っております。その過程で、金城果林さんは殺しますし、適度に暴れ回りたいのです。ですから、最大限、愉しめる方法を相談したのですけれど――妙案はありませんか?」
「……本当に、闘いに狂ってるっスよねぇ……ま、それでこそ【人修羅】スけど」
柊南天は呆れた調子で言いながら、右の掌をわたしに突き出す。なんですか、と首を傾げると、瞬間、グラリと頭が揺らされたような衝撃が襲い掛かってくる。
地震か、と錯覚するほど身体が揺れ始めた。同時に、足元の感覚がなくなり、目は虚ろに、頭の中がしっちゃかめっちゃかになる。
「……な、に? こ、れ……」
「うちの精神支配――催眠術バージョンっス。対策を教える前に、催眠術を体感してくださいっス」
「――――」
わたしは遠ざかる柊南天の声を聞きながら、胡乱な思考を必死に繋ぎ止めた。
しかし、強烈な睡魔に襲われたような脳内は、もはや何も考えられず、数秒でわたしの意識は刈り取られたのだった。




